第一二七回MAGI定期検診。
ネルフ本部中央作戦司令室、その後方中央に位置する第一発令所。この作業はここで行われていた。技術課のトップである美汐、そしてその部下である佐祐理がコンソールに向かって作業を続けている。
佐祐理の指が軽快に動き、キーボードを鳴らしていく。それに伴ってホログラム・ディスプレイの文字が流れていく。
「さすが佐祐理さん、速いですね」
「美汐さんにはかないません」
実際のところ、技術だけならば既に佐祐理は美汐の域に達している。ただ応用がきくかきかないか、それが二人の明暗をわけている。
「あ、待ってください。そこはA−8の方が速いですよ」
美汐が手元のコンソールに打ち込むと、佐祐理が打ち込んでいたプログラムが一瞬で組み込まれてしまった。
「すごい」
『MAGI・SYSTEM、三機とも自己診断モードに入りました』
機械的な声が流れ、作業が中断した。
「やっぱり美汐さんにはかなわないです」
「あとは慣れですね。初歩的なコードをどれだけ使いこなせるか、応用は全て基本の上に成り立ちますから」
「日々これ精進ですねー」
「佐祐理さんなら、すぐに私くらいにはなれますよ」
第一発令所の扉が開いたのはこの時で、二人分のコーヒーを淹れた秋子が入ってきた。
「二人とも、お疲れ様です」
「ありがとうございます」
それぞれカップを手にして、暖かいコーヒーをふくむ。
「それにしても大変ですわね。一つでも厄介なものが、三つもあるんですから」
スーパーコンピュータ、MAGI。
MAGIバルタザール、MAGIメルキオール、MAGIカスパーという三つの機械がそれぞれ超高性能のコンピュータであり、重要決議はこの三つのMAGIによる多数決で行われる。
「やることは同じですから」
「でも時間はやっぱりかかるでしょう」
「同時にプログラムを走らせることもできるから、作業量や作業時間が三倍になることはないんですよー」
佐祐理が言う。だがそれでも一つより三つの方が大変であることには違いなかった。
「それに、MAGIとカノンを常に最良の状態にしておくことが私の役目ですから」
そして、それくらいしか自分にできることはない。
碇、祐一。
彼が決して逃げずに戦うというのであれば、自分はその手助けをするしかない。
「でもこれで、明日のテストは大丈夫みたいですわね」
今日が高校は終業式。明日から祐一たちは夏休みだ。その初日に技術課は今までにないテストを提案していた。
「それは問題ありません。そのためにMAGIの定期検診を早めたわけですから」
「美汐ちゃんに間違いはありませんから」
「……」
じっと睨む。秋子は困ったように微笑んだ。
『第一二七次点検、異常ありませんでした』
「了解。みんな、お疲れ様でした。今日はこれで上がってください」
やれやれ、と中央作戦室に務めていた人たちがばらばらと退室していく。
「秋子さんと佐祐理さんは先に出てください。最後のチェックをしますから」
「でも」
「たまには佐祐理さんも、舞さんにごちそうを作りたいでしょう?」
それを聞くと「では失礼します」と嬉しそうに佐祐理は出ていった。
「秋子さんも、いいですよ。祐一さんにごちそうでも作ってあげてください」
「美汐ちゃん」
その呼び方をやめずに言う秋子。
「あまり、無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます。でも、ちゃん、はやめてください」
「はいはい」
笑って秋子は出ていった。見送った美汐は手元のキーボードに素早く打ち込んでいく。
そんなにたいした作業をするわけではない。
定期検診で自分のデータが破損していないかを調べるだけだ。
「ふう……」
それを終えると、美汐は大きく背もたれに寄りかかった。
視線の先には、MAGIバルタザールがある。
「……姉さん……」
誰もいないのに、囁くように尋ねた。
「……私、どうしたらいいのかな……」
第拾参話
使徒、侵入
翌日。ジオフロント内部、セントラルドグマ下層域、プリブノーボックス。ここにカノンの模擬体とエントリープラグが人数分用意され、LCLで満たされている。
三人のパイロットは一七回も洗浄され、全裸のままエントリープラグに乗り込んでいた。
もちろん、映像は表示されず、サーモグラフィのみが示されている。
『全く、裸でプラグに乗り込むことなんかあるはずないだろうに』
祐一がぼやいた。だいたい最初の出撃の時ですら、以前の制服のまま乗り込んだのだ。まさか服を脱いでカノンに乗ることなどおよそ考えがつかない。
「祐一さん、万一のことを考えてのことです」
美汐が強い口調で言う。いつになく厳しい意思がこめられている。
『はいはい』
「はい、は一度で結構です」
『は〜い』
完全にやる気のない祐一。今日は特別なテストがあるからと聞かされて来てみると、待っていたのは一七回に及ぶ洗浄、その上裸で模擬プラグに乗り込めときてはやる気もなくなろうというものである。
「でも本当に、このテストにはどのような意味があるんですか?」
秋子が尋ねる。どうやらこのテストの意義を知っているのは美汐だけのようであった。
「プラグスーツを介してでは分からない微小な感覚のズレを洗い出すテストなんです。ですから祐一さんが言うように、裸でプラグに乗り込むことは間違いなくありませんよ」
プラグスーツを着ているかどうかはともかくとして、だ。
「三人とも、何か変わったところはありますか?」
『いつもと違うよ』
即答したのは名雪。
『右腕だけはっきりしてて、あとはぼやけた感じ』
『ボクも』
「祐一さんは?」
『もう少し正確に言うなら、右の肘下あたりから感覚が研ぎ澄まされているな。あとは、首のあたりがどうも調子が悪い』
「分かりました、少し待っていてください」
MAGIの表示が対立モードに移行した。感覚のズレに対しての原因を探っているのである。
「ジレンマ。作った人の性格がうかがえますね」
「美汐さんが作ったのではないのですか?」
秋子が言うと、美汐は軽く首を振った。
「作ったのは私の姉です。私はただシステムアップしただけですから」
「聖さん?」
「ええ。ご存知ですか」
「実際に会ったことはありませんけど、ネルフの前衛組織ゲヒルンの中核メンバーの中にその名前がありましたから。たしか三年前に他界したと」
「姉は優秀な科学者でしたから」
美汐は思い出すように呟く。
「……重度のシスコンでしたが」
「三日前に搬入されたパーツです」
同時刻、第一発令所。石橋が覗き込むディスプレイに表示させたのは、舞。
「ここが変質しています」
「第八七タンパク壁か」
「……最近、工事がずさんですから」
ふむ、と頷く石橋の向こうから元気な真琴の声が聞こえてくる。
「そこも使徒戦が始まってからの修理でしょ? 最近多いのよねー」
「……工事も遅れることが多いし……」
「それに現場にいる奴らってサイテー。たいした仕事もしないくせに、言うことだけずうずうしくて」
「分かった分かった」
石橋が二人の愚痴をやめさせる。
「とにかく、処理しておけ。今は下で大事な実験中だからな」
「了解」
「第八七タンパク壁が劣化?」
再びプリブノーボックス。第一発令所で発見されたその異変を、佐祐理が伝えた。
「確か、ちょうどこの上ですよね」
美汐は見上げると、当然そこから何も見えるはずがない。
「実験に対する影響は?」
「今のところ、ありません」
「では作業を続行します。この実験はおいそれと中断するわけにはいきませんから」
MAGIの診断を終え、その場で微調整を行った後、美汐が尋ねる。
「今度はどうですか?」
『うん、オッケーだよ』
『ボクも』
『ああ、問題ないぜ』
三人からそれぞれ確認を取ると、美汐は早速データの収集を急がせた。
それが半分も終わった時のことである。突如、
『EMERGENCY! EMERGENCY!』
「何!?」
「どうしました?」
美汐と秋子が同時に叫ぶ。
「シグマユニットAフロアに汚染警報発令!」
「第八七タンパク壁が劣化、発熱していきます!」
「第六パイプにも異常発生!」
「タンパク壁の侵食部が増大していきます、爆発的なスピードです!」
次々と届く報告。だが、美汐は落ち着いていた。
モニターに表示されているシグマユニットに、急速に汚染部が広がっていく。
「実験中止。第六パイプを緊急閉鎖してください」
「はい!」
決断は早かった。この爆発的な侵食はいつプリブノーボックスに及ぶかも分からない。このまま実験を続けることは危険だと判断したのだ。
「六〇、三八、三九閉鎖されました」
「六の四二に侵食発生」
「ダメです、侵食は壁づたいに発生されています!」
「ポリソーム、用意!」
「レーザー、出力最大。侵入と同時に発射」
「侵食部、六の五八に到達、来ます!」
ポリソームを発射する機械が、侵食予定位置に向かって照準を合わせる。
緊張した時間が、流れる。
(……まだ……?)
今までの爆発的スピードに比べて、それは何かがおかしかった。もうとっくに現れていていいはずなのに。
異変は、自分たちのすぐ傍で起こった。
『うぐぅっ!』
「あゆちゃん!?」
「あゆさんの模擬体が……動いている?」
「侵食部、さらに増大! 零号機に侵食しています!」
「あゆちゃんは?」
「無事です」
「プラグを緊急射出!」
美汐の命令で三人の乗ったプラグがそれぞれ地上へと射出される。
「ポリソーム、早く!」
秋子の指示でポリソームが発射される。だが、それは小さな無数の正六角形によって阻まれた。
「A.T.フィールド!?」
「まさか──」
侵食部は零号機の模擬体の右腕に到達し、赤く発光した。
「何ですか、これは……」
秋子が珍しく顔色を失っている。
「分析パターン青。間違いなく、使徒です!」
「使徒!? 使徒の侵入を許したのか!?」
石橋が報告を聞いて大声を上げる。
『申し訳ありません』
回線の相手は秋子だ。もちろん、彼女に責任がないことは明らかである。
「言い訳は後でいい。セントラルドグマを物理閉鎖、シグマユニットと分断する。急げ!」
『セントラルドグマを、物理閉鎖しました』
「プリブノーボックスを破棄します。総員退避!」
秋子の指示で全員が一斉にボックスから退避する。
「美汐さんも早く!」
秋子が手を引いて、最後に二人がボックスから出る。
同時に、ガラスが割れて汚染されたLCLがボックスに流れ込んできた。
二人の脱出の方が早く、閉じられた扉によってLCLが阻まれた。
そしてそのまま第一発令所へと急ぐ。
『シグマユニットをBフロアから隔離! 総員は同フロアより退避してください。繰り返します……』
「分かっている。よろしくたのむ──」
往人が直通回線で何かを告げると、全員に向かって指示を出した。
「警報を止めろ。誤報だ。政府と委員会にはそう伝えろ」
「了解!」
またしてもいつの間にか現れていた往人に石橋が近づく。そして小声で耳元に囁いた。
「……場所がまずいぞ。アダムに近すぎる」
「……ああ……」
そして真琴からの報告が入る。
「プリブノーボックスから汚染区域がシグマユニット全域に広がっています!」
ただならぬ事態であることは、とうに明らかであった。
「汚染はシグマユニットまでで抑えろ。ジオフロントは犠牲にしてもかまわん」
往人の指示に、
『了解!』
と答える舞、真琴。
「まさか、この前の事件が関係しているのではないか?」
「今はその件は後だ。侵食を止めるのが先だ」
「カノン第七ケイジにて待機、発進準備完了。パイロットが搭乗次第起動できます」
「パイロットを待つ必要はない。すぐに打ち上げろ。初号機を最優先だ。そのために他の二機は破棄してもかまわん」
「初号機をですか?」
「ですが、パイロットがいなければ物理的に使徒を殲滅できません!」
「その前にカノンが侵食されたら全て終わりだ。急げ!」
「はい!」
『シグマユニット以下のセントラルドグマは六〇秒後に完全閉鎖されます』
柳也はそれを聞くと、竪穴を見上げる。
「あれが使徒か」
前回は見ることができなかった。太平洋でも、浅間山でも。
使徒が全て形態の違うことを知ってはいたが、実物を見るということは決して悪いことではない。
「仕事どころじゃなくなったな」
手にしていたファイルを口にくわえると、柳也は横穴に飛び込んだ。
『セントラルドグマ、完全閉鎖。シグマユニットは侵入物に占拠されました』
「さて、カノンなしで使徒に対してどう攻める」
NEON GENESIS KANONGELION
EPISODE:13 LILIPUTIAN HITCHER
「ここが重水の境目、酸素が多いところです」
美汐が使徒の汚染区域を表示して説明する。たしかに使徒は増殖に方向性というか、障害を避けているところが見受けられた。
「好みがはっきりしてるんですね」
「無菌状態維持のため、オゾンを噴出しているところは汚染されていないみたいです」
「つまり、酸素に弱いということですね」
すぐにオゾン容器が用意され、シグマユニットに向けて噴出する。
「オゾン注入、濃度増加しています」
「きいてる、きいてる」
真琴が嬉しそうに言う。
「いけるでしょうか」
「0Aと0Bは回復しそうですー」
「パイプ周り、正常値に回復しました」
「やはり中心部は強いようです」
だが。
それも一時のことだった。
「……おかしいですね」
異変に気付いたのはやはり美汐だった。
「あれ、増えてる?」
「変です。発熱が、高まっています」
「汚染域、さらに拡大しています」
「まるで効果がなくなりました」
「こ、今度はオゾンを吸収しています!」
「オゾン、止めて!」
美汐の処置でオゾンが止まるが、時既に遅かった。オゾンのエネルギーを取り込んだ使徒はさらに加速度を増して汚染域を拡大していく。
「すごい……進化しているんですね」
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ!
「どうしました!?」
「サブコンピューターがハッキングを受けています、侵入者、不明」
舞がコンソールを叩きながら冷静に答える。
「こんなときに……くっ、Cモードで対応!」
「防壁を解凍します。擬似エントリーを展開!」
『防壁を展開します』
「逆探まで一八秒!」
『防壁を突破されました』
「これは、人間業じゃない」
真琴が信じられないように目をみはると、舞がそれでも冷静に報告を繰り返した。
「逆探知に成功……この施設内です。B棟地下……」
美汐と秋子が目を合わせた。そして、ついに舞の叫びが響く。
「プリブノーボックスですっ!」
『うぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐ』
何だか気のぬける使徒のうめきであった。あゆの零号機の模擬体がその本体だというのだから仕方のないことかもしれないが。
「光学模様が変化しています」
「光っているラインは電子回路だ」
「これは、コンピューターそのものです」
「擬似エントリー展開。失敗、妨害されました」
「メインケーブルを切断してください」
秋子が対応策を講ずる。だが、
「ダメです、反応しません」
「ではレーザーを打ち込んでください」
「A.T.フィールド確認。効果、ありません!」
そして使徒はさらなる攻撃を行う。
「保安部のメインバンクにアクセスしています。パスワードを操作中」
「一二桁、一六桁、Dワードクリア、ダメです、突破されます」
「保安部のメインバンクに侵入されました!」
「メインバンクを呼んでいます。解除できません!」
「奴の目的はなんだ」
石橋が戸惑いを口にする。
「メインパスを探っています。このコードは……まずい!」
この時、誰もが使徒の目的を理解していた。そしてそれを口にしたのは、舞。
「MAGIに侵入するつもりです!」
その事実を聞かされ、秋子や美汐ですら一瞬我を忘れる。
もしこれほどのハッキング能力を持つ使徒にMAGIが占拠されたら……?
結果は、一つしかない。本部の自爆。
『うぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐうぐ』
使徒の声と非常警報だけが本部に響く。
だが冷静でいた人物もいた。往人総司令だ。
「I/Oシステムをダウンしろ」
MAGIの電源を落とせ、という意味である。そのことに気付いて舞と真琴が目を合わせる。
「真琴、カウントをお願い」
「了解! 三、二、一!」
だが、ハッキングは止まらない。
「電源がカットできませんっ!」
真琴の悲痛な叫び。もはや、MAGIへの接触は時間の問題だった。そして、佐祐理がその事実を告げるまでに要した時間は、わずかに三秒。
「使徒、さらに潜入。メルキオールに接触しました!」
わずかな時間でメルキオールの各部が侵食されていく。全てが侵食し終わるまでに要する時間はほとんどないに等しかった。
「ダメです、使徒にのっとられます!」
「メルキオール、使徒にリプログラムされました!」
『人工知能メルキオールより、自律自爆が提訴されました。否決。否決。否決。否決……』
「こ、今度はメルキオールがバルタザールにハッキングしています」
「くっ、速い!」
「なんて計算速度だ」
計算速度。美汐はその言葉が頭に入ってくると、考えるより早く口にしていた。
「ロジックモードを変更。シンクロコードを一五秒単位にして」
『了解!』
すぐに舞と真琴がロジックモードを変更する。途端、使徒の侵食スピードが落ちた。
『うぐうぐうぐうぐうぐぅうぐぅ……うぐぅ……うぐぅ……うぐぅ……うぐぅ……』
侵食のスピードが、目に見えない状態から完全に追いかけられる状態まで落ちていた。誰もが、危機的状況をまずは回避できたことに安堵を覚えた。
「ふう、どのくらいもちそうだ」
とりあえずの時間を石橋が尋ねる。
「今までのスピードから見て、二時間くらいは」
「MAGIが敵に回るとはな」
だが、安心してばかりもいられない。すぐに対策を練り、使徒を殲滅しなければならない。
カノンをぬきにして。
秋子も美汐も、頭が痛かった。
第一発令所に往人、石橋、秋子、美汐、そして三人のオペレーターが対策を検討することとなり、まず美汐がこれまでのデータから使徒の特性を説明した。
「第一一使徒ウグゥルはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます。個体が集まって知能回路を形成し、進化しつづけているのです」
「進化か」
答えるのは石橋である。
「はい。彼らは常に自分自身を変化させ、状況に適応するように自分を作り変えています」
「まさに生物の生きるためのシステムそのものだな」
より高度なコンピュータとなるために、MAGIにハッキングする、つまりはそういうことだ。秋子がいち早くそれを理解した。
「こうなった以上、MAGIと心中してもらうしかないですね。MAGIの物理的消去を提案します」
「無理です。MAGIの破棄は本部の破棄と同義です」
「では作戦部から正式に提案します」
「拒否します。これは技術部が解決する問題ですから」
「……美汐ちゃん。何をむきになっているんですか」
「ちゃんはやめてください。私のミスから始まったことですから」
不満と反省を同時に口にして、美汐はさらに対応策を述べた。
「使徒が進化しつづけているのなら、勝算はあります」
「進化の促進か」
往人はそのことを理解していたようだ。この男は人がやろうとしていることは何でも分かっているかのようである。
「はい」
「進化の執着地点は自滅。死、そのものだ」
「ならば進化をこちらで促進させてやればいいわけか」
石橋も往人の言わんとすることを理解し、相槌を打つ。
「使徒が死の効率的な回避を考えればMAGIとの共生を選択するかもしれません」
「でも、どうやって?」
真琴が尋ねた。
「目標がコンピューターそのものなら、カスパーを使徒に直結。逆ハックをしかけて自滅促進プログラムを送り込みます。が」
「同時に使徒に対しても防壁を開放することになります」
佐祐理が後を続けた。もはやこの段階まで来ると、美汐のサポートをするのは彼女しかいないであろう。
「カスパーが速いか、使徒が速いか、勝負だな」
「はい」
「そのプログラム、間に合うのですか? カスパーまで侵されたら、終わりですよ?」
「約束します」
美汐は力強く断言した。
「佐祐理さん、秋子さん、手伝ってください。舞さんと真琴は使徒のハッキングにできる限り対抗して時間を稼いでください。それから、総司令と副司令にも手伝っていただきますが、よろしいですか」
「俺もか」
「総司令もです」
「何をすればいい」
美汐はにっこりと笑った。
「祈ってください」
『R警報発令! R警報発令! ネルフ本部内に緊急事態が発生しました。D級勤務者は退避してください』
カスパー内部。コード、基盤、あらゆるところにびっしりと貼り付けられた用紙。初めて入るその場所は、佐祐理や秋子はもちろん、美汐にしても驚かされるものばかりであった。
「な、なんですか、これ」
「開発者のいたずら書きですね」
秋子の問いに、一枚の用紙を見ながら答える美汐。
「……こんなものまであったなんて……」
「すごい、裏コードだ、MAGIの裏コードですよー。これなら意外と早くプログラムできますね」
佐祐理が喜んでいる。当然だろう。美汐ですら知らないコードの数々なのだ。
「そうですね」
美汐はカスパーの脳が収められている部分に触れて呟いた。
「ありがとう姉さん、確実に間に合うわ」
『うぐぅ……うぐぅ……うぐぅ……うぐぅ……』
「レンチを取ってください」
佐祐理はひたすら自滅促進プログラムの打ち込みを行い、カスパーとの直結作業は美汐が行っていた。秋子はその小間使いだ。
「二五番のボードを取ってください」
「はい」
素早く打ち込む。もはや神業としか言いようがない。おっとりとした秋子にはできない芸当だ。
「美汐さん、少しは教えていただけませんか、MAGIのこと」
作業中で悪いかと思ったが、秋子はつい口にしてしまった。もっとも美汐は話をするくらいで作業効率が落ちるような人物ではないことを分かってのことであるが。
「長い話ですよ。その割に面白くない話。人格移植OSって知ってますか?」
「はい。第七世代の勇気コンピュータに個人の人格を移植して思考させるシステム。カノンの操縦にも使用されていますね」
「MAGIがその第一号らしいです。姉さんが開発した技術なんですよ」
「じゃあ、お姉さんの人格を移植したんですか?」
「そうです」
機械でカスパーを切り開き、脳を露出させた。そこに数本のプラグを差し込んでいく。
「言ってみればこれは、姉さんの脳みそそのものなのです」
「それでMAGIを守りたかったのですか?」
「違うと思います。私は姉さんのことをあまり好きではありませんでしたから。科学者としての判断ですね」
「……お姉さんは、どのような方だったんですか?」
「科学者としては優秀で、姉としてはシスコンで、女としては、最低でした」
最後のところで、かすかに逡巡したのが秋子には分かった。
「妻のいる男性を相手にし、その愛が得られないことが分かって自ら自分を追い詰める、そんな弱さを持った人でした」
「あらあら」
「私は、姉のようにはなりたくありません」
再びボードに向かって打ち込む。
「それで、祐一さんにも素直になれないのですか?」
一瞬、美汐の動きが止まった。
「……今の質問で〇.五秒のロスですね」
「大丈夫ですか?」
「まだ余裕はありますよ、直結作業自体が遅れたからといって全体のマイナスにはなりません。でも、その話はやめてください。効率が落ちそうですから」
それはつまり、美汐が祐一のことを少なからず意識しているということを明らかにしたものである。
「何故、お姉さんの人格が移植されることになったのですか?」
「詳しいことは知りません」
一息ついて、佐祐理を見る。
「プログラムは?」
「待ってください、今そちらに送っています──完了しました」
「プリブノーボックスに送り込むのが速いか、カスパーが侵食されるのが早いか」
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ!
「来た、バルタザールがのっとられました!」
『人工知能により、自律自爆が決議されました』
「始まりましたね」
『自爆装置は三者一致の後、〇二秒後で行われます。自爆範囲はジオイド深度、マイナス二八〇、マイナス一四〇、ゼロフロアです。特例五八二、発動下のため、MAGIシステムが非常モードに移行します』
「バルタザール、さらにカスパーに侵入」
「押されているぞ」
「なんて速度だ」
『自爆装置作動まで、あと二〇秒』
「いかん」
「カスパー、一八秒後にのっとられます」
『自爆装置作動まで、あと一五秒』
「美汐さん、急いでください」
「大丈夫、一秒近く余裕があります」
『自爆装置作動まで、あと一〇秒』
「い、一秒、ですか?」
『八秒』
「ゼロやマイナスじゃないですよ」
『あと五秒』
「佐祐理さん」
『四秒』
「大丈夫、いけますっ!」
『三秒』
「押してっ!」
『二秒』
佐祐理がENTERキーを押す。
『一秒』
(間に合えっ!)
『〇秒』
「…………」
(どう……なったの?)
『人工知能により、自律自爆が解除されました。なお、特例五八二も解除されました。MAGIシステム、通常モードに戻ります』
「やった」
舞が汗だくで言う。真琴も、飛び上がって喜んだ。石橋は、ふう、と一息つく。
両手を組んで祈っていた往人も、重々しく頷いた。
「問題ない」
『R警報解除、R警報解除、総員、第一種警戒体制に移行してください』
「何がどうなってるんだろうな」
突然地上にプラグ射出された三人には、本部で何を行っているのかなど知りようもない。
「うぐぅ、服がないから出ることもできないよ〜」
「おなかすいた……」
(……今日は厄日だな……)
祐一は大きくため息をついた。
「約束、守っていただけましたね」
秋子が温かいコーヒーを美汐に差し出す。
「ふう……」
息を吹きかけて冷まし、ほんの一口だけ含む。
全身に、ミルクとシュガーの混じった苦味の薄い味が駆け巡っていく。
「秋子さんのコーヒーはいつも美味しいですが、今日は格別ですね」
「ありがとうございます」
通常モードに戻った発令所。だが、侵食の影響が各部に及んでいる。まだ全てが終わったわけではない。後処理にはおそらく数日を要するだろう。
「……MAGIには三人の姉がいるんです。科学者・医者として、姉として、そして女として。そうしたジレンマを残したのがMAGIなんです。カスパーには女としての姉が移植されていた。最後まで女であることを守りとおしたんですね。姉らしいです」
「美汐さんは、女として生きてみるつもりはないんですか?」
「ありません。それに、祐一さんは私を恋愛の対象とは見てくれないでしょうし」
「そんなことはないと思いますけど。今のところ、祐一さんはフリーですよ?」
「答え方を間違えましたね。私も恋愛をするつもりはないんです」
「お姉さんのことが原因で?」
「きっと影響はあるでしょうね。でも、自分はダメなんです。他人に心を開けないんですよ。あまり、人と接することに慣れていないからでしょうね。祐一さんのことが気になるのは、祐一さんが私のことを気遣ってくれるからです。そうでなくなったら、私も興味をなくすと思いますよ」
「今日は、いろいろとお話してくださるんですね」
「まあ、たまには」
美汐はようやく冷めてきたコーヒーを飲む。
「姉は、愛する人に捨てられて、命を絶ったんです。私はその男性を許すつもりはないんですよ。女としては軽蔑していますが、姉としては愛していましたから」