この喪失感をどうすればいいの?
大切だったから、本当にみんな大切だったから、全てを失ってしまった今、私はもう何もすることができなくなってしまった。
さいわいウェポンだけは共にある。今は、戦いに専念していられる。
でも。
その先は?
私は、元の世界に帰るの?
帰って、どうするの?
誰も私のことなんて待っていない。必要としていない。
みんな新しい生活を始めている。そして、そこに私が帰るわけにはいかない。もう私はみんなの中で思い出としてしか残っていないのだから。
帰りたくない。私の居場所は、あの世界にはない。
でも、この世界に1人でいることはあまりに寒すぎる。
誰か、私を暖めてほしい。
私を幸せで満たしてほしい。
それすらも、私には許されていないの?
PLUS.19
足りない心
triangle
「カイン? ちょっといい?」
自分の部屋に戻るなり、すぐに来訪者があった。
「エアリス。どうした?」
「話があるの。テラスがあるっていうし、ちょっと行ってみない?」
再会したとはいえ、周りの状況のために2人はゆっくりと話すこともできていなかった。
あの後、お互いどうしていたのか。特にエアリスの方は話したいことが山ほどあったのだろう。
「まあ、別にかまわないが」
「じゃ、案内して」
「……?」
「私、来たばっかりだから、よく分からなくて」
「やれやれ」
ぼやきながらも、カインは自分の部屋を後にした。
テラスに来ると落ちつく。何度もここへは足を運んでいる。今はガーデンが動いている最中ではないから、出入りも自由だ。
ティナは不機嫌であった。
何をもって不機嫌たらしめているのかは全く分からなかったが、とにかく不機嫌で不機嫌で仕方がなかった。
(どうしてこんなに気分が悪いんだろう)
朝までは本当に安らかな気持ちであった。だが、このF・Hについてからというもの、何故か自分の気持ちが沈んでいる。
(どうして)
駅長の家に行ったあとでそれは悪化した。何が自分の身に起こったのかは分からない。だが、あの部屋に入った瞬間に、それは起こった。
激しい胸の痛み。
体が震えだし、その場にいられなくなった。一刻も早く、その場を離れたかった。
今は少し落ちついている。一度全員が休憩をとって、もうあと少ししたらミーティングが始まる。
あまり、参加したくはなかった。でも、今までにも自分は何度となくスコールに迷惑をかけている。これ以上迷惑はかけられない。
自分に何が起こったのか、確かめたい。
ここで、自分は2人の人物と会話をした。
1人はスコール。真面目で、どこか寂しそうな瞳をした人。周りにはすごく冷たいという印象があるみたいだけど、自分には優しくしてくれる。時々こぼれる笑顔が綺麗で、つい見ほれてしまうほどだ。
もう1人はカイン。こちらも真面目なのだけど、他人に感情を見せない、孤独な人。でも言葉には自分の感情がしっかりとこもっている。悩みをかかえていて、もしかしたら私に相談しようとしてくれていたのかもしれない。
2人とも、話していると落ちつく人たちだ。落ちつく場所、落ちつく相手。ここで2人と話をしたことで、自分がとても安心できた。
でも今は、そうではない。
1人の空間。1人のテラス。それがこんなにも空虚で、広々としているとは思わなかった。誰か傍にいてほしい。誰か話し相手になってほしい。誰か自分を落ちつかせてほしい。誰か……。
誰か──いる。
だが、テラスについてもエアリスはずっと海の方を眺めているだけで、何も話そうとはしなかった。その2歩後ろで、カインはエアリスが何かを言うまでずっと黙っていた。
(いったい、どういうつもりなのか……)
あと少しでミーティングが始まる。そのことはエアリスも分かっているはずだ。それなのに、こうして時間を潰しても無意味だろうと思う。口にはしないが。
「カイン」
ようやく出てきた言葉は自分の名前だけであった。
「何だ?」
「久しぶりだね。こうして2人っきりになるの」
「そうだな。出会って以来、いや、船以来、か」
「びっくりしたよ、あの時は本当に」
「空から降ってきたんだったな」
「うん。カインは覚えていないのかもしれないけど。本当に、彼そっくりに、花畑に落ちてきた。屋根はなかったけど」
何を言っているのかカインには分からなかったが、とにかく聞き返さなければならないフレーズが、エアリスの言葉の中に含まれていた。
「彼?」
「うん。私の好きだった人」
「もう待っててはくれない奴か?」
「そう。彼には他に、大切な人がいるから」
「話というのはそのことか? あの船での続きをしたかったのか?」
強引に、カインは割り込んだ。あまりそれ以上その話を続けたくはなかった。自分も思い出してしまうからだ。
打ち消したはずの恋心を。
「うん。だって、あの時はウェポンが現れて結局続けることができなかったから」
「別に、続けなければならないというものでもないだろう」
「ううん、続けたいの」
振り向いて笑うエアリスはとても綺麗だった。特にその瞳に浮かぶ涙が。
「何故、泣く?」
「理由、分からない?」
「分かるはずもない」
「意地悪。でも、うん、生きていてくれて、嬉しかったから。安心したから。それじゃ、ダメ?」
「別にダメというわけではないが」
「だって……」
その笑顔が、消えた。
「ずっと、ずっと心配してたんだから」
涙がいっそう溢れ、顔がくしゃくしゃに歪む。
「エアリス」
「もしあなたが死んだら……ずっと、ずっと考えてた。私、あなたを失いたくなかった」
エアリスはカインの胸の中へ飛び込んだ。
ずきん。
目の前で、2人が抱き合っている。
カインと、エアリス。
苦しい。
理由も分からない。でも、心が痛い。
いやだ、こんな──
こんなものは、見たくない。
(……?)
カインは後ろを振り向いた。誰かいたような気がしたのだ。だがそこには当然、誰もいなかった。ここに好んで足を運ぶ者は、そう多くはないのだ。
「もう、あまり無茶なことはしないで」
「俺は自分で大丈夫だと思ったから行動しただけのことだ」
「それでも、無茶はしないで」
「そういうお前だって、前の世界にいた時に無茶をしたのではないか?」
「それは」
「仲間を助けるため、大切なものを守るためなら自分の命をすら犠牲にできる。それは俺にしてもお前にしても同じはずだ」
「そうかもしれない。でも」
「俺は、俺の考えた通りに行動するだけだ。誰の命令も受けない」
「……」
エアリスはそれでもう何も言えなくなってしまったようであった。微かに「カイン、ずるい」とだけ聞こえた。
「私、カインを失いたくない。傍にいてほしい。支えてほしい」
「エアリス」
「傍にいて」
ぎゅっ、と抱きしめてくる。だが、カインはその腕を解き、エアリスと距離をとった。
「俺は『彼』の代わりか?」
「そうだけど、そうじゃない。彼のことは好きだったけど、カインは好きとか恋してるとか、そういうのじゃないの。傍にいてほしいだけなの」
「だけ?」
「私、全部失くしちゃったから。前の世界の仲間、大好きな彼、お母さん、みんな失ったから、もう私には何もないから! カインは、カインだけは失くしたくないの」
エアリスは俯いて、肩を震わせていた。
「足りないの、寂しいの……飢えているの、人に」
「何故、俺なんだ?」
ぴたり、とその震えが止まった。
「俺が、花畑に落ちてきたから」
「それは、それもあるけど」
「俺がその男に、似ているのか?」
その表情が完全に固まった。凍りついたといってもよかったであろう。カインは、ため息をついた。
「そうなんだな」
「それは……」
「ダミーを好きになること、それ自体を俺は責めたりはしないさ。だが、俺はダミーにされるのも、ダミーを好きになることも好みじゃない」
「カインなら諦めるの?」
「そうだな。それが一番波風が立たなくていい」
一度。いや、二度裏切った俺には、もう愛することすら許されない。
「私は……もう、ダメ」
エアリスはその場に崩れ落ちた。
「私は忘れることもできない。奪うことなんてとても考えられない。この世界を救っても、私には帰るところなんて、どこにもない! どうして私は今も生きているの? あのまま死なせておいてくれればよかったのに……そうしたらこんなに苦しまなくてもよかったのに!」
「俺は一度、死のうと思ったことがある」
カインは肩膝をついて、エアリスの肩に手を置いた。
「だが、運悪く生き延びてしまった。俺が死んでさえいれば、仲間たちには迷惑がかからなかったはずだった。仲間に言われたよ。生きていれば、いつかいいことがある。俺はそれを信じて今まで生きている……。死んで、この苦しみから逃れることは簡単だ。だが、俺は生きて罪を償い、そしていつか、幸せになりたい」
「カイン」
「お前の過去に何があったか、知らないし知るつもりもない。だが死んでいればよかったなどと言うな。俺でよければ、話相手くらいにはなってやるから」
するとエアリスは少しの間の後、くすくすと笑い始めた。
「女の子の心が分かってないぞ、カイン」
「すまない」
「でも、ありがと。それからさっきの話。カインは彼に似てるっていう──」
「ああ」
「外見が少しだけ似てるの。でも、中身は別人。彼は……皮肉屋でキザだったけど、それは全部ポーズだったの。弱い自分を隠すための。でも自分が弱くて脆いことも、それを隠してポーズをつけているだけっていうことも、本人は気づいてなかったの。それくらい、守ってあげたくなる人。カインとは、全然違う」
「俺は?」
「カインはそう……罪悪感に縛られて自分を追い詰めて、心身がボロボロになっていくタイプ。自分に嘘がつけない人。あ、そうなると守ってあげたくなるっていうところは、同じかな」
カインは鼻で笑った。
「あ、ひっど〜い」
「いや、ようやくいつものエアリスらしくなってきたな、と思っただけだ」
「でも、それと同じくらい、守ってもらいたいと思うよ。これは本当」
「褒め言葉と受け取っておく」
「私、カインの恋人に立候補しても、いい?」
「さっきの今で、もうその話か?」
「さっきのとは別。カインは単品で興味深い人だから」
「残念だが、断るよ」
「やっぱり、彼女が大事?」
「それもある。だが……」
だが……。
それ以上話すことをカインはさけ、自分の部屋に戻った。
エアリスに好意を持っていることは、隠しようもない事実だ。もちろんそれが恋愛に直結するようなものではなく、仲間として、友人としてという関係であるにすぎない。
それ以上に、カインの中にその申し出を受けることができない理由があったのだ。
『いつか、幸せになれるから』
皮肉のつもりだった。ローザに、自分も幸せになることができるのかという質問は。だが、ローザは何のためらいもなくそう答えたのだ。
俺は、ローザがいなければ幸せになることはできそうにもない。初めてローザと会ってから今日まで、そのことを疑ったことは一度もない。だから今まで自分は幸福感など味わったことはない。
ただ一度、ゼロムスに操られてローザをセシルから奪ったあの一時期を除いては。
『……好きなら、たとえ奪ってでも……』
あれは、ゼロムスの声だったのか、それとも自分の心の奥底に秘めた想いだったのか、容易に判断はつかない。ゼロムスがその欲望を増幅したことは疑いないが、自分の中にその気持ちが全くなかったかと言われれば──そんなことはありえない。
自分は、親友と愛する女性との幸せを祝福することすらできない薄汚い存在。
それどころか、それを阻害し、奪ってしまおうとすら考え、実行した罪人
俺には、幸せになることができるとしても、幸せになる権利はないのではないか。そんな馬鹿げた考えすら打ち払うことができない。
エアリスの指摘は的を得ている。罪悪感で自分を追い詰める。心身ともにボロボロになる……そう、俺は、ボロボロになることを望んでいる。
罪を許したのは二人だったが、自分は許されたかったわけではない。罰されたかった。地獄の業火に焼かれたかった。この汚らわしい魂を浄化してほしかった。
……飢えているのは、俺の方だ。
ローザに飢えている。愛に飢えている。愛されたい。自分を幸福感で満たしてほしい。
自分が愛する人に、心から愛されたい。
だが、それはもう許されない。
それを言い訳にして、俺は人を愛する努力をしない。
馬鹿だということは承知している。だが、俺の心が整理されないかぎり、俺は人を愛する努力をすることが、できそうにない。
そして。
何の脈絡もなく、俺は時々叫びたくなる。
その言葉を自分の中で押し殺して、また自分を痛めつける……。
カインと、エアリス。
知り合いだっていうことは話に聞いていた。もともと向こうの船に乗っていたんだし、仲がよくても不思議じゃない。
でも、そんな関係だなんて知らなかった。だから、気が動転してしまった。それだけのこと。
それだけ──なのだろうか。
さっきよりもずっと気が重くなっている。
どうしてだろう。
2人が抱き合っているところを見て、私はその場にいられなくなって逃げだした。そう、逃げだしたという表現が正しいと思う。
邪魔をしたくなかったから、ではない。自分がその場にいることができなかったから、逃げだした。
……何故、逃げる必要があるの?
自分が不機嫌になる理由。
そう、ミーティングが終わった頃から、機嫌が悪くなった。いや違う。ミーティングの途中、せっかく機嫌がよかったのに、それが一気に冷めてしまった、それは、そう、スコールがキスティスとカインの2人に先に船に行ってもらうと言った時。
次は駅長の家。ここですごく機嫌が悪くなって。いや、その前に、少しずつ機嫌が晴れていった。駅長の家に行くのが凄く楽しみで、嬉しくて、どうしてなのか自分でも分からなくて。
でも、家に入った途端──違う、2階に上がった途端、機嫌が一気に悪くなった。
自分の視界に飛び込んできたのはカインと、緑色の髪とローブの女の子、リディア。
それを見た瞬間、部屋から飛び出したくなった──?
最後は、さっき。カインとエアリスが抱き合っていたとき……。
(……まさか、とは思っていたけど)
自分は、カインが他の女性と一緒にいるところを見ることが嫌だった。
そしてそれは、一般的には嫉妬というのだろうか。
その裏返しに、自分は恋をしている。そういうことなのだろうか。
「恋」
この、私が?
他人に特別な感情を一度も抱いたことがない私が?
会って間もない、住む世界すら違う人に?
……信じられない。
でも、それ以外考えられない。
20.消失
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