「あなたは目フェチだったんですね」
「要望に応えてお前の目をくりぬいてやろうか」






プロローグ・B







 というわけで、ようやく話が本題に入った。
「この女の子は普通の子に見えるけど、実は異世界では凶悪な魔王なんだよ」
「目薬さしとけ」
「いや、冗談ではなくてね。こんなに可愛くなってるのは、この世界での器として相応しくするためだよ。ほら、どこかありえないくらいの造形美だろう? これは普通の遺伝ではできないことなんだ」
「遺伝子操作をしたということか?」
「多分ね。この子をカプセルに入れたのが十四年前。そのときはまだ本当に赤ん坊だったらしいよ。僕が六年前にここを引き継いだとき、彼女はまだ八歳だった」
「なんだ、じゃあこの子はカプセルの中で成長してるってことか」
「そう。だから君が見つかってよかったよ。これ以上は正直限界だった」
「限界?」
「そう。カプセルの中に入れておく限界。そして、この世界で暮らすために必要な残り時間の限界」
 話の内容が飛びすぎていて分からない。電波で話そうとするのは頼むからやめてほしい。
「俺にこの子を五年間育てろって?」
「そう」
「何のために?」
「当然、この子には戸籍がない。だから学校も行けないし、パスポートも取れないから海外にも行けない。ちょうどこの春から中学三年生っていうところかな。かわいそうだろ?」
「どうでもいいから話を進めろ」
「十四年前、異世界の魔王を人間という器に封じ込めることに成功してね。ただ、この器は二十歳になるときに完全に壊れ、魔王が復活してしまうんだ」
「そいつはめでたい。魔王が人間を殺せば人口増加の問題は止まるかもしれないぞ」
「そうだね。おそらくこの世界には人間が多いから、魔王としても嬉しい限りだと思うよ。ただ、人口は六十五億からゼロになるだろうけど」
 随分と高い魔王の評価に肩をすくめる。
「五年間ということは、二十歳になる前までってことだな。育ててどうするつもりだ?」
「この子が人間を好きになるようにしてほしい。たとえ魔王として覚醒しても、人間を殺さなくてすむように」
 それはまた、どういう基準で考えればいいのか。
「いろんなところを連れまわしてやればいいのか?」
「そうなるかな。普通の女の子が行きそうなところに連れていってくれればいいよ。動物園とか遊園地とか」
 さて、年頃の女の子というのはそういうところに行きたがるものなのだろうか。
「五年間? ひたすら? 二人で遊びまわれと?」
「そういうこと」
 眩暈がした。確かに五年間、完全に拘束される。
 何しろ学校にも行けない、放ったらかしにもできないということは、始終くっついていなければならないということだ。これでは仕事も彼女もできようはずがない。
「なるほど、金額に見合った仕事だな」
「理解してくれて嬉しいよ」
「で、どうやって人間が好きかどうかを見極めるんだ?」
「その装置はもう開発済み。ほら、そこのディスプレイを見てごらん」
 部屋の脇にあるディスプレイになにやら表示されている。
「この横にある棒グラフが愛情度。もちろん人間に対するね」
「愛情度にはマイナスがあるんだな。はじめて知った」
「うん。現在マイナス五十九。これをプラス百まで上げないといけないんだ」
「上がらなかったら?」
「二十歳になった途端、魔王となって人間に襲いかかってくる」
「そうなったらどうするんだ?」
「そうなる前に手を打つよ。だから、君には期待しているんだ」
「つまり、殺す、ということか」
「そういうこと。人間の器を壊してしまえばもう魔王が復活することはできなくなるからね」
「そいつはひどい」
「そうかな。自分の天敵をこうやって生かしておこうっていうんだから、かなりいいことをしてると思うんだけどなあ」
「人間は、自分の遺伝子の中に『滅びたがる』要素を持っているっていう話を聞いたことがあるぜ。あんたのはまさにそれだな」
「滅びる要素は今のうちにつぶしておいた方がいいっていうことかい?」
「ああ。この子をわざわざ目覚めさせておいて五年間育てて『結局駄目でした。じゃあ死んでください』は相手がかわいそうだろう。まだ目が覚めてないうちに殺した方がいい」
「君こそひどいことを言っているね。かわいそうじゃないのかい?」
「何故かわいそうなんだ?」
 それこそ彼には乃木の言っていることが理解できない。
「かわいそうかどうかというのは他者から見たときの主観が働いているだけだ。そして、一つの生命体が死ぬことは、自然の法則にしたがっているだけのこと。かわいそうなのは、生命体が死ぬことと同時に、その生命体が保有していた思考パターンが失われることだ。人間の思考には当然『死にたくない』という意識が働く。その感情を否定して殺すことがかわいそうなだけだ。その思考がないものを殺すことは、別にかわいそうでも何でもない」
「ひねくれてるなあ」
 乃木は言葉とは裏腹に感心したように言う。
「つまり、目覚める前ならこの子の意識は全くないのと同じなんだから、殺してもかわいそうじゃないってことだね」
「そうだ。目覚めた後ならこの子は生きることを望むのは当然だ。それを否定して殺すのはかわいそうだろう」
「まあ、君の意見は意見として聞いておくよ。ただ、私にはこの実験を続けなければいけない理由があるからね」
「理由?」
「そう。異世界の研究をしていると言っただろ? 言い方が悪いのを承知で言うけど、貴重なサンプルを手放すわけにはいかないと思っているのさ」
「なるほど」
「怒らないの?」
「非人道的なことをしているわけではないからな。お前のやったことが誰かのためになっているのなら間違ったことではない」
「君もたいがい、変わった人間だね」
 乃木は苦笑しながら言う。
「君がこの子を育ててくれるなら、五年後、彼女はこの施設に返してもらう。そこで愛情度が百を超えていたら君に一億円、下回っていたら五千万円の成功報酬を払おう」
「つまり、支払われた金額によってこの子が殺されるかどうかが分かるということか」
「そういうこと」
「気分が悪いな」
「何が?」
「俺の手に、勝手に命を一つ預けようとしていることがだ」
 自分は今まで、誰かの命を預かるような責任を持ったことはない。当然だ。まだ二十四歳、家庭も持ったことがないのだから。
「君が愛情を注いでくれれば、この子は二十歳になっても人間として生きていくことができるよ」
「さすがに五年間も一緒にいれば愛着もわくだろうが、逆に憎しみあうこともあるかもしれないな」
「そのときはこの子が殺されたとしても、君には何も問題がないだろう?」
 それはその通りだ。納得できるかどうかは別として。
「五年が経って、たとえば俺がこの子を、もしくはこの子が俺を好きになったりとかしていたらどうするつもりだ?」
「どうもしない。五年経ったらこの子はこの施設に引き取って、あとは元の世界に戻せるようにするだけだよ。君は二度とこの子には会えなくなる。それは了承してほしい」
「まだ引き受けるとは言ってない」
 正直、どうしたらいいものかと悩んでいる。
「目が覚めたら赤子と同じ思考から始まるのか?」
「いや、一般常識は身につけている状態だよ。ただ、感情はきっと乏しいだろうね」
「自分が魔王だということは?」
「知っている。が、それは知識としてだけね。少なくとも表面上の意識では人間を殺したがるなんていうことはないはずだよ」
「はず、ってなんだ」
「だって人間の中には突然銃を乱射したり自爆テロ起こしたりする人もいるだろう」
「そんな奴と五年間一緒に過ごすのは勘弁してほしい」
 そんな危険な人間ならなおさら引き受けたくはない。
「大丈夫。君が育て方を間違えない限り、何も問題はないよ」
「名前は?」
「名前?」
「いつまでもこの子とか、魔王とか言うわけにはいかないだろう」
「そういえばそうだね。ただ、僕は君が名づけてあげるのが一番だと思うけどな」
「何故?」
「その方が、この子は君になつくだろう? 人間を好きになるのに一番いいのは、誰か特定の個人を好きになることだ」
「それで五年後に好きな男を取り上げるのか。やはり引き受けない方が良さそうだな」
「そうなるね」
 乃木は真剣な口調で言う。
「これは何かの片手間にやるとか、そういう話じゃない。もし五年後の別れを悲しむのが嫌だというのなら引き受けない方がいい。そして、お金目当てでやるんだったら、相手にはそれが絶対に伝わる。結局信頼関係は築けないまま。成功報酬の一億円なんか手に入るはずがない」
「それなのに成功報酬とか言うわけか。矛盾しているな」
「していないよ。五千万円しかもらえなかったら、相手の女の子が死ぬっていうことだ。君も本気で育てなければ目の前の子が死ぬ。そんなのは嫌だろう?」
 全くその通りだ。
「だからこれは君の覚悟一つの問題なんだ。このまま引き受けないのだったら、彼女は目覚めることなく死ぬ。引き受けたらこの子の二十歳以降の未来は君の手に委ねられる」
「返事は今すぐか?」
「できればね。十五歳になる前に、カプセルから出してあげたいから」
「誕生日はいつだ?」
「六月二十日」
「あと二日か」
 彼は少し考えてから言った。
「二時間くれ」
「二時間?」
「ああ。考えを整理したい」
「いいよ。じゃあ、個室に案内しよう。環、彼を案内してあげてくれ」
「はい」
 そうして女性に案内されて、別室へ連れられていく。
「お飲み物を用意しましょうか」
「何があるんだ?」
「そうですね、一通りのものは」
「じゃあライチジュース」
「かしこまりました」
 あるのかよ。
 それから五分後、本当にライチジュースが出てきて二度驚く。
 そうして一人になって、さきほどの神秘的な少女のことを思い出した。
(さて)
 自分がこれから何をすることになるのか、というまとめだ。
 つまり、やることは単なる人助け。このままだと死ぬしかない運命をもった少女を、死ななくてもいいようにするために五年間の時間を差し出すということだ。
 もはや報酬がどうとか、そういう話でなくなっているのは分かる。費用に関することは、あくまでも乃木が話を聞いてもらうための入口に使われたものであって、問題は自分と少女がどうするかというそれだけ。自分も今さら、お金のためだけにこの依頼を引き受けようとは思わない。
 自分がやろうがやるまいが、成功しようが失敗しようが、それによって魔王が世界を滅ぼすなんていうことはない。もし失敗したりやらなかったりすれば、魔王である少女を殺すだけ。成功すれば彼女はそのまま生き延びることができる。
 たったそれだけのことだ。
 問題は自分がそれに耐えられるか、ということ。もし少女の性格がまったく合わなければ、五年間は苦痛の時間となるだろう。そればかりは蓋を開けてみなければ分からないこと。
 上辺の愛情を注いでも見透かされるだろうし、逆に本気で愛情を注げば五年後に別れがつらくなるかもしれない。
(あまり、俺にとって嬉しいことじゃないな)
 そう。自分が傷つくだけなら引き受けない方がいい。
 だが、五年後に、きちんとした信頼関係を築いた上で、お互いの道を進んでいくために最高の別れ方ができるのなら、それでいい。
 あとは──
(彼女が、生きたいと、思っているかどうかだ)
 もし何とも思っていないのなら、それは時間の無駄だ。






「結論は出たのかな」
 ぴったり二時間経ってから、さきほどの地下室へ戻る。
「一つ確認したい」
「どうぞ」
「今この時点で、彼女の意識はあるのか?」
「一切ない。知識は与えられているけれど、さっき君が言ったような理性的な意識は全く発生していない。目覚めと同時に発生する」
「なら、このまま殺した方が彼女のためだな」
「そうか」
 乃木が残念そうに頷く。
「もう一つ」
「なんだい?」
「魔王をこの器に封じ込めることになった理由について聞きたい」
「理由?」
「元の世界にもし勇者とか魔王を倒す人間がいたとしたら、どうしてこんな七面倒くさいことをしたのか、ということだ」
「単純に魔王を殺せなかったからだよ。力の差というよりも、そもそも魔王を殺すことはできなかった。だから殺せるようにするために人間の器を与えたというところかな」
「では、わざわざ殺せるようにしたのに生き延びさせた理由はなんだ? 十四年前に殺しておけばそれで解決だったんだろう」
「赤子に変えられた魔王をこの世界に送り込んだのは魔王の腹心だよ。そしてこの世界の学者たちが赤子が魔王だと分かったからといって、簡単に赤子を殺せると思う?」
「まあ、モルモットにするあたりかな」
「マッドならそうするだろうけど、この研究所の人たちはもっと優しかった。この赤子を魔王ではなく、普通の人間として育てたいと思った。だからこうして今も、その夢を僕と環の二人だけで受け継いでいる」
 ふう、とため息をつく。
「なら、お前たちが育てればいいことだろう。何故『俺』なんだ?」
「そうだね。その話をしていなかった。でも、別に難しいことじゃない。君にとってこの少女は魂の双子ともいうべき存在だからだよ」
「魂の双子?」
「そう。君が生まれたときの星の配置と、この子がこの世界にやってきたときの星の配置。それが全く同じ。この条件にあてはまる人物を探して探して、ようやく見つけたのが君だ。だからこの役割は、君にしかできない」
「なんだそれ」
「それが向こうの世界の魔王を育てるルールなんだと思ってくれればいいよ。つまり君は、魔王を育てる運命を最初から持っていたっていうこと」
「そんなものに縛られるつもりはない。問題はこの子を殺した方がいいのか、そうでないかということだけだ」
「僕には殺せない」
 乃木はきっぱりと言う。
「僕はこの子と意思の疎通をとったことはない。でも、この年になるまでずっと愛情を込めて育ててきたつもりだ。ぎりぎりまで、本当にぎりぎりまで僕は待つ」
「つまり、二十歳の誕生日を迎える前日まで、ということか」
「そう。この子はそれだけ、生きる権利があると思っているから」
 やはり、変わった男だ。
「悪いが、どうやら俺は付き合えないようだ」
「残念だよ」
 乃木は意気消沈して肩を落とす。
「六年かけてようやく見つけた君に言われると、やはりショックだな」
「それはお前の理屈だ。俺が付き合う理由はない」
「その通りだよ。だから君はこれでもう帰っていい。今日のことは忘れてくれ」
「そうさせてもらおう」
 そうして最後に、少女の方を振り返った。
 その、目が。
(!)
 開いていた。
 じっと、ただじっと、深く。
 自分を見つめている。
「馬鹿な」
 乃木が声を出す。
「彼女が目を開けるなんて、今までになかったのに」
 だが、それも一瞬のこと。
 すぐに彼女の目はまた閉じて、何もなかったかのように眠りにつく。
(やれやれ)
 意思の強そうな目をしていた。
 何があっても自分は生き延びると言わんばかりの。
(仕方がないな)
 あの目は確かに訴えていた。

 生きていたい。自分を見捨てるな。

「前言撤回だ」
 だから乃木に伝えた。
「俺の五年間を売ってやる」
「そうですか、ありがとうございます」
 乃木は途端に嬉しそうな表情を浮かべる。
「そうだったんですか。いや、驚きました」
「何がだ」
「あなたは目フェチだったんですね」
「要望に応えてお前の目をくりぬいてやろうか」



 とにかく、話していて気分の悪くなる男なのは間違いなさそうだった。







【C】

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