眠らなければいけない。
もっと深く、自分の意識が出てこないように。
考えてはいけない。
自分の意識を完全に殺さなければならない。
私の心の中には魔物が住んでいる。
その魔物を起こすわけにはいかない。
だから、私は眠らなければならない。
──永遠に。
PLUS.62
目覚めぬ少女
tornado
一晩が過ぎて、ドールの街はようやくその全貌を露にした。それまで美しい景観を誇っていた街並みはもはやどこにもなく、炎上した街の残骸だけが横たわっていた。
街の中にはまだ息がありながら生き埋めになっている者も、怪我をして動けずに救助を待っている者もいるだろう。だが、彼らにかまっているような心配りを、彼女の前を行く2人が持っているはずもなかった。
(助けられる人は、たくさんいるのに)
周りを見ながら歩くエルオーネは2人から遅れがちだ。人が倒れていたり、助けを求めていたりする人たちに、心で詫びながら2人の後をただついていく。
レノは何も言わず、先を歩くクライドの後をついていく。とにかくこの物騒な男に興味があるというのがレノの行動規範になっているようであった。
そのクライドは表情の見えない黒装束のまま崩壊した街中を歩いて海岸へと向かっている。そこに何があるのか、行ってみないことには分からない。
ビリーという名の幽霊を追いかける男。次の目的地はどこになるというのだろうか。
レノがそんなことを思いながら海岸まで来ると、クライドは近くにある小屋へと向かっていった。街外れであったためここまで飛び火しなかったようだ。幸運なことである。
クライドが小屋の扉を開けた途端、犬の声と共に大きな黒い獣がクライドに飛び掛かった。
「あんたの犬か?」
飛び掛かったかのように見えたその獣は、単にじゃれついただけのようであった。犬はクライドの周りを三度回って、おすわりをした。
「……待たせて、すまなかったな」
クライドは懐から餌を取り出すと犬に与えた。嬉しそうに、犬はその餌にしゃぶりつく。
「かわいい〜」
エルオーネが近づいて手を伸ばす。
「やめろっ」
クライドが制止の声を上げた。びくっ、とエルオーネが退く。だがクライドが制止しようとしたのはエルオーネではなく、犬の方であった。犬は今にもエルオーネに噛みつこうとしていたのだ。
「……人には、懐かない犬だ」
クライドがそう言うと、エルオーネはしょんぼりして犬から離れた。
「名前、なんていうの?」
それでもせめてものコミュニケーションを取ろうと、相手の名前を尋ねる。
「インターセプター」
おん、と鳴いておすわりをする。よくしつけがされているようだ。クライドはきちんと反応したインターセプターの頭を撫でた。
「そっか、インターセプターか。よろしくね、インターセプター」
ぐるるる、と唸る。エルオーネはレノの背中に隠れて、うー、と悲しげに鳴く。
(犬化してるぞ、と……)
ほとほと疲れたような感じがしたレノであった。
「……入れ」
一段落つくと、クライドがその小屋の中に入っていく。インターセプターはその隣をしっかりとついていった。それに続いてレノとエルオーネも中に入る。
小屋はせいぜい6畳程度の、簡素な物置であった。物置とはいえ、あまり道具は置かれていない。
その壁際に、1人の少女が横たわっていた。
緑色の髪をした少女であった。
「……あんたの娘か?」
「違う」
今度はクライドの返答も早かった。
「ガルバディアで拾った。その時からずっとこの状態だ」
「この状態……?」
「眠ったまま、ということだ」
レノはとりあえず少女に近づく。手首に触れ、脈をとる。正常。目を開けてみる。瞳孔反応あり。正常。口許の匂いを嗅いでみる。異臭。
「……薬が使われてるぞ、と」
「眠り薬……か?」
「似たようなものだぞ、と」
レノは吐き捨てるように呟いた。まさかこの薬が自分たちの世界だけでなく、他の世界でも使われているとは思いもよらなかったのだ。
脳に刺激を与えて逆に萎縮させ、その働きを最小限度──すなわち生きていくのに最低限度必要な、心臓や肺などの活動のみに抑え、他のあらゆる思考や行動を完全に制限することができる秘薬。
「ヒュプノスの秘薬……この世界で目にかかるとは思わなかったぞ、と」
「起こすことはできるか?」
「難しいぞ、と」
レノは懐から幾つかの小瓶を取り出す。5個ほど並べてから、右手で頭をかいた。
「……足りないぞ、と」
「何がいる?」
「ミドルポーションと万能薬が欲しいところだぞ、と」
クライドは懐からその2つを取り出すと、レノに渡した。
「お前、随分準備がいいぞ、と」
「早くしろ」
「分かったぞ、と」
レノは調合道具を懐から取り出すと、ミドルポーションをまずすりつぶした。それから小瓶の中の粉末や液体を混ぜ、最後に万能薬を半分ほど使って調合する。
「完成だぞ、と」
レノが調合した解毒剤は、にび色をした液体であった。
「……レノ、それ、飲めるの?」
もっともな疑問をエルオーネが言う。手渡されたクライドも表情は分からなかったが、不安な様子を見せている。
「疑うんなら飲ませなければいいぞ、と」
こう見えても調合技術ではタークス1のレノである。もっとも、だからこそヒュプノスの秘薬などというものも心得ていたのだが。
「飲ませてから起きるまで、10分くらいは時間がかかるぞ、と」
そう付け加えると、クライドはその瓶の口をサラの口に合わせた。そして、ほんの少し、垂らす。舌先に触れ、口内に浸透していく。そして少し、また少しとクライドは慎重に瓶の中の液体を含ませていった。
うまく全部飲み干させると、瓶を枕元に置いてクライドは頭を下げた。
「礼を言う」
「なに、気にすることはないぞ、と」
突然の展開で驚いたが、自分の知識の及ぶ範囲で助かったとレノはほっとしていた。
と、その時である。レノとクライドは同時にその気配に気づいていた。
「……」
「……」
視線を合わせる。そして、同時に頷く。
間違いない。
この小屋は、囲まれている。
(どういうことだぞ、と)
この男が目的か、それとも……自分たちということは考えられないから、この娘が目的なのか。
だがいずれにしても、相手はかなりの数。そして自分たちは足手まといが1人と起き上がることすらできない夢見人が1人。
(かなりの不利だぞ、と……)
だがその程度のことで挫けるレノではない。むしろこの危地からどう脱出しようか、わくわくしてくる。
「エルオーネ、お前はここにいろ」
「は?」
エルオーネはまだ気づいていないらしく、ぽけっとした顔で尋ね返した。だが、レノが静かにするように身振りで示すので、慌てて口を塞ぐ。
「……俺とクライドで何とかする。お前はここでこの娘の様子を見ているんだぞ、と」
「う、うん」
どうやらただならぬ事態が生じたということがエルオーネにも伝わったらしい。レノは改めてクライドを見る。
「どうする?」
「倒す。おそらくは、奴らだ」
「奴ら?」
「この娘を狙っていた奴らだ」
「やれやれ、とんだ巻き添えだぞ、と」
2人は呼吸を合わせると外へ飛び出した。
それと同時に襲いかかってくる、クライドに似た黒装束の男たち。
「甘いぞ、と」
レノは素早くショートガンブレードを振る。1振りで最初の1人を斬り、撃ち倒す。クライドはその間に投げナイフを黒装束の2人に命中させていた。
「お前ら、何者だぞ、と」
当然、返答はない。かわりに男たちのうちの1人が前に出てきた。黒い装束の合間から見えるその肌は、着物と同様に浅黒いものであった。
「……ゆくぞっ」
男は声を上げて襲いかかってきた。今までの物音もたてない黒装束の男たちとは明らかに異質であった。これは暗殺者ではない。戦士のものだ。
レノは剣を合わせた。いや、剣が合わさる瞬間にその形状に気づいて飛びのいた。
(曲刀?)
浅黒い肌の男が手に持つ剣は大きく湾曲していた。シャムシール。剣技に長けたものが好んで用いる、対剣士の剣である。その湾曲した形状によって相手の剣を弾き、2撃目で相手の急所を狙う。そういう性質の剣だ。
(危ないところだったぞ、と)
レノが剣を合わせずに飛びのいたのはそういう理由があったからだ。
「よく、このカムシーンの一撃をかわした……だが」
男は剣をかまえなおすと、鋭い視線でレノを射抜く。
「この技を防ぐことはできん!」
男は全力でレノに向かってきた。
「デミルーン!」
男は一瞬深く腰を落とす。そして一度背を向けたかと思うと、そのまま回転してレノに斬りつけてきた。恐ろしい早業だ。
「くっ」
やむをえず、レノは剣を合わせた。その瞬間、凄まじい衝撃が腕に走って、剣が持っていかれそうになる。
(まずいぞ、と)
左腕を剣に添えようとしたが、間に合わなかった。レノの剣ははじき飛ばされ、男の前に無防備に体をさらす。
「もらった!」
曲刀カムシーンが高く掲げられる。だが、レノはその程度でやられるような男ではなかった。
「甘いぞ、と」
振り下ろされるカムシーンに向かって左手を突き出す。その手に握られているのは、三叉に別れている暗器、カタール。
「なにっ!?」
レノは、刃と刃の付け根で、曲刀を受け止めたのである。体全体が一直線になるようにバランスを考えながら、である。
そして、体全体を捻る。刃に横からの圧力が加わり、男の手から曲刀がもぎとられる。
「ぬうっ」
「そこまでだぞ、と」
レノはカタールでとどめをさそうとした。
だが、男もまたただではやられなかった。その場で後方に転回してレノの攻撃を回避すると、先程レノが倒した黒装束のところへ走る。
目的は、武器を補充すること。
「待てっ!」
レノは防ごうと追いかけたが遅かった。そして、予想外の男の攻撃に面食らう。
「なっ!?」
その唯一の武器ともいえる長剣を、男は投げ放ったのだ。さすがにこれほどの質量のある武器を受け止めることなどできず、レノは何とか体をよじって回避する。
そして男はその間にカムシーンを拾っていた。
(この男、できるぞ、と)
クライドの方を確認する。さすがに多勢に無勢か、数人の黒装束を相手に奮闘しているようだが、なかなか打ち倒すことは困難な様子であった。
この男は、どうにか自分一人で倒さなければならない。
(……難しいぞ、と)
レノが隠し持っている暗器はカタールだけではない。だが、この戦い慣れした男に勝つには分が悪い。
男は再び、腰を落として接近してこようとした。
「キャアアアアアアアアアアアッ!」
その時、小屋の中から悲鳴が聞こえた。
63.闇萌ゆる
もどる