「では、私があなた様の理想を実現いたしましょう」
 あの日に、私は決めたのだ。
 残りの命全て、この方のために使おうと。
「私はあなた様の考えに同意いたします。ですがあなた様はなすべきこと多き身、その力の一欠片すら使ってはなりません。私が、全て代行いたします。あなた様のかわりに」
 この広大な空間で、力なきものたちが唯一安らげる地。幻獣界。
 それを作るために、自分は全てを投げ出そう。
「これからはあなた様のことを、幻獣神様、とお呼ばせくださいませ」
「リヴァイアサン」
「私は、自分の力の半分を使って、この世界の礎となりましょう」












PLUS.66

強さの意味







the Load of Dragon






「幻獣神様」
 王がうわ言のように呟いて、青年に近づいて膝をつく。
「おそれおおい、このようなところにいらっしゃるとは」
「かまうな。私は盟友にそのようなことをしてほしくてここへ来たわけではない」
 バハムートは全員を見回す。
 泣いているリディア。無表情のシヴァ。驚愕を隠せないセイレーン。畏まっているリヴァイアサンとアスラ。敵を見るかのようなジハード。
「ほう、ジハード、お前ここに来ていたのか」
「久しぶりですね、バハムート殿。あなたはここには来ないものと聞き及んでおりましたが?」
「事態が事態だからな。ここは全てリヴァイアサンに任せてあったが、この外の話となるとまた別だ」
 バハムートはそう言ってリディアを見つめた。
 いまだに、リディアはバハムートがここへ来たことの真意が分からずにいた。いったい、何を自分に言うつもりだというのか。
「これだけのメンバーが揃っていて、リディアに同意したものはシヴァだけか」
「申し訳ありません」
「いや、別に責めているわけじゃない、リヴァイアサン。誰も自分の命は惜しいものだからな」
 青年がゆっくりとリディアへ近づいてくる。
 この青年と出会ったのは、いったいいつのことだったろう。
 月の地下渓谷。幻獣神の僕たちを倒し、ようやくたどりついた最奥。そこにいたのは、この、壮麗なひとりの青年、いや、幻獣。
 バハムート。
 幻獣界の王、リヴァイアサンが仕える、幻獣たちにとって決して見ることも触れることもかなわぬ存在。
「リディア。この姿で会うのは久しいな」
「……」
「どうした。私に、どこかおかしいところでもあるのか」
 リディアは首を振る。そうではない。おかしいのはバハムートではなく、自分だ。
 一度感情が爆発してしまったせいで、頭が冷静に働いていない。何故ここにバハムートがいるのか、疑問ではあるがそれすら気にならなくなってしまっている。
 気になっているのは、たった一つ。
「バハムート、私、エデンに」
「分かっている。あの人造の幻獣と契約するのは、今のお前ではまだ無理だったようだな。仕方のないことだ。お前は不完全なのだから。だがそれは、これからいくらでも成長できるということでもある」
「幻獣神様」
 気がつけば、既にその場で膝をついていなかったのはジハードのみであった。アスラも、シヴァも、セイレーンも、そして王、リヴァイアサンもその場に畏まっている。
「だから、そんなに畏まるなというのに、リヴァイアサン」
「いえ。ただ一つだけ、質問をお許しくださいますよう」
「かまうな、言え」
「お許しを得て。幻獣神様は、まさか、リディアと共に異界へ行くためにご降臨あそばしたのでしょうか」
 王の言葉に、リディアは驚いてバハムートを見つめる。
「それ以外に、何か理由があると思ったのか?」
「い、いえ」
「そんなに堅苦しくしなくてもよいというのに。だが、質問には答えねばなるまいな。そう、お前の言うとおりだ。私はリディアを守るために来た。さすがに異界で戦うとなれば、私ほどのものでなければ守護役はつとまるまい」
 バハムートは威厳をもって言う。老獪なリヴァイアサンといえども、さすがにこの神の前にはいつものように軽快な口調というわけにもいかないようだ。
「バハムート」
「リディアよ」
 青年は口許に優しい微笑をたたえる。
 そう、いつも彼はこうして自分を見つめていてくれた。どのような時にでも、優しく、そして厳しく。
 自分に対して、最高の召喚士であるよう、いつも励ましてくれていた。
「お前の考えは間違っていない。もはや、この世界、幻獣界でお前が力をつけようと思ってもそれは無理というものだ。この世界の全ての存在は、お前と契約している。ここでお前がどれだけ強くなろうとしても、それには限界がある」
「はい」
「ただ、一人で行くのは無謀だ。それはここにいる全ての者が言ったとおりだ。お前はまず、一人でどうにかしようとするのではなく、仲間たちに、協力してほしいと、頼むべきだったのだ」
「それは、許されるのでしょうか」
「許すも許さないもない。お前のことを愛している者ならば、必ずお前の力になってくれるだろう、シヴァ」
「は、はい」
 突然話を振られたシヴァは、驚いて顔を上げる。そこに幻獣神の優しい微笑みを見た。
「お前は、何か見返りを求めてリディアに協力すると言ったのか?」
「いいえ」
「リディアの力になりたい。純粋にそう思ったからか?」
「はい」
「そのために自分が滅びたとしても後悔はしないか?」
「しません」
「つまり、それが答だ、リディア」
 リディアは呆然と、バハムートを見つめる。
「互いに協力することこそ、召喚士と幻獣との関係の本質であろう。それをお前から崩してはならない。分かるか、リディア」
「一人で行動しても、本当の力を出すことはできない」
「そうだ。互いに協力し、協調してこそ力は無限に引き出される。それを証明するのは他の誰でもない、お前だ、リディア」
「バハムート」
「だから、私が協力しよう。お前が強くなりたいというのなら、私がお前の剣となり、盾となろう。そしてお前は、今以上の力を手に入れるがいい。そうすることでここにいる幻獣たちもより強い力を手に入れることができる。強い召喚士と契約することこそ、幻獣の最大の喜びなのだから」
「はい」
 素直に、リディアは頷いていた。
 そうだ。バハムートの言う通りではないか。目の前で妖魔の力を見せつけられて、自分はどこか、歯車がかみあわなくなっていた。
 自分は、自分のやり方を貫けばいいのだ。召喚士として、仲間と協力するという方法で。
「だが正直、私だけでは異界の猛者どもを相手にするのは手にあまるな。ひとり、優秀な戦士が必要なのだが」
「バハムート殿」
 声を上げたのはジハードであった。
「素直に、自分にリディアの共をしろと言えばいいでしょうに」
「お前は私の言うことは聞きそうにないからな」
「あなたと死闘を繰り広げたのは昔の話。もはや、そのことを恨みに思ったりなどしておりません。それに、今の自分にとっては何よりもリディア姫の御身こそ大事。正直に言いますと姫には異界になど行ってほしくはないのですが、どうしても行かれるというのであれば自分はたとえ反対されても姫のお供をいたしますとも」
「ジハード」
「姫。たとえあなたが拒否なさっても、私は必ずついていきます。バハムート殿同様に、私を剣なり盾なり、好きにお使いください」
「ジハード、ありがとう」
「もったいないお言葉」
「決まったな」
 バハムートが締めくくる。
「リヴァイアサン。これよりリディアと私、ジハードの三名は異界へと赴く。ただちに幻獣門の」
「お待ちください!」
 甲高い声が上がった。
 全員が、声の主を見つめる。
「シヴァ」
「私も、リディアと同行させてください、幻獣神様」
「なっ、なにまだ馬鹿なこと言ってるの、あんたはっ!」
 シヴァの嘆願に続いて、セイレーンの罵声が飛ぶ。さすがにこの発言には、セイレーンも場所を忘れて叫んでいた。
「私は、リディアの役に立ちたいから」
「シヴァ、あんた、この状況が分かってるの? 幻獣神様とジハードが一緒なのよ? あんたの出る幕なんかないでしょっ!」
「でも」
「かまわん」
 シヴァとセイレーンの口論を、バハムートが止めさせた。
「バハムート?」
 リディアがバハムートを見つめる。相変わらずの優しい微笑み。だが、その裏で何を考えているのかは決して悟らせてはくれない。
 この方は大人なのだ。自分などより、圧倒的に。
「ですが、幻獣神様!」
 相手を忘れて、くってかかるセイレーン。だが、それをバハムートは手を上げて制する。
「安心するがいい、セイレーン。シヴァ、お前がどうしても来るというのならば私はかまわん。だが、リディアの共をするのに相応しい力量を見せてもらおう。足手まといになられては困るからな」
 力量?
 全員がバハムートを見つめる。バハムートが片手を差し出すと、その手の中に杖が現れた。
「来るがいい、シヴァ」
「……」
「私に、わずかにでもダメージを与えることができたなら、お前を同行者として認めよう。さもなくば」
 シヴァは、迷わずに立ち上がった。
 たとえ、相手が神でも、彼女はひくわけにはいかなかったのだ。
 大切な友人のために。
 誰よりも大切な人のために。
「ちょっと、やめなさいシヴァ、こんなところで」
 セイレーンの制止の声も、彼女にはとどかない。室内の温度が急激に低下し、空中に白い結晶が生まれる。
「やめて、シヴァ!」
「ダイヤモンドダスト!」
 シヴァの氷の息吹がバハムートに降り注ぐ。
「覚悟は、いいな?」
 バハムートは、しかしぴくりとも動じない。ダメージなどまるで受けていないのは明らかだった。
「自分の力を知るがいい」
「ま、待ってバハムート!」
 リディアの声が響くが、バハムートも引くわけにはいかなかった。圧倒的な力の差を見せつけられないかぎり、シヴァは決して引かないだろう。それが分かっていただけに。
「メガフレア!」
 ジハードが飛び、セイレーンをかばう。そうでもしなければ彼女もこの魔法の巻き添えを食らうと判断したからだ。そしてリディアも、王と王妃も、それぞれに魔法障壁を生み出してバハムートの魔法から身を守る。
 だが、シヴァは。
「あっ!」
「シヴァ!」
 彼女の美しい白い肌も、水色の髪も、焼けてただれてしまっていた。
 そして、ばったりと彼女は倒れた。
「バハムート!」
 リディアは紫の服を着た青年に詰め寄る。
「どうして、ここまで」
「手加減はしたとも。大丈夫、一日もすれば元に戻る」
「でも!」
「リディア。お前は、彼女の気持ちに気づいていないのか?」
「?」
「彼女は、愛しているのだよ、お前を」
「……」
 リディアは言葉を失った。
 気づいているつもりではあった。だが、こうしてはっきり言われると、それは少なからずリディアの心に衝撃を与えていた。
「力の差を見せつけられない限り、彼女はお前のために決して引くことはしないだろう」
「で、でも」
「私たちで彼女を守ってやれるならいい。だが、今回はそのように余裕のある戦いには決してならないのだ」
「……」
「お前がシヴァのことを思ってやるのだったら、目が覚めたら伝えてやるといい。必ず帰ってくると、だからここで待っていてくれるようにと」
「バハムート」
「なんだ?」
「私、やっぱり、子供、なのかな」
「だからこそ、みんながお前を守ろうとしている。私にはそう見えるがな」
「……」
 リディアはセイレーンに抱きかかえられているシヴァに近づく。
 その目が、ゆっくりと開いた。
「り、でぃあ」
「シヴァ」
 リディアはシヴァを抱きしめると、その頬に口づけた。
「ありがとう、ありがとうシヴァ、私のために」
「リディア」
「でも、ごめんなさい。シヴァを連れていくことはできない」
「うん」
「必ず、帰ってくるから」
「うん」
「シヴァのところに、必ず帰ってくるから」
「うん」
 バハムートがアスラを横目で見る。頷き、アスラは立ち上がるとシヴァの下に近づいて優しく抱き上げた。
「シヴァのことは、私に任せておきなさい、リディア」
「アスラ様」
「幻獣神様、リディアをよろしくお願いいたします」
「ああ。お前たちのリディアを失わせるようなことはしないと誓おう」
「ありがとうございます」
 アスラとシヴァ、そしてセイレーンがそれに付き添って出ていくと、リディアはバハムートを見つめた。
「私、強さだけじゃなくて、もっと成長したい」
「ああ」
「心の強さがほしい。大人になりたい。何があっても負けない心の強さが」
「ああ、お前なら必ず手に入れることができるとも。この旅の中でもな」
 リディアはしっかりと頷いた。






67.騒々しい来訪者

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