one more final










 初号機を囲んだエアシリーズたちは、自らの槍で自らの胸を貫いていく。
 それこそが、最後の儀式。
 生命の樹の中心、ティファレトにいる初号機から生命エネルギーが流れ出していく。
 それこそが、アンチA.T.フィールド。
 全ての人間の心の壁を溶かしてLCLへ還元する、最狂最悪のエネルギー。
 それが、この夢の世界を包み込んでいく。
 地球上の広がっていくエネルギーは、その世界にすむ全ての生命──人間、動物、植物、微生物、細菌に至るまで全てを溶かしていく。
 その中で思考能力を持つ人間には、墓が作られていく。
 十字架。
 人間の原罪が、十字架によって許されていく。
 LCLが地球を赤く染め、地上に緑白色の十字架が無数に立ち上っていく。
 リリス=美凪はLCLに包まれた黒き月を両手で抱え、背に生えた一二枚の翼を大きく振るわせた。
 もはや、この地上には何者も存在していなかった──ただ二人を除いて。
「祐一くん……」
 あゆは佐祐理を生命の樹へと送ると、最後の生存者のもとへと向かった。
 カノンゲリオン、弐号機。その内部に存在する少女、名雪。
「祐一くんを助けられるのは……」
 あゆは、弐号機の『中』へと入っていく。
 溶けるように。
 融合するかのように。










『そんなに辛かったら、もう止めてもいいんですよ』
 閉じた精神に、優しい声がかけられる。
『そんなに嫌でしたら、もう逃げてもいいんですよ』
 祐一の精神は応えない。
『楽になりたいのでしょう』
『安らぎを得たいのでしょう』
『一つになりたいのでしょう』
『身体を一つに重ねたいのでしょう』
(……ほしい……)
 祐一の精神が、かすかに動いた。
(……安らぎが、ほしい……)



「でも、祐一とだけは絶対にイヤ」



「ひっ!」
 祐一が、目覚める。
 激痛はもうない。そのかわりに、自分の視界いっぱいに広がるリリスの姿。
「……美凪?」
 リリスは優しく微笑む。それを見て、祐一もまた笑った。
(ああ、そうか……)
 祐一は息を吐き出す。
(誰でも、いいのか……)
 祐一にはもはや、現実と夢の区別ができていなかった。



 嫌い。
 あなたのことなんて、好きになるはずないじゃない。
 さよなら。
 もう電話してこないでください。
 しつこいのよ。
 バカ。
 ごめんなさい。
 あんたなんて、死んじゃえばいいのよ。
 バイバイ。
 邪魔よ。
 こっち来ないで!
 嫌いだって言ってるでしょ。
 あなた、いらないのよ。
 誰? 近づかないで。
 生まれてこなければよかったのにね。
 あっちへ行って。
 めざわりなの、私の目につかないところへ消えて。
 まとわりつかないでよ!
 苛々するのよ。
 嫌いです。
 不気味ね。
 あなたとだけは、絶対にイヤ。
 あなたと出会ったのは、私にとって最低の事実ね。
 ……イヤ。
 近づかないで、悲鳴をあげるわよ。

「……そうだ」

 嫌い。
 嫌い。
 嫌い。
 嫌い。
 嫌い。
 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い好き嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い好き嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い好き嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い好き嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い好き嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。



「分からない」
『何が?』
「現実と、夢の違いが」
『好かれていることも、嫌われていることも、区別がつかないんだね』
「幸せが、どこにあるのか」
『夢の中でしか、幸せを見つけられなかったんだね』
「でも、夢の中にも幸せはなかったんだ」
『そうだね』
「だから、俺も死んでしまえばいい」
『都合のいい作り事で、現実から目を背けていたんだね』
「悪いか?」
『虚構に逃げて、真実を誤魔化していたんだね』
「自分ひとりの夢を見てはいけないのか?」
『それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせだよ』



「なら、俺の夢はどこだ?」
『それは、現実の続き』
「では、俺の現実はどこだ?」
『それは、夢の終わりだよ』



 夢の世界に行けば、救われると思っていたんだ。
 みんなとまた、一緒に生きていけると思ったんだ。
 でも、そんなに都合よくはなかった。
 俺のしていることに、意味なんてなかったんだ。

「そんなこと、ありません」

 現実にはもう、誰もいなかったから。
 一人で生きていくには辛すぎたから。
 だから、夢の世界でくらい、幸せでいたかったんだ。

「……現実でも、幸せにはなれます」

 どうやって?
 もう、誰もいない。
 名雪はいなくなってしまった。
 あゆは死んでしまった。
 舞も死んだ。栞も死んだ。真琴も死んだ。
 みんな、みんな死んでしまった。
 俺一人だけ、のうのうと生きている!

「佐祐理が、います」

 ……。

「佐祐理が、祐一さんの傍にいます」

 でも……。
 俺は、舞と……。

「佐祐理も、舞を失いました」
「祐一さんを失ってしまったら」
「佐祐理は、また一人になってしまいます」
「佐祐理のために、傍にいてください」

 俺は、舞じゃない。

「はい」
「佐祐理も、舞でもなければ、栞さんでも名雪さんでもあゆさんでもありません」

 俺に、安らぎをくれるのか?

「祐一さんも、佐祐理に安らぎをください」










『これで、世界の補完は途絶え、終末が訪れる』
『私の、願いそのままに』










 リリスの首が大きく裂けていく。
 その首から、赤い血が勢いよく吹き出していく。
 血は、宇宙に橋をかけていく。
 リリスの首がずれ、大地へと落ちていく。
 そう。
 これにより、補完は途絶えた。
 世界の綻びを繕うことはできなくなった。
 夢は、終わる。
 そして、現実が残される。










 真っ赤な月。
 たゆたう水の中……いや、これは、LCLの海。
 生命のスープ。
「──あゆ」
 祐一は、目の前の女性に声をかけた。
 何も身につけていない、裸身をさらした女性。
 だがそれは、祐一も同じであった。
 この世界に、そんなものは必要ない。
 全てが自分で、全てが他人。
 もはや、他人との境界線のない世界なのだから。
「お前の仕業だろ」
 もちろんそれは、佐祐理を祐一の意識の中へと送り込んだことだ。あゆは、ぺろりと舌を出した。
「分かった?」
「以外、どう説明するんだ」
 夢の中でしか生きられなかった自分。
 夢の中にしか希望を見出せなかった者たち。
 だが、もう夢は終わった。
 祐一が、夢を見ることをやめた時に。
「……迷惑だった?」
「いや、助かった」
 佐祐理の姿は、もうない。
 ここには、祐一とあゆしかいなかった。
 ……他のみんなは、どうなったのだろうか?
 自分たちと同じように、このスープに溶けてしまっているのだろうか。
 それとも幾人かは、現実に戻ることもできたのだろうか。
「ところで、ここは? 現実なはずはないし、かといって夢の世界とも違う気がする」
「うん。ここは、その狭間」
「狭間?」
「夢と現実の接点。初号機が作り出している世界。夢の世界にいた人たちは、今みんなここにいる」
「みんな?」
「そう。この世界に登場した人たち。カノンの意思を継ぐ人はみんなここにいる」
「俺も……」
「そう、祐一くんも」
「お前も……」
「……ボクは、違うよ」
 あゆは、寂しそうに笑った。
「お前が生き返ることはもう……ないのか?」
「うん。ごめんね」
 寂しげな笑顔。それを見た祐一は、苦笑して右手を伸ばし、彼女の耳元の髪をかきあげた。
「いや。現実を直視できない俺が悪いんだろ……死んでまで、迷惑かけちまったな」
「ボクは、また祐一くんに会えて嬉しかったよ」
「もしここにずっといるなら、お前と一緒にいられるのか?」
「うん。もう夢の世界は存在しないから。祐一くんは、現実か、この狭間か。どちらかを選ばなきゃいけない」
「そうか」
「この世界にいるんだったら、ずっと穏やかで、安らいでいられることができる。でも、自分の意識もじきになくなる。ボクや、みんなも、すぐに消えてなくなる」
「でも、生きている」
「そうだね」
「生きてさえいれば、いいことはあるさ」
「じゃあ、この世界に残る?」
「いや、戻る」
 祐一ははっきりと否定した。それを見て、あゆが寂しそうに、そして嬉しそうに笑う。
「現実にはもう、誰もいないよ?」
「名雪がいるさ。香里もいる。佐祐理さんだっている。美汐もな。現実なんだ。人は死ぬことから逃げることはできない。そんな簡単なことにも、俺は気づかなかった」
「寂しさは埋められないよ?」
「──かまわない。現実では、悲しい事しかなかった気がする。だから、逃げ出したんだし、これからも逃げ続けてかまわないとも思う。でも、逃げた先にもいい事はないさ。俺がいない。俺がいないのと同じ世界なら……苦しくても、自分が存在する世界にいたい」
「悲しみが、祐一くんを傷つけることになるよ?」
「かまわない」
 再び、祐一ははっきりと応えた。そして、微笑む。
「でも、俺の心の中にいるあゆ、お前はいったい、何だ?」
「希望、だよ」

 人は思い出を残すことで、人が生きた証が残るのだということの。
 好きだったという、事実とともに。

「でもそれは、実態のないものだ。お前はいない。みんなもいない。祈りみたいなものだ。ずっと続くはずはないんだ。思い出はいつか忘れるんだ。生きた証なんていうのは、ずっと残るものじゃないんだ──でも、俺は、覚えていたいと思う。この気持ちは、本当だと、思うから……」





『現実は知らないところに』

『夢は現実の中に』

『そして、真実は心の中にある』





「もう、いいの?」

 幸せがどこにあるのか、まだ分からない。
 でも、この現実に生まれて、これからどう生きていくのか。
 これからも考え続ける。
 でも、それも当たり前のことに、何度も気付くだけだ。
 自分が、自分でいるために。










THE END OF
KANONGELION
ONE MORE FINAL:
I need you.










微かな光に 呼び覚まされて

儚い夢の記憶と 消えそうな声






夢。
夢が終わる日。
雪が、春の日溜まりの中で溶けてなくなるように……。
面影が、人の成長とともに影を潜めるように……。
思い出が、永遠の時間の真ん中で霞んで消えるように……。
今……。
長かった夢が終わりを告げる……。
最後に……。
ひとつだけの願いを叶えて……。
たったひとつの願い……。
ボクの、願いは……。





遠ざかる過去のざわめきは

今では見えないあの景色を映しだしていく






 目覚めは……まぶしい。
 日溜まりの中。
 俺は、ゆっくりと起き上がる。
 なんだか、長い夢を見ていたような気がする。
 それは、とてもとても大事なことで、忘れてはいけないようなことだった気がする。
 でも、思い出せない。
 思い出せないことが、あまりにも悲しかった。
 同時に、思い出せないことに安堵もしていた。
「……今日は、何をするんだったっけか……」
 壁のカレンダーに目を向ける。
 あれから、七日。
「初七日、か」
 いろんなことがあった。
 大切な人が、次々にいなくなった。
 それは、変えることもできない現実。
 そして。
 いまだに、目を覚まさない少女も……。





側で微笑う……君がいる






 俺は、名雪の部屋の前に立つ。
 まだ、眠っているのだろうか。
 秋子さんが交通事故で亡くなってから、彼女は生きる気力を失ってしまった。
 自分が傍にいるのに。
 名雪にとって、一番大切な人間になることはできなかったということなのだろうか。
「入るぞ、名雪……」
 部屋の中は薄暗いが、それでも様子はよく分かる。
 ピンク色のカーテン。あちこちに置かれている目覚し時計。名雪お気に入りのぬいぐるみ。
 そして、ベッドの上に横たわる少女。
「名雪……まだ、俺がわからないか?」
 名雪の目はうつろで、何を見ても聞いても反応することはない。
 ただ、祐一がこうしてもってきたスープを口元へ運ぶと、こくこく、と飲む。
 生きる人形。まさにその表現が正しかった。
「俺……なにやってんだろうなあ……」
 こんな思いをするために。
 こんな思いをするために。
「俺、何のために戻ってきたんだ……」
 涙があふれた。
 体がふるえた。
 ただただ、悲しくて、辛くて、嗚咽がもれるのを必死で堪える自分が馬鹿に思えた。
「名雪……!」
 名雪の布団に顔を埋め、わけもわからずに泣いた。
 悲しさばかりが後から後から続けて出てきた。





そう……まるで昨日のことのように覚えているよ

誰よりも深く僕に触れたその眼差しを






名雪……。
俺には奇跡は起こせないけど……。
でも、名雪の傍にいることだけはできる。
約束する。
名雪が悲しい時には、俺がなぐさめてやる。
楽しいときには、一緒に笑ってやる。
白い雪に覆われる冬も……。
街中に桜の舞う春も……。
静かな夏も……。
目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も……。
そして、また、雪が降り始めても……。
俺は、ずっとここにいる。
もう、どこにも行かない。
俺は……。
名雪のことが、本当に好きみたいだから。





分かち合うことの喜びも……

奇跡のようなあの出会いも……

二人の面影さえも置き去りにして消えてゆく






 ふるえる祐一の頭に、そっと優しく、手がさしのべられた。
 祐一の体が、びくっ、と反応する。
 おそるおそる顔を上げた祐一の目に、名雪の顔が映った。
「ゆういち」
 名雪の唇が、動いた。

『ありがと』

 そして。
 名雪の体から力が抜けていく。

「名雪……?」

 もう、少女はその呼び声に応えることはなく。

「嘘だろ、おい」

 衰弱した体をいくら揺さぶっても、生命の鼓動はどこからも感じられず。

「名雪、返事しろ、名雪、名雪!」

 少女の閉じられた瞳から、最後の生命の証が流れ落ちていった。















「なゆきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」















薄れてゆく記憶の中で

もう一度だけ抱きしめたくて

切ないくらい叫び続ける君の名を

声がなくなるまで
















終劇











もどる


 くすくす。
 くすくす。

「……何を笑っているんだ?」
 隣に腰かけている少女に、僕は声をかける。
 ようやく、僕の手に帰ってきた少女。
 ずっとずっと、傍にいたかった少女。
「だって……彼、最後まで私に気づかなかったもの」

 くすくす。
 くすくす。

「どういうこと?」
 なおも笑う少女に、僕は尋ねる。
「ずっとね、彼だけを見てたの」
「どうして?」
「彼が壊れていくのを見ているのが、楽しかったの」

 くすくす。
 くすくす。
 くすくす。

「……もしかして、君が夢を操っていたのかい?」
「あなたも、気づいてなかったのね」
「どうして……」
「だって、不公平じゃない」
 僕には理解ができない。
 だって僕らは、最終的には助かったのに。
「世界の果て……私たち、まだ、見てないよね」
「……君は、狂っているの?」
「そうかも。あなたは、狂っている私は嫌い?」

 くすくす。
 くすくす。
 くすくす。

「ううん」
「よかった」
 少女は、微笑みを浮かべる。
(……彼らには、過酷な日々を)
 確かに、僕はそう思っていた。
 でも、こんな終わりを望んでいたわけではなかった。
「私のこと、スキ?」
 不気味な笑顔で、少女は尋ねてくる。
「うん。好きだよ」
 僕は、少女を抱きしめた。
「僕はずっと、君だけを待っていたから……」










 あれから、どれだけの時間が流れたのか。
 もう、何も考えられない。
 傍には、朽ちていく愛しい人。
 そして、自分もその後を追いかけていた。
「……全て、終わる……」
 涙が零れた。
 それが、俺の最期だった。





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