弐:『死顔』
「リーシャ、悪いが調べ物をしてほしい」
う、とリーシャが詰まるのをリックは見逃さなかった。任務の度にリックが難しい役ばかりあたえていたので、今度はいったい何をさせられるのかと不安になったのだろう。
「そんなに難しいことではないが」
「いつもそー言うんだよ、リックは」
うー、と唸りながらさらにトリーシャは続けて喋っていた。
「この前だってリックは簡単な作業だって言ってたのにいざ取りかかってみたらとんでもない重労働で、しかもリックはボクなんかよりすごーく簡単な任務をこなしていて、それが終わってボクのところに来たときに『まだ終わってなかったのか』なーんて言うんだよね。ホント、ボクはこれ以上ないってくらいに必死に作業してたのにさー。そんなリックの言う『難しくない』なんてセリフが信じられるわけないじゃないか。いつだってリックはボクにばかり面倒な任務を押しつけるんだから」
リックは思わず苦笑を漏らしてしまった。それがなおさらリーシャの神経を逆撫でしたのか、ますます怒らせてしまう結果となる。
「わかった、悪かった」
「心がこもってない」
「まあそれはともかくとして、今回は本当に楽な仕事だ。実は、王都でカーペットを売っているところを一つずつ回って、ゼフォリアが訪れたことがないかどうか調べてほしい」
「は?」
「だから、昨日のうちに王都でカーペットを売っているところは調べておいたから、これを一軒ずつ回って──」
「ちょっと見せて」
リーシャはリックから王都の地図を奪い取ると、そこにつけられている印の数を見て愕然とした。
「これ、全部?」
「まあ、そうなるかな」
「百は越えてるぞ、これっ!」
「別に無目的に動けとは言わないさ。まずはゼフォリアの家から近そうなところだけでいい。それなら数軒ですむだろう。まあ、それでも見当たらない場合は諦めて全部回ってもらうことになるが」
「ウソでしょー? ウソだと言ってよー」
「やかましい。これは仕事だと何度も言っているだろう」
ううう、とリーシャはよろめく振りをするがリックは構わなかった。
「俺はもう行くが、お前はまだここにいるつもりか?」
「うう、行くよ、行けばいいんでしょ?」
「そういうことだ」
あくまでも憮然としているリーシャではあったが、リックはリーシャを信頼していた。この程度の作業ならばリーシャでも充分にこなせるはずだ、と。
さて、カーペットについてはリーシャに一任したところで、リックはパール誘拐事件についての重要人物ではないかと睨んでいるブランの家へとやってきていた。
もともとリックは連続誘拐事件を捜査しに来たのであり、既にその連続誘拐事件とは何の関わりももたないであろうこの事件には、さほど興味や感心を持っているわけではなかった。だからこそこの事件は手早くかたづけ、本来の任務を遂行したいと考えている。つまり、今日中に決着をつけられるものならそうしたい、と考えているのだ。
リックは、昨日初めてゼフォリアに会った時から、パール誘拐の犯人はゼフォリアではないか、と疑っている。もちろん証拠があるわけではなく、今のところはまだ直感だとしかいいようがない。もっとも、その直感についてはいくばくかの根拠がないわけではなかったのだが。そして、その直感を裏付けるための証拠、証言がほしかったのである。リックは証拠をリーシャに探索させ、証言をこのブランという人物に求めようとした。
ブランの家の戸を叩くと、中から若くたくましい体つきをした青年が現れた。おそらく、この人物がブランなのだろう。
「ブランさんですね?」
一応の確認を取る。その青年が頷くのを見て、リックは左腕のワッペンを見せた。
「自分は警備隊のリックというものです。パールさんの誘拐事件について、少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「ああ」
気のなさそうな返事ではあったものの、目にはしっかりとした光が宿っていた。ゼフォリアとパールの共通の友人であるブランにとっても、この事件によって相当な衝撃を受けているに違いないのだ。
「パールさんとのご関係を伺いたいのですが」
「ここに来た、ということはもう知っているのだろう?」
台詞だけ見ると実に素っ気ないものではあったが、しっかりとした意思を感じさせる口調であった。
「いつごろから、ゼフォリアさんやパールさんと知り合いになられたのですか?」
「さあ。幼なじみだから、あまり昔のこととなると」
台詞と口調が正反対なので、ブランが自分に協力してくれようとしているのか、それとも鬱陶しく思っているのか、判断がつかなかった。
「パールさんに恨みを抱いている人物とか、そういうことは」
「パールは誰からも好かれるいい奴だった」
リックの言葉に対してブランが猛烈に反抗してきた。だがリックは慌てずに「申し訳ありません」と受け流す。
「では、パールさんにゼフォリアさん以外の方が求婚なさった、とかありませんか? それを断られたから逆恨みをされた、とか」
「俺の知っている限りでは」
「そうですか」
やはり第三者の線はなさそうだな、と思うと同時にリックの中では別の嫌疑が首をもたげてきていた。だがおそらく、たいした意味はないのだろうと心の中で整理をつける。
「ゼフォリアさんのことについて聞きたいのですが、ゼフォリアさんは花がお好きだったのでしょうか」
「花?」
突然何を言いだすのか、というような困惑した表情がブランの顔に浮かぶ。
「そういえば毎日のように花を取り替えていたな。綺麗な緑色の花瓶が窓際にあったが。それが、どうかしたのか」
「いえそれと、ゼフォリアさんはお酒は嗜まれるほうでしたか?」
「いや、あいつと飲んだことは一度もない」
「そうですか」
なるほど、とリックは頷いてさらに次の質問に移った。
「ゼフォリアさんとパールさんの仲、というのはやはり良好だったのでしょうか」
「それは、パールを誘拐したのがゼフォリアだと言っているのか」
また憤りを隠しもせずに、ブランはリックに詰め寄ってきた。どうも、友人を侮辱されると頭に血が上る好青年のようだ。ただ、これだけ短気なのは問題があるが、とリックは付け加えるが。
「われわれとしては、ありうべき可能性を全て検証しなければならないのです。申し訳ないのですが」
「あいつらは本当に仲が良かった。それが全てだ」
リックは「申し訳ありません」と重ねて謝意を表する。しかし、ブランがむっすりとした顔を崩さなくなったのは仕方のないことだっただろう。
「あなたがパールさんに最後に会ったのはいつですか?」
「今度は俺が疑われているのか?」
「いえ、そうではなく、パールさんの最近の様子を聞きたいのです」
ブランは幾分表情を元に戻し、少し考えるようにしながら答えた。
「確か、5日前、だと思う。相談があるから、家まで来てほしいと言われた」
「相談の内容を伺ってもよろしいでしょうか」
「たいしたことじゃない。あいつが誘拐されたこととは何も関係ないだろう」
「それを調べるのが我々の役目です。教えてはいただけませんか」
ブランは沈黙し、答える意思のないことをリックに見せつけた。リックは小さくため息をもらし、もう1つだけ、とブランに質問した。
「パールさんか、ゼフォリアさんか、どちらかが婚約を解消するつもりだ、とあなたに相談したことはありませんでしたか?」
はっ、とその顔が緊張した。どうやら、図星のようである。
「5日前の相談は、そのことなのですね?」
「違う」
ブランは即座に言ったが、どうやらこれが決定的であった。
「ブランさん、正直におっしゃってくださいませんか。パールさんからはどのような相談をされたのですか?」
「言うことは何もない」
ブランは振り返って家の中に戻ろうとした。
「ブランさん、パールさんの命がかかっているんですよ」
その足が、ぴたり、と止まった。そして、リックに背を向けたまま、小さな声で呟いた。
「あいつは、ゼフォリアに捨てられることを怖れていた。それだけのことだ」
ばたん、と扉が閉められた。だがリックは、ブランもまた犯人がゼフォリアだと疑っているのではないか、とその心境を察した。
リーシャと合流したのはそれからすぐ後のことである。リーシャはすぐに調査を終え、こちらへ向かってきていたというのだ。
「それで、ゼフォリアはいつカーペットを買っていた?」
「2日前の朝だったよ。時間的には9時ごろ。警備隊に連絡したのは同じ日の正午だったよね」
「そのとおりだ。だとすると、きわめて怪しい行動だといえるだろうな」
婚約者が行方不明になったというのに、悠長にカーペットを買いに行く者などいないだろう。
「それじゃあリックの推理が正しければ、やっぱりゼフォリアさんが?」
「その可能性が高いようだな」
はあ、とリーシャはため息をついた。
「いやだなあ、婚約者を手にかけるなんて。いったい何があったんだろう」
「別れ話がこじれたから、だろうな」
リックは先程ブランと話した内容をかいつまんで説明すると、リーシャは改めてうーんと唸った。
「ねえリック、聞いてもいいかな」
「何だ?」
「もしボクと別れたくなったら、ボクのこと殺す?」
「おそろしいことを平気で聞いてくるやつだな、お前は」
リックはとんでもないことを平気で言う妻の顔をまじまじと見つめた。見つめられた妻の方は赤くなって俯いてしまっている。
「殺すことはないだろうな」
「……そう、言い切れる?」
「ああ。今の俺があるのはお前のおかげだからな」
幾分ぶっきらぼうな言い方ではあったが、その言葉はリーシャを喜ばせることに大いに成功したようだった。そんな様子を見つつ、リックも笑顔を浮かべた。
2人はゼフォリアの家へとやってきていた。リックは家の中に入るとすぐに水差しに入った花を見つめた。確かに昨日とは違う花が生けられている。
「お花が、お好きですか?」
お茶を差し出しながらゼフォリアが尋ねてきた。昨日のたどたどしい口調もおどおどした態度も失せ、冷静な物腰であった。
「それで、今日は何のご用でしょうか」
「1つ、伺いたいことがありまして」
お茶を一口含み、呼吸をおいてからリックは率直に尋ねた。
「昨日、あなたはこのカーペットを買ったのが2週間も前だといいましたが、それは嘘ですね」
「はあ?」
「あなたがこのカーペットを買ったのは、2日前の朝だ」
「何を、言ってらっしゃるのですか?」
「うちの優秀な部下が失礼ながらあなたがいつどこでカーペットを購入したか、調べさせていただきました。間違いなく、2日前の朝、あなたが警備隊に届け出る前に購入され、一度帰宅されている」
「……」
ゼフォリアは言葉もなく、リックの言葉を黙って聞いていた。
「何故、嘘をついたのですか?」
「多分、間違えたのでしょう」
「1週間前のことを2週間前と間違えることはあるでしょう。1か月前のことを2か月前と間違えることもまたそうです。ですが、昨日のことを2週間も前だと間違えるのはまずありません」
「……」
「しかも、あなたはその後で警備隊にパールさんの失踪を届け出ている。パールさんの失踪という重大事件の前にあなたがカーペットを買わなければならない理由などどこにもない」
「な、何が言いたいのですか?」
「つまり、こういうことです。3日前、あなたはパールさんと約束をしていた。あなたはその時にパールさんと婚約を解消してほしいとうったえた」
「な!?」
「しかしパールさんが婚約の解消を承知するはずもない。考え直してくれ、とあなたにせまった。だが、あなたはそんなパールさんを疎ましく思い、咄嗟に窓際にあった花瓶に手をのばした。そして彼女の頭を打ちつける」
「何を?」
「我にかえったあなたは、もはや息をなくしている彼女の死体を見てどうすればいいか悩んだ。殺人が露顕されるわけにはいかない。あなたは夜のうちに死体を運び、埋めた。そして帰ってきたあなたを待っていたものは、大量の血痕と、むせかえるような血の匂い。とにかくカーペットだけは買い換えないといけないと思い、翌日の朝すぐに買いに行った。同時に血の匂いも消さなければいけない。近くの酒屋でワインを1本買って、あなたは家中にワインをぶちまけた。これでアルコールにまぎれて血の匂いには気づかない。血の痕もカーペットを取り替えることで気づかれることはない。が、花を生ける花瓶がないことに気づいた。仕方なくあなたはそこにあった水差しを花瓶のかわりにした。そして、誘拐事件と偽ってあなたは警備隊に調査の以来を申し込んできた。と、こういうことです」
徐々に血の気が引いていくゼフォリアを見つめながら、リックは淡々と説明を続けた。そして、全てが終わった時、ゼフォリアはがたがたと震えながらリックを懇願するような目で見つめていた。
「自首、されますか?」
この言葉はある種、賭の要素を含んでいる。リックは自分の推理に自信はあったが、何ら証拠のあるものではない。もっとも証拠を探せというのであれば、いくらでも見つけることは可能だろうが、少なくともこの時点においてはゼフォリアを犯人と断定する証拠はなかった。
それでもなおかつこのようにゼフォリアを追い詰めたのは、彼のように衝動的に殺人を犯したような人間は、真実を突くとえてして動揺し、まだ証拠がないというようなことにも気付かずに自分の罪を認めることが往々にしてあるからだ。
そして、リックのその読みははずれてはいなかった。
「僕は、僕は、やってない!」
この期におよんで、とリックは思ったが、その様子が明らかにおかしいことにもまた気づいていた。
「では、あくまでも誘拐事件だとおっしゃるつもりですか?」
「ちがう、僕は、僕は殺してはいないんです!」
リックは眉をひそめた。いったいゼフォリアが何を言っているか、分からなかったからだ。
「僕は確かにパールと別れようとして彼女を家に呼んだ。でも、僕がちょっと買い物で家を出ている間に、パールは誰かによって殺されていたんだ。僕は自分が犯人にされるのではないかと思って、それで」
慌ててリックに向かって弁明するが、あまり信憑性があるようには見えなかった。
「では、死体遺棄については罪を認める、というわけですね」
とりあえず事情聴取のためにも、いったん警備隊本部に連れていくべきだろう、と考えたのだ。ゼフォリアの言っていることが正しかったとしても、どこにパールの遺体があるのかを尋ねなければならない。それに死体遺棄は法で定められている罪であり、罰しないわけにはいかないのだ。
「まだ、何も言いませんか」
リックはゼフォリアを本部に連れてきた後、他の被害者たちの資料を読みつづけていた。そうして日も暮れようとする頃、偶然にフィラスと出会ったのだ。
「ええ。死体遺棄と隠蔽工作については認めているのですが、殺人だけは違う、の一点張りで」
「そう言い続けていれば、罪にはならないと思っているのだろうか」
少なくとも理論的には完璧であり、死体遺棄を本人が認めてしまっている以上、裁判でも殺人にも関与したものと裁判で判断されるのは間違いないだろう。
「それとも、本当に被害者を殺したわけではないのか?」
既にパールの死体についてはゼフォリアの証言から捜索が完了しているということであった。一応の検死だけは済ませ、明日にでも共同墓地に葬られるという。
「フィラスさん、私に尋問をさせていただけませんか」
「わざわざあなたがですか」
「少なくとも私が関わった事件です。もしも冤罪だとすれば、私の落ち度になります」
「分かりました」
フィラスは何だか納得していない様子だった。それがどういう理由なのかはリックには皆目見当もつかないが、とりあえずゼフォリアと話せるのならそれでいいだろう。
リックは取調室へ入ると、既に何度も自分の主張を繰り返して疲れきっていたゼフォリアの姿が目に映った。
「ゼフォリアさん、あくまでも罪は認めないのですね」
椅子に座るとリックは優しく声をかけた。
「では他に犯人がいるというのであれば、その時の状況を話していただけますか」
そう言われると、ゼフォリアは慌てたようにその時の状況を説明した。だが、真犯人の手掛かりになりそうな証言にはなりえなかった。当然といえば、当然だといえるが。
「聞きたいことがあるのですが」
説明を終えた時、逆にゼフォリアの方からリックに対して質問があった。リックは何を言われるのかと思ったが「どうぞ」と質問を許容した。
「どうして、僕が婚約を解消しようとしていることを知ったのですか? 少なくとも僕は誰にも話したりしていないのに」
「ブランさんが、そのように言っていたのです。ブランさんはパールさんからひょっとしたらあなたが婚約を解消するつもりなのではないかと相談を受けていたそうです」
「そんなばかな」
「と、言いますと?」
「あいつ、パールにはそんな素振りは微塵も見受けられなかった」
「つまり、あなたがパールさんと婚約を解消しようとしていることに、全く気づいている様子はなかった、と?」
「そうです。第一、パールがブランにそんなことを相談するはずがない」
リックはその言葉に引っ掛かりを覚えた。
「どういう意味ですか?」
「ブランは一度、パールに交際を申し込んでいるんだ」
「交際を?」
「ええ、僕が直接ブランから聞いたわけじゃないですけど。パールがそう言っていたんです。だから婚約が成立した時、ブランには自分からは言うことはできないと、僕に」
「そうですか」
リックは立ち上がった。
「あなたが無実であることを何とか証明しましょう。それまで、こちらにいてください。失礼します」
リックが取調室から出ると、外で待っていたフィラスが声をかけてきた。
「どうでした?」
「犯人は別にいるのかもしれませんね」
「見当は、ついているのですか?」
「まあ、一応」
引っ掛かりの種はブランの言葉であった。
『パールは誰からも好かれるいい奴だった』
そうブランは言ったのだ。はたして、この言葉の意味するところは何だったのか。何故過去形で話さなければならなかったのか。それは、既に死んでいることが分かっていたからではないのか?
もっとも、証拠はどこにもない。犯人なのかどうか追求してあっさりと白状してくれればいいのだが、と面倒げにため息をついた。
「フィラスさんも、一緒にこられますか?」
「そうさせていただきましょう」
そして、リックは作業中だったリーシャとフィラスを伴い、改めてブランの家にやってきた。ブランは家の中に3人を入れると、すぐに用件を尋ねてきた。
「ブランさん。3日前の6時頃、どこで何をしていたか証言できますか?」
「何?」
「申し訳ありませんが、アリバイを尋ねているのです」
「つまり俺が疑われているということか。犯人はゼフォリア、ではなかったのか?」
「否定しています。ですから、一応他に犯人がいないものかと調べているわけです」
ふん、とブランは吐き捨てた。
「アリバイならない。ずっと家にいたからな」
「ご家族は」
「俺は1人暮らしだ」
リックはフィラスを見ると、頷く。
「では重ねて尋ねますが、あなたは以前、パールさんに交際を申し込んだ経験がおありと聞きますが、何故、今日伺った時にそうおっしゃらなかったのですか?」
ぎろり、とブランはリックを睨んだ。殺意さえ、その瞳から察することができた。
「ゼフォリアがそう言ったのか?」
「質問に答えていただきたいのですが」
しかし、ブランは自虐的な笑みを浮かべると、ふう、と大きく息をついたのだ。
「そうか、知ってやがったのか……」
小さく吐き出された言葉に、ブランが観念しているのだとリックは理解した。しばらくの間ブランは俯いていたが、やがて顔を上げるとこう切り出してきた。
「プレア・ライオニックっていう作家が書いた『死顔』って小説がある。読んだことはあるか?」
かなり知られていない作家ではあったが、リックは確かに読んだことがあった。ありがちな推理小説を書く作家であるが、その代表作とされている作品である。そして、その内容を思い出した時、リックは戦慄を覚えた。リーシャとフィラスを見てどうやら読んだことがないようなのを見ると、リックはしっかりと、しかし小さく頷いたのだ。
「俺はあの小説にいたく感銘を受けたんだ。犯人は何の身分もない単なる町人なんだが、身分違いの恋をするんだな。で恐れ多くも求婚するんだが、当然突っぱねられる。で、悩んだあげくに犯人は貴族の娘を殺してしまうんだ。その娘は本当に表情豊かな子だったらしいんだ。周りの人間は泣いている顔も、笑っている顔も、いろんな顔をその娘に見ていた。だが『死顔』だけはその犯人しか見なかった。犯人にとってはその娘の『死顔』だけが唯一、自分だけのものだったんだ。その娘の一部を自分が奪い取った……と、こういうことなんだな」
フィラスが茫然としているのも、リーシャがあまりのことに震えだしているのも、リックには伝わっていた。もはや、ブランの表情には理性とかいうものは存在していなかった。その瞳に映るものは狂気、その顔に浮かんでいるものは陶酔であった。
「その犯人はそれで幸せだったのですか?」
リックの問いに、ブランはようやく心から微笑んだようだった。
「ああ、幸せだったはずだ。俺が言うんだから、間違いはない」
結局、事件の顛末は次のようなものであった。
ブランはゼフォリアが出掛けた隙をみはからって家に入り、パールを殺害した。最初は自分の指で首を締めた、と本人は言う(なおこの時、パールがどのような表情でどのように息絶えていったかを克明に話した。最後に「あの顔は俺だけのものだ」と陶酔したように語っている)。最初はパールを殺害するつもりはなかった、と同時にブランは言った。ゼフォリアの様子を見ていてパールと別れるつもりなのだと感じ、それをパールに告げて自分と付き合うように迫ったのだが、パールはそれでもブランを拒んだのだという。それでかっとなって首を締めていた。その時、パールが初めて見せた顔に、ブランは喜びすら感じたのだ。
そして、パールの心を奪ったゼフォリアを憎んでいたブランは、犯行を全てゼフォリアの責任にしようと工作を行った。花瓶で死んだパールの顔面に打ちつけた。これにはパールの死に顔をゼフォリアに見せたくなかった、という一面もおそらく含まれているのだろう。そして身体中を切り裂いて、カーペットにべっとりと血を流させた。既に心臓は止まっていたので血がなかなか流れなかった、ゼフォリアが帰ってくる前に立ち去らなければならなかったので、かなり焦っていた、とも証言している。
そしてそれらの工作が終わると、既に原型を止めていなかったパールの顔に口づけ、小屋から立ち去ったのだ、という。
このように記録したリックは憂鬱だった。ブランから語られる犯行はあまりにも血なまぐさく、衝撃的なものだったからだ。それをここまで簡略化して報告書を作成したのは、決してブランやパールのことを思いやったからなどではない。もしブランの言葉を一言一句記録していたら気分が悪くなってくることがあまりにも明白だったからだ。
とにかく報告書を作成しおえると、リックはこれをフィラスに提出した。フィラスは報告書にさっと目を通すと、顔をしかめて「了解した」と述べた。
「結局リックさんのおっしゃられたように、この事件は連続誘拐事件とは全く関係がなかったようですね」
「ええ、どうやらそのようです」
ただ、最後にリーシャを伴うべきではなかった、とリックは反省している。リーシャも傭兵であり、戦場で血を見ることにはなれているだろうが、このようないわば猟奇殺人とは全く無縁である。かなりショックを受けていたことには違いない。
「それと、これが出来上がりましたので渡しておきます」
「これは?」
「被害者と大地母神との関係について調べたものです」
リックは真剣な顔つきに戻ってその調査書を一読した。
「12人、ですか」
「ええ、うち信徒が4人、教会に通っていたものが8人です」
意外に少なかったな、とリックは思う。もう少しこの線で共通する被害者が多いのではないかと思っていたのだ。
「分かりました、これをもとにもう少し調べてみることにしましょう」
「お願いします」
リックは隊長室を出ると、資料に目を通しながら考えていた。
20人中12人までが大地母神と何らかの関係を持っていた。当然、これは偶然ですませられるものではない。
もちろん、それは被害者同士に関係があるというのではなく、犯人にとって、大地母神の信者が敵だったのだ、と考えるのが最も筋が通っている。
では、残りの8人についてはどうだろう。もしかしたらこの中にまだ大地母神と関係のある被害者がいるかもしれない。だが、おそらくはこの全員が大地母神と関係があるとはいえないだろう。警備隊とて、そこまで無能な人間の集まりというわけではあるまい。
だとすると、この8人が大地母神と関係がないとすれば、12人を誘拐した方と犯人が同じだと言い切ることはできない。もちろん被害者の共通点が大地母神に限られるものでもないだろうが、共通点のない人間を同一線上におくことは危険だ。少なくとも現時点においては。
犯罪の連鎖という可能性もあるだろう、とリックは考える。今回のブランやゼフォリアと同じように、殺人を連続誘拐事件のせいにしてしまう、ということだ。
だとすると、この8人については背後関係からもう少ししっかりと洗いなおす必要がある。同時に大地母神の関係者である12人については大地母神と対立する組織ないし個人を洗っていく。そうすれば犯人はおのずと絞られるはずだ。
そんなことを考えながらリックは自分の部屋へと戻ってきた。中ではリーシャがベッドでぐったりと寝込んでいる。それほど、ブランの狂気にあてられていたのだろうか。リックはすまない気持ちで資料を置くとリーシャの側に腰かけた。
「大丈夫か、リーシャ」
そっとその頭を撫でる。リーシャは気持ちよさそうに「うん、だいじょーぶ……心配かけてごめん」と呟いた。
「前の任務からすぐだったからな。疲れていても当然だ。それに今日はショックも大きかっただろう」
「うん。でも、ホントに大丈夫だから。今はちょっと苦しいけど、明日になったらもう平気だよ、ほんとに」
そうか、とリックが呟いて立ち上がろうとすると、リーシャがリックの手を掴んだ。もっと側にいてほしい、とその瞳が訴えている。仕方なく、リックはしばらくそうしてリーシャの頭を撫で続けていた。
「ねえリック、海に行きたい」
「海?」
「うん、ボク、まだ海を見たことがないから」
「ここからなら、馬車で3日というところだな。いいだろう、この仕事が終わったら帰る前に海を見に行こう」
すると、リーシャの顔がぱっと輝いた。
「ホントに?」
「ああ」
「嬉しいな。こんなに優しいリックはひょっとしたら初めてじゃないかな」
小さく微笑むと、リックはその小さな唇をついばんだ。
「今日はもう寝ろ、おやすみ」
参:ペンダント
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