「あーれれ? なんでアンタがこんなとこにいるわけ?」
 目の前に現れたのはローブを着込んだ男。
 かつて、共に戦場をかけた相手。
『頼みがあってな』
 歌うような声が響く。
『私の目的を達するため、ある一人の少女を護衛してほしい』
「護衛? そりゃ、契約しろってことかい? このオレに?」
『召喚士としては、人の歴史上、もっとも力を持つものだ』
「へえ」
 それほど言わせる少女には興味がある。
「で、見返りはなんだい?」
 男は答えた。
『お前が最も欲してやまないものを』












PLUS.67

騒々しい来訪者







Bacchus






 門が開く。暗黒の空間がその先に広がる。
「お戻りは、いつごろになりますか」
「分からんな。それに私はここへ戻ることはないぞ。リディアを無事に送り届けることが私の役目だからな」
「幻獣神様と久しぶりにお会いできて、望外の喜びでした」
「リヴァイアサン」
「はい」
「私は、その仰々しい物言いをやめるように何度も頼んでいるはずだぞ」
「私の全ては、あなたに捧げましたから」
 王は穏やかな笑みを浮かべる。
「あなたの理想をこの空間に維持することだけが、私の望みです」
「まあいい。後のことは頼む」
「はい」
 王と神のささやかな別れが済むと、ゆっくりとリディアたちは旅立つ。
 その先に、未踏の地が無限に広がっているのだ。
「バハムート」
「なんだ?」
「私、これからどこに行けばいいのかな」
 この空間はまさに宇宙空間と同じく、ただ暗闇が広がるのみである。しかも星々の輝きすらないのだから、まさに一面の闇がただ広がっているだけである。かろうじて、人の姿を保つバハムートとジハードの姿は見えるが。
「最終的に行くところは決まっている。だが、しばらくはお前のレベルアップが必要だ」
「最終的に?」
「それはおいおい分かる。とりあえずは、進路をプラス5、マイナス4、プラス35に取るぞ。そこに最初の獣がいるはずだ」
「はい」
 正面を向いているこの状態から、右斜め後ろ、若干上の方角へ向けてリディアたちは移動を開始する。
「獣の名は?」
「名は自分で聞くがいい。この辺りでレベルアップするならば手頃な相手だろう。私やジハードと同レベルだな」
 リディアはさすがに冷や汗をかいた。そのジハードを仲間にするのに、自分は危うくタイタンを失いそうになっているのだ。
 だが、今はそのジハードとバハムートが仲間になっている。これ以上に心強い味方はいないのは分かっている。
「私にも、若干ですが心当たりがあります」
 ジハードが続けて言う。
「私の友人です。力は私と五分、というか、いろいろな特殊能力を秘めている奴でして、重宝すると思いますよ」
 とにかく、外のことはリディアには分からない。行き先は全て二人に任せるしかないだろうと考え、その旨を告げる。
 その直後であった。
「バハムート殿、何か、妙ではありませんか?」
「うん?」
 ジハードが尋ねると、バハムートは辺りを見回す。
「何だ、これは?」
 バハムートとジハードが移動をやめたので、リディアもその場に止まる。
「強大なエネルギーが近づいてくる?」
 ジハードは咄嗟にリディアをかばった。そしてバハムートがバリアをはる。
 直後に、衝撃がきた。
「キャアッ!」
 バリアに受けた衝撃が直接リディアにも伝わる。これでも被害は最小限のはずだが、かなりの震動があった。
「何者だ?」
 バハムートが闇に向かって尋ねる。その先に現れたのは、一匹の獣であった。
『おやおや、随分と変わったエネルギーの持ち主だと思ったら、まさか人間とはね』
 キマイラの姿をしたその獣の口から、男の声が流れる。
「その風変わりな恰好はどういうつもりだ、ディオニュソス」
 ディオニュソス、と呼ばれた獣は『へへっ』と笑うと身を翻した。途端に、体が人間のものに戻る。
 美青年だった。イフリートと同じ褐色の肌、そしてひどく浮世離れした真っ白な髪。人懐こそうな空色の瞳。下はだぶだぶのズボンをはいて、上半身は何も着ていないという格好だった。
「ディオニュソス。この者が?」
 ジハードも名前は耳にしたことがあるらしく、腰の剣を抜いて臨戦体勢に入る。
「ジハードか。やめとけよ、お前じゃオレにはかなわないゼ」
「試してみるか?」
「お前がどうしてもっていうんならな。別にオレはお前と戦うために来たんじゃない。興味があるのは、そっちの嬢ちゃんだよ」
 私? と、リディアはディオニュソスを見つめる。逆にディオニュソスもじろじろとリディアを見つめた。別段、敵意はないようだった。
「へえー、こりゃ別嬪だ」
 突然そう言われ、思わずリディアはくすっと笑う。
 何だか、この調子は故郷の恋人未満だった青年を思い出す。
「笑った顔もいいねえ! こんな別嬪さんは、俺の知るところじゃあ、バハムート、あんたの奥さんくらいじゃねえのか?」
「褒めていただけるのはありがたいが」
 バハムートも例の杖を出していつでも戦える状態だ。
「何をしに来た? 戦うため、というわけではないようだが」
「せぇーかい」
 にやり、とディオニュソスは笑った。
「この娘、召還士かい?」
「その通りだ」
「まさか、バハムートのおっさん、あんたまでこの娘と契約してるってのかい?」
「その通りだ」
「へえーっ」
 ディオニュソスは敵意がないということを示すために両手を上げてからゆっくりと近づいてくる。そしてリディアのすぐ傍まで近づいて、いろいろと見つめた。
「あんた、獣と契約するためにわざわざ幻獣界から出てきたのか?」
 察しのいい男である。リディアは「うん」と澄んだ声で答える。
「度胸があるんだな」
「そんなことない。バハムートとジハードに守られていないと、私、何もできないから」
「謙遜謙遜。あんた、召還士として結構優秀なんだろ? 見れば分かるさ」
「バハムートやジハードを召還できるのは私だけじゃないし」
「それを同時に召還できるのは、多分あんたくらいのもんだと思うぜ。それに、この先それだけじゃなくなるんだろう?」
「そうなるといいんだけど」
「強くなりたいのか?」
「うん」
「何のために?」
「大切な人たちを守るために」
「それだけか?」
 リディアは詰まった。
 それだけではない、アセルスに対する意地のようなもの、自分が勝手に思い込んでいるだけなのだが、それがリディアの中にはある。
「……負けたくないから」
 ディオニュソスは疑問符を顔に浮かべる。
「力を合わせるということが、何よりも強いということを証明したいから」
 相手を支配するのではなく、相手と力を合わせるということ。それが何よりも強い力なのだと実証したい。
 もうエデン戦のときのような、はがゆい想いはしたくない。
「へえ」
「おかしい、かな」
「いや全然。それどころか俺、あんたのこと気にいっちゃったよ」
 リディアはくすっと笑う。
「こんなところでナンパ?」
「ま、そんなとこかな。でもけっこう本気だぜ? 俺が声かけようなんて思ったの、それこそバハムートの奥さん以外じゃ初めてなんだから」
 全く信用ができない。だが、そう言われて嬉しくないというわけでもない。
「ありがとう」
「いいねえ、その笑顔。ますます気に言ったぜ」
「それじゃあ、私と契約してくれる?」
「いいぜ」
 あっさりと。
 これほどあっさりと今まで契約が終わったことがあっただろうか。
「お、おいおいディオニュソス」
 さすがにバハムートも呆れていた。
 こんなに簡単に自分の主人を決めるということに抵抗を感じたのだろう。
「いいじゃねえか、バハムートの旦那。あんたらがつきっきりで護衛してるってことは、それだけ凄い術者なんだろ? それに俺だってこう見えても獣のはしくれ、召還士の力量くらい見ただけで分かるんだよ」
「獣は相手の力量を自分の力量で見定めるのが掟だったと思いますが」
「固いねえ、兄ちゃん。これからの獣はもっと柔軟にやってかなきゃだめだよ。分かる? じゅ・う・な・ん。というわけで、あんた、名前は?」
 突然話が戻るが、リディアは冷静に対応する。
「リディア」
「よし。じゃあリディア、これからはあんたが俺の主人だ。俺のことは好きに使ってくれ、っていうか、勝手についてくけどな」
 バハムートとジハードが目を見合わせた。
「あたりまえだろ? 俺のリディアが辛い目にあってるってのに、放ったらかしになんかできるかよ」
「姫は貴様のものなどではないっ!」
 さすがに激昂するジハード。だが、リディアは笑ったままだ。
「じゃあ、よろしく。ディオニュソス」
「あ、俺のことはディオでいいぜ。もちろん召還するときはきちんと名前呼ばないと駄目だけどな。俺もあんたのこと、リディって呼んでいいか?」
「そ、それはちょっと」
「貴様、いいかげんにしないと……」
 ジハードが剣を構えた。
「おいおい、これくらいのことで怒るなよ兄ちゃん」
「貴様に兄ちゃん呼ばわりされる覚えはないっ!」
 ビュンッ、と空を切る音が聞こえるが、それより先にディオニュソスはかわして距離を置いている。
「短気だねぇ。短気はよくないぜ。いいじゃねえか、どうせあんただってリディアにちょーらぶらぶなんだろ?」
「きっさま……絶対に斬る!」
 ディオニュソスもさすがにまずいと思ったのか、高速で次元のかなたへと飛び去っていく。それを追いかけてジハードも消え去った。
「リディア」
「なに、バハムート」
「……いいのか?」
「……多分」
 心強いのかどうかは分からないが、新たな契約を結んだことでリディアの力はまた上がっているはずであった。
 とはいえ、かなり先行きが不安な旅立ちとなったことは間違いなかった。






68.戦闘天使

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