地上から見る空は暗くとも、雲の上から見る空は青くまぶしい。もっともその場合、地上を見ることは雲によってさえぎられることになる。
 このような重大なモノを運ぶには、むしろこうして雲がかっている日の方が都合よい。何事にも、万一ということがある。
 巨大な人型を吊り下げた戦闘機。
 その中から、一つの無線が発せられる。それはごくありふれた内容のもので、この後何事もなければ、記録する必要もないと思われるものであった。
『エクタ六四よりネオパン四〇〇。前方航路上に積乱雲を確認』
 米国ネルフ第一支部より日本へ向けて出発した、カノン参号機の輸送機であった。
『ネオパン四〇〇確認。積乱雲の気圧状態は問題なし。航路変更せず、到着時刻を遵守せよ』
『エクタ六四了解』
 よく繰り返される内容。別段変化に富むものではない。エクタ六四と呼ばれた全翼機は指示どおり、その積乱雲の中へと突入していく。
 かすかに、漆黒のボディが揺れた。










 第拾八話

 戦闘、狂気、死












 UN、NERVと書かれたトレーラーが北へと動く。
 運転をしているのはネルフ職員。そして乗っているのは、ネルフの中でもかなりの要職に就いている二人であった。
 一人は秋子。もう一人は美汐。
 美汐は移動中であっても世話しなく携帯用のボードに入力を続けている。一方で秋子はぼんやりと外を眺めていた。
「浮かない様子ですね」
「そう見えますか?」
「秋子さんはいつも泰然としてますから、変化があればすぐに分かります。滅多にないことですけどね」
 秋子が心配していることは例の四号機の消滅事件であった。
 四号機が消滅、その直後参号機が日本へとやって来る。
 確かに正式な手続きを踏んではいるし、アメリカの思惑も理解できないわけではない。
 だが、それでも何か都合がよすぎはしないだろうか。
「パイロットはどうするのですか?」
「明日呼びます。祐一さんたちにはきちんと言ったんですね?」
「ええ。見た目はあまり動揺しているようではありませんでしたが」
「祐一さんが動揺していると思っているのですか」
「難しいところですね」
 秋子は苦笑しながら答える。
 正直、秋子にも美汐にも未だに祐一の正体というか、その奥に潜む実態をつかみきれていないところがあった。
 人間らしい感情を半分以上捨ててしまっている祐一。
 その彼が、今回の人事で動揺しないとしても、したとしても、どちらも不思議はない。
 ただもし動揺しているのだとしたら、それは今後に影響するかもしれない。
「まあ、何ごとも終わってみないと分かりませんから」
「そうですね」
 だが、二人はもう少し考えてみるべきだったのかもしれない。
 何が起きようとしているのか、ということを。





「香里」
 休み時間、祐一は香里の席に近づく。
 名雪は今日は登校していた。だが今度は北川とあゆが欠席していた。
 明日の準備があるから今日は学校を休むということだった。あゆについては、よく分からない。ときどき不定期に休むので、理由をいちいち詮索することはなかった。
「何かしら」
「今日、暇か?」
「あら、デートのお誘い?」
「そんなところだ」
「名雪に言いつけるわよ」
「……お前、昨日からいやに意味ありげに言うな」
 祐一は頭を押さえた。
「名雪は?」
「いや──できれば二人だけの方がいい」
「分かったわ。今日は週番の北川くんが休みだから、私がかわりにやらなきゃならないのよ。それが終わってからでいいなら付き合うわよ」
「助かるぜ」
「ふうん、そう」
 言って、香里はにっこり笑う。
「……どういう意味だ?」
「言葉通りよ」
 こいつにはやっぱり勝てないかもしれない。祐一はそんなことを思っていた。





「北川くん」
 同じ頃、街の中。
 公園のベンチに腰掛けていた北川に声をかけた少女がいた。
「……どうしたんだ、こんなところで」
「ボク、学校は休みたいときに休んでるから」
「なるほどな。だからときどき無断欠席があるわけか」
 あゆであった。
 北川は、そういえば今まであゆとはきちんと話したことがなかったと、このとき初めて気づいていた。
 いつも祐一の傍にいたような気がした。
 それなのに、自分から話し掛けたことも、あゆから話し掛けられたこともなかったような気がした。
「ねえねえ、鯛焼き、食べる?」
 気がつけば少女の手には紙袋が握られていた。その中には少女の好物である鯛焼きがいっぱい入っている。
「いいのか?」
「うん。おすそわけ」
「それじゃ、遠慮なく」
 北川はあゆから手渡してもらった鯛焼きを、一口食べる。
「うまいな」
「そうでしょ。ボクのお勧めのお店だもん」
 はぐはぐ、とあゆも温かい鯛焼きを頬張る。
 その姿を見て、北川は胸の奥からある感情が怒涛のようにこみ上げてきていた。
 幸せそうな少女の笑顔を見ていると、その気持ちはさらに強まっていった。
 それは、罪悪感、だった。
「綾波」
 北川は、思わず口にしていた。少女は「うぐ?」と目線で答える。
「悪かったな」
 ついで、ぽかんと口を開いて危うく鯛焼きを落としてしまいそうになる。
「どうしたの、突然」
「俺、お前のこと今まで敬遠してたんだ」
「けいえん?」
「ああ。呪いだなんだって言って、俺にはどうでもいいことだって思ってた。クラスや他の連中からもハブにされてることは知ってたけど、別に俺には関係ないやって思ってた。今は……本当に悪かったと思ってる。結局、関係ないって思ってること自体、ハブしてる連中と同じことを俺もしてたんだよな」
「……」
「俺もお前も祐一の傍にいたのに、声すらかけなかった。お前が来ると、俺は──都合よく逃げてた気がする。本当に悪かった。謝る。この通りだ」
「ちょ、困るよ」
「お前はいつも、みんなを助けようとしてくれてただけなのにな。恩を仇で返すようなことをして、本当に悪かったと思ってる」
「ボクは気にしてないよ」
「それでもさ。もう知ってるんだろ、俺がカノンに乗るって。祐一も知ってたもんな」
 あゆは少し元気をなくしたように「うん」と頷く。
「俺、カノンに自分が乗るって決まったとき、すごい不安に襲われたんだ。もう死ぬんじゃないかって。そうしたら、今まで言えなかったこと、言いたかったことが何でも言えるようになった気がする」
「なんでも?」
「ああ──いや」
 北川は苦笑した。
「一つだけ、どうしても言えないことがあったけどな。だから今こうして逃げ回ってる」
「逃げる?」
 はっ、とあゆは後ろを振り返る。そして、いきなり北川の手を取った。
「逃げるよっ!」
「はあ?」
「いいから、早くっ!」
「お、おい綾波」
 北川はあゆに手を引かれるままに走り出した。
「いったい何なんだよ」
「追われてるんだよ」
「誰に」
「鯛焼き屋さん」
「どうして」
「ボクがお金払わなかったからだよ」
 北川は一瞬無言になった。
「それって食い逃げじゃねーかっ!」
「だから逃げてるんだよっ!」
「なんで金払わないんだっ。ネルフから給料もらってるんだろ!」
「今日は財布を忘れたんだよっ! 北川くんも鯛焼き食べたんだから共犯だよっ!」
「なにぃっ!?」
 北川はわが身の不運を呪った。
「お前に謝ったのは取り消す! 前言撤回!」
「うぐぅ、どうしてだよ〜」
「どうしてもこうしてもあるかっ!」
 こうして二人は仲良く逃げ回ることになった。





「それで、いったい何の話?」
 いつもの喫茶店に入ると、香里はケーキセットを、祐一はいつものようにコーヒーを頼んだ。
「ああ。北川のことでな」
「北川くん?」
「単刀直入に言う。実はあいつがフォースチルドレンに選抜された」
 祐一が言うと、香里はフォークを手にとり、一切れケーキを頬張る。よく租借し、お茶を含む。ふう、と一息ついた。
「ほんと、直球ね」
「他に言い方がない」
「どうしてそうなったとか、いろいろ言うことはあるでしょ」
「俺だって理由は知らねえよ。二日前に突然決まったんだ」
「ふうん。祐一くんが昨日変だったのはそれか」
「ああ。黙ってて悪かったな」
「名雪が休んだのもそのせい?」
「ああ。顔を合わせるのが辛かったらしい」
「危険なの?」
「今のところはそうじゃない。しばらくはテスト三昧だろうし、実戦に配備されるかどうかはそのテストの結果次第だ。例えば今日明日使徒が現れても北川が投入される見込みはゼロに近い」
「それなのに、名雪は顔を合わせたくなかったっていうの?」
「結果として危険には違いないからな。それに北川の場合は別の事情もある」
「別の──ああ、妹の」
「ああ。妹をきちんと見てくれるならパイロットになると条件を出したらしい。ネルフもそれを見越してたんだろうな。やり方がえげつない連中だ」
「いいの? 上層部を批判しても」
「俺がいなきゃ誰がカノンを操縦するんだ? それに誰も聞いてやしないさ」
「それはそうだけど」
 香里の声には若干諦めに近い意図が込められていた。
「それで、どうして私にそれを?」
「あれ、説明の必要があったのか、それは」
「ま、たしかに北川くんとは友達だけど、別にそれ以上っていうわけじゃないわよ」
「へえ」
「……本当よ」
 少し、香里の表情に陰りが生まれる。
 からかい気味だった祐一がそれを見て、まずかったかと少し反省する。
「北川くんが私のことをどう思っているかは分かっているつもり。でも、私は同じ気持ちにはなれないのよ」
「哀れだな、北川」
「大切な友達には違いないわ。中学校のころから、ずっとね。北川くんは私に必要以上にせまらなかった。だから友達の関係を続けてくることができたわ。これからもそれは変えないつもり」
「北川も少なくともカノンのことは、大切な友達として自分の口から伝えたかったみたいだぜ」
「じゃあ、どうして」
「多分、その先も言いたくなるから、じゃないのか」
 香里が沈黙する。
 微妙な関係だな、と祐一は思った。おそらく香里は北川に好意をもっているのだろう。だがそれは決して恋愛感情に発展するようなものではない。
 このままの友達という関係。香里が北川に求めているのはそれだ。
 だが北川は異なる。それ以上を欲している。だが香里はそれを求めていない。だから香里に合わせている。
(辛いだろうな、あいつ)
 報われないと分かっているだけに──いや、いつかは報われるのかもしれないと信じているのだろう。
「もう一度聞くけど、危険はないの?」
「お前だって俺の戦い見てるだろ。危険だよ。命だっていつ落とすか分からない。でも今はまだ大丈夫だ。実戦に投入されるには時間がある。あゆだって七ヶ月、名雪だって三ヶ月かかってるんだから」
「祐一くんは?」
 痛いところをつかれた、と祐一は一瞬口ごもる。
「俺の場合はあらかじめカノンがいつでも出撃できる状態にあったのと、俺以外にパイロットがいなかったという理由から、ネルフ到着初日に出撃したけどな。今はもうありえない。パイロットは三人揃っているし、何より北川のカノンは新しくできたばっかりの奴だから、何度もテストを繰り返さないことにはそもそも実戦に出せない」
「人は嘘をつくときほど多弁になるって知ってる?」
 祐一は苦笑した。
 自分でも、もしかしたら北川がすぐにも危険な目にあう可能性があることを否定したがっていることに気づいたのだ。
「パイロットが三人とも負傷しないかぎりは、北川の出番は当分ないさ」
「一応、信じておくわ」
「助かるぜ。それからこの話、できればオフレコでな。あまり広めるわけにもいかないから」
「分かってるわよ。あなたが転校してきてからそのことは凄く気をつけてるから安心して」
 祐一は足を組んで、コーヒーを含んだ。かちん、と音がしてカップが置かれる。
「……だが、何事も絶対という言葉はない。もしものときのことは覚悟しておいてくれ」
「そんなに、危険なことをするの?」
 祐一の頭をかすめたのは、四号機消滅の件であった。
 だがあれはS2機関に関係のあることだと聞いている。今回はただの起動実験、何もないはずだ。
「万が一、だ。気にしないで待っていればいい」
「そんなことを言われて気にならないと思う?」
「思わないな。それなら祈っててくれ」
「祈る?」
「ああ」
「祐一くんって、キリスト教だったの?」
「まさか。神が人を助けてくれることがあるかよ。それは祈る相手が間違ってる」
「じゃあ誰に祈ればいいのよ」
「俺だ」
 あっけらかんと、祐一は答えた。
「俺が名雪やあゆと同じように、北川のことも守ってやるさ」
 香里もさすがに笑った。
「なるほどね。それは祈りがいがありそう」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりよ」





 表面的に、自分は落ち着いているかのようには振舞っていた。
 だが、祐一は自分の中に今までにないほどの焦燥を覚えていた。
 そう、焦燥、である。
 いったい何が祐一をそういう気持ちにさせているのかは分からない。だが、何かを見落としているような気がしていた。見えない不安に押しつぶされそうであった。
(参号機)
 参号機が来ることになった。その理由は、アメリカの第二支部の消滅。
 何故消滅したのか、理由は分かっていない。
 四号機が消滅──そして参号機が日本へ届く。
(参号機も消滅……? まさか、な)
 現在参号機にはS2機関は搭載されていない。消滅する理由はない、はずだ。
「よっ。こんなところで何やってるんだ?」
 男の声がして、振り向く。
「柳也さんか。気配もなしに後ろに立たないでくれ。声かけられた瞬間に攻撃しそうになった」
「その、倒れてる男たちみたいにかい?」
 夜の公園。
 そして、祐一の周りには四人のうずくまる男たち。
 祐一は焦燥をこらえきれず、夜の街で獲物を求めて彷徨っていたのだ。
「見てたんですか?」
「まあ、一応は一部始終ね。まったく、怪我したらどうするつもりなんだ」
「怪我なんかしませんよ。チンピラ相手にはね。あなたなら別でしょうけど」
「自分を知るというのは、大切なことだ」
 柳也は手にもっていた缶ジュースを放る。祐一はそれを左手で受け取った。
「いただきます」
「どうぞ」
 男たちの呻き声が聞こえる中で、祐一は平気でジュースを飲む。
「ちょうどよかった。聞きたいことがあったんですよ」
「何の話かはわからないが、とりあえず場所を変えようか。他人に聞かれて嬉しい話というわけじゃなさそうだしな」
「そうですね」
 二人は公園を後にして、夜の街へと繰り出す。
 柳也は煙草に火をつけた。流れる風に、紫煙が揺らめいて消えていく。
「そういえば祐一くんは煙草は吸わないんだな」
「ええ、金がかかるから」
「意外と現実的なんだな」
「未成年に煙草を勧めないでくださいよ」
「ま、確かにそうだ」
 携帯用の灰皿にすい終わった煙草を捨てると、柳也は本題に入った。
「それで?」
「聞きたいんですよ。佐祐理さんのこと」
「佐祐理? これは驚いた、てっきり秋子さんか往人司令の話かと思ったよ」
 祐一は微笑を浮かべた。
「答えてもらえるんですか? まあ、舞に話を聞いた方が無難なような気がしていたんですけどね」
「あの娘は何も喋らないよ。興味があるならむしろ例の孤児院を調べてみる方がいい。まだなくなったわけじゃない」
「なくなって、いない?」
「ああ。院長が行方不明になって、別の場所で孤児院を開くことになった。そして今、その孤児院では一人の子供を育てている」
「一人、だけ?」
「ああ。あの孤児院でやっていたことは、人工的にチルドレンを作り出すことだったからな」
 祐一は目を大きく見開いた。次の瞬間、驚愕を表面に出してしまったことに苛立ちを覚えた。
「じゃあ、みちるというのは」
「そう、ファーストチルドレンになるために集められた子供だったんだよ、みちるは」
「舞が連れてきた、と言っていたな」
「そうらしいな」
 では舞も一枚かんでいるということなのか? と祐一の頭を一瞬よぎる。
「チルドレンだから殺したのか? いや、違うな。あんたはそんなことで人殺しをするような人じゃない。むしろ真実を知るために子供を生かしておくようなタイプだ」
「本性が出てきたな、祐一くん」
 柳也は苦笑する。
「孤児院のバックにはゼーレという組織がついていた。いや、ついている、というべきだな。まだ孤児院はなくなったわけじゃない」
「ゼーレ?」
 確かイタリア語で、魂、とかいう意味だったか。
「現在ネルフを影で操っている組織だよ」
「なるほど。あんたはそのとき、日本の諜報部員だったんだよな」
「よくご存知で」
「ゼーレに潜入捜査する足がかりに孤児院を選んだ、ってことか」
「ご名答」
「だがみちるを殺したのはあんたじゃない」
 柳也は肩をすくめた。
「佐祐理さんの話を聞いていて、どうしても解決できない矛盾があったんだ」
「なんだい?」
「佐祐理さんはあんたがみちるを殺した場面を見ていない。それなのにそう信じ込んでいる。それは舞がそうやって言い聞かせたからだと聞いた。だが、それはおかしい」
「何故だい?」
「舞は佐祐理さんほどあんたを憎んでいない──いや、そもそもあんたに敵対する意識がまるでない」
「なるほど」
「そこから考えられる結果はただ一つ。舞は佐祐理さんを助けるためにそう言わざるをえなかった。だがあの舞にそんな機転がきくとは考え難い」
「つまり?」
「あんたが、そう言えと舞に言ったんだ。そうすれば佐祐理さんを救うことができる、と」
「驚いたな。一人でそこまで推測していたのか」
「孤児院に潜入していたというのは、その孤児院の先生か何かをしていたということだろう。だから佐祐理さんのことも舞のことも、そしてみちるのこともあんたにはよく見えていたはずだ」
「ごもっとも」
「だが、その先が分からない」
「その先、というと?」
「みちるがいなくなった。これは事実だ。だがそれは『死んだ』ということを意味するのか? それとも死んだことにしておいて、誘拐されたとかゼーレとやらの本部に連れていかれたとか、そういうことじゃないのか?」
「みちるは死んだよ。俺が看取ったんだ」
 柳也はようやく返答した。
「人工的にチルドレンを作り出す最終段階として、ある薬品をみちるの体内に埋め込むことになった」
「ある薬品?」
「最初の使徒、アダムの体液をベースにしたものだ」
 最初の、使徒。
 その事実にまたしても祐一は揺らめく。
「だがその瞬間に著しい拒否反応が出た。発狂死。俺の目の前で彼女は亡くなったんだよ。ある意味では俺が殺したも同じだ。真実を知るために、何の力もない少女を見殺しにした」
「まさか、孤児院で行われていた間引きというのは……」
「そう。全てアダムの体液を注入させられて発狂死した子供たちだ。全部で五〇人はいたはずだ。俺が調べたかぎりでもね」
「そこまでして、チルドレンが必要だったのか?」
「当時既にカノンゲリオン計画は七〇%まで達成。十年がかりでな。それは順調にきていたんだがチルドレンは十年かかっても一人も見つからない。作ることもできない。カノンゲリオンができたとしてもパイロットがいないんじゃ、無用の長物だ」
「だが、その孤児院は解体されたと聞いたぞ」
「そう。二人の成功例が出たからだ」
「二人?」
「そうとも。一人は君がよく知っている人物、綾波あゆ」
「あゆが!?」
 とうとう祐一は叫んでいた。
「だが、同じ孤児院にいたなんて話は誰からも聞いてない」
「綾波あゆは孤児院にいたわけじゃない。だが、アダムの体液を注入されて無事でいられた最初の人間であることだけは確認されている」
「ゼーレとかいう組織がしでかしたことか?」
「かもしれないな。綾波あゆっていう人物は、とにかくトップシークレットでね。情報を集めようにもなかなか集まらないんだ」
「じゃあ、もう一人っていうのは? そいつが新しい孤児院にいるっていうのか?」
「そうだ。孤児院という言葉が適当かどうかはわからないけどな。今はゼーレのお膝元にいるはずだよ」
 祐一は大きく息をついた。
 なんということだろう。
 まさかあの佐祐理という何の罪も穢れもない少女の裏側で、それほどの陰謀が渦巻いていたとは。
「一つ、聞きたい」
「どうぞ」
「何故佐祐理さんは被験者にならなかったんだ?」
「決まってるだろ。舞の一番の友人だったからだ」
 何かがひっかかる。
「舞は、何者だ?」
「彼女は普通の少女だよ。ただ、父親である孤児院の院長がゼーレの一員であるということを除けばね」
 舞の父親が、ネルフを影で操る組織ゼーレの一員。
「あんたの情報網は異常だ」
「ありがとさん」
「最後にもう一つ。どうして俺に教えた?」
「真実を知りたがっている少年に、真実に近づいてほしかったからさ」
「誤魔化すな。あんたは自分の利益にならないことは決してしない人間だ」
「ひどい言われようだな。だが、正解ではある」
「ならやはり、俺に教えておくことであんたにとって利益があると判断したんだな?」
「まあ、そんなところかな。それに今話したことは別にそんなたいしたことじゃない。秋子さんも知っていることだし、調べる気になれば君一人でも充分にたどりつけただろう。俺でもたどりつけたんだからな」
「俺はスパイじゃない」
「だが、カノンのパイロットだ」
 柳也は二本目の煙草を口にくわえた。
「そして、所詮は佐祐理のことは他人の真実にすぎない。君は、君自身の真実を見つけ出さなければならないだろう」
「どういう意味だ?」
「これ以上は言えないな。サービスデイはおしまいだ。日も変わった」
 腕時計を見ると、ちょうど針が一二の位置で揃っている。
「結局、自分は自分に頼るしかないってことか」
「お互いにな」
「あんたは貴重な情報源だ。またなんかあったらよろしく頼むよ」
「ああ。君のおかげで世界はかろうじて平和を保っていられる。少しは君の手伝いをして、還元しないとな」
 だが、決して最重要機密には手をつけさせないつもりだろう。
 それでいい。
 何でもべらべらと話す男は信用することができない。
 今日柳也が話したことは、柳也にとってはどうでもいいこと、既に過去になってしまったこと、暴露しても何も困らないこと、そして祐一が佐祐理を傷つけるような真似はしないだろうこと、それらを全て考慮にいれて、祐一に教えてもかまわないと判断したものだけなのだろう。
 切れる男だ。
 油断のならない男だ。
 だが、その方が──信頼できる。





 松代で爆破事故が起こったという連絡は、翌日入った。










NEON GENESIS KANONGELION

EPISODE:18   AMBIVALENCE










「爆発地点に未確認移動物体確認。パターン・オレンジ。使徒とは確認できません」
 第一発令所内に佐祐理の声が響く。だが、緊急事態に対処できる直属の上司である美汐も、そして作戦部長である秋子もここにはいない。
 二人とも、事故現場である松代にいるのだから。
「総員、第一種戦闘配置」
 従って、直接指揮をとるのはこの男、碇往人ということになる。
 そして石橋副司令がその補佐に回り、三人のオペレーターズがいつもどおり全ての報告業務を行う。
『総員、第一種戦闘配置!』
『地、対地戦用意!』
『カノン、全機発進! 迎撃地点、緊急配置!』
 つぎつぎと指示が飛び交う。そしてそれに従い、カノンもまた出動していく。
(使徒、だろうな)
 未確認移動物体がたとえパターン・オレンジであったとしても、それは間違いなく使徒。前回も最初はそうだった。
「松代か……」
『祐一』
「名雪、どうした」
 カノン内部の表示画面に名雪とあゆの顔が映る。
『お母さん、大丈夫かな』
「きっとな。運も実力も異常にある人だから、大丈夫だろう。それより問題は、北川だろうな」
『北川くん』
「参号機の起動実験中に事故ったらしい。よほどのことがないかぎりカノンの中にいれば大丈夫だとは思うが……」
『目標! 主モニターに表示!』
 佐祐理からの指示が届き、パイロットたちはそちらに目を向ける。
「なっ!」
『これ!』
『……うぐぅ』
 山の向こうから現れた影は、カノン参号機。黒のボディが前傾姿勢をとって、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
「使徒に、取り込まれた、か?」
『祐一』
「こいつはまいったな。佐祐理さん、北川の奴、どうなってます?」
『待ってください』
 すぐに反応したのは舞の方だった。
『パイロットの呼吸、心音は共に確認。だが、プラグ射出も活動停止信号も受け付けない』
「てことは」
 モニターに移る禍禍しい機体を見つめて呟く。
「実力で救出するしかないってわけか」
『その必要はない』
 割り込んで入ってきた声は往人のものであった。
『現時点をもってカノン参号機を破棄。目標を第壱参使徒カノエルと識別する』
 カノン+エルで、カノエル、か。
「ひねりも何もない名前だな、往人」
『軽口は必要ない。祐一、目標を殲滅しろ』
「お断りだ」
 強制的にこちらから往人との音声を切る。
「名雪、あゆ。北川を救出するぞ」
『で、でも』
「デモもストもない。やるぞ」
『どうするの?』
「とにかく押さえる。北川はプラグにいるはずだから、それを物理的に除去する。それから参号機を消滅させる」
『そ──』
 あゆの声が途切れる。
「パイロットはおそらく意識を失っているものと推測される。それしか救出の手段はない」
『で、でも、もし意識が残っていたら?』
 つまり、祐一がやろうとしていることはカノン内部にエントリーされているプラグを実力で引き抜くということだ。
 それは人間の心臓を麻酔もなしに取り出す作業と何らかわりない。
 意識が残っていれば、間違いなく激痛でショック死する。
「そのときはアウトだな。気絶していることを信じろ」
『できないよ〜』
「分かった。その作業は俺がやるから、とにかく今は布陣だ。零号機、弐号機はそれぞれ目標の左右後方にて待機。合図と同時に攻撃開始。俺が一気に距離をつめて、目標を押さえつけた後にパイロットを救出する。とにかく、やるぞ。そうしなければ間違いなく北川は死ぬ」
 祐一の言葉に、なんとか二人とも頷いた。
『分かったよ』
『大丈夫だよね、祐一くん』
「俺を信じろ。とにかく、この場で目標を押さえる。急げ!」
 号令と同時に、カノンが動き出す。それをじっと見ていたのは発令所の一同であった。
「いいのか、碇」
 石橋が声をかけてくる。
「かまわん。使徒が殲滅できるならそれでいい。できないのであれば、こちらも手を打つだけのことだ」
「まさか碇、アレを……」
「準備はできている。美汐がいなくて助かったってところだな。さて……」
 総司令と副司令が話している間にも、カノンは布陣を終えている。建物、そして山に隠れた零号機と弐号機。そして正面には初号機。
(ちっ、作戦部長がいないってのも、不安なもんだぜ)
 意外と、自分も秋子から命令されて動いていた方が楽だということに気づいていた。やはり作戦部長としての信頼を自分が置いていたということだ。
(自分が一気に間合いを詰められる距離……)
 号令をかける人間に、今までどれだけ頼っていたことだろう。だが今は、全てを自分が判断しなければならない。
(迷うな)
 あと、十歩。
(その距離なら、仕留められる)
 わずかに、膝を曲げて『ため』を作る。
 その瞬間、カノエルが跳ねた。
「なにっ」
 カノエルは弐号機へと飛び掛っていた。そこにいることに気づいていたのだ。
「名雪っ、逃げろっ!」
『キャアアアアアアッ!』
 だが、遅かった。飛び蹴り、右、左の殴打。三発で、完全に弐号機はダウンした。
『弐号機、中破!』
『パイロットは脱出!』
 懸命な判断だ、と祐一は胸をなでおろす。そのままカノンに乗りつづけていたら、こなごなに破壊されていたかもしれない。
「あゆ、気をつけろ。強いぞ。とにかく距離を保て」

「りょ、了解」
 あゆはパレットガンをカノエルに向ける。
(……北川くん)

『悪かったな』

 彼と最後に話をしたのは昨日。まだ二四時間もたっていない。
(ごめんなさい)
 あゆがパレットガンのトリガーに力をこめようとした、瞬間。
『避けろ、あゆ!』
 え──と思う間もなく、衝撃が左腕にきた。
「アアアアアアアアアッ!」
 激痛などという生易しいものではない。おぞましい何かに左腕が汚染され、神経が通ったまま腐っていくかのようであった。
『左腕部、切断』
 あゆの耳に、往人のその言葉が聞こえていたのかどうか。
『ですが、神経接続を解除してからでないと──』
『切断だ』
『……はい』
 直後、爆発音。
「ヒャウッ!」
 左腕が、肩から引き抜かれる。
 激痛で全身の力が萎え、がくがくと体が震える。
 それでも、まだあゆは意識をかろうじて残していた。
「……ゆ、いち……くん」

『零号機中破、パイロット負傷』
 佐祐理の声が祐一の耳にも届く。
(反撃の余地もなく、二機がやられたか。今回の使徒は随分と強いぜ)
 喧嘩ならやりがいのある相手だっただろう。だが、たとえ実力が五分でもこちらは人質をとられている状態に等しい。
(手間かけさせやがって、北川)
 香里との会話が思い出される。

『……だが、何事も絶対という言葉はない。もしものときのことは覚悟しておいてくれ』

「覚悟ができてなかったのは、俺の方だったのかもな」
 まさか、カノンに使徒が侵入して北川と戦うことになろうとは予測の範囲を超えていた。
 いや、予測は可能だったのかもしれない。ずっと嫌な予感がつきまとっていた。それが分からずにこの事態を招いた。自分がもう少し、悟っていれば。
 だが、やるしかない。
 北川を助けることができるのはもう、自分しかいない。
「ちょっと我慢しろよ、北川」
 パレットガンをカノエルに向かって構える。
 瞬間、
「同じ手を三度も食うかよ!」
 跳躍してきたカノエルの飛び蹴りを回避する。パレットガンを捨て、プログナイフを引き抜く。
「行くぜ!」
 ナイフをかまえて、一気に距離を詰める。カノエルの右手が伸びて攻撃をしてくるが、それをナイフでしっかりと受け止める。
「ちっ、いい位置に攻撃してくるぜ」
 エントリープラグは後頭部、延髄のあたりにある。
 それを引き抜くのはさすがに祐一でも躊躇いはあるが、どうやらそれどころではないようだ。
「後ろになんか回らせてもらえないだろうな、これは」
 カノエルの左腕が伸びて初号機の喉を狙ってくる。だが、祐一は離れて距離を置いた。
「強いな。今までのどの敵より強い」
 スペックは初号機も参号機もほとんどかわらないはず。今までの敵はカノンより劣っていたのかもしれないが、今度の敵は実力的には間違いなく五分。
 躊躇いがある分、祐一が不利だ。
(武器を手にしている暇はないな)
 だいたい、パレットガンでは威嚇にもならないだろう。やはり肉弾戦しかないということか。
「行くぜ」
 今度は、初号機がすり足のようにじりじりとカノエルに近づいていく。
 カノエルも初号機が前の二機とは異なると判断したのか、慎重に間合いを探っているようであった。
(今までの敵より知恵もあるってことか。やっかいだな)
 打開策は、なかった。
 単純に倒すだけなら、力技でどうにかなるだろう。だが──
「くる」
 カノエルが、突進してきた。
「A.T.フィールド展開」
 それを、A.T.フィールドで受け止める。両手をふさがれるわけにはいかない。まずは北川の救助が先だ。
(可能性がないわけじゃない)
 だが、それが通用する相手かどうかはわからない。
(ままよ)
 祐一は展開しているA.T.フィールドをさらに広げた。
「A.T.フィールド、全開!」
 壁状ではなく、カノエルを包み込むように。
 A.T.フィールドは球状に変形しつつあった。

「なに、これは!?」
 発令所でも、驚愕の声を上げている。
「驚いたな碇。こんな真似ができるとは」
「ああ。現在のシンクロ率はどうなっている」
「は、はい。シンクロ率──うそっ!」
 真琴の声もまた驚愕を隠せずにいた。
「シンクロ率、九四.六%!」
「九〇だと!?」
 石橋も声を上げる。だが、往人の表情に変化はない。
「馬鹿め。それだけの力を持っていながら、まだ使い方を分かっていないとはな」
 往人は毒づいた。

「くそっ、A.T.フィールドが展開しきれない」
 ちょうど、半球状になったところで、完全に初号機が展開しているA.T.フィールドは動きを止めていた。
 今の祐一の限界がこのあたりなのか。それともカノエルのA.T.フィールドが展開を妨害しているのか。おそらくは両方ともが重なった結果なのだろう。
(このまま、背後に回りこめるか?)
 おそらくは、不可能。A.T.フィールドで相手の身動きを封じることができればそれも可能だっただろうが、今のままではカノエルはまだ自由に動くことができる。
「くうっ」
 カノエルの腕が、伸びた。A.T.フィールドをたやすく突き破り、今度こそ初号機の喉に手をかけた。
「しまっ! がっ!」
 祐一の首に、指の痣ができる。ぐぐ、と喉に圧力がかかった。
 死ぬ。
 直感的に分かった。

「パイロットの脳波、乱れています!」
「いかん、シンクロ率の高さがかえって仇になっている。シンクロ率を六〇%までダウンしろ」
「待て」
 石橋の命令を、往人が遮った。
「祐一」
 マイクに向かって話し掛ける。
『……んだよっ』
「何故戦わない。お前の力なら使徒は倒せるはずだ」
『ぅるせえっ! ここは俺の戦場だっ! 黙って、見て、やがれっ……』
「お前が死ぬぞ」
『死ぬかよ……っ!』
 だが、初号機には既に戦う力は残っていないようであった。モニターに表示される祐一の顔が、明らかに青ざめている。
「初号機のシンクロを全面カットしろ」
「全面、ですか?」
「そうだ。回路をダミーシステムに切り替えろ。急げ」
 佐祐理が明らかに拒否反応を示した。
「ダミーシステムは問題が多く、美汐さんの了解もないままでは──」
「早くしろ。祐一が死ぬぞ」
 だが、その声に佐祐理は負けた。そして「了解」と答え、回路を切り替える。
「回路をダミーシステムに切り替えます」

 がくん、と喉にかかる負担がなくなった。がはっ、と大きく咳き込む。
(何だ?)
 祐一は苦しみながらもすぐに状況を判断しようと周りを見る。非常灯にきりかわって、プラグ内部が赤く染まっている。
 このあたりは生き残るために必要な術を手に入れている戦士に他ならなかった。
 だが、彼は既に戦場にはいなかった。
 ディスプレイに『OPERATION DUMMY SYSTEM AYU』の字が流れる。そして、座席後部にあるディスクが高速回転を始めた。
「……何をした?」
 目の前には、使徒の姿。
 だが、その攻撃がまさに映像としか自分の目には映らなかった。
「何をした、往人!」

「信号、受信を確認」
「官制システム切り替え完了」
「全神経、ダミーシステムへ直結完了」
「感情素子の三二.八%が不鮮明。モニターできません」
 だが、その程度なら問題はない。
 往人は頷いて命令を下した。
「システム解放。攻撃開始」

 初号機の目が、光った。

 祐一の意思とは無関係に、初号機の両腕が動いて使徒の両腕をつかむ。
 ぼぎっ、と音が聞こえた気がした。
 そして、初号機がさらにカノエルの喉を逆に捕らえる。そして宙に吊り上げた。カノエルが両腕、両足をばたつかせる。だが、地につかないでただひたすら喘ぐ。
 一分もしないで、カノエルの力は尽きた。完全に活動を停止していた。

「これが、ダミーシステムの力」
 佐祐理がうめくように言う。
「システム正常、さらにゲイン上がります」
 舞が続けて言った。

 初号機はカノエルを二度、大きく空中で回転させると山の方に向かって大きく放り投げた。
 自らも跳躍し、空中でカノエルの頭部を殴りつける。
 勢いよく、カノエルは大地に落ちた。
 初号機はその上に馬乗りになる。そして、両手でカノエルの顔をつかんだ。
 ぎちぎちっ、という音が聞こえるやいなや、カノエルの頭部があっというまに握りつぶされ、大量の血液が飛散する。
 大地に、ビルに、木々に、大量の血液が降り注ぐ。
 流れ出る血液が、無人のトラックを押し流していく。
 さらに初号機は攻撃を続ける。既に対抗する力を失ったカノエルに対し、両腕で何度も何度も攻撃し、胸部装甲版の隙間に手をかけ、べりべり、と音をたてて引き剥がす。

「オオオオオオオオオオオオ」

 初号機から、咆哮があふれた。



『てめえ往人! 勝手に何しやがる!』
 祐一の怒号が第一発令所に響く。だが、それに答える者はない。
『やめろ! 往人! お前に俺の戦いを邪魔させねえっ!』
 インダクションレバーを何度も何度も上下させるが、既に回路を切り替えられている以上、カノンが命令をきくはずもない。
 鮮血が、信号機からだらだらと流れ落ちている。
 夕焼けよりも赤く、大地が血で染まっている。
 流れる川の色が、真紅に染まっている。
『とまれ! とまりやがれ、このポンコツ!』
 戦いを。
 自分の神聖な戦いを。
 冒涜することは、絶対に許さない。
『とまれえええええええええっ!』
 だが、初号機はとうとうそれ──エントリープラグを引きずりだして、力強く握り締めた。
『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
 目の前で、無惨にプラグが潰される。

『きたがわあああああああっ!』

 時間が、止まった。
 祐一の最後の絶叫と共に、第一発令所の全員が言葉を失い、ただ、握りつぶされたエントリープラグの残骸だけを見ていた。
 目の前で行われた惨劇に、祐一は言葉の全てを失い、ただ体を震わせた。
 そして、全ての破壊活動を終えた初号機もまた、完全に活動を停止していた。

「か、カノン参号機……いえ、目標は完全に沈黙しました」

 舞の言葉が、むなしく発令所に響いた。










「こっちにも生存者がいたぞ。救出急げ!」
 その声に、ゆっくりと目を開ける。
 頭が重い。
 体が痛い。
 いったい、何があったというのだろう。
「大丈夫ですか、秋子さん」
 聞きなれた声がする。
「柳也さん」
「無事でなによりです」
 柳也の言葉を聞きながら、秋子は自分に何が起こったのかを思い返していく。
「……ああ、美汐ちゃんは」
「無事ですよ、まだ眠ってますが。運がよかった。地下の実験場は全滅。地上にもかなり被害がありましたから」
「……参号機は」
「使徒として、処理されました」
「……では、パイロットは」
 柳也の顔がくもった。
「パイロットは……」










 許さない。
 絶対に、何があっても、これを許すことはできない。
 奴は、戦士に最大の侮辱を行った。
 戦士から戦場を取り上げた。
 一方的に与えておいて、一方的に取り上げた。
 絶対に許さない。
 そのうえ。
 自分に。
 罪を犯させた。
(許さねえ……)

 友人を殺した、という罪を。

「許さねえ……往人、絶対に、殺してやる」









次回予告



 祐一はついに自らの意思でカノン初号機を降りる。
 誰も、彼の憤りと心の傷を癒す言葉を持たなかった。唯一、力なき少女を除いて。
 だが彼に関係なく侵攻する最強の使徒が、次の惨劇を生む。
 破壊され、オブジェと化すカノン弐号機と零号機。その様を直視する碇祐一の決断。

「……初号機、いったい何を食うんですか?」

 次回、戦士の戦い



第拾九話

もどる