八:救済の契機





 リックはすぐに学園長室へ向かったが、ファーブル学園長は怪我をしたため本日の来校は見合わせるとのことであった。かわりにそこにいたのは、秘書兼ボディガードのサイウス・バルドであった。
「リック殿か」
 秘書席から立ち上がったサイウスはリックよりも頭一つ分高い。さすがにリックをさしおいてボディガードに雇われただけのことはあり、秘書とは思えないほどの体格と風格がある。
 黒い髪は短く刈りそろえており、目は秘書とは思えないほど鋭く光っている。物腰はいつでも不測の事態に備えて反応できるように身構えられている。剣の腕前だけならば、リックと同等の力は持っているだろう、と思われる。
 リックが彼と直接話したのは今までに3回しかない。最初は学園長の屋敷に挨拶にいったとき。二度目は最初の襲撃のときの状況を確認したとき。三度目は学園長に先日の結果報告をしたときだ。
 彼もまた学園長と同じで、この事件が解決するまでの臨時の秘書として雇われている。事件が解決したと思っていた矢先のこの出来事だったため、お互いに落胆しているところがあった。
「ああ。状況を聞きたい」
 達人同士の会話には導入は不要だ。リックの捜査が見込み違いだったなど、くだらない責任問題すらない。問題があればそれを解決するのがプロの仕事だ。そして彼らは何を確認しあえばいいか全て分かっている。
「昨日の夜、正確には今日の午前1時ごろに賊が入った。知ってのとおり、学園長の部屋は2階。その2階の窓を破って侵入し、学園長に襲いかかった。間一髪、なんとか飛び込んで賊は追い払ったが、捕まえることはできなかった」
「学園長の容態は?」
「左腕裂傷。軽傷ですんだのが幸いだ」
「賊の人数と特徴は」
「人数は一人。黒装束で、小型のナイフを使っていた。形が非常に特徴的だった。もち手のところと合わせてS字に湾曲していた」
「剣先は?」
「細くとがっていた」
「なるほど。ペシュカドか」
 ペシュカド。メイルアーマーを突き刺すために作られた短剣である。刃先が鋭く尖っているので、鎧の継ぎ目を狙って突き刺すことができる。そして湾曲しているので差し込むだけで傷口を抉ることができるという、非常に危険な造りをしている。
「そんなマニアックなナイフを使う奴は多くないな。街の全部の武器屋を総調べにして、ペシュカドの販売相手を確認しよう」
 リックが言うとサイウスも頷いて答える。
「それはこちらで調べておこう。リック殿には改めて犯人の割出捜査を願いたい」
「了解した。ではさらにうかがうが、犯人の逃走経路などはわかるだろうか」
「不明だ。相手を追うより学園長の身の方が問題だった。すぐに処置をしなければ命に関わると思ったのだ。つまり、」
「毒」
「そうだ。だが剣に毒はぬられていなかった」
 おかしな話だ。本気で殺そうというには穴がありすぎる。
「なるほど。ではその賊はサイウス殿が部屋に入ってすぐに逃走したのだな」
「その通りだ。扉を開けたときには既に振り返って窓から飛び降りるところだった」
「既に? ということは、とどめをさそうとしていたところを防いだとかいうことは」
「全くない。扉を開けたら、手前廊下側の壁に学園長が腕をおさえて倒れており、賊は窓へ駆け去るところだった」
「学園長の部屋はかなり広かったな」
「そうだ。縦横ともに20歩はある」
 どういうことだ?
 リックはそこで詰まった。つまりそれは、とどめをさすつもりがなかった、ということではないだろうか。確かにボディガードが来たので逃走に入った、と考えられなくもない。だが、扉を開けた時点で既に逃走に移っていたのだったら、先にとどめをさすだけの時間はあったのではないか。
 それとも、とどめを刺すつもりはなかった?
 つまり、脅迫かなにか、ということだろうか。
「了解した。その前に現場を見たいがかまわないだろうか」
「了承は得ている。本日学園長はずっと自宅におられるので、いつでもかまわないとのことだ」
「了解した。では、また話を聞くことがあればうかがう」
 リックはそれだけ確認して職員室に戻った。
(……おかしい)
 明らかに、今度の襲撃は矛盾を孕んでいる。
 1度目の襲撃が脅しで命を奪わなかったというのならまだ分かる。だが2度目の襲撃で命を奪うでもなく、傷つけるだけですませたという理由が分からない。
 殺すのではなく、傷をつけることの理由。
 ファーブル学園長が生きていなければならない理由がある、ということか。
 それを気付かれないように、それでいて本気で殺そうとしていると見せかけて学園長を脅迫している?
(……学園長には恨まれる覚えはないと言っていたが)
 確かに恨まれるような校長ではない。だからといって絶対にそうかといえば、言い切れるだけの根拠はどこにもない。
 いずれにせよ、たった一つだけ分かりきっていることがある。
 捜査は、一からやり直しをしなければならないということだ。
 職員室の扉を開けて、山のように詰まれているレポート課題を目にする。さすがに今日はこれだけの量のレポートを見るのは億劫だった。
 早く捜査に向かいたいところだったが、学生の帰宅時間までには全てのレポートに目を通して添削しなければならない。
 雑務はさっさと終わらせてしまおうと考え、机について作業を始める。
 実際、こうして添削をしている時間というのは夜の仕事に向けての精神集中の時間でもある。しっかりと頭を回転させておかないと、人間はいざというときにしっかりとした行動ができない。
 基本的にリックは、まず資料を頭に入れてから行動する人間だった。目が覚めてすぐに活動するようなことは絶対にない。これは学校に通っていたときからそうだ。必ず誰よりも早く登校し、図書館で本に目を通す。滅多なことではそのサイクルは崩れない。それが今でも続いているのだ。
(……レティアの影響か)
 まず頭を使いなさい。それから行動をしなさい。
 常日頃、彼女はそう言っていた。それは自分の考えとぴたり当てはまるので、自然と受け入れて、自然と行動するようになっていた。
 だから2時間、3時間の雑務とはいえ、それは彼にとって充分に頭の体操をさせる働きがある。そして彼はそれでいいと考えている。
 茶を一口飲んで、生徒のレポートに目を落とした。
 シルフィ・レナンのレポートが一番最初だった。憲法に関する内容が細かく調べられている。
(出典も多い。自分で調べようとする姿勢が出てきたな)
 シルフィも最初に見たときはぎりぎり及第点というレベルでしかなかった。この学園でしっかり学問を行っていると判断できたのはほんの数名でしかなかった。
 だが、この課題を見る限りでは充分に勉強してきている。最低でも一冊読破といったが、それは本当に最低ラインだ。普段から彼の言っていることを理解していれば、一冊の本を読んでレポートを書くなどという愚かなことはしないだろう。
 一つの意見について解説をする場合には、必ず賛成意見と反対意見を書かなければならない。一つの意見には必ず対立する意見がある。それを見極めることなく書かれたレポートには価値がない。
 2冊の本を読んで反証を整える時点で及第点。それ以上にどの法律学者がどんなことを言っているのかしっかりと整理され、その上で自分の意見が書かれていれば合格点。
 先週のレポート課題にはそれくらいの意味がきちんと込められているのだ。つまり、調べるものの内容ではなく、きちんと調べるということの意味が分かっているかどうか、ということだ。それが分かっていれば、1冊だけ読んでレポート提出するなどということはありえないのだ。
 無論、中にはリックの言ったことを鵜呑みにして1冊読破して流暢な解説を行っているレポートもある。だが、それは全く評価に値するものではなかった。
(やれやれ。誰だこれは……3年のエール・リスマンか。このままで単位を出すのは難しいな)
 教養講座で行うことは、最低限知識を得るための方法が分かることであり、知識そのものは無限にあるのだからその一部だけでも伝われば、いや、知識が伝わらなかったとしても問題ないと彼は考えている。
 だからどれだけ知識があっても、知識を問うようなテストをリックがするはずはない。もっとも、テスト自体彼は行うつもりは全くないが。
 7つ目に、ミレン・ドールのレポートが出てきた。山のように詰まれているレポートの中でも、一番枚数が多い。100枚はこえているだろう。この短期間でよくここまで書いたものだ。図書館に眠っている卒業論文の中にも、これだけ書いているものは各学年に10人程度といったところだろう。
(素晴らしい)
 軽く眺めただけでもそのレポート内容が学生のものとは思えないほど優れていることが分かる。これはまさに学者のレベルだ。
 憲法についてリックが知る限りの法律学者の名前が出てきている。中にはリックが見たことのないものまであった。生徒が書いたレポートであるのに、思わず勉強させられてしまったほどだ。出典を確認すると、今年出版されたばかりの新しい本だった。『憲法詳論』とタイトルがつけられている。奥付を見ると、憲法を作ったローディア王国の裁判官がこれを書いたらしい。つまり、実務に携わっている人間の書いた本というわけだ。
(……こんな本があったのか。うちの図書館にはなかったと思ったが)
 だとすると、ミレンはもしかしたらリックの知識を超えてやろうと街の本屋をめぐって図書館にない本を探し出したのかもしれない。だとしたら随分暇なことだし、感心なことでもある。
(努力賞だな)
 無論それは、出来がいいということが前提となっている。第一章で憲法についての概論をまとめ、第二章では各条文の解説、第三章で学説を並べ、第四章でそれらを総合して自分の意見を述べている。理想的な憲法の解説書だ。
(これは、出版できるレベルだな)
 このままレポートとして眠らせておくのはおしい。学会に提出して発表ということになればミレンにも箔がつく。
 いつでも手続きが取れる準備をしておくべきだろう、とリックは心にとどめた。
 今回のレポートは今週いっぱいが提出期限で、あと3日。提出されたのは4分の3、といったところか。ほとんどはもう目を通しているが、まだ何人かのレポートが残っている。ミレンほどのレポートは今までにはなかった。
(さて、平常授業の添削もしないといけないな)
 レポートについてはとりあえずその時点で打ち切り、普段の課題添削に移ろうとした。
 その時である。
「リック先生!」
 元気な声が自分を呼んだ。確認せずとも誰かは分かる。リーシャだ。
 今日のリーシャはいつもの活動しやすい服装ではなく、珍しくスカートを履いていた。ちょうど膝上までの長さの水色のスカート。それとおそろいの水色のブラウスを着ている。
「なんだ、まだ講義の時間だろう」
 昼休みになったのかと思いきや、まだそれには三十分も早かった。
「はい。今日は剣技のバルテス先生がお休みされているので、休講なんです」
「ああ、そういえばそうだったな。そういえば剣技は一年のときからずっと最高成績を修めているんだったな」
「よくご存知ですね」
「生徒の成績情報は全て頭の中に入っている」
「へえ……すごいですね」
「基本だ。この学校は人数がそれほど多いというわけではないからな」
「それでも何百人っていう生徒数、全部覚えるのは難しくないですか? ボクには無理だなあ」
「当たり前だ。そうそう誰にでもできるものではない。そんなことより、どうしたんだ?」
「あ、はい。レポートを提出しに来ました!」
 分厚いレポート用紙の束をリックに差し出してくる。苦笑してそれを受け取った。
「了解。見ておく」
「今見ていただけませんか?」
 随分積極的だ。いや、いつもこんな感じだっただろうか。
 やれやれ、とリックはぼやく。
「少し時間がかかるぞ。座れ」
「はいっ!」
 リーシャは喜んでルークの椅子に座り、両手の拳を握り締めてスカートから出ている白い膝の上に載せる。肘がぴっと伸びて、緊張している構えだ。
 顔には出さずに笑い、リックはレポートに目を通した。
 まず目次。三章構成になっている。一章が憲法成立の歴史、二章が実務における憲法、三章が憲法の改正点と学説。タイトルを見るとそれぞれ独立しているように見えるが、中身を見ると決してそうではないことが分かる。
 例えば一章であれば、憲法というものが古代にも実は作られたものがあるということ、ローディアでその憲法を用いられるようになった過程と、実際に取り入れられるまでの検討事項など、かなり詳しく、順を追って書かれている。その時点で既に憲法の具体的な中身、そして導入する際の疑問点、問題点などが浮き彫りにされ、実務でどう活かしていくのかということが検討されている。二章、三章につながる書き方だ。
 そして二章は実際に憲法を取り入れた結果、どのような問題が起こっているのか。その問題に対してどう処理しているのかといったことが事例をいくつもあげて書かれている。
(……ローディア王国の判例集を読んだのか。街の図書館に確か全部揃っていたな)
 だが判例を読むといってもそんな易しいものではない。それこそ1年で百科事典が10冊分以上にもなるのだ。ローディアで憲法が採用されたのが2年前。索引がしっかりついているとはいえ、約20冊から30冊もの蔵書を読むのは容易ではない(もちろんリックは全て目を通しているが)。
 そして三章ではそれらの実務上の問題点から改正点を割り出し、検討している。
 具体的な問題点は3つだ。
 1つ目は憲法と法律が抵触する(食い違う)場合に、当然憲法の条文が優先されることになるのだが、今まで使っていた法律はどうなるのかという点。
 2つ目はローディア国の臣民が持つ権利はいかなる場合も保護されるのか、それとも法律で制限されることがあるのかという点。この点については憲法では明記されていないのが問題となっている。
 3つ目は憲法改正の手続きだ。憲法は国王に対しても義務づけられるものがあるのに、憲法を改正する最終的な決定権限を持つのは国王となっている。これは自分の都合のいいように国王が憲法を変えたり変えなかったりできるということではないのか、という問題。
 それらについて、賛成意見と反対意見、実務からの現状などふまえながらしっかりと議論がなされ、さらにリーシャ自身の意見も最後に付け加えられている。
 完璧だ。
 これもまた、ミレンのものと同じく、学会で発表しても文句の出ない出来となっている。もっとも、憲法について若干勘違いをしていたり、知識を誤って覚えているところがあるが、それはこちらで指導していけばいいことだ。
 そして最後に参考文献を見て目を細めた。
 これは、ミレンのものよりもはるかに多い。もちろん判例を使っていればこうなるのは自明の理なのだが。
「……どうですか?」
 赤ペンを一度も使わずに15分をかけて読破したリックに、おずおずとリーシャが尋ねる。
「正直に言っていいのか?」
 リックは意地悪く、そう尋ねる。
「は、はい」
 ごくり、とリーシャは唾を飲み込んでリックの次の言葉を待った。
「俺が教えた中で、一番成長したのはお前だな」
 リックは素直に感想を言った。
 まさかこれほどの論文を目にするとは思ってもいなかったのだ。これほどのレポートは卒業論文を探しても多くはない。どこへ出しても文句のないレポートだった。
 実際、ミレンとリーシャのレポートはそれほどに質の高いものだった。そうでなければリックが褒めるようなことはない。最初の講義で『国王の業績』を聞いたときの答がまるで嘘のようだ。
 褒めればリーシャは喜ぶだろうと思っていたリックは、相手の反応が何もないことに驚き、レポートから顔を上げて彼女を見つめた。
「どうし──」
 言葉をかけようとして、リックは声を詰まらせた。
 泣いていた。
 リーシャは、そのままの体勢で涙を隠そうともせずに流していた。
「えっ? あっ、あれ?」
 彼女は声をかけられて初めて、自分が泣いていることに気付いたらしい。慌ててハンカチを取り出し、涙を拭う。
「ご、ごめんなさい、ボク、なんだか感動しちゃって」
 涙は止まるところを知らなかった。
 リックは彼女をなだめるでもなく、再びレポートに目を落とした。
 正直、泣かれるという経験が今までになかったからどうしていいのか分からないところもあった。
「何点か問題はあるが、それは後で全て指導する。圧巻は三章だな。よくこれだけの判例を調べたものだ。この論文に必要と思われる重要な判例は全て余さず使われていた。よく調べたな。街の図書館を使ったのか」
「はい。実際の判例を、読もうと……」
 泣き笑いの表情になって、リーシャは頷いた。
「憲法制定までの歴史はどう調べた? ここの図書館にはなかったな」
「はい。実務資料が街の図書館にあったので、それを参考にしました」
 言われて、リックは参考文献をもう一度眺めた。
「なるほど『ローディア憲政元年』か、あれは信頼がおける。それなら大丈夫だな。では、冬の大陸法律学会で発表しろ。今のところ、お前とミレンの2名を推薦するつもりでいる。そのつもりでしっかり準備しておくように」
「はい……って、ええっ!」
 職員室中に響き渡るリーシャの叫び声。
「どうした、突然」
「むむむむむむむむむむむむむむむむ」
「無理じゃない。自信を持っていい。これはそれだけの価値があるレポートだ」
「でででででででででででででででで」
「断るなよ。学会は秋後の休みで行われるからそのつもりで、もし必要な資料があるならローディアから取り寄せることも必要だ。必要な知識は与えるから、あとはお前の度胸次第だ」
「あああうああうあうあう」
 もはや言葉になっていないリーシャ。やれやれ、とリックはため息をつく。
「それに学会で発表したとなると箔がつく。就職に有利になるだろうし、学校側も推薦しやすい。是非やっておけ」
「でも先生!」
「リーシャ。お前はいったな、俺にいろいろなことを教わりたい、と。これは最後のチャンスだ。前にも言ったとおり、俺はあと2ヶ月でいなくなる。それまでに学べる機会を無駄にするな」
 ぴたり、とリーシャは止まった。
 そして顎に手をあててじっと考える。
 最後に顔をしっかりと上げて、リックを見つめた。
「はい。がんばります」
 決意みなぎる表情であった。
「お前を推薦するのは俺になる。恥をかかせるなよ」
「い、いきなり決意を揺るがせること言わないで下さいっ!」
「安心しろ。サボらなければ大丈夫だ」
「うう〜」
 犬のように唸って、リーシャはリックを睨みつける。
「先生、もしかしてボクのこと嫌い?」
「教育に好きも嫌いもあるか。質のいいレポートが選ばれる。それだけのことだ」
「そんなによかったんですか?」
「くどい」
 リーシャはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。先生、今日もお昼ご飯一緒にどうですか?」
「いや、今日はまだ課題の添削が終わりきっていないから、そちらを優先させてもらう」
「そうですか……分かりました!」
 リーシャは元気よく立ち上がった。
「では、失礼しまーす!」
 元気よく飛び出していく。その姿が本当によく似合う少女だ。
『リーシャはかなり本気だよ』
 分かっている。
 彼女が自分を見る目と、他の生徒が自分を見る目は明らかに違う。
 彼女が見ているリックという人間は、理想の異性として見ている。
 だが、無理だ。
 自分には、誰かと一緒に歩むことができない。
 自分にとっての理想。それは、ただ一人。
(……どうして、ここにお前がいない、レティア)
 しばし、過去の幻影にすがるリックであった。






「よう、ルーク」
 放課後、声をかけられたルークは振り向いて友人の久々の訪問を笑顔で迎えた。
「フォトン。おめでとう、あの事件うまく解決できたみたいだね」
「お前のおかげさ、と言いたいところなんだけどな」
 フォトンは肩を竦める。
「何かあったのか?」
「とぼけるなよ。お前だろ、ファイルを持っていったのは」
「ファイル?」
 ルークは眉をひそめる。まさか気付かれているとは思わなかった。自分が入った痕跡は残していなかったはずだが。
「どこにやった?」
「何の話だい?」
「お前が隠したファイルのことだ」
「何のことだかよく分からないんだけど」
 平気な表情で嘘をつく。本当に自分は、リックのためとなるとこうも徹底して嘘をつくことができるものか。
「毒薬の製法から、秘密工場のありかまで全部記してある極秘ファイルだ! 何の目的でお前はあれを持ち出した!」
「ちょ、ちょっと待ってフォトン」
 その話は初耳だ。ルシアが自分に知られないように持っていったのだろうか。それともフォトンが自分にカマをかけているのか。
「最初から説明してくれないと分からないよ。ファイルってまさか、新聞に書いてあったことなのかい?」
「徹底的にとぼけるつもりだな、お前」
 ちっ、とフォトンは舌打ちした。
「とぼけるも何も、何を言われてるのか全然分からないよ」
「こっちはな、お前を張ってたんだ。昨日の夜、ロイ議員の家に忍び込んだだろう。これ以上嘘をつくなよ、ネタは上がってんだ」
「僕が? なんで?」
「俺に聞くな! お前のことだろうが!」
 どうやら本当にばれているらしい。だが、証拠はないはずだ。自警団は証拠なしに逮捕することはできない。
「僕はやってないよ、そんなこと」
 だから、平気でそんなことも言える。
「だいたい、僕がそんなことをする理由がないよ」
「お前はリーベストのことを知っていた。何故だ」
「この間も言った通り、たまたまだよ。毒薬が手に入って、そこから調べたんだ」
「詳しく話が聞きたいな」
「フォトン」
 ルークは真剣な表情で言う。
「何故僕を疑うの?」
「お前以外に該当者がいない」
「それだけが理由?」
「リーベストのことを知っているのはごく一部だ」
「分かった、話すよ」
 ルークが言うと、フォトンはほっとしたような表情をした。
「でも改めて言うけど、僕はそんなファイルを盗っていないし、そもそもロイ議員の家に忍び込んでもいない。それは了承してほしい」
「ああ、分かった」
 ルークは内心でほっと息をつく。やはり、カマをかけられていただけなのだ。
「このことは絶対に他言無用だ。だいたい、僕はリーベストのことなんかどうだってかまわない。僕が気にしていたのは、リーベストの中にいた一人の人物だけなんだ」
「誰だ?」
「レティア」
 その単語を聞いてしばらくの間、フォトンは表情を変えなかった。そして、次第に顔が青ざめていく。
「おい、それってまさか……」
「やっぱり知らなかったんだね。できれば秘密にしておきたかったんだけど、レティアがあのリーベストに所属していた痕跡がある。それを調べていたんだ」
「証拠が見つかったんだな!?」
「見つかってないよ。議員の屋敷を調べることができれば見つかるかもしれないけど」
「残念だがその片鱗も見当たらなかったな。構成員のファイルもなかったんだ。その他にもいくつか見当たらないファイルがある。やっぱり、誰かが持ち出したんだな」
「そうか、残念」
 心底残念そうな表情を浮かべる。
「ところで、なんでレティアがリーベストの構成員だって分かったんだ?」
「僕は痕跡としか言ってないよ。本当にいたかどうかは分からない。それで調べていたんだ」
「結局分からずじまいか」
「そういうことだね。でも、それでよかったのかもしれない」
「どういうことだ?」
 ルークは少し間をあけた。
「僕が調べていた理由は、リックにそのことを悟らせないためだったから」
「ああ……なるほどな」
 フォトンも当時の状況は知っている。
 もしレティアが当時からリックに黙ってその活動をしていたというのであれば、その目的はいったいなんだったというのか。
「リックは苦しむだろうな」
「間違いないよ。だから僕は誰にも気付かれないように調べていたんだ。でも、これ以上はもう無理かな。肝心かなめの組織がこうなってしまってはね」
 リーベストが検挙されたことによって、その全貌が明るみに出た。だが、レティアの名前はどこからも出てこなかった。
 それはつまり、ルシアの下調べが入念になされており、レティアに関する全ての痕跡を処分したからに他ならない。
 頼れる人材だ、と改めて思う。
 それだけリックは周りから愛されているのだ。悲劇を一身に背負い、過去と共に歩む不器用な青年。
「ちっ、じゃあいったい誰がファイルを持ち出したんだ」
「まあ壊滅する直前の組織は危ない資料は処分するのが普通だよ」
「確かにな。まあ他の街の状況なんかは分かっているから、かなり捜査は進んだんだが……」
「この街のリーベストがいなくなったんなら、フォトンの仕事もひとまずは終了になるのかい?」
「そうだな。ローラさんの件があったしな、どうしてもこの事件は解決しておきたかったんだ」
 ふふ、とルークは笑った。
「なんだよ」
「やっぱり友人思いだね、フォトンは」
 からかわれたと知って、フォトンの表情が歪む。
「あのなあ、ルーク」
「ああそうだ、一つフォトンにお願いがあったんだった」
 だがそのフォトンの言葉を強引にさえぎって、ルークは話を始めた。
「なんだよ」
「もうあと二ヶ月もすれば半期の締めになる。いわゆる前期休講期間なんだけど、リックはそれでこの街からいなくなってしまうんだ」
「ああ、話には聞いてるぜ」
「それで、よければまた三人で、シノア湖にキャンプに行かないか? 学生のころはよく行っただろ」
 そのキャンプにはレティアすらこなかった。親友同士、三人だけのキャンプ。五年間かわらず続いた儀式。
 それを久しぶりにやりたかった。
「そうだな。日程さえ早めに教えてくれれば、団長にお願いして休暇を申請しておく」
「分かった。多分すぐに日程は組めると思うよ。こっちの仕事のケリがつけば終わりだから」
「おう、了解だ。久しぶりだな、料理の腕前がなるぜ」
「期待してるよ。リックもたまには釣りでもやらせて休ませてあげよう」
「そうだな……この街ならともかく、シノア湖でレティアが一緒にいたということはなかったからな。少しはくつろげるだろう」
「うん、そうだね」
 そうして、事件とは全く関係ない方向で、一つのイベントが企画されることとなった。
 ルークとしては、少しでもリックを休ませたい、一緒に話をしたいというただそれだけの企画にすぎなかった。
 そのキャンプが、彼に救いをもたらせることなど、現状では知りようもなく。





九.記憶の迷図

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