「バカ」
「直球で悪口だな」






【11−E】







 ひかりごけを見た後は、知床峠を越えて羅臼からウトロの方へ出る。その辺りに宿泊施設が密集しており、そこが二日目の宿泊地になるわけだが、みやこはここだけ別ホテルということだった。さすがに人気のあるホテルはもう満室で増やすことができなかったため、他に一人用の宿を見つけ、最初に取ったホテルにもう一人分追加をしておいて、自分たちに譲ってくれるということらしい。
「いや、さすがにそこまでしてもらうわけには」
「それがね、もう片方は前から行ってみたかったところなのよ。嘘なしにね。こっちのホテルの方は私、前にも行ってるからリピーターとして申し込んだだけなの。だから気にしないで使って。そのかわり、高いわよ」
「金額は大丈夫だが、それならあなたと真央で」
「だから言ってるでしょ。もう片方も行ってみたかったところだったって。キャンセルが出たみたいでちょうど一人部屋が空いたらしいのよ。嘘じゃないわよ」
 そこまで強行に言い切られるとさすがに嘘だとは言えない。ここはありがたく申し出を受けるべきなのだろう。
 そうして二人がおろされたホテルは知床グランドホテル北こぶし。部屋に露天風呂が付いている豪華な作りだ。みやこは一度自分のホテルに向かった。後で露天風呂に入りに来ると言っていた。
「広いな」
「ああ、豪華な作りだ」
 金額を教えてもらったところ、一拍一人三万五千円とのこと。二人なので七万円。それくらいで痛むような懐ではなかったが、間違いなく知床の中でも最高級のホテルなのだろう。それこそみやこがリピーターになるくらいの。
「大浴場はどうする?」
「行きたい。屋上で露天風呂がある」
 それは見ていなかったが、随分眺めが良さそうだ。夕方や夜はさぞ人気が出るだろう。
「それまで近くを散策したい」
「そうだな。車もないことだし、適当に歩いてみるか」
 そうしてホテルを出て近隣の散策。知床八景のオロンコ岩を目指す。それほど遠くないので歩いていくことができる。
「大きいな」
 高さ六十メートルもある巨大な岩。そこに百七十段の急階段がある。普段から鍛えている自分ですら辛く感じるのだから、真央にしてはもっときついだろう。
「高校生だって運動はしているぞ」
「週三回の体育の授業だけな」
「毎日自転車を十五分、それも往復」
「三十分続けて行わない有酸素運動には価値がないらしいぞ」
「いじわるだぞ、悠斗!」
 そんな軽い言い合いをしながら頂上に到着。
「港が一望できる!」
「疲労した分だけ、眺めがいいな」
 前には港、後ろを見てもウトロの街並みが見える。
「やっぱりいいな」
「何がだ?」
「旅行をして、いろいろなところを見に来ることができるっていうのが。この世界のことを知れば知るほど、この世界のことが好きになっていく」
 それであれば、わざわざこうして連れてきている甲斐があるというものだ。
「学校に行かずに、こうしてずっと日本中を飛び回っていた方がよかったか?」
「そう言うと思った。正直、どちらの方がいいかどうかなんて分からないんだ」
 真央が笑顔で言う。
「学校に行かなければ麻佑子や笑美に会えなかった。それだけでも悠斗が学校に入れてくれたことに感謝しなければいけないと思っている」
「それこそ二人に感謝だな。二人がいなければお前の学校生活はもっとつまらなかったのだろう」
 考えてみれば怖い綱渡りだ。学校生活が悪ければ、きっと真央の感情はもっと低かったに違いない。
「ただ、悠斗と一緒にずっと五年間過ごすのも悪くない」
「そうだな。俺もお前とずっと一緒にいられたら良かったと思う」
 さっ、と真央が顔を染める。
「あなたは本当に私を喜ばせるんだな」
「それほどでもないが」
 と、そこに携帯の着信が入った。自分の携帯に連絡が来る相手など、数えるほどしかいない。
「はい」
『ちょっと、あなたたちどこで何をしているの!?』
 少し怒り気味のみやこの声。
「オロンコ岩で景色を見ている」
『……そう。私が後で行くって言ったの、覚えてた?』
「随分早かったんだな。もう少しゆっくりしてくると思っていた」
『いいからさっさと帰ってきなさい!』
 そうして電話が切れる。わざわざ真央ではなくて自分に電話をかけてくるあたり、よほど怒っていたものと見える。
「みやこさん?」
「ああ」
「もう着いたんだ。夕方くらいになると思ってた」
「同じく。まあ、機嫌をとっておくことにしよう」
「うん」
 そうしてゆっくりと帰り、玄関で待ち構えていたみやこにこってり怒られることになった。






 風呂に入った後は食事。そして部屋でのんびりとした時間を過ごす。
 交代で客室露天風呂に入り、午後十一時になるころには二人ともベッドに入った。
「真央」
 隣のベッドに寝ている真央に尋ねる。
「なんだ?」
「昨日はみやこさんとどんな話をした?」
 暗闇の中、少し間があってから答があった。
「全部は話せないぞ」
「当然だ。俺は別に、お前のプライバシーまで暴こうと思っているわけじゃない」
「些細なことばかりだった。北海道のどんなところが好きなのかとか、そういう話。観光名所はほとんど回っているみたいだし、これから私たちが行くところについてもいろいろと教えてもらったりした。ひかりごけのことも昨日みやこさんから教えてもらった。光っているところが見られなくても、その場所に行って、実際に目にしたかった」
「なるほど。それ以外には?」
「多分だけど。このホテル、後から予約したものだと思う」
「後から?」
「どういう経緯かは分からないけど、私たちが泊まってるこの部屋、一人だと宿泊できない感じだった。それに、この部屋、四人まで泊まれるはずなんだ」
 つまり、みやこもこの部屋で泊まることができるはずだ。それなのにわざわざ別のホテルを準備する必要などない。
「つまり、どういうことだ?」
「多分、みやこさん今日、行きたいところがあったんだと思う。私たちに遠慮してくれたんじゃなくて、最初からどこかに行くつもりでこの部屋に私たちを泊めさせたんじゃないかな」
「行きたいところか」
 当然そこまで話したこともない相手だ。どこに行きたいかなどまるで見当がつかない。
「聞かない方がいいだろうな」
 そう言うと真央も「うん」と答える。
「悠斗のことをすごい気にしていた」
「どんな風に?」
「心配している感じ。私に何度も悠斗を支えてあげてと言ってきた」
 どちらかといえば支えるのは自分の役割なのだが。
「心配されるような人間か、俺は」
「みやこさんは何か気になったことがあったんだと思うけど、自分でもよく分かっていない感じだった」
 まあ、ただ心配されるだけなら何も悪いことはないのだが。
「俺たちの関係のことは?」
「何も聞かれなかった。遠慮してくれたんだと思う」
 それこそ一番聞きたいことなのではないだろうか。まったく何を考えているのか分からない相手だ。
「乃木さんからは何か連絡があったのか?」
「いや何も」
 昨日電話をした件で翌日すぐにというのは難しいのだろうか。暇そうに見えて意外にやることが多いのかもしれない。
「悠斗はみやこさんの何が気にかかっているんだ?」
「俺は臆病でね。俺たちのようにある意味特殊な人間に近づいてくるやつは、みんな何か企んでいると思いこんでいるのさ」
「乃木さんは?」
「盛大に企んだ結果が今の俺たちだろう」
「それなら何も心配する必要はない。私は今の状況に心から感謝している」
「もしもみやこさんが、俺たちの関係を終わらせようとする人間だったらどうする?」
 む、と真央が返答に詰まる。
「私がどれだけみやこさんを気に入っていたとしても、それだけは譲れない。私にとっての一番はいつでも悠斗だ」
「同感だ。俺が心配しているのはつまるところ、そういうことだ」
 真央が暗闇の中で頷く。
「悠斗には色々と心配ばかりかけさせている」
「何も心配しない方がつまらないものだ」
「悠斗が私のことを気にかけてくれるのは嬉しい。でも、必要以上に負担をかけたくはない」
「お前が誰か別の人間を気に入る。そのこと自体はいいことなんだ。それを調整するのが俺の役割なんだろう」
「私はもっと、悠斗に楽になってほしいんだ」
「俺は昔からこうだし、お前と一緒にいるようになったからといっても何も変わっていないさ」
「悠斗の昔か。そういえば、全く聞いたことがないな」
「話してないからな」
「聞きたい。悠斗の昔のこと」
「何もない。普通だ。小学校から中学校に行って、高校、大学といって就職。何の変哲もない普通の人生だ」
「モテただろう、悠斗は」
「そうでもない」
「意外だな。少なくとも麻佑子と笑美は悠斗をすごい気に入っていたぞ」
「年下からは頼りになるように見られるだろうが、同学年から見ると俺はかなり異質らしくてな。気味悪がられる方が多かった。学生時代から付き合っている友人は一人もいない」
「前の彼女は?」
「何とも言えないな。お互い、理由もなく付き合っていた。同じような空気が、居心地良かったんだろう」
「そうか。妬けるな」
「何を言っている。居心地の良さならお前の方が数段上だ」
 固まった。今のは真央のツボをついたらしい。
「バカ」
「直球で悪口だな」
「あなたに目をつけなかった女性たちは本当に見る目がない。これほど相手を喜ばせてくれる人なんてそうそういないだろうに」
「何度も言うが、そうでもない。俺は気に入らない相手には冷たいからな」
「光栄だ」
 暗闇の中での会話のせいか、いつもより会話が弾んでいた。
(たまにはこういう会話もいいものだな)
 会話が途切れた。しばらくして真央の寝息が聞こえてきた。自分もそれに合わせて、ゆっくりと意識を閉ざした。






 開けて翌朝。朝八時にはみやこが迎えに来て、そのまま自分たちを観光船のツアー事務所の前で下ろした。
「みやこさんは?」
「行かないわよ。船酔いするもの」
 あっさりとしたものだった。それなのに相手に勧めるのは昨日と同じで、わざわざ知床まで来たのに世界遺産を見物していかないとはどういうことだ、という理由らしい。それなら自分も見物すればいいのに。
「一時間くらいだから、近くで時間を潰してるわ。朝ごはんもまだだし」
「分かった」
「船は必ず右側に乗りなさい。景色がよく見えるから」
 そうして観光船事務所で手続きを行い、人数がそろったところで船着場まで歩く。ほんの五分程度だった。
 クルーザーに乗り込み、右側の先頭、二人掛けの座席に座ることができた。
 やがて船が出発する。速度を上げて知床半島の海岸沿いを進んでいく。途中に見える滝や、黒い穴、自然がそのまま残っている景色は確かに見ごたえがあった。
 あったのだが、船から下りた瞬間、真央がorzのポーズになった。
「……具合悪い」
 見事に船酔いしていた。途中で興奮して写真を何度も撮っていたのだが、一番の見所であるカムイワッカの滝で船が停まっているあたりから何か様子がおかしかった。
「船は動いているときより、停まっているときの方が揺れを強く感じるからな」
「もう船は乗らない」
「飛行機も船も駄目なら陸路以外何も移動手段がないな」
「人間は泳げるかもしれないけど魔王は泳げないんだ」
「今のお前の体は人間だ」
 思わず苦笑する。
「だいたい、沖縄でも船に乗っていただろう」
「あれは淡水だ。波がない」
「だったら湖でスワンボートとかは大丈夫なんだな」
「あれは恥ずかしいから無理」
 ただのボートならいいのだろうか。乙女心は難しい。
 と、そこに着信が入った。なかなか戻ってこないがどうかしたのか、と尋ねられる。
「真央が船酔いを起こして、港で休んでいる」
『あら。それならしばらく休んだ方がいいわね。船酔いの後は車でも酔うかもしれないから』
「どうすればいい?」
『軽くでいいから何か食べさせてあげて。飲み物は水かお茶』
「たとえば?」
『食パン一切れくらいがいいんじゃないかしら』
「近くにコンビニがない」
『今買っていくわ。船着場でいいのね?』
 十分もせずに車が到着。みやこがやってきて笑顔を見せる。
「私と同じくらい辛そうね」
「もうクルーズはこりごりです」
「見ごたえはどうだった?」
 と尋ねられると、真央は不承不承「良かったです」と答えた。
「船酔いするのも世界遺産の醍醐味よ」
 ポジティブシンキングはかまわないが、そう思うのならみやこも乗ればいいのに、とは言わないことにしておいた。







【F】

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