……どうする?
 もう、時間がない。
 出発してしまってからでは遅い。
 俺は。
 俺は、逃げたい。
 全てを捨てて。
 何も省みず。
 恥も知らずに。
 責任も放り投げ。
 俺は。
『安らげる場所へ……』












PLUS.40

分岐点







ramification point






『連絡します。キスティス、リノア、ニーダは至急、執務室まで来てください。繰り返します。キスティス、リノア、ニーダは至急……』
 シュウの声で、ガーデン内に放送がかかったのは朝日が昇ったのとほとんど同時であった。
 リノアはいったい何事かと思い、執務室へと走る。放送よりも早く起きて準備していたので、すぐに行動することができた。
 だが、執務室に着いたのは3人の中でもっとも遅かった。
「どうしたの?」
 中には、放送で呼ばれたキスティスにニーダ、それにシュウとブルーがいた。
 そこにスコールがいないということで、ある程度状況を察した。
「スコールがいなくなったわ」
 予想どおりの返答であったが、その言葉はリノアに衝撃を与えた。
「どうして」
「そんなの、スコールに聞かなければ分からないわよ」
 キスティスが苛立ちを押さえられずに吐き捨てた。
 ニーダは動揺を隠し切れずに頭を押さえている。
 ブルーは冷静にこの様子を見つめている。
 シュウも最初に知らされたことで既にある程度落ち着きを取り戻しているようだが、それでもどこかそわそわしていた。
「アーヴァインのことが、そんなに堪えたのかな……」
「僕が思うに、それだけじゃないな」
 ブルーが言った。
「あいつは逃げだしたんだろう」
「逃げた?」
「そう。ガーデンのリーダーとしての責任や、仲間を守らなければならないという重圧から。あいつはうまくいっているときならともかく、仲間の死に耐えられるような神経の太い男じゃなかった」
「知ったようなことを言わないでよ!」
 声を上げたのはキスティスだったが、ブルーは平然としたものだった。
「知ったような、か。君たちこそ、彼のことをどこまで知っているんだい?」
 薄い氷色の目に射すくめられ、キスティスは返答できなかった。
「彼の心は硝子細工のように脆いものだった。立て続けの人の死は、彼にとっては立ち直ることができないほどのものだった。無理に責任を押しつけようものなら、壊れてしまいかねないほどに。だが」
 キスティスとリノアは俯いた。
「君たちは、彼にさらに過酷なことを強いた。仲間であることもリーダーであることも放棄したくなったとして、不思議なことはないだろう。彼は、君たちから逃げだしたんだ。苦労や困難だけならば彼はいくらでもかってでただろう。だが、それを押しつけられたくはなかったんだ。その気持ちを、君たちは分かってあげられなかった」
「そんな」
「その彼の気持ちが分かったから、彼が出ていくのを止めなかった。止めたら、彼が壊れてしまいそうだったからね」
 シュウが立ち上がり、怒鳴った。
「じゃああなた、スコールが出ていくところを」
「ああ、見送った」
「なんで引き止めてくれなかったの!」
「スコールが壊れてもいいというのならそうしたさ」
 ブルーには悪びれたところはどこにもなかった。
「スコールは、いつ」
「夜明け前。だから、まだF・Hにはいるだろうな」
「すぐに探しに行きましょう」
 キスティスがそう言い、リノアが頷く。だが。
「待てっ!」
 ブルーの声が二人の行動を制止させた。
「あなたにどうこう言われる問題じゃないわ」
「分かっている。最終的には君たちの問題だ。だが、一つだけ言わせてもらう。君たちは、彼にまだ無理を強いるつもりなのか」
 誰も、何も答えなかった。
「1度逃げたという事実は彼の心の中に大きな負い目となるだろう。このまま逃がしてやる方が彼にとっては気が楽に違いない。それを無理やり引き戻したらどうなるか、考えてみることだ」
 おそらくスコールは、全ての職務を放棄するだろう。リーダーであることはもとより、SEEDとしての職務も、ガーデンのメンバーとしての立場も全て。
 彼は仲間と立場と、全てのものを捨てたのだから。
「連れ戻すのは君たちの勝手だ。だが、それが連れ戻さない以上の苦難を背負うことを覚えておいた方がいい」
 そう言い残して、ブルーは立ち去った。
(これでよかったのかい、スコール)






「どうする?」
 たっぷり1分以上が経過してから、最初に口を開いたのはシュウであった。
「どうもこうもないわ。スコールを追いましょう」
 キスティスの意見に、だが待ったをかけたのはリノアであった。
「待って、キスティス」
「どうしたの、リノア」
「このまま、行かせてあげた方が、スコールのためにはいいのかもしれない」
「ちょっ、どうしたの、リノア!」
 リノアは顔を上げられなかった。
 責められていることが分かる。責められている理由も分かる。
「スコールがそれを選んだのだとしたら、私たちは止めるべきじゃない」
「あなた、何を言ったのか、自覚あるの?」
 キスティスはリノアに近づいて、その肩を押さえつけた。
「つっ」
「リノア。あなた、どういうつもり?」
「どういう」
「あなた、スコールにとっての自分の役割が分かっていないんじゃないの?」
「役割?」
「そうよ。あなたは、スコールにとってたった一人の、誰よりも大切な相手でしょう。それが何故だか、考えたことはあるの?」
「キスティス、痛い」
「あなたがスコールに何をしてあげていたか、それが分かっていないの? 忘れてしまったの?」
「キスティス」
 声をかけたのはシュウであった。
「落ちついて。あなたらしくないわよ」
「シュウ」
 キスティスも自分が冷静でないことは分かっていた。スコールが自分たちを見捨てていったこと。それが自分にどれだけ衝撃を与えていたか。
 ただ、リノアにはスコールを諦めてほしくなかった。
 リノアは絶対に諦めない人物だと疑ってもみなかったから。
「ごめんなさい」
 キスティスは一息ついて、腰に手を置いた。
「シュウ。あなたがリーダー代理をしてくれないかしら」
「私が?」
 シュウは驚いて聞き返した。
「あなたが行うべきではなくて?」
「別に押しつけるつもりはないわ。どちらが行うにしても、どちらかが補佐をするのは当然だしね。ただ、私があちこち立ち回らなければならなくなる分、シュウがガーデン内のことを取り仕切ってくれた方が助かるわ」
「了解したわ。それじゃあ、スコールのことは」
「仕方がないわね。放っておきましょう」
 一度落ちついてしまうと、キスティスは冷めたものであった。
「キスティス」
「リノア。これはガーデンのことだから、あなたには関係のないことよ。文句があるなら、一人でスコールを探しに行ったらどう?」
 厳しい口調であったが、その奥に優しさが感じられた。
 何を言わんとしているのかは、明白であった。
(スコール)
 行くべきなのか、行くべきではないのか。
 だが、ここで一人で行かせてしまうのは。
(やっぱり、誰かが傍にいてあげないと)
 リノアは自分の両頬を叩いた。
「分かった」
「スコールのことは任せるわ。戻るつもりがあるならバラムか、そうでなければ各地のガーデンに立ち寄って」
「うん。ありがとうキスティス」
 リノアは駆け去った。シュウはそれを見て肩を竦める。
「優しいとこあるじゃない」
「いつもリノアには厳しくしてるから、たまにはね」
「スコールとリノア、二人が一気にいなくなって寂しくなるわね」
「アーヴァインもよ」
「そうね」
 暫く黙り込んでいた二人であったが、気がついたように残っていたニーダに向かって言った。
「ニーダ。白いSEEDの船へ行ってきてくれるかしら」
「え? あ、は、はい」
「シド学園長に、事態の経過を知らせて、私とシュウの二人で暫くの間ガーデンを運営すると伝えて」
「分かりました」
 ニーダもまたかなり動揺していたようであったが、キスティスやリノアに比べたら微々たるものであっただろう。命令を受けて、すぐに行動を開始した。
「……それにしても、ね」
 キスティスは大きなため息をついた。
(スコールがいなくなったのは、大きいわ)
 ガーデンの運営だけではない。異世界の人物たちを取りまとめ、指針を選択し、行動してこれたのは全てスコールのおかげだった。
(私たちに、それができるかしら?)






 バラム・ガーデンが出発する。
 その中にリーダーを乗せないままに。
「よかったの、スコール?」
 スコールは、そこにいた。
 二人の、思い出の場所に。
「ああ」
 リノアが来ても、スコールは少しも身動きしなかった。
「懐かしいよね、ここ」
 スコールの隣に、リノアは腰掛けた。
「そうだな。リノアならここに来るかもしれないと思っていた」
「来たら、どうするつもりだったの?」
「さあ」
 スコールはぼんやりと遠ざかるガーデンを見つめた。
「連れ戻してほしかったのかもしれないな」
「帰りたいのと、逃げたいのと、半々?」
「ああ」
「今日は随分素直だね」
 スコールは大地に背を預けた。
 青い空が、限りなく広がっている。
「もう、ポーズをつける必要もないからな」
「それは、私と一緒にいるから?」
 リノアも寝ころがって、スコールの肩に頭を乗せた。
「いや」
「なんだあ、違うの?」
「最近リノアと一緒にいるのが煩わしかった」
「だと思った。一人でいる方が気が楽だったでしょ」
「否定はしない」
「怒ってるんだぞ」
「仕方がないな」
「もう!」
 リノアは怒った口調だったが、笑いがもれていたので全く怖くなかった。
 これだけ素直に何でも話してくれるようになったことが嬉しかったのかもしれない。
「私のこと、スキ?」
「嫌いじゃない」
「この間は好きだって言ってくれたよね。それともあれは、自分にそうだって言い聞かせていただけ?」
「そうかもしれない」
「ふむ。好きになろうとしてはくれてるんだ」
 リノアはそう呟いて、うーん、とうなる。
「リノア?」
「ま、今はそれでいいか。それで、これからどうする?」
「これからか。そうだな、今はゆっくり休みたい」
「うん。そうだね。ゆっくり休んで、それから考えようか。時間はまだまだ、たっぷりとあるからね」
 リノアはそう言うとスコールに抱きついて目を閉じた。
 スコールもリノアの頭を抱いて、目を閉じた。
(これからか……)
 これからどうするのか。
 自分はどうしたいのか。
 ただ、分かることは一つ。
(もう、ガーデンには戻れないだろうな)
 だが何をするにしても、生きていくだけならできる。
 今はしばらく休んで、それからどう生きるか考えよう。






41.責任ある立場

もどる