新世紀カノンゲリオン劇場版
あのうみ どこまでも あおかった とおくまで
あのみち どこまでも つづいてた まっすぐに
あのかわ あそんでる ふたりきり どろだらけ
あのくも おっている とどいたら しあわせと
ひかり……
きらきらとかがやいて……
ふるえ……
ゆらめき……
みなもにうつす
ふたりぶんの、かげ
でも、いまは……
ひとりしかいなくて……
もう、しあわせにはなれない。
もう、だれもそばにはいない。
もう、にどとあうこともない。
「しおり……」
「祐一さん」
三〇四号室を、今日も佐祐理は訪れていた。
あの、最後の使徒との戦いのあと、名雪と同じように心を閉ざしてしまった祐一。
もはや誰の言葉を聞くことも、みずから発することもなく。
ただ虚ろな瞳で、天井を見つめている。
寝ているのか、それとも起きているのかすら分からない。
ただただ、祐一は動かずにそうしていた。
点滴によって随時栄養は送られているものの、やはりその体、顔からは少しずつ肉が落ちていっているのが分かる。
以前はあれほどたくましかったのに、今ではまるで病人のようだ。
いや、病人には違いない。
彼の心は、まさしく病んでいたのだから。
「今日は、いい天気ですよ。お散歩にでも行きませんか?」
佐祐理は祐一を車椅子に移そうとする。どれだけ痩せていたとしても、佐祐理のか弱い腕ではなかなかうまくいかない。
「祐一さん……」
『佐祐理さんが心配してくれているのは分かるんです。正直、助かってるんですよ』
『助かって──?』
『ええ。起動実験の時とか、いつも優しく笑ってくれてるのがすごく嬉しくて』
「もう、佐祐理の笑顔は必要ありませんか?」
使徒は全て倒した。
もう祐一がカノンにのることもない。
これで、自分と祐一の関係は全て終わってしまうのだろうか。
「佐祐理は……祐一さんと、まだたくさんいろんなこと、話したいです」
きこ、きこ。
ゆっくりと車椅子は動いていく。
あの戦いから、せめて三日に一度はこうして、佐祐理は祐一を外に連れ出していた。そのことはNERVの他の職員も知っている。
ときおり、通りかかる人が会釈をしていく。
「みんな、祐一さんを待っているんですよ……」
佐祐理の目から、涙が零れた。
「佐祐理も、祐一さんを待っているんですよ」
倒れたビルの群れ。
湖と化した、第三新東京市。
倒れかかっている電柱から、資材の一部が重力に負けて、湖面に落ちる。
音がして、波紋が広がる。
そしてまた、静寂が訪れる。
第弐拾伍話
kanon
「約束の時がきたよ〜」
SEELE:01のモノリスは往人に向かってそう言葉を放った。
「ロンギヌスの槍を失った今、リリスによる補完はできぬ」
「唯一、リリスの分身たる、カノン初号機による遂行を願うぞ」
モノリスたちの言葉に、中央に座っている往人は鼻で笑った。
「ゼーレのシナリオとは違いますが?」
脇に立っている柳也も頷いて続ける。
「人は、カノンを生み出す為にその存在があったのです」
「人は、新たな世界へと進むべきなのです。そのためのカノンシリーズです」
往人の言葉も、佳乃には届かない。
ここにいる者たち、全てが己の願いのために動いているのだから。
「我らはヒトの形を捨ててまで、カノンという名の方舟に乗ることはない」
「これは通過儀式なのだ。閉幕した人間が再生するための」
「滅びの宿命は新生の喜びでもある」
「神もヒトも全ての生命が『死』をもってやがて一つになるために」
モノリスたちの言葉は、往人にとってはどうでもいいことだった。
問題は、目の前にいる01のモノリス。
佳乃。
「死は、何も生みませんよ」
「死は、往人くんにあげるんだよ〜」
そして、モノリスたちは消えた。やれやれ、と柳也がぼやく。
「ヒトは生きていこうとするところにその存在がある。それが、ヒトを助けて空に還った、あいつの願いでもあるからな」
「そして、夢を見つづけているあいつの願いでもある」
往人は立ち上がった。
「本部施設の出入りが全面禁止?」
戻ってきた佐祐理を待っていたのは、NERV凍結案の一部であった。
「第一種警戒体制のままなのに?」
真琴が肉まんを食べながら言う。
「何故ですか? 最後の使徒はもう倒したのに……」
「全ての使徒は消えたはず」
舞も頷いて答える。
「もう平和になったはずなのにねー」
「では、ここはどうなるんですか? 今は美汐さんもいないのに……」
「多分、ネルフは組織解体される」
舞の推測は、真琴も佐祐理も予期しているものであった。
「じゃ、補完計画の発動まであたしたちで粘るしかないわね」
佐祐理と舞はしっかりと頷いた。
「それに、祐一さんや名雪さんを守らなければいけません」
三人の思いは、一致していた。
月明かりが、滅びた街に優しく舞い降りる。
ボクは、その中を一人、歩いている。
静かな夜。
sayonara
愛した、大切な人
君への想いだけはきっと残る
あゆの背に、翼が生まれた。
光輝く、六枚の熾色の翼。
翼人補完計画の一環として埋め込まれたもの。
できそこないの、人工の翼人。
自分にできることは、もう、何もない。
でも、命をかければ──大切な人たちを助けられるかもしれない。
(ボクは、そのために今までカノンに乗ってきた)
そして、これから。
誰よりも大切な人のために、全てをかけなければならない。
セカンドインパクトによって生じたこの世界から、本来あるべき姿に戻すために。
「……さよなら」
あゆの姿が、消えた。
できそこないの郡体としてすでに行きづまった人間を、完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画。まさに理想の世界。
だが、その補完計画は──全て、嘘、欺瞞にすぎない。
全ての計画は、極秘裏に行われていた。
全てのものを欺いて。
「……そう、それがセカンドインパクトの真実だったのですね」
一九九九年冬、そして二〇〇〇年夏。
二つの悲劇が、それぞれ補完を求めた。
「それは、往人さんの願い……そして」
EMERGENCY! EMERGENCY!
秋子は咄嗟に立ち上がり、壁に背を預けて懐の拳銃を握る。
(気づかれた?)
ハッキングは完全に成功していたはず。気づかれることはない──いや。
「違いますね」
秋子の目から、光が失われていく。
「始まりますね」
サイレント・ウィザード。
彼女の本性が、ようやく顔を出し始めていた。
『第六ネット、音信不通』
次々に情報網が閉ざされていくネルフ本部。現在、この場を取り仕切っているのは柳也副指令代理であった。
「左は青の非常通信に切り替えろ。衛星を開いてもかまわん──そうだ。右の状況は?」
『外部との全ネット、情報回線が一方的に遮断されています』
情報網だけが完全に閉ざされていく。つまり、本部施設のソフトを侵略しようとしていることになる。
「目的は、MAGIか……」
現在、MAGIを完全に操ることができる人物、美汐はいない。第一六使徒戦の後、完全に行方不明となっている。
無論、柳也には居場所がわかっているのだが。
「全ての外部端末からデータ侵入、MAGIへのハッキングを目指しています」
舞が冷静に状況を伝えた。
「やはりそうか。で、侵入者は松代のMAGI二号か?」
「いえ、少なくともMAGIタイプ、五。ドイツと中国、アメリカからの侵入が確認できます」
「ゼーレは総力をあげているな」
柳也はやれやれといった様子でぼやいた。
「彼我兵力差は一対五か。分が悪いな……やれやれ」
『第四防壁、突破されました』
「主、データベース、閉鎖。駄目です、侵攻をカットできません!」
真琴の悲鳴が上がる。
「予備回路も阻止不能です」
「まずいな、MAGIの占領は本部のそれと同義だからな」
柳也は背を向け、出口へと向かった。
「副指令?」
「五分で戻る。なんとか持ちこたえてくれ」
そして、柳也はこの状況を打破することのできる唯一の人物を呼びにいった。
赤木美汐博士を。
『総員、第二種警戒体制。繰り返す。総員、第二種警戒体制。火急的すみやかに所定の配置についてください』
「よう、美汐」
「分かっています。MAGIの自律防衛でしょう」
ようやく現れた男に向かって、美汐は完全に服装を整えた状態で出迎えた。
「ああ。このままじゃこの施設ごとドカン、だからな。お互い生き残るため、いや、せめて祐一くんを助けるためだけでも、協力してくれないか」
「かまいませんよ。しばらく自分を冷静に見つめて、自分がしなければいけないことが何かということは、完全に理解していますから」
美汐は何の表情もこもらない瞳で柳也を見返した。
「行きましょう」
『現在、第二種警戒体制が発令されています。Bフロアの非戦闘員はただちに退避してください』
「状況はどうなっていますか?」
秋子は携帯で発令所の佐祐理と連絡を取りながら通路を進む。
『おはようございます。先ほど、第二東京からA−801がでました』
「A−801……」
『特務機関ネルフの特例による法的保護の破棄、及び指揮権の日本国政府への委譲。最後通告です。現在MAGIがハッキングを受けています。かなり押されています。今、美汐さんがプロテクトの作業に入りました』
と、そこで。
エレベーターに乗り込んだ秋子が発令所へと到着していた。
「美汐ちゃんが……」
「私、馬鹿なことをしていますか? ロジックではありませんからね、男と女は」
CASPERの中に入った美汐は、最後の作業を行いながら一人呟く。
「そうですよね、姉さん」
結局、自分はどうすることもできなかった。
この一ヶ月、逃げることも戦うことも選ぶことはできなかった。
自分が求めたもの。
それは、人とのぬくもり。
失うことを怖れ、何も持たないままずっと生きてきた。
でも。
(今はもう、知らないうちに私の中に……)
祐一、という存在。
その存在は日増しに大きくなり、今では自分のほとんど全てを乗っ取っている。
彼のために、今自分ができること。
(傍にいる……それは、私の役目ではありませんから)
残念ではある。だが、彼の命を守ることは自分にもできる。
そのためにこそ自分の命はある──そう思いたい。
だが。
自分の中にまだ渦巻くどす黒い感情がある。
あいつを殺せと、胸の中でもう一人の自分が囁いている。
そして自分は、その声を無視することはできない。
「姉さん、またあとで」
美汐はCASPERを出た。
向かう場所は、一つだけだった。
『強羅地上改選、復旧率〇.二%に上昇』
『第三ケーブル、箱根の予備回線、以前不通』
なかなか、好ましい報告は入ってこない。だが秋子はにっこりと微笑みながらコーヒーをすすっている。
「あと、どれくらいですか?」
「間に合いそうよ。さすが美汐ね。一二〇ページ後半まであと一分、一次防壁展開まで二分半ほどで終了するわ」
真琴の報告を受けながらも、秋子はこの『次』を考えていた。
(MAGIへのハッキングだけで終わるような方々ではないですからね)
予想はつく。これは単なる前哨戦。
ゼーレの目的は、本部施設、及び残るカノン二体の直接占拠だ。
現在ネルフにはリリス、そしてアダムまである。
地下に保管されている白い巨人は、少女の接触の結果、リリスだと判明した。
アダムの保管場所は未だにわからないが、往人の目の届く範囲にあるのだろう。
ロンギヌスの槍がない現在、ゼーレの考える人類補完計画はカノン初号機を用いなければ果たすことはできない。だとすれば、間違いなくこの本部施設に直接攻撃をかけてくる。
(難しいですね。誰も、人を相手に戦ったことがない。しかも、相手は戦略自衛隊……となれば、勝敗はおのずと明らか)
「MAGIへのハッキングが停止しました」
佐祐理から報告が入る。
「Bダナン型防壁を展開。以後、六二時間は外部侵攻不能です」
そのプロテクトはMAGIの最終奥義。生命維持に関するものを除き、MAGIの全ての能力をMAGIの防衛のみに注がれるものだ。
つまり、今後の戦闘においてはMAGIの助力を得ることはできない。
『碇はMAGIに対し、第六六六プロテクトをかけた』
『この突破は容易ではない』
『MAGIの接収は中止せざるをえないな』
モノリスたちはまた話し合う。
そして、01が意見を集約する。
『できるだけ穏便に進めたかったけど、本部施設の直接占拠を行うよ〜』
第三新東京市跡は、今日も静かだ。
近年少しずつ増え始めた虫の音が時折響くのみ。
陽の光を映した水溜り。
えんえんと続く道路。
そして。
「始めよう、予定どおりだ」
その言葉に応じて、音もなく動きはじめる兵士たち。
景色に、変化が訪れはじめる。
空には戦闘機。
大地には戦車。
静寂は、前ぶれもなく破られる。それはいつの世も変わることはない。
最初の砲火が、ネルフ本部へ向けて放たれた。
『第八から第一七までのレーダーサイト、沈黙!』
『特科大隊、強羅防衛線より侵攻してきます!』
『御殿場方面からも二個大隊が接近中』
「やはり、最後の敵は同じ人間だったな」
柳也がぼやいた。報告はまだ続く。
『三島方面からも接近中の航空部隊三を確認』
『双子山と駒ケ岳の緊急封鎖、急げ』
『強羅第二防衛戦……Aの侵入』
『──現在交戦中』
事態は明らかだ。ゼーレは戦略自衛隊をもって、このネルフを実力で占拠するつもりなのだ。
「総員、第一種戦闘配置」
この場にいない総司令に変わって、柳也が指示をくだした。
「戦闘配置、ですか」
佐祐理が目をくもらせた。
「相手は使徒じゃないのに、同じ人間なのに」
「向こうはそう思っちゃくれないわよ」
真琴がせわしなく手を動かし始めた。
この場を仕切る柳也に対し、秋子が否を唱えるはずもない。
戦闘は、既に始まっているのだから。
「本命がカノンの占拠ならパイロットを狙いますね」
「パイロット──」
佐祐理の顔が青ざめる。
「至急、祐一さんと名雪をカノンに乗せてください」
「え、でも二人は……」
名雪は三〇三号病棟、祐一は三〇四号病棟で、それぞれ横たわっている。
カノンにのせたとしても、何の戦力にもならない。
「構わないからカノンにのせてください」
「ですが、あの状態では二人ともカノンとシンクロできませんが」
舞がそのことを口にする。が、秋子は首を振った。
「そこだと確実に殺されます。かくまうにはカノンの中が最適なんです」
「了解」
舞はすぐに作業に取り掛かる。
「パイロットの投薬を中断。発射準備」
「名雪収容後、カノン弐号機は地底湖に隠してください。すぐに見つかるでしょうが、ケイジよりはましです」
「了解」
「あゆちゃんは?」
「所在不明です、位置を確認できません」
秋子の顔がくもる。
「急がないと殺されてしまいます。補足、急いでください」
「了解」
そうしている間にも、名雪には強引にプラグスーツを着せられ、無抵抗のままエントリープラグに放り込まれる。
そして、シンクロしないまま弐号機が射出されていく。
「弐号機射出。八番ルートから水深七〇に固定されます」
真琴の報告に秋子は、ほう、と一息つく。やはりこの人も、人の親なのだ。
「続いて初号機発進。ジオフロント内に配置してください」
「だめです、パイロットがまだ」
舞が答える。秋子は顔をしかめた。
「でも、祐一さんは」
「いません!」
佐祐理が気がついたように叫ぶ。
「祐一さんが、三〇四号室からいなくなっています!」
発令所の中を、一瞬静寂が襲った。
「……所在は?」
秋子がようやく声を発する。
「F5フロアにて補足を確認。移動を繰り返しているようです」
「なんてこと」
つい昨日まで、佐祐理が車椅子で散歩させていた相手は、今日になって突如動き始めた。
──何故、こういうときになって。
『セントラルドグマ。第二層まで全隔壁を閉鎖します。非戦闘員は第八七経路にて退避してください』
ここに、水森というネルフ職員がいる。
普段は技術課の人間だが、非常事態にはネルフ本部の防衛に回ることを義務づけられている。
もちろん、ネルフ上層部の意向やカノンゲリオンのことなどは、ほとんど断片的にしか知らされていない。
使徒と呼ばれる悪魔と戦う正義の味方。そういう組織に属している。そう信じている。
彼は今年、二五歳になった。
セカンドインパクトのとき、彼はまだ八歳。そのとき両親を失い、優しい祖父母に育てられることになった。
彼はセカンドインパクトの後、ある同い年の少女と出会っている。
彼女もまたセカンドインパクトで家族を失っていた。しかも彼とは違い、親族も全て失っていた。
誰も頼るものもなく、荒野の中を彷徨っていた。
そして、彼と彼女は出会った。
彼は彼女を保護することに決めた。自分が祖父母にやっかいになっているという身であることは分かっていたが、それでも彼にはこの少女を見捨てることなどできなかった。
そして、彼と彼女は同じ家で育つことになった。
彼女は学校には行かなかったが、そのかわりに家庭で花嫁修業に励んだ。
人手が足りないところにいってはアルバイトをして賃金を稼ぎ、彼の学費にとあてるようになった。
そうして、彼は大学へ進学。絶対領域理論について学び、その才能をかわれてネルフに入社。今年で三年目になる。職業難のこの時代にしては順風満帆といえるだろう。
ずっと暮らしてきた彼女とは、来年の春に結婚する予定だ。
度重なる使徒戦でも生き残り、年が明ければようやく一七年がけの恋が成就することになる。
だが。
最後に、障害があった。
ライフルを持ち、シャッターを背にして見張りを行っている彼。
使徒戦は終わったはずなのに、何故か第一種警戒体制を指示され、不安なまま、この第五搬入路にずっと立っている。
そして、彼は気づかない。
静かに、彼の背後に忍び寄る影があることに。
黒い戦闘服を着た男が、水森の背後を取った。
彼が気づかないまま、戦闘員は右手を伸ばす。
その右手で、彼の口をふさいだ。
「!?」
何が起こったのかも分からない。
戦闘が起こるなら、地上。第三新東京市跡のはず。
何故?
その理由を知ることもなく。
「──……」
遺言を残すこともなく、彼の心臓はナイフで抉られた。
『台ケ岳トンネル、使用不能』
『西、五番搬入路にて火災発生』
『侵入部隊は第一層に突入しました』
『南ハブステーションは閉鎖』
ここに、瀧川というネルフ職員がいる。
保安課に所属する彼は、本来名雪の身辺警護を行うのが役目だ。
だが、名雪は既にカノンに搭乗し、射出されている。従って、彼の役目は現在のところ何もない。
彼は今年、四〇になる。
地中海戦争でゲリラ部隊を率いていた彼は、そこで終わりのない戦いを繰り広げていた。
地中海といっても、戦争が洋上でばかり行われていたわけではない。
特に北アフリカ──モロッコや西サハラの方ではかなり苛烈な戦争が繰り広げられていた。
彼はセカンドインパクトに乗じてゲリラ活動を開始した西サハラに傭兵として参加。彼の任務遂行能力が評価され、ゲリラ部隊を統括することとなった。
倒しても、倒しても、敵は次から次へとやってきた。
最後には人を殺すことに対して何も感情を抱かなくなった。
自分がマシンになったかのように、ただただ人を殺しつづけた。
そして、全て戦いが終わったときに思った。
──二度と、無意味な戦いをすまい、と。
彼は西サハラ軍から脱退。各地を転々としたあと、秋子に拾われてネルフに入社。
世界の命運がかかるというチルドレンたちを影ながら守る、という大役を与えられることになった。
彼はこの仕事に誇りを持っていた。
もう無駄に人を殺さなくてすむ。
世界を守るという、意義のあることに自分の力を使うことができる。
これが、最後の戦いだということは彼はしっかりと理解していた。
もう彼女──チルドレンを守る必要はない。
今度は、他の職員たちを守るのだ。
少しでも多くの人を助けるのだ。
かつて自分が犯した罪を償うために。
瀧川は、侵入してくる自衛隊の一人をライフルで撃ち殺した。
そのかわりに、自分が放ったライフルの百倍の量の砲火が彼を襲った。
『第二グループ、応答無し』
「五二番のリニアレール、爆破されました」
「たち悪いわね。使徒の方がよっぽどよかったわよ」
舞と真琴の会話に、秋子が頷いた。
「無理もないですね。誰も、人を殺すことになれていませんから」
ここに、渋谷というネルフ職員がいる。
かの第三使徒クゼエル戦の直前に産気づき、クゼエルが倒されたとほぼ同時に出産したという、少し特殊な経歴を持つ女性だ。
残念ながら、彼女の夫はこのクゼエル戦で死亡。公式発表では一人の死亡者も出してはいなかったものの、ネルフ職員の中にも死者は少なからずいた。
普段、彼女はオペレーター業務を行っている。第四使徒戦以降も、彼女の声で何度も発令所に連絡が送られてきていた。
彼女は今年、二二歳になる。
セカンドインパクト後の幼少期。彼女は絶望と共に生きつづけてきた。全てをなくし、ただ荒野を彷徨っていた。
こういう子供が、当時は山のようにいた。
そして、こういう子供たちを狙うハイエナも存在した。
人身売買。特に西アジア、アフリカの方で大量に人を買う組織があった。
ゲリラ部隊の多いアフリカでは、とにかく頭数をそろえるために大量に人を集めていた。
幼少のうちから戦士として育て、一流のゲリラに仕上げて戦場へ送られるのだ。
彼女はそうして、アフリカへ送られた。
四年間の訓練で、彼女は完全に感情というものをなくし、命令に従うだけの戦闘マシンへと変わった。
そして、彼女がはじめて戦場に出たのは一〇歳のとき。
彼女の初陣は──完全な敗北だった。
勝つ見込みのない戦だった。
捨て駒として、足止め部隊として、彼女の部隊は完全に編成されていたのだ。
彼女のゲリラ部隊は、約八割が死亡。残りの二割が捕らえられた。逃亡したものは、ゼロ。彼女は幸い、命が助かった二割の方であった。
彼女は物騒な男にナイフで斬りかかっていったが、逆にあっけなく捕らえられてしまった。
死を恐れてなどいなかった。だが、彼女は結果的に助かった。
そして、生きる意味をまたなくしてしまった。
自分で考える術を失った彼女を助けてくれたのは、自分の命を助けてくれた男。彼のもとで、少しずつ彼女は感情を取り戻し、心を開いていくようになった。
その男と結ばれたのが、去年のこと。
彼女にとって、誰よりも愛している男性と結ばれることができて、彼女は初めて幸せという感情を知った。
そして、子が生まれた。夫と、引き換えに。
だがそれは、彼女にはじめて失いたくないものが生まれた瞬間でもあった。
第一種警戒体制の発令が流れたとき、彼女は真っ先に我が子の元へと走った。
そして、安全だとされていた非戦闘区域の部屋へと逃げ込んだ。
だが、ここにも悪魔はやってきた。
その部屋の中にいる者のほとんどが女ばかりだと知った戦闘員たちは、部屋の中に向かって火炎放射器を放った。
(この子だけは──!)
彼女はわが身が焦げつくのを感じながら、愛しい我が子を抱きしめていた。
(この子だけは──!)
だが、彼女の子が既に息絶えていることに気がついてはいなかった。
『第三層Bブロックに侵入者! 防御できません!』
「Fブロックからもです。メインバイパスを挟撃されました」
舞の冷静な報告に、秋子は決断をくだした。
「第三層までを破棄します。戦闘員は下がって。八〇三区間までの全通路とパイプにベークライトを注入してください」
「了解」
『第七〇三からベークライト注入。完了まで、三〇』
「これで、少しはもつでしょう」
それは、第三層までにいる非戦闘員を見捨てたということに他ならない。
だが、このままでは全滅は免れえないのだ。
「あとは、祐一さんの所在が分かれば……」
と、秋子が呟いたとき、一人のオペレーターが立ち上がった。
舞だった。
「舞……?」
佐祐理がどうしたのかと舞を見つめる。
「私が行く」
「……」
「祐一を助けてくる」
「舞」
佐祐理が声をかけるが、舞は既に歩き出していた。
「お待ちなさい」
制止の声をあげたのは秋子。
「どこにいって、見つけるつもりですか」
「分からない。でも、探してくる」
「無意味です。あなたはここに」
「……私は、ここにいる資格がない」
後ろの佐祐理を振り返り、舞は呟いた。
「私は、卑怯者だ」
「独白を聞いている時間はありません。戻って──」
「私は佐祐理のおかげでこの地位にいる。でも、佐祐理を追い詰めたのは私」
「舞……?」
「みちるを殺すように、お願いしたのは私」
舞の言葉に。
柳也が顔をしかめ、秋子は無表情のまま、そして佐祐理は──
「……」
彼女の笑顔が、凍りついていた。
「私は佐祐理の傍にいることはできない」
「佐祐理の傍にいることができるのは、一人だけ」
「だから、連れてくる」
佐祐理は、たった一人の親友に何も言うことができなかった。
言葉の意味が分かりかねて、ただ混乱していた。
「……何故、言わなければならなかったんですか?」
ただ、秋子だけが尋ねた。
「……私は、佐祐理が好きだから」
佐祐理を独占していたかった。
だから、みちるの死を願った。
でも、誰かを独占することはできないということに気づいた。
だから、佐祐理のために、連れてきてあげたい。
佐祐理の、一番大好きな人を。
「……行ってくる」
舞は振り向かなかった。
佐祐理は、声をかけられなかった。
「……っ……」
何を言えばいいのか分からず、ただ震えて、何も言葉にならなかった。
そして、舞の姿が消えた。
「舞……っ」
佐祐理の混乱は、ますます激しくなった。
「意外と手間取るな」
戦略自衛隊の師団長はため息をつきながら言う。
「我々に楽な仕事はありませんよ」
副長はその軽口に乗った。こういうときの師団長は会話に付き合わなければ機嫌が悪くなることを彼は知っている。
『双子山はもういい、長尾峠の封鎖を急げ』
『了解』
次々と連絡が入ってくるが、二人はしばらくそこで戦況をただ見つめていた。
『第一発令所の爆発を肉眼で確認』
敵は、どうやらもうすぐそこまで迫っているようだった。
だが、この第二発令所では先ほどの余韻がまだ残っていた。
佐祐理は、固まったまま動けないでいる。真琴が見かねて、彼女をMAGIの近くまで連れていく。
「分が悪いわね。本格的な対人要撃システムは用意されてないもの、ここ」
真琴が呟くと、秋子がそれに答えた。
「せいぜい、テロどまりでしたからね」
「戦略自衛隊が本気を出したら、ここの施設なんてひとたまりもないもの」
──そうだ。
だからこそ、外部からの侵入を防ぐために、予算の増加を求めていたのではなかったか。
「今考えれば、侵入者の予算縮小って、これを見越してのことだったんですね」
「……なるほどね。さすが、秋子さん」
直後──
ガウンッ!!
爆発音と共に、第二発令所の壁が一部破壊された。
『第二発令所、左翼下部フロアに侵入者』
冷静な声だけが、スピーカーから流れる。
そして、侵入者たちはその場にとどまって第二発令所の職員たちに向かって発砲を始めた。
「来ましたね」
秋子は冷静に、自分も拳銃を握って壁に背を預け、敵との間に障害物を作る。
「佐祐理さん」
真琴は佐祐理に近づいて、拳銃を渡した。
「ロック外して」
「……どうして、どうして、舞……」
だが、ここにきてまだ佐祐理は先ほどのショックを引きずったままだった。
「ばかっ!」
真琴が、叫ぶ。
「今そんなこと気にしたってどうしようもないでしょっ!」
秋子が、ちらりと横目で二人を確認する。幸い、敵の射撃位置からは二人は影になっていて、直接射抜かれる可能性は低い。
「舞さんに確かめたかったら、この場を生き抜いて、それから確かめてよっ」
真琴が泣き顔で、佐祐理に訴えかけた。
「……」
佐祐理は何も言葉にできず、呆然としたまま、その拳銃を受け取った。
(中編)
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