すまない……。
 すまない……。
 すまない……。
 すまない……。
 すまない……。












PLUS.34

魂の彩







traitor






 リディアは、ゼロムスマインドの本体を打ち砕くと、ようやくカインの魂の核へと近づいていた。
(これが、カインの魂)
 召還士という職業柄、魂を視るということは何度も行ってきている。高潔な魂もあれば、歪み、腐ったものもある。
 多くは、いや誰もが、魂の奥底にさまざまな考え方を持っている。だから魂の色は揺らぎ、変化する。
 だが、これは。
(……たった1つのことしか、考えていない……)
 そう。
 ある意味、これほどに純粋な魂は見たことがない。
 単色で塗りつぶしたかのような純粋さ。
 それは、後悔の色。
 昏色にくすぶる、消えかけた炎。
 それが、カインの魂。
『すまない……
 すまない……
 すまない……
 すまない……
 すまない……』
 何に対して、誰に対して、謝っているというのか。
 だが、カインが生きていく上で、後悔と懺悔ということだけを頼りにしていたことは容易に予想がつく。
『すまない……
 すまない……
 すまない……
 すまない……
 すまない……』
(なんて、哀しい……)
 この魂に、自分の声が届くだろうか。
 だが、やるしかない。彼の帰還を待つ人たちが、現世には多くいるのだから。
(カイン)
 優しく呼びかける。僅かに、魂が震える。
(……戻ってきてくださ──)
 その瞬間。カインの魂に亀裂が走った。
(!)
 慌てて、距離を置く。目を見開いて、じっとその様子を見つめる。
 ……少しずつ、その亀裂は塞がれていき、やがて全く目には見えなくなった。
(なに、今のは……)
 交信を拒絶している。
 話しかけられることを拒否している。
 もし強引にこちらから声をかけようものなら、自らの魂を粉々にしようとすら考えている。
(……そんな……)
 これでは、声が届くか届かないかの問題ではない。
 彼は塞いでいるわけではない。全てのものを拒絶しているのだ。
 声をかけられるくらいなら消滅してしまった方がいいと考えているのだ。
(無理……だ……)
 自分の思いを伝えようとしても、それが届く前に魂が粉々に砕けてしまう。
(どうしようもない……!)
 こんな魂を元に戻すことは不可能だ。
 還魂の法とは分かりやすく説明すると、行き場を見失った魂に呼びかけて元の体へと戻すというものだ。
 だが、その呼びかけを拒絶されたのでは、魂を誘導することはできない。
(…………)
 カインは、壁を作っているわけではない。
 自らの殻の中に閉じこもって、外界との接触を拒否しているわけではない。
 外界から何らかの接触があるならば、生きることを放棄しようとしているのだ。
 己の殻に閉じこもっている方がどれほど楽だろう。それならばいくらでも語りかけることができる。罪悪感でも何でも和らげることができる。
 だが、話しかけることができない相手に、自分はいったいどうすればいいのか。
(……でも……)
 やるしかない。
 何とか相手の心を変化させて、こちらの話を聞いてもらわないことにはどうすることもできない。
(カイン。聞いてください)
 遠くから語りかける。魂は、それを接触とは判断しなかったのか、全く反応しない。
(私は恨んではいません。あなたのことを、恨んでなど)
 だが。
(!)
 その言葉に対しては過敏な反応を示した。先程は一筋の亀裂ですんだものが、今度は核全体にヒビが入る。あとほんの一押しで粉々にできるほどに。
(…………)
 今度は、なかなか復元しなかった。
(……どうして……)
 リディアには分からなかったかもしれない。
 カインは、誰かに許してもらうことを望んでいたのではない。かといって罰されることを望んでいたのでもない。
 ただ彼は、ひたすら自分を傷つけたがっている。
 罪も罰も、その判断基準は全て己の内にある。
 裏切ったことで自分を傷つけ、仲間を傷つけたことで自分を傷つけ……そうして、自分を痛めることしか考えていない。
 だからこそ、誰の声も届かず、誰の許しも必要はない。
 彼はただ、自分をのみ罰する。
 そうすることで、生きることを自らに許している。
 いや、そうして生きることこそ、自分に課した罰だと考えている。
 ……リディアには分からなかったかもしれない。
 人を裏切ったことのない、純粋な彼女には……。
『リディアさん』
 と、背後から声をかけられる。振り向くとそこには、レモン色の髪をした女性。
(イリーナさん)
『影がいなくなったからこっちに来てみました。随分、難敵ですね、あれ』
 イリーナは冗談を混じえていたのだろうが、リディアにはそれを笑う余裕がなかった。
(……あたしに、少しだけ任せてもらえますか?)
『イリーナさん?』
(あたしなら……カインさんの過去を知らないあたしなら、近づくこともできるんじゃないかと思うんですけど)
 一理ある。どのみち他に方法もないのだし、それも悪くはない。
 だがカインの魂を傷つけることはないだろうか。もちろん何をするにせよ危険はある。
 今の段階では、有効な手段は見つからない。それなら、多くの方法を試してみることも大事だ。
『……お願いします』
(任せてください)
 リディアは魂を確認し、復元が何とか完了したのを見計らって、イリーナに合図を出した。
『カインさん』
 イリーナが近づき、声をかける。今度は亀裂は起こらなかった。
『……聞こえてます? 何か、答えてくれると嬉しいんですけど』
 まだ反応はない。カインにこの声は届いているだろうか。
 届いているはずだ。自分のときはあれほどの影響があったのだ。誰が声をかけたとしても、カインはそれを全て聞いている。
『あたし、もっともっと、たくさんカインさんとお話したいです。だから、戻ってきてほしいんです。カインさんの傍にいたいから』
 魂が微かに震えたように、リディアには見えた。
『俺はそんな資格を持った人間じゃない、なんて言わないでくださいね。資格とかそういうのじゃなくて、あたしは、カインさんっていう人に傍にいてほしいだけなんですから。あたしのためだなんて言いません。でも、そうやってカインさんのことを待っている人がたくさんいるんです。だから、みんなのために、戻ってきてくれませんか?』
 確実に、声はカインに届いている。
 届いている。
 ──そのことが彼の逆鱗に触れたのかもしれない。
『だからカイ──っ!』
 リディアは目を見開いた。
 突如魂から突き出た槍が、イリーナの胸を貫いていた。
(そんな)
 たとえこの世界だからといって、いやこの世界だからこそ、魂を傷つけられて平気でいられるはずはない。
『カイ……ン……さ……』
 徐々に、その姿がぼやけていく。
(イリーナさん!)
 だがリディアの呼びかけもむなしく、人の形を保てなくなったイリーナの魂は光となって消えた。
(…………)
 それが何を意味しているか、リディアには分かった。
 イリーナの魂は大きな傷を受けたのだ。
 よくて植物人間。
 悪ければ──死。
(カイン……)
 どうして。
 どうしてそこまで人を拒むのか。
(……カイン)
 リディアは意を決して近づいた。
 それだけで、カインの魂は震えていた。
(何をそんなに怖れているの?)
 炎に、亀裂が走った。
(カインが過去にどんなことをしていたからって、そのことでみんなが、セシルやローザがあなたを見捨てたりすると本気で思っているの?)
 全身が、ヒビで覆われる。だが、リディアはそれでも語りかけることをやめなかった。
(あなたは仲間のことが信じられないの? それとも、私たちはあなたを仲間だと思っていたのに、あなたは私たちのことをそう思っていてはくれなかったの?)
 魂が、零れていく。破片になって、ぱらぱらと。
(だとしたら、あなたは最後まで私たちを裏切り続けたんだわ。仲間だと信じていたのに。裏切り者!)
 リディアは涙を流していた。
 それは偽らざる、彼女の本当の想いであったから。
 苦手な相手だったかもしれない、敬遠していたかもしれない。
 それでも、仲間だと思っていた。
 自分が苦しい時は助けてくれると信じていた。
 相手が苦しい時は必ず助けると誓っていた。
 そうではないのか。
 自分がそう思うほどに、カインはそう思ってはくれなかったのか。
(裏切り者!)
 カインの魂が、昏色の炎が壊れていく。
 だが、リディアは追及することをやめなかった。
 それでも助けられないのなら、彼のためにもその方がいい。
 リディアは、最後の一押しを、行った。
(裏切り者!)
 ──カインの魂が、砕けた。






35.闇よりの帰還

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