S県R市で有名な産物といえばオルゴールがある。全国でも一、二を争う出荷量であり、どの職人もその製品の質の高さは折り紙つきである。
 清田英夢(きよた・あやめ)は、あるオルゴール専門店に週に一度通っている。専門店といっても、大きくもなければ店頭にたくさん商品が並んでいるわけでもない。いくらこの町がオルゴールで有名だといっても、首都圏からも遠いこの町にわざわざ足を運ぶ旅行客などそうそういない。この店はほとんどが受注生産、昨今のインターネットの普及により通信販売が売り上げの九割を占める店であった。
 店の名前は『希望の旋律』。およそオルゴール店とは分からない店名だが、店主はこれが気に入っており、変えるつもりはないということだった。店主は簾舞音哉(みすまい・おとや)という、もう七十になる老人だ。
 この日も英夢はこの店へやってきていた。店にはわずかながらに商品が並べられていて、その奥では今日も音哉老人がオルゴールを作っている。
「こんばんは、音哉さん」
「ああ、英夢ちゃんかい。こんばんは」
「今日はどんなオルゴールを作っているんですか?」
「これがシリンダー。これだけで英夢ちゃんに分かるかな?」
 そっと手渡されるシリンダーを取って、ピンのついている位置から音程を頭の中で想像する。
「あ、これ、戦場のメリークリスマス?」
「おお、さすがだね。ピンだけで分かるとは」
「ピンの数が多かったからちょっと難しかったけど、スタートから見ていったら何とか分かった。もうこれ、聞けるの?」
「ああ。聞くだけならいつでも大丈夫だよ。ちょっと待ってなさい」
 音哉は英夢からシリンダーを受け取ると、木箱の中にシリンダーをはめてゼンマイを回した。すぐに戦場のメリークリスマスの音色が店内に響く。
「わあ、いい音色」
「そう言ってもらえると嬉しいね」
「でも、音哉さんがこの曲でオルゴールを作るのって覚えてないなあ。ありましたっけ?」
「そうだね。この曲のオルゴールを作るのは二年ぶりかな。前のやつもそうだったけど、これは商品ではない、非売品だからね」
「非売品?」
「ああ。この曲は特別なんだ。この町に災いが近づいているときにだけ、この曲のオルゴールを作る。これから辛いこと、悲しいことがこの町にたくさん起こるだろうね。でも、それらが全部終わったときに、無事に『メリークリスマス』と言えるような状況であってほしいね」
 その音哉の言葉には重みがあった。当然、二年前の戦いに関係している英夢にとっては他人事ではない。
「英夢ちゃん。もうすぐこの町は戦場になる」
「どうして分かるんですか」
「さあ、こういうのは直感だからね。強いて言うのなら、音が変わった、ということかな」
「音? 音って、何の」
「何、とはっきり言うのは難しいね。雨や風、大地、さまざまな自然の音が、それをワシに教えてくれるんだよ。正直、英夢ちゃんや遙ちゃん、真夜ちゃんにはもう戦ってほしくないんだが」
「そんなこと言わないでください、音哉さん」
 英夢は音哉の肩に手を置く。
「この町、そしてこの世界は私たちが必ず守ってみせますから。音哉さんが素敵なオルゴールをずっと作れるように、私たちは決して危険から背を向けたりしません」
「だが」
「音哉さんには感謝しています。私たち三人に力をくれた」
 英夢は自分の胸に手を当てて言う。
「私たちが『魔法少女デルタ』になれたのは、音哉さんのオルゴールのおかげですから」
「今となっては、後悔しているよ」
 はあ、と音哉はため息をつく。
「自分の孫みたいな子たちが傷つくのを見るのはねえ」
「いいんですよ。私たち、こう見えてもタフですから!」
 英夢は力コブを作ってみせる。女の子らしくないポーズだが、英夢にはなぜかそれがよく似合っていた。
「それに、さっき遙と電話で話をしたんですけど、実はもうその戦いも始まっているみたいなんです」
「始まっている?」
「はい。それが、私と遙の共通の知り合いと、全然知らない男の人が戦ったそうなんです。どちらも魔法を使ったみたいです」
「魔法使いじゃと?」
 音哉の目が見開かれる。
「はい。おかしな話ですよね。魔法が使えるのは私たち魔法少女だけかと思っていましたけど」
「ワシも聞いたことがない。魔法を使う、しかも男、とは」
 音哉は頭を振る。
「もしかしたら、全く未知の存在がこの町に近づいているのかもしれないね」
「未知の存在」
「共通の知り合いという人物には、また会うのかね?」
「はい。明日にでも学校で会えます。何しろ同じ学校の生徒ですから」
「なんと。ということはもしかして、最近転校してきたという少年か。確か名前が──」
「澄川聖登(すみかわ・まさと」
「そう。その澄川くんとやらだ。音が不安定になったときにきた転校生だから、何かあるかとは思っていたが、まさか魔法を使うとは」
 音哉は混乱していた。幼いころから『魔法少女』の手助けをずっと続けてきた音哉にとって、魔法『少年』の存在は初めてであった。
「英夢ちゃん。万が一のこともある。決して英夢ちゃんたちが魔法少女であるということが知られてはいけないよ」
「分かっています。そのときは魔法少女の資格がなくなるおそれもあるし、無関係の人を巻き込んだりすることもあるから。二年前の戦いで、それはもうさんざん懲りてますから」
 えへ、と英夢は笑った。
「そのうち、遙と真夜もここに来るかもしれません。そのときはよろしくお願いします」
「分かっておる。英夢ちゃんだけじゃなく、二人とも一か月に一回くらいは顔を出しておるんじゃよ」
「そうだったんですか」
「なんじゃ、友人のことなのにそんなことも知らんかったのか」
「最近、二人とはあんまり話してなかったから」
 しまった、という顔をしながら答える。
「でも、戦いになるなら久しぶりに三人で集まる必要がありそうだし」
「そうじゃな。だが、重ねて言うが、あまり無理はせんようにな」
「はい。それじゃあ、よろしくお願いします、司令官!」
 音哉は笑った。
「それは二年前の話じゃよ。あの戦いでワシはもう引退しておるのじゃから」
「それでも私たち三人にとっては音哉さん以外に司令官はいませんから」
「うむ。ワシの方でもできる限りのことはしてみよう。じゃが、もしこの町が戦いになるというのなら、魔法少女の世界から別の司令官が派遣されてくることになるじゃろう。そのときはきちんとそちらに従うように」
「形だけはそうします」
「こらこら」
 音哉は笑う。
「戦いに必要なのは縦の指示命令系統と横の相互連絡だと教えなかったかね」
「分かってます。それを破るようなことはしませんから。私はいつだって音哉さんの下で戦いたいんですからね」
 そう言って英夢はオルゴール店を出る。
(やっぱり、戦いが起こるのか)
 遙から電話が来て、遙の目の前で戦いがあったことを告げられた。それを聞いて音哉なら何か知っているかもしれないと思って来てみたが、さすがは音哉だ、戦いの予兆を肌で感じ取っていた。
(二年前は無事にこの町を救うことができた。でも、今回もうまくいくとは限らない)
 彼女たち三人が魔法少女になったのは今から二年前。英夢と遙が中学三年、真夜が中学一年のときだ。
 この町を襲った『怪物』と戦い、それを撃退した魔法少女たち。その『怪物』の目的はこの町に眠っているというキーストーンだった。とはいえ、そのキーストーンは偽物で『怪物』たちも偽物とは気づかずにこの町にやってきたのだから馬鹿な話だった。
 キーストーンは世界各地に存在する、世界を支える石だということだ。それがこの町にあるということで、さまざまな『外敵』が過去何十年にもわたってこの町に襲い掛かってきていた。そのたびにこの町には魔法少女が現れて撃退してきたのだという。
 キーストーンが偽物だと分かった以上、もうこの町に『外敵』がやってくることもないだろうと思っていたのも束の間、前の戦いからたった二年、自分たちがまだ魔法少女としてまだ戦える年齢のうちに次の戦いは起こってしまった。
「あと一年かあ」
 魔法少女でいられるのは十八歳まで。それを超えるともはや『少女』とは認められなくなってしまう。そのため魔法少女を総べる『女王』からその資格を剥奪されてしまう。そうして何代も代替わりしながらこの町は守られ続けてきた、と聞いている。詳しくはよく知らないけれど。
 そうしたキーストーンは世界各地にあるため、その町ごとに魔法少女が生まれることになる。この町に今回生まれたのが『魔法少女デルタ』である自分たち三人だった。
『怪物』と戦ったのは実質半年。だが、その半年はその後の人生を左右するほどに大きな影響を与えることになった。
(あの戦いがまた始まる)
 しかも今度は『怪物』とか『化物』とかではない。戦う相手は同じ『人間』の可能性が高い。
(私たち魔法少女は何をすればいいんだろう)
 英夢はいろいろと考えながら帰宅の途についていた。
 シャッターの下りた商店街を抜け、緩やかな上り坂を進んだその先に彼女の家がある。両親が高名な音楽家で全世界を飛び回っているため、家には自分一人だけ。そんな状況にも慣れた。自分もいつか両親のように世界中を駆け回るような音楽家になりたい。
(ん、あれは──)
 その坂を逆に下りてくる男性が一人。それは先ほどまで話題になっていた人物、澄川聖登だった。
「聖登くん」
 彼も自分に気づいたらしい。顔を上げると自分をじっと見つめてきた。
「清田さん。偶然だな、こんな場所で」
 偶然。確かにこの出会いは偶然なのだろう。だが、はたして彼の存在が、彼と自分が巡り合うことが偶然だったのかどうか。それは運命の必然ではないのか。
 英夢はためらうことをしない性格だった。
「英夢、でいいわよ。私も聖登って呼んでいい?」
「あまり嬉しくはないが」
「でもOKってことね。で、聞きたいことがあったのよ、ちょうどよかったわ」
「なんだ」
「どうしてこの町に引っ越してきたの。というか聖登、どこに住んでるの」
「どうしても何も、親の都合としか言いようがない」
「嘘。だって、この町を救うために来てくれたんでしょ」
 英夢は、聖登との間に火花が散った気がした。
「聞いたのか、藤野さんから」
「聞いた。でも、遙を責めないであげて。私と遙は、この町を守るということについては運命共同体みたいなものだから」
「運命共同体か。それにしてはすれ違っていたようだが」
「そ、それについては、か、か、感謝してるわよっ!」
 いきなり沸点に達した。今日までの自分がどうしてあんなに遙を恐れていたのか、不思議で仕方がない。
「おおかた、私と遙の仲を戻してくれるために動いてくれたんでしょ? 本当、感謝してる」
「友人や仲間、恋人がいるのなら大切にした方がいい。いつ失われるかなど、誰にも分からないのだからな。無為に過ごして失くしてしまうことだけは見過ごせなかった。それだけだ」
「聖登は強いね」
「本当に強いのなら、今頃こんなことはしていない」
 ふう、と聖登はため息をつく。
「お前、何者だ?」
「本当は教えちゃいけないことになってるんだけど、聖登は特別みたいだね」
「そうだな。俺が魔法使いならお前たちは魔法少女とでもいうつもりか?」
「そうだよ」
 英夢はしっかりとうなずいた。
「私は魔法少女デルタの一人、デルタ・ベガ」
「魔法少女デルタ」
 聖登は少し考えるようにしてから、一歩踏み出してきた。
「その魔法少女というのは、変身したりするのか」
「ええ」
「人によって衣装のカラーが違っていたり」
「そうね、割と」
「何人いるんだ?」
「三人よ。みんな、この町で二年前に戦ったわ」
「二年前?」
 聖登はいぶかしげな表情を浮かべる。
「三人とも初めて戦ったのか」
「ええ」
「他には仲間はいないのか」
「いないわ。ただ、いろんな町に私たちと同じ魔法少女がいるはずだから、探せば魔法少女が見つかるかもしれないわ。もっとも、簡単に名乗り出ることはないでしょうけど」
「お前を除いてな」
「そ、それは!」
 ぐうの音も出ない。最初に会ったときは分からなかったが、この男は、かなり嫌な奴だ。
「それより、私も教えてもらいたいわ」
「何がだ」
「私たちに、というか遙に近づいたのは何が目的? 魔法少女のことを探るため?」
「いや、偶然」
 あっさりと答えられる。
「は?」
「この町に魔法少女がいるなんていうことも知らなかった。俺はただこの町を救うために来ただけなのにな。ただ、お前が本当に魔法少女で、お前に答えられることなら教えてほしい」
 聖登が真剣な目で尋ねてくる。
「お前は、他の町の魔法少女が分かるのか。会おうとすれば会えるのか。どこにいるのか知っているのか」
「知らない。私たちは、私たち『チーム・デルタ』のことしか知らない。だから私に聞かれても無駄」
「だろうな。そんなことだろうとは思った」
 ふう、と聖登はため息をついた。
「それならもうお前に用はない。それじゃあな」
「待ちなさい。こっちの話は終わっていないわ。あなたは魔法使いということだけど、それはいったいどうやって身につけた力なの。そして、あなたの目的は何?」
「目的はさっきも言った。この町を救うこと。そしてこの魔法の力については答えられない」
「どうして」
「自分が知らないことをどうやって教えられる。俺は神でも悪魔でもない」
 そうして聖登は立ち去っていった。もう何も言うことはない、という様子で。
(知らない、なんてそんな馬鹿な話)
 あるはずがない。生まれたときから備わった力だとでもいうのか。それとも、ある日突然自分の知らないうちに力に目覚めたとでも。
(いいわ。そっちが隠すんなら、こっちは全力でそれを暴いてみせる)
 影に隠れていく聖登の背を英夢はじっと睨みつけていた。







第四話

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