僕に構わないで。
 僕に構わないで。
 何度、そう繰り返しただろう。
 でも、たった一人の少女が僕を変えた。
 アビスを封じて、そのまま命を落とすはずだった僕。
 でも彼女は、自分の命が大切だと言った。
「それじゃあ……ゼロ!」
 僕は、命をかけて彼女を守る。












PLUS.63

闇萌ゆる







She named him zero






(エルオーネ!?)
 声を聞き間違えるようではタークスではない。今の悲鳴は間違いなく彼女のものだ。
 黒装束の誰かが小屋に侵入したのか。
 いや、違う。
(とんでもない瘴気だぞ、と)
 その禍禍しい気は黒装束らが放つことのできるようなものではない。これは人間以外のモノの仕業だ。
 扉の向こうから、インターセプターが吠えながら後ずさりしてくる。
(何ごとだぞ、と)
 その間もレノは男や黒装束たちの様子を注意深く観察していた。彼らは目で合図しあって、その瘴気に対して身構えている。
「お前、何をした」
 男がレノに向かって言う。
「何を、とは?」
「サラに何をしたのかと聞いている!」
 サラ。おそらくはあの緑色の髪をした少女のことであろう。
「起きる手伝いをしただけだぞ、と」
「ばかな! お前は、サラの正体を知ってそのようなことをしたのか!」
「正体?」
 男が何を言っているのかはレノには分からない。だが、このまま事態の推移を見守る方が面白そうだということだけは分かった。
 男が小屋に向かうのを、レノは阻む。
「そこをどけ」
「断る」
「あの娘は殺さなければならないのだ!」
「断ると言ったぞ、と」
 問答を繰り返しているうちに、それが姿を現した。緑色の髪をした少女、サラ。そして、その背後に携わる膨大な瘴気。これはまさに、人のものではない。
「あ、ああ、ああああ……」
 その小さな口から、悲鳴が漏れる。
「あああアああアアアあああアアアアアアあアアアア!」
 少女は自らを強く抱きしめ、その場に両膝を着く。瘴気が渦巻き、少女の周りを取り囲んでいく。
「いかん!」
 男は少女を殺さんと駆け出そうとしたが、またしてもレノが阻んだ。
「いかせるわけにはいかないぞ、と」
「お前は、目の前の状況を見てなおそれを言うのか!」
「せめて説明がほしいところだぞ、と」
「そんなことをしている暇などない!」
 カムシーンが翻る。だが、その攻撃パターンはレノの頭に既にインプット済みだ。回避し、カタールで威嚇し、適度に距離を保つ。相手にも焦りが見られ、ひとまずは男を遠ざけることに成功する。
「その娘は全ての世界を滅ぼす鍵となるのだぞ!」
 そう言われてもレノには今一つピンとこない。
「だとしても、それはこの娘のせいではないぞ、と」
「貴様……!」
 再び接近しようと男が身構えた。
 その時。
「サラァァァァァァァッ!」
 一つの影が疾走し、二人の横を通りすぎていく。
 黒い髪を後ろで束ね、紫色の服を着て、その体に不釣り合いな大きさの大剣を握りしめた、少年。
「な」
 まだ仲間がいたのか、と思ったがどうも様子が違う。だがその剣で居合抜きの構えをとったとき、レノはこの少年もまたサラの命を狙っているものだと確信した。
 だが、違った。
 少年が剣を一閃させると、サラの周りに渦巻いている瘴気が一瞬、サラから離れた。その隙に少年はサラの傍に駆け寄り、誰にはばかることなく突然接吻をした。
(おいおい)
 レノはまたしてもどっと疲労が出てきたが、少年が接吻をかわしてからサラにまとわりついていた瘴気は少しずつ薄れて、やがて跡形もなく消えた。
 サラは、再び意識を失っていた。
(ヒュプノスの眠り?)
 秘薬を使ったのだろうか。おそらくはそうとしか考えられない。
(こいつがサラを眠らせた張本人)
 間違いない、とレノは断定する。
「ハリード。ここは、引け」
 少年がレノと向かい合っていた浅黒い肌の男に向かって言う。
「貴様もこの世界に来ていたとはな」
「三度目は言わない。引け。でなければ、僕が相手をする」
 ハリード、と呼ばれた男は黒装束の一人に合図を送った。その黒装束が指を鳴らすと、クライドに襲いかかっていた黒装束たちは皆引き上げていく。
「……俺はお前と戦うほど命知らずではない」
「以前の仲間を手にかけずにすんで、助かるよ」
「仲間、か」
 ハリードは鼻で笑った。
「代表者サラは、必ず俺が殺す。お前がどれだけサラを守っていようとも、な」
 そう言い残してハリードもまた去っていった。何とか一段落ついたのだろうか、レノは、ふー、と息を吐いてショートガンブレードを拾う。
「サラを守ってくれて、ありがとうございました。ガルバディアであの騒ぎに巻き込まれたときにはぐれてしまって。あなたたちが守っていてくださったんですね」
 少年はクライドとレノに向かって頭を下げた。
「別にたいしたことはしていないぞ、と」
「……気が向いただけだ」
 何とも礼のしがいがない二人であった。
「そういや忘れていたぞ、と」
 レノは気がついたように小屋の中に入る。実際今の今まで忘れていたのだから、その言い方に間違いはない。
 エルオーネは、小屋の中で気を失っているだけだった。瘴気にあてられたのだろう。たいしたことがなくて幸いだった。
 軽く頬を叩くと、エルオーネが目覚めた。
「……あ、レノ?」
 ぼうっとした様子で彼女は目の前に現れた人物の名前を呼ぶ。
「大丈夫か、と」
「うん」
 彼女は左手で頭を押さえると、ゆっくりと立ち上がった。
「そうだ、あの子は」
「無事だぞ、と」
 エルオーネは飛び起きて小屋の外へ出る。レノはやれやれとぼやきながらその後を追って外へ出た。
 サラは静かに横たわっている。そして、その傍に少年と、クライドが膝をついていた。
「ヒュプノスの秘薬を使ったな?」
 レノがまず尋ねる。少年ははっきりと頷いた。
「サラの内に籠もる瘴気を抑えるには、これしか方法がなかったんです」
「瘴気の源はいったい何なんだぞ、と」
「アビス。今はもう亡くなった世界の、最後の魔王です」
「助ける方法は?」
 クライドの目が光る。
「今のところ見つかっていません。その方法を知っている人を探している途中でした」
「この世界にいるのか?」
「はい。今はこちらへ来ているはずです。ハオラーンという、吟遊詩人なのですが」
 レノとエルオーネが目を見合わせた。その名前はごくごく最近聞いたばかりのものであったからだ。
「居場所は?」
「全くつかめていません」
「多少は、分かるぞ、と」
 クライドと少年の会話にレノが割って入る。
「分かる?」
「ハオラーンは南の大陸にいる。そう聞いているぞ、と」
「南の大陸」
 都合よく、少年は懐から世界地図を取り出す。どれどれ、とみんながその地図に目をやる。
「どうやって行けばいいのでしょう」
 南のセントラ大陸は他の大陸と完全に切り離されている。船で行くことは可能だが、既に人の済む場所ではないセントラ大陸に出る船はない。
 レノは以前F・Hからセントラ大陸に渡っているが、あれはリディアの頼みでF・Hのまとめ役であるドープ駅長が特別に船を出してくれたものだった。それも往路だけで、復路は自力でどうにかするという条件の下で、だ。
 いずれにせよ、自由に使える船が必要だ。そうでなければセントラ大陸へ行くことはできない。
「船を手に入れるなら、ここでもどうにかなるかもしれないぞ、と」
 レノはにやりと笑った。
「どうにか、って?」
 エルオーネがきょとんとして尋ねてくる。もちろん、その方法は彼女が知ったなら激怒しそうなものだ。
「なるほど。船さえ手に入れば、移動は可能だ」
 クライドも納得したようである。
 ドールという国はバラム、ガルバディア、ティンバーなどの要所の中継地点となるため、鉄道網がもっとも整備されている国でもあり、また出島に市街地が形成されておりそのため海運も発達している。陸海、どちらからでもドールへの出入が容易になっているのがドールという国の一つの特徴である。
 そして他の国に比べてドールほど船の出入りが激しい国もない。リゾート地として名高いドールには年中休む暇もなく旅行者が訪れる。
「調べはつくか?」
 クライドが尋ねると、レノは肩をすくめて答えた。
「情報収集はタークスの得意分野だぞ、と」
 船を一隻用意する。その程度のことがレノにできないはずもなかった。手段を選ばないのであれば。
「あ、あの」
 少年はおずおずと話を進める二人に話しかける。
「それは、協力していただけるということでしょうか」
「それ以外のどういう意味に聞こえるのか教えてほしいぞ、と」
 レノとしてはガーデンを出たが特別行く宛があるというわけでもなかった。
 もともとレノはこの世界に好きで来たというわけではなかった。突然イリーナと共にこの世界へと飛ばされた。偶然に出会ったリディアという人物に、エアリスを連れてくるように依頼された。その仕事も終わり、行方不明になったイリーナを探しながら、この世界をぶらりと見学しようかと思っていたところだ。
 ガーデンの中にいてもそれなりに面白くはあったのだろうが、やはり自分はこうして自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で判断して生きていきたかった。それがガーデンを出て一人で──エルオーネというおまけはついてきたが、世界を見て回りたかった理由だ。
 そして、面白いことに目の前にちょうどトラブルの元が舞い込んで来た。
 起きない少女。それを心配する少年。うさんくさい黒装束。
 自分が関わるのに相応しい場所である、とレノは判断した。
「ありがとうございます」
「礼には及ばないぞ、と」
 レノはそう言ってから、ふと少年をまじまじと見つめた。
「そういえば自己紹介もしていなかったぞ、と。俺はレノ。よろしく頼むぞ、と」
 レノが愛嬌のある顔で笑った。
「あ、私はエルオーネ。よろしくね」
「クライドだ」
 次々に自己紹介がなされる。が、少年は反応できなかった。何か言いたそうに口をあけ、また閉じて俯く。
「僕には、名前がありません」
「名前がない?」
 エルオーネが聞き返す。
「はい。僕の命はアビスを封印するのと引き換えに失われる予定でした。だから、僕に名前は与えられなかった。余計なものがあると、余計な感情を引き起こしてしまうから。僕は何も考えず、何も感じないまま、アビスを封印すればよかった。でも」
 少年は眠るサラの髪を優しく撫でる。
「サラが僕を変えてくれた。僕の心だけでなく、運命までも変えてくれた。そのかわりにサラは眠りにつかなければならなくなってしまった。僕は、どんなことをしてでもサラを目覚めさせたい。もう一度、僕を見てもらうために」
 最後はほとんど独白であった。ふむ、とレノは頷いて少年を見つめる。
「でも名前がないんじゃ不便だな。誰かから何か特別に呼ばれたことってないのか?」
 レノが尋ねると、少年は顔を赤らめて俯いた。
「サラが眠る前に、僕につけてくれたものがあるんです、けど……」
「それでいいだろ。なんていうんだ?」
「はい」
 少年は恥ずかしそうに、答える。
「ゼロ。と呼ばれました」
「ゼロ?」
「はい、その、もう運命も宿命も全てなくなったから、その、ゼロ、だと」
「いい名前だな、と」
 レノがそう言うと、ますます少年は赤くなってもう顔も上げられなくなっていた。こういうところはさすがに少年であった。
「それじゃ、ちょっくら言ってくるぞ、と」
 そうして、レノはドールの港へと向かった。






64.見えない景色

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