死ななければいけない理由など、ない。
 誰かに死ぬように命令することは、できない。
 俺はもう、何もすることができない。
 何も考えたくない。
 こうして、剣を振るっているときだけは、安心することができる。
 何も考えずに、戦ってだけいられる。
 自分はどうにも、心の弱い人間だったらしい。












PLUS.37

揺れる宿星







trigger for...






「スコールがいない?」
 リノアは執務室に戻ると意外な報告を聞いて戸惑った。
「いない、というのはどういうことだ」
 一緒に戻ってきていたブルーが尋ねる。
「いろいろあって、飛び出していったのよ。それで……落ちついて聞いてね、リノア」
 キスティスは沈鬱な表情で言った。
「アーヴァインが、死んだわ」
 それを聞いても、最初リノアは何を言われているのかよく理解できなかった。
 キスティスが、何かを言ったのは分かる。
 だが、その意味が分からなかったのだ。
「アーヴァインが、死んだわ」
 もう一度繰り返されて、ようやくリノアの内部にその意味が浸透しはじめた。
 アーヴァインが、死んだ。
「う、そ……」
 リノアの顔色が、みるみるうちにその服の色ほどに変わっていく。
 一瞬、何か自分を騙しているのではないか、ともリノアは思った。
 だがキスティスの表情が、真実であるということを告げていた。
 次第に体が震え始め、実感というものがこみあげてきた。
「本当よ。さっき、副官のヴァルツから連絡が入ったわ。今日、明日中にこの事実を公表することになると思うけど、それまではこのことは伏せておいて」
 リノアは頷こうとしたが、震えてしまっていてキスティスには伝わらなかった。
「アーヴァイン。あの背の高い男か」
 ブルーが慰めるかのように、リノアの肩に手を置いた。
「……気の毒に」
「…………」
 だが、リノアの動揺はそれほど長続きしたわけではなかった。
 アーヴァインの死を見たわけでもない。その様子を聞いているわけでもない。
 ただ、死んだと言われただけで、それ以上のことは何も知らされていない。
 だからこそ、それを実感することができなかった。
(……死んじゃったんだ、アーヴァイン)
 何故死んだのか。
 どうやって死んだのか。
 それすら分からずに、また一人、知っているものがこの世から姿を消した。
「……ありがとう、ブルー。大丈夫」
 震えは少しだけ残っていた。それを押さえつけるかのように、肩におかれた手に自らの手を乗せる。
「……スコールはそれで飛び出していっちゃったのね」
「ええ。いろいろと相談したいこともあるんだけれど……」
「私、探してくる」
「お願い、リノア」
 まかせておいて、と一言残すとリノアは単独で執務室を出ていった。
 それを見送ったブルーが、慎重にキスティスに話し掛けた。
「先程の話を聞いていて、少し気になったことがあるのだが」
「なにかしら」
「それほど、ひどい状況だったのか?」
 キスティスがあえて現場の状況を伝えなかったことの意味を、ブルーは推察していたのだ。
「……これは、ガーデンの問題だから」
 キスティスはそう言い、情報の流出を避けた。キスティスもシュウも、たとえ仲間とはいえ、これ以上この悲劇についての内容を漏らすことをよしとしていなかった。
(ガーデンの問題、か)
 そうキスティスが言う以上、トラビアで何か問題があったとしか考えられない。
 その情報を伏せておくつもりなのか。確かに自分たちにとってみればガーデンがどうなろうと、結局はどうだっていい。
(だが、お互いに協力する体勢を整えなければならないときに、その態度はまずいな)
 ブルーは思ったことをあえて言わなかった。彼女に言っても仕方の無いことだろうと判断したからだ。
 全ては、リーダーとなる人物が決めることなのだ。
(スコールか……彼にはたして、リーダーたる資格があるかどうか)
 それすら、ブルーは疑問視していた。






 リディアは訓練施設に入り込んでいた。別に訓練がしたかったわけではない。悪くいえば、憂さを晴らすことができる場所であるということ、そして他に誰もいないので一人で落ち着くことができる場所であるということから、彼女はそこに入り込んでいたのだ。
(だいっきらい……)
 自分の手が届かないということ。
 自分の方を見てもくれないということ。
 彼の心はただ、たった1人の女性にしか向けられていないということ。
(……もう、いや!)
 現れてくる雑魚モンスターを、黒魔法の一撃で葬る。
「はあ、はあ、はあ」
 当然、モンスターをいくら倒したところで彼女の機嫌がよくなるわけではなかった。それどころか自分が弱いものに当り散らしているようで(事実そのとおりなのだが)、余計に自分に腹が立っていた。
 彼女の気持ちは、決してカインに対する軽蔑だとか怒りというわけではなかった。
 己に対する無力感の裏返し。
 そのことが、彼女に八つ当たりという行動をさせていたのだ。
 自分ではカインを変えられなかった。あの場にいなかったローザにしか、それがかなわなかったのだ。
 自分を疎んだとしても仕方がなかっただろう。
「はあ、はあ……」
 気がつくと、自分のいる場所がわからなくなっていた。
 ただただ何かに当たりたくてモンスターを倒しつづけてきたが、意外にこの中は広かったらしい。現在位置を見失っていた。
 ようやく少し落ち着きを取り戻すと、今度はゆっくりと周りを眺めた。
「……カイン……」
 だいたい。
 今、彼のことを心配していたのはローザではなく、自分やティナ、エアリスであったはずなのに、その彼女たちを無視して自分の中に住む幻想によって改心するとは、いったいどういうことなのか。
 自分はともかく、心から彼の帰還を願っていたティナやエアリスの気持ちを考えると、いたたまれない。
「……そうじゃない……」
 それは言い訳にすぎない。
 何よりも自分が、あのカインという人物に、傍にいてほしかったのだ。別に恋愛の対象というわけではない。仲間として。頼れる、信頼できる相手として。
 それをカインは拒否した。
 自分がカインにとって、信頼できるパートナーにはなれなかった。
 それが、何よりも悲しくて、悔しい。
「傍に……」
 誰か、傍にいてほしい。
 このどうしようもない無力感から解放してほしい。
 ふと、故郷を思い浮かべた。
 そこには、今でも彼女の帰りを待っているはずの人物がいる。
 リディアは、その場に座り込んだ。
 そして、呟いた。
「今頃、何やってるのかな」
 お前以上にイイ女はいねえよ、と言ってくれた彼。
 少し軽薄で、綺麗な女の人を見るたびに追いかけていたが、結局自分のことを一番に考えていてくれた彼。
 その彼の誘いを断って、自分は幻獣界へと戻った。
 ……もう、彼のところに戻ることは、できない。
 その、瞬間だった。
 耳をつんざくような唸り声とともに、一体のモンスターが背後から突進してくる。
 ──アルケオダイノス。
 それは他の雑魚モンスターとは異なり、敵から『逃げる』ための訓練に使用されているモンスターだ。その力は当然、格段に強い。
「くっ」
 無駄に強力な魔法を使って雑魚モンスターを倒していたために、いざ強敵が現れたときに咄嗟に対応できるほど精神力が残っていない。
「どけっ!」
 鋭い声がする。そして、自分とモンスターの間に誰かが割って入ってくる。
「エッジ?」
 思わずその名前を口にする。が、そこにいたのはもちろん彼ではなかった。
 振り下ろされてくる右前足を、手のガンブレードで容易く斬り落とす。
 そして、天に舞った。
「死ねっ!」
 かかげた剣から闘気を発しつつ振り下ろし、アルケオダイノスを一刀両断にする。
(……スコール、さん)
 倒れたアルケオダイノスを見下ろしながら、彼は呼吸を必死に整えていた。
 その呼吸量からして、彼がたった今ここに到着したというわけでないことは想像がついた。おそらくこの訓練施設で、ずっと敵と戦っていたのだろう。
 だがそれを見ながら、リディアは全く関係のないことを思い出していた。
 あの日。
 村が真っ赤に染まったあの日、自分の前に現れた二人の男性。
 それは決して、自分を助けにきたものではなかったのだということを。
「何をしている」
 スコールは振り向いて尋ねてきた。その声は冷たかった。いつもの彼らしい言葉ではない。
「スコールさんこそ、何をしているんですか」
 そして自分の声もまた冷たいものだった。相手に気づかわれたくなかったし、正直助けてもらったことも不満といえば不満だった。
「ここは危険だ」
「そんなことは分かっています」
「なら、どうして」
「いてはいけないのですか」
 お互いに挑戦的だった。視線を合わせて、まるで外そうとしない。
 やがて折れたのはスコールの方だった。
「こっちだ」
 出口を言われているのかと思って過敏に反応する。だが、スコールは構わずにそちらへ向かって歩いていく。
 リディアはどうするか悩んだが、結局あとについていった。
 少し進んだ先に、階段と扉があって、スコールはその先へと入っていく。
 何も言わずに、リディアもついていった。
 その先は、何故か空気がひんやりとしていた。
 訓練施設全体を見渡すことができる塔のような場所で、灯りが置かれておらず薄暗い。訓練施設内部にある灯りがぽつぽつと見えて、夜景のような趣を出している。
「ここは?」
 黙って訓練施設を眺めるスコールの背中に向かって、リディアが問い掛ける。
「秘密の場所。夜になると逢引するカップルでいっぱいになるところだ。昼の間は誰もいないが」
「ふうん」
 なるほど、とリディアは冷めた気持ちで納得する。たしかにここから眺める景色は悪くない。
 ただ、今の自分の心境が最悪だから、何を見ても心は晴れない。
「カイン、無事に戻ってきた」
 スコールの肩が、ぴくりとだけ反応した。
「そうか」
「でも……私、何の力にもなれなかった。自分はもっといろんなことができると思ってたのに……やっぱり、私は何もできないみたい」
「生きているのなら、それにこしたことはない」
 そうかもしれない。
 でも、この拭いようのない虚脱感と敗北感と絶望感と無力感はなんなのだろう。
 自分ならカインを救えるとでも思っていたのだろうか。
 少しはそういう気持ちもあった。あの幼かったころの悲劇。それを完全にカインの中で払拭させることができたのなら、生きる希望が出てくるのではないかと思っていた。
 それを完全に覆された。
 結局、自分のことはカインの中では『ほんの一部』でしかなかったのだ。彼が受けている苦痛の、わずかな部分にすぎない。
 彼が悩んでいるのはあくまでローザのことであり、親友を裏切ったということなのだから。
「生きているのなら、それにこしたことはない」
 顔だけ、スコールが振り向く。
 無表情だった。
 ただ、泣いていた。心が。
「……どう、したんですか」
 自分のことは忘れて、尋ねていた。
「仲間が、死んだ」
 スコールの言葉に、リディアは何も答えることができなかった。
「大切な仲間だった。それなのに……」
 その気持ちは、分かる。
 死んでもいい人など、いない。それなのに命が奪われていくのが戦いだ。
 戦場にいれば、そのことがよく分かる。
「でも、それだけじゃないんだ」
 スコールが静かに言った。そして、振り向く。
 リディアは、彼の瞳をじっと見つめた。
「……そうですか」
 何か、伝わるような気がした。
 彼がいったい、何に悩んでいるのかが。
「私は、スコールさんがなさりたいようにするのが、一番だと思います」
「自分が……」
「そうすることでスコールさんが落ち着けるのなら」
 自分も、同じことを考えるかもしれない。
 自分が本当に、何の価値も持たない存在ならば。
 ただ自分は選ばれた『代表者』であり、そして召喚獣を使役することができるという立場だ。せめて力だけでも必要とされているのなら。
「スコール!」
 声が聞こえてきた。後ろから、リノアが駆け寄ってくる。
「……恋人さんが来たようです」
「……」
「スコールさんがどうなさっても、私は責めません。それがスコールさんの選択ですから」
 リディアは最後にそう言って振り返った。
「でも」
 そのまま、相手を見ずに呟く。
「私は、スコールさんがいなくなるのは少し寂しいです」
 自分にとっても、数少ない落ち着ける場所。
 それがいなくなるのは、悲しい。
「……ここ、気に入りました。また使わせていただきます」
 そう言って、リノアとすれ違い、リディアは戻っていく。
 今は、いい。
 まだ自分の力は必要とされている。それならば、自分の力の及ぶかぎり、精一杯努力してみよう。






「スコール……」
 一方、残されたスコールはリノアがやってきたことで明らかに不機嫌になっていた。
 彼女が嫌だというわけではない。彼女が近くに来ることで、さまざまなしがらみが自分を縛り付けることが嫌だったのだ。
 リノアが自分に何を言いにきたのかはもう分かっている。アーヴァインのことであり、そしてこれからのガーデンのことだ。
 もうそんな話は、したくない。
「スコール!」
 リノアは近づいてその顔を覗き込み、怯んだ。
 スコールが、泣いている。涙こそ流していないものの、心が泣いている。それが分かった。
「……」
 スコールは何も言わず、そっぽを向く。
「俺に、かまうな」
 そのまま柵に体を預ける。
 何も見たくなかった。何も聞きたくなかった。
 何も考えずにいられるこの誰もいない世界に溶け込みたかった。
「スコール。みんな、上で待ってるよ。今後の方針とか話し合いたいって」
「キスティスとシュウに任せる」
「スコールはリーダーでしょ? 2人だって、苦しいけどがんばってるんだよ?」
「すまない」
 リノアはゆっくりと近づくと、スコールの背中に抱きついた。
「……辛いよね」
 リノアは優しく声をかける。
「でも、それに負けてたら駄目だよ。大事な人は、いつかはいなくなる。でも、それをなくすために戦っているんでしょ?」
「放っておいてくれ」
「スコール」
「アーヴァインのことだけじゃないんだ」
 スコールはリノアの顔を見ないようにして言う。
「もう、嫌になってきたんだ。リーダーだから責任があるとか、いろんなことを考えたり行動しなきゃならないっていうことが。もともと自分で望んだことじゃないのに、どうしてって……」
「スコール……」
「リディアが言ってくれたんだ。辛かったら逃げてもいい。それで後悔しないんだったら……」
「逃げたいの?」
 スコールは返答にためらった。
 正直なところ、逃げたいというのは本心だ。だが、逆にここにいたいという気持ちもまたある。特にアーヴァインのようなことがあると、自分だけ逃げようとは思えなくなってしまう。
 だが、自分の決断で誰かの命が失われるかもしれないと思うと何も命令できなくなる。
 アーヴァインにトラビアに行くように命令したのは、自分なのだから。
「スコール。誰もスコールのこと、恨んだりしてないよ」
 それを察したかのようにリノアが声をかける。
「アーヴァインだってそうだよ。スコールのことが好きだから、みんなスコールのために何とかしてあげようって思う。だから気にしなくたっていいんだよ」
「分かってる」
 スコールはゆっくりとリノアを自分から離した。
「分かってる。逃げられないっていうことも……」
 逃げるだけの勇気がないということも。
「……執務室に行けばいいのか?」
「あ、うん……スコール」
「1人でいい……1人で行かせてくれ」
 スコールはリノアを振り切るように秘密の場所を出た。
 リノアに追い詰められているような、そんな感じがしたから。






38.禁断の軌跡

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