序:次の任務
時折聞こえる鳥の声と、風の音。建物もまばらな街外れ。ただ1つだけ、遠くに大きな建物が存在を誇示している。その建物目指して、2つの影が近づいていく。
2人はただ黙々と歩きつづけている。片方は男、もう片方は女である。男の方はといえば、冷たげな青い瞳を真っ直ぐに見据えている。冷たい印象を受けるのは単に瞳の色だけではないだろう。細く切れ長の瞳は、他の誰をも寄せつけまいとする威圧感を与えている。さらに金色の長い髪──これは首のあたりで一度縛って背中にたらしている──、端正な顔だち、長身の体躯、それらの彼の外見が全て、他者から一線引かせるだけの迫力を兼ね備えていた。背中に負っている長剣さえなければ、彼がどこかの名門の貴族の子弟だと言われても疑うことはなかっただろう。それだけ彼は見目麗しい青年であり、自他共にそのことを否定することはできそうもなかった。
対照的に女の方はといえば、そのような痩身優美な男と違い、どちらかというと子供っぽい、愛らしい女性であった。大きな茶色の瞳がそのような子供っぽさを特徴づけている。どうみても15歳前後か、見る者によってはもっと年下に見えるのかもしれない。だが、美形の男と並んでも気恥ずかしくないだけの美しさは持ち合わせていた。小さめの顔にすっと鼻筋が整っている。長旅で額に浮き出た汗に垂れかかる茶色の前髪は、少女のような幼さの残る彼女には似つかわしくないなやましさすらも感じる。後ろ髪は肩までかかる程度にしかのびてはいない。しかしそれも歩くたびに首筋を揺らしているところが艶やかさを帯びている。
一度、男の方が少し気づかうように女の方を振り向くが、大丈夫、というかのように微笑むと、再び男も前を向いて歩いていった。
あまりに対照的ではあったが、こうして並んでみると絵になる2人であった。女の方は背が男の肩ほどまでしかなかったことも幸いしたのだろう、一対の男女として非常に見栄えのするカップルに見える。
そして、ようやく2人は1つの建物の前で足を止めた。5階建てほどの、まわりに比べると結構大きく一際目立つその建物の入口。そこに控えめに看板が立てられている。
『SFO』すなわち、大陸規模で活躍する傭兵派遣組織の支部であった。
「ルシア! ただいま!」
扉をあけるなり、少女は建物の中にいた黒髪の小柄な女性に元気良く声をかけた。ルシア、と呼ばれた女性ももちろん、2人がこの建物に入ってきたことはすぐに分かったようで、すぐに立ち上がると2人のところに駆け寄ってきた。
「おかえり、リーシャ!」
リーシャ、というのがこの茶色い髪の少女の名前だった。リーシャは感極まったかのように、久しぶりに再会した友人に抱きついていた。
「リックお兄ちゃんも、お帰りなさい」
「俺はついでか? ルシア」
リックと呼ばれた金髪碧眼の青年はため息をつきながらルシアに向かって答えた。しかし、その表情はいつもよりも和やかに見えた。
「それから、ルシア。何度も言うようだが」
「ストップ、わかってるって。『お兄ちゃん、と呼ぶな』でしょ?」
ルシアはリックのように顔をしかめながら言った。それがあまりにも似ていたのでリーシャはぷっと吹き出していた。
「わかっているなら」
「でもやっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」
「実の兄妹じゃないだろうが」
「関係ないよ、そんなの」
2人の言い合いが白熱しそうになった時、リーシャは2人の間に入ってその論争を止めた。
「やめときなよ、リック。今さらルフィがリックのことそれ以外に呼びようがないじゃないか。ボクが自分のことを『ボク』としか言えないように、ルシアだってリックのこと『お兄ちゃん』としか言いようがないって。それともリックは突然ルシアから『リックさん』なんて呼ばれても平気でいられるの?」
早口で責めたてられ、リックはまたも顔をしかめる。
「まあ確かに、突然そんな呼び方をされたら戸惑うだろうが」
「じゃあもうこれ以上この話はしないでよね。まったく、毎回聞かされるこっちの身にもなってよ」
やれやれだな、とリックはため息をついた。この2人が揃っていると、どうしても気疲れしてしまうと思っていたのかもしれない。そんな2人の様子を見て、ルシアは笑いながら質問してきた。
「今回は随分長かったね。2人とも、怪我とかしなかった?」
「怪我はなかったが」
リックはじろりとリーシャを睨んだ。
「この馬鹿がもう少しで俺の命を奪うところだった」
「だーかーら、あれはボクのせいじゃないよ。不幸な事故だったって言ってるだろー?」
「なに、また何か失敗したの、リーシャ?」
「う」
するとリーシャは少し意気消沈したように黙り込んでしまった。リックは苦笑を漏らすと「それじゃあ俺はトレインに報告してくる」と言って建物の奥の方へと入っていった。
「うー、リックったら、このことは秘密にしておいてねって言ったのにー」
ルシアはリーシャの言葉を聞きながら、くすくすと笑っていた。リーシャにしてみれば何故笑われているのかが分からないので、不審な顔をルシアに向ける。
「なに笑ってるのさ、ルシア」
「ごめんごめん。ただ」
ルシアはリックの消えていった扉を見つめて懐かしそうに呟いた。
「お兄ちゃんが初めてここに来たときは、あんなふうに笑わなかったなって思って」
そして、ルシアはリーシャの方にくるりと向き直って笑顔を見せた。
「リーシャがお兄ちゃんの奥さんになってくれたおかげだね!」
「ええ? そ、そんなことないよ。リックは前からずっとあんな感じだったよ」
「うん。お兄ちゃんがリーシャをここに連れて来た時からだよ、あんなふうに笑い出したのは」
「そ、そう言われてもな……」
リーシャは慌てながらも必死に次の言葉を探した。だが、思い浮かんだのはもっと別のことだった。
そう、初めてリックと出会ったあの日のこと。思い返してみれば、確かにリックはあまり笑うような人ではなかったような気もする。
あれから、3年。もし自分がいることでリックが笑えるようになったのだとしたら、自分がリックの妻となったことは間違いではなかったはずだ、とリーシャは自分の中で思っていた。
「ただいま、トレイン」
「よう、やっとお帰りか」
トレインと呼ばれた男は立ち上がるとリックに近寄って右手を差し出した。リックもしっかりとその手を取り、再会を喜ぶ。
トレインはこの『SFO』極西支部の長であった。しかし年齢は若く、まだ30をこえた程度でしかない。若くして彼が支部長になれたのは本当に運に恵まれていたとしかいいようがないだろう。彼は任務遂行中に大怪我を負ってしまい、もはやファイターとして活躍できない体となってしまったのだ。だが、成績優秀だったトレインは本部から支部長として認められ、以後この支部を取り仕切っているのだ。
もちろん、たまたま欠員ができたという上層部の理由もあった。だが他にいくらでも支部長候補がいるというのにトレインに支部長を任命したというのは異例の抜擢であった。そのおかげでトレインは風当たりが強くなってしまうのだが、本人に言わせれば「他に就職先がない」というので仕方なく務めているそうだ。
トレインはリックを座らせると自分も椅子に座りつつ、質問を始めた。
「奥方はどうした?」
「ああ、ルシアのところに置いてきた」
「ふうん。またお前、一番難しい仕事を与えたんだろ?」
トレインはにやっとリックを笑った。リックはそのような皮肉を何とも思わず「そのとおりだ」と言葉だけ返す。
「リーシャもいいかげん独り立ちするべきだ。いつまでもB級ファイターでいていいはずがない」
「それで、お前の目から見て、リーシャはA級ファイターになれそうかい?」
「まだまだだな」
あくまでもリックは辛口の採点しかしなかった。
「だがまあ、今回の失敗でいろいろと経験することもあっただろう。もうあと、2〜3回も任務を繰り返せば充分だろうとは思うが……」
「だが、リーシャをA級ファイターにしてもいいのか?」
リックは目線だけで「どういう意味だ?」と尋ねる。
「だって、今まではお前らが夫婦で任務をこなしてくることに誰も文句は言わなかったが、2人ともA級ファイターとなると話は別だ。基本的にA級ファイターはそれぞれ独自の任務を与えられることになっているからな」
「つまり、俺がリーシャと一緒の任務を与えられることは極端に少なくなる、と?」
「ま、そういうことだ。お前がどうしてもリーシャをA級に上げたいっていうんだったら、そのへんも考慮しておいてくれ」
リックは頷いた。そして改めて荷物袋の中から報告書を取り出すとトレインに手渡した。トレインはざっと眺めると、軽く頷いて報告書を机に投げ出す。
「しかし、ちょうどいい時期に帰ってきてくれた。実は、また新しい任務がこっちにきているんだ」
「おいおい、帰ってきていきなり次の任務か? それにリーシャが疲れている。できればしばらく休養したいのだが」
「何、今回は戦いの必要はほとんどない。連続誘拐事件の捜査らしいからな」
トレインが依頼書を取り出すとリックに手渡した。
「いつからうちは傭兵業から探偵業に変わったんだ?」
「そう言うな。とりあえず読んでくれよ」
リックはその依頼書に目を通していくうちに、徐々に目が細くなっていった。
「隣国の王都で20人連続誘拐? とんでもない数だな」
「ああ。それで王都警備隊から捜査能力に富んだ人物を2、3人派遣してほしい、とこう言っているんだな」
「こんな依頼受けるなよトレイン」
リックは頭を押さえながらぼやく。
「俺たちは傭兵だぞ」
「分かってる。ところがなあ、あそこの警備隊長には随分と借りがあってだな。助けないわけにはいかなかったんだ」
「公私混同、職権濫用」
「そう言うなよ。依頼料は結構高いんだぞ」
「それで、俺に行ってこい、と?」
「まあ、4、5日くらい休んでからでも構わないさ。それに、お前だって何もしないでここでぼんやりしてるのはつまらないだろう?」
リックはいい加減にしろと言わんばかりに、大きなため息をついた。
「分かった分かった。やればいいんだろう?」
「すまん、恩にきる」
「ああ、恩にきせてやる。大体、お前がこんな任務を命令でいる相手なんて、俺くらいしかいないだろうからな」
トレインがこの支部の中でもあまり発言権が強くないことを示唆してのセリフであった。しかしトレインはそんな皮肉にもめげずに「ありがとさん」と答えた。
「それと、超過勤務手当は出るんだろうな」
う、とトレインは言葉に詰まった。それを見てにやりと笑うと「じゃあな」と言い残してリックはトレインの部屋を出ていった。
壱:王都ヒュペリオン
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