その日、明日風真夜(あすかぜ・まよ)は授業が終わったらまっすぐに家に帰るつもりだった。委員会の活動が急に入ってしまい(別に立候補してなったものではない)、結局帰るのが五時近くになってしまった。本当ならあと一時間以上早く帰るつもりだったのだが。
 そうして鞄を取り上げて携帯を確認すると、そこに着信履歴が五件。表示されている名前はいずれも『清田英夢』(きよた・あやめ)であった。
「久しぶりね。今頃何の用かしら」
 口では悪態をついているが、その表情には笑顔がこぼれていた。久しぶりの親友からの着信。これを喜ばずにいられるはずがないのだ。
 すぐに、といっても最初の着信が二時間も前なので、結果的に相手を二時間待たせてしまったわけだが、少なくとも気づいてすぐに真夜は電話をかけなおした。
「もしもし、こちら真夜」
『あー、やっとつながった! 何やってんのよ、真夜!』
 思った通り、親友はいつもの様子だった。彼女はいつだって元気で明るく、みんなを引っぱっていくリーダーなのだから。
「悪かったわね、英夢。委員会の活動があって気づくのが遅れたのよ。それで、用件は何?」
『あー、もうそのツンっぷり、全然変わんないわね、真夜』
「用がないなら切るわよ」
『ストップ、ストップ! 真夜だって電話もらって嬉しいはずなのに、そのツンっぷりは本当に変わらないわね』
 早く用件に入れと言っているのに、何を同じことを繰り返しているのかと。
「そ、れ、で?」
『はいはい。ちょっと、会ってほしい人がいるんだよね』
「会ってほしい? なに、今から?」
『そう。それに、ちょっと私たちのこれからについても少し相談があるんだけど』
 その意味はだいたい分かる。何か問題が起こったということなのだろう。それも、魔法少女に関することで。
「分かったわ。どこに行けばいい?」
『前にいつも行ってたところ』
「分かった。二十分で行くわ」
『オッケー。私たちはもう着いてるから』
「それは急げって言ってるのね」
『大丈夫。少し遅くなっても大丈夫だから』
「帰りが遅くなると保護者が心配するわよ」
『真夜よりは年上だもん』
「『もん』とか言わないでよ、気色悪い」
『ふええええん、遙ぁ、真夜がいじめるよぉ』
 ため息をつく。まったく、この親友は二つも年上なのにどうしてこうも子供っぽいのか。
(真面目なときは凛々しいんだから、いつもそうしてなさいよね)
 なんていうことを正面から言うつもりはさらさらないのだが。
「とにかく急ぐわ。それじゃあ」
 と言って通話を切る。不満そうな口調だったが、心の中は正反対だ。久しぶりに二人に会える。そのことが自分を喜ばせていた。心が高鳴る。今日はいったいどんな話を聞かせてくれるのだろう。自分は何を二人に伝えよう。
(まったく、ツンデレなんていわれてるけど、どうして素直になれないのかしら)
 自分は英夢や遙に何をしてもらいたいのだろう。かまってもらいたい、可愛がってもらいたい、そんなのは当然の感情としてあるのだが、だからといっていつまでも同じ関係でいられるはずもない。自分たちは成長し、結婚して子供を生むことにもなるだろう。そのときも同じ関係でいられるのか、そうではないのか。
(まあいいわ。将来のことなんて考えてもキリがないもの)
 なるようになる、ということなのだろう。とにかく今は二人を待たせないように急がなくては。
 と、小走りに校門を出たところで見知った顔と出くわした。青葉柚子だ。
「あ、明日風さん!」
 驚いたような顔をしている。どうしてそんなに驚いているのか、よく分からないが。
「青葉さん?」
「あ、ごめんなさい。もし良かったら、一緒に帰ろうかと思ったんだけど」
 待っていたのだろうか。だが、今は二人を待たせている。自分にとって大切なのは比べるまでもない。
「用事があって急いでいるけど、もし大切な話だったら」
「あ、ううん。そういうのじゃないの。ただ、ちょっと」
 何か言いたそうにしている。その様子を見て、真夜は携帯を取り出し、メールで『ごめん、少し遅れる』と英夢に連絡した。
「いいわよ。歩きながらでよければ」
 柚子はほっとした様子で「ありがとう」と答えた。
「実は、ちょっと相談があったんだ。だから話を聞いてくれて嬉しい」
「ごめんなさい。私も、待ってくれていたのを知っていれば、委員会の仕事も他の人に任せてきたのだけれど」
「ううん。大事な仕事だもん、きちんとやっている明日風さんは偉いよ」
 任された仕事をこなしているだけなのだから、別にたいしたことでもないのだが。まあ、面倒くさがりな人には向かないかもしれないが。
「それで、どんな話?」
「実は、一組の西岡くんなんだけど」
 西岡知樹(にしおか・ともき)。引退するまではバスケ部のキャプテンだった人物でありながら、成績優秀・容姿端麗と三拍子そろった人物として、この中学ではちょっとしたアイドルだ。
「西岡くんがどうかしたの?」
「実はその、ちょっと言いにくいんだけど」
 柚子は本当に困った様子で言った。
「ええと、明日風さんのことが気になっているから、紹介してくれないかって」
 頭痛がした。
「それはなに、交際したいとかそういうこと?」
「う、うん。そうなんだと思う」
「それで、私と仲がいい青葉さんにそれをお願いしたわけ?」
「う、うん」
「そう。分かった」
 酷薄に笑う。そういう男は徹底的にぶちのめすに限る。
「ど、どうするの?」
「直接断っておくわ。青葉さんに頼んでも、私の言いたいことの十分の一も伝えてくれそうにないもの」
 相手のことを気遣って、遠まわしに断られたと伝えて終了だろう。相手が変な気を起こさないように、誤解のないようにしておかなければならない。
「西岡くん、いい人だと思うよ?」
「そういう青葉さんは西岡くんのことが好きなの?」
「好きっていうわけじゃないけど、でも普通に校内で一番かっこいいのはみんな認めてるよ」
「みんなの中に私は含まれていないわ。私が好きになるとしたら──」
 どんなタイプだろうか。あまり想像できない。今まで異性として男性を見たことがなかった。中三にもなって、思春期もまだか。そんな子供すぎる自分がおかしい。
「そうね。この間、私たちを助けてくれた男の人なんて良かったかも」
「ああ、澄川さんだっけ。高校生の」
「まあ、本当はもっと明るい人の方がいいけど、あの人だったら変に気を使わなくてもよさそうだし、頼りがいありそうだから」
「そうだね。また会えたらいいね」
「そんな簡単にいくはずがないでしょ。まあ、狭い町だし、また会ったときには挨拶でもしてみるわよ」
 やれやれ、こんな話をどうして始めなければならなかったのか。それより、話が終わったのなら急がなければ。二人を待たせているのだから。
「それじゃ、話はそれだけ?」
「あ、うん。呼び止めてごめんね」
「いいわよ。私、この学校の中ではあなたが一番好きだもの」
「え」
 意表をつかれたように、彼女の動きが硬直する。
「そう、なの?」
「そうだけど? だって私、普通に青葉さん以外の人とあんまり話なんてしてないよ」
「そう、なんだ」
 すると、柚子は目端に涙を浮かべていた。
「ちょ、ちょっと、青葉さん、どうしたの?」
「いや、なんでもない。ただ、明日風さんにそう言ってもらえたのが嬉しくて」
 やっぱり変わった子だ。自分なんかとそんなに友達になりたかったのだろうか。
「なんだか、私が泣かせてるみたいね」
「泣かされたよ、本当に」
「悪かったわ。あんまり泣かさないようにする」
「ううん、こういうのなら大歓迎」
 えへへ、と柚子は笑う。まあ、機嫌がいいのなら問題ないのか。
「それじゃ、ごめんね。人を待たせてるから、ちょっと急ぐわ」
「うん。ありがとう、明日風さん」
 にっこりと笑った柚子に「どういたしまして」と答えると、また小走りで駆け出す。
 思わぬ時間をとってしまったが、急げばそれほど遅れないですむはず。
 そうして彼女が向かったのは、駅前のケーキ屋だった。紅茶の美味しい店で、二年前の戦いのときはよく三人でここに来ていた。最近だと──
(青葉さんと、澄川さんと一緒に来たときね)
 呼吸を整えてから店内に入る。入るといつもの席にいた英夢がこちらに向かって手を振ってくる。
 そして、遙ともう一人。
(嘘)
 冗談のような展開。
 先ほどまで青葉さんと話していたときに出てきた話題の人物、澄川聖登がそこにいた。
「澄川さん?」
「君は」
 聖登も少し驚いた表情を見せたが、すぐにもとの無表情に戻った。
「そうか。高校生を相手に随分落ち着いていると思ったが、君がそうだったのか」
「R高に転校して、同じ学年とは聞いていたけど、まさかこの二人といきなり仲良くなってるなんて」
 思わないではなかったが、それが現実になって、それもこんな短期間のうちに紹介されるほどになっているとは、どうして思いつくだろうか。
「なに、二人とも知り合い?」
「この間、高校生にからまれていた彼女を助けた。助ける必要は感じなかったが、なるほど、魔法少女なら確かに助ける必要はなかったわけだ」
「ちょっ」
 どうしてこの人が魔法少女のことを知っているのか。部外者に知られるのは原則禁止のはずなのに。
「どういうことよ、英夢!」
「まあ、とりあえず座りなさいよ。みんな真夜のこと待ってたんだから」
 四人がけのテーブルで、空いていたのはその聖登の隣だった。仕方なしにそこに座ると、対角に座っていた遙から睨まれた。なぜ──
(ああ、なるほど。遙、澄川さんのことが気になってるのね)
 すっかり恋する乙女ではないか。見ていて分かりやすい。それならせっかく芽生えかけていたこの気持ちだが、無視するに限る。
「それじゃあ、改めて紹介っていうわけでもないけど、こっちが私たちの仲間の明日風真夜。デルタ・アルタイルよ」
「よろしくお願いします」
「それで、真夜。こっちが自称魔法使いの澄川聖登くん。協力して戦うことになったから」
「よろしく頼む」
 真夜はまた顔をしかめた。
「協力? 戦う?」
「あ、うん。まだ話してなかったけど、この町にまた悪い奴がやってきてるみたいなの」
 はあ、とため息をついた。まったく、この親友ときたら。
「それを先に言いなさい!」
 思わず声を荒げていた。
「ごめんごめん。どういう順番で話せばいいかよく分からなかったから」
 それにしたって、先に伝えておくとか何とかやりようはあるはず。もしもその時間差でこちらが敵と遭遇したらどうなるのか。事前情報はないよりあった方がいいのは間違いないのだ。
「英夢はあとで説教」
「なんでよ!?」
「ここまでの話の流れから分かるでしょ、まったく」
 すると、隣の聖登が感心したように見ていた。
「なに?」
「いや、この前とは全然違うと思ってな。猫をかぶっていたわけだ」
「幻滅しましたか」
「いや、今のリラックスしているときの方がいいと思う。この間はお互い、腹の探りあいみたいなところがあったからな。明日風さんはこの二人の前だけ自分の姿を見せているのか?」
「そうね。あまり意識はしていないけれど」
 命をかけた戦いを繰り返してきたら、同年代の生徒たちがあまりに子供っぽく見えて、話をする対象に見えてこないというだけのことなのだが。
「まあいいわ、とにかく、何が起こっているのか一から十まで説明してちょうだい」
「オーケー。ちょっと長くなるよ」
 そうしてようやく本題に入る。
(どうも、長くなりそうな話ね)
 だが、久しぶりにこの二人と共に戦えるのだ。不謹慎だが、その方がどこか嬉しかった。







第六話

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