カインは本当に高いところが好きなんだな、と友から言われたことがある。
その度に俺はこう返してきた。
『俺の還るところは、空にあるからな』
いつもそう思っていた。
地上には、あまりにも自分を縛るものが多すぎる。
何の束縛もない、完全なる自由。
それを求めていた。
──ローザという束縛。
だがその束縛はあまりにも甘美すぎて、自分には逃れることができなかった。
そしてまた、自由を求めて俺は風を身に受ける。
風の中にいるときだけが、全てから解放される時間だった。
PLUS.74
天罰
shift away
そして、ブリッジに全員が集合したのが五分後のことであった。
カインを筆頭にして、エアリス、アセルス、ファリス、ユリアン、モニカ。そしてシュウとニーダ。これで全員。
「で、どうする?」
ファリスが口火をきってカインに問い掛ける。
「応戦する。あれは敵だ」
ウェポン、という名前の敵であることは既に全員が心得ている。それがエアリスの世界からやってきたものであることも。
「迎え撃つのはアセルスとファリス、それに俺が行く」
「カイン!」
エアリスが立ち上がって睨む。
「賛成できないな。お前は戦うには力が足りない」
それに続いて答えたのはファリスだ。こういうところでは全く遠慮がない。
「そうそう。戦いはあたしたち居残り組にまかせてよね」
既に完全回復しているアセルスが親指を立てる。
「僕も行きます」
それに続いてユリアンが名乗りをあげた。
「僕も充分に剣は使えます。足手まといにはなりません」
まだ彼の剣技を見ていなかったことが今となっては後悔の種だ。だが今はもう時間がない。
「あんまり頼りにならなさそうだけどなあ」
ファリスはあくまでも遠慮がない。まあ、それが彼女の美徳ではあるのだが、時と場合を選んでくれればさらによいのだが。
「じゃ、決まりね」
アセルスが妖魔の剣に手をかけた。一方ファリスはガーデンから支給されたブレードガンを装備している。『面白い武器だ』と一目で気に入り、たったの一日で彼女は使いこなせるようになっていた。
ユリアンもまた硬質の剣をガーデンから借り受けていた。当然、前の世界ではアビスと最後まで戦った人物である。その剣技は知られていないとはいえ、並のものではない。
「では、頼む」
カインが言うと三人は急いで屋上へ向かった。
「進路はどうする?」
シュウが尋ねてくる。カインは二秒の間を置いて答えた。
「進路、このまま」
「了解。ニーダ、進路このまま」
「了解」
エアリスとモニカが不安そうな顔を浮かべている。
「ねえ、カイン……」
「どうした」
「避けなくて、いいの?」
エアリスの発した質問は、その場の残りの三人の意思を代弁したものだった。
「無意味だ。あの遠さからまっすぐこちらに向かってきている以上、進路を変えてもウェポンが衝突するつもりなら避けきることはできない。それならば左右に揺れているより正面からぶつかる方がまだましだ」
「そんな」
「シュウ。ガーデン内部に指示。生徒は所定の位置について、いつでも対ショック体勢が取れるようにしておくよう伝えてくれ」
「分かったわ」
シュウが通信席へと移る。
「モニカは何ができる?」
ここまで味方の戦力を全く把握できていなかったのは自分のミスだとカインは分かっていた。だがまだ遅くはない。すぐに思考を切り替えて尋ねる。
「……回復と、援護魔法を少し」
「よし。エアリスとモニカも三人の後を追ってくれ。決して屋上には出ないで、三人が怪我をしたら回復に向かうこと」
「分かった」
「分かりました」
エアリスとモニカもまた、ブリッジを出ていく。それを見送って、カインは再び画面に目を向ける。
「まっすぐ近づいてくるな」
「そうみたいですね」
もう答えるのは、ニーダしか残っていない。
(ウェポンか。これで三体目だな)
いずれも、エアリスがすぐ傍にいるときに現れた。具体的に言うなら、エアリスと話をしているときにいずれも現れている。
(エアリスを狙っているのか。それともこの俺か。さもなくば……)
自分とエアリス。二人が集まったところを見計らって近づいてきているのか。
だが自分にはウェポンから攻撃される理由がない。エアリスが、というのなら話はわかるが自分が攻撃される理由は……。
(変革者であること、か)
変革者。この世界を救ったという伝説の三騎士ではないかという推測がなされている。
もし、それが本当だとしたら。
(可能性は、ある)
自分が本当に空を司る騎士だというのなら。
(騎士も三人。ウェポンも三体……そして俺が、空を司る騎士なら)
最初のウェポンは、大地を駆けてきた。
次のウェポンは、海から現れた。
そして最後のウェポンは、空を飛んできている。
(あれは……まさしく、俺をめがけて飛んできているのだ)
それは全て、可能性の上に可能性を重ねているにすぎない。
だが、カインには確信があった。
(エアリスといるときにかぎってウェポンが現れるのも、変革者としての、騎士としての俺の力がエアリスを介してウェポンに伝わっているからではないか?)
むしろそう考える方がしっくりくる。
(ならば、俺はウェポンに会う必要がある)
敵か、味方か。
その名のとおり、自分の武器(ウェポン)になるのであれば、これにこしたことはない。
だがもし敵となるのであれば。
(俺が、何とかしなければ……)
騎士であるのなら、その誇りにかけて。
そうでないとしても、リーダーとしての役割を果たすために。
(この件だけは、俺が解決する)
カインはシュウに話しかけた。
「俺も出る」
「カイン?」
「俺がやらなければならないことがある。大丈夫だ、俺が直接戦うわけではない」
それだけを言い残すと、カインはブリッジを出た。
「さあ、来やがったぜ」
屋上でウェポンを待ち構える三人はおのおの武器を構えて接近を待つ。
「でも、このままじゃ戦えないわね」
アセルスが言うとファリスも頷いた。
「やっぱ魔法でやっちまうしかないか。ユリアン、あんた魔法は?」
「強力なものは、あまり。僕は武器が専門だったから」
「そうか。じゃ、俺がやるぜ」
ファリスが先制攻撃を仕掛けた。無論、彼女が使える魔法はたった一つしかない。
召喚獣、シルドラ。
「やれっ、シルドラッ!」
幻獣が放つブレスが接近するウェポンに放たれる。だが、その速度は一向に落ちない。
「次は、あたしね」
アセルスもまた呪文を唱えた。
「妖魔の剣よ、我に力を与えよ!」
妖魔の剣に魔力が込められる。そして、一閃した。
衝撃波が形となってウェポンに向かって放たれる。だがそれもウェポンの表面すら傷つけることはできなかった。
「ありゃりゃ」
まいったわね、と口の中でぼやく。だが次の瞬間にはそんなことすらできないほど、ウェポンは接近してきていた。
ガーデンの屋上すれすれをウェポンが通過していく。ガーデンと匹敵するほどの大きさだ。それだけで立っていられないほどの強風が三人に襲いかかる。
「うわっ」
ファリスの体が浮き上がった。それをユリアンが捕まえて、屋上の床に押さえ込む。
「大丈夫ですか」
「ああ、すまねえ」
まだ風が残っている。それがおさまるまで二人はその場を動けなかった。
「──アセルスは?」
その姿がないことにファリスが気付いて辺りを見回す。
「あそこです!」
ユリアンが指さした先。そこは、ウェポンの頭の上だった。
ウェポンとすれ違う一瞬で、アセルスはウェポンに飛び移っていたのだ。さすが半妖、というべきだろうか。
「もらったよ、ウェポン」
アセルスは妖魔の剣をウェポンの額にあてる。
「あんたの力を吸収して、あたしはまた人間に近づく」
必ず、人間に戻る。
それが、それこそが悲願。
(力ある者よ)
その途端、アセルスの頭の中に直接声が響いた。
「な、なによこれ」
(力ある者よ。残念ですが、あなたでは私の牙の所持者としては不適格です)
『言葉』がウェポンから発せられていることを、アセルスは理解した。
(ようやく見つけましたよ、我が主)
ガーデンの傍で、ウェポンは止まった。
ウェポンがじっと見つめているその先。
テラスに、カインの姿があった。
「主……俺が」
カインは自分を見つめるウェポンの姿をじっと見返した。
(そうです。我が牙の主よ。ようやく会えましたね)
そう言われてもカインには全く実感がない。
だが、自分の推測は大幅にはずれていないことを悟っていた。
ウェポン=武器。それは、騎士たる役割を果たす人間にのみ、武器を授ける者なのだ。
(三人の変革者と八人の代表者。守護者はおりませんが、あなたたちだけで充分にこの世界を、そして十六ある全ての世界を救うことができます)
「ウェポン、教えてくれ。俺は何者だ。そして、俺は何をすればいいんだ」
(あなたは変革者。運命を変える者)
「名前を言われても理解はできん。『つまり何をすればいいんだ』? それを知りたい」
(さすがは変革者。言葉に騙されるような方ではありませんね)
ウェポンの顔がゆらめく。もしかしたら、苦笑したのかもしれない。
(多くを語ることはできません。私にできることは、あなたに武器を与えることだけ)
「ではやはり、残りの二体は変革者である俺に会うために来たんだな。だが俺が空を司る騎士であって、海でも陸でもなかった」
(海竜と地竜も、自らの主を探すために必死なのです)
「だから『人違い』だったことに腹を立てて俺を殺そうとしたのか?」
(それは違います。彼らもあなたに会いに来ただけです。あなたが先に、彼らに攻撃したのですよ。彼らも怒っていましたよ)
「それはすまなかったな。だったら次はもう少し、静かに登場するように伝えてくれ。あんたもな」
(これは、失礼をいたしました)
ウェポンは体を揺らした。
「一つ聞くが、海竜と地竜というのがウェポンたちの名前か?」
(そうです。そして私が天竜。はじめまして、カイン)
ウェポンの黒く、禍禍しい姿で話し掛けられてもありがたみも何もないというのは仕方のないことだろう。
「聞きたいことが山ほどある」
(そうでしょうね)
「時間はどれだけある?」
(答えられる質問に全て答えるくらいは)
カイン次第、というわけだ。
「ではまず、俺たちがこの世界でしなければならないことというのはいったい何だ?」
(それぞれの世界の『代表者』が『定められた場所』で、それぞれの世界の『独自性』を保つために『約束の行為』をすることです)
「それは前にも誰かに聞いた。その『約束の行為』とは何だ? 『定められた場所』とはどこのことだ? もっと明確に知りたい」
(それはまだ教えることができません。ですが『代表者』たちの『約束の行為』だけでは世界は救えません。あなたたち『変革者』の助けがなければ)
「では『変革者』は何をすればいい?」
(それはたった一つ。おのおののクリスタルを用いて闇を暴き、そして『混沌』を封印することです)
「混沌……カオス、か。以前に『土のカオス』とやらに会ったが」
(土、水、火、風のカオスたちは、真の『カオス』の手下にすぎません。真の『カオス』を倒さなければなりません)
「そいつはどこにいる?」
(いずれ分かります)
それ以上は教えてはくれないということか。
「何故教えることができない?」
天竜は黙った。それすら答えることもできないということらしい。
「分かった。では質問を変える。世界の『代表者』が選ばれる理由はどこかで聞いた。世界に最も愛されている者だとか」
(そのとおりです)
「では『変革者』はどうやって決まるんだ? つまるところ、俺が『変革者』である理由とは、なんだ?」
(答えは、あなたの中にあります)
「俺の中……」
(ゆっくりと、あなたご自身の過去をお考えください)
過去?
それは、前の世界での『あのこと』に関することだというのか。
(そうです)
そう。
俺は、友人を、愛する女性を裏切った。
セシルと、ローザ。
愛し合う二人。
自分が割って入ることなどできないことは分かっていた。
二人はいつも仲が良かった。
自分も心から祝福していた。
だが。
その一方で心の中で次第に膨れ上がっていく感情があった。
嫉妬。
それは自らをも焼き尽くし、そして周りに飛び火していった。
ゴルベーザの……いや、ゼロムスの意識が自分の中に入り込んでくる。
そして自分は、セシルとローザの仲を引き裂くことを決心した。
確かにそれはゼロムスの力なくしては実行することはできなかっただろう。
だが自分の中に間違いなく、二人を妬む感情があったのだ。
手に入れることができないのなら、奪ってやろうと思った。
変えることができない運命でも、変えてみせようと思った。
あの笑顔を、自分のものにするために。
「そうだ……俺は、変えてやろうと思った。自分の力ではどうにもならないことでも、運命に逆らってでも」
(そうです。それが変革者である資格なのです)
カインは、苦笑した。
「では、変革者である資格とは、罪を犯した者にのみ与えられるものなのか」
(違います。運命を変えることができる力を持ち、さらにその意思がある者だけがなれるのです。そしてあなたはその資格を得た)
「光栄だな。光栄すぎてヘドが出る」
カインは天竜を睨みつけた。
「そんな資格を俺が本当にほしいとでも思っているのか!」
(あなたがどう思おうと、資格は既に充たされています。あなたが変革者であることから逃れる術はありません)
「ふざけるな! 勝手に決めて、勝手に責任を押し付けて、あまつさえ、俺の体から、風を感じることすら奪いやがって……」
(不満、ですか?)
「当たり前だ! 俺の罪を勝手に裁くな! 俺の罪は、俺自身で裁く!」
(少なくとも、平凡な人生を送るよりは辛い結果でしょう。あなたの罪を言うのであれば、それに充分報いるものだと思いますが)
「黙れ! 俺はもう、誰のいいなりにもならない!」
荒く息をつく。それを哀れむように、天竜はカインを見つめた。
(あなたは、弱い)
「なに」
(肉体的なことではありません。精神が弱い)
カインはさらに天竜を睨みつける。だがそれにかまわず天竜は続けた。
(あなたは罪を自分で裁くと言っておきながら、風を感じることを奪われたくはないと言う。一番大切なものだけは残しておいてほしいということが正当な裁きですか?)
「なっ」
正鵠を射られ、カインは声も出なかった。
無意識のうちに発された言葉とはいえ、いや無意識で言った言葉だからこそ、カインの本心がそこには表れていた。
自分は、風を感じることだけは奪われたくはなかった。
セシルともローザとも会うことはできない。今の自分にとっては風に身を任せるときだけが唯一の安らげる時間。それを奪われたのだから、もはや安らぐときが全くなくなったに等しい。
それを分かっていたからこそ、風を奪われることだけは嫌だったのだ。
それなのに自分で自分を裁くなどとは、天竜の言うとおり正当な裁きとはいえない。
それは、甘えだ。
(あなたには、まだ私の牙を受け継ぐ資格はないようです)
天竜は再び飛翔を始めた。
(ですが、私は短気ではありませんし、あなたが正当な資格を持つまで待つことができます。あなたが変革者としての使命を果たすというのであれば、天空城へおいでなさい。空のクリスタルと共に、あなたをお待ちしていましょう)
そして天竜は体を揺すった。すると天竜の上にいたアセルスが振り落とされてテラスに落ちる。
カインは、全く動くことができなかった。アセルスがなんとか着地するが、それすら全く目に入らないという様子だ。
(大丈夫です。私の牙を以前に所持していた者も、似たような悩みを抱えていましたよ。理由は少し、異なりましたが)
そして、天竜は上空へと消えていく。
少しずつ、その姿は小さくなっていき、やがて消えた。
「カイン、大丈夫?」
しばらくして、アセルスが尋ねてきた。カインは真っ青になっていたが、それでも首を縦に振る。
「なんとかな」
「ウェポンと何か話してたの?」
カインはつらそうな目をアセルスに向けた。
「そう見えたか」
「まあね。だってあたしもウェポンから話し掛けられたから」
「話し掛けられた……何故」
「さあ。突然頭の中に、私じゃ牙を持つことができないとかなんとか」
「そうか」
なるほど、とカインは心の中で頷く。
間違いなく、ウェポンは自分を目指していた。自分に武器を与えることだけを考えていた。
それを自分が拒否した。
自分の罪を『評価』されて、自分の罪に『裁き』を与え、自分の罪のために『資格』が勝手に与えられた。
それを潔しとするほど、カインは割り切ることができない。
だがウェポン──天竜の立場からすると、どうだろうか。
自分に会い、牙を渡すことだけを考えていた存在。
その相手に突然拒否を言い渡されるのだから、怒ったところで何ら不思議はない。
それどころか自分に再考を促すよう、働きかけまでした。
(……だからといって、素直に認められるわけじゃない)
自分が子供だということは分かる。
だが、譲れないところも、やはりあるのだ。
(これが判決なのか? 風を感じることができない。それが、俺の罪に対する罰だというのか?)
だとしたら確かに、これ以上の罰はない。
(俺の罪は……誰が裁くのだ?)
何も、考えられない。
考えようとしても、まるで整理がつかない。
「カイン!」
声が聞こえる。
もう既に聞きなれた声。
「カイン! カイン、返事して!」
それは。
自分のことを一番大切に思っている女性の声。
「ねえ、カイン、返事して……返事、してよ……」
だが、自分はそれに答えることはできない。
何故なら、自分の心はローザのもとにあるのだから……。
75.翳る大陸
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