心を重ねることの幸福。
 力が強まることの満足。
 私たちは、誰よりも強い召喚士と契約することだけが望み。
 でも私はそうじゃない。
 それだけじゃない。
「愛しているわ、リディア」
 誰よりも、命をかけて。
 この人だけは、守りたいと思った。












PLUS.65

見せかけの強さ







icequeen






 そういうわけで、彼女たちは王の家へとやってきた。
 基本的にリディアの身元引受人になったのは王妃のアスラである。王とリディアとの間は、召喚士と幻獣という関係でしかない、とリディアは考えている。もちろん恩はあるが、それを王の方で取り扱ってはくれない。
 自分はアスラに言われたからリディアを幻獣界へと連れてきた。だから、恩を感じるなら全部アスラに返しなさい。
 それは拒絶ではなく、純粋に王よりも王妃の方がリディアを親身に世話することができるからという意味である。その王の心使いに感謝も恩もあるが、それを表現することができないのはリディアにしてみると少々物足りない。
 ジハードを幻獣界の住人として迎えるために尽力したのも、少しでも王に恩返しをしたいと思ったからこそなのだ。
 強い力を手に入れることで、幻獣界自体がまた強くなる。そう見込んでのことだ。
「おっそいわねー、あのじいさん」
 威厳もなにもないという感じでセイレーンがぼやく。リディアは困って苦笑するしかない。シヴァは言うまでもないが、無表情だった。
「お前さんがいるから、あまり来たくなかったんじゃよ」
 突然ドアが開いて、老人の姿をした王が現れた。
「王」
「リディア、久しぶりだの。元気にしとったか」
「はい。おかげさまを持ちまして」
 幻獣王、リヴァイアサン。
 幻獣神バハムートの構想、すなわち弱き幻獣たちを保護する場所、幻獣界を作るという考え方を具体化するために、常時その力の半分以上を幻獣界の保持のために使っている、まさにこの世界の『柱』となっている幻獣である。
「わしは何もしとらんて。逆にわしの方がリディアには世話になっとる。ジハードの件、本当に助かったわ。おかげでわしの仕事が今までより随分楽になった」
 はっはっ、と笑う。こうした仕種は、まさに人間の老人とまるで変わりがない。
「今日はお願いがあって来たんです」
「ああ、分かっとる分かっとる。異界への通行許可、幻獣門を開く許可がほしい、とこういうことじゃろ?」
「お分かりになりますか」
「お主のことならだいたいは分かる。随分、苦労したみたいだの」
 優しい言葉をかけられると、リディアは涙が零れそうになる。ここに来てからというもの、緊張の糸が解けたらしく涙もろくなってしまっている。
「いえ。私の力が未熟だったと思います。だから」
「そんなに思いつめていては、大事なことを忘れてしまうよ、リディア」
 王は優しく諭す。が、リディアには何を言われているのかが分からない。
「リディアは、世界の『代表者』なんだろう?」
「はい」
「言ってしまえばその『代表』である行為さえしていれば問題はない。何も、戦いや人助けまで責任を負うことはない。何でもできると思うのは、自分を見失うことにつながってしまうよ?」
 王はそう言って扉の方を振り返る。そこからふたりの影が入ってくる。
「アスラ様」
 アスラは悲しそうにリディアを見つめるだけだ。何か声をかけたいのだが、何も言葉にできない。そういう感じだ。
「アスラも、お前の無事を願っておるのだよ」
「アスラ様」
 そして、もうひとり。
「お久しぶりです、姫」
 セイレーンが目を丸くした。
「ちょ、ちょっと何よ、その、姫、っての」
 それは驚くだろう。突然、そんな言葉を聞いてしまっては。
「ジハードが、どうしてもそう呼ぶって言うから」
 リディアは困ったようにセイレーンに笑いかける。
 本来はもっとひどかった。ジハードはリディアを召喚士として認めた時、最初に『ご主人様』と言ったのだ。さすがにこの時はリディアのみならず、イフリートやラムウまでが驚いて口をぽかんと開けていた。
 リディアが『ご主人様』っていうのはどうしてもやめてほしい、と頼むとジハードはその次に『姫』と言いだしたのだ。それも自分にはとても似合わない、ローザなら似合うかもしれないが、と思ったのでやめてもらいたかったのだが、ジハードもこれ以上は譲れないと言った。
 それ以来、ジハードはリディアのことを『姫』と呼んでいる。もっとも、出会ってからすぐに今回の戦いが始まってしまったので、さほどそう呼ばれていた期間はなかったのだが。
「ジハードも、私の考えは間違っていると思う?」
 ジハードはリディアの傍に跪く。
「賛成、いたしかねます。姫は私にとって大事な主人。その身を危険にさらしてほしくはありません」
「へーえ、リディアすごいね。こんなイー男、手込めにしちゃってさ」
 リディアの顔が赤らむ。と同時に、ジハードがものすごい剣幕でセイレーンを睨みつけた。
「ま、とにかくじゃ」
 王が全体をまとめる。
「リディアの考えはどうも感情的になっておるのではないか、とみんなは心配しておる。そして、無謀な行為で命を落とすことはやめてほしい、と。これは全員の願いじゃ」
「願い」
「もちろん、わしもリディアを危険な目に合わせたくなどないから、門を開く許可を与えるつもりはないがな」
「王」
「それだけ、みんながお前のことを思っているのだよ。もう少し、残される方の身のことも考えてはくれんかね。そのことを、お前ならよく分かっておるだろう?」
 心臓を握られたかのような衝撃が走る。
 そう、自分は残された者の痛みを知っている。
 かけがえのない存在だった母親を失った痛みを知っている。
 そして、ここにいる者たちは、全て自分、リディアという存在を家族同様に思ってくれている。
 自分がかつて受けた痛みを、みんなに受けさせてしまう。
「待ってください」
 リディアが何か言おうとするのを遮って、シヴァが発言した。さすがに王もアスラも、必要がない限り話すことのないシヴァが発言するということに驚いていたようだ。
「私は、賛成です」
 今度の言葉は、完全に全員の驚愕をかった。
「なっ、に考えてんのよ、シヴァ!」
 セイレーンが怒鳴りつける。それは間違いなく、リディアを見殺しにするという意味と同義なのだ。そんな非道なことを言うシヴァの考えが理解できなかったのだ。そして、それは王も、アスラも、ジハードも、全く同じ思いであった。
「リディアが望んでいるんだから、リディアの望み通りにしてあげたいと思う」
 シヴァには、シヴァの目算もあったのかもしれない。
 ここに来れば、王もリディアの味方をしてくれるのではないか、そうシヴァは考えたのだ。また、仮に王が反対するのだとしたら、その時は王を説得しなければならない。だとしたら、まずは王を説得するのが先だと考えていた。
「あのね、シヴァ。そのリディアが、感情的になって、自分の命を無駄に捨てようとしてるのを見て、そんなことしか言えないわけ!?」
 セイレーンがシヴァの肩を掴んで言う。さっきセイレーンを睨んだジハードまでが「その通りだ」と頷いていた。
「リディアのこと、知っているもの」
「何を!?」
「リディアは、自分の命を粗末になんかしない。残される者の痛みを知っているからこそ、絶対に死なない」
「あんたっ」
 それは、都合のいい言葉でいえば、信頼、ということだ。そして信頼を受けている者は、少なくともこの場合のリディアにとっては、間違いなく死なないことを義務づけられていることになる。
「リディアが間違ってないってあんたは言うわけね?」
「リディアだって、間違うことはある。でも、どんなに感情的になっていても、リディアは自分の命を粗末にはしない。私はそのことを知っているだけ」
「何の算段もないのに!? 悪いけど、人間なんてこの世界では守ってくれる人がいなければあっという間に獣たちに食われてなくなっちゃうわよ!」
「そのための材料に、私はなれる」
 セイレーンの怒りの表情が、シヴァの冷気を受けて凍りついていた。
「私も、一緒に行く」
「あっ、んた!」
 セイレーンは、とうとうシヴァの胸ぐらを掴みあげて怒鳴った。
「いい加減になさいっ! リディアを異界に出すどころか、あんたまで行くですって!? そんなことが認められるわけがないでしょうっ! あんたまで消滅するつもりっ!?」
「私も死なない。必ずリディアと一緒に帰ってくる」
「何の保証もなしにそんなこと言わないでよっ!」
「保証があるわけじゃない。でも、ひとりよりふたりの方が、生き残る確率は高い」
「シヴァ!」
 セイレーンは、がっ、と相手の頭を両手で掴んで、その瞳を見つめた。シヴァはあることに気づいて、その束縛から逃れようとする。
「この件について、あんたの発言を禁止する」
 セイレーンの手が、シヴァから離れる。
「あ、うぐっ」
 シヴァは、苦しそうな表情で胸を押さえた。
「大丈夫よ。喋れなくしただけ。呼吸はできるわ」
 セイレーンはそう言ってリディアを見つめた。
「リディア。あたしはね、あんたも、シヴァも、失うつもりはないの。失いたくないの。この間の、そこにいるジハードとの戦いの時。あんたたち、あたしがどれだけ辛かったか、考えたことなんてないでしょう。それでもあの時はこの幻獣界の全員の一致があった。逆らうわけにはいかなかった。でもね、今回はそうじゃない。あんたたちの言うことなんか、絶対にきいてやらない。どうしてもいくっていうんだったら、実力であんたたちを拘束してでも、やめさせる」
「ふむ」
 王が頷いて必死に何かを伝えようとするシヴァを見て言う。
「セイレーンの気持ちは分からんでもない。かくいうわしも同じじゃ。だが、だからといってシヴァが、ほれ、あんなに伝えようとしているのを強引に取り上げるのには、感心せん。シヴァが言葉にしないのは、言葉にすることが苦手で、必要もないなら苦手なことはしなくてもいいと思っとるからで。そういうことをひっくるめて、今、こんなにも言葉にしたいと態度に現れておる。せめて、彼女の言い分くらい聞いてやるのも、姉の勤めではないかの?」
 セイレーンはぐっと詰まった。そして王はアスラに一声かける。アスラは頷いて、シヴァの喉を優しく触った。
「私っ」
 シヴァの思いが、言葉が、声になる。音として、全員の耳に聞こえる。
「私、リディアが好きだから」
 好きだから。
 好きだから、相手の願いをかなえてやりたい。命が危険なら自分の身を呈してでも助けてあげたい。
「シヴァ!」
 リディアはゆっくりとシヴァに近づく。そして、シヴァに抱きついた。やはり、泣いていた。
「ありがとう、ありがとう、シヴァ」
「リディア」
「でも、もういい。シヴァがそんなに私のことを思ってくれてるのに、わざわざ死ぬために一緒に行くことなんかない」
「じゃあ」
「ううん。行くのは、諦める。私、甘かった。自暴自棄になって、一人で戦うなんてかっこいいこと言っても、そんなことできないなんてことは分かってるのに。でも、みんなが助けてくれるかもしれない、一人でもなんとかなるかもしれない、かもしれないかもしれない。希望に甘えて、縋って、現実を見てなかった。結局一人じゃ何もできないのに。私なんか、一人じゃ何もできないのに! だから、そのことが分かったから、もういいよ、シヴァ」
「リディア」
「セイレーンも、ありがとう。厳しいことを言ってくれたから、自分が分かったような気がする」
「それは」
「王、申し訳ありませんでした。無理なことをお願いしてしまって」
「リディア」
「アスラ様も、ジハードも、余計なことにつきあわせてしまって、ごめんなさい」
「リディア」
「姫」
 言いおえると。
 リディアは、その場から逃げだそうとした。
 この場所にいることが辛かったから。
 自分の幼稚さと、考えの足りなさが恥ずかしかったから。
 だが、それは結論として止められた。
 誰に?
 それは、王でもアスラでもジハードでもセイレーンでもシヴァでもなかった。
 突如現れた、別の人物だった。
「やれやれ。お前の心意気に同感してここまでやって来た私の立場というものを、もう少し考えてはくれんものかな」
 その姿に、全員が驚愕する。
 無論、リディアも。
 それは、この世界では決して見ることができないはずの姿であった。
「どうした。鳩が豆鉄砲くらったような顔をして」
 大人びた青年は、リディアに優しく微笑みかけた。
「ば、バハムート」
 幻獣神バハムート。
 幻獣界、初の降臨であった。






66.強さの意味

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