第三新東京市は、当然のことながら交通網もきちんと整備されている。
特に地下鉄技術の発展は、セカンドインパクト以前に比べてかなり整然とされていた。網の目状に配備された路線、そして縦横一二ずつ、計一四四個もの駅が並ぶ。
それでも移動が困難な地域には当然バスが出るのだが、第三新東京市の生活の足は間違いなく地下鉄であった。身障者用のエレベーターは当然全駅に設置、完全バリアフリーが徹底され、誰でも気軽に乗ることができる。
当然のことながら、それだけ地下鉄技術が発展したとはいっても、使用頻度の高い路線とそうでないものとが出てくる。
例えば、ネルフへと向かう路線。南北第七路線と東西第二路線は、ネルフで勤務する職員の数が膨大なため朝夕はラッシュ状態となる。そのためこの二つの路線は地下鉄だというのに四路線となっているくらいだ。
だが、それほどに整備された地下鉄網の、さらに地下。そこにも別の地下鉄が走っている。
それはネルフ上層部のみが使える、特別路線である。
これを利用することができるのはごく僅かな人間に限られる。具体的に言うならば、総司令、副司令、作戦部長、技術部長、第一発令所オペレーターズ、カノンパイロット等。そしてネルフに用がある特派員は、たいていこの路線を使用してやってくる。
だから、この路線は通常は運行止め。必要がある時にのみ臨時便が出ることになっていた。つまり、この路線を使う資格のある人間が来た時のみ、という意味である。
当然のことながら、誰かと一緒に乗らない限り、この路線を使っても知り合いに会うという可能性は限りなくゼロに近い。
だが、どうやらこの日は特別だったようだ。
「おはようございます、石橋副司令。お早いですね」
新聞を読みながら通勤する石橋と、簡単な手荷物を持ってその近くに腰を下ろす美汐。珍しい組み合わせといえば、その通りであった。
「雑務はみんな私に押し付けられているからな。まったく『MAGI』がいなかったらお手上げだよ」
「今ではこの第三新東京市の機能のほとんど全てをMAGIが行っていますから」
「おかげで政府も人件費を削減できて喜んでるようだがな。その分、MAGIに費用がかかるのであれば結果は変わらないだろうに」
「むしろ、失業者が増えて困るのではないでしょうか」
「まったく、その通りだな」
と、会話が途切れたところでまた次の駅に着く。そこで乗り込んできたのは二人。
「あっ、おはようございまーす」
天使の笑顔で挨拶する佐祐理と、黙って頭を下げる舞。
「ああ、おはよう」
「おはようございます」
答える石橋と美汐。佐祐理と舞は椅子には座らず、二人の前の吊り輪を取った。
「きみたちはカノン零号機の実験だったかな?」
石橋が確認すると、美汐が頷いて答えた。
「ええ。三日前にようやく再就役したとはいえ、繰り返しテストをしないことには以前の水準まで引き戻すことはかないませんから」
「本日一〇三〇から第二次稼動延長試験の予定なんですよーっ」
その後を佐祐理が続け、舞がこくりと頷く。
「一〇三〇。それにしては、きみたちは随分と出てくるのが早いようだが」
「その前の整備がありますから。パイロットが到着した時点で実験を開始するには、これくらい早くないといけないんです。そういう副司令も、単なる雑務というわりには随分早いようですが」
「市の定例評議会に参加しなければならないのでな」
やれやれ、と言わんばかりに石橋はため息をついた。
「碇のやつ、面倒なことは全て私に押し付ける」
くすっ、と佐祐理が笑った。
「そういえば上は市議選が近いですね」
「形ばかりにすぎん。市政は全てMAGIが行っているからな」
「科学万能の時代ですねー」
「ま、そうは言っても、最終的にハードを使うのはソフト……人の仕事だよ。とはいえ、あの連中にはMAGIを使いこなすことなど、永久に不可能だろうが」
佐祐理は首をかしげた。
「MAGIって、どういうコンピュータなんですか?」
思わず同時に脱力する石橋と美汐。
「佐祐理さん。仮にも技術部第二位の人が、そんなことを言わないでください」
「すみません」
「まあ、確かにあのMAGIの全貌を知っている人は限られているからな」
副司令の力ない言葉に、佐祐理はますますしゅんとなってしまう。
「そうですね、そろそろいい機会かもしれません」
美汐が大人びた(とはいっても佐祐理たちより年下なのだが)微笑で呟く。
「佐祐理さんには、そろそろMAGIの真実を知ってもらってもいいころでしょう」
「だが、かまわんのかね」
なにやら、怪しい雰囲気になってしまった石橋と美汐。光栄なことなのだが、含みのある会話に口をはさむことができない佐祐理。
「かまいません。あれは、単なるコンピュータにすぎませんから」
美汐が虚ろな視線で答えた。
第拾壱話
静止した闇の中で
「おはようございます、秋子さん」
後ろからかけられた低い声に、秋子が微笑んで答える。
「おはようございます、柳也さん」
すっかりこのネルフ本部になじんでしまった男の顔は、今日も半分真面目で、半分ニヤついていた。それが不思議とサマになるから、この男も随分と得をしている。
「今日は零号機の実験でしたっけ」
「ええ。いつ起動しても問題ないようにするには、何度も実験しなければならないそうです」
「大変ですね、技術部の要求にこたえるのも」
「そうしなければ、作戦行動にも支障をきたしますから」
二人はあくまでも他人行儀な会話を続ける。
「それで、調査の方は順調ですか?」
今日こそ、柳也の顔色は青ざめた。
「なんのことですか?」
いくら平静を装ってもその顔色ばかりは元に戻すことはできなかった。
「マルドゥック機関にはあまり関わらない方がいいですよ。下手をすると、ネルフではなく委員会からマークされます」
「マルドゥック機関って、あのチルドレンを選抜する?」
柳也はあくまでしらをきっている。
「友人としての忠告です」
「はあ、ありがとうございます」
「裏葉さんにも、あまり動き回らないように伝えてあげてください」
心臓が凍りつくような衝撃を受けた。
「……裏葉を知っているんですか」
「詳しくは知りません。柳也さんの知り合いだということくらいしか」
秋子は困ったポーズで笑う。
「やっぱり、一番恐いのはあなたですよ、秋子さん」
「あら、そうですか」
「そ知らぬ顔で、何でも知っているんですね」
「私は別に、特別知っていることなんて何もありません」
「あなたにとって、知らなければならないことっていうのはなんなんでしょうね」
柳也ははき捨てるように言った。
「もしもし、佐祐理さん?」
『あ、祐一さん。おはようございます』
祐一は、あゆと名雪がコンビニに入っている間に携帯電話から直接佐祐理とコンタクトを取った。
『どうかなさいましたか?』
「いや、ちょっと思いついたことがあったから、即実行ということで」
『はあ』
祐一はこの間の佐祐理との約束をどう切り出そうかずっと迷っていたのだが、ようやく決心がついたので電話をかけたのであった。
「実は今度──」
プツッ、ツー、ツー、ツー。
「…………なんでやねん」
滝の涙を流す祐一。
「あ、祐一。どうしたの?」
コンビニから出てきた名雪が声をかける。
「いや、佐祐理さんと電話してたんだけど、突然切れたんだ」
「怒らせたの?」
「いや、切れ方が不自然だったんだ。何か向こうであったのかもしれない」
「使徒?」
「それだと緊急警報がなるはずなんだがな。あゆは?」
「うん、もうちょっと」
言うなり、たいやきを大量に買い込んできたあゆが姿を見せる。
「うぐ?」
「コンビニでたいやきなんて売ってるもんなんだな」
「たいやきを売ってないようじゃ、コンビニとは言えないよ」
「それはともかくだ。本部へ急ぐぞ」
「どうして?」
「嫌な予感がする。とにかく急ぐぞ」
「分かったよ」
「了解だよ〜」
ネルフ、エレベーター内。秋子は相変わらずにこにことしていたが、柳也は背中にびっしょりと汗をかいていた。
が、それも突発的な事象のために、終わりを告げる。
がたん、と一度大きく揺れて、エレベーターが止まる。同時に中の照明も消えてしまった。
非常灯だけが、鈍い光を放っている。
「事故でしょうか」
「さあ。美汐が何かミスでもしたんでしょうかね」
「あの子に限って、それはないと思いますけど」
「半年前、このネルフ施設の正電源を落としたことは知ってますよ」
「あらあら」
「主電源ストップ」
「電圧、ゼロです」
何故か今日は二人だけのオペレーターズ。真琴はどうやら一〇時半からの中勤らしい。
「別に、ブレーカーが落ちるようなことをしてはいませんが」
以前にも正電源を落としたことのある美汐が少し慌てたように言う。
「副電源、つながりません」
「予備回線もダメです。全く応答なし」
「現在残っている回線は?」
石橋がオペレーターズに問うと、すぐに返答が来る。
「補助電源のみ。全電力の1.2%です」
「ならば生き残っている電源は全てMAGIとセントラルドグマの維持に回せ」
「それですと、全館の生命維持に支障が生じますが」
「かまわん。そのための補助電源だ」
「了解しました。電力をMAGIとセントラルドグマに回します」
「でも、切れたっていっても、単に電話回線のトラブルだけかもしれないんでしょ?」
名雪が言うが、どうもあの切れ方は不自然だった。その後掛けなおしても全く応答がないことも、あまりに不自然といえる。
「なに、行けば分かるさ」
祐一はIDカードを取り出して本部ゲートの改札機を通す。
「あれ?」
だが、機械もゲートも全く無反応であった。
「名雪、IDカードって更新されたか?」
「ううん? そんなことないはずだけど」
名雪もためしにIDカードを通すが、やはり反応はない。
「ボクも」
あゆも通すが、それでも反応はない。
「壊れてるの?」
「違うな。電力が通ってないんだ」
祐一は一台ずつ、全ての改札を見てから言う。
「なるほどな、おそらく、本部全体が今こんな状況なんだろう」
「どうするの、祐一」
「仕方がないな。これじゃエスカレーターもエレベーターも使えないだろうから、おとなしくどこかこじあけて階段で行くしかない」
「ボク、ここに残るよ」
笑顔で『反対』を告げるあゆ。
「ダメだ。行くぞ、あゆ」
「うぐぅ〜」
「ほら、あゆちゃん、行こう」
「ボク運動は苦手なんだよ〜」
「七分しても復旧しない。おかしいな」
柳也は非常電話に手を伸ばしたが、それもどうやら不通になっているようだった。
「正・副・予備。どれか一つでも残っていれば、なんとか全館の維持は可能なはずです」
「というと、三ついっぺんに落ちた、と。ありえますかね?」
「ありえませんわね」
「だとすると、どうしますか。このままだとここにずっと閉じ込められたままということになりますけど」
秋子は少し迷っていたが、やがてその場に腰を下ろした。
「秋子さん?」
「私たちが動かなくても、美汐ちゃんがなんとかしてくれます。使徒でも現れないかぎりは大丈夫ですよ」
「ま、それはそうですね」
柳也も諦めて腰を下ろした。
「やはり、ブレーカーは落ちたというより、落とされたと考えるべきだな」
「ああ」
「原因はどうであれこんな時に使徒が現れたら大変だぞ──って、往人。お前いつの間にいたんだ」
いつの間にか現れている往人総司令。本部の誰もがその事実に気付いていなかった。
「ロウソクをつけろ。このままでは作業ができん」
「だが、生命維持機能が作動していないんだぞ」
「かまわん。MAGIさえ動かせればすぐに復旧できる」
「ふむ。だが、いいのか?」
「ああ。ここの復旧ラインからMAGIの仕組みを割り出そうとしているのだろう。かまわん、やらせてやれ」
「これをやったのは、お前は誰だと思っているんだ?」
「この際は誰がという問題は後だ。とにかく今は回復作業に専念しろ」
往人は、何故か焦っているような様子であった。
(何を隠している、往人)
石橋は不審を抱きながらもロウソクの点灯を命令した。
「やっぱり、どの施設も動いていないよ」
「下で何かあったのかな」
「そう考えるのが自然だろ」
祐一が五個目の扉を確認してから言う。
「優先の非常回線も切れてるみたい」
「どうする、祐一?」
「緊急時のマニュアルカード、誰か持ってないか?」
「あ、ボク持ってるよ」
はい、とあゆが手渡す。それを無造作に開いて、マニュアルを読む。
「パイロットはどうにかして本部、第一発令所、もしくは第七ケイジまで移動、か。やはり使徒に備えろということかな、これは」
「どうにかして、って本当に書いてあるの?」
「まさか。それは俺のアドリブ」
「そうだよね。マニュアルカードにそんな記入があったらびっくりだよ」
「でもなあ、その『どうにかして』っていうのが一番問題だぞ。さてどうやって行くか」
祐一はとりあえず歩き出した。
「いい道があるの?」
あゆが首をかしげて聞く。
「まあ、一度入った建物の構造はすみからすみまで覚えておくのが俺のやり方だからな」
「へえー、祐一、そんなこといつも考えてるんだ」
「自分がいる場所がどこで、どこにいけば何があるのか、それくらいは全部頭の中に入ってる」
「じゃあ、発令所に行く方法はあるの?」
「ない」
同時にこける名雪とあゆ。
「だが、この際だから非常通路を使おう」
「非常通路?」
「そんなのあるの?」
名雪とあゆが顔を見合わせる。
「ま、ついてくれば分かるさ」
一方。中勤の真琴はのんびり買い物をして、ようやく本部へと向かうところであった。
現在の時刻は一〇時〇六分。かなり急がなければ間に合わない時間帯である。それなのにこの少女は肉まんなど頬張りながら、のんびりと歩いている。
この辺り、おいしいものを食べてさえいれば幸せというのは名雪やあゆと何ら変わりない。もしかしたら滅多にない出番をできるだけ独り占めしたいという気持ちも混ざっているかもしれない。
「どういう意味ようっ!」
突然無意味に叫ぶ真琴。何となくむなしくなって、彼女はネルフへの道を急いだ。
(今日も仕事、明日も仕事、仕事仕事。たまには一泊二日で温泉にでも遊びに行きたいな)
幻想の中ですら一泊までしか連休を見込むことができないネルフ。ある意味鬼ではある。
(あれ?)
と、その時。
山の稜線から、何か巨大な物体が顔を覗かせているのが彼女の目に映った。
「まさか、使徒?」
真っ白なボディ。
そして、真っ赤な、大きさの違う二つの瞳。
「ゆ、雪うさぎ?」
一瞬気が遠のく真琴。だが次の瞬間には立ち直っていた。さすがに今まで何度も使徒を見てきただけのことはある。
「でもどうして非常警報が鳴らないのかしら」
頭にクエスチョンマークを浮かべる真琴。
「でも、それならそうと急がなきゃだめよね」
真琴は残った肉まんを丸ごと口の中に放り込み、ネルフへ向かって駆け出した。
「んっ、がっ、ぐっ、ぐっ」
──これはお約束。
NEON GENESIS KANONGELION
EPISODE:11 The Day Tokyo−3 Stood Still
「やれやれ。本部初の被害が使徒ではなく、同じ人間にやられたものとは。やりきれんな」
「しょせん、人間の敵は人間だよ」
石橋が呟くと、往人は悟ったかのように答える。
「やはり、委員会か?」
「委員会というよりはむしろ、ゼーレの連中だな」
「ここを攻略する前の足がかりとでもいうのか」
「橋頭堡、かもしれんな」
「まさか、MAGIを橋頭堡にするというのか?」
「MAGIのコントロールを奪った上で、カノンとアダムを譲れと言うつもりだろう」
「それはまずいぞ、碇」
「問題ない。MAGIは美汐がなんとかする。それより、こうなった以上は最後の『鍵』を取りに行かなければならない。きわめて迅速にな」
「では、南極か」
「ああ。お前もついてこい、石橋」
「だが、そうなるとネルフを誰に任せる。今まで私かお前か、どちらかが残っていたからこそ何とか機能してきたものを」
「秋子さんに任せる」
「葛城くんか。だが、階級的には彼女は」
「昇進させる。三佐だ」
「いいだろう。手配しておこう」
と、その時である。一台の車が大胆にも発令所にまで乗り付けてきた。よく見かけるハイエースの二〇一六バージョン、その上部には『高橋覗』とかかれている。選挙カーだ。
『日向真琴、日向真琴をよろしくお願いします……じゃなくて!』
真琴の声が、スピーカーから流れる。
「石橋」
「ああ」
「真琴、二ヶ月の減棒」
「分かった」
さらりと、真琴にとっては重大な事項が決定されるが、この時真琴はまだそれを知らない。
『使徒、接近! 現在第三新東京市に侵入!』
一様にざわめく発令所。それを聞いて、往人が立ち上がる。
「俺はケイジでカノンの発進準備を進めておく」
「まさか、手動でか」
「緊急用のディーゼルがある。他に方法がない。MAGIが全システムを回復するにはまだ時間がかかるだろう」
「カタパルトも使えないから、発進ができんぞ」
「問題ない。イチゴサンデルが作った竪穴がある。そこから出ることができる」
そう言うと、往人は手のあいている人間をかたはしから集めて、ケイジへと向かった。
「やれやれ。あいつの無茶を見るのはこれで何度目かな」
使徒。
天使の名を持ち、地上へ侵攻してくるモノ。
何のために彼らはココを目指し、何をなそうとしているのか。
(考えてみれば、おかしな話だな)
使徒が来る。向こうはこちらを敵とみなしている。だからこちらも迎撃する。
もっとも、この間のようにこちらから使徒の幼体を見つけて攻撃を仕掛けたこともあったが。
(使徒か。いったい、何を目的としているのか。何故あんなモノが存在するのか)
そもそも、西暦二〇〇〇年より前にはそんなモノは確認されたことなどない。それが突如、新世紀になってから堰を切ったように現れてくる。
(だいたい、第何使徒とかって言ってるが)
第一使徒、第二使徒。これはいったいどうなっているのだろう。
西暦二〇一八年、使徒クゼエルは第三使徒と認定された。だとするならば、第一使徒、第二使徒はそれより以前に出現していたはずだ。
(いつ……まさか、セカンドインパクトのときに?)
セカンドインパクト。
一千年紀の終わりに起こったカタストロフィ。南極で起こったソレは、原因から何もかも全てが未知とされた。
だからこそ、いったいそこで何が起こったかということについては、事件後さまざまな憶測を呼ぶこととなった。
一般的には、大隕石が南極に落ちたとされている。だが、それが真実であるはずがない。そのようなデータはセカンドインパクト以前には記録されていないからだ。
(何かがあった。使徒、カノン、そして俺たちチルドレン。全てのものの母体となった何かが起こった)
その何かとは何か。
地球規模で勃発した災害、気象変動、疫病。そしてそれらから導き出されるようにして起こった戦乱。わずかな食糧を巡っての争い。混乱を機に自らの勢力を伸張するための有象無象の動き。
総人口数は、セカンドインパクト以前と比べて約66%まで減少した。すなわち約三分の一、二〇億という人命が失われた。
セカンドインパクトそのものより、その後の混乱において失われた人命の方が多いと聞く。
(何故?)
それらの引き金となったセカンドインパクト。
(何?)
それは、いかにして起こったのか。
そして、それが世界に与えた衝撃(インパクト)とは何なのか。
事件後に次々と現れるようになった使徒。
彼らは、いかにして生まれたのか。
初めからこの星にいたものなのか。
事件後に生を受けたものなのか。
(何体、いるのか)
いつまで戦えば終わりが来るのだろうか。
第三使徒から第八使徒まで、都合六体を葬り、そして今後も現れるであろう使徒。
彼らが全て単独で現れることも、理解ができない。
使徒同士は関係があるのか?
それとも、全ての使徒が独自に動いている結果なのか?
だとしたら。
この都市、第三東京市が常に標的にされるのは何故なのか?
(そうか)
秘密はきっと。
ここにあるのだ。
この、ジオフロントに。
「祐一?」
考えに耽っていた祐一に呼びかけたのは名雪であった。
「ん、どうした?」
「どうした、じゃなくて。本当にこの道っていうか」
三人が通っているのは、通気孔であった。先頭に祐一、続いて名雪、最後にあゆが腹ばいで進んでいる。
「ここで本当にいいの?」
「間違いない」
「不安だよ〜」
「いやなら戻ってもいいんだぞ?」
「うぐぅ。それはボクが困るよ」
最後尾のあゆが言う。
「このまま出られなくなったらどうしよう……」
「そういえば、セカンドインパクト以前に、こんな細い道で殺人者とおっかけっこするような映画があったような」
「祐一くんっ、怖いこと言うのやめてっ!」
思わず名雪の足にしがみつくあゆ。
「あっ、わっ、わっ」
「おいおい」
と、思ったのも束の間。二人の下の部分が完全に抜け落ちる。
『きゃあああああああっ!』
仲良く悲鳴をあげる二人。
「おやおや」
祐一はため息をついて後ずさりし、その穴から下に覗く。
そこは、第一発令所であった。
「もう少し行けば、出口だったんだがな」
下では二人が仲良くしりもちをついていた。
「う〜、痛いよ〜」
「うぐぅ……」
当然のことながら、第一発令所に詰めていた美汐らは目を丸くして突然現れたパイロット二人プラス通気孔から除きこんでいるもう一人のパイロットを見つめた。
「み、みなさん」
「よう、美汐。遅くなったな」
祐一はその穴に手をかけ、ぶら下がる状態になってから下を確認して着地する。
「祐一さん」
「なんだか、随分おかしなことになってるみたいだな。美汐がブレーカーでも落としたのか?」
「ち、違います」
赤くなって祐一を睨む美汐。
「分かってるって。ネルフの設備でこれだけ長時間電源が落とされてるっていうのは、外部から何かされたんだろう?」
「それもありますが、それどころではありません」
「それどころじゃない?」
「使徒です」
祐一は頭を押さえた。
「それは随分都合のいい時に現れるな。まさかとは思うが、使徒が現れるのを見越して、こんな事態を引き起こしたわけじゃないだろうな」
「私に言われても困りますが。確かに、偶然と考えるよりはその方が説得力がありますね」
「なるほどな。使徒に人類が滅ぼされるとしても、ネルフの方が目障りな連中がいるってわけか」
「いるでしょうね。目先のことしか考えられない人は、どこにでも。特にネルフはその性質上、敵を多く作る組織ですから」
「ま、それはともかくだ。電源がなかったらカノンは動かないだろ? どうすればいい?」
「内臓電源に外部電池を接続してあります。計算では七分二〇秒もちます」
「それしかもたない内臓電源で戦えって?」
「祐一さんは一分三〇秒で第四使徒を倒しました」
祐一は苦笑した。
「そうだな。だが、地上へ出る道がない。ケイジからカノンを射出できない以上、七分じゃ地上まで行く方法はないぜ?」
「イチゴサンデルが作った竪穴があります。そこから外へ出られるでしょう。推測ですが、カノンならばおよそ五分三〇秒」
「オーケー。じゃ、最後にどうやってエントリー・プラグを挿入するんだ?」
「今、往人司令が作業を行っています」
「どうやって?」
美汐は、自分の掌を祐一に開いて見せた。
「まさか、手動でか?」
「それ以外に方法がありませんでしたから」
「やれやれ。そこまで期待されてるんだったら、活躍しないわけにはいかないな。おい、名雪、あゆ」
ようやく起き上がった二人に、祐一は声をかける。
「出番だ。行くぜ」
「うん」
「了解だよ」
プラグスーツに着替えるため、三人は更衣室へと急ぐ。
「あ、その前に」
祐一は足を止めて美汐を振り返った。
「秋子さんは?」
「分かりません。本部のどこかにいることは間違いありませんが」
「そうか。あ、それから佐祐理さん」
遠くで作業中の佐祐理に大声で呼びかける。
「はいー? あ、さっきはすみませんでしたー!」
「いやいや。後でさっきの続き、よろしくな」
「はい!」
ほっと一安心して、祐一は更衣室へと急いだ。
『カノン、各機実力で拘束具を除去、出撃しろ』
往人の声が響く。
『目標は直上にて停止の模様!』
『カノン三機、竪穴に向かいます。残り時間、七分〇四秒』
祐一は動きながら初号機内部でなるべく情報を集めようと端末を操作した。だが、残念ながら外のカメラも動かないらしく、使徒の映像は入ってこない。
「美汐。敵の特徴、及び弱点は?」
『なんともいえないですね。真琴、あなた、使徒を見たの?』
『うん、見たよ』
『それで?』
『大きな雪ウサギだった』
雪ウサギ──ユキウサギエル。
(ネームが長いぞ)
それはともかく、弱点などはわからないかと再度聞いてみるが、さすがに映像がないのでは対処のしようもないらしい。
「名雪、とりあえず上に出る。ライフルを持っているのはお前だから」
『最初に行くね。それでいいでしょ?』
「ああ。それからあゆ、続いてくれ。最後に俺が行く」
『うん、分かった』
『祐一、気をつけてね』
「お前の方が危険だ。最初に出るわけだからな。気をつけろ」
『了解だよ』
そしてカノンは両手両足を使って竪穴を登っていく。
地上まではかなり長いが、なんとかよじ登っていくしかない。
「大丈夫か、名雪?」
『平気だよ』
だが、その時、竪穴の上から液体が零れ落ちてきて零号機の肩の外部電池に触れた。
『二人とも、避けてっ!』
珍しくあゆが冷静に指示を出した次の瞬間、上から雨のように水が降ってくる。
「これは、溶解液?」
『あうっ!』
名雪が悲鳴をあげて、ライフルを取り落とす。腕に液体が触れたようだ。
「そこの横穴だっ! 二人とも急げっ!」
先に零号機が、続いて弐号機が横穴に退避した後、初号機も慎重に横穴へ入った。
「なんなんだ、いったい」
初号機が情報を見上げると、竪穴にユキウサギエルの前足が入っていた。その足がじたばたともがいている。
(はまった、のか……?)
かなりショックだった。
『どうしたの、祐一くん』
「いや。おそらく、雪ウサギが溶けて、水になって降ってきているみたいだ」
『暑いもんね。夏だもん』
「季節を間違えたな、あの使徒」
もしかして放っておいても自滅するのではないだろうか、などと安直なことを考えてみる。
「けどまあ、溶ける前に本部ごと溶かされてるのがオチだな」
『どうする、祐一?』
「そうだな、溶解液──物理的な攻撃を向こうが仕掛けてくる以上、A.Tフィールドは使用していないとみるべきだろう。それならこちらのライフルも通用するはずだ」
『でも私、落としちゃった』
「ああ。俺の横を通り過ぎていったからな。捕まえようとしたんだが、こっちのバランスが崩れそうになったからできなかった」
『ごめんね』
「謝る前に、やることをやろうか」
祐一は横穴から見上げてみる。ユキウサギエルの前足は、まだはまったままで溶け続けている。
「俺が盾になる。あゆは落ちたライフルを回収して弐号機にパス。名雪がライフルで使徒を攻撃する。それでいこう」
『でも』
「デモもストもない。やるぞ」
『祐一くん、大丈夫なの?』
「問題ないさ。A.T.フィールドを全開にして溶解液を防ぐ。零号機が下まで落ちて、弐号機にパスするまでならおよそ十秒。それくらいなら大丈夫。お前が俺を守ってくれた時より、ずっとな」
『祐一くん』
「今度は俺がお前を、お前らを守る番だ」
保護者だしな、とは口に出しては言わない。
「いいな、合図したら出るんだぞ」
『分かった』
『祐一』
最後に、名雪が声をかける。
『無理はしないで』
「無理をしに行く奴にかける言葉じゃないな。それよりお前こそ、一撃で仕留めろよ」
『うん、まかせて』
「よし!」
祐一は竪穴に飛び出すと、A.T.フィールドを全開にして竪穴を塞ぐようにする。
「今だ!」
あゆが飛び出す。まっすぐ下に落ち、着地と同時にライフルを拾う。
「A.T.フィールド、全開っ!」
溶解液が初号機の背中を焼く。
(こんなの、あゆが受けた痛みに比べれば)
零号機が投げ上げたライフルを、弐号機が体勢を整えて受け取る。
「祐一、避けてっ!」
名雪の声と同時に祐一は横穴に退避した。その間隙をぬって、名雪がライフルを放つ。
劣化ウラン弾は、ユキウサギエルの前足ごと体を貫いていた。
そして、力なく大地に崩れ落ち、
爆ぜた。
「よくやった、名雪」
『ありがとう、祐一』
「なに、これくらいたいしたことないさ」
背中は痛むが、映像の中の名雪に向かってそれを感じさせないように微笑んだ。名雪も満面の笑みであった。
「ところで柳也さん。この間の浅間山でのことですが──」
その間中、柳也はただひたすら冷や汗をかき続けていた。
(こ、この人と二人でいるのは心臓と胃に悪い……)
帰ったらとりあえず胃薬を飲もう、と心に誓う柳也であった。