「おはようございます」
声をかける。
振り向く。
にっこりと、笑う。
「おはよう。今日から一緒の学校ですね」
私も、笑顔で頷く。
高野、響。
自分を学校へと誘った人。
「他のみなさんはどうしたんですか?」
「ああ、蘭の奴は今日はサボリです。凛はもう学校に行ってるはずです。弥生は学校が違いますから。それから拓くんは一緒に住んでいるわけではないので」
「みなさん一緒に行動されてるわけではないのですね」
「当然ですよ。オレたちも普段は普通の学生ですからね。それぞれ学生生活をエンジョイしてます」
「私もそうできるでしょうか」
「ベレトさんならすぐにクラスの人気者になれますよ。なにしろ蘭みたいなちょっと異色な奴でもうまくやってるくらいですから」
思わず、苦笑がこぼれる。
確かにあの能面なラグが学校生活を送っていると考えるとおかしな気もする。
「楽しみですね。でも」
「でも?」
「少し、緊張します」
私にしてみると、全く普通の人と生活することは初めてになる。
さすがに、ためらいも生じていた。
本当に私なんかが学校へ行ってもいいんだろうか?
「大丈夫ですよ。あなたと一緒に学校生活を送りたいと考えている奴がここに少なくとも1人います。それに、凛に弥生、拓くんだってそう思っています」
この人は本当に、いつも私が望んでいる言葉をくれる。
「ありがとう」
「いえいえ」
こうして、私のスクールライフが始まりを迎えた。
クレセントノイズ、外伝
ベレト、学校へ行く
第一翼
『私も学校に通ってみたかったな』
教室に入るなり、一斉に黄色い声があがった。さすがに私もこれには驚いた。
「如月ベレトといいます。よろしくお願いします」
自己紹介をすると熱狂度はさらに増した。
「ベレトだって。可愛い名前」
「それよりさ、如月って、もしかして三年の如月センパイと関係あるのかな」
「しつも〜ん。如月くんは、三年の如月先輩とは──」
これもあらかじめ考えてある。私はラグの弟、という設定らしい。
「はい。蘭は私の兄です」
きゃーっ! と、女性徒が一斉に声をあげる。
「やっぱりやっぱり!」
「兄弟そろって美形よね〜」
「美形っていうか、可愛い!」
「蘭センパイより優しそうだし」
「あら、如月先輩だってかっこいいじゃない」
「でもでも、ベレトくんは同じクラスだし」
私は思わず苦笑いしていた。
ラグがそこそこ学校生活を楽しんでいるというのは、どうやら事実らしい。
あのとおり、目立つ容貌をしているから学校中に知れ渡っているとは思ったけれど、でもまさかここまでとは。
「それじゃあ、如月くんは一番後ろの空いている席に座って。高宮、教科書とか見せてあげなさい」
「はい」
「あー、タカミヤずるーい」
「いいなー」
すっかり。
どうやら私は、この学校という空気に圧倒されてしまっていたらしい。
歓迎してくれているというのは分かるのだけれど、これはその、少し熱狂的すぎるのではないだろうか。
「高宮由梨絵(ゆりえ)です。よろしく」
「よろしくお願いします。如月ベレトです──さっき言いましたね」
私の隣に座っていた女性徒は、透き通った心の旋律を持った人だった。
(優しそうな人だな)
それが第一印象だった。
「何かわからないことがあったら、遠慮なく聞いてください」
「はい」
とりあえず、自分は周りから受け入れられている。
それだけでも、充分に私は安堵するに足りていた。
「──で、ここが中庭。今はちょっと寒いけどね」
一月。センター試験も終わった頃だからたしかに寒い。
「春になれば、温かくなりますね」
きっと、たくさんの生徒が休み時間にこの中庭を利用するのだろう。
笑い声。
笑顔。
「いい場所ですね」
落ち着ける場所だと思う。
そしてきっと、賑やかで楽しい場所でもあるのだと思う。
今は、少し寂しいのが残念だった。
「案内してくださって、ありがとう」
「いいえ。困ったことがあったら何でも相談にのりますから」
高宮さんは自分に優しかった。他の人たちが向ける好奇の視線ではなく、本当に自分の面倒を見てあげようという気持ちがあふれていた。
(優しい人だな)
やはり、人間界で暮らすことができてよかったと思う。
こういう人に会えると思ったからこそ、高野さんのお誘いに応じたのだ。
「新聞部二年の澤田亜希ですっ! 如月ベレトさん、埼京高へようこそ!」
突然、後ろから声をかけられたので振り向くと、眼鏡をかけた女性がこちらに向かってマイクを差し出していた。
「え、えっと」
「あ、すいません驚かせてしまいましたね。私、転校生に突撃インタビュー! ということで、お話をうかがいたくてまいりました。何か新しい学友に一言いただけませんか」
目を輝かせて自分を見つめている。
どうやらこれも、転校生の務めのようだった。
「みなさんに会うのを楽しみにきました。これからよろしくお願いします」
「いやー、名前からもしかしてとは思ったんですけど、三年の如月蘭さんとは──」
「はい。蘭は私の兄です」
今後、この質問は訊かれつづけるんだろうな。
「それじゃあ、私たちはこれで失礼します」
一礼して、高宮さんに話しかける。
「次の場所へ連れていってください」
「ええ。次は──音楽室ですね。ここをまっすぐ」
私たちは、並んで廊下を歩く。
誰かとこうして歩くということ。
それがこんなにも温かい気持ちにつつまれるものだとは知らなかった。
『そう。確かにしがらみは多いでしょう。ですが何でもないことで笑いあい、他愛もないことに心を惑わす。どんなに平凡でも自分の感情に素直に笑い、泣き、戸惑う』
「それはきっと、すばらしいことだと思いますよ」
「うん、何か言いました?」
ぽつり、と呟いた私の言葉に高宮さんが首をかしげてくる。
「いえ。なんでもありません」
かつての私の言葉。
その願いが、完全にとは言わないまでもこうしてかなえられている。
私は、幸せだ。
♪ ♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪
「これは……?」
誰かが、ピアノを弾いている。
聞いたことのある旋律。
「架羅間先生」
私は目を細める。
「やあ、高宮くん」
ピアノを弾いていた人物が立ち上がる。
「それに、如月ベレト君だね」
「はい。今日づけで転校してきました」
「私は数学担当の架羅間だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
私は思わず苦笑する。
まさか、兄とこんな茶番を演じることになるとは思わなかったからだ。
「高宮くん、少しはずしてもらえないかな」
「え? あ、はい」
「外で待っていてくれませんか。私もすぐに行きますから」
高宮さんは訝しげにしながらも音楽室を出ていってくれた。
「ベレト。まさかお前まで転校してくるとはな。それも、一年とは」
「ラグが三年ですから、兄弟で通すなら二つは離れていた方がいいと高野さんに言われましたので」
「まあ、それはいい」
架羅間先生──タルシュシュ兄さんは私の頭に右手をそっとのせた。
「お前の願いだったな。人間と一緒に暮らしたい。人間のことをもっと知りたい」
「はい」
「第一印象は、どうだ?」
「優しい人が多くて、嬉しかったです」
「さっきの女性徒もその一人か」
「はい。私によくしてくれます」
「そうか」
兄さんはポケットから銀色に輝く石を取り出すと、私の手にそれを握らせた。
「人間とは、お前が思っているほど理想的な存在ではない」
「高野さんにもそう言われました」
「じきによく分かるようになる。この石を肌身離さないようにしなさい。きっとお前の身を助けてくれるだろう」
「は、はい」
卵型をした二センチくらいの銀色の石は、奇妙にそれ自体が鈍く発光しているようだった。
私はそれを、制服の内ポケットにしまう。
「行きなさい。友達が待っているよ」
「はい。それでは兄さん、また」
「お待たせしました、高宮さん」
高宮さんは教室の外で待っていてくれた。
「いいえ。何の話だったんですか?」
「たいしたことじゃないですよ。ただ、生徒としての心構えを少し」
「架羅間先生、そういうところはあまり厳しくない先生だから、あまり額面どおり受け取らなくていいから」
「分かりました」
「そういえば、如月くんは部活とかはどうするんですか?」
部活動。それも高野さんと話して楽しみにしていたものの一つ。
「そうですね。何か文化系の、天文部とかあればいいのですが」
「ありますよ、天文部。架羅間先生が顧問のはずです」
「そうなんですか?」
あの兄さんが天文部?
いったい何の冗談なんだろう。
「それなら今度話してみることにします。教えてくれて、ありがとう」
「う、ううん」
高宮さんは、うつむいて答えた。
「いかがですか、学校生活は」
今日は学食で高野さんと一緒に食事をとることになっている。
学食といっても、食べ物は高野さんの手作りのお弁当。そして羽崎さんも五十嵐さんも今日は一緒に食べることになっていた。
「楽しいですね。願いがかなってよかったです」
「それにしても、ベレトさん制服似合いますね」
五十嵐さんが言うと、羽崎さんも頷いた。
「本当にな。拓くんと二人こうして並ぶと美少年が並んで絵になるな」
「あんた、また弥生に『美少年キラー』って言われるわよ」
「あのなあ」
「だあって、羽崎くんに蘭、そのうえベレトさんだもんねえ」
羽崎さんも困ったように笑う。
この雰囲気。
『みんな』と楽しく過ごすことができる、この空間。
「ありがとう」
私が言うと、三人とも私の方を見て言葉を止める。
「これが学校生活の全てとは思いません。でも」
私にとって一番ほしかったものを、みんながくれた。
「私は、みなさんに感謝します」
to be continued...
第二翼
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