八:一番大切なヒト





 しかし、リックはキュドイモスのことをフィラスに報告することを躊躇していた。大きな理由としては3つあった。まず、フィラスのことを完全に信用できないということ。いったい、フィラスは自分たちに対して何を隠しているのかということが、この事件の間ずっとリックの頭の片隅にあった。次に、残りの8人の犠牲者の犯人が同一人物である、という推測をしていることをフィラスに報告していなかった、という点がある。これをきちんと主張立証するわけにもいかず、もしそうするのであれば『これで3人』のメッセージの意味は自分に向けられたものである、ということが判明してしまうかもしれない。もっとも、この点については昨夜捕まえられたディックが白状してしまうとどうしようもないが。
 そして最後に、キュドイモスを再び封印する方法を誰もが知っていながら誰も実行できない、ということをリックはわきまえていたからだ。キュドイモスを封印するには、神剣イアペトスを使わなければならない。しかし、その剣が今王宮にはない。そして何故神剣が王宮にないのか、というその理由を知っているリックにとっては、そのことを自分の口から話さなければならないということに抵抗を感じていたのだ。
 とにかく、このような理由からリックはキュドイモスを捕らえるのは自分自身で行い、連続誘拐事件の犯人は、例の8人を誘拐した人物を突き出すことで事件の終結を考えていたのである。こうすれば、事実は全て自分の内に葬られ、事件は解決する。それでいいではないか、とリックは思う。
(たとえ事件の全容が明らかにならないとしても、事件が解決すれば問題はない)
 リックは1人、取調室にやってきていた。ここにいるのは今はディックではない。オーソンの方であった。大地母神の信者12人を次々と連続誘拐、及び殺害したこの人物に対して、この事件を裏で操っていた人物がキュドイモスであることを確認するために、リックはここに来ていたのである。
 オーソンは取調室に入ってきたのがリックであることを確認すると、またもがたがたと震え始めた。どうやら、よほど恐れられているらしい。自分ではなく、キュドイモスが。
「この間、俺が言ったことはどうやら間違っていたようだな」
 ぴたり、とオーソンの体の震えが止んだ。
「もし、これから俺の言うことが間違っていたら首を横に振れ。正しかったら、何もする必要はない」
 そう前置きして、リックはオーソンに話しかけた。
「お前は間違いなく、大地母神の巫女、お前が恋してやまなかった巫女を殺した。そして、その死体を埋めた──はずだった」
 オーソンの瞳が見開かれている。その瞳には、恐怖、という二文字が鮮明に映し出されていた。
「しかし、お前の目の前に現れた人物はまぎれもなく自分が殺したはずの大地母神の巫女。いったい、何が起こっているのか、お前には理解ができなかった。そして、巫女はこういう趣旨のことをお前に言ったはずだ。『確かに、大地母神の教義は間違っていた。でも、今や肉体を持たない自分にはそれを止める力はない。だから、力を貸してほしい』と。お前は巫女を殺した罪の意識から、巫女の言いなりになって行動した。13日おきに女性を誘拐したのも、誰を誘拐するかを決めていたのも、全てはその巫女の一存によるものだった。そうだな?」
「お、俺は」
 そう言って、オーソンは顔中汗だらけにして、目だけでリックに訴えかけてきていた。その必死の表情が、自分の推測は正しいようだという自信を与えていた。同時に、この事件の黒幕は間違いなくキュドイモスであった、という確信を得ていた。



 オーソンへの取り調べが終わると、リックは昨日の夜から様子がおかしいリーシャを部屋に残したまま、フィラスの部屋へとやってきていた。フィラスは朝からディックの取り調べをしていたはずである。おそらくはリックの推測の通りであっただろうが、ディックの事件についてはなお、以前として2つの謎が残っていた。1つは『これで3人』というメッセージの意味、もう1つは『誰がディックに借金を全額返済できるだけの金を与えたのか』という黒幕の正体である。これは最悪の場合、人身売買組織の存在があるかもしれないだけに、フィラスも慎重にやらざるをえないようだった。
 これについては、リックは大体の予想がついている。『これで3人』の方は言うに及ばず、あれは自分に対するメッセージであることに間違いはない。そして『誰がディックに金を与えたのか』という問題であるが、これは『キュドイモスが操っているパトロン』に出資させたのだろう。そして、リックの中ではそのパトロンが誰か、ということについては何人かの候補が上がっている。その中の誰が犯人なのか、ということをあとは突き止めるだけであった。
 同時に、リックの中にはもう1つの疑問があった。それは、ディックの目にはキュドイモスは誰の姿で映っていたのか、というものである。このような犯行におよんだということは、娘の姿に見えたということではないだろう。いったい誰に見えたというのか。しかし、これについてはリックはあえて問い詰める気はなかった。自分の焦がれる人物から願いを受け、さらに自分の宿屋を救うことができると信じて行った犯罪である。ディックの身の上話を聞くことに意味はないだろうし、これ以上追い詰めるのも気持ちのいいものではないだろう。
 とにかく、最初の2つの問題点についてはこれからフィラスから説明を受けるはずであったので隊長室に来ていたのだが、なかなかフィラスがやってこない。フィラスがここに戻ってきたのは、リックがフィラスを待ち始めて1時間が経過しようとするころのことであった。
「申し訳ありません、遅くなりました」
 全くだ、とリックは内心思うが、言葉には「お気になさらないでください」とだけ述べておく。
「それで、ディックは犯行を認めたのですね?」
 まずは確認である。これについてはフィラスもしっかりと頷いた。
「ええ、さすがに昨日の不審な行動の理由の意味を証明することはできなかったのでしょう。あっさりと自白していただけました」
「それで、メッセージの意味はどうなりましたか?」
「それなんですが」
 フィラスは残念そうな口調で言う。
「ディック本人は、事件を混乱させるために書いた、と言っているのです」
「なるほど」
 リックは頷いた。既に昨日のうちにキュドイモスの方から捕まった時にどう言い訳するのか、細かく指示されていたのだろう。だとすると、警備隊はディックの自白をそのまま信じるだろう。リックにとってもその方が都合がいい。
「では、誰から資金を得ていたのかということについては」
「それが、本人は相当錯乱しているようでして、一向に話そうとしません。いえ、話してはいるのですが」
「ディックは何と?」
「その、王妃にお金を頂いたのだ、とそればかりで」
「王妃というと、エリオット王子の」
「はい、現国王の亡くなられたお妃様にあたられます」
 亡くなった王妃がディックに金を渡していた。
 なるほど、そういうことだったのか。
 リックはこのあたりのからくりが大体読めてきていた。
「ディックを裁判にかける時には、その資金援助の相手を証明しなければ勝てないということでもないでしょう。誰が資金援助をしているのかを自白しなくとも、特に問題はないものと考えますが」
 リックはどのみちディックはそれ以上の証言ができないだろうということが読めていた。そしてそのリックの意見を聞いたフィラスもまた「それもそうですね」と相槌を打つ。
「これであと未解決の事件は8つですね。リックさんには、残りの事件の犯人について、見当はついているのですか?」
「まだ何とも。犯人が何人いるのかということからして、全く見当もつきません」
 少し喋りすぎただろうか、とリックは後悔したが、自分の言葉の意味をフィラスはそのまま受け止めていたようであった。
「それでは、また資料を検討してみますので」
 と立ち上がった時のことであった。1人の警備隊員が入ってきて、2人に向かってこのように言ったのである。
「お取り込み中、申し訳ありません。実は警備隊に『SFO』から使者がきております」
 リックはぱっと目を見開いた。そして「早かったな」と呟く。
「いかがいたしましょうか」
 フィラスに尋ねられ、リックは「こちらに連れてきてください」と答えた。隊員は「かしこまりました」と答えると、すぐに部屋を出ていく。
「応援ですか?」
「いえ、今回の事件を解くための道具を持ってきてもらったのです。まあ、自分にとって必要なものであるというだけのことですから、あまり気になさらなくても結構です」
「そうですか」とフィラスは答えたものの、こちらの真意を図ろうとしているかのように見つめてくる。まあ、無理もないだろうが。
 やがて、再び扉が開くと、どこかで聞いたことのある元気のよい声が部屋の中に響きわたった。
「リックお兄ちゃん!」
 登場したのは、両腕、両足が露出して動きやすそうな服を着た、元気はつらつの黒髪の小柄な少女であった。もっとも、少女、というよりはもう少し歳をとっているのだが。
「お前か、ルシア」
 リックは頭を押さえた。
「なにさ、せっかく来てあげたのに、その態度はないんじゃないの?」
「トレインには『あれ』を運んでもらうだけでいい、と伝えたんだが」
「だから、そういうのはヒマな事務の仕事だってトレイン支部長に言われたの」
「わざとだな、あの男」
 リックは大きくため息をついた。リーシャとルシアが揃っていると口ではなかなか勝てないということを見越して、わざわざルシアに『あれ』を運ばせたのだろう。
「しかし、随分と早かったな。それで、例のモノは?」
「はい、どーぞ」
 ルシアは白い布でぐるぐる巻きにしてあるひょろ長い物体をリックに手渡した。
「それで、リーシャはどこ?」
 ルシアがそれを楽しみにここまで来た、という表情で尋ねてくる。
「それが、リーシャは何だか昨日から様子がおかしいんだ」
「夫婦喧嘩?」
「ではないと思うんだが」
「自信がないの? あやしいなあ。もしかして浮気?」
 リックは挑発にはのらず、その言葉を無視する。
「とにかく、様子を見てやってくれるか」
「うん、分かった。それでどこに行けばいいの?」
 リックは分かりやすく自分の部屋の場所を説明すると、ルシアは「それじゃ、行ってくるね」と部屋を飛び出していった。やれやれ、とリックは呟いて苦笑を漏らした。



 リーシャは、ずっと1人でベッドに寝そべっていた。
(ボク、この事件が始まってからなんか働いてないな)
 ぼんやりとそんなことを考える。確かに幾度も休んではいただろうが、リックに言わせると、やることはやっている、ということになるだろう。事実、ディックを捕まえたのはリーシャの手柄である。
 リーシャが自分があまり働いていないと思うのは、働くこと以上に悩むことが多かったからだろう。そして、今もまた新しい悩みに直面している。
(どうして、ボク)
 キュドイモスの姿がリックではなく父親の姿に見えたのだろう。
 このことを考えれば考えるほど、リーシャの悩みはより深く強くなっていく。
(ボク、どうしてリックのことが好きになったんだろう。そう、あれは、初めてリックから褒められた時。リックの課題をやった時だ。えっと、4回目の時だったっけ。ボクが提出したレポートを一度ざっと見通して、1回リックは変な顔して。何かボク変なこと書いたかなって不安になってたら、もう一度リックは通して見て。ドキドキしながらリックに何を言われるのか待ってたら、リックは『よく調べられたな』って、褒めてくれたんだ。そう、自分が努力したことが評価されたことが本当に嬉しくて。ボク、それできちんと評価をしてくれるリックが大好きになったんだ。……でも、それだけ?)
 リーシャはさらに疑問を深めていく。
(ボク、おとうさんのことも本当に好きだった。厳しくて、強くて、優しいおとうさん。でも、おとうさんは忙しかったから、ボクのことあまりかまってくれなかった。でもリックは、リックはボクのこと、きちんと見てくれた。厳しくて、強くて、優しいリック。リックはボクのこと見てくれてたんだ。だから好きになった。でもそれって、ボク、リックのこと)
 リーシャは体が震えた。
(ボク、リックのこと、おとうさんの代わりだとしか思ってないの?)
 一度、その疑念を抱いた時、リーシャの迷いは揺さぶられ、徐々に大きくなっていこうとしていた。
(そんなことない。だって、リックはボクのこと必要としてくれてるし、ボクだってリックのことが本当に大好きだ。おとうさんよりリックの方が大事だと思ったから、レグニアを出てきた。それは嘘じゃない。でもボクは、リック個人を本当に好きになったんだろうか。ボク、リックがおとうさんの代わりになってくれるって分かったから、だからリックについてきたんだろうか。そんなの……そんなの、ボク、ひどすぎる。ボク、リックにひどいことしてる。きっとそうじゃない。そうじゃない。でも)
 でも。キュドイモスの姿は父親に見えた。それは揺るぎない事実であった。
(どうしてこうなっちゃったんだろう)
 リーシャは気分を切り換えようとしたが、それも失敗に終わった。
(ほんの10日前まではすごく楽しかったのに。リックと一緒にいられることが、本当に毎日楽しかったのに。どうして今は、こんな毎日悩んでばっかりなんだろう)
 もう、リックの前で笑える自信が、自分にはなかった。本当に自分はリックを好きなんだろうか、という疑い。それが消えない以上、この先リックと一緒にいることは自分もリックも騙していることになるのではないか。
(ボク……)
 最悪の結論を出しかけた時、リーシャは突然の来訪者の出現を耳にした。
「リーシャッ!」
 どこかで、確かに聞いた声。この2年間、何度も助けられてきた声であった。リーシャは驚いて起き上がる。
「ルシア?」
「リーシャ、具合悪いんだって?」
 ルシアは部屋に入ってくるなり、リーシャのベッドに近寄ってきて、掌をリーシャの額にあてる。 「うーん、熱はないみたいだけど」
「ルシア?」
 リーシャは呆然としてルシアを見つめていた。ルシアがそれに戸惑って「どうしたの」と聞くと、リーシャはそれはこちらが聞きたい、と思いながら答えていた。
「どうして、ここにいるの?」
「あれ? リックお兄ちゃんから聞いてないの?」
 何を、と聞き返す前にルシアは説明を始めていた。必要になったものがあるから、それをこっちまで届けてくれと、トレインに手紙を送っていたらしい。
「あの時の」
 最初の日に出した手紙だ。あれは、ルシアをこちらに呼ぶためのものだったんだ、とリーシャは理解した。
「え、でも、届け物って」
「うーん、実はアタシもよく中身が分かってなかったりして」
 あはは、とルシアは言って自分で笑った。だが、今のリーシャには笑うだけの余裕がなかった。ルシアが自分を元気づけようとしてくれているのは分かる。だが、それに応えるだけの力がなかった。
 するとルシアは本当に心配そうに顔を覗きこむ。「大丈夫?」と声をかけると、今まで堪えてきたものが一気に溢れだして、また涙が流れてきた。
「ルシアッ!」
 リーシャはルシアの胸にもたれかかるようにして、そのまま泣きつづけた。その間、ずっとルシアは黙って背中をさすっていた。リーシャはそれが本当に心地よかった。本当にいいタイミングだった。リーシャは誰かに相談したかったのだ。心から信頼できる人に。ルシアが来てくれたのは、天の助けかリックの心遣いか、何にせよ本当に感謝しなければならなかった。
 やがて、リーシャが落ちつくと、ルシアは慣れた手つきでお茶を入れると、リーシャに手渡した。少し熱かったが、リーシャはとにかく一口それを含んだ。
「それで、何があったの?」
 ルシアもおそらく、単なる夫婦喧嘩だ、とはもう思っていなかっただろう。リーシャはどこから話したものかと迷ったが、とにかく最初から話すことにした。
 レティアの出現とリックの行動について話し出すと「それで悩んでるの? お兄ちゃん許せない!」とルシアが立ち上がろうとしたので、リーシャはそれを慌ててとめなければならなかった。
 そしてリックとの会話でまた元通りになったものの、今度は父親ヴァリアの姿を見た話になり、この事件の黒幕がキュドイモスであったことまで、何度もつっかかりながらできるだけ詳しく話そうとした。キュドイモスが『自分の最も大切な人の姿を映す悪魔』であることも忘れずに説明する(もっともその神話はルシアは当然のように知っていた)。そして、自分がもしかしてリックのことが好きではなく、父親の代わりとしてしか見ていないんじゃないだろうか、と悩みを打ち明けた時のことである。
 ルシアは、大声で笑ったのだ。



 リックはその後、リーシャとルシアがおそらくは重大な話をしているだろうと考え、フィラスの部屋で事件の経過と、今後の展開について会話を進めていた。その時のことである。1人の警備隊員が再び、しかし今度はさらに重大な事実を告げるために、息を切らせて駆け込んできたのだ。
「……」
 警備隊員の言葉は、リックとフィラスを愕然とさせた。こんなことが、起こりうるのかとリックは思った。いや、もしかすると、これこそがキュドイモスの真の狙いだったのでは、と疑念を抱いていた。



 リーシャは、大声で笑うルシアを呆然と見ていた。一体、何故笑っているのかが理解できなかった。そして、徐々に怒りがこみあげてくる。自分はこんなに苦しんでいるのに、それを見てルシアが笑っている。かあっと頭に血が上り「ルシア!」と大声で叫んだ。
「ご、ごめん。ちょっと、あまりに面白いことをリーシャが言うもんだから、おかしくっておかしくって」
「ルシア」
 また、じわり、と涙が溢れてきた。
「ボク、こんなに苦しんでるのに」
「ごめんごめん。でも、だってリーシャがリックお兄ちゃんのことが本当は好きじゃなかった、なんてそんなことありえないよ」
「どうしてそんなこと分かるの?」
「だって、そうとしか見えないもん」
 ルシアには自分の悩みが伝わっていない、とリーシャには映った。どうすれば、どう言えばルシアに今の自分の悩みが分かるだろうと、もどかしい気持ちでいっぱいだった。
「どうして、ルシアはそんなに自信があるの?」
 ルシアはきょとんとした。
「見てれば分かるから」
「だって! ボク、キュドイモスがおとうさんに見えた。リックだって、キュドイモスがレティアさんに見えた! 本当に大事な人に見えるのがキュドイモスなら、ボクが一番大事じゃないのはリックじゃないんだ!」
「バカ」
 激昂したリーシャに対してルシアは簡潔明瞭に言った。すると今度はリーシャの方がきょとんとした。
「リーシャ、よく、リックお兄ちゃんから『無知』とかって言われてるでしょ」
「……何で?」
 以前はしょっちゅう言われていたが、最近は呆れられている方が多い、と一瞬そんなことが頭をよぎった。
「それじゃあ、結婚を司る神様の名前は?」
 リーシャはルシアが何を考えているのかが全く分からなかったが、言われたことにはきちんと答えようとした。
「えっと、レイア神」
「じゃあ、レイア神の誓句は?」
「誓句?」
「ほら、結婚式の時に誓いの言葉、やるでしょ?」
「あ、うん」
 リーシャは必死にその言葉を思い出そうとした。自分も、前にリックと誓句を述べたことがある。その時は何と言っただろうか。もう2年も前のことだからよく思い出せない。
「ええっと確か『いついかなる時も……』」
「一文ぬけてる」
 ルシアに鋭く間違いを指摘され、うーんと唸ってもう一度思い返す。
「『我々はレイア神の前に、いついかなる時も……』えっと、『互いに互いを自らの半身とすることを誓って、ここに夫婦となることを宣言します』じゃなかったかな」
「分かった?」
 何が、とリーシャは心の中で聞き返した。ルシアはにっこりと笑って、その答を教えた。
「つまり、リーシャとリックお兄ちゃんは、もう他人じゃないんだよ」
 目をぱちぱちと瞬かせるが、まだリーシャには何を言われたのかが分からない。
「うーん。だから、キュドイモスは最も大切な者の姿を映すって言われてるでしょ? この時の『最も大切な者』っていうのは、配偶者は含まれないんだよ。知らなかったの?」
「え……えええええっ?」
 リーシャは叫んでいた。
「本当に知らなかったんだね。常識を疑うなー」
「で、でもだって、あれは単なる儀式であって」
「うーん、そうやって考える人が多いんだよね。でも、実はあの誓句は単なる儀式じゃなくて、レイア神の呪いなんだよ」
「の、呪い?」
 次々と明かされる事実に、リーシャは頭が混乱してきた。
「うん。あまり実害がないから、そのことは一般にはあまり知られてないんだけどね。それにレイア神が呪いをかけているっていうことを証明する方法もなかったし。そっか、でもキュドイモスの姿がリックお兄ちゃんの姿に見えなかったっていうことは、やっぱりあれは呪いだったんだなー」
 リーシャは頭を押さえて「うーん」と唸った。
「も、もう1回説明してくれる?」
 ルシアは「やれやれ、仕方ないなあ」とぼやいた。
「だから、レイア神の誓句っていうか、呪いの言葉に『互いに互いを自らの半身とすること』を誓っているでしょ? あれはつまり、精神上、魂の半分を取りかえっこしたことになるんだ。だから、自分の半分は配偶者のものってこと。同時に配偶者の半分は自分のものってこと。これじゃあとても他人だなんて、言えないでしょ? つまりこの時、2人は同一人物になるんだよ、神様の世界ではね」
「はあ」
 リーシャはただ頷いていた。
「もちろん、呪いの魔法とかの場合は『生年月日、生まれた場所、氏名、年齢、身長、体重、その他もろもろ』の要件を揃えてからかけられるから、いくら同一人物だからって、配偶者が呪いにかかったとしても自分まで呪いにかかることはないんだ。でも、キュドイモスみたいに『大切な他人』の姿を見せられたときには、配偶者は『同一人物』だからその姿が見えることは絶対にないの」
「じゃ、じゃあ」
 リーシャは言われたことを頭の中で整理してから、ルシアに尋ねた。
「ボクがキュドイモスにリックの姿を見ることはありえないの?」
「絶対」
「リックがキュドイモスにボクの姿を見ることもありえないの?」
「リーシャ、本当はそっちの方が気になってたんじゃないの?」
「そ、そんなことないけど」
 しかし、それが気にかかっていたことはまぎれもない真実であった。ただちょっと、自分のことの方がより強く悩んでいたというだけのことであって。
「そ、それじゃあさ、ルシア」
「なあに?」
 リーシャは、これほどおそろしい疑問を口にすることは、この先きっとないだろう、と思っていた。
「ボク、何のために悩んでたの?」
 プッ、とルシアが吹き出した。それにつられて、リーシャも笑った。2人は大声で笑った。迷いがすっかり晴れ、リーシャは気持ち良く笑えた。
(そっか、ボク、本当にリックのこと好きだったんだあ)
 考えてみれば、当たり前のことであった。好きだからついてきた。ヴァリアという個人と、リックという個人、どちらが大切かを考えて、リックの方が大事だと思ったからリックについてきた。たった、それだけのことが分かるのに、こんなにも自分は苦しまなければならなかった。
 本当に、バカみたいだ。
 笑い声はいつまでも止まなかった。



 それから、何気ないお喋りを2人が繰り返していると、知らず知らずの内に日も暮れ、そろそろお腹が空いてきた、と口にしはじめた時のことであった。扉が開いて、リックが部屋に入ってきたのだ。リックは最初、険しい表情であったが、2人が和やかに話していたのを見ると、表情を和らげて2人に話しかける。
「気は、晴れたか?」
 直接的な聞き方ではあったが、リーシャはリックの心づかいが嬉しかった。リーシャはにっこりと笑って頷くと、逆にリックに聞き返した。
「リック。なんだか、顔色が悪いけど、大丈夫?」
「ああ。何ともない」
 しかし、2人には決して何ともなくは見えなかった。明らかに顔が青ざめており、よほど重大な出来事が起こったということを物語っていたのである。
「それよりも、食事に行かないか」
 リックから先に食事を提案され、ルシアは喜んだものの、リーシャはあまり浮かない顔をした。何故なら。
「うーん、でも、ここの食事っておいしくないんだよね」
 最近、リックとリーシャの生活面での大きな悩みであった。一応食堂はあるのだが、これがメニューも多くないし、あまり美味しいとはいえなかったのだ。
「まあ、今日はルシアもいるし、せっかくだから外に食べに行こう。フィラスから旨いレストランを紹介してもらった。そこへ行ってみよう」
「やたっ」
 リーシャは心から喜んだ。
「もちろん、お兄ちゃんのおごりだよね?」
 ルシアがにっこりと笑って尋ねてくる。それに対して、リックは笑顔で肯定した。
「よーし、それじゃあ早速行こう!」
 リーシャが俄然はりきりだして、出かける準備を始めた。リックは微笑ましくその様子を見守っていたが、自分の傍でにこにこ笑っているルシアに気付くと小声で話しかけた。
「わざわざ、すまない」
「いいって。ああやって元気な方が、リーシャは似合ってるよ」
 さすがにルシアもリーシャの悩みの内容までは言えなかった。ルシアは尋ねられたとしても答えるつもりはなかっただろうし、リックもいくら夫婦とはいえ、他人の悩みを根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。
「それよりお兄ちゃん、本当に大丈夫? さっき会った時より元気がないけど」
「ああ」
 リックは遠い目をして答えた。
「あとで、な」



 3人は美味しい食事を満喫し、警備隊本部へと戻ってきていた。リーシャは久しぶりに美味しいご飯が食べられたと満足していたし、ルシアも久しぶりに3人で食事ができたと喜んでいた。
 リックも2人のその雰囲気を壊さないように機嫌がいいように振る舞っていた。しかし、おそらくは頭の中で今後の行動をずっと考え続けていたに違いない。自然と、会話はリーシャとルシア間で交わされ、基本的にリックは話しかけられてからそれに答えるという形になった。
 そして、2人に「重大な話がある」と言って、部屋の鍵を閉め、カーテンも閉じ、部屋の中にランプだけが灯った状態になった。
「これは、おそらく明日の昼には王都中に公表される。そして全国、全世界に向けてこの事実を知らせる書簡が送られることになる。そして俺たちは、これから近日中に今回の事件の犯人を捕まえなければならない。もう、時間は少ない」
 それがよほど重要な出来事であるということが、2人にはよく分かった。それだけの出来事とは何なのか、2人は息をのんでリックの言葉を待った。
 その言葉がリックの口から漏れた時、ルシアは目を丸く見開き、リーシャは手を口にあてた。リックは、その2人の表情を見て、またも表情を歪ませた。リックの言葉は、政治状況に疎いリーシャですら、これほどの衝撃を与えているのだ。
 すなわち、国王カルロス、崩御──






九:真相

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