「どうしても確認したいことがあるんですよ」
祐一は隣に立つ秋子に尋ねる。
大海原。一面の蒼。水平線と、色のない太陽。
見たことのない光景とは言わない。ただ、場所がいささか問題であった。
「なんでこんなところに、俺は連れてこられたんですか?」
場所は、UN海軍の戦艦であった。それも数隻に囲まれた旗艦である。
「あら、言ってませんでしたっけ?」
「何も聞いてないです。今日朝起きたら、突然ここへ連れて来られました」
三日連休の最終日。昨日に続いて今日も実験かと思いきや、第三新東京市からヘリで移動、降りたところがUN海軍旗艦だった、というわけだ。
その間、一切の説明はなし。
まあ、それだけならよかった。
自分もネルフの一員であるから、命令には従うつもりだ。多少の危険でもかまいはしないし、どこかへ行けというのならその通りにする。
ただ。
「うおー、すっげー。本物の戦艦だぜ、これ」
「……これはこれで、貴重な体験よね……」
民間人のこの二人(北川&香里)が何故一緒にいるのだろう……。
「何でこの二人がいるんですか……」
まるっきり観光客そのものの二人が後ろではしゃいでいる。秋子はそれを微笑ましく眺めているだけだ。
「いえ、こういうことは賑やかな方が楽しいですから」
引率者までピクニック気分だった。
「……何しにここまで来たんですか」
少なくともネルフという肩書きでここへ来ている以上、民間人を連れてくるのはどうかと思うのだが。だいたいにして、何を目的としてここへやってきたのか、まだ祐一は知らされていないのだ。
「弐号機の引継ぎと、セカンドチルドレンの引き受けです」
「セカンド──ああ」
そういえば、一昨日車の中で佐祐理たちが言っていたような気がした。
「たしか、惣流・名雪・ラングレー」
「あら、ご存知でしたか」
「名前だけですけど」
「その娘と会うんですよ」
「あの二人も?」
「ええ、そのつもりです」
「どうしてですか?」
「だって、人が多い方が楽しいじゃないですか」
だから答になってない。
「……まあ、いいですけど」
民間人を乗せたからといって困るのは自分ではないわけだし。
「それで、そのセカンドチルドレンはどこにいるんですか?」
「それが……」
秋子は困ったように首を傾げた。
「ここにいるはずだったんですが」
ブリッジには、彼ら四人とUN海軍の軍人二人がいるだけだ。
「……なるほど」
突然、一人で納得する秋子。
「多分、まだ寝てるんだと思います」
「は?」
時計を見る。時間は既に昼の一二時を回っていた。
「……まさか」
「いえ、あの娘のことですから」
「知ってるんですか?」
「ええ、以前、一緒に暮らしていたことがありますから」
「はあ」
ということは、随分と仲のいい間柄ということになる。
姉妹……よりかは少し年が離れているか。だが親子というほどまで離れているわけでもないだろう。
難しい関係だ。
「じゃあ、起こしに行きましょうか」
「行きましょうかって……俺もですか?」
「はい、祐一さんなら大丈夫です」
(おいおい、仮にもお年頃の娘さんだろうに)
他人に寝起きを見られて怒らない年頃の娘さんはそう多くないだろう。
(ま、秋子さんがいいっていうならいいか)
というわけで、二人は北川と香里をブリッジに残し、名雪の部屋へと向かう。
最初に、秋子が二度ノックをした。だが、中からの反応はない。
「入りましょう」
「いいんですか?」
だが秋子は平然とドアを開けると中へ入っていく。
仕方なく、祐一もそれに続いて入っていった。
「名雪?」
部屋の中はとりたてて何もなかった。まあ、ドイツから日本に移動する間だけしか使わないのだから当然のことといえばそうなのだろう。
「ほら、名雪、起きなさい」
「うーん、もうちょっと……」
(まるっきり子供だな……)
ベッドに横になっている少女を見つめる。
深い海の色をした髪が、祐一の目に飛び込んできた。
「……名雪……?」
ふと、その名前を口にする。
違和感と呼べるものが、全くといっていいほどになかった。
「うにゅ……?」
その声に反応したのか、名雪がゆっくりと目を開ける。
「……お母さん」
「おはよう、名雪」
「……おはよう……」
あふ、とあくびをする名雪。
(……こんなトロそうなのが、セカンドチルドレン……?)
祐一は明らかに顔がひきつっていた。
第八話
名雪、来日
「そうだ。その問題は既に委員会と政府には話をつけてある」
ネルフ、総司令公務室。
無駄に広いとも思えるその部屋の中央からやや窓側よりに、一つだけ大き目の机が置かれている。そして、その席に座っているのは、無論、往人総司令。
「計画の目処はお前の仕事如何による。必ず、アレをネルフ本部まで届けるように」
『分かっている』
電話の向こうから整った声が帰ってくる。
『お前に言われるまでもない。これは俺の問題でもある』
「ふっ、そうだったな」
『頼むぜ、司令』
「ああ、お前もな」
通話が切れた。
「やれやれ……ついにあいつも来日か……」
これで、補完計画に必要な人と物のほぼ全てが日本に揃うことになる。
あと一つ。
南極で発見されたアレが手元に来た時、全てのコマが揃う。
「……もう少しだ……」
長かった。
全てを失ってから、ここまで来るのに一三年という月日が過ぎ去っていた。
そして、全てを取り戻すまで、あと少し。
「もうすぐだ……もうすぐ……」
往人は微かに震えていた。
仕官食堂。昼食の時間が終わり、既に人は五人しか残っていなかった。
その五人は一つのテーブルについていた。
片側に、秋子と名雪。
その反対側に、祐一、香里、北川である。
「紹介しますわ。カノンゲリオン弐号機の専属パイロット。セカンドチルドレン、惣流・名雪・ラングレーです」
秋子が祐一たちに紹介する。まだ目が開ききっていない彼女は、誰の目にも明らかに眠そうだ。
「おはようございます……」
挨拶が違った。
(はじめまして、だろ……)
祐一は頭を押さえる。さすがに北川も香里も何も答えようがない様子であった。
「とりあえずはじめまして。俺はサードチルドレン、碇祐一」
ぱち、と目が開いた。
「うにゅ……?」
どうやら、祐一のことが気にかかったようだ。さすがにチルドレンの名前は効果があると見える。
「……祐一……?」
「ああ。名雪、でいいんだろ?」
「うん──はじめまして、祐一」
にっこりと笑った。どうやらそれが、彼女の普段の姿のようであった。
「私は洞木香里。香里でいいわよ」
「よろしく、香里」
「俺、北川トウジ」
「よろしく、北川くん」
何か思い当たることがあったのか、北川は祐一の方を振り返る。
「……なあ、祐一」
「なんだ?」
「どうして俺だけ名字に『くん』づけなんだ?」
祐一はため息をついた。
「お前『よろしく、トウジ』って言われたかったのか?」
さすがに北川は嫌そうな顔をした。
「……北川くんでいいです」
鈴原潤より北川トウジの方が問題が少ないということは間違いないのだが、それでも不都合が生まれるのは仕方のないことだろう。
「さて、それじゃお互い自己紹介も終わったことですし──」
「おや、俺のことは放ったらかしかい?」
扉が開いて、その向こうから男が一人、顔を出した。
「柳也さん」
名雪が男の名を呼ぶ。
(柳也……?)
またエアキャラか、と祐一はため息をついた。
「俺は加持柳也、よろしくな」
髪を後ろで一度縛り、無精髭を生やした男は、不適でどことなく獰猛な雰囲気を兼ね備えていた。
(……相当、修羅場くぐってる男の目だな、ありゃ……)
もしかしたら喧嘩の腕は自分より強いのではないか、と思わせる雰囲気──おそらくはその身のこなし、いつ、どこから襲われても反撃することができる体勢を自然にとっていることが祐一にそう思わせているのだろう。それだけ、危地にいたことが多いということに他ならない。
(セカンドチルドレンや弐号機なんかより、よっぽど物騒じゃねえか、この男……)
祐一は立ち上がると、近づいてくる柳也にゆっくりと近づいて右手を出した。相手の反応をうかがうためだ。
「よろしく、柳也さん」
「よろしく、祐一くん。君の噂は聞いているよ、いきなりシンクロ率が40%を超えたんだってね」
柳也は怯むことなくその手を取った。一瞬、仕掛けてみるか、と思ったがその瞬間に手が離れた。
(へえ、やっぱり……)
祐一がその瞳を覗きこむと、ほんのわずかにその色が変わった。こちらが仕掛けようとしたことに気付いて、それをたしなめているかのようだ。
祐一は苦笑した。
「悪かったよ」
「いや、分かってくれればいいさ」
二人の間でかわされたやりとりを理解したのは、おそらく誰もいなかっただろう。そして柳也はごく自然に秋子の隣に腰掛けた。
「いきなり40%を超えたの?」
そのやりとりに割って入ってきたのは名雪だ。さすがにその事実は彼女を驚かせるのに十分だったらしい。
「ええ。祐一さんはテストなし、いきなりの起動でシンクロ率41.3%を出したんです」
「すごい」
はー、と感嘆の眼差しで祐一を見つめる名雪。
「すごいのか?」
祐一は今ひとつ実感が湧かない。わけもわからないままカノンに乗っただけのことだ。別に特別なことをしたわけではない。
要するに存在自体が特別なのだが、そんなことを本人に言ったところで理解できるはずもないし、理解する必要もあまりないだろう。
「まあ、祐一くんなら何があっても不思議じゃないわよね」
「そうそう。変人だからな」
妙なところで頷く香里と北川。
「だが、他人よりカノンを操ることに長けているというだけで、君に対する期待は高まる。そのことをわきまえておくことだな」
年長者ぶって柳也が諭す。祐一は素直に頷いた。
この男の言う台詞なら、何故か素直になることができた──人間として信じられるかは別として。
「そういえば、柳也さんの肩書きってなんですか?」
自然、口調が丁寧になる。祐一は人生の先輩として敬意を払う一面を持った相手にならば、こうした口調になる。
秋子しかり、佐祐理しかりだ。
「一応、ネルフ特殊観察部所属ってことになってるけどね」
「一応、ですか」
「まあな。要するに何でも屋だな。あれしろ、これしろ。はいはい。そんな感じ」
不思議とそういう職は彼に向いているように思える。何か一つのことをこなすのではなく、どんなことにでも手をつける。
(それも命令されてではない、自分の意思で……)
その彼がどういう行動理念で動いているのか、少し興味がある祐一であった。
「で、遅れたけど久しぶり、秋子さん」
柳也が『さん』づけで秋子に声をかけた。
「お久しぶりです。ドイツにいらしたんですね」
「UN軍は首になりまして。住人司令のおかげで何とかネルフに再就職できましたよ」
「ではまたご一緒にお仕事ができるんですね」
(また?)
二人がいったいどういう関係なのか、全くわからない子供四人。
「知り合いですか?」
口火を切ったのはやはり祐一であった。
「ああ。秋子さんとはUN軍時代の同僚ってところだ」
UN軍時代?
秋子が一時期戦略自衛隊にいたという話は聞いていたが、UN軍にまで所属していたとは……。
まったく、経歴が謎な人だ。この分だとあとどれくらい隠し玉があるのか、見当もつかない。
「それより、そろそろ弐号機引継ぎの時間じゃないですか、秋子さん」
柳也が時計を確認しながら言う。時計は午後二時に近づいていた。秋子が「そうでしたね」と言って席を立つ。
「皆さんはこちらにいてください。すぐに戻ってきますから」
「あ、私もちょっと用事」
続いて名雪も立ち上がる。そして柳也も立ち上がった。
「俺もだ。こう見えても忙しいんでね」
片側一列の三人が立ち上がり、反対側の三人が残される形となった。そして三人が食堂を出ていく。
「へー、セカンドチルドレンってどんな奴かと思ってたけど、随分可愛いんだな」
正直な感想を北川が言う。
「そうね、いい友達になれそう」
香里も満面の笑みだ。
「……名雪、か……」
だが、祐一だけは浮かない顔であった。
何だというのだろうか、この感じは。
たとえていうなら、焦燥、に近い。何故か胸がざわざわする。
(セカンドチルドレン、惣流・名雪・ラングレー……)
最初に会ってその名前を口にした時に感じたもの。
それは、調和、に近い。
(落ち着く……あいつを見てると、落ち着いている……のか? 何故……?)
一方で食堂を出た名雪は、ぽつりと呟いた。
「なんだ、覚えてないのか」
柳也が後ろで、声を忍ばせて笑っていた。
「お久しぶりです、艦長」
にっこりと笑って、秋子がIDカードを提示する。艦長はそれをちらっと見ただけで頷いた。
「まさかあなたがネルフの作戦部長とは──いや、おそれいりました」
「艦長はお変わりないようですわね」
「いえ、正直いささか歳を取りすぎました。あなたのような優秀な方が跡をついでくれればいいのですが──」
艦長は部下を見回して笑った。
「なかなかあなたほどの人物はいません」
「まだまだ、部下を育成する時間はたくさんありますよ」
「はっは、そうだと、いいのですがな」
愉快そうに艦長は笑った。
明らかに還暦を超え、既に七〇にはなろうかという歳のように見える。それほど老齢の人物がこの艦隊を指揮しているというのだから、UN軍も人材不足なのだろう。
「サイレント・ウィザード……」
艦長が感慨深げに言う。
「あなたが海軍に残っていてくれたら、ワシなどが儂などがでしゃばることもなかっただろうに」
「過ぎたことです」
「秋子さん、あなたがもし帰ってきてくださるなら──」
「私は今ではネルフ作戦部長、葛城秋子一尉ですから」
にっこりと笑う秋子。ふう、と艦長はため息をついた。
「あいすまなんだ。今のことは忘れてくれ」
「いえ、艦長にそれほど評価されるとは、望外の喜びです」
秋子は全く表情を変えない。これも一種のポーカーフェイス、なのだろうか。
「ところで、そのう、つかぬことを聞くのだが」
今までどんな場面であっても堂々とした態度を貫いていた艦長が、初めて引いた。
「なんでしょう」
「彼は──どうしているのかね」
「主人のことですか?」
艦長は冷や汗をかいていた。
それほどに、今の秋子には迫力があった。
サイレント・ウィザード。
その呼称がついたのはいつのことだったか。
「主人は、今でも、ネルフにいます」
「──そうか」
あえて艦長はそれ以上を尋ねなかった。
「祐一」
秋子が三人を連れて移動している途中、名雪が現れて声をかけてきた。
「名雪」
「ちょっと、いいかな」
「ちょっとって──ここじゃまずいのか?」
秋子、北川、香里を見回して言う。すると名雪はにこにこしながら頷いた。
「祐一に見てほしいものがあるんだよ」
「俺に?」
「祐一に」
「何を?」
「秘密」
にこにこにこにこ。
この笑顔を見ているだけで、何だか笑いがこみあげてきた。
「分かった──秋子さん、すみませんがちょっと名雪とぶらついてきます」
「いってらっしゃい」
いつものポーズで秋子が答える。
「それで、どこに行けばいいんだ?」
「こっち」
名雪は指さした方向へ歩いていく。それを追って祐一も後をついていった。
「いいんですか?」
香里が秋子に尋ねる。秋子は笑って「もちろん」と答えた。
「多分、名雪はあれを見せたいだけでしょうから」
「あれ?」
北川が反芻すると、秋子は静かな声で答えた。
「カノンゲリオン、弐号機」
「へえ……弐号機は赤いんだな」
艦橋で巨大なシートを被せて固定されているカノンゲリオン弐号機は、初号機や零号機とはまた違った迫力があった。
赤い機体。
四つの瞳。
「弐号機は通常の三倍のスピードが出せるんだよ」
「嘘つけい」
名雪の頭にチョップを入れる。
「痛い」
「嘘をついた罰だ」
「うー」
だいたい、赤ければ三倍という短絡的な思考が許せなかった。
嫌いではないが。
「弐号機は初の実戦タイプとして開発されたんだよ」
「そうらしいな」
「うー、ちょっとは感動してよ」
「それを使いこなすのはパイロットの腕次第だからな。機体の自慢をしたところで始まらない」
さすがに初号機で三体の使途を葬った経験が言わせる台詞であった。
「私も早く使徒と戦いたいよ」
うらやましそうに、名雪はそんな祐一を見つめた。
「うらやましいか?」
「うん。やっぱりパイロットになった以上、戦場に出ないと」
「あのなー。こっちは三度戦って三度死にそうになってるんだぞ」
「それはパイロットの腕の問題だよ」
にっこりと名雪は笑った。皮肉なのか本気なのか、全く区別がつかない。
「オーケー、心しておくよ」
「うん。次は死なないようにがんばってね」
「って待てい。それじゃ今までは死んでるみたいじゃないか」
「あ、そうか。じゃあ、次も死なないようにがんばってね」
何かテンポが違う。
祐一は少しだけ疲れてきていた。
「……やっぱり、覚えてないんだ……」
「ん?」
ぼそり、と名雪が何か呟いたのを耳にして聞き返す。
「ううん、なんでもない」
明らかになんでもなくはない様子であったが、祐一はあえて無視した。
聞かれたくないということは、こちらも黙っていた方がいいだろう。
「そうか。ところで──」
と、話を変えようとした時、
『EMERGENCY! EMERGENCY!』
非常警報が鳴って、二人は目を見合わせた。
そしてブリッジから沖を見つめる。
「あれは……」
祐一が呟く。直後、護衛艦の一隻が爆発した。
「あれが、本物の?」
名雪が呆然と見つめている。
「ああ、使徒だ」
使徒。
その言葉を聞いて、名雪がにっこりと笑う。
「そっか」
「随分あっけらかんとしてるんだな」
「うー、ひどいよ祐一……」
名雪は後ろを振り返る。
そこには、巨大なシーツ。
「……まさか?」
祐一は次の名雪の行動が予測できた。
「うん、出撃だよ」
にぱーっと笑った名雪の顔は、太陽の光を浴びて輝いていた。
(……何か、違う……)
祐一は頭を悩ませていた。
NEON GENESIS KANONGELION
EPISODE:08 NAYUKI Sleeps!
「いったい、何がどうなっている!?」
艦長は船員たちに情報の収集と分析を急がせていた。そこへ現れたのが秋子プラス民間人二名であった。
「使徒ですわ」
秋子が艦長に向かって言った。
「使徒……あれがか?」
「はい。使徒に対してはN2爆雷を含むあらゆる通常兵器は効果がありません」
「では、秋子さんはどうなさればよいとお考えで?」
秋子はにこやかに言う。
「そのためのネルフですから」
答になっていない答を言うのはこの人の専売特許だったのかもしれない。
「使徒、襲来か……」
艦橋で護衛戦の爆沈を視認した柳也はその場で携帯電話を鳴らした。
『どうした』
ワンコールで目的の相手が出た。
「おいおい、話が違うぜ。こんなところで使徒襲来とはな」
『そのための弐号機だ。予備のパイロットも追加してある。最悪、お前だけでも脱出して本部へ来るように』
「んなことは分かってるさ」
『用件はそれだけか?』
「いや、もう一つ」
柳也は小声で続けた。
「サードチルドレン──いや『ヨリシロ』の保護はかまわないのか?」
『アレは自分でどうにかする。問題ない。最悪失ったとしても代わりはいる』
プツ、と通話が途切れた。
「代わりはいる、か……」
結局、往人にとっては最愛の女性との間に生まれた子供も自分の道具でしかないということだ。
「本人も、父親のこと嫌ってるみたいだったしな」
いったいどういう関係なのだろうか。少し興味がわく。
「さあて、脱出するとしましょうかね」
柳也は自室へと戻っていった。
「で、俺にどうしろと?」
手渡された真紅のプラグスーツ。
既にプラグスーツに着替え終わっている名雪。
にこにこ、とその顔が何も言わずに訴えている。
「これを着ろ、というのか?」
にこにこにこにこ。
「お前と一緒に弐号機に乗れ、というのか?」
にこにこにこにこ。
「……帰る」
「わっ、ダメだよ」
さすがに名雪も祐一の腕を取って戻ろうとするのを阻む。
「あのなー。だいたいお前のプラグスーツを着るってところに無理があるだろうが」
「大丈夫だよ」
「体つきも違うだろ」
「ふぁいとっ、だよ」
「そういう問題かっ!」
ぺしっ、と額を軽く叩く。
「うー」
「ともかく、俺にも乗れっていう意味が理解できない」
「祐一は民間人を二人乗せて戦ったんでしょ?」
祐一はげんなりとなって尋きかえした。
「俺は民間人か?」
「冗談だよ。一緒に乗って、戦ってほしいんだよ」
「あのな。一つの機体に乗って二人で戦ったところで効果は何もないぞ」
パイロットが二人乗ってシンクロ率が二倍になるんだったら初めから何の問題もなく祐一とあゆが初号機に乗って出撃している。
「異物を乗せるとカノンとのシンクロが乱れる。プラスどころかマイナスにしかならない」
「それでも乗るんだよ」
「お断り」
「うー」
じろり、と名雪の瞳が鋭く祐一を睨む。
「なんだよ」
「もし一緒に乗ってくれないんだったら、祐一は今日の晩御飯はたくあんだけ」
「……は?」
「ごはんもおかずも飲み物も全部たくあん」
「そんなの、お前が決められることじゃないだろ」
「大丈夫、お母さんなら一秒で了承してくれるから」
秋子さんだからありうる、と真剣に考えてしまう祐一。
「さあ、どうする?」
「それで脅してるつもりかよ……」
ここまで来ると、正直もうどうだっていいという気分になってくる。
「分かった。じゃあ使徒を倒せなかったら全部名雪のせいということで」
「わっ」
「当たり前だろう。俺は乗るように脅迫されただけだからな」
「そんなのひどいよ〜」
「どっちがだ」
祐一はとにかく手渡されたプラグスーツを押し返した。
「プラグスーツはいらない。このまま乗る」
「え、でも……」
「そんな胸のついたプラグスーツなんか着られるか」
「可愛いのに」
「女の子が着れば可愛いだろうさ」
男が着たらただの変態だ。
「うー、我慢するよ……」
名雪は仕方なくプラグスーツを、よいしょ、としまうとエントリープラグへとぱたぱた駆けていく。
「ほら、祐一、早く」
祐一はやる気なげにその後をゆっくり着いていった。
「遅いよ〜」
「お前に言われると、本当に遅くなったみたいで嫌だな」
「わっ、ひどいよそれは」
「わかったわかった、ほら、行くぞ」
いつの間にか、気分はすっかり保護者そのものであった。それに気付いて一層ブルーになる祐一。
(この歳で保父さんとはなー。はっ、大笑いだぜ)
考えてより一層ブルー色が増していた。
「全弾命中──だめです、全く効果がありません!」
艦長は部下の報告を聞いて、なるほど、と頷いた。
「秋子さんの言う通りですな。通常兵器はまるで役にたたん」
「A.Tフィールドの内部、ゼロ距離まで近づいて魚雷を打ち込めばなんとかなると思うのですけど、その前に撃沈させられる可能性の方が高いと思いますから」
「でしょうな。それで、弐号機を発進させる、と?」
「はい。子供たちはもう、きっと準備万端ですわ。予備電源を供給するよう、命令をお願いします」
「うむ」
艦長が頷いて命令を出した、まさにその瞬間であった。
旗艦が、ぐらり、と揺らめく。
「何事だ!」
「艦長、アレです!」
ブリッジのカメラからの映像がテレビに映る。
「あれが、カノン弐号機」
北川が真紅の機体を見てため息をついた。
「名雪なのね?」
いつの間にかマイクを手にとって話し掛けている秋子。
『うん、勝手に起動させてごめんなさい』
「いえ、こちらから命令しなければならなかったから丁度良かったわ──祐一さんも一緒?」
『ええ、不本意ながら』
機嫌の悪そうな声が司令室に響く。
「名雪、護衛船に予備電源を出してもらっているから、すぐに供給してもらって」
『了解だよ』
すると、弐号機はシーツを羽織ったまま空高く跳躍した。
「すごい」
香里がその光景に見とれた。途中でシーツを投げ捨てて船から船へ飛び移る様は、伝説の牛若丸を思い起こさせる。
「電源を接続したら、使徒の映像を送ります」
『了解だよ〜』
名雪は電源のある護衛船に着艦すると、素早く右手で電源を接続し、ウェポンラックからプログナイフを引き抜いた。
『戦闘準備、完了〜』
同時に、司令室に部下の声が響く。
「使徒、映像出ます!」
ごくり、と唾を飲む北川と香里。
祐一と名雪も、プラグ内部のディスプレイに注意を払う。
そして、画面が切り替わった。
『……』
一瞬、全ての空間から色が消えた。
その中で、祐一だけが心の中でガッツポーズを決めていた。
こげ茶色の肌。
開いているのに閉じている口。
くぼんでいるのに平面の瞳。
動いているはずなのに全く揺れない鰭。
『鯛焼き……?』
秋子だけが一人冷静に、使徒の名を口にした。
「第六使徒、タイヤキエルです」
『んなあほなーっ!』
司令室全員が声を揃えた。
旗艦から、一人柳也がYak−38改で飛び立つ。
カノンと使徒との騒ぎにまぎれて、誰もそのことには気付いていないようであった。
「ま、秋子さんは気付いているかもしれないがな」
後部座席のジュラルミンケースを見てから苦笑を浮かべる。
「カノンvs使徒、か。どうせなら生の戦闘を見てみたかったがね」
そのまま、柳也は空へと消えていった。
「名雪、くるぞ」
「うん、分かってるよ」
カノン弐号機はプログナイフをかまえて水しぶきを上げて急速接近する使徒を待つ。
そして、使徒が水面から飛び跳ねた。
「うわああああっ」
祐一があまりのみじめさに涙を流しそうになった。
自分に飛び掛ってきているのは使徒とはいえども、超巨大鯛焼きでしかないのだ。
その鯛焼きの攻撃を受けるとは一生の恥辱。そして──
ザッパアアアアアアアッ!
鯛焼きに食われて波間に消えるなど、末代までの恥であった。
「弐号機、目標内部に侵入!」
部下の言葉を聞いて北川と香里が冷めた目で囁き合う。
「食われたって言わないか、あれ」
「どう見ても食べられてるわよね」
「だいたい鯛焼きっていうのは食われるものであって何かを食うもんじゃねえだろ」
「あんなものを見ることができるっていうのも、貴重な体験よね……」
オペレーターに聞こえるように言うところがにくいところであり、聞かされる側としては非常に苛立たしいことこの上ないのであるが、この場合は子供たちの方が正しいことを言っているのに違いなかった。
秋子は笑いながら尋ねた。
「アンビリカルケーブルは?」
「すさまじい勢いで伸びています。このままのスピードですと、残り二〇秒で限界に達します」
護衛船の重さでは、使徒の勢いにはかなわないだろう。おそらくはそのまま引きずっていかれることになる。
「護衛船、碇を下ろしてください」
ただちに命令が実行される。そして弐号機に向かってマイクで呼びかける。
「名雪」
『なに、お母さん』
どよ、と一瞬艦内がざわめく。
「あと十秒で衝撃が来るからそれに備えて。そして使徒から離れないように」
『どうするつもり?』
「A.Tフィールドさえ中和することができるなら、やり方はいくらでもありますから」
秋子が言うと名雪も了解したのか『わかったよ』と返答があった。
「あ、秋子さん……」
香里が一同を代表して尋ねた。
「はい?」
「あの、名雪って、秋子さんの娘さん……なんですか?」
「いいえ、違います」
あらあら、と困ったように呟く。
「あれは、あの娘がそう呼んでいるだけで、私とあの娘は赤の他人ですよ」
「衝撃、三秒前」
「二」
「一」
急ブレーキがかかる。体を固定させて、前方へ体が流れるのを二人とも何とか防いだ。
「時速何キロ出てるたんだ、いったい」
パイロット席に座ることができない祐一の方がダメージは大きかった。
「それより、祐一、どうする?」
「どうする、とは?」
「完全に食べられちゃったみたい」
「んなことは分かってる」
カノン弐号機は、完全に使徒の上唇と下唇にはさまれていた。鯛焼きゆえに歯がないので全く機体にもパイロットにもダメージがないことが救いといえば救いであった。
「お母さん、どうするつもりだろう」
「ま、考えられる作戦はそんなに多くないな」
確か水中戦闘における作戦案も秋子は考えていたはずだ。
そして、カノンが使徒に飲み込まれた時はどういう対処の方法があるかということも。
「どうするの?」
「こちらからA.Tフィールドを中和して、戦艦を呼び込んでゼロ距離射撃で敵を討つ。これしかないだろう」
「無人の戦艦を使徒に突っ込ませて、ゼロ距離射撃で仕留める!?」
秋子は祐一が考えた通りの作戦案を艦長に提示していた。
「やむをえんな。使徒に関しては我々より秋子さん、あなたの方が事情をよくご存知のはずだ」
「では、すぐに」
そしてすぐに人員の移動が始まる。そして秋子は弐号機に再び呼びかけた。
「名雪、祐一さん、聞こえますか」
『感度良好。それで俺たちはA.Tフィールドを中和するほかに何をすればいいんですか。使徒の口でも大きく開かせますか』
「話が早くて助かりますわ」
『じゃあ、ゼロ距離射撃を行うんですね?』
ざわり、と艦内がどよめく。秋子の作戦案を看破してのけたパイロットの洞察力を賞賛してのものである。
「はい。戦艦突入まであと六〇秒。それまでにどうにかしてください」
『簡単に言いますけどね、難しいですよ』
「大丈夫です。祐一さんは今までも成功なさってますから」
祐一の笑い声が聞こえてきた。
『了解。期待に添うよう、善処しますよ』
「はい。がんばってくださいね」
「と、いうわけだ」
「うー」
名雪は頭を抱えた。
「お母さんも祐一も、非常識すぎるよ」
「非常識じゃないと、使徒戦なんてやってられないのさ」
カノンパイロットとしての経験は少なくとも、使徒戦の経験者としては唯一といってもいい祐一の台詞は、名雪を心から悩ませていた。
「う〜ん、でも、そういうことならがんばるよ」
「ああ、ふぁいとっ、だぞ」
「それ、私のセリフ……」
「時間がないぞ、さ、やるか」
「うー」
名雪の握る操縦桿に、祐一が手を添える。
「いいか、開け、と強く念じるんだ。開きさえすれば戦艦の攻撃で倒せるはずだ」
「うん」
「じゃ、いくぞ」
「うん、せーの」
『開け!』
だが、タイヤキエルの口はまるで開かない。
「何度でもいくぞ」
「うん、せーの」
『開け!』
『開け!』
『開け!』
『開け!』
『開け!』
ぐぐ、とカノン弐号機が力をいれてタイヤキエルの閉じた口を開こうとする。だが、なかなか開かない。
「あと一五秒!」
『開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け!』
『開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け、開け!』
祐一と、名雪の目があった。
瞬間、心が、重なる。
『開け!』
弐号機の四つの瞳が光、両腕が伸びる。
そして、開いた使徒の口の中に無人の戦艦二隻が勢いよく突入する。
何十本という魚雷が、使徒体内に向かって、放たれ、そして、
爆ぜた。
大量の海水が宙に舞い上がり、さらにその情報で光の十字架が現れる。使徒消滅の光だ。
そして、弐号機が空から護衛船へと着艦した。
「やったっ!」
北川の声が響き、香里がにっこりと微笑む。
「なんとか、勝ちましたね」
秋子もほっと胸をなでおろしていた。
「イヤハヤ、波乱に満ちた船旅だったよ。やっぱり、コイツのせいだな」
柳也は一足先にネルフ本部へと到着していた。そして、ジュラルミンケースを机の上に置く。
「そういうことだな」
往人が、ニヤリと笑った。
総司令公務室。ここにいるのは、往人と柳也、二人だけ。
「既にここまで復元されている。硬化ベークライトで固めてあるが、生きている。間違いなく」
「当然だな。我々は──人間は、セカンドインパクトを完全に成功させることができなかった」
「ああ。だから今度こそ成功させなければならない。俺たちの目的のために──そう」
二人の視線が絡み合う。
「委員会──ゼーレの考える人類補完計画の要。そして」
「俺たちの考える補完計画」
往人が続ける。
「翼人補完計画の要。最初の人間、アダムだよ」
「はー、まいったまいった」
翌日。
学生鞄を机に放り投げて、どかっと音を立てて椅子に座る。
「お、なんだか機嫌悪そうじゃねえか」
「よく分かったな。ご名答だ」
「不機嫌の理由、あててみましょうか」
北川に続いて香里まで会話に参加してくる。
「その理由はずばり、セカンドチルドレンに関すること」
「まあ、名雪の件ではあるがな」
祐一は投稿早々そのことが話題になって余計にブルーになる。
(なんであいつのお守りを、ネルフだけならともかく──)
大きくため息をついた。
「あー、全員席につけ」
そこへ先生が入ってくる。香里が自分の席に戻り「起立、礼!」と号令をかけた。
「えー、今日からこのクラスに一人転校生が加わることになった。入りたまえ」
ごく簡単に言うクラス担任。
「おい、祐一。まさか──」
「そのまさかだよ」
北川の質問に、吐き捨てるように言う祐一。
(なんで学校でまで名雪のお守りをしなきゃいけないんだ)
名雪はネルフの権限で祐一のクラスへ転校することが決まっていた。
秋子から直々に『学校でも名雪のことをよろしくお願いします』などと言われた日には、どうあっても逆らうわけにはいかない。
気分も憂鬱になろうものであった。
「……君?」
なかなか、名雪はクラスに入ってこなかった。クラス担任が不思議そうに扉を開けてみる。
「名雪く──?」
ばたっ、と扉が開くと同時に教室の中に倒れこんでくる名雪。無論、ざわめく教室。
「うにゅ……」
起き上がり、目をごしごしと擦る名雪。
(寝てたな、絶対……)
祐一はため息をついた。
「おはようございます……」
(出だしと同じオチかよ……)
もう一度、ため息をついた。