清田英夢(きよた・あやめ)ことデルタ・ベガは世界がきしんだ瞬間に異変を察知した。だが、察知しただけではどうにもならないこともある。すぐに彼女は自分が分断されたことに気づいた。
「私たちを一人ずつやっつけようって作戦か」
 もしそうだとすれば、一番自分たちにとって問題なのは、分断した自分たちを敵が全員で一人ずつ倒していくという作戦だ。だが、どうやら今回はそうではなかったらしい。
「一人を全員でよってたかって攻撃してこようってわけじゃないみたいね」
 目の前に現れた、赤い世界の主に対して挑発的に言う。
「そうだ。これは俺たちが願い出たことだからな」
 ベガの前に現れたのは壮年の男性だった。自分の父親と同じくらいの年齢か。今まで青年ばかりを見てきたので、違和感が大きい。
「願い出たって、一対一を、っていうこと?」
「そうだ。いくらお前たちが仇だからといって、俺は一人の女子供を集団でリンチするような精神を持ち合わせてはいない」
「女子供を一対一で殺すのは問題ないっていうわけ?」
「魔法少女の力があれば、普通に考えれば殺されるのは俺たちの方だろう」
 もちろん、赤い世界の魔法使いがそう簡単に倒されるはずがない。それどころか力関係はどちらが上かなど分からない。
 分からないからこそ、五分で戦うことができるのだ。
「名前は?」
「日下部(くさかべ)。もっとも、名前を覚えたところでお互いに意味のないことだがな」
「それはコードネームだから?」
「違う。この戦いで必ずどちらかが死ぬからだ」
 日下部の鋭い視線がベガを射抜く。だが、そのプレッシャーに負けじと睨み返す。
「私はあなたを殺そうなんて思ってないよ」
「それなら永遠に俺たちから狙われ続けるだけだ」
「かまわない。それでも人殺しはしないと決めた。たとえ敵でも」
「ほう」
 日下部は目を細める。
「だが、俺たちは戦いに敗れたなら自決する覚悟もある。そして実際に対馬がそうしただろう。俺たちを倒すということは俺たちを殺すということだ。ならばお前たちは俺たちを倒すことができないということになるな」
「話をすり変えないで。私たちがあなたたちを倒したとしても、あなたたちが死ぬか生き延びるかを選ぶのはあなたたち自身よ。自殺しておいて殺したのはお前だなんて、わけのわからない責任をなすりつけないで」
 全くひるまずにベガが答える。だが、その程度で動揺しない相手に日下部は満足したのか、苦笑した。
「なるほど、戦う覚悟はできているようだ」
「当然よ。この世界を破壊しようなんていう企みを放置するわけにはいかないわ」
 だが、それを聞いた日下部は喉の奥で笑った。
「何がおかしいのよ」
「おかしいに決まっている。平気で人を殺す魔法少女からそんな言葉が聞けるのだからな。所詮は駒ということか。自分たちが戦う意味も知らされていないとはな」
「戦う意味?」
「そうだ。だが、お前たちはそれを知る必要はない。お前たちは自分たちが正義だと信じながら戦い、そして死んでいくがいい。正しいことをしているはずなのに憎まれ、恨まれるという理不尽さに身もだえしながら、絶望と嘆きの中に堕ちていくがいい。それがお前たちが味わうべき罪だ」
 まただ。この『赤い世界』に関わる人たちは、絶対に自分たちには何も教えようとはしない。そして知らないままに死んでいくことこそが罪を償うことになると本気で信じている。
「あなたも『札幌事件』に関係しているの?」
 その言葉が日下部の感情を昂ぶらせた。明らかに冷静さをなくし、目が血走っている。
「きさまらが、その地の名を呼ぶな。罪人ども」
 そして日下部が動いた。魔法ではなく、肉弾戦で襲い掛かってきた。
「やれるもんなら、やってみなさい!」
 ベガが応戦する。魔法少女は単に魔法が使えるだけではない。肉弾戦もできるように筋力やスピードが格段にアップする。
 乱打の応酬の後、日下部が鋭く足を振りぬいてくる。ベガは空中に跳んで腰のロッドを抜いた。
「バーストロンド!」
 空中でロッドを振ると、地上の日下部に炎の柱が降り注ぐ。
「なるほど、これが魔法少女の力か!」
 日下部は降り注ぐ炎に向かって左手を掲げる。
「【赤き天球】!」
 その手を頂点としてドーム状にバリアが貼られる。直撃した炎が四散するほどの強固さ。だが、着地したベガは既に次の攻撃体勢に入っている。
「もらった!」
 低い姿勢からの足払い。攻撃を防いだばかりの日下部はそれをまともに受けてしまい、地面に倒れる。
「くっ、やるな魔法少女」
「そこまでよ」
 ベガはマウントポジションをとった。両膝で日下部の腕をブロックしている。足を振り上げても届かない。完全に勝負有りだ。
「日下部さん。あなた、どうして魔法少女を恨んでいるの」
「さっきも言った。それはお前たちの知る必要のないことだと」
「私たちはどうして恨まれているのか分からない。でも、本当に私たちのせいで誰かを苦しめたというのだったら、私はきちんと償いたいと思うよ」
「当事者でもないお前が償ったところでどうなるものでもない。お前たち魔法少女は、存在することそのものが罪だ。お前たちさえいなければ、どれほどの人間が救われたか」
「じゃあやっぱり、魔法少女も『札幌事件』に関わっているのね?」
「答える必要はない」
 日下部の目が光る。
「【赤き雷撃】!」
 その二人に雷が落ちた。もちろん日下部の放った魔法だ。
「きゃあああああああああああああっ!」
「ぐううううううううううううううっ!」
 だが、いくら赤い世界の魔法使いとはいえ、攻撃魔法をその身に受けてはただではすまない。ベガと刺し違えるつもりで放った一撃だった。
「さあ、拘束が解けたぞ、魔法少女!」
 日下部は力づくでベガを押し飛ばすと、雷撃で痺れが残る体を強引に動かす。ふらふらしているベガの顔面を殴りつけ、腹部に一撃、そして喉下を正面からけりつけた。
 がはっ、とベガの呼吸が止まる。衝撃で目がチカチカする。だが、神経は鋭敏になった。倒れかけている自分にとどめをさそうと日下部が近づいてくるのが分かる。
「あなたは、何を失ったの」
 かすれた声で呟くと、一瞬日下部の動きが止まった。が、次の瞬間、さらに勢いよく突進してきた。体当たりを正面から受けて、そのまま背後の木とサンドイッチにされる。
「がはっ!」
「ならば、逆に問おう、魔法少女。お前が将来恋人を持ち、子供を産むとしよう。お前はいったい何のためにその子を産むのか」
「何の、ため」
「自ら殺すために子供を作るのか! あまつさえ、その子を──!」
 その右手に赤い光が集う。
「【赤き死の鼓動】!」
 その右手がベガの鳩尾に入った。その光が、一瞬でベガの全身すみずみにいきわたり、急激に体温が低下していく。
「それが、答えだ」
 がくり、とベガの膝が大地につく。そして、意識が途絶えた。






「ここは」
 目が覚めたとき、ベガは見知らぬ場所にいた。いや、先ほどから場所は変わっていないのか、相変わらずの『赤い世界』だった。
 誰かが助けに来てくれたのだろうか、日下部の姿は見えない──いや、やはり、何かが違う。
「神社じゃない。どこだろう、ここ」
 気づけば自分の怪我も全てなくなっている。誰かが回復魔法をかけてくれたのだろうか。だとするとアルタイルが来てくれたのだろうか。
「赤い世界だけど、何かが違うような」
 今までのような攻撃的な意識は感じられない。
 むしろ、何か、まがまがしいものが。
「!」
 近くで爆発音がした。
 瞬間、迷いはしたもののその場所へと走った。何があるのかは分からないが、しっかりと見届けなければならないということだけは、おぼろげに理解していた。
 爆発した場所はそれほど遠くもなかった。
(行ってみよう)
 ベガは音が聞こえた方角へと向かう。どこをどう走ったのか、気づけばどこか家の中にいた。
 赤い世界の中、倒れている男の人と、赤ん坊。そして、
(バケモノ)
 赤い輪郭線がくっきりと分かる、その異形。人の体より二回りは大きい、全身毛むくじゃらで、目だけが黒く輝いている。その巨大な手が赤ん坊の頭をわしづかみにする。
「やめろ」
 男が呻く。自分も止めようとするが、何故か体が動かなくなった。
「それは、お前の子供だぞ、やめろっ!」
 そして異形は、子供を頭から食べた。
 骨が噛み砕かれる音。
 力なくうなだれる胴体。
 そして、嗚咽する男。
 その青年に、ベガは見覚えがあった。
(あなたは)






 そこで、ベガは目覚めた。
(夢?)
 意識を失っていたのはいったいどれくらいか。だが、すぐ近くに日下部の顔があるのを見ると、おそらくはほんの数秒、いやそれすらないかもしれない。
「まだ死なないとは、しぶといな」
「死ねないよ。あなたを、助けてあげないといけないもの」
 そしてベガはロッドを振りぬく。が、そんな攻撃が当たるはずもない。日下部は軽く後ろに跳んで回避した。
「俺を助ける、だと?」
 日下部は鼻で笑った。
「俺を何から助けようというつもりだ?」
「悪夢から」
 足はふらついていたが、視線は定まっていた。大丈夫、まだ戦える。
「あなたが『札幌事件』からずっと見続けている悪夢を終わらせてあげる」
 日下部は顔をしかめた。
「まるで俺のことを知っているみたいだな」
「分かったよ。というか、今、少し見えた」
 そう。
 あれは、日下部だ。目の前で自分の妻が異形となって、自分の子供を食べた。
「私は、悪夢の途中までしか見ていないから、はっきりとしたことは言えない。でも、これだけは言わせて」
 ここからは推測。
 あの『札幌』で、日下部に何があったのか。
「あなたの奥さんは『あなたに殺されて』良かったと思っているに違いないよ」
 日下部の動きが完全に止まった。そして、徐々に体が刻み、震え、そして、
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 咆哮。そして、疾走。
 目の前の口を塞ぐ、ただそのためだけに。
「でも、それであなたが苦しんでいるのなら、その悪夢を終わらせてあげる」
 ベガはロッドを高々と差し上げた。
「デルタ・プリズム・レボリューション!」
 赤い世界の中に奔る七色の光。それが日下部の体を貫いていく。次々と貫かれる光はやがて、日下部の体から力を奪い、そして大地に膝をついた。
「何故、殺さない」
 戦う力を失った日下部はベガを睨み上げる。
「さっきも言った。私は人間を殺さない。負けた後に死ぬか生きるかはあなた次第だ。私には関係ない」
「なるほど。魔法少女は敵は倒すが助けることはしない、か。徹底しているな」
 嫌味のようなことを言う。
「何を見た?」
「異形が、あなたの子供を食べるところを。あの異形は」
「妻だ。生まれたばかりの子供がいた」
「あなたが妻を殺したの? その、赤い世界の魔法で」
「そうだ。あのまま生きているくらいなら、死んだ方がいいと思った。どうして俺に力が生まれたのかは知らん。だが、気づけば妻を」
 その先の言葉はなかった。もちろん、それを強引に言わせるつもりはない。
「俺も死ぬつもりだった。だが、あの世界で真実を知った。知った以上は抵抗するしかなかった」
「真実?」
「そうだ。お前たち、魔法少女のことをな」
 やはり日下部も教える気はないのだろうか。赤い世界に関わる人たちは、魔法少女に真実を教えることを嫌う。知らないまま死ぬことが償いになると本気で考えている。
 だが、想像はつく。これだけ何度も言われ続けてきたのだ。類推されることはただ一つ。
「魔法少女と札幌に、何の関係があるの?」
 聖登は言った。札幌事件を生き延びたのが赤い世界の魔法使いたちだ、と。それならば、札幌事件を引き起こすきっかけとなったのは。
「お前たちには何も教えるつもりはない。死ぬまで悩み、苦しむがいい、魔法少女」
 そう言うと、日下部は素早く右手を口に持っていく。そして何かを飲み込む。
「毒──」
「これで、やっと」
 そして、日下部は一気に脱力した。そのまま目を閉じて、やがて動かなくなる。
(死を覚悟しているとか、そういうのじゃない)
 目の前で、二人の人間が自ら死んでいくのを見た。
(死にたがっているんだ、この人たち)
 ベガは顔を歪ませた。そして、自分たち魔法少女にいったい何の咎があるのか、確かめなければならないと思った。







第十三話

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