何故?
 私の心は届くことはないの?
 あなたは、私の仲間ではないの?
 私の心が届くことはないの?
 もう──
 私は、何も信じることができない。












PLUS.35

闇よりの帰還







I will your happiness






(……あ……)

 核が崩れ落ちる。
 だが、それで終わりではなかった。
 崩れ落ちた核の内側に、もう1つ発光する存在がある。
 それは、本当の核。
 カインの姿をした、金色の光。
(カイン……?)
『……リディア、すまない』
 今度こそ。
 今度こそ、ようやくカインの本当の心に触れることができた。
(カイン……)
 今まで核だと思われていたものは、外界とを遮断する壁にすぎなかった。
 魂だと見せかけておいて、それが崩れるという素振りを見せることで相手に近づかせまいとする、精神的な壁だったのだ。
 ──自分を、騙していたのだ。
(……ひどい)
『すまない、本当に。そして、お前の言葉はしっかりと届いた』
 カインの魂が、静かに揺れる。
『ありがとう』
(素直だね)
 精神の世界では、感情が直接伝わる。感謝の気持ち。それをカインが現世で表すことがどれだけ苦手だったとしても、ここでは簡単に、自然に表される。
(私、あの時のこと、カインを恨んでなんかいないよ)
『知っているつもりだった。でも、お前には負い目があった』
(うん。でも、もう気にしないで……って、カインじゃ無理かもしれないけど。私は、もう分かると思うけど、本当に気にしてないから。お母さんがいないことは悲しいけど、そのことで誰かを恨んだりしてないから)
『ああ。ただ残念で、後悔しているだけだ』
(カインの場合は、その後悔がよくないんだよ。少しくらい、吹っ切れてもいいのに)
 苦笑が耳に届く。それは無理だ、と心で伝わった。
(戻ろう、カイン。みんなが待ってるから)
 もう大丈夫だろうと思って、リディアは優しく語りかけた。だが、意外なほど、彼は頑固であった。
『それはできない』
 予想外の反応だった。リディアは次の言葉が出てこなかった。
 拒否されるとは思っていなかった。ここまで本心をさらけだして、それでもなお戻ることができないとはいったいどういうことなのか。
(どうして?)
『俺は……そうだな、現世でなら、生きる資格がない、とでも言うのかもしれない。そうじゃないんだ。俺は、生きたくない。生きることが辛い。苦痛でたまらない。だから戻りたくはない』
(そんな)
『俺の心、見ただろう?』
 リディアは頷く。
『ゼロムスと戦ってから、ずっとこういう環境で過ごしてきた。それがどれだけ辛いことか。いっそ狂うことができたら、死ぬことができたら、そう考えていた』
(そんな……嫌だよ、カインが死ぬなんて)
『都合よくといったら悲しむかな。こんな俺が誰かの命を助けて死ぬことができるんだ。少しくらいは罪滅ぼしができたと、そう思いたい』
(セシルとローザは、どうするの?)
『…………』
 さすがにその言葉は彼の根底と関わるものであるだけに、即答はなかった。
(カインが戻ってくるのを、2人とも待っているんだよ?)
『……そうだろうな』
 ゆらり、とカインの魂が揺れた。
(戴冠式の日、ずっと、ずっとセシルは待ってた。カインが来るのを。どれだけ寂しそうだったか、見せてあげたい)
 ずっと待っていた彼。
 来ることはないと分かっていながらも、それでも待ち続けた彼。
 セシルは知っていた。カインが来ることはないだろうということを。そしてその原因が自分にあるのだということも。
『すまない』
(謝るんだったら、直接セシルに言ってあげてよ)
 魂が、揺らいだ。
『……できない』
(カイン)
『俺がずっと抱きつづけてきた後悔の念、罪の意識は時間を追うごとに強まるばかりだ。いつかは2人のところに帰ろうと思っていた。だが、時がたつほどに、2人との距離は遠ざかる。どんなに前に進んでも、遠くなる。辛いんだ。帰る場所が、どんどん遠くなっていくことが、少しずつ小さく、見えなくなっていくことが』
(諦めるの?)
『そうかもしれない』
(2人はずっと待っているのに?)
『俺には、無理だ』
(無理なんかじゃないよ。自分に絶望しちゃ、駄目だよ)
『この世でもっとも信じることができない人間を信じろと?』
 自虐的な、微笑。
『その方が不可能だな』
(私は信じてる)
 真摯な瞳で、うったえかける。
(カインは、仲間のために努力する人だって)
『その仲間を裏切り続けたのは誰だ?』
(それはカインのせいなんかじゃない。それに、それはもう昔の話だよ)
『俺のせいだよ。誰もそれを知らなくても、俺が一番よくそのことを分かっている。それに、昔のことだからといって俺は自分のことを許せるような、そんな都合のいい人間じゃないんだ』
(そう言って、また裏切るの?)
『俺は、あの2人の傍にいない方がいいんだよ』
(……どうしてそう決めつけるの)
『たしかにそれが真実かどうかなんて、いや間違っているっていうことは薄々分かっているんだ。だが、俺があの2人の傍にいることは望ましくない。そのこともよく分かっているんだ』
 一般的な事実であっても、その人にとってはそうではないということ。
 その個人にだけ通用する、真実。
 カインはまさに、自分だけの真実を持っていた。
 それを説得することなど、不可能だ。そのことをリディアは知っている。
(……カインのこと、待ってるんだよ?)
『すまない』
(セシルやローザだけじゃない。感じる? ティナさんとエアリスさんが、カインのことを求めているのを)
 リディアは作戦を変えた。
 とにかく、カインに生きる意思を植えつけないかぎり、彼を救うことができない。
 どんな形でもかまわない。
 カインが生きたいと思ってくれるならば。
『……ああ、分かるよ』
 温もりが、2人を包んだ。
 優しさと、憂いとを含んだ、温もり。
(2人だけじゃないよ。私だってそう。私はもっとカインと話したい。今まで1回も、ちゃんと話したことがなかったから。それにイリーナさんだって、カインのことを待ってるよ、今でも。スコールさんもカインが死んですごく衝撃を受けてた。みんな、みんなカインのこと、待ってるんだから)
『すまない』
(みんなの気持ちを、裏切らないで)
 だが、それでもカインは頑として否定した。
『すまない。ティナには……俺はこうして死ぬことができてよかったと思っていると伝えてくれ。だから、君が負い目に思う必要はない、と。それからエアリスには……俺には代役は務まらないよ、と。イリーナには、すまない、と。傷つけたくはなかった。本当に、妹のように大切に思えていた、と。スコールか……あいつとはウマが合わなかったが、苦しんでくれたことには感謝していると伝えてくれ』
(……私は?)
 リディアは核に近づいた。
(私も、カインを待っているのに)
『……すまない』
(謝らないで。私、カインに謝ってほしいんじゃない。一緒に生きていてほしい。一緒に戦ってほしい。それだけなのに)
『すまない……俺さえいなければ、お前は、こんなに苦しまなくてすんだだろうに……』
(謝らないでって言ってるでしょう!)
 リディアは意を決して核に触れた。その瞬間、自分の魂が張り裂けそうな衝撃が走る。
『くうううっ』
 カインもまた、苦痛を表していた。魂同士が触れ合うということ。それがどれだけ苦痛を伴うかということをリディアはよく知っていた。それでもなお接触を試みた。
 カインに、自分の苦しみを知ってほしかったから。
(……私の苦しみが、分かる?)
『……ああ』
(私、謝ってなんかほしくない。本当に悪いと思っているんだったら、責任をとって。ずっと傍にいて。一緒に戦って!)
『…………』
 あと一歩だ。
 あと一押しで、カインは考えを変える。
(カインと、一緒にいたいから……)
 それはまぎれもない真実。
 戦友として、そして1つの惨劇の記憶を共有する仲間として……。
 リディアは、カインに傍にいてほしかった。
 だが。
『すまない』
 駄目だった。
 カインの心は、変わらない。
 何があっても、この心を変化させることは、できない。
(……どうして……)
『俺は生きていたくない。生きることに希望を見いだせない。生きていても幸せになることができない。幸せになりたくないから……ローザのいないところで幸せになりたいとは思えないから。そして不幸にもなりたくない。こんなことで……こんなことで、生きてはいられない』
(カイン……)
『死んだ方が楽なんだ……すまない』
(嫌……)
 リディアは苦痛にたえ、その核にしがみつく。衝撃はさらに増し、自らの形を保つことも難しくなる。
(いやだ。カインが死ぬなんて、嫌だ!)
『リディア……』
(いやだ、いやだ、いやだ、いやだ! 死なないで、生きていて、カイン!)
『……すまない……』
 声が、届かない。
 言葉が、響かない。
 カインはもう、生きることを諦めてしまっている……。
(いやだ……いやだよお……)
 リディアが涙を流したその時、
(……え……)
 それは、奇跡、だったのだろうか──?
 2人の間に、女神が、降臨した。
 金色の髪を豊かに波うたせ、優しい慈愛の笑みをたたえた女性。
『……ローザ……』
 2人がよく見知った、優しい白魔導士の姿が、そこにあった。
「カイン」
 声が直接響いた。
(……ローザ……?)
 ローザは、自分を見ていない。ただカインだけを見ている。
(いったい、どうして?)
 ローザがここにいるはずがない。
 彼女は今でも元の世界にいるはずだ。カインの危険を知ってすらいないはずだ。それなのにここにいる──いや、違う。
(これは、まさか)
 リディアは息をのんで核から離れた。
「カイン」
 か細い声が耳に届く。
『……ローザ、どうして……』
 ローザはゆっくりと近づき、右手でカインの核に触れる。
(やっぱり)
 あれは、ローザじゃない。
 カインが作りだした、幻影。
 それは、カインの心の中に住む、たった1つの正の感情。
 愛。
『ローザ……幸せか?』
 微笑んで、頷く。
『そうか……よかった』
「カイン」
 ローザは、その核を抱きしめた。
「あなたも、幸せに……」
 そして、ゆっくりと溶けて──消えた。
『……ローザ……』
 カインは、まだそこにローザがいるかのように語りかけた。
『お前は、まだそんなことを言うのか……』
 明らかに雰囲気が変わっていた。
 彼にとって唯一の女性が、彼を変化させていたのだ。
『……幸せか……幸せに、なれるのか、俺が……? そうだな、お前はなれると言った。それならば、それを信じて──お前を信じて生きてみるのも、悪くはない……』


















 リディアは、絶望した。






36.苦痛

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