「ふむ。さすがにバハムート殿が認めただけのことはある」
好々爺が楽しそうに口ひげを揺らした。
「では」
「うむ、よかろう。契約を結ぼう、緑の乙女」
たった今まで互いに全力で戦いあっていた者同士とは思えない、和やかな会話であった。
「ワシの力が必要なときは、いつでも名を呼ぶがいい」
PLUS.68
戦闘天使
archangels
旅は順調だった。少なくとも、リディアが新たな獣との契約を結ぶという意味においては。
バハムートやジハードのすすめもあり、またその他のトラブルもあり、それから何体かの獣と契約することができた。
最初にバハムートの『知り合い』と契約することがかなった。さすがに彼もバハムート、ジハード、ディオニュソスの三体を同時に相手にすることは無謀だと感じたのか、リディアの資質を認めると契約をかわした。
続いてジハードの『友人』とも契約を結んだ。リディアは魔道士としての能力が試されたが、それに無事合格することができた。
さらに途中、ディオニュソスの知り合いの女の子がいるということで会いにいくことにした。彼の知り合いというのはどういうものだろうと不安であったが、会ってみると予想に反して潔癖な少女であった。彼女もまたリディアに忠誠を誓った。
そうして、リディアが獣たちと契約をかわし、レベルアップを格段に果たした時点で、とうとうバハムートが切り出すこととなった。
「そろそろだな」
だがリディアには意味が分からない。
「何が?」
「あいつらのところに行く時期が、だ」
「あいつら?」
「バハムート殿、まさか」
「うむ。この地方でもっとも強大な獣たち。彼らと契約することができれば、リディアの力は格段に上がるだろう」
「おいおい、無謀じゃねえのか、そりゃ」
ディオニュソスがオーバーアクションで反対する。
「彼ら?」
幻獣に関してそれほど詳しいわけではないリディアにとっては、いったい誰のことを言っているのか分からない。
「四天使と呼ばれる連中だ。この辺りでは一番力を持っている」
「バハムートより?」
「俺よりって聞いてほしいなあ、できれば」
ディオニュソスは言いながらリディアに抱きつこうとした。だが間にジハードが入ってそれを邪魔する。
「ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四体で一つの召還獣だ。だがその力は凄まじい。その中の一体が私と同じ力の持ち主だ」
「じゃあ、バハムートくらい強いものが四体いるっていうこと?」
「そうなるな」
目が回る思いだった。そんな強大な相手と戦って自分たちは無事でいられるだろうか。
そもそもリディアは厳密な意味では戦闘要員ではない。人間の世界では魔道士として十分な戦力となる彼女も、この幻獣界ではひ弱な一人の少女に過ぎない。
「彼らは常に四人で行動する。リーダーのミカエルはおそらくこの一帯では最強の力の持ち主。最前線を戦うウリエルに、強力な魔法を操るガブリエル、剣と魔法のバランスに優れたラファエル、いずれをとっても強い」
「戦いになるの?」
「おそらくな」
「勝てる?」
「難しいだろうな」
バハムートも明確な返答を避けた。彼にしても、これは賭なのだろう。
「ま、行くなら行くでさっさとしようぜ」
あっけらかんと、ディオニュソスが言う。
「お前、ことの重大さが分かっているのか」
それにからむのはやはりジハードである。このふたりはリディアを中心としてその両極端にいるようだ。
「なんだい兄ちゃん、勝つ自信がねえのか?」
「そういう問題ではない。自分たちはいい。仮に1対1となったとしても、負けることはないだろう。だが、姫は」
そう。あきらかにリディアでは戦力不足だった。
「リディアなら大丈夫だって」
「何を根拠に」
「なーに、ちょっとの間ひたすら逃げ回ってりゃいいんだ。俺が一匹さっさと始末すっからよ。それで戦力は五分だ」
「そんな簡単にいくものか!」
「やれやれ、おかたいねえ」
ジハードが剣を抜いてディオニュソスを追いかけ回す。しかも今回はどうやらジハードもかなり激怒しているらしく、逃げる方も追う方も本気だ。たちまちふたりの姿は見えなくなってしまう。
「……やれやれだな」
バハムートが失笑をこらえきれずに漏らす。
「大丈夫かな」
「あのふたりのことだ。放っておけばそのうち戻ってくるだろう」
だが、その直後のことであった。
「バハムート」
リディアが前方を見据えて言う。その先に、しっかりと標的が見えていた。
「どうした?」
「何か、来る」
「何か?」
バハムートは言われて前方を見つめる。たしかに遠くから、かなり強いエネルギー体が2つ、近づいてくる。
(……この私より先に気づいたというのか)
バハムートは自分の契約者の成長に喜びつつ、バリアをはる。
直後に、衝撃がきた。
「くうっ」
だがリディアはその衝撃にも怯まず、近づいてくる2匹の獣をじっと見つめていた。
「まさか、こういう展開になるとはな」
バハムートが愚痴る。
「久しいな、バハムートよ」
獣は、翼を持った人型であった。片方は男で、もう片方は女だった。男はバハムートと同じくらいの背で、女の方はそれより頭一つ小さい。
「ミカエルに、ガブリエルか。あとのふたりはどうした?」
「お前たちの仲間の方へ向かった」
「戦うためにか?」
「他に何がある?」
ミカエルは腰の、黄金に輝く剣を抜く。
「我等が領域を侵した者はみな、この懲罰の剣の贄となると知れ」
そして突進してくる。バハムートが杖を振るって、その剣を受け止めた。
激しい黄緑色のスパークが周囲に満ちる。
「ほう、さすがにバハムートだな。我が剣の一撃を受け止めるか」
「お前たち全員を相手には勝てぬだろうが、1体1ならば負ける気はない。
「そうだな、1対1、ならばな」
ミカエルは笑った。バハムートはそのとき、背後の気配が消えていることに気づいた。
「リディア!」
いない。
忽然と、消えてしまった。
「ガブリエルの特殊能力を知らないようだな。彼女は、標的を定めたら逃さない。どんなときであってもな」
(異空間へ連れ去ったということか)
いまいましい。
自分がついていながら、リディアを危険な目にあわせてしまうとは。
「ならば、すぐに決着をつけねばならないな」
「できるかな、お前に」
ミカエルの剣が炎を帯びる。
懲罰の剣。全ての悪を打ち滅ぼすといういわくつきの剣だ。その威力はバハムートもよく心得ている。
だが、負けるわけにはいかない。もともと自分は彼らに勝つつもりでここまで来たのだから。
「お前などには、負けんさ」
バハムートはローブを脱ぎ捨てた。
その装束の中は、軽戦士の格好であった。そして、右手に杖を持っている。
これは、竜の杖。
使用者の力を無限大に高める、バハムート専用の武器である。
双方、神器と呼ぶに相応しい武器である。そして、それがぶつかるとどうなるか。
「ゆくぞっ」
ミカエルが突進する。
バハムートは迎え撃った。
「あなたは──」
リディアは戦闘体勢のまま尋ねる。
相手は、女性だった。憂いげのある瞳に、不思議な透明感のある深い蒼色の髪。
「我が名は、ガブリエル」
「ガブリエル……」
「あなたの相手は、私」
ホゥ、とガブリエルの両手に光球が生まれる。
「あなたを、倒します」
その光が、槍状に変化する。2本の槍。
(水……?)
水の槍。それがガブリエルの両肩の上くらいに浮き上がる。
「一つ、聞かせてください」
相手は強い。
リディアは自分に勝ち目がないことを充分に分かっていた。
自分ひとりではバハムートやジハードらに勝てるはずもない。当然、それと同等の力を持つ四天使たちにかなうわけがない。
もちろん、負けるつもりはないが。
「あなたたちのことを知りたいのです」
「無意味ですね」
「無意味ではありません。私はあなたに負けるつもりはありません。あなたの信頼を得ようと思っています。だから、あなたのことが知りたいのです」
「繰り返しますが、無意味です。あなたは私にかないません」
「あなたたちも召喚獣なら分かるはず。強い召喚士と力を合わせることで自分の力がさらに高まるということを。自分の力を高めるにはそれが最も効率的なのだということを」
ぴく、とガブリエルが反応する。
「……あなたはそれに見合う人物だと?」
「そのつもりです」
「……私に見極めよというのですか……確かに、かのバハムートが仕えているだけのことはありますね」
「バハムートは私の友です。主人でも部下でもありません」
ガブリエルは目を二度、瞬かせる。
「……本気で言っているのですか」
「召喚士と召喚獣。お互いが協力しあわなければより強い力は生まれません。私はそれを証明するために、今この場にいるのです」
「……なるほど。では、見極めさせていただきましょう、あなたの力を。そして──」
ガブリエルが身構える。リディアもまた、早口で呪文を唱えた。
「私を使役するに相応しい術者か、証明してみせてください」
水の槍が、放たれた。
「こいつは、まいったね」
ディオニュソスはやれやれと頭をかく。
「……貴様に振り回された自分が恨めしい」
「じゃ、今度から気をつけな」
「!……」
ジハードは怒鳴りつけようとしたが、こらえた。
目の前にいる2人組がそれを許さなかったのだ。
「なんだかなあ、まさかお前サンに会えるたあ思わんかったぜ、ディオニュソスの旦那」
「久しぶりだな、ウリ坊。ラフィーもおひさ」
「その呼び方はやめてくれないか、ディオニュソス。正式な名前を呼ばないことほど無礼なことはない。貴公も知っているはずだ」
ウリエルと、ラファエル。同じ顔で、背に翼を持った2人の男が彼らの前に立っていた。
「知らないねえ。俺も別にディオって呼んでくれていいって言ってるからなあ」
ディオニュソスの褐色の肌が、若干赤らんだように見えた。そして、白い髪が逆立っていく。
「お前らが出てきたってことは、バハムートのおっさんのとこにも残りの2人が行ってるってことだよな。わりぃが、お前らにかまってる暇はないんでな」
ディオニュソスの体から火が生じた。
彼の周りの大気が燃えているのだ。
(この男)
ジハードはようやく、自分の隣に立つ男の実力を知った。
自分よりも、強い力の持ち主であるということを。
「本気のお前とやりあうのは久しぶりだな、ディオニュソス」
ウリエルが焔の剣を構える。だが、それをラファエルが手で制した。
「お前は駄目だ」
ラファエルはディオニュソスを睨みつけて言う。
「ディオニュソスとは私が戦う」
「なん……」
「お前では勝てない」
「……!」
ウリエルは明らかに憤慨していた。
だが、それなのに何も反論しないのは、ウリエルよりもラファエルの方が強い、ということを意味していた。
「いや……私でも勝てるかどうか」
ラファエルは炎の剣を構えた。
「どっちだっていいぜ。何なら2人一緒でもな」
「ディオニュソス。先走るな」
「黙ってろ小僧。こいつらは俺が1人で引き受けてやらあ。お前はさっさと、嬢ちゃんのところに行ってやりな。さすがにおっさんでもこいつら相手に1人で立ち向かうのは荷が重いぜ」
ごうっ、とディオニュソスの体から強烈なオーラが発せられる。
(この者は)
今までずっと、ディオニュソスの力を未知数として考えないようにしていたが──いや、それは自分よりもはるかに強い実力の持ち主だと薄々気づいていたからではないか。
「分かった。ここは任せる」
ディオニュソスはもう答えなかった。既に戦闘体勢に入っていたのだ。
瞬間的にラファエルの傍まで近づき、素手で殴りかかる。
「くっ」
ラファエルが剣でなんとか応戦するが、すぐに左の膝がラファエルのわき腹に入る。
「てめえっ!」
ウリエルが攻撃をしかけてくるが、ディオニュソスはかるく回避し、右足で蹴りつける。
「ぐっ」
その戦いの隙をついて、ジハードはその場を一気に離れる。
ディオニュソスの考えは理解した。自分で2人をひきつけて1人余裕を作ることだ。
そしてリディアを援護させて、早く契約を結ばせる。
そのためには自分がうまく立ち回る必要があるのだ。
「……貸しを作ったなどと思うな」
リディアのもとへ全力で移動しながら、小さくジハードは呟いた。
「……思うわけねーだろばーか」
ディオニュソスはそれが聞こえていたのか、そう呟いて答える。
彼にしてみると、この2人を相手にしても充分な勝算があった。
ミカエル相手ならば五分といったところか。ガブリエル以下の3人ならば問題なく勝てる。
ではラファエルとウリエルの2人を同時に相手にしたときは──やはり、五分。
1人で2人を同時に相手にする場合は、まずは戦力の高い方から潰すのが一番。
だが、この場合は異なる。ラファエルは攻防のバランスのとれた相手。それに比べてウリエルは攻だけはラファエルを上回るが、防の点では弱い。
それならば、先にウリエルを叩きつぶしておいた方が早いのだ。
「いくぜっ」
紫色の波動を2人に向かって放つ。2人は同時に飛び退るが、その片方──ラファエルに対して攻撃をしかける。
もちろんラファエルは武器を構えて応戦する。そしてウリエルも遅れてディオニュソスに襲いかかってくる。
それは、罠だ。
ウリエルをうまく誘い出して叩き潰すための。
「なっ」
ディオニュソスの体が消えて、ウリエルの剣は空を切った。
「どこへ」
ウリエルが前後左右上下全て確認するが、どこにもディオニュソスの体はない。
「どこを見ているウリエル、前だ!」
声をかけられて、ウリエルは前方に意識を集中する。だが相手の姿はどこにも──
「なっ!」
突如、ディオニュソスの姿が目と鼻の先に現れた。
既に腕がふりかぶられている。握りこぶしだ。回避する間はない。
強烈な打撃が、ウリエルの頬骨にヒットした。
ウリエルの体は10メートルほども吹き飛ばされ、意識を失ってその場に仰向けになった。
「ディオニュソス……」
ラファエルは顔をしかめた。さすがに強い。
「ウリエルが倒れた今、お前に勝ち目なんかねえぜ」
ディオニュソスは拳をポキポキと鳴らして、さらに戦う姿勢を見せる。
「……なるほど、以前よりはるかに強くなっているということか」
「たりめーよ。さすがにミカちゃんにはちっと及ばねえかもしれねえが、他の連中に負けるような俺様じゃねえぜ」
「やむをえないな」
ラファエルは空いた左手に剣を生んだ。
「本気で、行こう」
双刀を構え、間合いを詰める。
「お前で俺にかなうかよ」
ディオニュソスもまた、間合いを詰めた。
双刀がうねりながらディオニュソスの体に襲いかかる。
その剣を見切り、回避する。そして、
「ラフィー、俺がお前に負けない理由を教えてやる」
両方の手首をむんずと掴み、相手の顔にキスできるほどに近づく。
「なんだと……」
「俺は主を得て格段にパワーアップした。その差だ」
突如、ラファエルの思考回路が麻痺した。
体がバランスをとれなくなり、その場に浮き上がる。
「な、ん、を」
ろれつも回っていない。
「俺が酒を司るってこと、忘れてたみたいだな」
ディオニュソスは、両手首から直接アルコールを相手の体内に注入していたのだ。
「殺しやしねえよ。俺のリディアがお前らの力を必要としてるからな」
「きはま……」
ラファエルは働かない頭を必死に動かす。
この幻獣は、危険だ。
自分たち2人をあっさり倒すことができるほどの力の持ち主。それでいて召喚士に仕えている。
──本当に、仕えているのか?
「さあて、腕の見せどころだぜ、リディア」
──本当に?
69.契約の意味
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