お前は今でも俺を恨んでいるのか?
 命を落としたお前と、生き長らえた俺。
 お前が俺を憎むのはよく分かる。
 お前になら殺されてもいいと思っていた。
 だが。
 今の俺には、もうそれを認めることはできない。
 お前が死んでから。
 俺にも、守るものができたのだから。












PLUS.57

黒い風







death wish






 夜になってから問題が生じたのはガーデンだけではなかった。その問題の火種となったレノとエルオーネ、ドールにおいてもまたしかりであった。
「いったい何の真似だぞ、と」
 それは言葉の使い方が少々、いや大いに異なっていた。いったい何事だぞ、というのが正しい言葉であっただろう。
「うーん、私に聞かれても分からないんだけど。って、あんまり悠長に言ってる場合じゃないと思うんだけど」
「それじゃどうすればいいと思う?」
「分からない」
「それじゃ困るぞ、と」
 やれやれ、とレノは窓から外を眺めた。
 空が紅い。燃えている。
 本来なら星空が広がっている筈の夜空は、地上の炎で赤く染め上がっていた。
 火の手は街の中心から放射状に燃え広がっている。一定方向に風が吹いているのであればそれはありえないことだ。つまり、炎が上がった場所から四方に向かって風が吹いていることになる。
「これは」
 レノはその状況を完全に把握することはできなかったが、少なくともこちらに火が向かって来ていることは分かった。
「今から外に出てもパニックに巻き込まれるだけだぞ、と」
 通りは人で溢れて右往左往している。目的もなく移動しているのであればそれも仕方ないかもしれない。
 だからといって彼らをまとめて誘導しよう、などとは決して思わないレノであった。そんなことをしても給料が出るわけでもない。仕事でもないことを率先して行うような人間ではなかったのだ。
「うん?」
 レノは通りの向こうに怪しげな影が立ちのぼるのを確認した。炎の中に見えたその影は、確かに人の形をとっていた。
(何かあるぞ、と)
 行ってみようか、とも思うが別に無理をして命の危険にあう必要もない。ただ、このままここにいるというのは明らかに自殺行為だ。行くにせよ逃げるにせよ、パニックに巻き込まれないように行動しなければならない。
「行くぞ」
「行くって、どこに?」
「とりあえず安全なところに」
「連れてってくれるの?」
「仕方ないぞ、と」
「ありがと」
 エルオーネはにっこりと笑って立ち上がる。そののびのびとした態度にレノも安心する。少なくともこの少女は、突然の事態にパニックになるような気の弱い人物ではないということが分かったからだ。
「さてと」
 二人はゆっくりと宿屋から出ると、その人の群れを避けるようにして裏路地へと入り込んだ。昨日からこの辺りの区画は全て頭の中に入っている。とりあえずは火の手の及ばないところまで抜けよう、と考えた。
 その、途中である。
「止まれ」
 レノは鋭くエルオーネの行動を制した。前から、何かが来る。それが分かった。
「どうしたの?」
 答える余裕はなかった。殺気が自分に向けられているのが分かったからだ。
 そして、その姿を確認してレノは目を丸くした。
(こりゃ、怪物だぞ、と)
 モンスターが街に入り込んでいる。それもただのモンスターではない。亜人種、リザードマンである。
(それも、魔法で強化されているぞ、と)
 ただのリザードマンならば自分の相手となるには役者不足だ。だが、この目の前にいるものはそうではない。負けることはなくとも、楽に勝てる相手というわけでもない。
「キシェエエエエエエッ!」
 奇声を上げてリザードマンは襲いかかってきた。せいぜい三人が横に並ぶくらいしかない広さの裏路地では回避することはできなかった。
「やむをえないぞ、と」
 レノはこの世界に来てから手に入れたショート・ガンブレードを抜いた。斬りつけた瞬間にスイッチを押すことで斬撃と銃撃を同時に行うことができる、非常に便利な武器であった。
「ギャアアアアアアッ!」
 一度で二種のダメージを受けたリザードマンは後方に吹き飛ばされて痙攣した。急所に命中したようだ。
「こんなのが大通りに出たらパニックじゃおさまらないわね」
 エルオーネは化け物にも平然としたものであった。子供の頃からモンスターに囲まれた生活を送っていたために、敵対意識はあっても恐怖を覚えるというわけではないようだ。
「それは俺の責任じゃないぞ、と」
 ガンブレードをおさめながら言うと、エルオーネは非難するように見つめてきた。こういう場合、ラグナならば間違いなく人々を安全なところへ誘導しようとするだろう。それがラグナの正義であり、その観念は当然エルオーネにも受け継がれていたのだ。
「私、みんなを避難させる」
「馬鹿言うな、と」
「だって、助かる人なら助けてあげたいじゃない」
「俺には関係ないぞ、と」
「む〜!」
 エルオーネはレノから数歩距離を置くと大声で宣言した。
「私、行くからね!」
 そして振り向いて走っていった。それを見送ってレノは大きくため息をついた。
「やれやれだぞ、と」
 別に追う理由はなかった。言うなればエルオーネは勝手についてきたのだし、ここで放り出したところで自分は何とも思わない。
「勝手にしろ、と」
 無視して、安全な所へ避難しようとした。
 だが、その時。
(なん、だ?)
 突如心の中で危険信号が鳴り響いた。危険なのは自分ではない。エルオーネの方だ。
「迷惑な女だぞ、と」
 自分の直感が間違うはずはない。レノはそう固く信じている。彼女が危ないと感じるのであれば、それは間違いのないことだ。
 結局レノは、エルオーネの後を追いかけた。ただし走らず、ゆっくりと歩いてだが。
「どこへ行ったのやら」
 走っている相手を歩いて追うのだから追いつくはずもない。危険だということは分かっているが、それで自分の行動を変えようとは思わないあたりがこの男らしいところであった。
「お?」
 ますます炎が荒れ狂い、火の粉がこの辺りまで飛び交うようになってきた。このままではこの辺りにいる人間たちはみな焼死するだろう。
「あれは」
 その先に、エルオーネがいた。ただし、怪しげな男と向かい合っていた。
(暗殺者、か?)
 頭も体も全て黒装束で覆われている男。まさに危険そのものであった。
「ちょっと待て、と」
 さすがに状況が悪いと見て、二人の間に割り込んだ。そしてガンブレードを抜く。
「お前、何者だぞ、と」
「……」
「エルオーネに何の用だぞ、と」
「……」
 黒装束は周囲に視線を走らせてから言った。
「……ここは危険だ」
「お前が一番危険だぞ、と」
「味方だ、と言うつもりはない。ただ、その娘を殺すつもりもない」
 黒マスクの隙間から微かにのぞく両眼が光を放った。
「お前、何者だぞ、と」
「名乗る必要はない」
 黒装束はそう言い残すと炎の中へ飛び込んでいった。止める間もなかった。だが、止めなくてもあの男は必ず生き残るだろう、という確信がレノの中に沸き上がっていた。
「逃げるぞ」
「でも」
「いいから逃げるぞ。他のヤツにかまうな。そうでなければ、死ぬぞ」
 エルオーネは初めてレノの前で表情を変えた。レノが怒っていたことに気づいたからだ。必要もない世話まで焼いて、余計な苦労まで背負って、この上まだ我儘を言うつもりだったら、今度こそレノに見捨てられるということが分かったのだ。
「分かった」
「こっちだ」
 レノはエルオーネの手を引いて走りだした。戦闘以外で彼が走るのは久しぶりのことであった。
(いったい何をしているんだぞ、と)
 仕事でもない。気が向いたというわけでもない。
 理由もなく自分は行動している。
(俺らしくないぞ、と)
 たかが女一人のために危険に踏み入るとは。
 レノがそう自己嫌悪に陥りかけた時、女性の悲鳴が響いて彼を現実に呼び戻した。エルオーネが指さしたところで先程のリザードマンが複数、ドール市民を混乱に乗じて虐殺していた。
「レノ」
 すがるような視線に、さすがのレノも仕方がないと諦めた。ガンブレードを構えてそのパニックの中へと躍り込む。人の間をすり抜け、一体目のリザードマンを切り裂くと同時に、撃つ。
(こりゃ面倒だぞ、と)
 ざっと見ただけで十体はいる。このパニックの中でそれを全て仕留めるというのは不可能に近い。
 とはいえ、さすがに元タークスの腕は鮮やかだった。巧みにリザードマンに近寄ると敵を切り裂き、撃ち、そしてまた別の敵へと近づいていく。時間はかかるが、確実に一匹ずつ敵を打ち倒していった。
「……何をしている」
 五体目を倒した時、自分のすぐ後ろで声がした。悪寒が走った。この自分が、背後を取られていたのだ。
 慌てて振り向く。そこには、先程の黒装束が立っていた。
「お前こそ、何をしているんだぞ、と」
「逃げられた。ここにはもう、いる必要はない」
「逃げられた? 誰に?」
「言う必要はない」
 黒装束は懐から投剣を三本まとめて引き抜くと、跳梁するリザードマン三体に向かって投げつけた。それはことごとく右目に突き刺さり、奇声をあげてのたうち回る。
(これは)
 神技といっても差し支えなかった。レノにもそれは不可能であっただろう。それは技を極めた者にしかできない芸当であった。
「とどめをさせ」
 黒装束が素早く動き、それぞれとどめをさしていく。レノもやむをえず従い、残ったリザードマンたちを倒していった。
「レノ」
 全てが打ち倒され、人々が炎から逃げようとさらに勢いを増して街の入口に向かっていた。そして市民たちの波にもまれながら、エルオーネがレノの元までたどりつく。
「無事か」
 レノは人々から守るようにエルオーネを左腕で抱き、自分に協力してくれた黒装束に向き直った。
「お前、何者だぞ、と」
 その質問をするのはこれで三度目になる。そして、その質問を受ける方も今までとは違った。
「名乗る必要はないと言わなかったか?」
 タークスは元々排他的な集団であり、外の人間との付き合いは薄い。タークス内部でしか人間関係が成立しない、という噂まであった。
 そのレノが三度に渡って相手の名前を尋ねるというのはまさに例外中の例外とも言えた。他人に興味を持つことは極めて少なかったが、この危険かつ排他的な人物にどこか自分と似たところを感じていたのかもしれない。
「この世界の人間ではないな?」
 炎が近づく中、三人の行動は完全に停止していた。最初にその氷が溶けたのはやはり黒装束であった。
「貴様もか」
「同じ世界から来たわけではないと思うぞ、と。俺はレノ。お前は?」
「クライド、と呼んでもらおう」
 その名前はかつての好敵手を思い起こさせたが、当然別人であることは疑いなかった。体格も声も雰囲気も何もかもが違うのだ。
「さっき、逃げられた、と言っていたがその相手はいったい何者だ?」
「……」
 黒装束は親指で迫ってくる炎をさした。どうやらいよいよ話す余裕すらなくなってきたらしい。
「こっちだ」
 黒装束が先に路地へと入っていく。レノはエルオーネと目を合わせてから、その後を追った。
「なかなか面白い奴がいるぞ、と」
 エルオーネはそのレノの横顔を見つめて息を飲み込んだ。
 危険と隣り合わせになって笑うレノの姿が、炎を背景にして死神のように邪悪な印象を与えていたのだ。
「ねえ、レノ」
 いつになく弱々しい声でエルオーネは尋ねた。だがレノは「喋るな」と言ってエルオーネを黙らせた。
 レノにしても、この状況で悠長に話してはいられなかったことがその理由だったのだが、エルオーネにしてみるとそれはあまりに威圧的なものであった。
 ドールの裏道を抜けながら、三人は港の方まで出てきていた。そこまで来てようやく、先を行くクライドの足が緩まった。それを見てレノも「ふう」と口にして言った。普段冷静なレノが、額にまで汗をかいていたところからすると、クライドの足があまりに早かったことを示していた。
「助かったぞ、と」
 レノはエルオーネが呼吸を整えるのを見ながらクライドに話しかけた。
「どうして助けてくれたんだ?」
「特に理由はない」
「これからどうするつもりだ?」
「奴を探す。この事件を起こした男をだ」
「奴、とは?」
 黒装束は少し間をあけてから、答えた。
「ビリー。かつての相棒で、今は死霊となっている。この騒動を引き起こして、またどこかへと消え去った」
「よければ、手伝うが」
 クライドは雰囲気を変えた。明らかに警戒していた。
「何故」
「興味がある、といったところだぞ、と」
「……」
 少しずつ、その警戒色が薄まっていき、完全になくなったところでクライドは答えた。
「好きにするがいい」
「好きにさせてもらうぞ、と」
 レノは答えてエルオーネを見つめた。まだ息は上がっていたが、会話くらいはできそうだ。
「エルオーネもそれでかまわないか?」
 迷わずに、彼女は頷いた。
「というわけだ。俺はレノ、こっちはエルオーネ。よろしくたのむぞ、と」
「ああ」
 クライドは答えて、ゆっくりと歩きだした。
 二人もまた、ゆっくりとそれを追った。






58.力なき意思

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