「お主が契約を結ぶとはな、最初は気が違ったのかと思ったぞ」
 その美しい女性は綺麗な髪をなびかせて言う。戦う意思は最初からなかった。全て対話でここまでこじつけたのだ。
「ま、リディに惚れちまったからな。惚れた弱みって奴だ」
「リディアと言ったな。この男の言葉は信じるな。もちろん、騙されるような方ではないというのは分かっているが」
 全く、正反対のふたりだった。かたや漆黒の黒髪の潔癖少女、かたや破天荒な常識破りの青年、このふたりが友人同士というのは違和感を覚える。
「私の力が必要なときは、いつでも私の名を呼ぶがよい。そなたのためなら喜んでかけつけよう」
 リディアと同じくらいの歳格好をした少女は、大人の女性の笑みを浮かべた。












PLUS.70

遠い未来







in the far distant future






 バハムートの体が宙を舞った。重力のないこの空間の中では、そのまま永遠に体が押し流されていくだけだ。だが、それより早くミカエルの体が動き、強烈な肘うちをバハムートの胸に打ちつける。
「がふっ」
 目の前が霞む。屈辱。この世界では自分に匹敵するものなどそう多くないと思っていたのに、まるで歯がたたない相手がいるなど想像したこともなかった。
 それほどの力を持っているということか。
「とどめだ、バハムート」
 懲罰の剣が振り下ろされる──
(消滅するのか?)
 自分だけは消滅しないと思っていた。この世界で、この空間で、未来永劫弱い幻獣を守り、人間と関わっていくのだと思っていた。
 それなのに、自分が消滅するのか。
(そういう……ものか)
 誰も、自分が次の瞬間に命を落とすなどということは考えないものだ。
 自分も、その一例にすぎないということか。
 もう体も動かない。
 この剣を止めることもかわすことも、自分にはできない。
(さらば……)
 だが、その前に飛び込んでくる一つの影。
『聖戦』の称号を持つ男が、自分の命を救おうと勝負に割り込んできた。
「バハムート殿!」
 ジハードは自らの剣で懲罰の剣を受けた。
「ほう」
 ミカエルが驚いたように呟く。
「まさかお前がやってくるとはな……ウリエルとラファエルはどうした」
「戦いに、それは意味のある問いではない」
 剣に対して剣で防ぐ。それは力のある者ならば有効な戦い方だ。
「行くぞ!」
 ジハードは自分が力不足であることをわきまえていた。
 この戦いの中にいる誰よりも力が足りないことをわきまえていた。
 ディオニュソスにもバハムートにも及ばない。四方天使たちはそれぞれが自分よりもはるかに強い。
 だがそれは戦力にならない、という意味ではない。
 バハムートが力を回復するまで、自分がなんとか持ちこたえる。相手もバハムートの攻撃を受けて弱っている。時間を稼ぐだけなら自分にもできる。
 ──それは彼自身まだ気付いてはいなかったが、個体を中心に考える召喚獣たちの中に芽生えた『チームプレイ』とでも呼べるものであった。非常に、小さなものだが。
「甘い」
 だが、ミカエルはその力をはるかに上回っていた。ジハードの剣撃をなんなくかわし、逆撃を加えてくる。
「ぐっ」
「守勢に回って勝てると思うか」
 剣が煌き、ジハードの体に三箇所の裂傷をつける。
「守勢に回るつもりなどない」
 ジハードはその剣を両手に構えた。
「我が特殊能力、見るがいい」
 その剣が燐光を増し、空間にエメラルドグリーンの光が満ちていく。
「……これは」
「聖戦の光!」
 あふれる光はジハードの体内に注がれ、その体を薄い紅色に染め上げる。
 いや、それはジハードだけではない。
「……やれやれ、貴公の力を受けることになるとはな」
 バハムートもまた然りであった。その体が薄い紅色に輝いている。
「これで二対一。多少は勝算ができるというものでしょう」
 かつて命を削って戦いあった相手が、こうして手を組んで別の敵と戦う。
 不思議なものだとバハムートは思う。だがそれも、全ては中心にいる少女を守らんがため。
(……お前は本当に強い娘だ、リディア)
 その力を受けている自分もやはり、以前より強くなっているはずだ。
「勝算だと」
 だが、ミカエルの様子は一向に変わらなかった。
「お前たちごときがどれだけ集まろうと、勝ち目などあるものか」
 ミカエルの剣から炎が生まれて剣をくるむかのように渦を巻く。
「ジハード。奴は一気に勝負をつけにくるつもりだ。こっちも最大の力を放つ」
「了解した」
 双方、互いに魔力を高めあう。そして、先に動いたのは、バハムートだった。
「メガフレア!」
 灼熱の劫火がミカエルを襲う。そして、
「天罰!」
 ジハードの天罰の光がそれに相乗効果を生み出す。
 直撃だった。
 これで消滅しないものなどいるはずがない。
 ふたりともそう思った。
 だが。
「……それが、お前たちの限界だ」
 ミカエルはその炎を浴びてなお悠然としていた。
「炎とは全てを焼き尽くす、このことを言うのだ」
 そして、片手で剣を高々とかざす。
「メギドフレイム!」
 その剣から漆黒の炎が放たれ、バハムートとジハードに直撃する。
 一瞬で体が燃え上がった。
「ば、ばかなっ」
 燃える。
 自分が、燃える。
「一瞬で炭化しなかったのはさすがは龍神に聖戦。しかし」
 ミカエルは再び剣を構えた。
「二度目はない」
 漆黒の炎が、再び放たれた。

「そこまでです、長兄」

 が、その間にわりこんできたのは四天使の中でも唯一女性体のガブリエルであった。
「ガブリエル」
「戦いは終わりました。これ以上の戦いは無意味です」
 ガブリエルが指を鳴らすと、燃え上がっていたバハムートとジハードの体から炎が消えた。
「くっ……これは」
 バハムートが全身のやけどをおさえながら現状を確認しようと身を起こす。ジハードは完全に失神してしまっているようであった。
「戦うことが無意味とは、どういう意味だ」
「彼らは召喚士を守るための存在。戦う相手は召喚士であるはず。もし召喚士と契約を結んだとしても、他に契約している召喚獣の存在なくば力は弱まるだけのことです」
「ほう」
 ミカエルの目が細まる。
「ガブリエル。あの娘はどうした」
「少なくとも、過去あれだけの術者はおりません。長兄に会わせるために連れてまいりました」
 それを聞いていたバハムートは思わず目を見張っていた。
(リディア……)
 まさか。
 まさか、たった一人で、四天使の一人に認められたというのか。
(……本当に強くなったのだな、リディア)
 そして、その姿が空間に現れた。
 ガブリエルに認められたリディアは以前までよりさらにたくましく、落ち着いて見えるようだった。
「ガブリエル」
「はい、長兄」
「契約を結ぶことができるのは私だけだと知っているはずだな」
「はい。ですから連れてきました。長兄に納得のいただける『力』をご覧いただきます」
 そうしてガブリエルは隣に立つリディアの肩に手を置く。
「さあ、リディア。私が先ほど教えたとおりにやりなさい。あなたなら、この魔法を使うことができるはず。そしてここは暗黒の空間。どれほど巨大な魔法を使ったとしても誰にも迷惑を及ぼすことはありません」
「はい。ガブリエル」
 リディアは一歩前に歩み出ると、ゆっくりと両手を前に差し伸べ、親指同士、小指同士を合わせてミカエルに向けた。
『契約に従い、我が前に力を示せ』
 そして、ゆっくりと呪文を唱える。
(なんの魔法だ?)
 その呪文はバハムートですら知るところではなかった。だとすると、幻獣だけがもつオリジナルマジックに違いない。そう、ガブリエルが持っている魔法、それをリディアに受け継がせたのだ。
『預言の導きにより集え、崇高なる魂。いでよ、黙示録砲』
「そ、その呪文はまさか──まさか、ただの人間に使えるはずがない!」
 ミカエルは剣を構えて全力で防御結界を築く。
 それが完成した直後、リディアの呪文もまた完成した。
「アポカリプス!」
 リディアの手の中に紫色の光が生まれた。
 その光は徐々に質量を増していき、人の頭ほどに大きくなる。
 次の瞬間、その光はミカエルの防御結界を貫いていた。
 その中にいたミカエルの左腕をかるくもぎとっていく。
 そして、爆発した。
「ぐうっ!」
 爆発の衝撃でバハムートは激しく吹き飛ばされた。ジハードは意識がない分、そのまま慣性に従ってどこまでも吹き飛ばされていく。
 そして、後にはリディアと、ガブリエルと、そして左腕をなくしたミカエルがいた。
「……黙示録砲を使うことのできる人間がいる、だと?」
「そうです。人間に使うことができるはずのない魔法。人間が本来備えている許容量の限界を超えてあまりある魔法。人間には禁じられている魔法。ですが、それを使うことができる者がここにいるのです、長兄」
 リディアは魔法力を完全に使いきってしまい、倒れる寸前であった。だが意識をしっかりと保ちミカエルを睨みつけている。
「……これをもって、私に契約せよというのか」
「かなうならば」
「だが、この魔法を授けたのはお前だろう、ガブリエル」
「左様です。既に私は彼女の人並みはずれた魔法力を見せていただきました。ですが長兄を説得するためにはこれが最適であると信じたゆえです」
「ふん……」
 ミカエルは憔悴してふらふらしているリディアを見つめた。
 その瞳には強固な意思が宿っている。そして、自分と契約を結ぼうとしている。
「汝に尋ねたいことがある」
「はい」
「その一。我々の力を何に使うつもりか」
「私が望む時に、その力をお貸しいただければ充分です」
「何を望む?」
「混沌と戦い、これを打ち破るために」
「私欲ではない、と?」
「私欲はあります。ほしいものがありますから」
「それは?」
「それは……」
 一瞬、リディアの頭に思い描いたもの。
 それは、セシルとローザの姿。
 それは、孤独なカインの姿。
 それは、自分の背を預けられるものの姿。
「たった一人、私が命を預けられる相手」
「……なるほど」
 ミカエルは頷いた。
「その二。汝に召喚士としての資質があるか否か」
 リディアは返答に躊躇した。何を尋ねようとしているのかが理解できなかったからだ。
「うぬぼれではなく、力はあると思います」
「力の有無ではない。心の問題だ」
「心」
「激情にかられ、召喚士としての力を破壊のためだけに使わないかどうか、ということだ」
 思ってもないことであった。
 そんなことで召喚を行ったことなど、ただの一度たりともありはしない。
 今まで召喚を行ったのは、全て世界の敵と戦い、または仲間を守る、そのためだけに使ってきたのだ。
「はたして、そうかな」
 だがミカエルの瞳にはあらゆる虚偽を許さない強い意思が備わっていた。
「かつて、一度も、激情にかられて召喚を行ったことがないと、言明できるか」
 リディアは自分の過去を思い返す。
 第十六世界フィールディでの戦い。
 故郷での戦い。月で、バブイルの塔で、地底で。
 幻獣界でひたすら修行を重ねた日々。
 そして、はるか幼少の日々。
 母親を亡くした、あの日。
(ある……)
 その、たった一回限りのことをリディアは思い出した。
(たった一回だけ、激情に駆られたことが)
 それは母親を亡くした日。
 目の前に現れた二人の騎士。
 母親を殺した相手だと知ったとき、自分は。
(……全てを消してしまおうと、召喚した)
 タイタン。今ではリディアの守護者として常にリディアの身を守っている存在。
「一度だけ、あります」
「うむ」
「母親を亡くして、激情に駆られ、いらない破壊を起こしてしまった」
「人は、そういうものだ」
 ミカエルの声は冷たい。
「大切なことは二度繰り返さぬこと。強力な自制心を持つことだ」
「自制心」
「人は自らを律することができる。それができないのは獣と同じだ」
「はい」
「よく、素直に答える気になったな」
 ミカエルが言うとリディアは首を振った。
「私は、嘘をつきたくないから」
「得難い資質だ」
 ミカエルは頷いた。
「その三。お前の仲間を助けるために、幻獣を犠牲にしなければならないときは、どうする」
「幻獣の命にかえても仲間を助けます」
 間断なく答えていた。いささかの迷いも見られなかった。
「……そう答える理由は」
「私ならば、自分の命にかえても仲間を助けたいと考えます。私と契約を結んでくれた幻獣たちも同じ思いだと信じています。また、幻獣はそう信じてくれているからこそ、私と契約を結んでくれたのだと信じます」
「然り」
「私は召喚を行うとき、いつも召喚獣に感謝し、そして覚悟を決めて行っています。召喚獣の命を預かっているのだと。だから、怯むことはありません」
「……その覚悟を、誰が汝に教えた?」
「全ての召喚獣が。シヴァ、イフリート、セイレーン、ラムウ、タイタン、シルフ、カーバンクル、ゴーレム、パンデモニウム、アレクサンダー、ケルベロス、オーディン、アスラ、リヴァイアサン、バハムート、ジハード、ディオニュソス……たくさんの召喚獣たち」
 常に、契約には力が試された。
 最初に契約を結んだシヴァ。氷の息吹にも負けず、彼女のもとにたどり着いたときの達成感。
 イフリート。ラムウ。戦いの中で幾度となく傷つき、そして仲間になった召喚獣たちも自分の身を守るために命をかけてくれた。
 仲間たちとともに戦うことで契約を結んだアスラ。リヴァイアサン。バハムート。
 ジハードと戦ったときには、自分の守護者であるタイタンは消滅の直前にまで追い込まれた。
「召喚獣の命を常に私は背負っています。その覚悟を持っています」
「自然と召喚士としての資質を手に入れたということか……」
「これが資質、ですか」
「それだけというわけではない。召喚を行うものの中には、我々の力をただ利用するだけの者が多くてな。一心同体なのだということを理解するものは少ない」
「ミカエル、あなたは」
「質問は、なしだ」
 だがリディアは思わずにいられなかった。
 召喚獣として、何の意味もなく、ただ召喚されるだけの日々。
 使役されているという、尊厳を傷つけられる行為。
「面白い娘を連れてきたな、ガブリエル」
 ミカエルは笑った。
 楽しかった。
 これほど酔狂な人間がいるなどとは思わなかった。
「いかがでしたか、長兄」
「力も資質も、申し分ないと言わざるをえないな」
「では」
「まだだ、ガブリエル」
 だが、ミカエルはまだ首を縦には振らなかった。
「娘よ、一つだけ約束してほしいことがある」
「はい。ミカエル」
「私は未来永劫、二度と契約を結ばないと思っていた」
「はい」
「それは人間への強い不信感もある。また、力なき人間、寿命ある人間、それに強い期待をかけられなかったこともある」
「はい」
「では、娘よ。お前は我々にどのような未来を見せてくれるのだ? 我々がお前と契約することで、我々は何を得ることができるのだ?」
「近い未来では、契約を結ぶことによってお互いの力を高めること」
「遠い未来には?」
「遠い未来には……」
 リディアの脳裏に浮かんだ光景。
 それは、自分が幻獣界で暮らしている光景、そのものであった。
「いつの日か、幻獣と人間が一緒に暮らすことができる。その未来の架け橋となります」
「……」
 ミカエルも、ガブリエルも絶句していた。
 もちろん彼らだけではない。バハムートもだ。
(それほどのことを)
 バハムートは感銘を受けていた。
(それほどのことを考えていたのか、リディア……)
 バハムートは力無き幻獣たちを守るだけで精一杯だった。
 だがリディアは、自分よりも力無き身でありながら、自分以上のことを考えている。

 何故これほども、高度な理想を語れるのだろうか!

「……よかろう」
 ミカエルは答えた。
「我々の力を、汝に貸そう」
「ミカエル」
「この懲罰の剣にかけて、汝が敵は我が敵、汝が味方は我が味方であることを誓おう」
「ありがとう」
「我々を呼び出すときは、こう呼ぶがいい」
 ミカエルは初めて、笑った。
「“セラフィム”と」






71.月の素顔

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