壱:王都ヒュペリオン





 それから10日後、リックとリーシャの二人はファブリア王国の王都ヒュペリオンにやってきていた。結局2人は『SFO』支部に戻ってから三日後には王都に向けて旅立っていたのだ。リック自身が1つところにいながらにして何もしないでいるのが性にあわなかった、ということももちろんある。しかし、今回は何故かリーシャの方が「早く行きたい」と言ってせがんできたのだ。
 前回のミスを挽回したいとでも考えているのだろうか、とも思うが、リーシャがそんな殊勝な心掛けをもっているはずもない、とも思う。そこで何故早く行きたいのかと尋ねると、そんなこと当たり前じゃないか、とリーシャは言うのだ。
「だって、王都ヒュペリオンだよ! 美しき花の都! ああー、早く行きたーい!」
 すっかり観光気分になってしまっているリーシャを窘め、一層気分が重たくなっての旅立ちであった。そして王都に着くなり、リーシャはあちこちの花々を見ては、すごい、だの、綺麗、だのと騒いでいるのだ。
「おい、リーシャ。俺たちは仕事で来ているんだぞ。忘れるなよ」
「分かってるって。あ、ねえねえリック、あれは何?」
 リーシャが指さしたものは、城門前広場に置かれていた石像であった。人の姿をしているものの、背には翼が左右に2枚ずつ生えている。右手にはやはり石づくりの剣が握られている。
「お前、あれを知らないのか? 本当に?」
「う、またそうやってボクの知識を試そうとするー」
「いくらこの国の人間でないとはいえ、こんな有名な話も知らないとなると、常識が疑われるな」
「うー、そんなに苛めないで早く教えてよー」
 やれやれ、と毒づくとリックは簡単に説明を始めた。
「あれはこの王都の名前の由来になったヒュペリオン神だ。かつてこの土地はキュドイモスという混乱を司る悪魔によって支配されていた時代があった。その姿は見る者にとって最も大切な者の姿を映していたと言われている。だが、その悪魔を倒すためにヒュペリオン神が降臨されてこれを封印したといわれている。以後、この国はヒュペリオン神の子孫によって統治されているんだ」
「え、じゃあ、この国の王家の人って、神々の子孫だっていうこと?」
「と本人たちは言っているが、事実は誰にも分からないさ。この言い伝えだってもう2千年も昔の話で、公式の記録にはその話は残されていないんだ」
「ふうん。でも、それが事実だったら面白そうだね」
 リックは苦笑を漏らして、その意見には何も言わなかった。
「そして、ヒュペリオン神が持っているあの剣が、神剣イアペトス。伝説上ではヒュペリオン神の兄弟神だと言われている」
「ええ? だって剣なんでしょ?」
「神が剣の形をしていておかしい話があるか?」
「いや、でも」
「あくまでも伝説だ。真偽がどうかは誰にも分からないことであって、それがどちらであれ困る人間はいないはずだ。気にすることはないさ」
「うーん」
 それでもリーシャはまだ納得がいかない様子だった。
「神剣イアペトスは城の中に大切に保管されていると言われている。でも、実はこれはレプリカで、本物は別にある」
「そうなの?」
 驚いたように、リーシャは声をあげた。リックは微笑んで人指し指を口にあてて、しーっ、と言う。
「まあ、こんな仕事ばかりしてるから、いろいろな事実を知っているっていうことさ」
「リック、何を知っているんだい?」
「さあ、何かな?」
 リックはこれ以上この話を進めることはしなかった。リーシャからは何度も質問されたが、決して答えなかった。あまり、国家にとって恥となるような事実を公表することはよくない、ということが理由の1つにはあった。だが、リックの抱えていた問題はさらに大きなものであったのだ。
「さて、それじゃあ依頼人に会いにいくとするか」
「あー、誤魔化すなー!」
 足早に城門の方に向かうリックを、リーシャは追いかけていった。



 リックたちが『SFO』の者だと告げて通行証を見せると、門番はすぐに手続きをとった。すぐに迎えがやってきて、リックたちは警備隊長のところへと連れていかれた。
 そこで待っていた男は50歳前後と思われる壮年の男だった。白髪まじりの黒髪、がっしりとした肉体、苦労を重ねてきたと思われる顔の皺、それだけならば一見気難しそうな人物に見えなくもないが、そんな印象が全く2人になかったのは、その人の良さそうな笑顔のおかげだったのだろう。
「初めまして、私が王都警備隊長のフィラス・ロディオンです」
「初めまして。『SFO』のリック・アドニスと、同じく『SFO』のリーシャ・アドニスです」
 すると、フィラスはリックとリーシャの顔を見比べた。
「ご兄妹でいらっしゃる?」
 2人があまりにも若かったのでこのように尋ねたのだろう。しかしその質問にリックは苦笑し、リーシャは少しむくれた顔を見せた。
「いいえ。よくそう見られますが、リーシャはレイア神の前で魂の半身を取り替えた、私の妻です」
「夫婦でしたか。それは申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないでください。こいつは見た目も中身もまだまだ子供ですから」
「何だとー?」
 リーシャは、きっ、とリックを睨んだが、リックは何食わぬ顔であった。2人がそうやって仲の良さそうな面を見せていると、フィラスがさらに口をはさんだ。
「ですが、そのお若さでそのお美しさでは、将来はすばらしい女性におなりでしょうな」
 するとまたリックが吹き出したので、リーシャは顔を真っ赤にした。もちろん、怒りのためである。
「あのー、ボク、これでももう18歳なんですけど」
「18、ですか?」
 フィラスは本気で驚いた様子であり、からかったつもりは毛頭ない様子をみて、とりあえずリーシャはその怒りを半分ほどおさめた。当然、残りの半分は自分がもっと若く見られていたことに対するもので、これはそう簡単に消えるようなものではなさそうだった。
 リックは苦笑し、どうやらその話が一段落ついたようなのを見て話を先に進めた。
「まあ、2人ともこのように若く見られますが、仕事の方はしっかりとさせていただきますのでご安心を。それでは、仕事の話にまいりましょうか」
 フィラスは気を取り直したかのように、そうですね、と言うと2人を椅子に座らせた。
「最初の依頼にあったように、この王都ではここ半年で20件の連続誘拐事件がおきています。それも被害者はうら若い女性ばかりで、犯行現場とみられている場所は全て街の中心部になっています。我々としてはこれを一連の犯行だとみて考えています」
「まあ、それは捜査を進めていけば分かることでしょう。調査はかなり進んでいらっしゃるのでしょうから、被害者たちのリストをいただきたいのですが」
「こちらです」
 手元に置いてあった資料を手渡され、素早く中を確かめる。
「それから、昨夜、またも女性が誘拐されたようです」
「21件目の事件というわけですか」
「ええ、それでこれから被害者の家に行くことになっています。一緒に来ていただけますね?」
「もちろん」
「ありがとうございます。それから、最初にお2人にはお願いがあるのですが、聞いていただけるでしょうか」
「聞くだけ聞いてみましょう」
 すると、フィラスは声を潜め、2人にだけ聞こえるような静かに話しだした。
「できることでしたら、今回の事件で知りえた秘密についてはあまり口外しないでいただきたいのです」
 リックはその質問の意味をはかりかねた。そのため、きわめて事務的な口調で応答することにした。
「我々は任務については守秘義務があります。ですがこのような捜査を目的とする場合には、証拠・証言を得るために秘密を公開することもありえます。必ずしも秘密を口外しないと約束することはできません。それから伺っておきたいのですが、あなたがたのいわれる『秘密』とは何をさしていっているのでしょうか?」
 しばらくフィラスは黙っていたが、やがて、やはり静かな声で答えた。
「実は、今回の連続誘拐事件の犯人をとらえられないということで、上から厳しく言われているのです」
「なるほど、つまり今回、もし我々が事件を解決したとしても、手柄はそちらのものにしてほしい、ということですか」
 露骨な表現であったが、フィラスは「そういうことです」と安堵したかのように答えた。自分からそのことを切り出すのが辛かったかのような印象を、その姿からは見受けられた。
「分かりました。そういうことでしたら我々は警備隊の傘下として動きましょう。王都警備隊をしめすワッペンかなにかありましたら貸与していただけませんか」
「すぐに、用意しましょう」
 するとフィラスは立ち上がって、部屋を出ていった。2人の話をただじっと聞いていたリーシャはようやく息をついて、うん、と伸びをした。
「やっぱり、警備隊っていっても大変なんだね。事件が解決しなかったら全部警備隊の責任なんだもん」
「嘘だな」
 つらっ、と言った言葉はリーシャに戸惑いを与えていた。
「嘘……って、何が?」
 早速資料を読み始めていたリックに向かって尋ねると、リックは「ん、ああ」とぼんやりした様子で答えた。
「あの、上からの圧力の話さ」
「え? でもだってすごい信憑性あるよ。半年間も犯人を捕まえられないでいるんだから」
「その話は本当だろう。だが、そんな裏話をどうして俺たちに教える必要がある? 最初から警備隊の傘下になって働いてくれっていえばすむことだ。わざわざ自分たちの恥を俺たちに教える必要はないだろう」
「うーん、でも」
「リーシャ、前に教えただろう。秘密を隠すにはどうすればいいか」
「秘密を隠すには?」
 リーシャはしばらく考えていたが、やがて暗記した文字列を再生するように答えた。
「相手の望んでいる情報を与えて、本当の秘密を隠す」
「その通り。あの老人、言いたくもない秘密をさも仕方なくばらしている、という様子がありありと見えた。逆にそれが演技だとばらしているようなものだ」
「そんなものかなあ」
 リーシャはまだ納得できていないようだった。
「さて、あの老人、いったい何を隠しているのかな?」
 リックは資料の半分をリーシャに手渡した。
「お前も読め」
「う、やっぱり読まなきゃ駄目?」
「当たり前だ」
「だって、すごい量だよ?」
「お前はここに、何をしに来たんだ?」
 質問に対して質問で返すことでリーシャを黙らせると、再びリックは資料を読みふけった。隣でリーシャは唸りながら一緒に資料を読んでいた。
 リックが読む限り、確かに共通点と思われるようなものは、街の中心部で、被害者がまだ未婚の女性であるということだけだった。
 だが。
 リックはこの一連の事件の最初の被害者のデータをもう一度見る。  ひっかかることが、あった。
(あとで、尋ねてみるとするか)



 やがて準備が整うと、2人とフィラスは21人目の被害者の婚約者であったという人物のもとへと向かった。被害者には家族がいなかったので、必然的に事情聴取を行う相手は彼しかいなかった、ということになる。
「ところで、どうして警備隊長のあなたが我々に同行するのですか?」
 フィラスはすると、人の良い笑顔を見せながら答えた。
「おや、この事件の担当者が私だと説明しませんでしたかな」
「なるほど、自分の担当する事件だからこそ『SFO』に依頼をしたということですか」
「ええ。もちろん現場を担当する隊員は他にも大勢いますが、その総責任者は私です」
 そうしているうちに、3人は郊外にある一軒の屋敷にたどりついていた。屋敷といってもそんな大層なものではなく、作業場とか、小屋とかいった程度のものである。3人がその小屋に近づいていくと、リックは何だか不思議な違和感を感じていた。
「……」
 素早く、当たりを見回す。だがその違和感の正体になるものは何も見当たらなかった。
 フィラスが扉をノックすると、1人の青年が顔を出した。「お待ちしておりました」と青年が言うと、3人は小屋の中へと入っていく。
 小屋に入ると、かすかに立ち込めるアルコール臭が鼻をついた。リックは眉をひそめながら小屋の中を見渡す。小綺麗にかたづけられており、客に対して落ちついた感じを与える部屋であった。小さなテーブルが中央にあり、窓側には水差しに花が生けてある。新しいカーペットと、新しいカーテンは水色で統一されている。
 青年が3人にお茶を出すと、青年は落ちつかない様子でテーブルの前に座った。
「ゼフォリアさん」
 はい、とその青年は飛び上がらんばかりの様子で答えた。
「婚約者を心配なさる気持ちは分かりますが、落ちついて答えてください」
「は、はい」
 ゼフォリアと呼ばれた青年は、フィラスの質問に対して淡々と答えていた。心ここにあらず、といったようで、婚約者がいったい今どこにいるのか不安で仕方ないといった感じをリックたちに与えていた。
「では、誘拐されたと思われるパールさんには、家族はいらっしゃらないのですね」
「はい、はいそうです」
「他に、どなたか友人は」
「友人というと、私とパールにとって共通の友人が1人います」
「お名前は」
「ブランといいます」
「住所を教えていただけますか」
 ゼフォリアがたどたどしく住所を言うと、リーシャがその住所をメモした。
「最後にパールさんを見たのは?」
「3日前の、夜です。それで……それで、一昨日の夕方に僕の家に来る約束だったのですが、いつまでたっても彼女は来なくて、それで家に行っても誰もいなくて」
 その後もフィラスは次々の質問をした。その間もメモを取りつづけていたのはリーシャの役目だった。そして大体の質問を終えると、フィラスはこう言った。
「それでは、我々としても全力で捜査にあたります。気を落とさないでください」
「は、はい」
「あ、それからもう1つ聞いてもよろしいですか」
 リックはこの小屋に入ったときからの違和感を解消すべく、1つの質問をしてみることにした。
「はい、何でしょうか」
「このカーペットは随分新しいようですが、いつ買い換えたのですか?」
「はあ?」
 どうしてそんなことを聞くのか、というような様子をゼフォリアは見せた。
「確か、2週間くらい前だったと思いますけど。それが、何か?」
「そうですか」
 リックはフィラスに目配せして、自分からは特にない、という意思を表示した。
「捜査が進み次第、経過をご報告に参ります。それでは」
 3人はゼフォリアの家を出た。



「あの質問には、どういう意味があったのですか?」
 フィラスは、2〜30も年下のリックに対してもきわめて丁寧な口調で話しかけるため、リックとしても話しにくいところがあった。
「いえ、大したことではないのですが」
「ゼフォリアを犯人と疑っているのですか」
「まあ、このパールという人の事件に関していえばそうなりますね」
 2人の話を聞いていたリーシャは驚いてリックを見つめた。
「どういうこと?」
「今言った通り」
「だから、ちゃんと教えてよ。どうしてゼフォリアさんが犯人だって決めつけるの?」
「共通性の問題」
「つまり?」
「今までの20人の被害者に共通するところは、若い未婚の女性だっていうこともあるけど、それをさらに発展させてみると、まだ未婚で特定の恋人がいなかった、という点もあてはまっている。比べて、パールさんには婚約者がいた。もし20人の女性を誘拐したのが同一人物であるなら、婚約者のいるパールさんを襲うというのはおかしい」
 言葉の使い方が、おかしかった──いや、そうではない。
 リックの今の言葉には、この連続誘拐事件に関して、捜査の1つの方向性を示されていた。
「するとリックさんは今までの被害者20人についても、同一人物の犯行ではないと言うつもりですか?」
 言葉尻をとらえたフィラスの質問は、まさにリックの言わんとしていることを正確にとらえていた。
『20人の女性を誘拐したのが同一人物であるなら』
 つまり、複数の事件が交錯している可能性もある、そうリックは言いたかったのだ。
「その可能性もあると考えています」
「理由を聞きましょうか」
「今のところは根拠のあることではないので、コメントはひかえておきます」
 リックは丁寧に答えた。フィラスもそれ以上は追求しようとはしなかったので、その場はそれ以上話が進まなかった。
「ところでフィラスさん。1人目の被害者が誘拐されたと思われている犯行現場はここから近いようなのですが、一度この目で確かめてみてもかまいませんか?」
「それは無論構いませんが。何か気になることでもありましたか」
「いやいや、一度現場とおぼしき場所を見ることが参考になるかと思いまして」
「捜査の基本は、現場に足を何度も運ぶこと、だったよね」
 リーシャが付け加えて言うと、リックはさも驚いたような様子をリーシャに向けた。
「何、驚いてるの?」
「よく覚えていたなと思って」
「馬鹿にしてるだろ、リック!」
 リーシャが掴みかかってくるのをリックは笑いながら押さえた。リックにとっては、こうしてリーシャと話している時間こそが、もしかしたら最も楽しい時間だったのかもしれない。



「このあたりですか?」
 かなり広い路地でフィラスが立ち止まると、リックが確認するように尋ねた。フィラスはただ1つ頷いただけで、特に何も言おうとはしなかった。
「1人目の被害者は大地母神の信者で、教会から帰る途中でいなくなった、ということになっていたようですが」
「教会はこの道をさらに進んでいけばあります。被害者の家は、この次の道を曲がったところにあります」
「つまり、この道で襲われた可能性が高い、と?」
「もちろん、真っ直ぐ家に帰らなかったという可能性もありますが、被害者が教会から出た時間が夜の8時ということを考えれば、真っ直ぐ家に帰ったものと、我々は考えております」
 なるほど、とリックは頷いた。まあ、このくらいの道だとしても、夜になればほとんど人通りはないだろう。そうすると人目につかずに犯行に及ぶこともできるということだ。
「資料を読んだかぎりでは、大地母神の信者だとみられている人物が4人、被害者になっていますね」
「ええ。ですが、単なる偶然でしょう」
「偶然、ですか」
 リックはリーシャを呼ぶと、被害者のリストを取り出させた。
「被害者が、まあさっきのパールさんも含めると21人。うち、大地母神の信者が4人。つまりだいたい、5人に1人の割合で大地母神の信者がいることになっています。そこでうかがいたいのですが、この都市では大地母神の信者はそれほどの割合で存在しているのですか?」
 リックはリーシャから渡された資料を眺めながらフィラスに尋ねた。
「いえ、都市の全人口の1%にも満たないと思われます」
「それなのに、4人もの人数が誘拐されている。偶然にしては、できすぎている。1人ならいい。2人でもありえなくはないだろう。だが、4人という数は異常だ」
 被害者のリストを調べつつ、リックは次々と話を進めていく。
「見たところ、大地母神の信者であるこの4人は、だいたい同じ時間に誘拐されたものと考えられている。日が沈んで、大地母神の教会から出てきたところを誘拐されているわけで、だいたい8時から10時くらいの間に、しかも全く人目につかないように犯行が行われている。おそらくこの4件に関していえば、完全に計画的で、しかも同一人物の犯行によるものと考えられるでしょう」
「じゃあ、リックはこの4人の被害者については、他の人たちとは別の事件だと考えてるの?」
「いや、一概にそう言っているわけじゃない。それに」
 その時、リックは誰かの視線を感じてすばやく振り向いた。しかし、道には普通に歩いている街人が何人かいるだけで、リックたちに対して興味を抱いているような様子を見せているものはいなかった。
「どうしたの?」
「見られてるような気がした」
 その言葉にフィラスさんも素早く周りに目を配る。
「本当に?」
 リックはリーシャの確認に対して、すぐには答えなかった。じっと、視線を感じた方向を見つつ、やがて素早く、小さく頷く。
「……何だか懐かしい感じだった」
「は?」
 リーシャがとぼけたような声を上げた。リックが視線を感じたのはほんの一瞬のことであり、今はもう、まったくそのような気配は感じなかった。だが、確かに誰かに見られていたような気がしたのだ。
「犯人でしょうか」
 フィラスさんが小さな声で尋ねてくるが、リックは「さあ」と軽く受け流した。
「とにかく、被害者の中に大地母神の信者が4人もいる、ということは一概に偶然だとまとめることは危険だと思う」
 リックは今受けた視線のことはとりあえず置き、話を元に戻した。
「信者、という言葉にはその神や教えに対して信仰する者、という意味がある。そして、教会に通っている人間の全てが信者である、ということは言えないんだ」
「どういうこと?」
「たとえば、旅に出る人間は旅を司る神、伝令神に旅の無事を祈願する。船旅をする者は海神に対して同じように祈る。戦場では戦女神の名を唱えるし、劇場なんかでは舞台が始まる前に歌の神に感謝の言葉をささげたりもする。つまり、1人の人間が複数の神とつきあうということは往々にしてありうる、ということだ」
「確かにそれはそうだけど、それがどうかしたの?」
「つまり、大地母神の教会を訪れた者が全部大地母神の信者だということはありえない、ということだ。この国の守り神はヒュペリオン神であり、ほとんどの国民がヒュペリオン神の信者だといえる。事実、この被害者たちのほとんどはヒュペリオン神の信者だ。少なくとも形の上では。だが、ヒュペリオン神の信者だからといって、大地母神の教会を訪れることは決してないとは言い切れない。大地母神は五穀豊穣の神として知られている。畑を耕す者にとって大地母神とはきってもきれない関係にあるんだ。だから、もしかして他の被害者の中にも大地母神の教会に通っていたものがいるかもしれない」
「そっか、その線で被害者たちの共通点が見つかるかもしれないんだ」
「ああ。見た限りでは農家の娘はけっこういるな。この1人目の被害者もやはり郊外に農地を持っているようだ。まあ、この被害者は大地母神の信者だが」
 ようやく得心がいったように、リーシャは大きく頷いた。
「フィラスさん。さっそくですが、この被害者たちの中で大地母神の教会に通っていた者が他にいないかどうか、手間をかけさせることになりますが調べていただけますか」
「ええ、かまいません。すぐに部下を派遣しましょう」
「それから、この王都の中に大地母神の教会が何箇所あるかも調べてほしいのですが」
「分かりました。すぐに調べておきましょう」
 それでは先に失礼します、とフィラスさんはさっそく手続きをとるために城へと戻っていった。
「それにしても、やっぱりリックってば、すごいね」
「何が、だ?」
 もう一度、リックは被害者のリストを眺めながらリーシャに問い返した。
「だって、警備隊の人たちが半年かかっても気がつかなかったところに簡単に気がついたんだもん」
「それは俺が部外者だからだろう。警備隊は連続して誘拐事件がおきることで、若い女性という共通点以外には無差別に犯行を行っていると考えてしまった。俺はまずこの20件の犯行を全て別個に考えてみるところから始めた。するとこの4人については不思議な共通点が見つかった、とそれだけのことだ」
「なるほどー」
「感心してばかりでいいのか? お前もこれくらいのことはすぐに気がつくくらいになってもらわなければ困る」
「う。でも、ボクは捜査が専門じゃないから」
「俺だって捜査が専門というわけじゃない。傭兵として剣を振るってるうちは何も考えないから楽でいいんだがな」
「本当だね」
 2人は妙なところで頷きあうと、犯行現場とおぼしき道を見て回った。しかし、もちろんそこで証拠になりそうなものは何もなかった。



 とりあえず初日の捜査を終え、2人は城へと戻ってきた。リーシャは長旅の後だったということもあり、すぐに風呂に入りにいった。その間、リックは今日感じた違和感や視線について考えていた。
 はたして、あの懐かしさすら感じた視線は、いったい何だったのだろう。それに、ゼフォリアの家で感じた違和感はいったい何なのか?
 前者の問題については全く見当もつかなかった。だが、後者の問題はしばらく考えた後ですぐに答えが出た。
「そうか、犯行現場が街中じゃなかったんだ」
 最初にフィラスが言っていたではないか。犯行現場とおぼしき場所は全て街の中心部だった、と。だから被害者の家も、その婚約者の家も、共に郊外にあるということ自体、既に今までの20件の誘拐事件とは無関係であるということを示しているようなものだ。
「だがまあ、せっかく関わった事件だから、解決くらいはしておいてやるか」
 乗り掛かった船だ、とリックはため息をつきながら独白した。その21件目の事件はそれでいいとして、では残りの20件の誘拐事件は、全て同一犯人の仕業なのだろうか。
 ヒュペリオン神の加護のあふれるこの王都で、大地母神の信者とおぼしき者たちが次々に誘拐される。おかしな話だ。いったい、何のために……そう、何のために大地母神の信者ばかりを狙ったのかが分からない。
 かつて、混乱を司る悪魔キュドイモスを封印せしヒュペリオン神。
 ヒュペリオンはもともとはこの大地の土地神だといわれている。だから特別何かを司っていたりするわけではない。大地母神との関係だってそんなに深いわけではない。対立こそしていないものの、神話上では何らかの関係があったという伝承もない。
「まさか、あれを使う機会があるのかもしれないな。そんなことが現実に起こるとも思えないが……」
 さすがにこの推理だけはあまりに馬鹿馬鹿しい、とリックは自分自身を笑い飛ばした。だが、考えるにつれ、今自分が考えていることがもしも実現したらどうなるのか、という思いに徐々に縛られていった。
「手だけは、打っておくにこしたことはない、か」
 すると、リックは近くにあった紙とペンを取り、素早く何かを書き留めた。そして、丁寧に6つ折りにすると、城の備品としておいてあった封筒にそれを入れた。
 と、その時、リーシャが風呂から上がって部屋に戻ってきた。リックが手紙を書いていたようなのを見て、すぐに近寄ってくる。
「おやー? リックはいったい誰に手紙を書いていたんだ?」
 リックは顔をしかめながらも冷静に答えた。
「トレインだ。一応、事件の筋書きだけでも知らせてやろうと思ってな」
 そっか、とリーシャはそれでもう手紙については興味を失ったようであった。リックは明日の朝一番にこれを『SFO』支部に届けてもらうようにフィラスに頼もうと考えながら、しっかりと封をした。
「湯加減はどうだった?」
「最高! やっぱりお城って違うなー。お風呂がすごく広いんだよ!」
 まるで子供だな、とリックはリーシャの反応に思わず苦笑いしていた。
「それじゃあ、俺も入ってくるかな」
 リックは手紙を置いて立ち上がった。






弐:『死顔』

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