この世界は多色刷りの原画のようなものだ。全ての物質には色があり、その色によって物体の識別を容易にしている。物体の大小、形状もその物体を特定する一因ではあるが、色にまさる識別方法はない。青を見て人間という者はいないし、赤を見て海と答える者はいない。
 その世界が単色で描かれたとしたならどうなるだろうか。その色の濃淡で若干の識別は可能になるが、色と色とが重なってそうとう見づらくなるはずだ。
 その赤い世界では、ある特殊な人間は、本来人が使うことができない力を使うことができる。それは魔法と呼ばれたり、超科学と呼ばれるのかもしれない。だが、今の科学でその原理・原則を観測し、説明することはできない。それは現代の物理法則とは異なる原理・原則・公式が必要となる。
 魔法は無秩序ではない。どんなことでもできるように見えて、実際のところはきちんとした秩序、ルールに従って使われる。魔法にも原理・原則があり、魔法方程式の元で全ての現象が生じることになる。
 赤い世界の中では、その魔法を使うことが容易になる。現象として発動しやすくなる。だからこそ赤い世界は魔法使いたちにとってはありがたいシステムとして利用される。
 澄川聖登はそのことがよくわかっていた。赤い世界がどういうもので、人間に何をもたらすのか。その赤い世界にふさわしくない人間の末路も。
 そして自分は、赤い世界に選ばれた人間であるということも。
(そんなものに選ばれたくなどなかったが)
 自嘲気味に笑う。そう。聖登はそんなものを求めたことなどなかった。日常に満足も不満も抱えていた、ごく一般的な学生だった。それが、たった一日で変化した。全てが変わった。もはや元に戻ることは不可能だった。
(だが俺はそれでも、この世界を守る)
 守る理由があるからこそ、世界に絶望しても自分には絶望していない。希望がある限り戦える。希望があるからこそ生きていける。
 夜が明け、朝が来る。あの日からもうこの光景を何度見たことか。どうせ眠っても悪夢しか見ないのだ。それならずっと起きている方がいい。






「おはよう、澄川くん」
 登校中、声をかけてきたのは藤野遙(ふじの・はるか)だった。昨日の今日でよく話しかけてくる気になるものだと思う。
「怖くないのか」
「何が?」
「俺と一緒にいると、また巻き込まれるかもしれない」
「大丈夫。だって、私たちのこと、英夢に聞いたのよね」
 ああ、そういえばそうだったなと納得した。そう、彼女たちは『魔法少女デルタ』。この町を影ながら救う正義の戦士なのだ。
「それで昨日、戦わなかったのはどういう理由だ」
「人前で変身してはいけないっていうのが決まりなの。もちろん魔法少女のことは知られてはいけないんだけど」
「俺は特別か。魔法使いだから」
「そういうこと。そういうイレギュラーは事後報告で認めてもらうんだけどね」
 微笑みながら遙が言う。まあ、魔法少女のことなど自分にはたいした問題では──
「事後報告?」
「うん。魔法少女の世界にいる女王様に報告がいくの」
「お前たちがか」
「ううん。そういう係の人がいるの。私たちにとっては司令官にあたるんだけど、今はもうその人も引退しちゃったから、次の司令官が来ないと報告もできないのよね」
 ということは、結局この町の魔法少女以外の情報は手に入らないということだ。
「お前、名前は何ていうんだ?」
 すると遙はむっとした。
「昨日自己紹介したでしょ。藤野遙!」
「違う。魔法少女の方だ。あいつはデルタ・ベガと言っていたぞ」
「あ、そんなとこまで話してたんだ」
 遙が驚いたように言う。おそらくは昨日のうちに連絡を取り合っていただろうに、いろいろと伝わっていない情報もあるようだ。
「あててみる?」
「デネブかアルタイルだろう。どっちだ?」
「私はデルタ・デネブ。やっぱり分かるんだ」
「デルタでベガとくれば悩む必要はない。夏の大三角だ。中学生の知識だな」
 夏の大三角。デネブ・アルタイル・ベガ。夏の夜空に燦然と輝く三つの恒星。
「だから、今度は私も変身して戦うから」
「好きにすればいい。俺は俺の理由で戦っている。お前たちはお前たちの理由で戦えばいい」
「ちょっと、澄川くん冷たい」
 冷たくもなろうというものだ。昨日、自分はこの力を手に入れてから、初めて鼓動が昂ぶった。三年間ずっと探していたものを見つけたと思った。それなのに、それは手がかりになりえなかった。自分が探していたものと密接に関係しているくせに、絶対にそこからでは手が届かないというのだ。これほど馬鹿な話があるか。
「お前たちが戦うのは勝手だが、俺とは無関係だ。自分で戦えるというのなら助ける理由もない。自分たちで何とかすればいい」
「ちょっと」
 遙は両手を腰にあてる。
「せっかく協力しようって持ちかけてるのに、その態度はないんじゃない?」
「協力する理由がない。俺がこの町を守ろうとする理由と、お前たちが守ろうとする理由は違う。結果が同じでも理由が違うのなら共同戦線を張ることはできない」
「どうして。この町の平和が目的なら一緒に協力することだって」
「俺は、魔法少女という存在を信用できない。それが理由でいいか」
 冷たい目で睨みつける。そう、実際、信用などできない。信用に足るものは何もない。一人ひとりを考えれば信用できる者もいるだろう。だが、結局は魔法少女は『組織』で動いている
。『組織』に入っている者は信用できない。
「私も、信用できない?」
「昨日会ったばかりの奴をどうやって信用するんだ」
「私はもう、澄川くんを信頼してるよ。澄川くんは私と英夢の仲を元に戻してくれた。だから感謝してるし、いい人だって信じてる」
「いい人が信頼の理由にはならない。単純に、俺の目的に合わなければ、俺がお前の敵になる可能性だってある。だから、俺を仲間にしようとするのはやめておけ」
 そうこうしているうちに学校に到着し、中に入り、席に着く。直後、すぐ近くの席が、キャーッ、と盛り上がっていた。
「ちょっと遙、転校生といきなり朝から二人で登校とは、手が早いですなー」
「まったくまったく。大好きな先輩に振られたからって、いきなりすぐ次だなんて、ヤケになるのはよくないぞー」
「ちょ、ちょっとそんなんじゃないってば!」
 一緒に登校しただけでからかったりからかわれたり。
(平和な連中だ)
 あきれてくる。本当に、魔法少女という連中はどうしてこんな人間を助けるために命をかけられるのだろう。自分もこの町を守ると決めたものの、いまだに不思議で仕方がない。
「ねえ、ちょっと」
 すると、いつの間にか自分の後ろに立っていた女性から声がかかった。つりあがった目が自分を見下ろしている。言わずと知れた、清田英夢(きよた・あやめ)だった。
「なんだ」
「ちょっと話があるんだけど」
「俺にはない。他をあたってくれ」
「そういうわけにはいかないでしょ。昨日の続きもあるし、それ以外もあるんだから」
「そんな喧嘩腰の相手についていく馬鹿はいない。出直してこい」
「うー」
 うなった。困ってどうしていいか分からない様子だ。なんだ、この方が可愛いじゃないか。
「ちょっと英夢、何やってるのよ!」
 そこにやってきたのは遙。仲良し魔法少女コンビの出来上がりだ。
「いや、昨日の話の続きを聖登にしたかったんだけど」
「ん? 聖登?」
「英夢とは別に何も話すことはない」
「え? 英夢?」
 遙は二人の顔を何度も見比べる。そして、絶叫した。
「どうしていきなり名前で呼び合ってるのよ!」
 確かに、自分の知らないところで急接近していれば驚くのは当然だ。
「名前で呼んでもいいって聞いたから」
「半ば強引だったな。まあ、英夢の性格はこういうものなのだろうと理解した」
「英夢。ちょっと後で話があるわ」
「え、うん」
 英夢は遙の剣幕に思わずたじろいで頷く。
「だいたい、英夢が澄川くんに何の用よ」
「だから昨日の話の続きだって。それに、もう一回遙のことでもお礼を言いたかったし」
「お礼って」
「遙との仲を戻してくれてありがとうって」
「その話は昨日聞いた。もう気にするな」
 立ち上がって教室を出る。
「ちょっと!」
「だが、話には応じない。その件でもう二度と話しかけるな」
 魔法少女のことをもっと詳しく聞くべきなのか。もっとも、下っ端の魔法少女では自分の知っていること以上のことは知らないだろう。
(──!)
 その瞬間、自分の周りの空間が変化した。すべての輪郭線が赤く染まり、それ以外の色は消滅する。
「白昼堂々襲ってくるとはな」
 赤い世界の中にひときわ濃い赤が生まれ、男の形にかわる。昨日の敵と同じだ。
「見つけたぞ。貴様が同志、宗像(むなかた)を殺した男だな」
「宗像? なんだ、昨日の男の名前か?」
「ふっ」
 男が笑った。なにやら、意味ありげに。
「お前の名は?」
「武内(たけうち)。同志宗像の仇、取らせてもらうぞ!」
(宗像、武内)
 敵にも名前があるのは当然のこととして、それがわざわざ名乗りを上げることの意味は何だ。
「くらえ!」
 武内が右手を振りかざすと、そこから赤い闇が現れて襲ってきた。聖登はそれを左手ではらって防ぐ。
「ほう! 赤い世界の力を使えるのは本当らしいな」
「赤い世界はお前たちの専売特許ではない」
「だが、その程度の力でこの俺を倒すことは、できんぞ!」
 さらに闇を集めて、天井から雷のように何条もの赤い闇が落ちる。さすがに受けきることもできず、回避に努める。
「正面をおろそかにするなよ!」
 いつの間にか接近していた武内の右拳がみぞおちに入った。肺の空気が押し出される。
(なんて力だ)
 間合いを取るために離れる。が、そこに赤い雷が落ちる。
「ぐううううううううっ!」
「ほう、持ちこたえたか。だが、これでどうだ!」
 両手を突き出すようにして赤い閃光を放ってくる。まずい、と判断して防御に全力を注いだ。
 そのとき、

『チェンジデルタ! マジック・リベレーション!』

 その赤い世界の中に、二人の少女の声がした。そして、自分の目の前に舞い降りる。
「この学校の中で、世界を滅びに導こうとする者よ!」
「私たちの目の前で、誰一人傷つけることはさせません!」
 この赤一色の世界の中、ピンクとホワイトに輝く魔法少女たち。
「夜空に響く、星々の音色! デルタ・ベガ!」
「夜空に羽ばたく、白き十字! デルタ・デネブ!」
 二人が決めポーズをとって、相手の攻撃を完全に防ぎきる。
『魔法少女デルタ、参上!』
「魔法少女デルタだと!?」
 武内が一歩後ろに退く。そして、ベガとデネブが頷くと、その武内に向かって突進する。
「てやぁっ!」
「はあっ!」
 二人の息のあったコンビネーションが武内を追い詰めていく。やがて、ベガの上段回し蹴りが側頭部を打った。
「ぐっ」
 あわてて距離をとる武内。
(強い)
 魔法少女と言っていたから魔法で戦うのかと思いきや、いきなりの肉弾戦だ。目を疑った。
(だが、この赤い世界でこれほどの力が使えるのなら)
 武内や他の敵とも充分以上に戦えるだろう。
「助かった、魔法少女デルタ」
 聖登は立ち上がると赤き闇を集める。
「今度はこちらの番だ、いくぞ!」
 強烈な赤い光を放つ。レーザー光線となったそれが武内の体を焼く。
「ぐうううううっ!」
 なんとか耐えたものの、体から煙が出ている。相当力を使ったようだ。
「さすがに三対一では分が悪い。同志と共に出直すとしよう」
「逃がすか!」
「逃がしません!」
 ベガとデネブが接近するが、それより先に武内の体が赤い闇の中に消えて、完全にこの世界からいなくなった。
 と同時に、この世界に色が戻ってくる。
「澄川くん、大丈夫?」
「ああ、助かった」
 掛け値なしに助かった。あのままだと逆に追い込まれていたのは自分だ。やはり先手必勝でダメージを与え続けた方が確実に勝利できるようだ。
「お前たちは変身を解除しなくていいのか?」
「うん。誰もいないよね」
 ベガが周りを見てから変身を解き、制服姿の英夢に戻る。同じようにデネブも遙に戻った。
「それにしても魔法少女デルタか。相当力を持っているようだな」
「まあね」
「多少は」
 ふふっ、と二人が顔を見合わせて笑う。
「お前たちは三人だと言ったな。残りの一人はどこにいる」
「ええと、あの子はまだ中学生だから」
「今年受験で、もしかしたらこの高校に来るかもしれないけど」
「なるほど、一緒にいないわけだな。名前はデルタ・アルタイルということか」
「もちろん。で、ちなみに色は黄色ね」
「黄色だと!?」
 自分の声が荒くなったのを、後から耳に届いた自分の声で分かった。
「え、なに、そこ、驚くとこ?」
 いや、落ち着け。昨日、英夢が言っていたではないか。三人が初めて変身したのが二年前だと。だから、これは単なる偶然にすぎない。
 だが。
「会わせてほしいものだな。その魔法少女に」
 二人が顔を見合わせる。遙の方が少し不満そうだった。
「いいよ。でも、一つだけ条件」
「なんだ」
「仲間になってよ。私たちの知らないこと、たくさん知ってそうだし」
 なるほど、情報交換ということか。そうと割り切るのならかまわない。
「いいだろう。いつ会える?」
「ふふん」
 英夢が勝ち誇ったような様子だ。
「今日にでも。授業後に会いに行こうか」
「分かった」
「ありがとう、澄川くん」
 遙がにこにこしながらお礼を言ってくる。
「何がだ?」
「協力してくれて。澄川くんとなら一緒にやっていけると思う」
「勘違いするな。仲間になるとは言ったが、俺の目的に合わないのなら協力は解消する。当然のことだがな」
「それでも、協力してくれるんだよね?」
「ああ」
「ありがとう」
 遙が満面の笑みで答えた。
「ふふん。よかったね、遙」
「な、なにが?」
「何がって、言ってもいいのかなー」
 うー、と遙がうなって英夢を睨む。
(やれやれ、まさか魔法少女と協力することになるとはな)
 絶対にそれだけはないと思っていたが、考えてみればこれも目的に近づくには良かったのかもしれない。
(とにかく、俺は俺の目的を果たすだけだ)







第五話

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