詩人よ、歌え。物語の第三幕を。
PLUS.73
奪われた力
he lost the power of sky
一足先に出発したラグナロクを追うような形で、ガーデンもバラムを出港した。
セントラ大陸に着くまでには一週間はかかる。長い時間だ。
だがその間にも、カインにはやらなければならないことがあった。
体の回復。
カインが一度死んだ身であり、そしてそのために現在体調がよくないということは誰もが理解していた。だが、それがどの程度であるのかはカイン本人にしか分からないことである。
カインはファリスとアセルスを頼って、訓練施設に赴いた。
雑魚モンスターくらいなら抵抗なく倒せる。だが、もしこの間の戦いのような強敵が現れたらどうなるのか。
自分の体が回復できるのであれば、少しでも早くしておきたい。
「いくぜっ」
ファリスが剣を構えたまま突進してくる。この女性の戦闘方法は既に分かっている。とにかく攻撃する。攻撃する。攻撃する。防御ということはほとんど考えていない。ただ相手を叩きのめす。非常に分かりやすい。
そんな分かりやすい攻撃すら、今のカインは防ぐことができない。
槍を重心に、相手の剣の間合いに入り込ませないようにして威嚇する。だがそんな攻撃がファリスに通じるはずもない。
やすやすとファリスは槍の間合いに入り込み、カインの槍持つ手を剣でしたたかにうった。
「くうっ」
手甲をつけているとはいえ、激痛が走る。そして喉元に剣がつきつけられた。
「駄目だな、こりゃ」
ファリスが言った。
「あっさりと決着ついちゃったね」
それを見ていたアセルスも気楽に言う。
「……わざわざ訓練に付き合ってくれているのに、申し訳ない」
カインは痛む手を押さえながら答える。
「仕方ないっていうのは分かるけどな。俺らじゃお前がどれだけ力をなくしてるのなんか分からないわけだし」
「そうそう。少しずつ少しずつ」
二人はそう言うが、カインはそれを悠長に聞くことはできなかった。
体は覚えていなくても、頭にはしっかりと残っている。
剣が近づいてくる。槍で威嚇し相手の動きを止める。そうしてから必殺の一撃を叩き込む。
だが、体の動きが鈍いあまりに、威嚇が威嚇にならず、ファリスに接近を許してしまうことになる。完全に『実力差』が出てしまっている格好だ。
我慢がならなかった。
負けることが、ではない。自分がもっと素早く、力強く動けていたことを知っているだけに、今の自分の体が何よりもどかしく、苛立たしい。
(くそっ……)
焦るな、という方が無理なのだ。
セントラに着くまでにはあと七日。それまでになんとしてもカインは自分の力を取り戻すつもりでいた。
「もう一度、頼む」
「駄目」
あっさりとファリスは却下した。
「何故だ」
「手の処置が先。絶対腫れてるぜ、それ」
ファリスはカインの右手を指さす。確かに鈍い痛みが消えずに残っている。
「……分かった。仕方がない」
カインはやむをえず、訓練施設を後にした。
「どう思う、アセルス」
最近すっかり仲がよくなってしまった相手に話しかける。
「明らかに焦っているな。しかも助言をしてくれる相手もいないだけに、なおさら自分を持て余しているように見える」
「助言?」
「ブルーがいたときは、彼が無茶をしようとしても押さえてくれていたみたい。でも今は彼を押さえられる人はいない」
「うーん……」
エアリスなら、カインを押さえることができるのではないだろうか。
だがカインも頑固だ。一度決めたら梃子でも動かないようなところがある。
「リーダーがああいう調子って、まずくないか?」
「まずいと思うよ。でもまだ自分を見失ってるわけじゃないみたいだし、大丈夫だとは思うけど」
アセルスはあくまで気楽に答えた。
だが、カインは保健室へは行かなかった。そのままテラスへと出ていた。
風を受けたかった。風を感じたかった。その欲求に比べれば、手首の痛みなど感じないに等しかった。
生まれてすぐに、風を感じた。
世界には、風があるのだということを肌で感じた。
その感覚が、竜騎士という職を選ばせることになった。
そして風を理解し、風と戯れ、風に身を任せることができるようになっていった。
だが、今は。
(風がある……ということしか分からない。赤子の頃まで戻ってしまったな)
自虐的に笑う。どれだけ神経を張り詰めても、風は自分のところに留まることはなかった。
(どうすれば、竜騎士の体に戻れる……?)
カインの姿勢は基本的には前向きなものだったが、同時に彼の精神は病んでもいた。風を感じられなくなったことから、自分の存在意義すら見失いかけていた。
『風……この風さえあれば、俺はどこででも生きていける』
この世界に来てすぐのことだっただろうか。もう、そんな言葉すら希薄に感じる。
風を感じられないのであれば、自分はどこでも生きられないのだろうか。
『幸せに──』
この状態で、幸せになれるのだろうか。
焦っていることが自分でもわかる。
今のカインには、何もないのだから。
「カーイーンッ!」
後ろから声をかけられて、振り向く。
「移動中はテラスに出たら駄目なんでしょ?」
そう言いながら自分もテラスに出てきた少女は当然、
「エアリス」
にっこりと微笑みながら、エアリスはカインの横まで来る。
「いい眺めだね」
エアリスが沖合いの方を見ながら言った。
ただひたすら、水平線が続いている。まだこのあたりは陸地も近いだけのことはあり、海鳥もよく見かける。
「どうした?」
カインはなんとはなしに尋ねる。
「どうもしないよ。ただ、話がしたかっただけ」
エアリスはカインの右手を取った。苦痛に、カインの顔がやや歪む。
「腫れてる」
「……俺を痛めつけて楽しいか?」
わざわざ触ってたしかめたエアリスに対する非難のつもりだったが、逆にエアリスに睨み返される。
「こんな怪我してるのに、どうして保健室に行かないの?」
それを言われると返す言葉もない。
「リーダーを引き受けたんでしょ。だったらリーダーは自分の健康管理もきちんとしなきゃ駄目だよ」
確かにそのとおりだ。
だがカインにとっては自分の精神を落ち着かせることの方が大事だと判断した。風を受けて気持ちを落ち着かせることと、保健室に行って治療すること。優先順位は当然前者が先になる。
「ああ」
だがあくまでぶっきらぼうにカインは答える。
「気のない返事」
エアリスはカインの顔を覗き込んでくる。
「もう少し、自分の体は大事にしないと……」
「エアリス」
強引にカインは話を切った。エアリスは目を瞬かせ、カインを見つめる。
「聞きたいことがある」
「なんでもいいよ。あ、スリーサイズは秘密だからね」
別にそんなことは聞いたりしない、とはわざわざ言わなかった。
「セフィロス、という男のことだ」
エアリスの表情がくもった。
セフィロスの件についてはセルフィ、ヴァルツ、ファリスの三人から報告を聞いていた。だがエアリスの様子からすると、どうやら異世界人、それもエアリスの同郷であるという推測が立つ。
「うん。私の世界の人」
「それだけではないだろう」
カインはさらに問い詰める。
ただ単にエアリスと同じ世界の人間だとしても、それがショックで倒れたりすることはないはず。
何か、因縁がある。そうカインは考えていた。
「エアリスとセフィロスの間には……どういう関係があるんだ?」
聞いておかなければならなかった。
仲間として。そしてリーダーとして。
リーダーは常に全員の意思を確認しなければならない。たとえ相手がそれを拒んだとしても、リーダーはそこに踏み込まなければならない。踏み込む勇気をもたなければならない。
そうしなければ、強固な結束は生まれないからだ。
全てを相手に委ねる、信頼することができる気持ち。リーダーはそれを全員から受け取らなければならないのだ。
(セシル……お前はやはり、天性のリーダーなんだな)
意識していても、相手の懐に飛び込むことは怖くて、難しい。
カインは常に、恐怖とともにリーダーとしての行動を取りつづけてきた。
ブルーのときも。そして、今も。
「……セフィロスは……」
エアリスは、ゆっくりと答えた。
「前の世界で、私を殺した人」
カインはエアリスの肩が震えていることに気付いていた。
「エアリスを……」
「そう、私を。私は星を守ろうとしていた。そして、星を壊そうとしていたセフィロスの剣が、私の背から……」
エアリスは目を閉じる。
そうすれば全てのことがエアリスには思い出すことができた。
白マテリアを発動させた直後のこと。
ゆっくりと開いた瞳に映ったのは、大切な彼の姿。
そして、衝撃。
自分の心臓が貫かれたということが、はっきりと分かった。
激痛よりも、最後に彼に何も言えなかったという後悔の方が強く残った。
そして、私は命を落とした。
「そうか……」
だが、そのセフィロスがもしかしたら三騎士、三人の変革者の一人なのかもしれないのだ。
もしそうだとすれば当然協力しなければならない。だが、協力するとしてもそれは相手の意思が必要だ。
もし、セフィロスが今でも星を破壊しようとしていたら?
「セフィロスに会ったら……どうする?」
エアリスはじっと黙り込んだ。
自分でもわかっていないのだ。
セフィロスを恨む気持ちがあるか。エアリスには、ない、としか言えない。セフィロスと敵対している意識はなかった。エアリスにはこの世界を守るかどうかという意識しかなかった。
だがあのとき、まぎれもなく自分の命を奪ったのはセフィロスの正宗。それを忘れることはできない。それは『死』を経験した者の本能的な恐怖。
「お前は、俺が守る」
カインの言葉に、エアリスは驚いてカインを見つめる。
「俺の力はまだ元には戻っていない。だが、俺はもう仲間を失いたくはない。何があっても、お前も、みんなも、全て俺が守る……守ってみせる」
そう。
セシルにあった意識は常にそのことだけだった。
仲間を守る。世界を守る。
それだけしか考えていない人物だったからこそ、信頼も置けた。
(……俺はやはり、リーダーにはなれないな)
自分には、そうすることはできない。
罪深い自分には、仲間を守ることすらそれが自然なことではなく、義務としてしか行えなくなってしまっている。
それは『役割』を『果たしている』にすぎない。
リーダーという存在に『なっている』わけではないのだ。
「守ってくれるの?」
「ああ。俺の力の及ぶかぎり」
「そっか」
エアリスはカインの腕に組み付いた。
「エアリス──」
「少しだけこうさせて」
エアリスは目を閉じてカインの腕にもたれかかる。
カインは戸惑ったものの、結局はそのままにしておいた。
(……エアリス、か)
幸せになれと言った女性は、自分がこうしていることが幸せだと思うだろうか。
自分にはそうは思えない。自分が誰といたとしても、幸せな気持ちになることはできないから。
エアリスと一緒にいても、自分は決して幸せな気持ちになることはできない。
そのことが痛いくらいに分かっていた。
その、瞬間。
「!」
二人の体に悪寒が走った。同時に空の彼方を見つめる。そこに一つの黒点がある。少しずつ黒点は大きくなり、やがて全体像を捕らえることができるようになった。
「あれは、ウェポン!」
エアリスが叫んだ。
「またか。つくづく──」
何かが、ひっかかった。
(そうだ、これでウェポンと対峙するのは三度目)
最初は、地を馳せるウェポン。次に、海から襲いかかってきたウェポン。
そして、最後に。
「今までのやつとは違うな」
「うん」
空を飛ぶウェポン。その体の大きさは今までの二体のウェポンよりも一回り大きいように見える。
(そうだ。ウェポンが現れるときは、必ず)
傍に、エアリスがいた。
偶然、か?
無論エアリスがウェポンを操っているなどというわけではない。だが自分がエアリスに近づいているときにウェポンが現れる。それは果たして偶然と言い切れるのか。
「どうする、カイン」
次第に大きくなるウェポンを見つめ、エアリスが尋ねてくる。
「どのみち、この場所では応戦すらできないな。関係者を全員ブリッジへ。あの大きさだが、おそらくまだ時間はあるだろう」
「うん」
74.天罰
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