『……………!』
誰だ……。
俺を呼ぶのは誰だ……。
お前、は……。
そうか、お前は……。
『……………!』
そして、俺は……。
PLUS.23
罪の証
Who is calling me?
銀髪の美青年が目を覚ましたのはセルフィが3日看病を続けた後のことであった。
「だいじょぶ?」
青年は目を開けたとはいえかなり辛そうな表情であった。
「ここは……?」
苦しげに呻く。一つものを言うだけの作業が、青年には途方もない重労働のようであった。
「ここはね、エスタ大統領官邸だよ」
「……エスタ……?」
青年は苦しさの中に、どこか戸惑いの混じった表情を浮かべた。
「うん、分からない?」
言って、気づいた。
『分からない?』
(まさか)
この不可思議で現実にはありえない刀傷。
ラグナの話では、エスタ戸籍もなかったという。
まさか、この人は異世界の──?
「ねえ、あなたの出身はどこ?」
考えるより先に口が出ていた。だが、男は瞼を閉じて、小さく首を振った。
「わから、ない」
「……分からない?」
「何も……何も、覚えていない」
「それって、まさか──」
記憶、喪失。
せっかく手に入れた手がかり──いや、それだけではない。
(この人のこと、分かると思ったのに……)
何故か焦りのようなものを感じ、セルフィは矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「そんな、何も、何も覚えていないの? あなたの故郷は? 名前は?」
「こきょう……な……まえ……」
うわごとのように呟きながら男は視線を宙に舞わせた。
銀色の髪が、さらりと流れる。げっそりと痩せた頬に、かすかに赤みがともる。
少しずつ、濁っていた瞳に光が戻ってくる。
「だれか……俺を、呼んでいる……」
男は、震える手を虚空へと伸ばした。
その姿は、今にも壊れそうなガラス細工のようで。セルフィは思わずその手をしっかりと握りしめていた。
「誰?」
「わから……ない……」
『……………!』
呼吸が荒くなる。男の顔が歪んでいく。
「俺は……俺の、名前……は……」
『……………!』
「き……こえる……」
男の目が、再び閉じられていった。
「……俺は……おれの、名は……」
握った手から、少しずつ力が抜けていく。
『セフィロス!』
男は、口をかすかに動かしていた。
「……せふぃろす……」
そして。
ゆっくりと、前に倒れた。
「!」
セルフィは彼をしっかりと抱きとめる。
痩せて見えるのに、その体は重い。
確かにやせてはいるが、それは無駄な肉がないということだ。彼の体は筋肉の鎧で覆われている。それは抱きとめる前から──一度治療をしたとき、既に分かっていた。
それなのに。
(……せふぃろす……)
セルフィは、少しだけ、抱きしめる力を強めた。
(綺麗な名前……)
誰かの呼ぶ声が聞こえてくる。
俺を呼ぶ声。お前は。
お前は、お前の名前は……。
知っている、お前のことを、俺は知っている。
知っている……知っているんだ!
『セフィロス』
大きな剣。
大きな、大きな剣……。
その剣が、自分の胸に突きたてられる。
深く、深く、深く。
それが、自分への罰。
全てを崩壊に導いた自分への罰。
何もかもを憎み、恨み、そして滅びを願った。
罪。
贖うには、自分の命では安すぎる。
だからこそ、俺は。
俺は……。
「……目、覚めた?」
再び目を開けた時、ひどく頭痛がして、体中汗をびっしょりとかいていた。
「……俺は、うなされていたか?」
考えるより早くその言葉が出てきた。セルフィは少しだけ切なそうな表情になった。
「呼吸が乱れて、苦しそうな表情してた」
「そうか」
何の疑問も抱かず、ゆっくりと天井を見つめた。
「セフィロスさん」
セルフィが声をかけたが、彼は無反応だった。もう一度「セフィロスさん」と呼びかけると、ようやく視線をそちらに移す。そして尋ねた。
「……俺のことか?」
「そうだけど、違うの?」
男は首をふった。
ダメだ。
何かを思い出しかけていたのに。
全てはまた霧散し、隠れてしまった。
「いや……分からないだけだ」
彼は自分を見つめる女性を見返した。
少女は興味津々、という感じで自分を見つめている。
「セフィロス、というのが俺の名前なのか?」
「うん。さっき一回起きた時にそう言ってた」
さっき……そう、この少女は確かに脳裏にある。
一度目覚めた。
そして、誰かの声に呼ばれた。
(誰の……)
今もまだ、その呼ぶ声が聞こえてくるようだ。
(俺は……俺はいったい……)
『セフィロス』
少女が呼んだ名前を思い返す。
妙に、聞きなれた言葉だ。
それなのに、ひどく罪深い感情を呼び起こさせる名前だ。
──おそらく、自分が罪深いからなのだろう。
「……そうか。セフィロス……セフィロスというのか、俺は」
セフィロスはかみしめるようにその言葉を口にした。
「覚えてないの?」
「そうらしい」
「その割には、随分と落ちついてるね」
「そのようだな」
記憶がない。そのことはセフィロスにもはっきりと分かっていた。何を思い出そうとしても無駄であった。自分の記憶の中には何の情報も入っていなくて、そこから引き出そうとしてもからっぽだから何も出すことができない。そういう状況だ。
ただ、一つだけ引っ掛かっていることがある。
(記憶の奥底に、誰かの影が見える……)
そして、自分を呼んでいる。
『セフィロス!』
(セフィロス……そう、呼ばれているのか?)
(そう、呼んでいるのか?)
(分からない……俺は、誰だ……?)
「セフィロスさん」
はっ、とセルフィの顔を見つめた。たしかに今、そう呼ばれた。現実で、目の前の女性に、記憶の奥底から、その影に。
「……セフィロス……」
「え?」
「セフィロス、と呼んでくれ」
「セフィロス?」
少女に名前を呼ばれた瞬間に、血が逆流するかのような衝撃が体中をかけめぐる。
(……セフィロス。それが、俺の名前)
男の鼓動が、早まる。そして、男の両手が少女へと差し伸べられた。
「もっと、はっきりと」
少女は、それにこたえた。少女の手が男の頭を優しく抱きしめ、男の両腕は少女の背に回された。
「セフィロス」
「もっと、強くだ」
セフィロスはセルフィにしがみついた。
その体が、震えている。
セルフィもまた、セフィロスを力強く抱きしめた。
「セフィロス!」
「何度もだ。何度も、呼びかけてくれ」
「セフィロス、セフィロス、セフィロス!」
『セフィロス!』
(誰だ?)
(記憶の奥底で俺を呼ぶのは誰だ?)
『セフィロス!』
(お前は、誰だ?)
(その剣で、俺を殺すのか?)
(何故?)
(俺はそれほどまでに、罪深いのか?)
『セフィロス!』
(お前は……何故、俺を呼ぶんだ?)
「セフィロス……それが、俺の、名前……」
「……セフィロス?」
「そうだ。俺はセフィロス……」
俺の、名前。俺は、セフィロス。
罪の証。
「間違いない」
「うん、よかった」
セルフィの笑顔を見つめ、セフィロスは顔をしかめた。
「よかった?」
「だって、少しでも記憶が戻ったってことでしょ?」
「そう……だな、確かに」
セフィロスは顔を上げて、すぐ近くに迫っていた少女の顔を見つめる。
愛嬌のある、可愛らしい少女だ。自分より随分年下のようにも見える。
「だが、他のことはまるで思い出せないが」
「それでも、名前が思い出せただけでも進歩だよ」
「そう思うことにしよう──ところで、ここは?」
改めて男は周りを見つめる。それをきっかけに、セルフィも男から離れた。
「ここはエスタ大統領官邸って、さっきも言ったけど」
「さっき?」
「それも覚えてない? ちょうど8時間くらい前に一回目覚めてるんだよ、セフィロス」
「8時間」
そうだ。
さっき、一度目覚めた。
誰かに呼ばれて。
「そう──そうだったな」
「うん。それじゃ一応もう一回。ここはエスタっていう国の、大統領の家なんだ」
「大統領?」
その言葉の意味は分かる。国民から選挙で代表者として選ばれ、国の政治を行う役職のことだ。
だが。
「何故俺がそんなところに?」
自分の体が傷だらけだということは分かる。それなら、病院か診療所にでも連れていかれるものではないだろうか。
「倒れていたところをあたしが助けたから」
セルフィは聞かれたことにただ答えていく。だが、それが彼にとって求めている答でないことは明らかだ。
男は、順番に尋ねなおすことにした。
「聞き忘れていた。君は?」
「セルフィ。って、聞くの遅いぞ、セフィロス」
「すまない。それで、セルフィと大統領の関係は?」
「愛人」
セフィロスは目を丸くした。するとすぐにセルフィがくすくすと笑う。
「冗談。単なる協力者」
「なるほど。あまり聞かない方がよさそうだな」
相手のことを気遣ったつもりだったが、少しセルフィはむくれた顔をした。
「セフィロスだったら教えてあげてもいいのに」
「ほう、何故?」
「カッコよくて、あたしの好みだから」
今度は眉をひそめた。セルフィはやはり楽しそうに笑う。
「今度は本当だよ」
ようやく、セフィロスもその秀麗な顔に微笑を浮かべた。
「なるほど。エスタの大統領もカッコいい男というわけか」
「あったり〜。もう中年のおじさんのはずなんだけどね、すっごくカッコいいの〜。後で見せてあげる」
まるで珍獣のような扱いだな、と思って苦笑しそうになるが、堪えた。
「それで、俺はどうなる?」
「どうなる、って?」
「傷が癒えた時点で放り出されるのか、それとも今すぐに放り出されるのか、どちらだと聞いている」
「放り出したりなんてしないよ。ま、いつまでもいられても困るだろうけど。とにかくまずはゆっくりと養生しないと」
(──何故、俺を助けた?)
それを聞きたかった。
自分は助けてもらえるような善良な人間ではない。
罪深い、救われない生き物だ。
(何故、俺を)
だが、男はそれを聞けなかった。
聞くことすら、自分には許されていないような気がしていた。
「では一つ頼みがある」
「うん、何?」
「何か、食べるものがほしい。それと、水も」
「分かった。すぐに持ってくるね」
セルフィが出ていくと、男はゆっくりとベッドに倒れこんだ。
(……俺は……いったい、なんなんだ)
セフィロスはゆっくりと目を閉じた。眠りに落ちるまで、それほど時間はかからなかった。
ようやく、話すことができた。
銀色の妖精さん。セフィロス、綺麗な名前。
記憶がないっていうことだけど、それにしてはすごく落ちついていて、理知的。その裏に力強さもこもっていて、でも驚いた時の表情はすごく可愛い。
やだ……あたし……どきどきしてる。
だって、やっぱり思ったとおりすごくカッコいいんだもん、セフィロス……。
でも……。
うん、分かってる。カッコいいけど……でも、もしかしたら……。
異世界の住人だっていう可能性は、すごく高い……。この時期に、あんな通常では考えられない怪我をして、私たちと出会った……。
もしも異世界の住人だとしたら……。
いつかは、前の世界に帰らなければならない……。
分かってる、分かってるけど……。
24.紅と碧
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