学校というところは、非常に不思議なところだと思う。
 私は今こうして、下校時間となった学校を一人で歩いている。
 クラブ活動をしてみたかった。
 勉学だけではなく、自分がやりたいもののために何かをしているグループの輪に溶け込みたかった。
「でも、体育系はやめた方がいいですよ。常人以上の能力を出すわけにはいかないですからね。俺も蘭も、そういう理由で部活動はしてないんです」
 それはある意味では寂しいことなのだと思う。
 響さんはやりたかったスポーツはなかったのだろうか。
「俺はテニスがしたかったんですよ。でもまあ、家のこととかありますしね。凛とか弥生とか蘭とか、食わせなきゃならない奴らがいるんで」
 以前は友人のために生徒会活動を手伝っていたという。いわゆる補佐という役職だ。
 それはそれで楽しいから、別にスポーツができないことに不満はないのだという。
「僕ですか? 僕はもともと、人ごみとかは苦手だったから」
 拓さんは中学、高校とクラブ活動は一切しなかったのだという。それもノイズの力が理由になっているのかと思うと、哀しいことなのだろう。
「私ですか? いや、私はやりたいことが多すぎますから、生徒会活動をしながら各部の助っ人してるんです」
 凛さんは学校生活を気楽に考えているみたいだった。
 その方が、救いがある。
「愚問だな。この俺が部活などやるように見えるか?」
 ラグに聞いたのは確かに間違いだったと思う。
「……?」
 弥生さんに尋ねると、面妖な顔をして歩み去ってしまった。
 何か、聞いてはいけないことだったのだろうか。
 部活動。
 私も何かしてみたいと思う。
 そういえば今日、新聞部の人に話しかけられたっけ。
 見学にいってみようか。
 私は、新聞部が部室として使っている理科室へと向かった。







クレセントノイズ、外伝



ベレト、学校へ行く





第二翼

『クラブ活動ですか……とても楽しそうですね』







「ああっ! 如月ベレトくんっ!」
 扉を開けると同時に大きな声で名前を呼ばれた。
「はい、ええとたしか、澤田先輩」
「名前覚えてくれたんだ、ありがとーっ!」
 全力で駆け寄ってきて手を取り、ぶんぶんと上下に振る。その勢いに、少し呑まれてしまう。
「もしかして、インタビューさせてもらえるの!?」
 澤田先輩は目を輝かせて尋ねてきた。私は苦笑して「すみません」と答える。
「部活をしようと思って、いろいろと見て回ってたところだったんです」
「新聞部に入部してくれるの!?」
 話が先に先に進む人だ。
 でも、楽しい。
 この人の心の音は、常に興味と好奇心で満ち溢れたすがすがしいものだ。
 嫌じゃない。
「いえ、見学させていただければと思いまして」
「うんうん、見学オッケー! って、今はちょっとあたししかいないんだけどね。あ、こっち座っていいから」
 椅子を一つ出してすすめてくれたので、素直にそこに座る。
「今は何をなさってたんですか?」
「ん、ベレト君の記事を推敲してたところ。新聞で一番重要なのは見出しと文章だからね」
 こんな感じ、と澤田先輩は新聞の下原稿を渡してくれた。

『スクープ! 美形転校生現る!』

 私は思わず笑ってしまった。
 この美形転校生というのは、自分のことなのだろう。
「あ、何か変だった?」
「いいえ。ただ、自分がこういうふうに紹介されるのは少し気恥ずかしいですね」
「あ、そっか。ごめんごめん。でも、悪い気分じゃないでしょ?」
 返す言葉もないので、私は苦笑するだけだった。
「そういえば、三年の如月先輩は夏ごろに転校してきたのに、ベレト君はどうして冬になってからだったの?」
「それはインタビューですか?」
「う〜ん、あまり広められたくないならオフレコにしとく」
「隠すようなことでもないんですけど、できればそうしておいてください」
「オーケー。それで?」
 この辺りはきちんと理由のつじつまを合わせている。
「実は、入院してたんです」
「入院? どこか悪いの?」
「ええ、もともと病弱だったんですけど、夏に病気を悪化させてしまいまして。こっちにいい病院があるというので入院することになったんです。それで退院後も定期的に今の病院に通わなければならなかったので、いっそのこと転校することにしたんです」
「それで転校することに? じゃあ如月先輩はベレト君に付き添ってこっちの学校に転校してきたの?」
「はい。弟想いの、いい兄なんです。ぶっきらぼうであまりそうは見えないんですが」
「あはは、確かにそうだね──って、弟君に向かっていうことじゃないか。オフレコにしといて」
「はい」
 取材をしているだけのことはあって、凄く話しやすい人だった。
 しばらくこの人と一緒にいて、人間のことを観察するのもいいかもしれない。
 やっぱり知らない人と一緒にいるというのは、楽しいことではあるけれどかなり疲れてしまう。
 それが今日、なんとなく分かった。
 だからできれば、自分の見知った人の傍にいたいと思った。それは、間違っていることだろうか。
(人間界は不慣れだし、響さんたちに頼ってばかりもいられないし)
「ああっと、もうこんな時間!」
 澤田先輩が突然立ち上がる。
「どうかしたんですか?」
「うん、悪いんだけど、これからちょっと華道部の取材に行かなきゃいけなかったんだ。ごめんね、せっかく見学に来てくれたのに、他の連中が毎度毎度サボってるから、全く」
 両手を腰にあてて頬を膨らませるポーズが、なんとも可愛らしかった。
「よければ、取材しているところを見せてもらってもよかったですか?」
「えっ?」
 きょとん、と澤田先輩は私を見つめてきた。
「それはかまわないけど──まさか新聞部に興味もってくれた?」
 私は首をかしげた。
「そんなところです」
「うん、それなら全然オッケー! それじゃ早速行くから、じっくりと見学しててね! それとも、何か手伝ってみる?」
「何か、私にできることがありますか?」
「う〜ん」
 澤田先輩はきょろきょろと辺りを見回す。
「それじゃ、メモとってくれるかな」
「メモ?」
「うん、基本的にはテープレコーダーに録音したものをテープおこしして、それから記事を書くんだけどね。人数に余裕があるときは、録音係とメモ係に分かれるんだ」
「何をメモすればいいんですか?」
「うん、何の話をしているときに、どんな表情で、どんな気持ちをこめていたのか、気付いたことをただ書いていけばいいだけ。テープおこしした後に、参考資料として使うってとこかな。だから全然気負わなくていいから。メモ使うことの方が少ないんだから」
「分かりました」
 雑用というほどのものではないのだろうけれど、そんなに大事な役割というわけではないらしい。
「それじゃ、急ごうか。もう時間ぎりぎり」
「あ、はい。このノート、使っていいんですね」
「うん、最初に日付とインタビューの相手、書いといてね」
「分かりました」







 華道部──もちろん部室は和室を使っていた。
 さすがに男子部員はいないらしい。別に着物とかを着てやるわけでもなく、生徒は普通に制服姿で花を活けていた。
「観月先生、今日はよろしくお願いします」
 観月沙織先生は美術の先生で、フラワーアレンジメントの資格ももっているのだという。生け花に興味のある生徒が集まって、是非観月先生に教えてもらいたいとお願いしたことが華道部成立のきっかけということだった。
「ええ、よろしくね澤田さん。それから、如月くん」
「はい、よろしくお願いします」
 長い黒髪、理知的な瞳、優しげな微笑。
 絵に描いたような美人だった。
 でも……。
「それじゃあ早速ですけど──」
 今日は華道の基本的なことを取り上げて紹介することが目的の取材だった。
 いろいろな道具を持ってきては、観月先生は説明をしていった。
 たとえば剣山。私もあまり華道とか文化的なものは詳しい方ではないけれど、円形のものだけではなく四角形のものとかもあった。
 そのあとで、筒型の花瓶と何輪かの花を持ってきて、実際に生けていく。
「三才型は最も基本となる花型です。「才」という字には「働き」という意味があり、「三才」とは天、地、人という宇宙の中での三つの大きな働き手を示します。人間は天地自然と対立し、これを征服する存在ではなく、天地自然に順応すべきものと考えます。さらに進んで万物を育む天地のはたらきに参加するものであります。天地のはたらきには無限の調和と目的をもった法則性が含まれますが、それは人間の世界にも共通であると考えました。そこで天を司る枝を「真」とし、人を司る枝を「体」とし、地を司る枝を「留」と称しました。天(真)と地(留)の間に人(体)が配され、調和のとれた一つの小宇宙をあらわすわけです。」
 難しい内容だった。でも、要するに花を美しく見せるためにはいろんなことを考えなければいけないということらしい。
 長さの比率が、茎が五に対して花が三、ちょうど三角定規の一番長いところが茎だとすれば、一番短い辺が花となるようになるのが美しく見えるらしい。
 そうして生けられた花は確かに美しかった。
 そして、先生の心の音も花を生けていくにつれて、少しずつ澄んだ綺麗なものとなっていった。
「花ってすごいんですね」
 思わず、私は呟いていた。
「如月くん、それはどういうこと?」
 優しげに観月先生が尋ねてくる。
「あ、いいえ。花を生けた後の先生が、さっきよりすごく穏やかに見えたので」
 私の言葉で。
 再び、先生の心の音が歪んだ。
「……私、何か変な顔してたかしら?」
 表情には出ていなかった。
 ただ、聞こえる。
 不安定な心の音が。
「いいえ、なんとなくそう思っただけです」
「そう」
 観月先生は取り繕ったような笑顔を見せた。
(……私に対して、壁を築いている……)
 いったい何に対して悩んでいるのか、私でも聞き分けることができない。
(どうしてだろう……)
 私は先生の心の音が我々ラビリンスの住人に魅入られたりはしないだろうか、と不安になった。
「失礼します。日直の仕事で遅れました」
 和室の扉が開いて、また一人女生徒が入ってきた。
「あ……」
 私は思わず声を上げていた。
 それは、私の知っている人だった。
「如月くん?」
 高宮由梨絵。今日一日、私の面倒を見てくれた人だ。
「高宮さん、華道部だったんですね」
「そうなんです。如月くんはどうしたんですか?」
「ベレト君は今日一日新聞部の体験入部でーす!」
 澤田先輩が変わって答える。
「待ってました、高宮さん。それじゃあ早速、いけばな協会展高校生の部で金賞をもらったという高宮さんのお話を聞かせてくださいっ!」
「あ、ちょっと待ってください。準備を先にしますから」
 いそいそと高宮さんは和室の奥の部屋へと入っていった。
「高宮さんが、高校生の部で金賞?」
「あ、ベレト君知らなかったんだ。いけばな協会展っていったらけっこう歴史のあるコンテストで、そこで創部一年目にして金賞を出させたっていうんで、学校からも華道部にすごい期待してるの。そうですよね、先生」
「ええ、そうよ」
 悪寒が走る。
 先ほどよりも強い、負の感情。
(分かった……)
 どんなに隠そうとしても隠し切れない感情。
 それは──嫉妬。




to be continued...











第三翼

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