「真央ちゃんの嫁ぎ先はお兄さんのところですか?」
「何故そうなる」






【15−A】







 年度も終わりかけた二〇一二年二月。もっとも、高校という場所においては一か月先の卒業のことより、目の前の受験のことの方が急務なわけだが、二次試験も終わってしまえば誰もが脱力してしまっている。
 そんな週末、受験も何もない真央の家に、いつもの友人二人がやってきた。木ノ下笑美と境麻佑子だ。
「こんにちはー!」
「ご無沙汰しております。受験でなかなかお顔を出すことができなくてすみませんでした」
 元気の良い笑美と礼儀正しい麻佑子。これもいつも通りといえばいつも通りなのだが、ここ数か月は二人ともほとんどやってくることはなかった。理由としては麻佑子の受験の問題が大きい。
「いらっしゃい。真央は少し寝坊したせいで、今準備中だ。リビングで少し待っていてくれ」
「へー、珍しい」
「真央ちゃんでもそんなことがあるんですね」
「昨日夜更かしをしていたからだな。二人が久しぶりに来てくれると聞いて、なかなか寝付けずにいた」
 さらに二人の知らない事情を言うと、この一週間は大学の受験期間ということで、三年生は完全休校になっていた。そのため真央も家にいたのだが、週頭から体調を崩して三日ほど寝込んでいた。今は全快して体力があり余っている状態だ。
「それで、昨日の夜更かしの原因になったゲームは?」
「3DSのゲームで、脱出が何とか」
「ああ、善人シボウデス、ですね」
「ああ、そんな名前だった」
 あまりにひどいタイトル名だったが、ゲーム内容はいたって普通の脱出アドベンチャーらしい。
「それじゃあ、先に」
「そうですわね。はい、お兄さん。今年のバレンタインです」
「どうぞー。今年もお返しは手作りでお願いしますよ!」
 去年は結局手作りで返すことになった。一応高級チョコを考えていたのだが、真央から『二人は既製品より手作りの方がほしがっている』と追撃を受けたからだ。
「それでもう、二人は進路が決まったのかい?」
「はい。私はとっくの昔に日本体育大学に推薦決定してますから」
 さすがに陸上インターハイで全国二位の実力者。ライバルの木戸さんと最後まで競ったが、惜しくも最後に数センチ差で敗れていたが、さすがにそれほどの実力なら推薦で通ってしまうものか。
「私も推薦の合格通知が届きました」
「そうか。それはおめでとう。で、どこの大学だい?」
「一橋の商学です」
 一橋。
「は? 一橋?」
「お、おにーさんの驚いた顔、初めて見た」
「はい。一橋です。そのお顔を見たかったので、真央ちゃんには絶対に言わないでおいてねって頼んでおいたんです」
 くすくすと麻佑子が笑う。
「天下の一橋に推薦で受かるのか。たしかあそこは出願要件も相当厳しかったと思うけど」
「はい。毎年定員に達していませんから、出願要件を満たせば合格は間違いないと思いました」
「出願要件っていうのは?」
「英語検定一級です」
 とてもではないが自分のレベルを大きく逸脱しているようだ。かたやインターハイの全国二位、かたや英検一級の一橋推薦合格。なんだろうこの優秀者コンビは。
「それもこれも、真央とおにーさんのおかげです。ありがとうございます!」
「いや、何もした記憶はないが」
「いいえ。真央ちゃんはいつも私たちのことを心配して、勉強を手伝ってくれました。お兄さんもクリスマスにプレゼントをくれました」
 それは真央に言われて無理やり買わされたものだった。真央は本当に友達思いで、自分からのプレゼントが一番二人に効果があると言ってはばからなかった。
「ああ、二人とも、もう来てたのか」
 奥から真央が出てくる。
「ああ、おはようさん、真央」
「おはようございます、真央ちゃん」
「おはよう。ありがとう、悠斗。二人の面倒を見てくれて」
「面倒ってなんだこらー」
 笑美が真央の首に片腕を回す。やめろ、と真央も仏頂面で言うが、あれで真央も嫌がっているわけではない。
「それで、今日は何の集まりなんだ?」
「麻佑子の受験も終わったし、楽しいおしゃべり会。あと、笑美がぷよぷよで勝てないのが気に入らないからリベンジするとかなんとか」
「おう! 家で練習してきたからな! 私の十連鎖を受けてみやがれ!」
「真央ちゃんは普通に十二連鎖までできるけど」
 麻佑子がくすくすと笑う。
「それじゃ、リベンジといくか。先にやろうぜ、真央」
「分かった。麻佑子はどうする」
 ええと、と少し考えてから答えた。
「少しだけお兄さんとお話しさせてもらってもいいかしら」
 真央はちらりとこちらを見てから「分かった」と答えた。
「いくぞ、笑美」
「おうよ。今日こそ絶対に負けないからな」
 そうして二人が真央の部屋に消えていく。これははかられたか、それとも仕組まれたか。
「それで、何を聞きたいのかな、境さんは」
「もちろん真央ちゃんのことです」
 今さら何を聞きたいことがあるのだろうか、と思っていた矢先に直球が来た。
「真央ちゃんとお兄さん、本当の兄妹ではないんですよね?」
「何を根拠に」
「お顔立ちです。お二人には似ているところが少しもありませんから。似てない兄妹というのは確かにおりますけど、それでもお二人のようにまったくの別人ということはないと思います」
 そんなものだろうか。まあ、以前みやこにも指摘されたことではあったが。
「ま、そう疑われるのも慣れてはいるが、もし妹じゃなかったらどうしたいんだい、麻佑子さんは」
「お二人を全力で応援したいな、と」
「応援?」
「はい。真央ちゃん、お兄さんのことが本当に大好きですから。だから私、真央ちゃんとお兄さんがうまくいくのが一番だと思っているんです」
「真央はそうかもしれないが、俺にも都合っていうものがあるんだが」
「お兄さんは特定の方がいらっしゃるのですか?」
「いや。真央が成人するまでは考えないことにしてるよ」
「そう言っても、真央ちゃんはもう来月には卒業、そして進学も就職もする予定はないと聞きました。花嫁修業ですよね」
「そうだな」
「真央ちゃんの嫁ぎ先はお兄さんのところですか?」
「何故そうなる」
「真央ちゃんに他の男性というのがまったく考えられませんから。お兄さんとならずっとうまくいくような気がするんです」
「否定はしない。が、兄妹は兄妹だからな。いつかは兄離れしなければならないだろうさ」
「お兄さんの妹離れも、ですね」
 くすり、と麻佑子が笑う。年下と思っていたが、どうやらこの子も成長したら自分の苦手になるタイプの子らしい。
「センター試験が終わった後、私、真央ちゃんにお願いされたんです」
「何を」
「お兄さんのことを。私なら安心して任せられるから、ですって」
 まったく、真央はまた余計なことばかり。
「自分と境さんのことを考えていない、失礼な言動だな」
「でも、少なくとも私は嬉しかった」
 麻佑子は視線をそらすことなく言う。
「初めて拝見したときから、素敵な方だなと思っていました。それに、どこか悲しそうだな、とも」
「そうか」
「だから、私はずっと邪魔にならないように、それでいて見ていても不自然にならない程度に見てきたつもりです。三年間、ずっと見てきたからこそ、分かっているつもりです。お兄さんと真央ちゃんが、兄妹ではないということが」
「それで、境さんは何を望んでいるんだ?」
 少し冷たかったか、と後悔した。相手に対する気遣いが少なすぎた。
「お兄さんはきっと、私と一緒にいるより真央ちゃんと一緒の方が安心できるし、楽しいのだと思います。だから、もしも真央ちゃんとお兄さんが本当の兄妹じゃないというのなら、私は何も考えずに諦められるんです。でも、それは絶対にない。だから、迷っています」
 なるほど、迷わせたのは自分というわけか。
「つまり麻佑子さんは、真実を知りたい、ということかな」
「言ってしまえば、そうです」
「なるほど」
 こういう場合、何を言えば一番相手を傷つけずに済むのだろうか。
 もっとも、自分が麻佑子に女性としての興味を持っていない以上、進展することのない関係だ。二年後ならまだしも、真央との時間があと一年少しのこのタイミングで言われても、自分には優先する選択肢など出てこない。
 だからといって彼女にすべてを話すなど論外だ。だとすれば。
「分かった」
 仕方がないことだ。種をまいたのは真央なのだから、あとはあっちに任せることにしよう。
「俺は真央を愛している。血のつながりはない。だから──」
「はい。分かっています。でも、まだ足りません」
 麻佑子は毅然としていた。自分が断られているというのに、彼女は全くひるむことなくさらに質問を重ねてきた。
「それなら真央ちゃんの態度に納得がいかなくなるんです。血のつながりがないなら、真央ちゃんは私にお兄さんのことを頼むようなことはしないはずです。まだ隠していることがあるんですよね。それを、教えてください」
 しまった、こっちが罠だったか。騙し切る方向でいけばよかった。
 一方で麻佑子はしてやったりの顔だ。もしかして自分のことが好きだというのも嘘なのではないかと思えてくる。
「俺は真央が好きだが、真央は俺のことをそうは思っていないということだろう」
「ありえません。真央ちゃんのお兄さんへの溺愛ぶりは尋常ではありません。お兄さんは気づいていないのかもしれませんが、真央ちゃんはお兄さんを異性として愛しています。そうでなければ」
 少し、麻佑子が口ごもった。
「泣きながら、お兄さんのことを私に頼んだりはしないと思います」
 やれやれ。自分の大好きなものを他人に譲るのが泣くほど嫌だというのか。
「兄妹でもないのに、お互い両想いなのに、どうして一緒にいることができないのですか?」
「境さん。申し訳ないが、それ以上は答えられない」
「どうして」
「それ以上はこちらの問題だ。言い方は悪いが境さんは部外者だ。誰にも話せないことというのはある」
 余計なことを言って言葉尻を取られるより、何も言えないという立場の方がまだ賢明だろう。
「二人は両想いで、お互い結ばれたいと思っているのに、何かの事情でそれがかなわない、そういうことでいいのですね?」
「追及が厳しいな、境さん」
「厳しくもなります。つまり真央ちゃんは、自分でやりたいことができないから、それを私に押し付けているということじゃないですか。もちろん、私の気持ちを知っているからこそのお願いなのでしょうけど。でもこれって、本当のことはいえないけど後は任せる、っていうことですよね。私に対してとても失礼なことだと思います」
「確かに。その点についてはあとで真央を叱っておく」
「お願いします。でも、それならお兄さんにもう一つ聞きたいことがあります」
「答えられることなら」
「私は、女の子として魅力がないですか」
 また、激しく答えにくい質問だ。
「確かに私は真央ちゃんみたいに可愛くもないし、相手の気持ちを読むことは苦手です。悠斗さんにとって、一緒にいてくつろげる相手ではないのかもしれません。でも、私で悠斗さんを少しでも支えられるのなら、一番そばにいて支えたいと思います」
「いや、ちょっと待ってくれ」
 苦笑せざるをえなかった。
「どうして自分が、境さんに支えてもらうという状況になるのかな」
「最初に見たときから思っていました。悠斗さんは、真央ちゃんに支えられているんだな、と」
 否定も肯定もできない言葉だ。
「真央ちゃんはよく、悠斗さんがいなければ生きていけない、とおっしゃいますけど、それは悠斗さんの方も同じなのではないでしょうか。真央ちゃんがいるから悠斗さんは生きている。そんな風に見えます」
「否定できないな」
「それなのに真央ちゃんと一緒になれないなら、真央ちゃんと離れたときに悠斗さんは一人でやっていけるんですか?」
「真央からも同じことを言われたな」
「はい。真央ちゃんも同じことを心配しているんです。もし自分がいなくなったら悠斗が一人ぼっちになる。それだけは嫌だって、何回も私に言うんですよ。だったら自分が傍にいればいいだけなのに。まるでいなくなるのが決まっているみたいに」
「そんな馬鹿な」
「それに、お兄さんは先ほど真央ちゃんが成人するまで、とおっしゃっていました。ということはその期間もそれほど長いわけではないんですね」
 うかつだったか。余計なことを言わなければ麻佑子は何も気づかなかったか。いや。
(ある程度、真央のことを考えてからこの場に臨んだということか)
 やはり相当仕組まれていたようだ。真央はそこまで深く考えていなかったかもしれないが、麻佑子は今日、この場に来るまでにさまざまなことを想定してきていたはずだ。
「大学に行かないのも、就職しないのも、真央ちゃんがいつかいなくなるからと考えると、納得がいきます。それに、真央ちゃんってずっと体が弱かったって聞いています。最近も具合が悪くて寝込んでいたと聞きましたし、以前にも体調を悪くしたことが何回もありました」
 なるほど、麻佑子はそちらの方向で考えてきたということか。まあ、それが一番無難な答になるのだが。
「教えてください。真央ちゃんはいったい、いつまで生きられるんですか」
「誤解しているみたいだから言っておくが、そんなことは全くない。真央と一緒にいられないのはもっと別の理由だ。真央が治療の方法がない不治の病だとか、そういうドラマみたいなことは本当にない。あったら自分の方がもっとどうかしている」
 まあ、病というのは本当なのかもしれない。『魔王』という名の、あと一年で発症する病。だが、それは不治の病ではないのだ。『魔王』が人間を気に入りさえすれば治癒することが可能なのだから。
「本当ですか?」
「ああ。もっとも、簡単に会えなくなるのは同じだから辛いことには変わりはない。だが、生き別れるのと死に別れるのと、境さんならどちらがいい?」
「そんなの、決まっています」
「ああ。だから自分は絶望していない。あいつと死に別れることがないと分かっているからな」
「そうですか」
 だが、そうなると今度は真央と共にいられない理由が何かという問題が浮上してくる。が、麻佑子はそれを追及するほど、空気の読めない子ではなかった。
「分かりました。とにかく、真央ちゃんが無事であるということが分かっただけでもよしとします」
 なるほど、真相を究明しようとしたのは、純粋に真央の体調を心配していたことの裏返しだったということか。
「でもそれなら、やっぱり私が立候補してもいいわけですよね。真央ちゃんがいなくなった後、真央ちゃんの思い出話ができる人の方が、近くにいても嬉しいのではないでしょうか。いかがでしょうか、悠斗さん」
「とりあえず、真央の件が片付くまでは保留にさせてくれ。その後ならいくらでも考える時間があるだろうから」
「約束ですよ。私、こう見えて情が深いんですから」
「ああ。今日で分かった気がする」
 ここまで直球でぐいぐい押しこんでくるキャラクターだとは思ってもいなかった。礼儀正しくおとなしそうな子だとしか思っていなかった。
「それじゃあ、完全に振られたわけでもないと判断して気を取り直すことにします。でも、バレンタインのお返しは真央ちゃんの次くらいには気持ちを込めてくださると嬉しいです」
 そうやって自分を押し付けてくる相手と一緒にいて自分は安らぐことができるのだろうか、と一瞬思ったが、とにかくまずはこの会話を終わらせることが重要だと考えて「了解した」とだけ答えておいた。
 まったく、こんな会話をさせられたことを、後で真央に愚痴らなければいけないな。

 ちなみにぷよぷよ対決は、真央が笑美をフルボッコにしたらしい。







【B】

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