愛しているよ、兄さん。
 兄さんはずっと、僕の憧れだった。
 ずっとずっと、兄さんだけを追いかけていた。
 兄さんは知らなかったかもしれないね。
 でも僕は、兄さんがいるということを知っていた。
 そう。最初から知っていたんだ。
 いつの日か、兄さんと戦う日が来るということを。
 ああ、心が震える。
 兄さんと戦えるこの日を、どれほど待ち望んでいたか!
 僕は、あなたを超える。それを証明するために。
 兄さん、あなたを、殺す。












PLUS.25

休戦







the curse






「まって」
 だがルージュの行動をリノアが制止する。
「ねえ、君、ブルーの弟なんでしょ? どうして、こんなことするの?」
 ナイフをつきつけられながらも、リノアは怯まずに尋ねる。だが、かえってきたのは耳元でのかすかな苦笑だけであった。
「兄さん。この女性は、いったい誰なんだい?」
 ブルーは背を向けたまま答えない。
「てっきりアセルスとばかり仲がいいものかと思っていたけど」
「アセルスは、関係ない」
 ルージュは「へえ」と答える。
「じゃあ、この女性は兄さんの恋人?」
「なっ、ち」
「違う。ただの仲間だ」
「仲間、ね」
 ルージュはくつくつと笑う。
「兄さんはいつも仲間を大切にしていたね。自分は一人だ、孤高だという態度を見せておきながら、自分と行動を共にするものを決して裏切らない。素晴らしいよ、兄さん」
「僕はそんな高尚な人間じゃない」
 ブルーは首を振る。
「お前と同じだ、ルージュ。仲間であっても自分のために利用する。お前と同じだ」
「じゃあ、この状況はいったい何?」
 ぴたり、とナイフをリノアの首筋にあててルージュが言う。リノアは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「彼女には手を出さない約束だろう?」
「もちろん。僕の望みは、兄さんを殺すことだからね……こんな回答でよかったかな」
 視線をリノアに送る。だが、それで納得ができるはずもなく、リノアはさらに続ける。
「……おかしいよ、そんなの」
「おかしくなんかないよ。僕らは、殺しあう宿命を背負っているのだからね」
 かまえるルージュの左手に、パリパリと、青白いプラズマが走る。
「そうだろう、兄さん」
「ああ」
「僕が兄さんを殺しても、文句は言わないよね?」
「やむをえないな」
「そんな、ブルー!」
「話はついたね」
 ルージュの紅い瞳が輝きを増した。
「さよなら、兄さん」
「待って、やめて!」
 だが、リノアの叫びもとどかず、プラズマはますます激しさを増していく。そして──
「──動くな」
 さらに、その背後。ルージュの後ろで声がした。
「誰──」
 振り返る間もなく、ぴたりとルージュの首筋にナイフがあてられていた。
「動くなと言ったぞ、と」
 レノ、であった。
 兄の、そしてリノアの会話に遮られ、ルージュはこの男が接近していたことに全く気づいていなかった。
 ──この二人は、レノの存在を知っていて時間かせぎを、そして自分の注意をそらせたのか?
 それは買いかぶりにすぎなかった。ブルーもリノアも、その体勢からルージュの背後を確認することは不可能だったからだ。
「また会ったな、と」
「お前、か」
 一度、セントラ大陸で見かけた男。
 わざわざ生かしておいたことが、まさかこういう形で報いを受けることになるとは。
「……レノ?」
 ブルーが状況を把握して振り返る。レノは目を合わせてにやりと笑った。
「ああ、すっかり忘れていた。ブルー、伝言がある。ルージュがまだ生きていると伝えてくれと言っていたぞ、と」
 遅い。
 そういうことは会ったその時に言ってもらわないと困る。
「この間はその妙な雰囲気にやられたが、今回は前もって心の準備ができているから、問題はないぞ、と」
「……僕を、どうするつもり?」
「とりあえずナイフを落として、リノアを放せ」
 ルージュは言われた通りに、ナイフを落として両手を上げた。リノアはブルーに駆けより、その背後に回る。
「ブルー。こいつはどうすればいい?」
「逃がして、かまわない」
 リノアもレノも、そしてルージュもブルーを見つめた。
「こうなったのは成り行きにすぎない。僕は、ルージュと決着をつけなければならない。だから、今は逃がしていい。いつか必ず決着をつける時が来る」
「助かるよ、兄さん」
 ルージュは勝ち誇ったように笑う。そのルージュをレノが小突いた。
「それじゃ、さっさと行くんだな、と」
 ルージュは憎しみのこもった目でレノを睨みつける。
「君を殺しておかなかったこと、後悔したよ。やっぱりあの時殺しておくんだった」
「後悔は先に立たないんだぞ、と」
 ルージュはレノをもう一度睨みつけると、ガーデンの屋上から飛び下りていった。リノアが悲鳴を上げたが、レノもブルーも冷静にそれを見つめていた。
「何者だ、あれは?」
「僕の、弟だ」
「兄弟喧嘩か?」
 ブルーは苦笑した。兄弟喧嘩。たしかに自分とルージュの関係は、それに近いものがある。少々物騒にすぎるが。
「いろいろあってね。リノアは大丈夫か?」
「あたしは平気。ちょっと驚いたけど」
「やれやれ、今日はどこに行っても落ちつける場所がないな。部屋に戻って寝ることにするぞ、と」
 レノはやれやれともう一度言って、屋上を後にした。
「そうだ、ブルー」
「なんだ?」
「スコールがガーデン内放送で、ブルーのこと呼んでいたよ」
「スコールが……分かった。すぐに行く」
「うん、私も一緒に行くね」






「ねえ、ブルー」
 隣を歩く端麗な顔だちをした青年に、リノアは話しかけた。
「なんだ?」
「さっきの、ルージュっていう人のことだけど」
「……」
「聞いてもいい?」
「断っても聞くつもりなんだろう?」
「へへ、あたり」
 リノアはぺろっと舌を出した。思わず、ブルーは苦笑する。
「弟さんだって言ってたけど」
「ああ」
「どうしてって聞いても、答えてくれる?」
「まあ、別に隠すようなことじゃない」
 ブルーはリノアの方を見もしないが、尋ねられたことには答えていった。
「あいつは僕と同じ場所で育った。でも、僕もあいつも、お互いの存在を知らされていなかった。呪われた双子、なんだそうだ」
「呪われた双子」
「双子はマジックキングダム、僕らが育ったところだけど、そこを崩壊に導く存在だとされた。どちらか1人が死ななければならなかった。そして命令がくだされた。もう1人の自分を殺すように、と」
「そんな……」
「もう1人の自分。双子の弟だからといって、別に面識があるわけでもなかった。相手を殺すことに、お互い躊躇することはなかった。僕らは、約束の場所で戦った。そして、僕がルージュを殺した、はずだった」
「ちょ、ちょっとまってよ!」
 リノアはたまらず叫んでいた。
「どうして、そんな命令を平然ときけるの? 弟なんでしょ?」
「弟には違いない。だが、だからといって仲良くしなければならないというわけでもないだろう」
「でも」
「僕たちに迷いはなかった。相手を殺すこと、それしか自分が生き残る道がないということを、知っていたからだ」
「ど、どうして」
「相手を殺さなければ、自分が殺される。相手にというわけではなく、マジックキングダムが僕らを生かしてはおかない。どうにしろ、どちからは死ぬしかない運命だった」
「……」
「僕らにとってマジックキングダムの命令は絶対だった。逆らえないんだ。仲間だろうと友人だろうと親兄弟であっても、命令があれば殺さなければならない。とはいえ、もうマジックキングダムは滅びた。命令が出ることは、もう二度とない」
「じゃあ、弟さんとも戦わなくてもいいんじゃないの?」
 ブルーの端正な顔は少しも変わらなかった。
「あとは、本人たちの問題だからな」
「それって、つまり」
「僕もルージュも、戦いをやめるつもりはない、ということ」
「どうして?」
 リノアには分からなかった。
 兄弟。親。家族。自分がどんなに望んでも手に入らなかったもの。
 仲間も恋人も、欲しいものは今、手の中にある。
 だが、家族だけは、どんなに望んでも手に入らない。
「どうして?」
「それは説明することはできない。説明してもきっと分かってもらえないし、多分本人たちにも、理解できてはいない」
 あえて言うのだとすれば、幼い頃から培われた義務感、であろう。
 失われたマジックキングダムの命令が今なお生き続けている。そして、心の底から、ルージュを倒せという意識がこみ上げてくる。
『あなたはそれを、運命だとでもいって逃げるつもり?』
 戦いの前夜、同行者から言われたことだ。
 だが、運命などという言葉を意識したことはブルー本人にはなかった。嘘だと思われたかもしれないが、自分はその言葉は好きではなかった。あくまでも命令に従っただけのことだし、それに、自分で選んだことだ。
 ルージュと戦い、倒すという道を。
 そして、ルージュもまた選んだのだ。自分と戦う道を。それだけははっきりと分かる。同じ血が流れているもう1人の自分だ。
 運命のように感じられるのは、お互い、幼い頃から相手を倒すということを知らず知らずのうちに内面化させられていたのだ、マジックキングダムから。
 そしてそれはもはや自分の一部となってしまっている。切り離すことができるものではない。
 今となっては、ルージュを倒さなければ自分が生きていくことはできない。そう考えさせられるほどに、相手の存在は自分にとって驚異となっている。それはルージュもまた同じこと。
(……そんなことを、どう説明すればいいんだ……)
 とても一言で言えるものではないし、いくら説明しても矛盾が次々に生まれてくるだけのことだ。
「……戦いを避けることはできないの?」
「できない。間違いなく」
「どうして、そう言い切れるの?」
「説明しても、分かってもらえるとは思えない」
 不安というのか、恐怖というのか、でもどちらでもない。
 ただ、ルージュが生きているという事実が、自分の心の中に大いなる焦燥を生み出している。落ちつかない。この動揺を治める方法は、たった1つしかない。
 ルージュを、殺すしか。
「行こう、リノア」
「ちょ、ちょっとブルー!」
 早足で急ぐブルーを、リノアはため息をついて追いかけていった。






26.核

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