one more final
舞と祐一は、通路をさらに奥に進んでいく。
その先にある扉には『EMERGENCY ELEVATOR』と書かれている。すなわち、本当に緊急用として用意されているエレベーター。
この通路の先にケイジへ通じるエレベーターがある。
「ここか……」
舞がそのエレベーターのスイッチに触れた瞬間だった。
「祐一、ふせろ!」
舞が体を翻して、祐一の体に覆い被さる。
その場所を、銃弾が通過していった。
「こっちだ、早く!」
そのまま逃げ込むようにして、今開いたばかりの扉の奥へ駆け込んでいった。
さらに、追い討ちがかかる。バズーカ砲がその扉の中向かって放たれたのだ。
「祐一──!」
舞は祐一に覆い被さった。
ドガアアアアアアアアアアアッ!
無論、祐一たちを襲ったのは戦略自衛隊の戦闘員であった。
「逃したか」
戦闘員の一人が呟く。別の一人は無線に手をかける。
「目標は射殺できず。追跡の是非を問う」
『追跡不要。そこは爆破予定地。至急もどれ』
「了解」
……こうして、二人はさらなる追撃から逃れることができた。
いや、この言葉には語弊があった。
「……これで、時間が稼げる……」
舞の顔は、真っ青になっていた。
「まい……」
「大丈夫だ、祐一。早く、そこに……」
舞が、震える手でその先にあるエレベーターを示す。
「電源は生きている……」
祐一がなかなか動こうとしなかったので、舞は体を引きずって、エレベーターの扉を開ける。
「しおりのところへ……つれていってくれないのか?」
祐一は。
いまだ、夢の中にいた。
目の前で舞がどれだけ傷ついていても、それを認識することすらできていなかった。
「……私がいなくても、大丈夫……」
舞は立ち上がると祐一に近づき、その手をとり、エレベーターの中へと押し込んだ。
「まい……」
「祐一、私は……こうなることを望んでいた。だから、後悔はない……みちるの死を願ったときに、いつかこうなるだろうと思っていた」
みちるのかわりに現れて、佐祐理の心を奪っていった人物。
その人物のために、いつか命を投げ出すことがあるかもしれない。
そんなふうに、ずっと思っていた。
「春の日も……夏の日も……秋の日も……冬の日も……祐一と、佐祐理が……しあわせで、あり、ますように……」
舞がエレベーターのボタンを押すと、扉がしまって下降を始めた。
「……さよなら……」
そして、意識が遠のく。
背中におっていた傷は、誰の目にも──舞自身にも、致命傷であることは分かっていた。
霞んでいく自分の目の前に、舞は最後に羽を持つ少女の幻影を見た気がした。
(……みちる……?)
いや、違う。
それは──
直後、舞のいた通路は完全に爆破された。
一方──第二発令所。
拳銃を突きつけあっていた二人の男女は、しばらくの間そうして対峙していたが、やがて緊張が男の方から解かれた。
両手を上げて、拳銃を床に投げ捨てたのだ。
「どういうつもりですか?」
秋子は油断せず、拳銃をつきつけたままだ。
「いやなに、あなたとの決着をつけるときです。拳銃なんていう無粋なものを使うのは、やめにしませんか?」
柳也は懐にゆっくりと手を伸ばし、そこから一本のナイフを取り出した。
「プギオ……随分と古風なナイフを使われるのですね」
プギオ──古代ローマの兵士の標準的な装備として用いられたもの。長さはせいぜい三〇センチほど、重さは〇.二キロとといったところ。戦場で、メインとなる長剣や槍などを失ったときに補助として使われる武器である。
だがもちろん、武器としての性能は悪くない。ナイフの割には幅広で、殺傷力も高い。
「どうです、この勝負、受けてもらえますか」
柳也が言うと、秋子は優しく笑う。
「いいですよ。あなたが望むのなら」
秋子も懐からナイフを取り出した。
「慈悲のナイフ。ミセリコルデ……その輝きを見るのはこれで、三度目ですね」
ミセリコルデ。一四〜一五世紀に英仏でよく使われていた短剣。ミセリコルデとはフランス語で『慈悲』という意味になる。この名の由来は、戦闘で重傷を負った者にとどめをさすときに使ったからである。
秋子がこのナイフを使っているのは、いったい何の冗談であろうか。
プギオのようなナイフに比べると、殺傷能力はそれほど高くない。長さも重さもそれほどプギオとは変わらないが、細身で、正面から切りあうには向かない。アサシンとして、相手の背後にしのびより、首をかき切るには丁度いいかもしれないが。
ナイフで正面から戦いを挑んだというのは、この男が少しでも形勢を五分に戻したかっただけなのかもしれない。
「でも、私の『言葉』を聞くのはこれが初めてですね」
「言葉?」
「魂よ、安かれ──アーメン」
秋子が動いた。
疾風のような速さで、柳也の首筋を狙う。だが正面からの戦いならば、柳也にも分はある。
秋子はあくまでも『サイレント・ウィザード』であって、決して正面から戦う『ブレイブ・ソルジャー』ではないのだから。
柳也は、ナイフで牽制しながら秋子のミセリコルデを回避する。
無論、秋子は戦士としても一流だ。いや、そんな陳腐な表現で片付けられるほどの相手ではない。ナイフを使わせて彼女の右に出るものなどいないかもしれない。それほどの使い手。
だがそれでも、正面から戦うのならば柳也にも勝ち目がある。
「これで──」
柳也は足で空を掻く動作を見せてから、秋子の右腕を狙ってナイフを振る。だが、そんな小手先のフェイントにひっかかるような秋子ではない。一瞬で、柳也の懐に入り込むと、その鳩尾に左肘を入れた。
「がはっ」
そして、首筋めがけてナイフを突き出す──ナイフで確実に致命傷を与えるとすれば、心臓か首。ここしかない。秋子は忠実に、それを実行していた。
(くうっ)
柳也はなんとか体をひねってナイフをかわす。が、掠めた。ほんの一ミリ、いやそれすらもない。だが確実に、秋子のナイフは柳也の首筋をかすめて、じわりと血をにじませた。
(さすが、秋子さん)
一度間合いを取り、呼吸を整える。
(だが、勝たなければならない。俺自身のために。そして、空にいるあいつのために)
カノンキャラ、全ての命とひきかえに、空にいる翼人の魂を地上へと呼び戻す。
そのためにも、負けるわけにはいかないのだ。
(どんなことをしてでも勝つ──どんなことをしてでも、な)
──当然、負けられないのは秋子も同じである。
名雪と幸せに暮らすこと。それだけが自分のささやかな望みだ。それを邪魔しようとするものは絶対に許さない。
秋子は、攻撃の手を緩めない。すぐに間合いを詰め、ナイフをさばいていく。
柳也は紙一重でそれをかわしていく。手加減などしていないのにまだ余裕すら感じられる。追い詰めているようで、ぎりぎりで逃げていく。
(さすがに、柳也さんですね)
自分が生き残ることにかけては、この世界にいる誰よりも力を発揮するだろう。
目的を達成するためには手段を選ばない。柳也とは、そういう人物だ。
(──?)
何か、不自然だ。
何故、柳也はわざわざナイフで正面から戦うことを望んだのか。
(何か、企んでいる)
それは分かる。だが、何を企んでいるのかが分からない。
(──ならば、柳也さんが行動をおこす前に)
それよりも先に、倒す。
秋子は渾身の力で、柳也に向かって突進する。
両手でしっかりと柄を握り、まっすぐに心臓をとらえる。
回避は──させない。
「うおっと」
ガィン!
柳也は──左手で、その切っ先を受け止めた。秋子は目をみはって、その様子を見る。
「つっ」
その左手から、二つに割れたメダルが落ちて、音をたてる。柳也は秋子が心臓を狙っていることをみこして、左手に金属製のメダルを持って受け止めたのだ。
「……やりますね」
「この世界に来てからずっと、あなたと戦うことだけを考えてましたからね」
やはり、油断ならない。往人などより、ずっとこの男の方が強い。それは間違いない。
だが、これで柳也の考えもある程度推測することができた。
カウンター、だ。
防戦に徹しているように見せて、隙をはかり、一撃で決着をつけるつもりなのだ。
(こいつは、狙いがバレたな)
秋子の推測どおり、柳也は秋子の突進をぎりぎりで回避して、ナイフを彼女の体に突き立てる予定だった。
だが、秋子の突進が自分の予想よりもはるかに上回っていたため、隠し持っていたメダルで受け止めざるをえなかったのだ。
「あなたを倒す方法。必ずくる今日、この日のために、ずっと考えていたんですよ」
「私も、同じです」
秋子はにっこりと笑った。
「あなたとは雌雄を決する日が来ると、信じていましたから」
「……光栄ですね」
柳也は汗をかきながら答える。
(本気か? この人が、俺なんかを)
それだけ自分が注意すべき人物だと評価されているのはたしかに光栄だが、逆に自分のことはかなり研究されているという意味でもある。
(やはり、AIRの敵はKANONというわけか)
柳也は片手でナイフを構える。
(次だ。次の秋子さんの攻撃で、きめる。こっちの考えはよまれているかもしれないが、うまくタイミングをあわせて、秋子さんを倒す。それしか、ない)
全神経を、秋子のミセリコルデに集中させる。
ゆらり、とナイフは揺らいでいる。いつ、攻撃が開始するかは秋子次第だ。
(……くる……)
一秒後のことが既視できたかのように、秋子が動くことが分かった。
(タイミングを、合わせろ──)
ミセリコルデは、自分の首筋めがけて鋭く伸びてくる。
(今だ!)
柳也は身を翻して、その切っ先をかわす。そして秋子の心臓めがけてナイフを突き出す──
「なっ!」
だが、その先に秋子の体はなかった。
秋子は攻撃と同時に柳也の体の動きを目で追い、ナイフの攻撃距離から遠ざかるように動いていた。そして、柳也の背後を取る。
「しまっ」
柳也が声を上げるが、遅い。
カウンター狙いを見透かされていながら、その攻撃に頼った柳也のミスだ。
「さよなら」
秋子はいつの間にか逆手に持ちかえていたナイフを、柳也の背めがけて振り下ろした。
背に、ズブリ、とナイフが突き刺さった。
何がおこったのか分からず、目が見開かれる。
手からナイフが滑り、床に落ちて甲高い音を立てた。
「そ、そんな、まさか……」
秋子の口から、弱々しい声がもれた。
「……どうやら、俺の本当の狙いには気がついていなかったようですね」
柳也は、秋子に背を向けたまま言う。
秋子の視線の先にいる柳也は、先ほどと変わらずに、無防備な後姿をさらしている。
では──
(そう……ですか)
秋子が、ばったりと倒れた。
その、さらに背後──
「裏葉さん……不覚、でした……」
いつの間にか、この二人の戦場に和服姿の女性が入り込んでいた。
「柳也様、ご無事で何よりです」
「助けてくれると思ってたぜ、裏葉」
柳也の本当の狙い。それは、自分が策をめぐらせていると見せかけておいて、秋子へのとどめの一撃は隠れ潜んでいる裏葉にやってもらう、というものであった。
無論、事前に示し合わせてのことではない。だが裏葉はしばらく前からこのネルフに入り込んでおり、何かと柳也を助けていた。
そして、この戦いが始まる直前に裏葉を呼び出しておいたのだ。
「ウィザードが、背後をとられるとは……修行不足です」
秋子は仰向けになる力も残ってはいないようであった。うつ伏せに倒れたまま、かすむ瞳で柳也を見上げる。
「何か、遺言はありますか?」
裏葉がその場に膝をついて、秋子の口に耳を寄せた。
「……、……」
既に弱々しくなっていた秋子の声は、それでもほとんど聞こえなかった。
「逝ったか」
柳也が宿敵の前に、肩膝をついた。そして、そっと目を閉じさせる。
「……柳也様」
「ああ、すまない。だがまあ、秋子さんをどうにかするのはシナリオにあったとおりだ。仕方がないだろう」
「できるだけ、カノンの方々には手をかけない約束でしたのに」
「そんな奇麗事ばかり言ってもいられなくなったんでね。セカンドインパクト、そして翼人補完計画のほぼ全てが秋子さんに知られてしまった」
「……」
「そして、それが真琴と佐祐理にも伝わってしまっている」
「……では」
「ああ。追うぞ。始末する」
「そちらは、私におまかせを」
裏葉の言葉に、柳也は目を見張る。
「もう往人様がターミナルドグマに降りていらっしゃいます。あの方を助けるには、時間がありません」
「そうか。そうだったな」
翼人補完計画。
往人の考えている補完計画が実行された場合、神奈を地上へ呼び戻すことはほぼ不可能となる。
事態は、一刻を争うのだ。
「あの方を、お願いします」
「心得た」
柳也は急いでターミナルドグマへ向かおうとしたが、ふとあることが気になって振り返った。
「……秋子さんは、最後になんて言っていた?」
すると、裏葉は優しく微笑んだ。
「名雪、と」
「そうか」
柳也は目を閉じ、黙祷を捧げた。
そして、二人は別れた。
裏葉は、地上へ。
柳也は、ターミナルドグマへ。
……少しの後。
誰もいなくなった第二発令所に、小柄な少女の姿があった。
背に六枚の熾色の翼を持った少女は、秋子のなきがらの傍まで来ると、悲しそうに顔をゆがめた。
「秋子さん」
彼女は、そっと右手を伸ばした。
「たああああああああああああああっ!」
名雪が、第二発令所の事件を知ることもなく戦いを続ける。
二匹目のエアの頭部を粉砕し、三匹目のエアの両腕をプログナイフで寸断してその顔面にナイフをつきたてる。
「あと、六」
次は、二匹同時に攻撃をはなってきた。
一気に突進してくる二体のエア。だが名雪はそれを冷静に見てかわすと、エアの持っている武器、剣のようでもあり、槍のようでもある特殊な武器を奪って対峙する。
「いくよっ!」
弐号機が突進を開始すると、エアは左右に別れる。その一方を追い詰め、剣で胴体をなぎ払う。
さらに別れたもう一方のエアが飛び上がって攻撃してくる。不意をつかれたかっこうとなったが、名雪は冷静にその攻撃を剣で受け止めた。
「祐一は、私が守るんだからっ!」
剣を振り下ろして、エアの武器を吹き飛ばす。
「てぇいっ!」
袈裟懸けに、五体目のエアが斜めに分断された。
「あと、四」
往人は、ゆっくりとターミナルドグマの最深部へと向かっていく。
そして、その先に。
一人の少女がいた。
「まさか、お前が使徒だったとはな。意外だったぜ」
「……初対面の人にお前呼ばわりされる覚えはないわ」
ターミナルドグマ。その、中心部。
リリスの間。
白い体と、紫の仮面をつけた巨人。
その、正面に立つ女性。
「香里」
往人を待っているかのように立ち止まっている少女。
「……誰?」
「ま、誰でもいいだろ、第二使徒イヴ」
「イヴ……」
「俺もすっかり騙されてたぜ。第二使徒はここにあるリリスだとばかり思っていたからな。だが、本当の使徒はお前達姉妹だったってわけか」
「……私は、どうすればいいの」
「ここに、アダムがある」
往人は右の掌を開いて見せる。そこに目玉がついている。
アダムの瞳。
「アダムとイヴが結ばれるとき、サードインパクトが起こる」
「結ばれる?」
「そんな、身構えなくてもいいさ。たいしたことじゃない」
「……」
「それに『まだ』早い」
往人は香里の横を通り過ぎると、カードキーを使って最後の扉を開ける。そして、ドグマの最深部まで歩き出す。
香里はゆっくりとその後をついていった。
(……何、してるんだろう)
香里は、何かにひかれるようにしてここまでたどりついていた。そして、待っていた。
この扉が開くのを。
何故かは分からない。
だが、何かがここにある。
そして、自分はそれを求めているのだということも分かっていた。
「お待ちしていました」
その向こう。
立ち止まった往人の向こうに一人の少女が立っていた。
「美汐か」
「往人さん……」
美汐はゆっくりと、拳銃を片手でかまえる。
「何故、香里さんがここに……いえ、どうでもいいことですね。これで、全ては終わりますから」
言うなり、美汐は発砲した。
「うあああああああああっ!」
名雪は剣でエアと斬り合う。木々を薙ぎ払い、そのままエアの両足を切断する。
その隙を狙って、別のエアが弐号機に馬乗りになろうと押しかかってくる。
「くぅっ」
名雪は肩のバックパックを開くと、そこから散弾をぶちまけた。エアの顔面にそれらが全て突き刺さり「キシャアアアアアアッ!」と悲鳴が上がった。
「くらえっ」
そして、名雪の発したA.T.フィールドでエアの右腕が飛んだ。
「あと、二つ」
──だが。
その銃は、往人の前に現れた八角形のオレンジの壁によって阻まれることとなった。
「A.T.フィールド!?」
美汐が目を丸くして驚く。
「……そうか。まだ一人、始末してないやつがいたんだったな」
往人は今気がついたかのように、ゆっくりと懐から拳銃を引き抜いた。
(馬鹿な)
美汐は目の前で何が起こっているのかが分からなかった。
A.T.フィールド。使徒やカノンだけが持つ、光の壁。
何故それを、往人が──
「あなたは……何者なんですか」
「俺か? 俺は、アダムだ」
「アダム……第一使徒! 一五年前に滅んだのではなかったのですか?」
「一五年前、セカンドインパクトで滅びたのは南極だけだ」
一九九九年冬に、全ての悲劇の発端があった。
カノンキャラを補完するために起こったものがファーストインパクト。そして、この世界が生まれた。
二〇〇〇年夏、悲劇が再度補完されることはなかった。
だから、セカンドインパクトを起こした。
「俺が、な……」
「アダムと融合するために、ですか」
「最終的には、観鈴の魂を取り戻すために、だ」
そして、分かった。
この人の想いは、ただただ純粋だ。
観鈴のため。そのためだけに全てを犠牲にしようとしている。それがどれほど罪深いことなのかも承知の上で。
(……かなわ、ないですね)
自分も、祐一のことを想っていた。
だがそれは、全てを犠牲にするほどの破滅的なものではない。
それだけの覚悟を持つこともできない。
「私を殺すのですか」
「必要があるからな」
「そうですか」
美汐は腕をだらりと下げた。
次に何が起こるかということが、分かっていたからだ。
(……祐一さん)
往人の指が、トリガーを引いた。
(せめて、あなただけは幸せに──)
「活動限界まであと一分!」
真琴が作業を続けながら叫ぶ。だが、既に佐祐理にその声は届いていない。
何者をもよせつけない神の領域、第六六六プロテクトを解除するプログラムを打ち込むというそのことだけに完全に集中し、他のことは全く頭に入ってはいなかった。
まばたきすらせず、ひたすら指だけを動かしている。
さすがは、入力の速さだけならば美汐に匹敵──いや、凌駕するとまで言われた佐祐理。その集中力が最高度に達したとき、彼女の指の動きを常人が目で追うことはできるはずもなかった。
(佐祐理さん、すごい……)
真琴が自分の作業を終わらせ、佐祐理に声をかける。
「こっちはOK!」
その声にすら佐祐理は反応しない。
そして。
「プロテクト、解除まであと一〇!」
佐祐理が振り返って叫んだ。真琴は目を大きく見開いて頷く。
「了解! 電源ケーブルの準備はOK!」
「名雪さん、名雪さん、聞こえますか?」
もちろん、無線を使っているのだから聞こえないはずがない。『SOUND ONLY』ではあるが、佐祐理の声は弐号機の名雪にしっかりと届いた。
「聞こえてるよ〜」
『あと五秒で電源ケーブルが出ます。何とか、接続してください』
「了解〜」
とは言うものの、状況はそこまでかんばしくはない。
エアシリーズ残りの二体は見事な連携を見せ、こちらが近づいては離れ、また一体が攻撃してくるという、こちらの時間が少ないことを知ってのことなのか、時間をかせぐ作戦にあきらかに切り替えていた。
(あと、三〇秒)
なんとか、電源ケーブルと接続して、こちらの行動時間を延ばさなければ、逆になぶり殺されるのは明らかだ。
とにかく、あと一体。まずはなんとしても落とす。
もう一体に隙を見せてでも、倒す。
(よし)
そして、弐号機が駆けた。
あっという間にエアの一体に近づき、プログナイフを突き立てる。だが、エアはそれを回避して後方へ逃げる。
(逃がさない)
弐号機の後ろからもう一体のエアが攻撃してくるのは分かっていたが、名雪は無視した。目の前の敵を倒す。倒す。倒す。倒す。そのことに専念するしか手はなかった。
「うあああああああああああっ!」
名雪がさらに、跳ぶ。そして、間合いを一気に詰める──
そして。
弐号機のナイフが、エアの顔面に突き刺さり、根元から折れた。
エアはもんどりうって倒れ、ぴくぴくと痙攣して動かなくなった。
「きゃああああああっ!」
だが最後のエアが弐号機の背を蹴り倒し、その上に馬乗りになる。そして、大きく剣を振りかぶった。
「負けて、られないんだからっ!」
だが、その攻撃をA.T.フィールドで弾くと、最後のエアを反動で跳ね飛ばす。
「これでラストだよ〜!」
そのエアめがけて突進し、右腕を振りぬく。
弐号機の右腕が、エアの左胸を貫いていた。
「終了〜♪」
そして、名雪はすぐにあたりを見回す。佐祐理が出してくれた電源ケーブルが近くにあるはずだ──あった。
ここからなら五秒で着く。時間は充分に余裕がある。
「助かるよ〜」
名雪がその電源ケーブルに向かって駆け出した。
その、直後である。
はるか、上空。
いや、それよりももっと高み……遠く。
月軌道。
そこにあったモノが『標的』に狙いを定めた。
ロンギヌスの槍。
それは、コンマ一秒で最高速度──光速に達した。
その気配を、名雪は敏感に感じ取っていた。
瞬間、A.T.フィールドを最大で展開する。その八角形の光の壁のちょうど真ん中に、ロンギヌスの槍は突き刺さった。
「ロンギヌスの槍──?」
名雪は目を疑った。そして、感じた。
このままでは、いけない。
だが、思うまでで精一杯だった。ロンギヌスの槍はA.T.フィールドによって一瞬行動を妨げられたものの、それをたやすくつき破って弐号機に突き刺さった。
弐号機の、左眼に。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「名雪さん、名雪さんっ!」
佐祐理の必死の呼びかけにも、名雪はただ叫びを返すのみであった。
電源ケーブルまで、あと二歩の距離。
だが、弐号機はもはや、動かなかった。
「弐号機……活動、限界」
真琴がゆっくりと息を吐く。
間に合わなかった。
そうした思いが二人の間によぎる。
そして、さらに。
惨劇は、終わらない。
「……なに、これ……」
佐祐理が、ゆっくりと左手を口元へと持っていく。
あちこちに倒れていたエアシリーズが、ゆっくりと、動きはじめていた。
「エアシリーズ、活動再開」
しかも自己治癒能力を持っていたのか、切断された手足、裂傷などのことごとくが治っていた。
『キシャアアアアアアアアアアアッ!』
エアたちは、同時に声をあげた。そして、翼をはためかせて空へと舞い上がる。
「とどめを刺すつもり!?」
真琴が言う。だが、正確には、違った。
鳥のようにエアたちは弐号機の体に舞い降りると、その機体をついばみ始めたのだ。
「いやあああああああああっ!」
佐祐理が悲鳴を上げる。真琴も目を背けた。
目玉が抉られ、手足が血に染まり、腹部からは腸が散乱した。
弐号機は、もはやただの死体と成り果ててしまっていた。
はあ、はあ、はあ、はあ。
激痛が去るまでの五秒は、名雪にとって最も長い五秒であった。
ショック死するのではないかと思われるほどの激痛。それでもまだ意識が残っているのは名雪の優秀性を示す指標ではあるが、この場合は気を失っていた方がはるかに楽であっただろう。
まだ、その余韻が残っている。
頭がガンガンと痛む。左眼は充血して、熱湯を浴びせられたかのような感覚が残っている。
「ゆういち、ゆういち、ゆういち、ゆういち、ゆういち……」
電源が切れてしまったため、もはや名雪は痛みを感じない。だが、目の前で起こっていることは理解できた。
弐号機が喰われている。
激痛の残る目を左手で押さえながら、名雪は必死に右手を伸ばした。
「ゆういち、ゆういち、ゆういち、ゆういち、ゆういち……」
だが。
救いの手は彼女に向けられることはなかった。
最後、空に舞い上がった九体のエアは、おのおのの武器をカノン弐号機に向かって放った。
九本の槍が弐号機に突き刺さる。
こうして、弐号機はこの大地につなぎとめられた。
『祐一さん、名雪さんが、名雪さんがっ!』
ケイジに佐祐理の悲鳴が響く。だが、それは祐一には届いていなかった。
祐一本人はいる。だが、祐一の意識はこの世界にはなかった。
彼の意識は、過去と幻想の中に閉ざされていたのだ。
「……どうして、おまえがここに……」
祐一は目の前にいる人物に尋ねていた。
今度は、先ほどのように消えたりはしなかった。
今度こそ実態をもった少女が、目の前にいた。
「……みなぎ……」
to be continued...
次回予告
最後の戦いがついに始まった。
祐一が、名雪が、あゆが、それぞれの結末を選択する。
そして発動するサードインパクト。
往人の願いは、天に通じるのか。それとも。
全ての物語は、ここで終結する。
次回最終話 そして、再会のとき
第弐拾六話
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