「どうかしましたか、ベレトさん」
夕食後、浮かない顔をしている私に響さんが話し掛けてきてくれた。
「いえ、ちょっと疲れました」
「そうでしょうね。ベレトさんは綺麗ですから、女の子に騒がれたでしょう」
「ええ、まあ」
苦笑して答える。
でも、正直なところ疲れた理由はそこじゃない。
「まだ1日じゃ、人間のことはよくわからないでしょう?」
「そうですね。しばらくご一緒できればいいと思います」
「俺たちも、ベレトさんに1日でも長くいてほしいと思いますよ」
「……ありがとう」
人間でもなんでもない自分を、こうして気軽に受け入れてくれる。
(人間は、基本的に優しい……)
それなのに。
どうして、自分のこととなると突然『負』の感情を抱くのだろう?
クレセントノイズ、外伝
ベレト、学校へ行く
第三翼
『うらやましい……そうですね、そうかもしれません』
翌日。
昨日のような混乱ぶりはさすがにもうなくなっていた。それでも私に好奇の目を向ける人は多かった。特に、女性に。
(……人間ではないと知ったら、みんなはどう思うのだろう)
響さんや、皆さんのようにそれでも受け入れてくれるのだろうか。
分からない。
怖い。
もし、自分が拒絶されるのだとしたら。
(……こんな想い、ラグには無縁でしょうね)
「おはよう、如月くん」
隣の席。
高宮さんが、鞄を机に置きながら私に挨拶する。
「おはようございます、高宮さん」
「昨日は驚きました。澤田先輩と一緒に来ていたから」
「人が少なかったので、手伝っていたんです」
「入部するんですか?」
「まだ決めていません。今日は天文部を見てみようかと思っています。夜に資料館で天体観測があると聞きましたから」
天文部に興味があるのは、タルシュシュ兄さんが顧問をしていると聞いたからだ。
その兄さんと連絡をとって、天文部の日程を教えてもらった。そして天文部の部長に連絡を取って、今日の天体観測に参加させてもらうことになっていた。
「澤田先輩と、随分仲がよかったみたいですけど」
「はい。いろいろと教えていただきました。分からないことが多いので、とても感謝しています」
そう言うと、高宮さんはまじまじと私の方を見た。
「……どうかなさいましたか」
「如月くんはまるで、良家のご子息みたいですね」
「そうですか?」
「物腰も落ち着いてますし、言葉遣いも丁寧ですし」
「それは高宮さんも同じだと思いますけど」
「私は、ずっと昔から華道をやっていたから、その影響です」
私の心を、温かい音が包んだ。
(……この人は、本当に花が好きなんだ)
こんなに温かい音色は、響さんたちの中でも滅多に聞くことはできない。
『正』の感情に満ちていなければ、絶対に聞くことができない音色。
「高宮さんは、とても綺麗な心の音をしていますね」
思わず口にしてしまっていた。
「え、え?」
「あ、いえ。お花の話をされているときの高宮さんの姿が、とても綺麗だったので」
高宮さんの顔が、照れて赤くなる。
「それだけが取り得ですから」
誇らしげだ。
それもまた、とても綺麗な音色。
(……やはり人間は、とてもすばらしいです)
人間界で暮らすことができてよかった。
人間と一緒に過ごすことができてよかった。
(私は、こういう人たちに囲まれて暮らすことこそ、願いであり夢だった)
それが叶った。
それはなんと素晴らしく、そして。
なんと哀しいことなのだろう。
「如月!」
昼休み。
学食へ行こうとした私に、一人のクラスメートが声をかけてきた。
「はい」
確か、杉野さんという男子生徒だ。
「部活探してるんだってな。ウチの部に来ないか?」
あまりにも直接的な言い方だった。でも、悪くない。
「杉野さんは、どこの部に所属しておられるんですか?」
「お前な、そのまだるっこしい言い方やめろよ」
私は目をまたたかせる。
「まだるっこしい……ですか?」
「クラスメートなんだから、敬語使う必要ないだろ? 普通に話せよ」
「はい、そうさせていただきます」
杉野さんは顔をしかめていたが「まあいいや」と言って本題に戻った。
「俺、バドミントン部なんだけどさ。部としてはあんまり強くないし、人数も少ないから、お遊びサークルみたいな感じなんだ。男女混合でさ。和気あいあいとやってる。だからお前もウチにくればすぐに友達も増えるだろうし」
ああ、なるほど。
この人は、純粋に自分のことを考えて声をかけてくれたのか。
「ありがとう。でも、私は体が弱いので運動系の部活はできないんです」
「ありゃ、残念」
がっくりと肩を落とす杉野さん。なんだか、こちらが悪いことをしたみたいだった。
「申し訳ありません」
「なに、いいっていいって。こっちこそ如月の都合考えないで誘って悪かったな」
「いえ、誘ってくれたこと、すごく嬉しかったです。ありがとう」
杉野さんは、今朝の高宮さんのようにまじまじと私を見つめた。
「どうかしましたか?」
「いや……お前って、すごいな」
「すごい?」
「そんなに素直に『ありがとう』って言える奴、そんなに多くないと思うぜ」
「そうなんですか?」
「ん……いやまあ、俺の思い過ごしかもしれないけど」
「……」
「いやいや、なんか変な話になっちまったな。それじゃ、また後でな」
「あ、はい」
杉野さんはそう言い残すと、教室を出ていってしまった。
(……ありがとう。感謝の言葉……)
嬉しいときには、そう言うのが普通なのではないのだろうか。
(人間は、難しい)
私は頭を捻った。
夜。資料館に私は足を運ぶ。その途中だった。
「ベレト」
声をかけられて振り向く。その先に、見慣れた顔がある。
「タルシュシュ兄さん」
兄はゆっくりと近づいてきて、私の頭をそっと抱き寄せた。
「……どうだ、人間の世界は」
「はい。みなさん良い方で、とても楽しいです。ここで過ごせてよかったです」
「そうか」
冷酷な兄だが、いつも私には、私にだけは優しい。
兄が私のことを誇りに思ってくれているというのはまぎれもない事実。そして、私はそのことが何より嬉しい。
(この兄の弟で、本当によかった……)
兄が腕をとき、資料館の中へと入っていく。静まり返ったその場所は昼間の賑やかさとはかけはなれて不気味だった。
「天文部の見学がしたかったのは、俺が顧問だったからか?」
「はい。それもあります。ですがそれだけではなく、できるだけ多くの人と触れ合いたかったのです。昨日は新聞部と華道部に行ってきました」
「ああ。華道部か……」
兄は、何をか嘲笑していた。
それが何を意味するのかは、私にも分かった。
「観月先生のこと、兄さんもご存知でしょう」
「ああ。あの嫉妬のエネルギー。今すぐにでも下級纏司に魅入られそうだな」
「兄さんは、それをするつもりは……」
「今のところはない。必要なサンプルは全て手に入れた。これ以上どうするつもりもない」
私はほっと息をついた。
あんなに綺麗な心の音色をしている人の精神エネルギーを吸い尽くされるところは見たくない。
「それより、今日会う1年生の方をよく見ておくといい」
「1年生?」
「織姫苺。お前も人間を観測する上で、一つ勉強になるだろう」
勉強になるとは、どういう意味なのだろう。
「さあ、ここが観測所だ」
兄が屋上の扉を開けた。
その先には、優しそうな男性と、すらっとした綺麗な女性と、ぽっちゃりとした可愛い女性とがいた。望遠鏡で星を見つめていた男性が私たちに気付いて頭をさげる。
「架羅間先生」
「後藤くん、観測会は順調かい?」
「はい。あ、遅れましたけど、天文部の顧問の件、引き受けてくださってありがとうございます」
「いや、ここは観測に都合がいいのは分かっているしね。管理責任者である私が引き受けるのが一番だと判断したまでだよ。気にしないでいい」
「はい」
「紹介しよう。今日の見学生、如月ベレトくんだ」
兄は三人の部員に私を紹介した。
「はじめまして。如月ベレトです。今日はよろしくお願いします」
「はじめまして。僕は部長の後藤匡。それからこっちは副部長の喜多瑳和子で、こっちは一年生の織姫苺」
「はじめまして、今日はよろしく」
「よろしくお願いしまーす」
紹介された瞬間、私の耳に確かに聞こえた。
三つの奏でられる音色が、微妙なズレを生じさせている。
(そうだ、兄は……)
一年生の織姫さんをよく見ておくように言っていたが。
(なんだろう、この感じ)
それは決して負の感情といったものではないが、限りなくそれに近いもの。
何か、歪んだ感情だった。
(それに、この女性は……)
一度、来訪者に『魅入られている』。
(まさか)
私は兄を見つめた。
兄は冷たく微笑むだけだった。
(……兄さんが、織姫さんに見入った……ということですか)
人間を観察するために。
黒き羽を使って。
「如月くんは、ひょっとして三年の如月蘭くんの──」
「はい、弟です」
「あまりお兄さんと似てないですね。あ、すいません」
「いえ、よく言われますから」
「ところで、如月くんは星に興味は」
「多少は。ギリシャ神話が好きで、星にまつわる神話は知っているんですが、星自体を見ることがあまりなくて」
「ギリシャ神話が好きなのか! それじゃあ、今の時期に見えるオリオン座なんかは──」
後藤先輩の心の音色が、強く鳴り響く。
(この人、信じられないくらいの星好きだ)
星を見ること、そして星に関することを調べることが大好きなんだ。
(人間は、どうしてこう、一つのことに熱中できるのだろう)
高宮さんといい、澤田先輩といい。
何かに熱中して、そのことに情熱を捧げて。
そしてそれが、とても心地よい音色を響かせている。
(人間はやっぱり、すごい)
迷宮の住人は、ただ永遠の時間を貪るだけ。
(私も、人間のように何かに熱中してみたい)
後藤先輩の話を聞きながら、私はその想いを強くしていた。
to be continued...
第四翼
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