THE END OF KANONGELION

EPISODE:26   STORY










Just when I close my eyes
It takes me by surprise
How clear they come back on the screen
Alive on my silver screen
Faces of those I loved
Faces of those I fought
Now they're altogether in my memory.





「はじまったな」
 柳也が白い巨人を見上げる。往人はその柳也に向かって、拳銃を構えた。
「よくも、やってくれたな」
「何を怒ってるんだ? もともと、お前と俺は仲間ではなかった。そうだろう」
「そうだな。だから俺がここでトリガーを引くのも問題ないってわけだ」
「おおっと、そいつはいけない」
 柳也は苦笑する。
「俺もどうしても神奈に会いたいからな。殺されるわけにはいかないんだ」
「俺が観鈴に会いたかったのも当然知っているはずだな」
「ああ、知っているさ」
「それを、お前は全て台無しにした」
「サードインパクトを起こさせるわけにはいかないからな。この夢の世界に生きる全てのものを生贄とし、お前と観鈴だけが現実の世界へ帰る……そんなことを許せると思うか?」
「かまうかよ。俺にとっては観鈴が全てだ。観鈴のためなら世界も地球も全てぶち壊してやる!」
「俺も、全く同感だよ。対象が違うだけでな」
 銃声が鳴る。それよりも早く柳也は跳躍して、その弾丸を避ける。
「往人! お前の願いはもうかなわない! 諦めて、銃を捨てろ」
「てめえだけは絶対に許せねえんだよ!」
 続けて放たれる弾丸に、柳也は柱を盾にして隠れる。
「そんなことをやっていている暇はないぜ、往人。ほら、リリスとイヴ──アダムの妻たちがお前を見捨てて天上へ行くぞ」
「なに」
 往人は振り返る。すると、両手両足に打ち込まれた楔から、白い巨人の体がすり抜けて落ちていく瞬間が目に入る。
 LCLの海に落ちた巨人は、その場に巨大な波を起こして往人と柳也を巻き込む。
「くっ」
 往人は咄嗟に柵に捕まった。右手から拳銃がすべり落ちていく。
「しまった」
 次の瞬間。
 いつの間にか近づいていた柳也が、自分の喉元にナイフを突きつけていた。
「さよなら、往人」
 ずぶり、とナイフが喉を貫く。
 往人の黒い眼が大きく見開かれた。
(み、すず……)
 ナイフを引き抜くと、往人はLCLまみれになった床にばったりと倒れた。





「!」
 最後に残ったモノリスが、ぐらりとよろめいた。
「……往人、さん?」
 モノリスは佳乃の身体へと変化する。
 その目には、生気というものがどこにもなかった。
「どうして……?」
 往人の波動が消えた。
 この世界から、往人が消えた。
 いなくなってしまった。
「イヤだ……」
 彼だけを。
 ずっと、彼だけを追いかけてきたのに。
 それなのに。
「往人くん!」
 佳乃の精神が、崩壊していく。





 倒れた往人を見て、柳也はしばらく呆然としていたが、やがて思い出したかのようにくつ、くつと笑い出した。
 その笑いは徐々に大きくなっていき、誰もいなくなったターミナルドグマで大声で笑った。
「はっ、ははっ、ははははははははははっ! ここまでうまくいくとはな! もう秋子さんも往人もいない……神奈、お前をすぐに地上に戻してやるからな!」
 そして、白い巨人が空へと浮き上がる。
 天井をぬけ、大地をすり抜け、地上へと出ていく。
「……そうだ、行け。行って、エアシリーズを止めるんだ」
 そして、自分はその間に夢見人を手に入れる。
 必ず、この近くにいるはずだ。

 ──綾波、あゆ。







 はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!
「くそおお……おさまれってんだよ、この……」
 祐一は左胸を押さえてうめく。だが、その動作が初号機に伝わることはない。
 既に初号機はその行動の自由を奪われてしまっている。
 そして、初号機の背に翼が生まれた──いや、翼に見えるその光の粒子は、徐々に十字架の形態へと変質していく。
「いったい、どうなるんだこれから」
 全く動くことができないという状況。終わらない激痛。その中でも意識を保ちつづけている祐一。
 彼は既に、この世ならざるものに変わってしまっていたのかもしれない。
 いや、その痛みすら夢の中の出来事であるという自覚が、彼に正気を保たせていたのかもしれない。
 そして、白い巨人が浮かび上がってきた。
 はるかな高みにいる初号機のもとまで、巨人が要した時間はほんの数秒。
 祐一の目に、巨大な白い人型が映った。
「なんだ?」
 栞が最終目的地だと勘違いしていた、白い巨人リリス──いや、違う。
「誰だ、お前は……」
 その顔がひどく見覚えのあるものに見えて、祐一の体が震えた。
「美凪、なのか」
 そうだ。美凪は確かに言っていた。
『黒き月の最深部に……』
 黒き月=ジオフロント。最深部=ターミナルドグマ。
 美凪、お前の役割は……。
「リリス……なのか」
(祐一さん)
 そして、その顔がまた別のものに変わる。
 それを見たとき祐一の顔が驚愕に満ち、次に幸せへと変わった。
 そして、リリスとエアの同化が始まった。
 エアシリーズは初号機を中心として、それぞれの位置に降り立つ。
 九体のエアシリーズと初号機による一〇のセフィラー。それは、セフィロトの樹。
 頂点に座すはケテル(王冠)。大宇宙との接点であり、生命力の源泉である。
 右辺、上部にはコクマ(知恵)。男性原理の象徴である。
 左辺、上部にはビナー(理解)。女性原理の象徴である。
 右辺、中部にはケセド(慈悲)。宇宙法則としての『愛』を示す場である。
 左辺、中部にはゲブラー(神力)。神の力を司る場である。
 中央部にはティファレト(美)。生命の樹の中央に位置し、生命エネルギーを供給する役割を果たしている。
 右辺、下部にはネツアク(勝利)。豊穣、堅実、勇気などの意味がこめられている。
 左辺、下部にはホド(栄光)。物質的形態の鋳型を示す場である。
 中央下部にはイェソド(基盤)。こちらは霊気(物質と霊魂の中間)を示している。
 最下部にはマルクト(王国)。ここが物質的王国、すなわち現実世界である。
 二二のパス(セフィラーをつなぐ道)を通じて一〇のセフィラーが結びつき、聖歌によってA.T.フィールドの共鳴はさらに高鳴る。
 歌声は、世界中に響き渡っていた。







(う……ん……)
 頭が重い。
 何も、思い出せない。
 ここは……どこ。
 どうして、自分はこんなところにいるんだろう。
「どこ……ここ」
 体中が痛い。よく見ると、あちこちすり傷だらけだった。さいわい、大きな怪我はどこにもないようだ。
「そうだ……」
 佐祐理は、ようやく自分の身に何が起きたのかを理解した。
 エアシリーズのエネルギーによって、ジオフロントが融解。
 その衝撃派に吹き飛ばされてしまったのだ。
 あの大爆発で、よく生きているものだと感心する。
「生きてる」
 そう。
 自分はまだ、生きている。
 舞と離れ、真琴を犠牲にして、それでもまだ自分は生き続けている。
「祐一さん──」
 そして空を見上げた。
 セフィロトの樹、六番目のセフィラー、ティファレトの場にいる初号機は、完全に身動きを封じられて動くこともできずにいる。
 その両手には槍がつきささり、胸にはロンギヌスの槍が今なお突き刺さっている。
「ひっ」
 遠目にも、祐一の激痛がどれほどのものであるかが分かった。
 ショック死してもおかしくないほどの激痛に、祐一は耐えているのだ。
「祐一さん!」
 叫んだ。
 だが、その叫びは届かない。
 カラ、と背後で音がした。
(誰かいる!)
 咄嗟に振り向いて身構える。心当たりはたった一人しかいない。
 あの、着物の女性。
「あなたは」
 佐祐理の目が見開かれた。
 確かに思っていた通り、そこにいたのは着物姿の女性。
 だが、予想していたのとは少々、様子が違った。
「……無様、ですね」
 そこにいたのは、真っ青になって、大量に血を流していた着物姿の女性。
 どうやら、先ほどの衝撃派で致命傷を受けたようだった。
「こんな、あっけない幕切れとは思いませんでした」
 掠れる目で、佐祐理の方に向かって話し掛けている。
「……あなたは、いったい」
「佐祐理さん。私は、羨ましかったんです。大好きな人の傍にいられるあなたたちが……だから、嫉妬していました。カノンキャラの、全てに」
 突然そんなことを言われても、佐祐理には何なのか全く分からない。ただ、この人がもうすぐ息絶えること、そしてこれが遺言なのだということは理解できた。
「一人残されるのは辛い……だから、私は幸せです。今度は、先に逝くことができる」
「今度は……」
「柳也様に……神奈様と幸せになってくださいませ、と」
 そして事切れた。
 自分の命を狙っていた女性。それが、自分の知らないところで、こうもあっけなく亡くなった。
 いったい、このやるせなさは何だというのだろう。
 まるで、全ての生命を愚弄するかのように、虫けらを踏み潰すかのように全ての命が消え去っていく。
(佐祐理は……死にません)
 知らない間に零れていた涙を振り切り、佐祐理は空を見上げた。
(祐一さんがこの世界にいる限り、佐祐理は微笑み続けるんですから)
 初号機に向かって、佐祐理は優しく微笑みを浮かべた。
「だから──必ず帰ってきてください」







「もう、いいんですか?」
 白い巨人の姿は、祐一にとってもっとも心安らぐ相手のものに変わっていた。
「そこにいたのか、栞」
 会いたかった。
 お前さえ傍にいてくれるのなら、俺には他の何もいらない。
「愛している……」
 祐一は手を差し伸べる。無論、両手をつなぎとめられている初号機が手を伸ばすことはかなわない。
 だが、その動作に栞も反応した。
 両手を差し伸べて、優しく両手で初号機の頭を抱く。
 それと同時に、エアシリーズたちが持ち場を離れ、初号機と白い巨人を囲むように位置づく。
(そうだ)
 祐一は全てのしがらみから抜け出たような落ち着いた微笑をたたえる。
(俺はお前を二度も失ってしまった)
 現実の世界では奇跡は起こらなかった。
 夢の世界では自らの手で彼女を殺した。
(今度こそ、幸せになる……)
 どれだけ立ち直っているように見えていたところで、このときの祐一の意識はほぼ全て栞に向けられていたことは疑いようの無い事実であった。
 その栞を目の前にして。
 祐一は、全てのものを投げ出す覚悟ができた。



(お前さえいれば、あとは何もいらない)



 そして、世界の補完が始まる。
 ロンギヌスの槍が初号機の中へ吸い込まれていく。そして、ロンギヌスの槍と同じ血の色をした十字架へと変貌を遂げた。
 そして、その十字架の各所から無数の枝が浮き出ていく。
 十字架の表面には葉脈すら浮き出ていた。
「生命の、樹」
 それを生者ではただ一人見つめていた佐祐理がうめくように呟く。
(祐一さん、祐一さん──このままでは、駄目)
 今の祐一にとって一番大切なものが何なのか、ずっと看病を続けていた佐祐理には分かっている。
 だが、このままでは祐一自身がいなくなってしまう。
「祐一さーんっ!」
 だが、彼女の叫びは届かない。





Give us one more day, Let us find a way
That's leading to your land
Give me one more night, Keep me in your sight
And I'll beleive myself.

In a story of time
A story of time...










 そうだ。
 ずっと俺は、たった一人の女性を探していた。
窓ガラスの割れる音。
そこから飛びかかってくる男たち。
身動きを封じられた自分。
裸に剥かれ、男に陵辱された少女。
 ……二度と、そんなことはさせない。
 大切な女性は、この手で守ると誓った。
 それなのに。
歌声が途切れる。
そして、第一七使徒の首がLCLの海へと落ちた。
 ……大切な人を、この手で殺した。
 俺が手に入れた力とは、何だったのだろう?
 いや、そもそも俺は力を手に入れていたのだろうか……。



 だいたい、お前はいったい何者だ?
 夢と現実の区別もついていないお前は、この世界に何を残すつもりだ?
 たった一人の女性などといって、要するに誰でもいいから傍にいてほしいというだけのことではないのか?
「誰でもいい……そんなこと、考えたこともなかった」
『そう? だって、誰とでもシてるじゃない』
 深い息を吐くと、それはずっと、奥のほうにまで辿り着いていた。
 真琴の顔は後ろから見えなかったが、吐く息が俺と同じように荒く、白かった。
 犬のような格好で俺のモノを甘受したまま、真琴は身動きしない。
 ただ、熱くぬめった真っ直中にあるモノの存在だけが、不自然に思えた。
 でもそれだけが、ふたりを繋ぐ、目に見える接点だった。
 それを求めた行為だった。
『ほら、真琴とだってシてる』
 俺は最終的な行為に移る。
 自分のものを取り出すと、さっきまで口を当てていた部分にあてがい、自分を押し進めていく。
 柔らかく、温かい。
 舞の中に自分が侵入してゆく。
 じっとして慣れたところで、普通の男がそうするように、腰を引き、そして押した。
 ぬちゅっ……ぬちゅっ……。
 自分の最も気持ちのいい部分を見つけると、舞の中の粘膜に執拗に擦りつけた。
 快楽だけを追求する、卑しい行為だ。
『ほら、舞とだってシてる』
 栞のその部分に、俺は自分のものを宛う。
 栞の表情が、目に見えてこわばる。
 その部分はしっとりと濡れていて、力を入れればすんなりと入っていきそうな気さえする。
 俺のものが、温かく包まれる感触。
 明らかに肌とは違った粘膜の感触に、俺の鼓動も早くなっていく。
 自分の体の中に異物が挿入される感覚に、栞が顔をしかめる。
 苦しそうな声を漏らす栞の姿が、すぐ目の前にあった。
 すんなりと入りそうな気がしたのは最初だけで、今では俺を拒むように栞の中はきつかった。
 ぎゅっとストールを掴んで、痛みに耐えるように眉を寄せる。
 栞の体が小さく弾んで、そして、何かを突き破るような感覚。
 ぬるっとした温かな感触に、俺のものが栞の中に沈み込んでいた。
『ほら、栞とだってシてる』
 名雪の腰にまわした手に、できるだけゆっくり力を入れる。
 名雪の息が詰まるような声。
 痛くないわけはなかった。
 名雪の中は、俺の侵入を拒むようにきつくて、そして温かい。
 やがて、何かを突き破ったような感触があった。
 そして、名雪の中に沈み込む。
 結局、最後まで名雪は痛みに耐えていた。
『ほら、名雪とだってシてる』
 俺はすでに大きくなったものを、あゆの体に重ねる。
 あゆの表情がこわばる。
 その部分は温かくて、そして他に形容できないような感触だった。
 ぬるっとした粘液の中に、僅かに俺のものが沈む。
 だけど、すんなりと入ったのはそこまでだった。
 先端があゆに包まれたところで、動きがとまる。
 あゆが、小さく声を漏らす。
 口元に手をあてて、口をついて出る言葉を、必死で飲み込もうとしている。
 大丈夫なわけがないことはあゆの様子を見れば分かる。
 あゆの中を感じながら、やがて、あゆの体が完全に沈み込んでいた。
 口元でぎゅっと手を握って、泣き出しそうになるのを堪えるように、目を瞑る。
『ほら、あゆとだってシてる』


誰とでもいいんでしょう?
快楽だけがほしいんでしょう?
でも、それは別に蔑まれるようなことじゃない。
誰だって、そう思っているんだから。


「やめろ!……俺は、俺は違う。
 ずっと、たった一人だけを追い求めていたんだ!」
『だいたいあんた、あゆのことすっかり忘れちゃってたじゃない』
「仕方ないだろ!
 それは……それは俺のせいじゃない!」
『他人のせいにしてしまうんですね』
「そういう意味じゃない!」
『……卑怯』
「違う! 違う違う違う!!!」



 ずっと、他人を拒絶していたんだ。
「どうして?」
 他人と触れ合うと……いつかそれを失うとき、もっと辛くなるから。
「でも、触れ合わなければ幸せも得られないよ」
 それでもいいと思ったんだ。俺のせいで、誰かが傷つくのは嫌だった。俺の前から誰かがいなくなるのは嫌だった。
「みんな、祐一くんのことを待ってるのに?」
 嘘だ!
 みんなだって、誰だっていいんじゃないか!
 そこにたまたまいたのが俺だったからって……。
 俺が誰でもいいから傍にいてほしいって思ったからって……。
 俺ばかり責めるのはやめてくれ!
「ボクは、ずっと祐一くんだけを見てたよ」
「七年前から、ずっとずっと、見てたよ」
「死んでも、祐一くんのことだけを考えてたよ」
 やめろ! お前は死んだ。七年前に死んだんだ!
「どうして、そんなこと言うの?」
 お前は俺の求めているヒトじゃない!

『そんなこと言う人、嫌いです』

 栞!
 俺は、俺にはお前だけ──

『佐祐理は傷つきました』
『祐一、嫌い』
『……祐一が悪い』
『最低ね』
『近づかないでください』
『ひどいよ、祐一くん』
『あんたなんかだいっきらい!』

 誰に嫌われたって、かまわない。
 俺は、栞、お前だけ──

『嫌です』

 しおり……。

『悲鳴を、あげます』

 お前まで俺を拒絶するのか?
 俺にはお前しかいないのに?
 お前は、俺に会うために生まれてきたのではなかったのか──!?



「誰も分かってくれないんだ」
何も分かってなかったんですね。
「嫌なことも何もない、揺らぎのない世界だと思っていたのに」
他人も自分と同じだと、一人で思い込んでいたんですね。
「俺の気持ちを、裏切ったんだ!」
初めから、祐一さんの勘違い。勝手な思い込みに過ぎなかったんです。
「どうせ、俺のことは誰も必要としてないんだ。だから、みんな死んでしまえばいい」
では、その手は何のためにあるのですか?
「俺がいてもいなくても、誰も同じなんだ。何も変わらない。だからみんな死んでしまえばいい」
では、その心は何のためにあるのですか?
「俺はいない方がいいんだ。だから俺も死んでしまえばいい」
では、何故ここにいるのですか?



 居場所なんて、求めたことはなかった。
 ずっと一人で生きてきた。
 誰とも交わることなんてないと思っていた。
 勝手に俺に期待して、勝手に俺を捨てていく。
 理不尽だ。
 俺はもともと何も求めてなんかいなかったのに。
 いや、たった一人の女性以外は何も求めていなかったのに。
 誰も彼も、俺の傍にやってきては、何も言わないで去っていく。
 それくらいなら、初めから優しくしないでくれ。
 俺は、ずっと一人でよかったのだから。










「祐一くん……」
 空を見つめる少女は、一人だけではなかった。
 その背には光輝く六枚の熾色の翼。
 綾波、あゆ。
 夢を見ることを宿命として負わされた、力無き少女。


世界が悲しみに満ち満ちていく。
空しさが人々を包み込んでいく。
孤独がヒトの心を生めていくんだね。


 舞は、祐一と佐祐理の幸せだけを願ってその命を落とした。
 秋子は、愛する娘と幸せに過ごすことだけを夢見てその命を落とした。
 美汐は、姉の復讐を果たすことができないまま愛する人を思ってその命を落とした。
 真琴は、大切な仲間を守るために体をはってその命を落とした。
 香里は、自分の最も大切な人のためにその命を投げ出した。



「あと、ボクを含めて、四人」
 あゆの目には、特別な感情はない。
 それが全ていなくなれば、往人の、柳也の願いが成就する。
(でも、ボクの願いは……)





 夢。
 夢を見ている。





(ボクの願いは、何なんだろ……)
 祐一くんと一緒にいたかった。
 陵辱されたときも。
 離れ離れになってからも。
 そして、また会うことができてからも。
(でも、それは本当のボクの願いじゃない……と思う)
 本当の、願い。
 それは、いったい?
「探したぞ、あゆ」
 声がかけられる。あゆはその声の主を確認した。
「柳也さん」
「往人が死んだ──もう、知ってるな」
「うん」
「というわけで、この世界で補完を望むことができるのは、他にいない」
「そうだね」
「協力してくれるな?」
 あゆはにっこりと笑った。
「できないよ」
 今度は、柳也の顔がひきつる。
「なぜだ。そのために、お前は今まで生きてきたんだろう」
「そうだけど、柳也さんの願いは聞けない」
「俺が、秋子さんを殺したからか」
「ううん、そうじゃない」
 あゆは、ふう、と息をついてから言う。
「裏葉さん、死んじゃったよ」
 柳也の表情に変化はなかった。
 そしてしばらく、何の言葉もなかった。
 だが。
 柳也の顔色が次第に青ざめていくのが、あゆにははっきりと分かった。
「……事実か」
「本当だよ……」
 がくり、と柳也の膝が落ちる。そして、大地に両手をついた。
「……俺は、裏葉を……」
 柳也と裏葉が、どれほど信頼関係によって結ばれていたのか、あゆは知っている。
 あゆに知らないことはない、と言った方が正しいかもしれない。
(柳也さんは、三人で暮らすことを望んでいた……だから、もう柳也さんには、戦う意味がなくなってしまった)
 あゆには、そのことが分かっていた。
「──始まる」
 そして、上空を見上げた。
「アンチA.T.フィールドが、世界を包む……」







 白い巨人が大地に根をおろし、巨大な両手で黒き月を掬う。
 地球からかすかに浮き上がった黒き月は、リリスに支えられてさらに高みに持ち上げられていく。
「ガフの部屋が開く。世界の始まりと終局の扉が……ついに開いてしまいますね」
 佐祐理は初号機が取り込まれた生命の樹を見上げている。
 アンチA.T.フィールドが自分に向かってきているのも、なんとなくだが理解していた。
 このまま、この波に自分をゆだねることができれば、きっと何の苦しみもない世界へ行けるのだろう。
 だが、死ぬわけにはいかない。
 もう一度舞と会うのだ。
 舞と会って──
「会って、どうするの?」
 何の気配もないところから声がする。心臓をわしづかみにされたように跳ね上がり、佐祐理は後ろを振り向く。
「あゆさん……無事で!」
「無事、だよ……でも」
 あゆは悲しそうに、表情を曇らせた。
「舞さんは、亡くなったよ」
「──!」
 佐祐理の目が大きく見開かれた。
「舞さんは、佐祐理さんと祐一くんの幸せだけを願って……」
「舞……舞が……」
 頭がぐらぐらする。
 ずっと、自分と一緒に生きてきた少女。
 自分が幸せにしたかった少女。
「私は、舞に幸せに……」
「佐祐理さん」
 あゆは、その肩に手を置いた。
「お願い」
 その目は、ひたすら真剣だった。
「祐一くんを、助けて」







 呆然と、柳也は空を見上げていた。
 あの空の上に神奈がいる。
 自分は神奈をこの地上に呼び戻すために戦ってきた。
 だが、もうその意味はなくなってしまった。
 自分と、神奈と、裏葉。
 三人揃ってこそ、意味があったのに。
 ……もう、疲れた。
 神奈を助けるためだけに全てを犠牲にしてきたというのに。
 自分のやってることは、何の意味もないことに成り下がってしまった……。
「神奈……」
 愛しい、女性。
「ようやく……会えたな」
 アンチA.T.フィールドの影響だろうか。
 彼の目の前に、ずっとずっと、願ってやまなかった女性が舞い降りてきた。
「お前に、どうしても言わなければならないことがあったんだ」
 一〇〇〇年前。
 あの夏の日に、自分が犯した失態。
「すまなかった……そして」
 神奈は何も言わず、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ありがとう。お前に会えたことで、俺の人生に初めて色彩が生まれた。お前のおかげだ」
『当然だ』
 確かに、その声が聞こえた。
 柳也の目が見開かれた。
「……こいつは、夢か?」
 その目から、涙が零れる。
 そして、愛しい女性の腕に抱かれ──柳也の体が、LCLと化した。







 佳乃は補完されていく世界をただ見つめていた。
 もはや、自分がこの世界に生きている意味もない。
 このまま時が来るのを待てば、自分もLCLに溶ける。
 それでいい。
「結局、往人くんは観鈴さんのものってことか……」
 手首のバンダナに触れる。
 暗い部屋の中、少女は一人、世界の補完の中心にいる。
「夢の世界が、補完されていく」
 そして、初号機は生命の樹に取り込まれてしまった。
「もう、往人くんには永遠に会えないのかな」
 彼と結ばれることだけを夢見ていた。
 だから、現実を捨てて夢の世界まで追いかけてきた。
 それなのに。
「もう帰ることも、できなくなっちゃったよ……」
「この世界でたった一人だよ……」
「イヤだよ、寂しいよ、往人くん……」
 ずっと自分が追い求めてきたもの。
 それは、砂上の楼閣にすぎなかったのだろうか。
「……往人くん?」
 目の前に。
 あの、黒いTシャツの青年がニヒルな笑みを浮かべて立っていた。
(やっと、来てくれたんだね)
 往人はそのまま自分に手を伸ばしてくる。
「遅いよ、往人くん──」
 その手に、佳乃の手が触れる。
 直後、佳乃の身体はLCLに溶けた。







「このままだと、アンチA.T.フィールドが佐祐理さんを溶かしちゃうんだよ」
 佐祐理の目からは、とめどなく涙が零れている。
 何となく、分かっていた。
 舞が、あのとき出ていってしまってから、もう会えなくなるのではないのかと……。
(また……また、会えなくなってしまいましたね)
 佐祐理は『また』ということを意識していた。
 それは無意識のことではあったが、夢の世界が綻ぶにつれて他の者たちが現実世界での記憶を取り戻しつつあることの現れであった。
「佐祐理さん」
 あゆは、佐祐理の手を強く握った。
「お願い。もう、祐一くんを助けられるのは佐祐理さんしかいないから」
「佐祐理が……」
「佐祐理さんは、祐一くんのことが大切じゃないの!?」
 悲しみは、ときに人を強くするのだろうか。
 いや、別の難事に立ち向かうことでその悲しみを一時的に忘れようとしているだけなのかもしれない。
 だが、今は。
「……佐祐理は、何をすればいいんですか?」
 あゆの顔に、ようやく安堵の表情が浮かぶ。
 既に涙で顔はくしゃくしゃになってしまっていた。
「ずっと、祐一くんの傍にいてあげて」
「傍に?」
「うん。ボクが、佐祐理さんを祐一くんのところに連れていってあげるから」











(後編)

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