「ねえねえ、祐一」
 休み時間ごとにまるで子猫のように祐一にじゃれついてくる名雪に、いい加減祐一も疲れ果てていた。昼休みのこの平穏な一時まで奪われるのかと泣きたくなる。
「今度は何だ」
「うー、まだ何も言ってないよ」
「それで、今度は何だ?」
 かなり投げやりモードな祐一に、名雪は不満そうであった。
「紹介してほしいんだよ」
 それでも要求を述べる名雪。
「紹介?」
「うん」
「誰が?」
「祐一が」
「誰に?」
「私に」
「誰を?」
「ファーストチルドレン、綾波あゆ」
「どうして?」
「知らないからだよ」
 ああ、と祐一は頷く。
「やっぱり気になるのか、同じチルドレンのことは」
「少しはね」
「ま、それくらいならお安い御用だ」
 そう思って窓際のあゆの席を見る──が、そこには誰も座っていなかった。
(やれやれ、またどこか消えたか……)
 休み時間のたびにいなくなるあゆ。特別探したことがあるというわけではない。だがなんとなく行き先は想像がついた。
「じゃ、行くか」
「うん」
 祐一が席を立つと名雪が楽しそうに頷く。
「お、名雪連れてどこいくんだ、祐一」
 そこへ乱入する北川。
「ああ、名雪にあゆを紹介してやろうと思ってな。捜索に行ってくる」
「へえ、面白そうだな。俺も混ぜろよ」
「……お前、あゆのこと苦手じゃなかったのか?」
「別に、そこまで気にしたことなんかないさ」
 北川はあっけらかんとして言った。そしてさらに、
「あ、香里」
 祐一はため息をついた。
「あ、どうしたの三人揃って」
「ああ、ちょっと祐一が名雪とあゆを会わせるっていうんで、俺はその見学」
「ふーん、面白そうね。私も連れていってよ」
(やっぱり、このメンバーになるのか……)





 同時刻。ネルフ第一発令所。
 今日もかしましオペレーターズはコンソールと必死に格闘している。三人ともその打ち込みの速さは尋常ではない。まさに神業だ。
 しかし、彼女たち三人を総合してもかなわない人物がたった一人だけいる。それが赤木美汐博士である。彼女の能力が高い理由は、単純に打ち込みの速さだけが問題なのではなく、MAGIを含めた全てのソフトウェアを知り尽くしている点にある。あらゆる表コード、裏コードを知り尽くしているため、作業も迅速にかなうのである。
 その彼女がいないとなると、当然ながら発令所の作業能率は低下する。三人だけでも十分以上の戦力なのだが、何分仕事量が多すぎる。そう簡単に終わるわけはない。
 アラームがなって、昼休憩の時間になった。
「あー、やっぱり終わらなかったー」
 真琴がふてくされて背もたれに体を投げ出した。
「……やっぱり、美汐がいないと作業が遅い……」
 舞も頷く。だがただ一人、佐祐理だけはまだパネルに向かって打ち込みを続けていた。
「佐祐理……?」
「あ、ちょっと待って。私のところはもう少しで終わるから」
 真琴と舞が驚いて目を合わせた。
 伊吹佐祐理。その作業能力、打ち込みの速さだけならば美汐と匹敵する唯一のオペレーターである。
 舞とは同期であり、当初は二人とも作戦課に勤務していたのだが、美汐がその能力を買って技術課に引き抜いたのである。本来は佐祐理一人だけ引き抜く予定だったのが、舞と一緒でないなら転属はしませんという強い意思のもと、二人とも美汐が引き取ることになった。
 そして佐祐理は美汐から直接指導される地位を得て、今では表コードの全てと裏コードの半分以上を使いこなすことができるようになっている。
 彼女がいれば、美汐がいなくても作業が滞ることはないだろう。それだけの信頼を佐祐理は美汐から、そして秋子や往人からも寄せられている。
「どれくらい?」
「あと一〇分くらい……あ、舞、先にご飯食べて行ってていいよ。私もすぐに後から行くね」
 こくり、と舞は頷いた。
「さーて、それじゃあたしもご飯食べに行ってくるねー」
 真琴はいつものように、秋子と一緒に食事を取ることになっていたのでさっさと発令所を出ていく。そして舞は少しだけ不安そうに佐祐理を見つめた。
「大丈夫だから」
 もう一度念を押されると、舞は頷いて発令所を出ていった。
「ふー、さて、もう少しがんばりますか」
 再びすさまじいスピードで命令を入力していく佐祐理。
 現在美汐は昨日の第六使徒との戦闘のデータを別室でクリーニングしている。特に祐一と名雪が弐号機に乗り込んでカノンを動かしたという事実、そして予想以上の効果を上げたという事実、これらをまとめる作業に取り掛かっていたのだ。
 そのため通常業務、および新しく搬入された弐号機の整備などは全て佐祐理に任されていた。実際には弐号機整備の方は技術二課に回したので報告を受け取り、データを入力するだけの作業であるため、通常業務に支障が出るほどのものではない。問題はその通常業務の方であった。
 使徒戦のデータ入力、三日連休でとりあつめた実験記録の整理、秋子から提出された作戦案のデータ化および入力、山のようにやることはあった。
「ふう……」
 それでも一〇分遅れで午前中の仕事を全て完了させることができるあたり、佐祐理の仕事の早さが分かろうというものである。
 全てを入力し終えた佐祐理は一息ついてカップに残っていたコーヒーを飲み込む。
 そして立ち上がって振り返った時、
「よっ、久しぶり」
 声がした。
 男の声だ。
 聞き覚えが、あった。
「……柳也……!」
 もしこの場所に誰かがいたら、驚いて佐祐理を見たに違いない。
 佐祐理はどんな相手にでもきちんと敬語を使う。上下関係に関わらず、だ。唯一普通に話しているのは舞ただ一人。
 その彼女が、人を呼び捨てにした。
 普段の彼女を知っている者ならば、それはありえないことだったのだ。
「何故、あなたがここに──」
「おや、秋子さんから聞いてなかったのかい? ネルフドイツ支部特殊観察部所属、本部への出向の辞令を受けて、今日から本部勤務──」
「そんな──」
 真っ青になって佐祐理が柳也を見つめる。
「いったい、何の目的で」
「目的? 心外だな、俺が裏のある人間に見えるのか」
「あの子を殺した張本人が、それを言うつもり!?」
 まさしく言葉どおり、仇を睨みつける佐祐理。
「あれは不幸な事故だった」
「いい加減にして!」
「嘘でも冗談でもない。あれは事故だった。君の妹は、誰にも殺されていない。しいていうなら運命に殺されたというべきかな」
 佐祐理は思わず右手を出していた。
 柳也はそれを避けずに、頬にくらう。
「……絶対、許さない」
「どうしてもというなら総司令に決闘願いを提出してくれ。ま、俺としては可愛い女の子に手を上げるのは好みじゃないんだが」
「!」
 佐祐理は机の引き出しから素早く拳銃を取り出した。
 そしてかまえながらトリガーに指をかける。
 だが、その拳銃に置かれた手があった。
「いい加減にしてください、佐祐理さん」
 彼女を止めたのは、師匠でもある美汐であった。いつの間にか佐祐理の隣にいて、拳銃に手をかけている。
「美汐さん……」
「もう昼休憩の時間です。午後からに備えて休んでください」
「ですが!」
「佐祐理さん」
 有無を言わせないほど力強く美汐が言う。佐祐理は泣きそうな顔になって、そしてうつむいた。
「失礼しました」
 そして俯いたまま逃げ出すように駆け去っていく佐祐理。ふう、と息をついて美汐が柳也を睨んだ。
「助かったよ」
「そう思うのでしたら、次からは佐祐理さんに不意打ちをするのはやめてください。いつもいつも仲裁に入ることができるほど、私も暇ではないので」
 ある意味、先ほどの柳也と佐祐理以上に険悪な雰囲気であった。
「やれやれ。まさか美汐も俺がどこかのスパイだと思っているのか?」
「間違いのないことですからね。あなたがたった一つの組織に束縛されるような人ではないことを、私はよく知っていますから」
「残念ながら、今回はスパイじゃないんだな。俺は今、自分の意思でネルフにいる」
 美汐は鋭く柳也を見つめる。
「信じられませんね。過去のあなたの行動を見るかぎりでは」
「今までやってきたことは、俺の目的のために必要だったことさ。そしてもう、ネルフ以外の組織にいる必要はなくなった。あとはもう全てを完成させるだけだ」
「全て?」
「美汐も知っているだろう? 補完計画のことを」
「人類補完計画──ですが往人司令がそれを承諾なさるとは思えません」
「ま、往人にもいろいろあるからな」
「柳也さん──」
 柳也の意味ありげなセリフに、次の言葉が出てこなくなる美汐。
(いったい、何の目的でここに……)
 柳也の過去の経歴とやらはよく知っている。かつては三カ国の諜報部に同時に所属し、その後国連軍に入隊、その後日本の内閣調査室を経由してネルフドイツ支部へ。
 諜報部から除籍になった時点で既に一度ならず五度くらいは死んでいてもいいはずなのに、この男は全く飄々としたまま今にいたっている。
「あなたはいったい、何を知っているんですか?」
 ネルフという組織はまるで全貌の見えない組織だ。
 総司令碇往人、副司令石橋コウゾウ。おそらく全てを把握しているのはこの二人だけ。もしくはもう一人。
(秋子さん……)
 彼女もまた何か秘密を持っている人物。決して油断はできない。
 自分など、知っていることは何もない。使徒のこと、セカンドインパクトのこと、そして補完計画のこと。
(私は、せいぜい人格移植OSが使われたカノンとMAGIのことくらいしか、知らない)
 それ以上のことは必要ないのだと、往人司令から直接言われた。
(私の仕事は、MAGIとカノンを思いどおりに動かせるように整備することしかない)
 だから、美汐はこのネルフで自分の存在意義を見失うことがあった。自分はいったい何のために行動しているのか。自分のしていることは、いったいどういう意義があるのか。
「美汐が知っていることの方が、俺には興味があるけどな」
「答えるつもりはない、ということですね」
 軽口に乗るほど、美汐は子供ではなかった。
 そして、出口を指さす。
「ここは関係者以外立ち入り禁止です。すみやかに退出願います」
「はいはい」
 柳也は逆らわなかった。
(……祐一さん……)
 ふと、カノン初号機パイロットの顔を思い浮かべる。
(あなたは……いったい、何のために……)
 暴走した彼。
 意識不明になった彼。
 それでも、戦いをやめない彼。
(そして、私たちは、どこへ……)





 発令所を飛び出した差祐理は、いつの間にか舞との待ち合わせ場所へやってきていた。
「佐祐理」
 我に帰ったのは舞に声をかけられてからのことであった。まるで表情もなく、心配して見つめている舞を見返す。
「……舞……」
「佐祐理」
 舞は傍に近づくと、そっとその頭を抱き寄せる。
「舞……」
 意味も理由もわからないだろうに自分に優しくしてくれる舞に、佐祐理は安心してついに泣き出してしまった。
「舞!」
 ぽんぽん、と背中をなでられる。その優しさが嬉しくて、そして『あの日』の悔しさとで、涙が止まらなくなった。





「やっぱり、ここか」
 一発で場所をあてた祐一は少しだけ得意げだった。
「あ、祐一くん」
 あゆも祐一に気付いて駆け寄ってくる──が、その周囲にいた三人の存在に気付いて、少しずつスピードが衰えていく。
「ボクに用事?」
 三歩ほど距離を置いてあゆは立ち止まった。
「ああ。もう知ってると思うけど、セカンドチルドレンの名雪。お前に紹介してやろうと思ってな」
「はじめまして」
 名雪が前に出てきてにっこり笑った。
「あ、うん。はじめまして。ボクはファーストチルドレンの、綾波あゆ」
「あゆ? あゆちゃんって呼んでいい?」
「うん、大歓迎だよ」
「私も、なゆちゃんって呼んでいいから」
 こんな時でも一応は原作に忠実なんだな、と祐一はため息をついた。
「頼むからなゆちゃんだけはやめてくれ」
「絶対混乱するな」
「間違いないわね」
「うー」
 祐一、北川、香里が続けて反対するので、名雪は当然のようにむくれてしまった。
「うん、ごめんね。名雪さんって呼ばせてもらうよ」
「仲良くしようね、あゆちゃん」
「うん」










 第九話

 それぞれの理由












「総員、第一種戦闘配置」
 石橋の声が発令所に響く。先ほどまで和やかな雰囲気を保っていた場所は、一瞬で戦場に移り変わった。
「紀伊半島沖で警戒中の戦略自衛隊所属戦艦『はるな』からのデータ、パターン青とでました」
「うむ、やはり使徒だな」
 舞の報告を受けて石橋が頷く。
「やれやれ。昨日は第六使徒、今日は第七使徒か」
「この一週間で三体ですからね」
「だがまあ、これが終われば一息つくだろう」
 石橋が敵の出現時期をまるで知っているかのように呟く。秋子は「そうですわね」と答えた。
「本当に使徒が来なくなるんだったらいいけど」
 真琴が全力で両手を動かしながら軽口を叩く。
「……やっぱり、佐祐理がいないのは辛い……」
 舞も自分に可能な最大限の力を使っていたが、それでも打ち込みの速さは佐祐理にはかなわない。
 そして今、佐祐理はここにいなかった。
 午前の業務を終了後、美汐に直接願い出て午後から帰宅していた。この三日間、ほとんど休みなしで動いていたから疲れが出たということがその理由であったが、先ほどの場面を仲裁した美汐は『今回だけにしてください』と一言述べるだけで別段何も言わなかった。
 だがまさか、こういう状況に陥るのであれば、無理にでも引き止めるべきだったかもしれない。
「すぐに第壱高校に連絡、パイロット三人を本部へ呼び出してください。それからカノン専用長距離輸送機の用意。初号機と弐号機、両方ともです。それからカノン電源装置トレーラーを現場に配置、お願いします」
 秋子が瞬時に今できる限りの命令を下す。
「発令所を一時的に移動します。美汐ちゃんはここからデータの分析をお願いします。舞と真琴は私と一緒に現場へ急行」
「……最近、ちゃんって言われなかったのに……」
 うらめしそうに秋子を見る美汐。だがそういう軽口がまだ叩けるだけ余裕があるということだろう。
「それで、かまいませんね、副司令」
「ああ。現場で直接指揮を取るのならそれでもかまわんさ」
「では、発令所スタッフは先に現場に行きます。祐一さんと名雪が着たらカノンに乗ってから輸送機でカノンごと連れてきてください」
「分かりました。秋子さん、気をつけて」
 秋子は微笑み返した。
「私は、運だけは人並以上にありますから」
『だけ』じゃないだろう、とは誰も突っ込まなかった。





「祐一、早く」
 自称陸上部の名雪が二人を置いていく格好で先へ先へと走っていく。
「自称じゃないよ、本当に陸上部だよ〜」
「まだ入ってないから自称だ」
「今日、本当に入るつもりだったんだよ〜」
 だがドイツでも陸上部に入っていたというだけあって、名雪は確かに走るのが速かった。祐一はなんとかついていくこともできたのだが、あゆに至っては「ボク、もうだめ……」と今にも倒れそうであった。
「がんばれ、あゆ。いつもの逃げ足を見せるんだ」
「うぐぅ〜」
「よし、その調子だ」
「ボク、食い逃げなんてしてないもん!」
「俺は逃げ足と言っただけで食い逃げとは言ってないぞ」
「うぐぅ〜!」
 すると前からまた声がかかった。
「喋ってないで、急ぐよ〜」
 その声を聞くと急ぐ気がなくなるのはどうしてなのだろう。別に悩むほど難しい問題ではなかったのだが。
「祐一さん」
 ネルフ本部に到着した時、彼を呼び止める声があった。
 祐一さんという呼び方からして、名雪でもあゆでもないのは分かりきっていた。
 誰だろう、ときょろきょろと辺りを見回す。
「祐一さん」
 そして、声の主を見つける。
「……佐祐理さん?」
 祐一にとってはあまりにも意外な人物であった。佐祐理はこの時間は発令所にいるはずだ。
「祐一?」
 前にいた名雪とあゆが振り返って、祐一と、そして彼に話し掛けている佐祐理とを見た。
「ああ、二人とも先に行っててくれ。すぐに追いつく」
「うん、分かった」
 頷いて答えたのはあゆ。そして名雪に頷きかけて「急ごう」と言った。
「祐一、急いでね」
「分かってる」
 そして、二人がぱたぱたと可愛らしい音を立てて本部内へ入っていった。
 佐祐理がいつものように天使の笑顔を浮かべていないことが、最初に祐一の気になったことだった。だからこの非常事態にも彼女のために足を止めたのだ。
 それに、この時間にここにいるということが何よりおかしい。
「どうしたんですか、いったい」
 仕事は、とは聞かない。それ以上の何かを自分に伝えようとしていることが分かったからだ。
「お話したいことがあるんです」
 佐祐理は真剣だった。そして、続けた。
「もちろん、今が非常事態だということは分かっています。ですから帰ってきてからでかまいません」
 弱々しい笑い。
 本当なら、今すぐにでも彼女のために傍にいてあげたかった。
「……分かりました……」
 祐一は、ポケットから鍵を取り出して、佐祐理に手渡した。
「俺の家は分かりますよね。先に行っててください。できるだけ早く戻りますから」
「え──」
「必ず、そこにいてください。できるだけ早く戻るつもりですけど、どれだけ時間がかかるか正直なところ分かりません。自分が帰るまで、絶対にそこにいてください」
「で、でも」
「今、ネルフに戻るつもりはないんでしょう?」
 佐祐理は胸をつかれたように固まる。そして、頷いた。
「今夜戻れるかどうか分かりません。もしかしたら明日になるかもしれない。怪我したら一週間は入院するかもしれません」
 祐一はさらに続ける。
「でも、自分が家に帰ったとき、必ずそこにいてください。その時、話を聞きます」
「あ……」
 佐祐理の顔に、微笑みが戻った。
「……はい……」
「じゃあ、行ってきます」
 祐一は佐祐理の瞳に光が戻ってきていることを確認して、本部へと入っていった。





「第七使徒マモノエル、映像出ます!」
 祐一はカノンの中でその映像を受け取りつつ脱力する。
「ああ、そうかあ……魔物か……その手があったか……」
 一方で弐号機内部の名雪はこれが日本デビュー戦であった。その手には開発三課が急ピッチで製造したというソニックグレイブがある。
「どうする、祐一?」
「どうでもいいさ。要するにあいつを倒すことができればな」
 両腕と両足はそれぞれがナイフのように鋭い刃となっている。首から上はなく、顔は胸のあたりに位置していた。そして弱点と思われるコアはといえば。
(腹部か……だが、クゼエルやカズヤエルに比べて随分小さいな)
 あれをナイフで貫くのは困難だろう。大きさはおそらく初号機の手の半分もない。
「秋子さん、どうしますか?」
 とりあえずは作戦部長の判断をあおぐのが一番だろうと考えて尋ねる。
『敵の弱点はやはり、あのコアでしょうね』
「ええ。ソニックグレイブ、プログナイフで倒せるかどうかは難しいと思いますけど」
『でも、武器はそれしかないんです』
 もちろん祐一もそれはわかっている。ここが第三新東京市ならライフルも即座に出てくるところだろうが。
『A.Tフィールドを中和しつつ、武器でコアを狙ってください』
「ま、それくらいしか方法はないでしょうね」
 祐一は仕方なく頷いた。
「というわけだ、名雪」
「うん、分かったよ」
 そして、マモノエルが日本に上陸する。
「いくぞ」
 祐一が先に駆け出す。少し遅れて名雪が続いた。
「A.Tフィールド、展開」
 A.Tフィールド同士が接触してから右に移動する。そこへ名雪が襲いかかった。
「てええええええええいっ!」
 普段の名雪からはとてもではないが予想もつかない迫力のこもった叫びが上がる。そしてソニックグレイブが上からまっすぐ振り下ろされた。
 祐一によって中和されていたA.Tフィールドをたやすく斬り裂き、マモノエルの本体をそのまま二分した。
「やったか」
 祐一が呟く。だが、何か様子がおかしい。
(クゼエル、タイヤキエルは爆発した。カズヤエル、イチゴサンデルは原型を留めた。その差は?)
 それは、コアだけを攻撃したかどうかだ。カズヤエルの時はもちろん、イチゴサンデルのときもポジトロンライフルで本体を貫いているように見えて、その中のコアをまず貫いたのだ。
 だが逆に使徒本体が損傷を受けている時は、いずれも爆発している。
(ではなぜ、マモノエルは爆発しない?)
 それは、まだマモノエルが死んでいないことを意味するのではないか。
「下がれ、名雪!」
「えっ」
 だが、遅かった。マモノエルは分断された左右、それぞれが意思を持って動き始めたのだ。
「わっ」
 使徒の体が光る。そして理由も分からないまま弐号機は吹き飛ばされた。
「名雪!」
 はるか上空に吹き飛ばされ、そして地上へと落下してくる弐号機。だが、その様子を確認する余裕は既に祐一にはなかった。
(見えなかった)
 不可視光線、という奴だ。使徒が輝く時に見えない光線を放っているのだ。
「やっかいだな、あれは」
 そしてマモノエル『たち』が動いた。
「おいおい、二対一かよ」
 祐一は自分の左右に移動したマモノエルに注意を払った。
 だが、注意を払う程度のことで倒すことができるほど、使徒は弱くはなかったのだ。
 使徒たちが輝く。
『祐一さんっ』
 初号機は大きく後ろへ跳ぶ。直後、初号機がいた場所で大爆発が起こった。
(速いな)
 輝いてから回避しても間に合うと思ったが、そうではない。今回避できたのは『勘』のおかげだ。過去に幾多の戦場をくぐりぬけてきた祐一には、今攻撃されることが分かったのだ。
(使徒とはいえ、攻撃の方法は人間とたいして変わらないんだな)
 武器があれば武器を使う。知恵があれば機転をきかせる。
 そして数の多い方が勝つには有利だ。
(これは、まずいな)
 使徒たちが動く。マモノエル甲が接近し、乙が飛んで襲いかかってくる。
「いいコンビネーションだぜ!」
 祐一は甲に向かって全力で駆け寄る。プログナイフで攻撃するが、回避される。そのまま駆け抜け、乙の攻撃を回避する。
「甲は──」
 考えるより早く飛びのいた。直後、爆発が起きる。
「くっ」
 視界がさえぎられる。完全に敵の場所をロストした。
(どこだ?)
 だが祐一は視界が悪いからといってその場にとどまるような消極的な行動はとらなかった。黙っていれば敵の餌食になるということは分かりきっている。とにかく移動して、敵の攻撃を回避する。そして視界がきくようになるまで逃げ続ける。
 だが、駆け出した初号機に衝撃が襲う。マモノエル乙がなんと体当たりしてきたのだ。
「ぐうっ」
 続いて甲の右手がしなり、胸部を鋭く斬り裂かれる。
 祐一は体勢を立て直すと、自分よりも近い位置にいた甲に向かって突進した。
 だが甲はその場で上空に飛び跳ねる。その場所に向かって乙も飛び上がった。
「なっ?」
 甲乙は、空中で再び合体し、元の姿に戻った。
「げっ」
 その融合は時間にして一秒とかからなかった。一体化したマモノエルは、そのまま初号機を蹴りつける。
「ぐっ」
 そして、その体が光った。
(だめだ、こりゃ)
 祐一はとりあえずこの場は諦めることにした。





 数時間後。ネルフ本部内、ブリーフィングルーム。
「──以上が、今回の戦闘結果です」
 地上に倒れている初号機と弐号機の映像が、最後に映し出された。はあ、とため息をついたのは美汐である。
「無様ですね」
 はあ、と祐一もため息をついた。
「……誰かがいきなり戦闘不能にならなきゃ、やりようもあったさ」
「あ、ひどい。私のせいだっていうつもり〜?」
「違うとでも言うつもりか。一対二でそれでも使徒の行動パターンを記録させることができた俺には何の責任も罪もないだろうが」
「だって、あんな攻撃してくるなんて思ってなかったもん」
「下がれって言っただろうが」
「言うのが遅いよ〜」
「言われる前に判断して動け」
「うー」
 さすがにこの場合は先に戦闘不能になった名雪の方が形勢不利のようであった。とはいえ、二人とも負けたことには変わりない。
「で、肝心の使徒はどうなりましたかね」
 何故か同席している柳也が石橋副司令に尋ねた。
「N2爆雷で攻撃した」
 変わって現在の使徒の映像が出る。表面が焼けただれて、完全に動けない状態だ。
「やったんですか」
「足止めにすぎん。再度進行は時間の問題だ」
「ま、立て直しの時間が稼げただけでももうけものっすよ」
 柳也はちらりと美汐に視線を送った。
「MAGIの試算では、再度進行までに要する時間は五日ということです」
「第三使徒よりはガードが甘いというわけですわね」
 秋子が何か閃いたように微笑む。
「とにかくだ。次はこのような事態にならないよう、気をつけてくれたまえ」
(命かけてんのはこっちだよ。それが嫌ならお前が行け)
 とは声に出さない。処世術というわけでもないが、必要以上に波風を立てる必要もなかった。
 それ以前に、たとえ二対一だとしても、負けたという事実が祐一のプライドを傷つけていた。
(人間相手ならどんなに多くても勝てるんだけどな……相手の戦闘意欲を奪い取って、あとはじわじわ痛めつければいい。だが、使徒相手となるとそういうわけにもいかないからなあ……)
 今回の戦いをサンプルとして、秋子がどのような作戦を考えつくのかが勝負の分かれ目になるということは間違いないだろう。
(ふう……全く、大変だな、これは)
 とにかく五日間の自由はあるということだ。それまでに何をすればいいだろうか、と祐一は考えていた。
(とりあえずは、帰って佐祐理さんの話を聞かなきゃな)
 それくらいの時間は十分にあるだろう、と祐一は立ち上がった。





「ふう、すごい量ですわね」
 秋子は相変わらずの『困ったポーズ』で自分のデスクに詰まれた書類の山を見やる。とりあえず職員を一人呼び出して「これの整理と処分をお願いします」と声をかけた。
「読まないんですか?」
 作戦部長執務室に入ってきて声をかけたのは美汐であった。かたや作戦部長、かたや技術部長であるこの二人は、こうしてどちらかがどちらかの部屋にやってきて話し合うということが少なくない。
「内容は分かってますから」
「確かに読まなくても分かりますね。苦情、苦情、苦情。ついでにどうせ戦うなら第三新東京市でやれ、とそんなところでしょう」
「美汐さんは鋭いですね」
「子供でも分かります。それで、何かあの使徒を倒す方法が見つかりましたか」
「ええ、弱点のコアを直接手、もしくは足で攻撃して破壊します」
 美汐は目をむいた。
「本気ですか?」
「はい。使徒が一体化したところを狙って、コアの一点突破。これしかありません」
「ですが、使徒のコアは随分小型ですが」
「問題はそこですね」
 運ばれてきたコーヒーに口をつけながら秋子は首をかしげた。
「祐一さんと名雪のコンビネーションがもう少し高かったら、何とかなるのでしょうけど」
「コンビネーション……ですか」
 ふむ、と美汐も首をかしげた。そして美汐の頭の上で豆電球が灯る。
「一つ、いい案がありますけど」
 秋子は目を少し大きくした。
「教えていただけますか?」
「条件があります」
 美汐もただというわけではなかった。
「なんでしょう」
「いえ、私も教えてほしいことがあるんですよ」
「教えてほしいこと……ですか」
「はい。柳也さんが何を目的にネルフ本部へ来たのか、その理由です」





「祐一さん」
 ネルフ本部を出ようとした時、祐一は聞き覚えのある声に呼び止められた。
(なんだよ、急いでるのに)
 と、かなり険悪な目で声の主を見る──睨む。
「あ」
 その視線に射抜かれ、声の主──美汐は立ちすくんでしまった。
「あ、悪い」
 祐一は慌てて表情を元に戻す。
(危ない危ない。てっきりあゆか名雪か真琴か、その辺りだと思っちまったぜ)
 いずれも祐一を悩ます人物であった。何かと祐一にちょっかいをかけてくるだけに、話し掛けられる回数もやはりこの三人が一番多い。
 舞が話し掛けてくるなどありえないし、佐祐理さんは今ネルフにはいない。そのせいもあって、三人のうちの誰かだという意識が半ばあったのだろう。
「いえ、失礼しました。何でもありません」
「何でもなくはないだろ。俺が悪かったって」
 さすがに凶悪な形相で睨み付けられれば、誰だって機嫌も悪くなろうというものだ。祐一はひたすら反省して美汐の機嫌を取ろうと努力した。
「いえ、本当になんでもないです。ただ祐一さんの姿が見えたから声をかけてみただけですから。お忙しいところを失礼いたしました」
「美汐。そういうことを言うと、俺の方が怒るぞ」
 祐一はまた表情を険悪なものに戻す。
「嫌な顔をしたのは悪かったよ。本当に。だけど、それとこれとは別だろう。話があるならあるって、はっきり言えばいいじゃないか」
 美汐の表情は固かった。
(……ったく、なんなんだよ、いったい……)
 ふと、その時この間秋子と話した内容を思い出した。
『祐一さんのことが、気にかかってるんですよ』
(本当かよ、この鉄仮面博士が……)
 だが、素直になれないというのは本当らしい。今だって、話したいことがあるというのが顔に書いてあるのに、それを正直に出そうとしない。
(なんて不器用なんだ)
 自分なんか、こんなに恋愛経験豊富なのに。
(やれやれ、こういう娘を落とす時は、やっぱりこれしかないのかな)
 祐一は、真面目な表情になって美汐を見つめた。
「美汐」
 口調まで、真剣なものに変わる。美汐はそれがわかったのか、こちらも真剣な表情にきりかわって次の祐一の言葉を待った。
 そして、その目が見開かれる。
「頼む、教えてくれ」
 祐一は頭を下げていた。
 美汐はまさか祐一がこのような行動に出るとはまさか思ってもいなかった。突然のことに動揺して完全に慌てている。
「わ、分かりました。だから、顔を上げてください」
 多分、人前でこんなことをしたら余計に意固地になるばかりだろう。だが、誰もいないからこそこの手は通用する。そう考えた祐一の作戦勝ちであった。
「オッケー。それじゃ、場所移動するか?」
「いえ、ここで──そんなに長い話というわけでもありませんから」
 それは助かる、と内心呟く祐一。
「二つ、あるんです。一つは柳也さんのことなのですが」
「柳也?」
 昨日会った、伊達男。自分よりはるかに危険で、油断のならない男。だがそれでいて不思議と信用することもできる男。
「あの男が、どうかしたのか?」
「いえ、もしかしたら祐一さんは柳也さんのことを知っているのかと思いまして」
「俺が? あの男を?」
「はい。柳也さんがこのネルフ本部に来た理由を、ご存知でしょうか」
 そんなことは直接本人に尋いてくれと言いたかったが、直接尋いたところであの男がまともに答えるはずもない。
「いや、特には。秋子さんには聞いてみなかったのか?」
「それが、聞いてみたんですが、よくは知らないと言っていました。ただ──」
「ただ?」
「往人司令が柳也さんを拾った以上は、二人の間に何らかの関係があることは間違いないと示唆されましたけど」
「往人ねえ」
 我が父親ながら、得体の知れない男だ。
「柳也より余計に分からないな、そうなると。すまない、力になれなくて」
「いえ、無理な質問だということは承知していましたから。こっちの方は話のついでというか──次の話題に関する上で、あなたに聞いておきたかっただけのことですから」
「次の話題?」
「はい。佐祐理さんのことです」
 話が本題に入った、と祐一は悟った。
「佐祐理さんが、どうかしたのか?」
「……彼女が何故ネルフに入ったか、ご存知ですか?」
「理由? いや」
 それは、今佐祐理が悩んでいることと関係するのだろうか。
「……彼女の父親は政治家、母親は国際公務員でした」
「ネルフの人間ではないんだな?」
「ええ、どちらも違います。そして彼女が生まれたその年、あのセカンドインパクトが起きた」
 祐一はその翌年に生まれている。佐祐理は一つ年上だった。
「彼女は、その時に両親をなくしているんです」
「……それで?」
 まだ話が見えてこない。
「当然のことながら、あの時期、親をなくした子供が一人で生きていくなど不可能でした。孤児院には捨てられた子供が山のように積み重なり、あらゆる孤児院は経営が悪化して破産してしまったようです。もっとも、中には間引きして生き延びたところもありましたけど」
「佐祐理さんが、孤児院の出身だっていうことか?」
「そうです。それも、頻繁に間引きが行われていたところでした。その孤児院では、容姿が整っていたり、優秀な頭脳を有していないと判断された子供はすぐに殺されたんです──経営者たちが生きていくために」
 西暦二〇〇〇年から二〇〇五年くらいまでは、そうしたことが頻繁にあったという。祐一のように、物心つくかつかないかのうちに親のもとで育った子供は、全体の半数しかいないという。
「……それで?」
「佐祐理さんはご存知のとおり、容姿も頭脳も桁はずれですから、間引かれる心配はゼロに近かったんです。それから、舞さんも」
「舞!?」
「ええ。彼女も一緒の孤児院で育ちました。ただ、彼女は経営者の娘、という立場でしたが」
 二人の過去を突然知らされた祐一はかなりの衝撃を覚えていた。
 では、佐祐理にとって舞とは、自分を養ってくれていた人物の娘、ということになる。
「二人は物心ついた時から仲がよかったそうです。そして、彼女たちの二つ下にあたる少女、彼女たちにとってはまさに妹とも呼べる存在がいたのです」
「妹……」
「名前を、みちる、と言いました」
 少しだけ頭が重くなる祐一。だが今はシリアスな場面なので耐えなければならない、と気合を入れなおす。
「佐祐理さんはその能力をかわれて、舞さんと一緒にネルフにやってきました。一三歳の時です。私は当時一一歳で開発二課にいましたが、最初二人は作戦課見習いだったんです。私が一二歳でMAGIの全権を得るようになってから、正式に二人を開発課にひきいれました」
 子供がチーフになれる国際機関……それでいいのか、ネルフ。
「それで?」
「彼女たちがネルフに入ってきたのは、みちるさんの死がきっかけだったんです」
「死?」
「ええ。佐祐理さんが一三歳の春に、その孤児院で最後の間引きが行われたんです。その時に殺された五人の少年少女のうちの一人がみちるさんでした」
「妹を殺されて、孤児院を飛び出した?」
「いえ、違います。この時の間引きはいささか奇妙だったんです」
「というと」
「間引きを行ったのは、当時日本政府で内閣調査室に所属していた人物だったんです。つまり、孤児院とは縁もゆかりもない人だったんです」
「まさか……」
 祐一は、ようやく先ほどの話を理解することができた。
「それが、柳也か?」
 美汐は力強く頷く。
「はい。その時期に柳也さんが孤児院を訪れていることはネルフ諜報部の調べでも分かっていることです。ただ、本当に間引きを行ったかどうかは分かりませんが」
「少なくとも、そう一般には知られているわけだ」
「はい。佐祐理さんはそう信じています。おそらくは舞さんもですが……」
 では、あの時の思いつめた表情は柳也のことが原因だったのか。
「なるほど。佐祐理さんは柳也のことを憎んでいる」
「殺したいくらいには」
「舞もか?」
「分かりません。舞さんは、あまり表情を出しませんから」
「たしかに」
 だが、二人にとっての妹というのであれば、舞にとっても柳也は仇に他ならないだろう。
「一つ、聞いてもいいか」
「ええ、かまいませんけど」
「どうしてそんなに詳しいんだ?」
 意外なことを聞かれたと思ったのか、それともそんな単純なことかと呆れたのか、美汐は目を大きくして見つめ返してきた。
「佐祐理さんから直接相談を受けて、諜報活動を行ったのがちょうど二年前のことです」
「あ、なるほど──それからもう一つだけ」
「はい」
「佐祐理さんが結局のところネルフに入った理由っていうのは?」
 今度は答えにくそうに視線を逸らして俯く。
「……一つには、養育費の返還のためです。孤児院で育った人は、養育費を返さなければならない義務がありましたから」
「その孤児院は?」
「もちろん、間引きをする孤児院など許しておけるわけがありません。ネルフが圧力をかけ、今ではもう存在しない孤児院です。そこで養われていた子供たちは、全てネルフが引き取りました」
「随分とおやさしいことで」
「十人程度の養育費、ネルフが払えない額ではありません」
「あのドケチの往人がよくそれだけの金を払ったと感心するがな、俺は」
「往人司令は、そこまで人が悪くはないですよ。もともと子供相手は上手ですし」
(信じられないっての)
 ウハウハという言葉を聞いただけで簡単に自分の主義主張を変更しそうになる男だ。金のことでは絶対に信用がならない。
「それで、もう一つの理由っていうのが柳也に関わることなのか?」
 話を元に戻して尋ねる。
「はい。その居場所、目的などをリサーチしてくれないかと佐祐理さんに頼まれましたので、諜報部に調べさせたところ──」
「実は既にネルフドイツ支部にいた、と」
「内閣情報調査室はさっさと辞めてしまわれたみたいです。そこを往人司令に拾われて、直接ドイツ支部へ行くよう命令があったそうですが」
 だいたいのバックヤードを理解した祐一は頷いて美汐に微笑みかけた。
「サンキュ。だいたいのことは理解した」
「佐祐理さんを、よろしくおねがいします」
 最後に、美汐はぺこりと頭を下げた。
 不器用だが、部下の──もしくは仲間の心配を、彼女なりにしていたのだろう。
 そして、佐祐理が祐一に相談をしているのを知ってか推測してか、彼女の力になってやるように可能なかぎりの情報を教えてくれたのだ。
「ホント、助かったよ。今度本気でデートに行こうぜ。おごるから」
「そうですね、それもいいかもしれません」
 美汐は祐一と顔を合わせずに答えた。恥らっているのか、それとも怒っているのかは分からない。
「でも、私は──」
 と、祐一の顔を見つめてくる。
 どうしたというのか、今までにない逼迫した表情であった。
「……美汐?」
「いえ、なんでもありません」
「だから、なんでもなくはないだろって」
「はい。いえ、だからそうではなく──」
 どうやら、混乱しているようであった。こういうところは、年相応に可愛いと思う。
「……私は、人に好意をもたれることが許される人間ではないから……」
 何か、重たい言葉であった。
 その言葉の裏に、いったいどれほどの事実が隠されているのか。
 おそらく、聞いても答えてはくれまい。だが、彼女はそれを打ち明けてしまいたいのだということが、祐一には分かった。
 それが、できないことなのだということも。
「……お前が何をしていても、人間の意識や感情に許可は必要ないんだぜ」
 祐一は励ますように肩を叩いてやる。
「俺は、お前のことけっこう気にいってるよ」
「あゆさんの次くらいには、ですか?」
「あゆ?」
「違うのですか? 第五使徒戦では、随分心配なさってたではないですか」
 そんなこともあったな、と祐一は苦笑する。
「俺は困ってたり悩んでたりしている女の子を見ると、放っておけない性質なんだ」
「では、私のことも特別好意を持ってくださっているわけではないんですね」
 これはやぶへびだったか、と祐一は自分の言葉の迂闊さを呪った。
「……俺も、人を愛する資格のない男なのさ」
 軽い口調。
 だが、その裏には美汐と同じ、いやもしかしたらそれ以上の思いがこもっていたかもしれない。
「人の意識や感情に許可はいらないのではなかったのですか?」
「そうさ。だから資格と言い換えた」
「そうですか」
「そうなのさ」
「ぷっ、くくっ」
 美汐は笑った。
 祐一にとっては、初めてみる笑顔だった。









後編

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