何も、できなかった。
今まで自分は、誰かのために生きていると思っていた。
誰かを助けることができると思っていた。
でも、そうではなかった。
カインを助けることができなかった。自分が何度呼びかけてもカインは耳を貸さなかった。
エデンを倒すことができなかった。どれだけ強大な魔法を使ってもエデンは揺らがなかった。
自分は、こんなにも無力だ。
「どうして、私はこんなに弱いのだろう……」
PLUS.51
魂の揺らぎ
go for a kip
「ブルー。体の方は大丈夫か」
ブルーはカドワキの治療を受けている途中であった。傷口は塞がっていたのだが、若干化膿していたというので、その部分の治療であった。
「ああ。今治療も終わるところだ」
先程までアセルスのことで必死になっていた表情とはうってかわって、いつもの冷静な無表情に戻っていた。
「それで、僕に何か用かい?」
「アセルスのことで、いろいろと話を聞きたくてな」
「半妖、のことかい?」
さすがに頭脳は冴え渡っている。半妖というものがどういうものか、誰でもそれは気になる。だがカインがここで気になっていたのは別のことだった。
「まあその話には違いないが、ブルーの考えていることとは多分違うと思う」
「というと?」
「半妖から人間に戻るには、いったいどうすればいいのか、その方法を聞きたい。それ以前にその方法が本当にあるのかどうか、という問題もあるがな」
ブルーの気配が緊張を帯びた。
「僕だけではなく、アセルスのことまで調べてどうするつもりだい?」
「協力できることがあるなら協力する。それだけのことだ」
「そんなことをしてもらう理由がない」
「リーダー、という奴は結構やっかいな身分でな。俺の友人を見ていて心からそう思ったものだ。仲間のために命を捨てる覚悟を持たなければならない、というのが中でも最も大変なところだ」
「君は僕たちのために命をかけるつもりなのか?」
「命と、それに心をな。俺でできることならば何でもするつもりだ」
ブルーは動揺を顔に出していた。ここまで協力的な態度を取るとは予想していなかったのだろう。
「何故、そこまで?」
「お前たちを見ていると、昔の友人を思い出すのでな」
それだけで、何となくカインの気持ちを察したのかブルーはため息をついて語りだした。
「正直なところ、アセルスが本当に人間に戻れるかは五分五分といったところだ。それは本人にも話してある」
「俺は思うのだが、ブルー。酒とジュースを混ぜることは誰にでもできる。だが、そこからジュースだけを取り出すというのは不可能なことではないのか?」
「違わない。君の言うことは正しい。僕らがやろうとしていることは、アセルスが元の人間に戻ること、じゃないんだ。今の半妖という存在を捨てて、別の人間の器を手に入れること。つまり人間に戻るのではなく、新しい人間になること、なんだ」
カインは頷いた。それならば納得がいく。
「その方法とは?」
「何種類かの力ある存在を、彼女の妖剣に封じ込ませ、その力を持って半妖の血を洗い流す。その上で人間の血をそこに注入する。それが考えうる最良の策だ」
「危険ではないのか?」
「妖剣に封じ込ませることができるかどうかで半々、その後で人間になれるかどうかで半々、つまりだいたい25%の確率で人間に戻ることができる」
「では、その力ある存在というのは?」
「簡単に力ある存在といっても、ただ単に強ければいいというものではない。いろいろと条件があるんだ。それに合致しているかどうかが問題となる。その条件というのは、妖魔の君オルロワージュの力を打ち消すものであるということ」
「妖魔とは違う力、ということか。それでいて妖魔の君をしのぐ程の力でなければならない。なるほど、エデンはまさに理想的というわけか。幻獣であるから妖魔とは全く違うし、それでいてその力はあまりに強大だ」
「確認はしていないけど、アセルスは多分エデンを捕らえるためにここに来たんだ。ヴァジュイールに助けてもらってね」
「なるほど」
カインは苦笑した。
「……どうかしたのか?」
「いや、仲がいいのだなと思っただけだ」
この二人は、互いのことを理解しあい、信頼しあっている。最良のパートナーだろう。
「誤解していないか?」
「誤解?」
「僕らは別に、そういう関係じゃない」
年相応、とはいえなかっただろう。ブルーは今年23歳になる。その彼が顔を赤らめてそう言ったのだ。
「そういう、とは、恋人とかいうことか?」
逆に意外に思って尋ね返す。カインこそそのようなことは思ってもいなかったことであった。
「そう考えていたのではないのか?」
「お前たちは友人、それも親友と呼ぶに相応しい間柄なのだろう? お互いの生きる目的のために自分の全てを捧げ合う相手。それを友人と呼ばずに何と言うんだ?」
「君は」
ブルーは頭を押さえて、息を吐いた。
「どうして僕たちのことがそんなによく理解できるのだろう」
カインはアセルスに向けたのと同じ笑みをブルーに向けた。
「俺はかつて、友人と片思いの相手と、その2人と共に行動していた。その区別は友情と恋愛、その区別はできているつもりだ。もっとも、その2つの感情が同一人物に向けられても、おかしいとは思わないが」
「あ……」
いよいよ顔を赤らめて、ブルーは俯いた。
(まさか、自分の感情がどういうものなのか理解できていないのか?)
愛情と憎悪、信頼と嫉妬、それらの感情を自分の中ではっきりと区別し理解していたカインとしては、自分の感情が分からないという状態そのものが理解できなかった。とはいえ、人は時としてそういう事態に陥ることがあるということは分かっている。
「アセルスのことが、好きなのか?」
文字通り跳ね上がった。体をびくんと震わせて、ゆっくりと首を横に振る。
「分から、ないんだ。そういう感情は教わったことがないから」
「……は?」
言葉の方が気になった。教わったことがない、とブルーは言ったのだ。
「まさかとは思うが、楽しいとか、苦しいとかいう気持ちも、教わったものだとお前は言うのか」
「そうは言わないけど余計な感情は魔法を使うのに有害だというので制限されていたんだ。だから恋愛とかいう感情は今まで一度も味わったことがなくてそのよく今でも理解ができていないんだ」
早口でまくしたてられた。ブルーが冷静さを欠いているのは、それを聞いていたカインには分かりやすすぎるほどに明らかであった。
どうするべきだろうか、とカインは少し頭を悩ませた。彼に自分の気持ちを自覚させるよう促すべきなのか、それともこのまま放っておいて自ら気づくのを待った方がいいのか。
(……愛情、というのはやっかいなものだ)
それをカインは知っている。特に一つの愛情しか知らなければ、多くの場合その感情はマイナスの方向に作用することが大きい。
(ブルーに限って判断力を損なうことはないと思うが)
逆にブルーのように生真面目だからこそ、冷静さを失わせるかもしれない。判断が難しいところだ。
(いや、自分の感情が理解できないというのは、もどかしいものだろう)
二つの感情の狭間にいることもたしかにもどかしい。だが、自分が何故悩んでいるかが分からないということはさらにもどかしいのではないか。
「ブルーはアセルスが来てくれてどう思ったんだ?」
「嬉しかった」
「一緒にいて、どういう気持ちになる?」
「落ちつく。それに、何というのだろう、とても心が穏やかになる」
「それは、幸せ、ではないのか?」
ブルーは真剣にカインを見つめ返した。
(そう、幸せなのだ)
大切な人と共にいるということは。それが例え、敵味方であったとしても、自分が不当に相手を拘束しているのだとしても。
「そう……なのだろうか」
「お前のことだ。今更自分の気持ちがどういうものか判明したところで相手に対する態度が変わるとも思えないが」
ブルーは考えているようであった。『考える』ということ自体がこういう場合に取る方法ではない。感情はその名のとおり考えるものではなく『感じる』ものだ。だがそれはカインの言うことではなかった。
「とにかく、アセルスのことはだいたい分かった。俺も及ばずながら協力しよう。別に友人と思ってくれる必要はない。俺は、自分のできるかぎり仲間の役に立ちたいだけだからな」
そう言い、保健室を後にした。
(……やれやれ、世話の焼ける……)
いつから自分はこんなにも世話焼きになったのだろうか、とカインは自虐的に笑った。
一同が解散してからティナはアセルスと会話するためにテラスに連れだした。一度、この女性をゆっくり話したいと思っていたからだ。
先手を打ったのはアセルスの方だった。少なくとも、ティナには予測もしない方法であった。
「半妖と一緒にいて、怖くないの?」
意外な台詞であった。苦笑して首を振る。
「あなたは優しい人だから」
「そう? あなたのこと、た〜べ〜ちゃ〜う〜かもしれないよ?」
アセルスはティナに抱きついて、かぷ、と首筋に噛みついた。だが、それがあまりにも演技がかっていたので、思わず笑ってしまう。
「やっぱり、優しい人です」
「あなたもね、ティナ。あなたは優しいっていうより、可愛い、かな?」
そのままアセルスはティナを抱きしめた。
「アセルスさん。私は、純粋な人間ではないのです」
「うん。何となく気づいてた」
「幻獣の父と人間の母。その間に生まれた私。そのために私はいろいろと、苦労をしてきました」
「うん。そんな感じがする。大変だったでしょう」
アセルスは優しくティナの頭を撫でた。
「そうかもしれないです。でも、私は両親に愛されていたから、耐えられました」
「それじゃ私が愛されてなかったみたいだね」
「い、いえ、そういうわけじゃなくて」
「はは、冗談。私だって別にそんなにひどい人生だったわけじゃないよ。生まれはもともと純粋な人間だったしね。ただ、何の因果か今では半妖なんてものになっちゃってるけどさ」
「何故、そのようなことに……」
「ん〜? 話すと長いよ?」
「聞きたいんです。あなたのことを」
「どうして?」
「分かりません。ただ、あなたのことが知りたい」
「それ、自分のためでしょう?」
意表をつかれ一歩後退しようとするが、抱きしめられているので密着したアセルスの体は離れない。
「ティナちゃん、カインのこと好きでしょう」
「え……」
いきなり顔を真っ赤にして、それが事実であることを証明する。
「だから、男のためにわざわざ世界を渡ってきた私のこと、もっと知りたいんでしょう。人を愛するっていうことを、もっと詳しく知りたいから。カインに対する気持ちが本当に愛情なのかどうか、確かめたいから」
「え……と、その……」
「でも、残念でした」
笑って、ようやく離れた。そして呆然としているティナに向かって言ったのだ。
「私、ブルーのことそういう目で見てないから。ブルーもそう。私たち、恋人っていうわけじゃないんだよ」
とても美しい笑顔であった。
一方エアリスは一人ガーデン内を歩いていた。
非常に不機嫌であった。カインの目が覚めてからというもの、彼は自分の方をあまり見ようとしてはくれない。昔の仲間でもあるリディアや、あの新しく入ってきたアセルスという女性には優しくするのに、自分のことはあまりかまってくれないのだ。
(もう……カインの馬鹿)
そのエアリスは2階のデッキへと足を運んでいた。何故そこへ足を運んでいたのかは分からなかったが、もしかすると何かに呼ばれていたのかもしれない。
そこに、その二人がいた。
「リディア」
カインはその背に話しかけた。リディアは振り向いて、沈鬱な表情のままその目を一瞬だけ見つめて、逸らし、そしてカインの横を通り抜けていこうとした。
「待ってくれないか」
左腕を伸ばして、通り抜けようとするのを阻止する。これみよがしに大きなため息をついて、リディアが機嫌悪そうに言った。
「……何か、用?」
これほど自分を拒否した物言いは、かつてなかったことだ。前の世界でゼロムスと戦った時ですら、その関係がぎくしゃくしていたとしても拒否されたことはなかった。
「そうだな。互いに用事があるものだと思っていたが」
「互いに?」
「お前は、俺の目が覚めたら話をしたいと言ってくれた。俺は覚えている」
リディアは少し目線を上げて、そこにある人影に気づいた。
(エアリスさん)
彼女も自分に気づいたようであった。慌てて振り向いて駆け去っていく。
(私、また……)
誰かを傷つけるつもりなどないのに。
誰かの役にたちたいのに。
「私は、話したいことなんかない」
「そうか。なら、いい」
「うん。それじゃ」
「待て。まだ話は終わっていない」
リディアは鋭く睨んだ。
「用があるなら早くして」
カインはそう言われて、ゆっくりと、そして堂々とその頭を下げた。
「……カイン?」
リディアはうろたえて、名を呼ぶ。
「ありがとう」
言葉を失い、ただ立ちすくむしかなかった。
カインが自分に向かって頭を下げている。いったい、何故。どうして。
「ちょ、ちょっと……」
「こうして生き返ることができたのは、お前のおかげだ。感謝している、本当に。お前のおかげだ。ありがとう」
「……何で……」
リディアは手を握りしめた。わなわなと震え、溢れ出てくる涙を必死にこらえた。
「何でそんなことを言うのよ!」
カインの心を変化させたのは自分ではないのに。
エデンの進行を止めることができたのは自分ではないのに。
自分は何もすることができていないのに!
「私はカインのために何もしてあげてないじゃない! 私があのとき、どれだけ必死に説得してもあなたは意思を変えてはくれなかった。あなたを助けたのはローザの幻影でしょ!? カインが自分で作り上げた幻影に助けられたんだったら、私なんていてもいなくても関係ない。お礼を言うなら、ローザに言えばいいでしょ!」
目を見て言わなかったので、その言葉でカインの表情がどう変化したかは分からなかった。だが、それを言うべきではなかった。言ってはならなかった。彼のために、そして自分のためにも。
「ごめんなさい、私……」
言葉が出てこず、逃げるようにカインの傍を駆け去ろうとした。だが、その背にカインの静かで優しい声がまた、届いた。
「俺の心情に関わらず、俺が生き返ったのはお前のおかげだ。お前がいなかったら、今俺はここにはいない。感謝している」
答えず、リディアは逃げた。逃げることしかできなかった。
(私は……私は!)
カインがたとえ自分のことをどう思っていたとはいえ、自分はカインの心を救うことができなかった。
エデンの進行をくい止めることもできなかった。
自分は、こんなにも無力なのだ。
(感謝なんか、されたくない!)
52.修正される運命
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