THE END OF KANONGELION

EPISODE:25   PACHELBEL










「あゆ」
 往人は翼を持つ少女に声をかけた。
 あゆはゆっくりと振り返る。
 ジオフロント・ターミナルドグマ最深部。第三人工進化研究所。
 そこは、あゆの部屋でもある。
「往人さん」
 翼をはためかせ、あゆが振り返る。
「……翼、か」
 往人はポケットに手を入れたまま近づく。
「観鈴にも、翼が見えればよかったのにな」
「……」
「これから、翼人の補完を行う」
「……」
「白き月と黒き月との邂逅。そして、新たな夢見人を人柱とすることによって、観鈴の魂をこの地上へ戻すつもりだったが」
「……?」
「そんなことをする必要が、もうないことに気づいたからな」
 往人は右手をポケットから出した。
 その掌に、目玉がついていた。
「お前は、死者を弔ってやってくれ」
 そして、往人は一人、歩きだした。





『第二層は完全に制圧』
『第二発令所MAGIオリジナルは未だ確保できず。左翼下層フロアにて交戦中』
『フィフスマルボルジェは直ちに熱滅却処置に入れ』
『カノンパイロットは発見次第射殺。非戦闘員への無条件発砲も許可する』
『柳原隊、新庄隊、速やかに下層へ突入』





 祐一は心の迷路を彷徨っていた。
 出口のない迷路。
 ただ、そこには絶望しかない。
 全てを失った青年にとって、この世界はあまりにも重すぎた。
 大切な人がいた。
 だがそれは、架空の少女。実在しない人物だった。
 大切な人がいた。
 だがそれは、自分の手で殺してしまった。
 どうして、自分だけが生きている──?
 ……いや、もはや彼はそのような思考ルーチンをたどってはいなかった。
 彼は、全ての思考を投げ出し、自分の作り上げた世界の住人となってしまった。
 栞がいる。
 栞と、幸せに暮らしている。
 そういう、夢を見ていた。
 悲しい夢を。

 もういいかい
 もういいかい

 栞は、隠れてしまった。
 だから、探さなければならなかった。
 祐一は栞を探しに出かけた。
 ふらつく足取りで。
 ここがどこかも理解できずに。
 ゆっくりと、栞を探しつづける。
「しおり……どこにいる……?」
 分かれ道に達して、祐一はなんとなく右側の通路を選択した。
 左側は赤く塗装されていて、気持ち悪かったからだ。
 いくら栞でも、そんな気持ち悪いところに隠れるはずがない。
 だから、栞のいるところを探さなければ。
「いるんだろ……はやく、でてこいよ」
 一人にしないでくれ。
 声を聞かせてくれ。
 姿を見せてくれ。
 ──祐一の目から涙が零れた。
 勝手に、とめどなく、涙がただ流れ出ていた。
 その、瞬間。
(祐一さん……)
 声が聞こえた。
「しおり?」
 振り向く。
 だが、そこにいたのは別の人物だった。
「みなぎ……」
 彼女は静かに佇んで、祐一を見つめていた。
「もう、あえないんじゃなかったのか?」
(はい……ですが、心配で、きてしまいました)
「しんぱい? おれを?」
(今、祐一さんは死へ向かっています)
「し……」
(早く、自分を取り戻してください)
 すう、と美凪の姿が消えかかった。
「おまえは、いま、どこに」
(黒き月の最深部に……)
 彼女の姿が、消える。
 祐一は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
 美凪。
 実在しなかったはずの少女。だが、彼女は彼女の意思でこの場に現れたというのだろうか。
 だとしたら、美凪という少女はいったい──
「……しおり……」
 が、そんなことはすぐに祐一の頭から消える。
 今の彼にとって必要なものはそんなことではない。
 たった一人の少女。栞の存在だけだ。
「どこに、かくれた……」
 通路をさらに進んでいく。
 遠くから、誰かが近づいてくる。三人だ。
 彼らは自分を取り囲む。
 ……誰だ?
「サード発見。これより排除する」
 それは、戦略自衛隊の戦闘員であった。
「坊主、悪く思うな」
 無線で連絡をとった男が銃を祐一の頭につきつける。
(……しぬのか?)
 理由は分からない。だが、この男たちが自分を殺そうとしているということは分かる。
 だが、それもいいのかもしれない。
 自分が死ねば、隠れている栞に会うこともできる。
 それなら、その方がいい。
 もう、会えないことに傷つかなくてすむから。
 ──が、衝撃はいつまでたってもやってこなかった。
 気がつくと、自分に銃を突きつけていた男の首が刎ねられていた。
 さらにもう一人の男からも大量の出血。
 残った最後の一人の喉笛に、一人の少女が日本刀を突きつけていた。
「……私は、魔を討つものだから」
 そして、貫く。
 舞は返り血を浴びながらも、祐一を死守することに成功した。
「祐一……」
「……まい?」
 どうして、ここに舞がいるのか。祐一には分からない。だが、祐一には聞かなければならないことがあった。
「まい。しおりがいないんだ」
「……」
「しおりをさがしているんだ。しおりがどこにいるか、しらないか?」
「祐一……」
 舞は、哀れむように祐一を見る。
 そして、頷いた。
「知っている」
「どこだ、どこにいる!?」
 祐一は両手で彼女の両肩をつかんだ。
「……こっちだ」
 そして、舞は祐一を連れて元きた道を戻っていった。





『第七ケイジの山岸支隊はどうか』
『紫の方は確保しました。ベークライトの注入も問題ありません』
『赤い奴は射出されたもよう。目下ルートを調査中』





(まずい……)
 舞は普段何も喋っていないので、仕事以外のことは何も考えていないように見えがちであるが、それは全く違う。
 気難しそうな顔で座っているときは、ただ単に疲れてぼーっとしているときだったり。
 少し首をかしげているときは、その日の夕食に佐祐理が何を作ってくれるかを考えていたり。
 ……まあ、あまり考えることの種類は多い方ではないが、それでも何も考えていないわけではない。
「まい……しおりは、どこにいるんだ?」
 特に、こういう状態では。
 祐一が全く現在の状況が飲み込めておらず、自分が何とかして祐一を助けなければならないという事態では。
 舞の頭もフル回転せざるをえないのである。
「第七ケイジ」
「けいじ……どうして、しおりが」
「栞は、パイロットだから」
「……ああ、そうか」
 舞はあえて、夢を見ている祐一に対して現実を伝えることはしなかった。
 今、この場で混乱されても困るのだ。
 守るには、対象が落ち着いていてもらわなければならない。
(佐祐理……)
 舞にとって。
 彼女にとって、もっとも大切な親友。
(私は、親友でいられる資格など、ない……)
 彼女と、佐祐理にとって唯一ともいえる『妹』みちる。
 彼女は、その大切な妹の死を願った。
 何故?
(……私より、みちるの方が大切に思われていたから)
 たったそれだけの理由で。
 佐祐理が、自分ではなくみちるの方を見ているという、それだけの理由で。
 自分は、人殺しに荷担した。
(後悔は、してない)
 佐祐理の心は壊れてしまったが、そのかわりに自分だけを見てもらうことができた。
 それでいい。
 それでいいと、ずっと思っていた。
(でも……)
 また、新たに佐祐理の心に住み着いた人物がいる。
 碇、祐一。

 いったい、何者なのだろう。
 私から、また、佐祐理を奪っていくつもりなのだろうか。

 佐祐理から祐一のことを相談されたとき、一度話してみる必要があると思った。
 だから、あのとき。祐一が一週間の禁固を受けていたとき。
 あゆと祐一を合わせるより先に、自分がまず会いに行ったのだ。
 そして、自分と佐祐理を引き裂く者なら──殺さなければならない。
 だが。
 祐一は、いとも簡単に自分の心の中に入ってきてしまった。
 みちるが佐祐理にしか心を開かなかったのに対し、祐一は佐祐理にも自分にも気軽に声をかけてきた。

『ありがとうな』

 そう言われたとき、思わず、心が躍動していた。
 ……そう、自分も祐一のことがもう、嫌いではなくなっていたのだ。
 佐祐理にしか好意をしめさないみちるのことは、あんなに嫌いで嫌いでしかたがなかったのに。
 だから、あのオマモリを渡した。
 自分が父親からもらった唯一のもの。
 祐一に持っていてもらいたかった。
 ──初号機に取り込まれたときに、あのオマモリはなくなってしまったみたいではあったが、それはもう気にしていない。
 きっとあのオマモリが、祐一を助けてくれたのだと信じている。
(でも、祐一と私の絆はなくなってしまった)
 だから、祐一と自分とはもう何の関係もない。
 ただ、自分が祐一のために、そして佐祐理のために、二人をなんとか守らなければならない。
 二人に、しあわせになってもらうために。
(祐一……佐祐理を泣かせたら、許さないから)
 舞は、通路をさらに進んでいった。





「かまうな。ここよりもターミナルドグマの分断を優先させろ!」
 柳也が電話に向かって怒鳴りつける。第二発令所を放棄してまでも、ターミナルドグマだけは守りきらなければならない。そのことを柳也は分かっていた。
 何故なら、あそこにこそ、全ての源があるからだ。
「あちこち爆破されてるのに、やっぱりココには手を出さないのね」
 真琴は銃火器で応戦しながらぼやいた。
「一気にカタをつけたいでしょうけど、ココにはMAGIのオリジナルがありますからね」
 秋子がそれに答えた。彼女が拳銃を撃つたびに、敵が一人いなくなっていく。まさに『魔術師』であった。
「できるだけ無傷で手に入れたいのは分かるけどね」
「でも、対BC兵器装備は少ないですからね。使われると困ります」
 秋子が言うと、真琴が少し表情をくもらせた。
「……N2兵器も、でしょ?」





 さんさんと輝く太陽。眩しい光が地上へ舞い降りる──いや、違う。
 その光、発光体は太陽よりもはるかに小さい。だが、自ら輝きを強めながら地上へと落下していく。
 そして、その光が第三新東京市跡の湖へ到達したと思われた瞬間。
 最大規模の、爆発が生じた。

 ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!



 大量に投下されたN2兵器の爆発は、第二発令所を含めたネルフ本部に巨大な振動をもたらした。立ってもいられないほどの激震に、第二発令所は一瞬停電となり、赤い非常灯がともる。
「いわんこっちゃない」
 真琴は案外冷静そうだった。耳を塞ぎ、オペレーター席の下でうずくまっているのは佐祐理だ。そして秋子はその揺れの中でも平然と立って敵に向かって射撃を続けた。
「加減、というものを知らないようですわね」
 だがその揺れによって戦自の攻撃も一瞬やんでいた。その隙を狙って、秋子は拳銃を連射する。次々に戦闘員が倒れていく。
「無茶するな、全く」
 柳也が軽口をたたいた。
「どうして……どうして、そこまでしてカノンがほしいんですか」
 佐祐理が小さく呟く。秋子がため息をついた。
「……サードインパクトを起こすつもりなんです、ゼーレは」
 柳也が眉をひそめた。
「この世界が創られた、真の目的……それを、妨げるために」
「知って……いたのか!」
 柳也が、叫んだ。










 本来、神はカノンキャラだけを補完するために、この世界を創造した。それがファーストインパクト。祐一をはじめ、あゆ、名雪、栞、舞、真琴、佐祐理、秋子、美汐、香里……彼女たちの補完を行うことが、この世界の意義だった。
 でも、それを疎ましく思った人々もいた。それが、エアキャラ。
 二〇〇〇年の夏。往人は観鈴という一人の少女を失った。そして、自分たちの補完を願った。
 新しい世界で、観鈴と幸せに暮らすために。
 そして、セカンドインパクトを起こした。本来カノンキャラを補完するために作られた世界では、セカンドインパクトは単にアダムを幼体にまで戻すためのものでしかなかった。
 往人は自分たちの補完を求めて、これを利用してこの世界に入り込んできた。これこそが、真の意味でのセカンドインパクト。
 カノンキャラの世界にエアキャラが入り込んできたことこそ、本当のセカンドインパクトだった。

 そして、神の計画は狂いを生じた。
 カノンキャラを補完する予定だった世界は、少しずつ歪みを見せはじめ、逆にカノンキャラに対して試練を与えるようになった。
 北川が死んだのも、その『歪み』のせいだ。
 だが、往人の計画もまた完全ではなかった。
 この世界でも、結局観鈴は空にしか存在できなかった。翼を持つ少女として、地上に舞い降りることはなかった。往人と結ばれることはなかった。
 だから、往人は求めた。サードインパクトを。
 今度こそ、観鈴と一緒になるために……。

 セカンドインパクトを利用したのは、何も往人だけではなかった。
 柳也と裏葉は主人である神奈を地上へ連れ戻したいがために、セカンドインパクトを利用してこの世界へと入り込んできた。
 佳乃も同じだ。彼女は往人を求めていた。そして、往人の心が観鈴に向かっているのを見て絶望した。そして新しい世界で往人を手に入れようとした。
 その他のエアキャラも、彼らに引きずられるようにしてこの世界へと連れてこられた。
 だが、自ら願って来た者以外は、使徒戦が始まる前にその命を奪われていた。
 聖しかり、みちるしかり、晴子しかり。そして、美凪しかり、だ。
 美凪は何を望んだのか──? 彼女は往人の傍ではなく、祐一の傍にいることを選んだ。
 それは、往人とこの世界で結ばれることを目的としているわけでないことは明らかだ。

 そして、カノンキャラとエアキャラは知らず知らずのうちに戦いを強制されていた。
 エアキャラがこの世界に入り込んできてから、それがある種の習性となってしまっていたのかもしれない。
 舞がみちるの死を願ったように。秋子が橘を殺したように。柳也が石橋を殺したように。
 そして、佳乃は祐一に栞を殺させるように工作した。
 全て、カノンキャラとエアキャラが戦うように仕向けられていた。










「知っていた、というわけではありません。先ほど知ったんです」
 いつの間にか、戦略自衛隊の攻撃がやんでいた。
 秋子がそのほとんどを撃ち殺した、ということもある。
 だが、何故か自衛隊の方で撤退命令が出ている、というのが正しいだろう。
「来ますね」
 秋子は呟いた。
「カノンシリーズ……いえ、もうその呼び方はおかしいですね。エアシリーズ、と言うべきでしょうか。本来カノンゲリオン伍号機から拾参号機として作られていたもの。でもそれはもう、カノンとはいえません」
「ま、そういうことです」
 柳也がいつの間にか近づいてきていた。
 手には拳銃。無論、秋子も拳銃を柳也に向かって構えている。
「ど……どういう、こと?」
 混乱しているのは真琴だ。そして、佐祐理も目の前で何故二人が銃を突きつけあっているのか、理解できていない。
「カノンキャラとエアキャラは、共存できない、ということです」
「補完される作品は一つだけ。もっとも、俺と往人とでは望んでいる補完のされかたも違うけどな……」
 そのために、殺し合いをするというのだ。
「ば……ばっかじゃないの!?」
 真琴は叫んだ。
「誰かに補完されることを望んで、そのために人を殺すってわけ? 誰かに頼らないで、自分で自分を助けてやればいいでしょ!?」
「そうとも」
 柳也は視線を逸らさずに答える。
「俺たちは他に選ぶ方法がなかった。何故、お前らは補完されて、俺たちが補完されないんだ? それにもともとカノンのほとんどの人間は救われているだろう。だが、俺たちは違う。俺や往人は、一番大切なものを、失わなければならなかった……」
 柳也の言葉に、真琴は反論できなかった。いや、カノンキャラの中では、真琴だけは反論ができたのかもしれない。
 だが、真琴は補完など望まなかった。
 往人や柳也のように、誰かを犠牲にして自分だけが幸せになるなど、考えたこともなかった。
「俺たちは、この世界に来るしか、補完計画を発動させるしか手がなかった。そして今、願いがかなおうとしている──邪魔をさせるわけにはいかない」
「私が邪魔、というわけですか」
 ふうー、と柳也は息をついた。
「秋子さんと祐一くん。計画の障害は、そもそもあなたたち二人だけだったんですよ」
「祐一さんはともかく、私が、ですか?」
 秋子は少し驚いているようだった。
「あなたは強すぎる。俺が全力でかかっても、おそらくかなわない」
「それでも、戦うと?」
「仕方がありませんからね。俺の願いをかなえるためには」
 柳也は再び真剣な表情に戻る。
 決戦。
 まさに、その言葉がぴたりとはまった。
「真琴、佐祐理」
 秋子が、静かに言う。
「直通のエレベーターを使って、地上に出なさい」
「秋子さん」
「命令です。行きなさい」
 秋子の顔からも、笑みがなくなっていた。
 実力的に自分が勝っているとはいえ、柳也の実力は決して低いわけではない。
 自分が死ねば、次は真琴と佐祐理だ。
「……賢明ですね」
 柳也も戦いを開始せずに、二人が出ていくまで待つ。
 だが、真琴も佐祐理も動けずにいた。
「早く、いきなさい」
「でも」
「真琴、私を困らせないで」
 有無を言わせぬ口調。
 ここにいても、邪魔になることは明らかだった。
「……死なないでね」
「もちろんです」
 真琴は、その言葉を信じることにした。
 そして、佐祐理の手を取って走り出す。
 地上への直通エレベーター。
 とにかく、まずは、そこへ。





「電話が通じなくなったな」
 首相官邸、第三執務室。ここに、現在の内閣総理大臣と、その秘書がいる。
 部屋は広く、高く、そして大きな振り子時計が揺れている。
「はい。三分前に、弾道弾の爆発を確認しております」
「ネルフが裏で進行させていた人類補完計画。人間全てを消し去るサードインパクトの誘発が目的だったとは……とんでもない話だ」
「自らを憎むことのできる生物は、人間くらいのものでしょう」
 そこで、一息つく。
「さて、残りはネルフ本部施設の始末だが」
「ドイツか中国に再開発を委託されますか」
「買い叩かれるのがオチだ。二〇年は封鎖だな。旧東京と同じくね」





『表層部の熱は引きました。高圧蒸気も問題ありません』
『全部隊の初期配置、完了』
「現在、ドグマ第三層と紫の奴は制圧下にあります」
 副長の報告に、隊長は表情を変えずに頷く。
「赤い奴は?」
「地底湖水深七〇にて発見。専属パイロットの生死は不明です」
 ならば。
 戦略自衛隊として、やるべきことは一つであった。





 海の中にいる。
 自分の四肢をからめとり、動きを封じ、そして、深く沈んでいく──いや。
『……ゆういち……』
 海じゃない。
 ここは、海の中ではない。
 LCL。
 LCLの中に溶けている──?
(い、や……)
 祐一と一つになりたいと願った。
 でもそれは、心も体もなくしてしまうことを意味するものではない。
 自分は自分。
 祐一は祐一。
 肌を合わせ、重ね、温もりを感じたかった。
(……死ぬのは、いや……)
 祐一に会えなくなるのは、嫌だ。
 会いたい。
 会いたい。
 祐一。
 祐一、どこ?
「……わたし、いきてる……」
 名雪は、ゆっくりと目を開いた。
 自分がどこにいるのか、一瞬理解できなかったが、それがカノンの中だと分かると表情を暗くする。
「また、のってる……どうして?」
 シンクロ率、ゼロ。自分はもう、セカンドチルドレンではないのに。
「ゆういち……どこ?」
 自分がカノンに乗っているということは、出撃しているということなのか。
 だとすれば、初号機も近くにいるはず。
「ゆういち──」
 だが、その声に答えたものは、愛しい男性の言葉ではなかった。
 耳をつんざくような、爆音。

 ドガガガガガガガガガガガガガガガガッ!

「いやああああああっ!」
 名雪は叫んで、耳を塞いで、体を丸めて、世界の全てを拒絶する。
 だが、振動と爆音はたやすくそれを破って名雪の体中に襲い掛かる。
「しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや。しぬのは、いや」

『とりあえずはじめまして。俺はサードチルドレン、碇祐一』

 はじめてじゃない!
 ずっと、ずっと、私は、祐一だけを考えていたのに。
 ひどいよ。

『私のことも忘れるくらい、あゆちゃんのことでいっぱいだったの!?』

 私は、いったい祐一の何?
 私は傍にいることさえ許してもらえないの?
 祐一のこと、こんなに──

 愛して、いるのに。

『無理、しちゃって』

 名雪が、はっと顔をあげる。

『真のヒーロー、登場だぜ』

 そう。
 自分にとって、祐一はまさにヒーローだった。
 その傍にいたい、と願った。
 たとえ、自分のことを見てくれなかったとしても──

『ねえ、名前は?』
『ねえ、いくつ?』
『ねえ、どうして倒れてたの?』
『ねえ?』
『ねえ?』
『ねえ?』

 傷ついている少年を守りたいと思った。
 傷ついている少年の傍にいたいと思った。
 そう。
 私は──

「ゆういちのことが、すきだから」

『なんだか、落ち着くね』
『そうか?……そう言われると少しは嬉しいな』

 祐一は。
 私のこと、好き?
 やっぱり、あゆちゃんのことしか見ることはできないの?
 それでも、いいよ。
 祐一は──私の、一番好きな人だから。
 ずっと。
 初めてあった、あの日から。
 私は祐一の傍にいるんだって、決めていたから。

 覚えていてくれなくてもいい。
 私が、その分、いっぱい覚えているから。

 だから、私を──見て。

「祐一っ!」





『帰りに、イチゴサンデーでも食べて帰ろう』










 うん。
 いこう、祐一。










 地底湖に巨大な爆発が起こる。それは地上まで沸きあがり、巨大な十字架を湖の上に描いた。
「こ、これは!?」
「やったか?」
 戦略自衛隊の戦闘員がただ黙って状況を見つめている。
 だが、現実は甘くなかった。
 地底湖上のNERV船が、少しずつ『上昇』する。
 そして、その下にいる、赤い悪魔。
 四つの目が、光った。
「う、撃てっ!」
 号令がかかり、次々と砲撃が放たれる。だが、弐号機は船を盾として使い、全ての攻撃を防いだ。
「いっくよ〜!」
 そして、その船を砲撃が放たれた場所へと向かって放つ。
 巨大な質量が舞い降り、そして爆発が起こった。
(祐一、分かったよ)
 そして、弐号機は跳んだ。
 空高く、赤い機体が舞う。
「A.T.フィールドの意味」
 Absoluted Terror FIELD.
 なんぴとにも犯されざる聖なる領域。心の光。
 A.T.フィールドは誰もが持っている心の壁。
 だが、同時に。
「私を護ってくれてる」
 弐号機を襲うミサイルの群れ。だがそれは全てA.T.フィールドによって消滅した。
(私、祐一を見てるよ)
 ずっと、ずっと。
 私が祐一を守る。
 あの日から、ずっとそう決めていた。
(私は、祐一を守るためにこの力を手に入れた)
 あの少年を守るために、誰にも負けない力を手に入れようと思った。
 そう、自分の願いは。
 祐一に見てもらうことではない。
 ずっと、祐一を見ていることだったのだ。
「もう、迷わない」
 誰も寄せ付けない。
 誰にも邪魔させない。
 私が祐一を守る。
 絶対に。
「祐一っ!」





 本部から出た真琴と佐祐理がまず目にしたのが、その光景だった。
「弐号機が、動いてる」
 真琴が呟き、佐祐理が頷く。
「名雪さんが……」
 佐祐理の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「でも、まずいわね」
 冷静なのは真琴の方であった。
「まずい?」
「そうよ。電源ケーブルが剥き出しになってる。あれを狙われたら、弐号機は五分しか動けない」
 佐祐理の目が見開かれる。
「どこかに端末があれば、電源ケーブルを出すことも」
「無理です。今はMAGIの助力が得られませんから、ケーブルを出すこともできません」
「じゃあ、外部電池は」
「あれもケイジにしか置いてありません。今、ケイジは戦略自衛隊によって占拠されています」
「どうすることも、できないの……」
「一つだけ」
「手があるの?」
 佐祐理は頷いた。
「MAGIの、第六六六プロテクトを解くことができれば、電源ケーブルを出すことができます」
「でもそれじゃあ、またMAGIが乗っ取られるかもしれないんじゃないの?」
「はい。でも、敵は直接占拠に方針を切り替えてきました。MAGIに対して攻撃を仕掛けることを続けるとは思えません」
「……もし、続けていたら」
「MAGIは占拠され、本部施設は自爆することになります」
「賭け、ね」
 真琴はあたりを見回す。そして、ある方向を指さした。
「あっち」
「……?」
 佐祐理は何を示されたのか分からないでいる。
「あっちに、NERVのトレーラーがあるわ。外部端末の一つや二つ、転がってるでしょ」
「あ!」
 佐祐理は気がついたようにして、駆け出す。そして真琴もそれを追う。
 時間は、一刻を争うのだ。
 自衛隊が電源ケーブルに気づくのは時間の問題。そして、MAGIのプロテクトを解除するのにかかる時間は──見当もつかない。
 一分一秒が、非常に貴重であった。





 ケーブルが破壊されたのは、そのすぐ後のことであった。
 外部電源の接続が切れ、内部電源表示に切り替わる。その時間は五分。
「う〜」
 名雪はうなった。うなっても仕方がないと分かりつつもうなった。
「でも、アンビリカルケーブルがなくたって」
 戦闘機が放つミサイルをものともせず、弐号機は前進を続けた。
「こっちには一万二千枚の特殊装甲と、A.T.フィールドがあるんだからっ!」
 弐号機が右手を一閃する──その先にいた六機の爆撃機が爆発した。
「弐号機は初号機より三倍速いんだよっ!」
 弐号機が跳ぶ。そして跳び蹴りで攻撃ヘリを一機撃墜し、着地。
 すぐに近くにいたもう一機のヘリをつかまえ、別の攻撃機に投げつける。
 わずかな時間で、弐号機は戦闘機のほとんど全てを撃墜していた。



『私の邪魔をする、忌むべき存在のカノン。毒には毒をもって制す、だよ〜』



 空に、九つのウイングキャリアー。
 そして、それぞれに搭載されているカノンシリーズ──いや、既にそれはカノンではない。
 AIR。
 エアの申し子たちが、地上へと降りてくる。
「カノンシリーズ……完成してたんだ」
 名雪は呆然と、空を旋回する九体のエアシリーズを見つめる。
「S2機関搭載型を九体全機投入するなんて」
 地上でその様子を見つめていた真琴も信じられないようにうめく。
「まさか……」
 佐祐理は最悪の状況を想定することができた。
 まさか──
 サードインパクトは、この場所でおきるのではないのか?
 佐祐理や真琴、名雪たちの目の前で、ゆっくりとエアシリーズは降下してくる。
 白い二枚の翼が背に収納され、大きな口がにやりと笑った。
「佐祐理、そっちは?」
 真琴の声に、再び作業に戻る佐祐理。だが、さすがに美汐のかけたプロテクトは強力で、仕組みを全て知っているというのにそれを解くことができずにいる。
「少なくとも、あと三分」
「ぎりぎりね……」
 真琴も佐祐理を手伝いながら軽口をこぼす。
 おそらく、弐号機に残されている時間は三分から四分。
 仮に三分後にMAGIを起動させることができたとしても、それから電源を出し、弐号機と接続する時間が果たしてあるだろうか。
「やるだけのことは、やりませんと」
「そうよね。名雪だって、ああして立ち直って戦ってるんだし、あたしたちがやらないわけにいかないもの」
 その名雪は、戦いの前に呼吸を整えていた。もちろん、深呼吸をするとか、そういう意味ではない。
 戦いに入るタイミングを狙っているのだ。
 九体のエアは弐号機を取り囲んで戦闘開始の刻を待っている。
 こちらから動かなければ、おそらくは動くまい。時間が来れば、弐号機はどのみち動かなくなるのだ。
「残り、三分半」
 名雪はカウンターに目をやる。
「一体につき、二〇秒。ちょっとつらいよね」
 言葉と同時に、弐号機が駆け出す。
 エアは、突然の敵の動きに合わせることができず、対応が遅れた。
 その中の一体めがけて弐号機は突進し、跳ぶ。
 跳び箱の要領でエアを飛び越え、背後に回りこむと、相手の喉と足首をとって、肩にかついだ。
 そのまま、力をこめる。

 ごぎゅがごがごがごがごがごっ。

 機体が壊れる音か、それとも人の骨が砕ける音か。
 いずれにせよ、不気味な音をたてながらエアは腰から上下二つに裂かれた。
「ひと〜つ!」
 名雪は声をあげて自らに気合をいれ、次の標的を探した。











(後編)

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