還ることなど、できはしない。
痛みは、永遠に胸に残る。
会うことはきっともう、ない。
俺が望むものはただ一つ。
それは罪を許されることではない。
かといって断罪されることでもない。
──全てが、終わること。
PLUS.56
三つの罪
comradely
一日が過ぎればまた新たな問題が発生する。この日、ガーデンがマンデービーチへ向かう途中に起こった事件は些細なものではあったが、一部の人間、それもごく限定された人間を非常に苦しめることとなった。
「…………」
「そんなに心配そうな顔しないで、カイン」
「だが……」
「私は大丈夫。カインだってやることがあるでしょ?」
「もうしばらく、いさせてくれ」
仕方がないなあ、とエアリスは言って微笑む。結局、彼に傍にいてもらうことは悪い気がするはずもなかった。
エアリスが発病したのである。
彼女は基本的に社交的な人物であり、カインを筆頭としてジェラールやシュウ、キスティスなどと特に親交が厚かった。恋敵である(お互いその認識を強めていた)ティナともよく話す。ブルーやアセルスとも別段仲が悪いところは感じられない。ただ若干、リディアとは疎遠であっただろうか(もっとも彼女は誰とも一定の距離を保っているのだが)。
そのため、彼女が倒れたと聞いて彼らはもちろん、エアリスFCの面々、ガーデンに所属しているかなりの数が保健室に詰め寄っていた。もっとも、そのほとんどは主治医カドワキによって追い返されていたのだが。
発病といってもさほどたいしたことではない。昨日の決戦で疲れが出たのかもしれない。この時カドワキ先生は「軽い発熱」ということで、解熱剤を処方した。風邪というわけでもなさそうなので、やはり疲れが出ていたのだろうか。
「まあ、こうやって二人きりでいるのも久しぶりだしね」
エアリスはそう言って笑う。
彼女の気持ちを、カインは持て余していた。いや彼女だけではない。ティナの気持ちもだ。
結局のところ、自分の気持ちはある一人の人物にしか向かわない。そのことは理解している。
(自分は幸せになれるのか?)
そもそもなりたいと思っているのかどうかからして分かっていなかった。だが、エアリスかティナか、もしくは別の誰かでもかまわないが、誰かを愛することで自分が幸せになれるのならそれにこしたことはない、とは思っている。
ただそれは、エアリスやティナが自分に向けてくれている感情を利用しているだけではないだろうか、という疑念がこの時期に生じてきていた。昨日の戦いくらいからそのことを意識し、少し距離を置くようにしていた。
おそらく、2人ともそのことは感じていただろう。エアリスが少し寂しそうにこちらを見つめていることにカインは気がついていた。
(自分はここにいるべきなのだろうか)
距離を置くのなら、無事が確認された時点で立ち去ってよかったはずだ。だが、結局病状を見舞った後もその傍にいる。リーダーとして、というのはもちろんあるがそれ以上に自分が傍にいたかったのかどうか。
「いつ以来だったかな」
「うーんとね、私が初めてここに来た時だったかな」
「F・Hか。考えてみれば、そんなに前でもなかったんだな」
「……でも、私にとっては久しぶりだったよ」
エアリスの瞳は真剣であった。
分が悪い、と思った。そう思うこと自体おかしなことではあったが、そう思わざるをえなかった。エアリスの気持ちを知っていて、それを受け入れることも拒絶することもできないでいる自分。不利であるには違いなかった。
「そうかな」
「そうだよ。カイン、他の人にかまいっぱなしで、私のことあんまり気づかってくれないんだもん」
「すまない」
「心がこもってな〜い」
くすっ、とエアリスは笑った。
「でも、うん。だからこそカインかなって感じもする。優しいんだよね、カインは」
「…………」
しばらく声を失った。
何を言われたのか分からなかった。
誰が。
何だと?
「優しい?」
ようやくエアリスの意図するところを理解して聞き返す。
「うん。仲間のことを思いやっているでしょ?」
「そんなことはないと思うが」
「そう? アセルスやブルーのことといい、リディアのことといい、仲間を大切にしてるって伝わってくるよ」
「それは、俺がリーダーだからだろう。リーダーが仲間を大切にしないわけにはいかないさ。それは優しさとは違うものだ」
「ううん、優しいよ」
エアリスは手をのばして、カインの手を握った。
「こうやって、傍にいてくれる。リーダーだからっていう理由だけじゃない。カインがどうしても傍にいたいっていうわけでもない。カインは、私のことを気づかってくれているから、傍にいてくれているんだよ?」
「…………」
そうなのだろうか。
確かに、ここにいる理由は自分にも分からなかった。
どうしても一緒にいたいと思ったわけではない。
だが、放っておくこともできなかった。
それは、自分がエアリスを心配していたということなのだろうか。
そうかもしれない。
だが。
「分かってなかったでしょ」
「ああ。だが、それもやはり優しさではないな」
「じゃあ、何?」
「さあな。ただ、俺は優しい人間じゃない。そのことは俺が一番よく知っているんだ」
優しい人間なら、自分の感情を暴走させたりはしない。
優しい人間なら、大切な人たちを裏切ったりはしない。
優しい人間ならば──
「じゃあ、優しくなくてもいい」
エアリスはその手に力をこめた。
「私は、あなたがほしい」
ストレートな言い方であった。それこそ、カインを捕らえるのに最も効果的な言い方であった。
「……まだ俺をダミーにするつもりなのか?」
逃げ方が弱い、とは自分でも思う。エアリスにその意思がないことは明らかだったからだ。
「違うよ。それはきっかけにすぎないもん。私は、カインが好きなだけ」
「何故だ? 俺は人に好かれるような人間ではない」
「多分、そういうことを本気で思っているところかな」
そう言ってから、エアリスは一度呼吸を整えた。
「カインは、客観的には愛されない人間はいないっていうことが分かってる。でも、自分だけは例外だっていうことも分かってる。それはきっと、過去に嫌われても仕方がない罪を犯したから」
真摯に見つめてくる瞳を、見返すことはカインにはできなかった。
「仲間を大切にするカインのことだから、それはきっと」
「それ以上、言うな」
かすれた声で呟く。
「……言わないでくれ……」
自分は断罪されたかったのではなかったのか。
結局、その罪を罰されることは望んでいないのか。
なんと、それはなんと救われがたいことなのだろう。
「大丈夫だよ」
エアリスは聖母の微笑みをカインに向けた。
「私は、例えカインにどんな過去があっても、カインがどんな人だったとしても、カインのことが好きだから」
「……エアリス……」
穏やかに笑っているエアリス。
相手がどんな人だったとしても、愛することができる。
それは、自分のときと全く反対だ。
相手を手に入れるためなら、どんなことでもできる。
それが自分だ。
愛すること。それが何より大事だと思っていた。
だが。
愛されること。その心地よさ。
それもまた、素晴らしいことなのではないだろうか。
「あれ? ひょっとして、今のはポイント高かった?」
カインは苦笑して首を振った。
「かなわないな、お前には」
「カインみたいにひねくれものは慣れているからね」
「慣れている、か」
その言葉に、ようやくカインも普段通りの思考を取り戻すことができた。
「お前の昔の男に会ってみたいな。いったいどういう奴なのか」
自分の心の中にとんでもない魔物を住まわせているのか、それとも単なる精神異常者なのか。どちらにしても、自分を好きになるようなエアリスのことだ、尋常な相手ではないことは明らかだろう。
「うーん、カインとは似ても似つかないっていうか、弱い人、だったよ。いや、少し違うかな。自分の弱さと戦うことができなかった人だったかな」
「俺は戦っているように見えるのか?」
「カインは強いも弱いもない。自分を傷つけたいだけでしょ?」
人を見る目がある、と心から思ったのはこの時であった。エアリスの言は自分の気持ちを完全に代弁していた。
「私は、その傷を癒したい」
「必要ない」
そう却下されると、エアリスも次の言葉を発することができなかった。
「俺は救われたいというわけではないから」
「う〜ん、なかなか手ごわいなあ」
エアリスはなおも引き下がらずに笑いかける。
「私、諦めないよ、カイン」
「他にもっといい男はいるだろうに」
「だって、カインがいいんだもん」
その笑顔を、カインは諦めと共に見つめた。そしていよいよ形勢が悪くなったと悟り、立ち上がった。
「また来る。それまでに病気を治しておけ」
「また来てくれるんだったら、治らなくてもいいかな」
「ふざけたことを言っていると二度と来ないぞ」
「あ、うそうそ。また来てよね、絶対だよ」
そう会話をかわし、カインは保健室を出ていった。一抹の寂しさと、大きな安堵感を同時に味わっていた。
「リディアさん」
ティナはデッキに佇むリディアに近づいていった。
自分と同じ緑色の髪をした女性は、今日もその場所で一人思案に耽っていた。
「ティナさん」
「探していたんです、会えてよかった」
「私を?」
リディアは憂いを帯びた瞳で見返す。その儚さを含んだ美しさに、ティナは一瞬保護欲を駆り立てられた。
(……この人)
初めてその姿を見た時は芯のしっかりとした大人の女性だと思っていたが、今こうしてみると、泣きじゃくる子供のようなか弱さを感じた。
「はい。聞きたいことがあって」
「カインのこと?」
的を突かれ、言葉を失う。リディアは表情を変えもせず、再びガーデンの進行方向へと目を向けた。
「その前に、私も聞きたいことがあるの。あなた、マディンの娘さんでしょう?」
「そうですけど」
ティナは警戒色を強めた。何を言われるのか、おそれたのだ。
相手は、幻獣界で育った人間。
自分は、人間界で育った半獣。
(何故、この人は幻獣界で暮らせるんだろう)
幻獣界にだけは戻りたくない。
自分は、人間界でだけで暮らしていきたい。
私は、自分が人間だと信じていたい。
それとも、半獣たる自分にはそれは不可能なのだろうか?
「王が心配なさっていたわ。帰りたくない気持ちは分からなくもないけど、一度顔を見せてあげてほしい。みんなあなたのことを心配していたから……」
「みんなが」
そう言われても、自分にはほとんど幻獣のことなど分からない。
分かるのは、厳しい父、マディン。
自分を見守ってくれたヴァリガルマンダ。
幻獣の王、リヴァイアサンとその妻アスラ。
それくらいだ。
おそらく、何故回りが自分を気にかけているのか、自分には分かっている。
自分がマディンの娘だからだ。
「幻獣と人間との距離は少しずつ縮まってきている。かつては悲劇が起こったかもしれないけど、今は……もう、大丈夫だと思う。幻獣たちも、あなたのお母さんのことは後悔しているから」
「分かっています」
「うん」
リディアは頷くと黙り込んだ。
(……どういうつもりなのかしら?)
話している間も、その後も、リディアはこちらの方を向こうとはしない。ティナは話しかける言葉を失って、その場に立ちすくんだ。
「……カインは……そう、カインは、私の母親の仇」
振り返った彼女の瞳に、強い憎しみが生まれていた。その光に射抜かれ、ティナは完全に萎縮する。
「仮にそうだとしても、あなたには関係のないことですね。彼は私の仲間であり、信頼できる人です。それ以上の何を知りたいのですか?」
拒絶されているのか、それとも質問されることを待っているのか、どちらか判別がつかなかった。だが、知りたいことをそのままにしておけるほど、ティナは我慢ができる方ではなかったらしい。
「知りたいことはたった1つです。彼が愛していた女性がどういう人で、カインさんとはどういう関係だったのか、ということです」
「カイン本人からは?」
「その話自体したことはありません。エアリスさんが言ってましたよね、カインさんが亡くなった時にそういう人がいると……確か、ローザさん」
「ローザはカインの片思いの相手で、カインの親友と結婚したわ。私にとっては姉のような人。とても美しくて、優しくて、健気で、一途で、心の強い人だった。カインの気持ちを知っていて、それでいてカインに優しくすることができるくらいに。そして」
素早く、そして明快にリディアは答えた。なおも眼光が鋭くなるリディアに対し、ティナは完全に怯んでいた。
「今もなお、カインはローザを愛している。誰よりも。ローザのためになら簡単にその命を投げ出すでしょうし、ローザが言うのであれば彼は生きつづける。他の誰の言葉も彼には届かない。あの時も」
リディアは俯いて、声を絞り出した。
「カインは私の言葉なんか少しも聞いてくれなかった。拒否して、拒絶して、最後にはローザの面影に言われたから生き返ることを承諾した。私は何もできなかった。私はカインのことを仲間だと思っていたのに、カインは私のことなんて少しも考えていてくれなかった!……彼は、そういう人。戦士としては強いし、頼りになる。でも、私はもう彼のことを仲間だなんて思えない。彼は私のことを、いえ、誰のことだって仲間だと思ってくれないんだもの。彼が仲間だと、友人だと思っているのはたった一人だけ。彼が愛しているのはたった一人だけ。その二人だけが彼にとっては特別で、それ以外の人は彼に影響を与えることはできない。つまりはそういうこと」
リディアは言い終えると再びティナを見つめた。
「……彼を好きになるのを止めるつもりはないけど、もし本気だとしたら充分に覚悟をしておいた方がいいわよ。彼は誰にも、心を開かないから」
言うだけ言うとリディアはその場から立ち去っていった。
何も反論することができず、ティナはただその場に立ち尽くすだけであった。
57.黒い風
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