S県R町。
人口二万人ちょっとのこの町は、年々首都圏に若者が流出し、近いうちに二万人を割り込むことが予想されている。
逆に、この町に若者がやってくるなどということがあったなら、それは瞬く間に町内ニュースになるレベルだ。
この町の中には県立高校が二つ、中学校が四つ、小学校が六つある。
今年、中学校三年生になったばかりの女の子、明日風真夜(あすかぜ・まよ)は下校途中、背後から「あすかぜさーん!」と友人に声をかけられて振り返った。
ショートカットの髪がさらりと流れる。小顔でメガネを直す様は知的な印象を与える。が、それが決して暗い方へは向かず、整った美しさを生み出している。
正直、同学年の生徒たちのほとんどが彼女を敬遠している。彼女のこの外見もそうだ。あまりに美少女すぎて、周りの女の子たちではどうしてもつり合いが取れない。また、彼女は黙っていれば知的美少女なのだが、実際に口を開くと、
「なに?」
非常に冷たい声が返ってくる。別に相手を嫌っているとか遠ざけているとかではない。もともとそういう感じがしてしまうタイプなのだ。本人もそれはもう諦めている。
「ううん、後姿が見えたから、一緒に帰ろうかと思って」
声をかけてきたのは真夜よりも少し背の小さい女の子だった。名前は青葉柚子(あおば・ゆずこ)。美少女の真夜とは違って、ほんわかとしたかわいらしい女の子だった。もちろん、真夜とつり合う感じはしないのだが、柚子は誰と一緒にいても、よくも悪くも場を崩さない容貌の持ち主だ。真夜にとっても数少ない話し相手でもある。
もっとも、真夜にしてみると自分のせいで柚子が他の生徒たちと仲良くできないのは申し訳ないと思う。別にイジメられているというわけでもないのだから、一人なら一人でもかまわない。そのため、真夜の方から彼女に接触していくことはほとんどない。どうしても用事があるときだけ話しかける程度だ。
一方で柚子の方は何かと自分の世話を焼いてくる。一人でいるとどうしてもグループ分けのときにあぶれてしまうので、そういうときには必ず柚子が自分の近くにやってきてくれる。そんな柚子と、真夜は一度本気で距離を置こうとしたことがある。自分の傍にいては、柚子は他の友人たちと仲良くできない。そう思ったからだ。
「哀れんでいるのならやめてちょうだい。別に私はあなたの助けなんて必要ない」
自分としては悲しくも何ともない。同学年に自分の友人はいなくてもいいと思っている。クラスであぶれるのはいろいろと大変だが、そのせいで柚子に迷惑をかけたくない。
「哀れむ?」
だが、柚子はぽかんと口をあけてから、にっこりと笑った。
「違うよ。私が明日風さんと一緒にいたいだけだよ」
その言葉も、真夜は別に心から信じているわけではない。ため息をついた彼女は、
「分かったわ。別に私もあなたのことは嫌いじゃない。だから、声をかけるのは必要最小限にして」
柚子に迷惑をかけず、かといって相手を尊重するぎりぎりのラインだった。柚子は「わかった」と頷いて、それから会話の頻度は減ったものの、何かあると柚子はこうして真夜の傍にやってくるようになった。
柚子は裏表のある人間ではない。冗談も通じないし、真面目で人の言ったことをそのまま信じてしまうという、疑うことを知らない純粋な子だ。もっともそれは人間社会を生きていくうえでは少し危険な性格でもある。そのため真夜は彼女の言葉を信じてはいなかったが、それが事実だということは分かっていた。
「もうすぐ十月だね」
「ええ」
「どこの高校受験するか、決めた?」
「まだ」
真夜は首を振ってこたえる。それは最近の自分にとって少し大きな問題となりつつある。
行きたい高校はある。町内の普通科高校だ。そこには自分にとってたった二人だけの信じられる年上の友人がいる。ここ最近は会う機会が少なくなったが、彼女たちとの絆だけはどんなことがあっても信じられる。
だが、彼女たちとは年が二つ違う。同じ高校に入ったとしても、一緒に通えるのは一年だけ。それなら自分の可能性を広げてくれる町外の進学高へ進んだ方がいいのではないか、という考えだ。
町内の高校は普通科とはいえ、国公立大学に行くことができる人数は多くない、というかほとんどいない。その程度の学力だ。だが、隣市の高校なら毎年国立大に百人以上進学している。やはりどこの高校に行くかというのは大事だ。
隣の市ならこの町からでも充分に通える。同じ高校に行かないからといって、二人に全く会えなくなるわけでもない。
「明日風さんはどこの高校だって受けれるのに?」
「そんなことないわよ」
とは言うものの、どこの高校を受けても合格する自信はある。幼い頃から厳しく教育されてきた彼女にとって、高校の学習であってもそれほど苦労することはないだろう。事実、模試では校内一番を落としたことはないし、二番との差も相当ある。その二番目の生徒ですら、進学高は間違いないといわれているのだから、真夜はいわば別格の存在であった。
「やっぱり、先輩たちと一緒の高校に行きたいの?」
「まあ、そうね」
別に隠すことでもない。真夜は素直に頷いた。
「そっかぁ。でも、こっちの高校にしてくれるなら私は嬉しいかな。また一緒の学校だし」
それを聞いて真夜はため息をついた。
「あなたも相当、変わってるわね。私と一緒にいて、何が楽しいの?」
「楽しいよ」
柚子は本当に嬉しそうに言った。
「明日風さん、気づいてないかもしれないけど、表情が小さくころころ変わるんだよ」
「……そうなの?」
「やっぱり、気づいてない。考えてることがけっこう表情に出てて、本当に見てて飽きない」
「私はパンダじゃないわ」
「ふふ」
そう言って柚子は笑う。真夜はため息をついた。この子は本当にかわいい子だ。自分が男子だったらきっと告白していることだろう。
「相談なら、いつでも聞くよ?」
「別にいいわ。相談したところで結論が出るわけでもないから」
そう。これはもう単純に、二つを天秤にかけてどちらを選ぶかという悩みなのだ。難しいことはない。たった一年、彼女たちと一緒に通うために町内の高校へ行くか、それとも自分の将来のために町外の高校へ行くか。
「まだ進路決定まで二か月以上あるもの。ゆっくり考えてみる」
「そっか。うん。なんだか明日風さんらしい」
そのときだった。
子供の泣き声が突然二人の耳に届いた。なんだろう、と周りを見回す。下校中の道に人影はない。ということは、裏路地か。
「青葉さんは先に帰って」
「何言ってるの、一緒に行くわよ」
危険なことになるとまずいからついてくるな、と言っているのだが。まあ、万が一のときは自分が助ければいいが、あまり彼女の前では余計なことはできない。
仕方なく一本道を折れると、その狭い路地で子供が不良にからまれていた。
(あの制服は)
町内にあるもう一つの高校。職業科を集めた高校で、町の不良が集まる高校として有名だった。募集定員も徐々に減ってきていて、いずれは閉鎖するのではないかとも言われている。というより、このご時世に『不良』などというものがまだ存在している高校に驚く。生まれてくるのが何十年遅いというのか。
からまれている子供は小学生だろうか、男の子と女の子で、二人ともランドセルを背負っている。それを囲んでいる高校生は五人。
「青葉さんは先に帰って。私なら大丈夫だから」
「そんな」
「いいから、帰って。お願いだから」
自分ひとりなら高校生の五人くらい何ということはない。だが、柚子の前ではまずいのだ。
「さあ、早く!」
だが、その二人の様子に高校生たちが気づいた。
「ああん?」
リーゼントにした髪の男がこちらを睨んでくる。本当に三十年、いや四十年は生まれてくる時代を間違えている。
「なんだてめえら、俺たちに何か用かよ」
「早く!」
真夜は柚子を突き飛ばす。それで足が動き始めたのか、柚子はそのまま駆け出していく。
「待ちやがれ!」
と、高校生が走り出そうとするが、真夜がその前に立って両腕を広げる。
「ここから先へは行かせないわ。それに、その子たちを放してあげなさい」
「何言ってんだ、このガキ」
「ガキって言ったって、そこの中坊だろ」
「だが、女には違いねえ。小坊をいびるよりは面白いだろ」
ゆっくりと男たちが自分を囲むように動いてくる。真夜は視線で二人の子供を見た。早く逃げなさい、と言うように。それで子供たちは逃げていく。
これでもう、自分を見ている人間はいない。
安堵した。誰かがいるなら問題だが、誰もいないなら好きなようにできる。
だが、その時だった。
「そこまでにしておけ」
低い声がした。まったく違う人の声だ。
振り返ると、柚子が誰か男の人を連れてきていた。とにかく助けを呼んできたのだろう。機転はきいているが、余計なことをしてくれた。関係のない人を巻き込んで、さらにはこのままだと自分たちも危ない。
(まっすぐ家に帰っていればよかったのに)
さて、この状況でどうすればいいのか。子供たちはもう逃げ去っているから、うまくあしらって逃げ出すのがいいか。
「なんだ兄ちゃん、やんのか」
「そうだな」
男の人も高校生だろうか。だが、町内どちらの高校の制服でもなかった。中学生にしては明らかに年をとっているし、かといって高校生の制服でもない。
「俺としては気がすすまないが、目の前で傷つく人間を見過ごすことはできない」
「正義の味方ぶってんのか? 人数を見てもの言──」
最後まで、その男は発言できなかった。いつの間に近づいたのか、正体不明の男性が腹部に一撃。それでお腹をおさえたまま高校生は倒れた。
「野郎!」
「ぶっとばせ!」
四人が一斉に襲い掛かる。が、男は別に苦にした様子もなく、すれ違いざまに一撃を叩き込んでいく。わずか三十秒の後、五人の高校生は全員地面にはいつくばっていた。
「う、おおお、おお」
「な、なんだ、こいつ」
「つ、強え」
たった一撃でしかないのに完全にノックアウトされている男たちから呻く声が聞こえてくる。
「まだやるなら、受けて立つが」
「か、勘弁、してくれ」
「そうか。お前、そう言ったことがある相手をさらに殴ったりしたことがあるか?」
「な、ない! 一度もない!」
それをじっと見ていた男は、三秒してから。
「嘘をついたな」
振りかぶった右腕を、その男の顔面に打ち落とす。
「嘘を言わなければ改心したと思うところだったが、この期に及んで嘘をつくやつに改心する気持ちなどないだろうからな」
やれやれ、と男はつまらなさそうに男たちを見下ろしてから二人の少女を見た。
「怪我は?」
「ありません。ありがとうございました」
「いや、礼を言われるようなことはしていない」
そして男は苦笑した。
「むしろ、余計なことをしてしまったかな。君は一人でも充分に大丈夫だったという顔をしている」
見抜かれている。さっきの高校生とのやり取りといい、この男は何者なのか。
「そんなことは」
「だが、そこは君の友人に免じて許してほしい。友達が危険だから助けてほしいと、見ず知らずの俺に泣きながらすがりついてきたんだからな」
「青葉さん」
真夜は男の後ろにいた柚子を見つめる。
「明日風さん。よかった、本当に無事で、よかった」
もう顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。そう。だからこそこの子の言動は嘘ではないということが分かるのだ。いざというときに相手のために自分のできることをする。それが見栄や虚構などであるはずがない。
「いいえ。ありがとう、助かったわ」
だが、それ以上にこの目の前の男が気になる。
いったいどうやって男たちを軽く沈めたのか。どうして相手の考えていることを見抜けるのか。
「お名前を教えていただけますか」
「俺の?」
「はい。住所と電話番号も。お礼をしたいので」
「そんなつもりで助けたわけじゃない。君は誰かを助けるときに見返りがほしくて助けるのか?」
「いいえ。でも助けてもらったときにお礼をするのが、普通の礼儀かと思います」
「その意見には賛成だ。君は他人に見返りを与えて、自分では見返りを求めないタイプの人間だな」
男は皮肉に笑う。
「何かおかしいですか」
「いや。ただ、お礼は断らせてくれ。俺は人を助けるときに、絶対に何も見返りを受け取らないことにしている。これは俺の誓いであって、破るつもりはないものだ」
男は頑として言い張る。言っても無駄だな、と思った真夜は「わかりました」と答えた。
「それじゃあ、一緒にお茶でもいかがですか。それくらいならかまわないでしょう?」
お礼のかわりに、ということだ。男は肩をすくめた。
「そういうとき、普通は男の方がおごるものだよ」
「状況は既に普通ではありません」
「確かにそうだ。では、それくらいでお互いに妥協しておこうか」
こちらも一安心だった。さすがに助けてもらって何もしないままでは精神的によくない。
「申し遅れました。私、明日風真夜といいます」
「私、青葉柚子です」
「俺は澄川聖登(すみかわ・まさと)。昨日、この町に引っ越してきたばかりだ」
「ああ」
真夜はそれを聞いて納得した。
「そういえば噂で聞きました。この町に高校生が転校してくるって」
「さすがに小さい町は噂が広まるのが早い」
「普通科の方ですか?」
「ああ。R高校だが」
「そうですか。何年生ですか?」
「二年生」
自分の友人たちと同じ学年だ。もしかしたら友人たちと同じクラスになるかもしれない。
「ま、場所を変えて話そうか。いつまでもここにいて、誰かに見られるのも困る」
「そうですね」
そうして真夜と柚子、それから聖登の三人は歩き始めた。
第2話
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