「それじゃあ、行ってくるね、シヴァ」
リディアは友人の肩を抱き、その冷たい頬に自分の頬をあてた。
「リディア。いつでも、私を呼んで」
「うん。必ず」
そして、ゆっくりと離れる。
リディアは頷いて振り向き、人間世界の扉へと飛び込んでいった。
PLUS.2
人のいる世界
Unexpected situation
エアリスと名乗った女性はくすくすとカインの前で笑った。優しい、暖かい笑いであった。ただ、カインにとっては女性のこういう態度は今までほとんど縁がないものだっただけに、戸惑いも激しかった。
「それにしても。ホント、運いいね」
「何が、だ?」
「私も、この世界に来たばっかりなんだ」
エアリスは、突然わけの分からないことを言いはじめた。だが悩むより早く続けて話し掛けられる。
「君、この世界の人間じゃないでしょ」
カインは言われてから、回りを見渡した。確か、自分は山の中にいたはずである。それなのに、どうしてこんな何もない荒野にいるのだろう。
「ここはどこだ?」
「第十六世界、フィールディ。君のいた世界がどこだかは知らないけど、違う世界だっていうことだけは分かるよ」
「違う世界……」
「そ。私もまだ来たばっかりだから、よくこの世界のこと分かってないんだけどね」
にこっ、と微笑む。
「それじゃあ、私が今お世話になってるシドおじさまとイデアおばさまに紹介してあげる。来て、カイン」
エアリスは突然カインの手を取って、遠く海岸沿いに見える小屋を指さした。
「何?」
「いーから来るの、ホラッ」
「お、おい」
カインは戸惑いながらもエアリスに手を引かれていった。
(なんなんだ、いったい)
混乱した頭はなかなか元に戻りそうもなかった。
そして、この世界が自分の元いた世界ではないということが、少しずつ分かり始めていた。
(レイン)
ラグナはレインの墓の前で、しばし昔のことを思い出していた。初めて会った日のこと、そして、愛する息子が誕生した時のこと。結局看取ってやることはできなかったが、彼がたった一人、女性のためだけに自分の人生を変えてもいいと思った人物である。
(やっと、戻ってきたぜ、お前のところにな)
ウィンヒルに戻ってきてから、エスタの元大統領は一日たりとも墓参りをさぼったことはない。どれだけ遠く離れようと、死別しようと、彼にとって、唯一の、たった一人の女性であった。
最愛の。
(やっぱりお前の子供だよな。面影があったよ)
たくましく成長した息子のことを思い出し、ラグナは柔らかい笑みを浮かべる。と、その時であった。
「ラグナおじさん!」
振り返ると、レインの娘、エルオーネが駆け寄ってくるのが見えた。親友のキロスもそのあとについてきている。
(なんだ、わざわざこんなところまで)
こんなところとはいっても、村の外れ、せいぜい歩いて二十分かそこらである。別に来たからといって不思議なものでもない。特にエルオーネにとっては、レインは母親だ。
「どうしたエル。なんか面白いことでもあったか?」
だがラグナは相変わらずからかうように話しかける。すると、エルオーネは少しだけ膨れたような顔を見せつつ、一大事一大事とラグナを急かせた。
「人が降ってきたの! なんか、すごい怪我してる」
降ってきた? ラグナは空を見上げる。だが晴天で、別に雨も雪も人も降りそうな気配はない。だがエルオーネが言うからには事実なのだろう。
「おいおいエル。お前怪我人ほったらかしにして俺を呼びにきたのか?」
「エルはそこまで馬鹿ではないぞ、ラグナ君。しっかり手当てをすませてから来たのだ。それに今はウォードがついてるから心配はない」
「そっか、疑って悪かったなエル」
ラグナがぽんぽん、とエルオーネの頭を叩くと、エルオーネは子供扱いしないでよとむくれる。最近、二人の間ではいつもこのような姿が見られる。
(やれやれ、相変わらず女心がわかってないな、ラグナ君)
キロスが真面目な顔でそんなことを思う。当然、それはラグナにもエルオーネにも分からなかった。
「それじゃ、そいつの顔を拝みに行ってみるかな」
ラグナはエルオーネとキロスを連れて家へと戻っていった。
ラグナたちはあの戦いの後四人でこの町に帰ってきて家を一つ譲り受けて住むことになった。昔住んでいた家は他人が入っていたので、その近くの、少し大きめの家だった。四人で住むには十分な広さだった。そしてそれから一週間、四人の幸せな共同生活が続いていた。
ラグナ、キロス、ウォード、三人がとりあえず日雇いのアルバイトを始めたのはつい三日前のことである。もちろん大統領時代のたくわえは、四人が死ぬまでつつましく暮らすには十分であったが、それだと身体がなまるというラグナのもっともな意見と、ラグナ君が何かしていないと面白くないというキロスの不可思議な意見で働くことになったのである。
家事はエルオーネが一人でやることとなったが、まだ新米家政婦、なかなか上手くこなすことはできないようであった。
そんな幸せな共同生活も、たった数日で終わりを告げるとはこの時まだ誰も予想はしていなかった。
「ただいま、ウォード」
ウォードは頷くとラグナに場所を譲った。その席に腰掛けると、ラグナはその男の顔をじっと見つめた。まだ若い、それでいて気品のある顔だちである。よほどいいところの坊ちゃんなのだろう。
「意識はあったのか?」
「いいや、ずっと昏睡したままだ。だが身体には何も問題はない」
キロスが明確な答えを提示してくれたので、それ以上ラグナは聞くことが何もなくなってしまった。
「それじゃあ先に飯にしようか」
「ラグナ君、君は怪我人を放っておいてご飯を食べるというのか?」
「だって、いつ目覚めるか分からないだろ?」
ある意味、ラグナの言っていることは正しい。だが、そうやって怪我人を放っておいてもいいものだろうか、とキロスは少し悩む。
「あ、じゃあ私がご飯作ってくるから、おじさんたちはここにいて」
エルオーネが立ち上がると、ラグナが声をかけた。
「ちゃんと食べられるものにしてくれよ、エル」
「まかせといて!」
と、前に失敗したのはつい昨日のことである。ラグナは本当にきちんとした食べ物が出てくるのか心配だった。
「おいウォード。心配だからエルオーネの料理を手伝ってやれ」
ウォードは頷くとエルオーネの後を追って部屋を出ていった。と、その時である。
「ん……」
男がどうやら意識を取り戻したようである。ゆっくりと目が開くと、それを覗き込むようにラグナがその瞳をまじまじと見た。茶色の髪によく似合う蒼い瞳であった。
「よっ」
ラグナはとりあえず声をかけてみた。すると、男は徐々に意識が鮮明になってきたようであった。
「ここは……?」
「ここか? 俺の部屋だ」
「ラグナ君、彼はそういうことを聞きたいのではないと思うが」
キロスの突っ込みに、ラグナは「ああ、悪い悪い」と頭をかいた。
「ここはウィンヒルって町だ。まあ、田舎の町だから知らないかもしれないけどな」
「ウィン……ヒル?」
男は聞いたこともない、というような表情を見せた。まあ、ウィンヒルみたいな田舎町を知っている人物の方が少ないといえば少ないのだろう。
「で、お前さんは?」
「ぼ、僕……は」
男はゆっくりと体を起こした。
「僕は、ジェラールといいます。ここは、フィールディ、ですか?」
「フィールディ? いやだからここはウィンヒルだって」
「町の名前ではなく、世界の名前のことです」
「はあ?」
ラグナは何を言われているのか全く分からず、ぽかんと口を開けてしまう。
「そうか、ここの人たちは自分たちのことが分かってないのか……」
ジェラールは呟くと、ラグナに向かって言う。
「質問を変えます。この世界にアルティミシアという人物がいませんでしたか?」
「アルティミシア?」
突然こんなところでこんな名前を出され、ラグナは大いに驚いた。キロスを見返すが、彼もどうやら驚いたようであった。
「そりゃあ、いたけど」
「倒されてしまったんですか?」
ジェラールはラグナに詰め寄った。自分が怪我人だということを忘れているようである。
「まあな。俺が倒したわけじゃないけど」
「遅かったか」
ジェラールはがっくりとうなだれると、思い出したかのように傷の痛みを訴えた。
「おいおい、無茶するなよ」
「いえ、僕には、やらなければならないことがあるから」
しかし、キロスによってジェラールは無理に体を横たわらせられた。
「お願いします、この世界で一番偉い人に会いたいんです。もしそういう人物がいなかったら、大きい国の王様に会わせてほしいんです。どうすればいいか、教えていただけないでしょうか」
これまた、ラグナはキロスと目を合わせて驚いた。一体、彼は何を言っているというのだろう。
「じゃ、話してみて」
「ですから」
「俺、王様だから」
「……は?」
今度はジェラールがぽかんと口を開けた。
「大統領、の間違いだろうラグナ君。それも、元、だ」
「細かいことにこだわるなよキロス」
「えっ、と、本当に?」
ジェラールは当然半信半疑だ、というよりはむしろ完全に疑っていただろう。こんな突然に王に会えるはずなどありはしないのだから。
しかもこんな人のよさそうな間のぬけた顔の男が。
「まあ信じられないのも無理はないが、ラグナ君はこう見えても一応はそれなりに一国の元首についていたことは間違いないし、今だに国に対して権威があることもそれなりに間違いとはいえなくない」
「キロスよお」
さすがのラグナもこれには答える言葉がなかったようである。まさに皮肉のオンパレードであった。
「本当、ですね?」
確認である。ラグナはそれを意に介するようでもなく、まあな、と答える。
「それじゃあ、僕の話を聞いてください」
再び舞台はバラム・ガーデンへ。
謎の美少女現る、の報はガーデン内を混乱の渦に巻き込んでいった。何故混乱したのかというと、是非一目見たいと男共がティナの回りに殺到したからである。元々人の多いところが苦手なティナはさすがに辟易してキスティスに助けを求めた。キスティスはとにかく緊急の避難場所として、同僚のシュウの部屋にティナをかくまっていた。
「とんでもないことになったわね」
シュウは二人の疲れ切った様子を見て、どうぞ、と水の入ったコップを手渡す。
「ありがと、シュウ。とにかく男子生徒がしつこくてしつこくて」
「まあ、これだけ可愛い顔してるんだったら分からなくもないけどね」
シュウは改めてティナの顔をのぞきこんだ。見目麗しく、どこか陰りのある雰囲気が、おそらく男達を引きつけているのだろう。
「キースティース!」
ドンドン、と扉が叩かれ、二人はびくっと反応したが、声の主が誰であるのかを悟ってひとまず安心した。
「やっほ、ティナ」
「セルフィ」
ティナは思わずセルフィに抱きついていた。ほっとした、というのがティナの本音だろう。
ティナのことはキスティスに任せる、と言ったものの、実際に彼女の話相手になっているのはセルフィの方が多かったりするのだ。それはまあ、この人柄のせいが強いのだろう。陽気で面倒見よく人当たりもいい。
「たいへんだったねー、ティナ。ごめんね、あたしがついててあげられなくて」
ティナはふるふると顔を横に振った。
「私、こんなに人が多いところは苦手だから」
「ふうん? 向こうの世界で町とかには行ったことないの?」
「あるけど、大きい町は好きじゃないから」
「ふうん。それじゃこれから大変だね。ティナ、可愛いから男子生徒がすごい熱狂してるよ」
「勘弁してください」
ようやく苦笑が漏れた一同だった。
とまあ、ティナが予想外の事態に直面している一方で、スコールはといえばアーヴァインが自分のところに連れて来ていた客人を見て、どうにも途方に暮れていた。
(俺にどうしろっていうんだ、全く)
表情を変えずにスコールが思ったことは単なる不平にすぎなかった。
「ね、ね? あのティナの後にこういう人物がくるなんてさ〜。なんか運命めいてると思わない?」
スコールの前には金髪の無口な青年が座っていた。瞳だけが蒼く輝いており、それが強烈な意思を感じさせる。魔力を封じ込めたアイテムをちりばめた魔導士のローブはあまりにもガーデンに似つかわしくなかったが、彼にはそれが似合うのが不思議だ。
「名前は?」
「ブルー」
突然、スコールはブルーという人物に同族意識を感じていた。おそらく、ブルーも極端に人との関わりを嫌うタイプなのではないか、と思ったのだ。
「それで、ブルーはここへ何をしに来たんだ?」
「この世界は危機に直面している」
ブルーは冷静に説明を始めた。
「この第十六世界フィールディに向かって七つの世界が近づいてきている。自分が元いた第十一世界リージョンもまたこの世界に近づく世界の一つ。もし、このまま八つの世界が相互に干渉しあえば、全てが無に帰すだろう。それを防ぐために、自分はここへ来た」
何とも壮大な話である。スコールは理解するまでに随分時間がかかり、ようやく納得すると、ブルーに話をうながす。
「自分以外にも何人かの人物がこの世界を訪れているはずだ。ある者は自発的に、ある者は偶然に、ある者は何者かの意思によって。少なくとも他世界からこの世界にやってきたものは、自分が感知した人数だけでも十は超える」
「その人物というのは、全員が八つの世界を救うために来ているのか?」
「分からない。自発的に来ているものは間違いなくそうなのだろうが、偶発的にやってきたものについては、その要素は未知だ。ただ少なくとも、八つの世界の住人の代表たる者の協力が必要だ。そうでなければ、この世界も自分の世界も救われることはない」
「八つの世界の住人の代表。ということは、この世界からもか」
「そうだ。そして、その代表者は既にこの世にいない。だから、改めて作りださなくてはならない」
「代表者がこの世にいないというのはどうして分かるんだ?」
「アルティミシアを、お前たちは倒したのだろう? その男に聞いた」
「……アルティミシアがこの世界の代表だって?」
スコールは頭を抱えたくなった。アルティミシアがいたら時間圧縮によってこの世界は滅んでいたはずだ。しかし、アルティミシアがいなければこの世界は結局滅んでしまうということになる。
「だから新しく代表者を作らなければならない。時間が少ないんだ。一刻も早く八人の代表者を集めると共に、この世界の代表者たりうる人物にはそれだけの力を備えてもらわなければならない」
「なるほど」
正直、スコールはどこまで信用したらいいものか迷っていたが、ブルーの話を聞いていると彼が血迷っているわけでも嘘をついているわけでもないというのは理解できた。かくなるうえは、彼のいうことを信じてみようかと思う。
「それなら、明日にでも異世界からの住人を紹介しよう。とりあえず、今日はゆっくりとしていってくれ」
スコールは、とにかくこの現実を受けとめ、これからどうするかを考える時間が必要であった。
3.風の鼓動
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