最近、焦がれる、という言葉の意味が分かった。
 彼のことを考えると、本当に身が焼き焦がれるほどに自分の体が熱くなる。
 そして、もう耐えられなくなる。
 会いたい。
 会って、そして。
(……どうしたいんだろう)
 分からない。
 それでも、会いたい。
 傍にいたい。
 大切な人。












PLUS.76

運命の変化







Why aren't you here?






 もう一台のジープではジェラールが運転席に座り、助手席にブルー。後部座席にカタリナが座っていた。
 カタリナは注意深くあたりに目を配っているが、この広い荒野のどこにも人影はない。
 前のジープを追いかける形で、ジェラールは運転を続ける。
「なあ、ブルー」
 ジェラールは気軽を装いつつ話し掛ける。
「なんだ?」
「最近、随分苛々としてるみたいだけど、何があったんだ?」
 カタリナが微かに興味あるかのように視線を向けるが、またすぐに外に目を戻す。
「僕が?」
「ああ。自覚はなかったんだね。ラグナロクでこちらに来てからというもの、君には何故か余裕がなくなっているように見える。いつもの冷静な君じゃないよ」
「そうか」
 といわれてもブルーには全く心当たりがない。
 ルージュとの戦いに敗れたことが尾を引いているのかといわれたら、それは違うと反論できる。ルージュとの戦いは宿命だ。勝っても負けても納得できる。
 だが、それ以外に自分をかりたたせるものがあるとは思えない。
「アセルス、って言ったっけ」
 ぴく、とブルーが反応する。
「彼女のことが気になっているんじゃないのかい?」
「僕が? それはない」
 彼女とは盟友だ。確かに惹かれているのかもしれない。でもそれが任務に影響が出るものとは思えない。
「ならいいけど」
 ジェラールは意味ありげに言って、会話を止める。
(アセルスか)
 いったい何のためにここへ来たのかと尋ねたら『ブルーを追ってきた』と彼女は答えた。
 自分は一人で世界を救うためにこの世界へ来た。前の世界で仲間だった連中は全員置いてきた。仲間といっても共通の利害のために一時的に手を組んでいたにすぎない。
 だが、アセルスだけは異なる。
 アセルスにだけは真実を打ち明けた。彼女だけは信頼に足る人物だったから。
 自分がルージュと決闘し、倒すことを彼女は理解し、そして協力してくれた。
 そして彼女が人間に戻るための方法を見つけ出し、協力することになった。
 あの世界で唯一、自分の全てを託すことができる相手。
(好きとか嫌いとか、そういう次元で考えたことはなかった。気がついたときにはアセルスの存在が自然になっていて……)
 再会してようやく分かったのだ。
 彼女がいないと、自分の人生が彩りを失うということに。
(それを『好き』と言うのかな)
 考えても無意味であることは分かっていた。
 彼女は自分を求めていないし、自分も彼女を求めているわけではない。単に、パートナーとして、最も信頼できる仲間としてお互いに必要としているだけだ。
 仮に自分が彼女を好きだとしても、彼女は自分を好いているわけではない。自分の知恵を必要とし、盟友として互いに協力しているにすぎない。
(だが、正直)
 命を失いかけたあの時、一番会いたかった人物が目の前に現れたときに自分は。
(幻であることを疑わなかった)
 現実にアセルスが来ていたのにも関わらず、それを幻だと、幻覚だと思った。
 自分が幻覚を見るのならばアセルスしか、彼女しかいないと自覚していたからだ。
(自分にとって一番、大切な人)
 それがアセルスであることは、疑いようがない。
(彼女のために生きよう、なんて考えたこともなかったのにな)
 アセルスと再会してからは、次第にそうした思いが強くなってきている。
 彼女が自分を必要としているのなら、彼女のために全身全霊をもって応えたい。
 世界を渡ってまで自分に協力してくれる彼女。自分は一生かかっても、必ずアセルスの願いをかなえる努力をする。
 今はそう思う。
 それを、好き、というのだろうか。
(そんな言葉で言い表せるような相手じゃない)
 と、思う。
 単に自分の感情だけではない。互いの目的のために自分の全てを捧げることができる盟友。それが自分たちにとっては相応しい。
(この戦いが終わったら、アセルスの望みもかなえないとな)
 人間に戻る。それだけを願い、行動しつづけている少女。
(アセルスは自分のことをどう思っているのだろう)
 ふと、そんなことが気にかかる。
 今までは当然のように、アセルスが人間に戻りたいのだと考えていたが、実際のところは分からない。戻りたいと思っているのは間違いないようだが、果たして戻ったからといって以前のような何も知らなかった生活に戻れるだろうか。とてもそうは思えない。
 むしろ力のある今を捨てることの方が難しいのではないだろうか。半妖の力を自在に使いこなす少女。人間に戻ってしまってはその力を使うこともできない。
 あの力を忌み嫌っているとは、ブルーの目には映らない。
 それでもアセルスは人間に戻ろうと、必死に努力している。
(何故だろうな)
 今まで考えたこともなかったことが頭の中で繰り返された。
(今度聞いてみるか。いや、アセルスも僕とルージュのことについては深入りしないな)
 それはやはり、一線をおいている証拠に他ならない。
「ブルー?」
 ジェラールに尋ねられ、ようやく長い思考から抜け出る。
「どうした?」
「いや、随分考え込んでいたみたいだから」
「ああ、いろいろと考えてみた」
「それで?」
「やはり、アセルスのことは盟友だ。それ以上の考えにはならないな」
 素直に考えていたことを告白する。
「ふうん」
「信じられないか?」
「人の心は単純じゃないからね。今ずっと君が考えていたことをまとめても、その答にはならないと思うよ」
「……?」
「理屈では一つしかないものでも、現実は複数あることだってある」
「どういう意味だ?」
 ブルーが理解できずに尋ねるがジェラールは苦笑した。
「いずれ分かるよ、きっとね」
 子供扱いされたようで、ブルーは少し気を悪くした。
「二人とも、あれを」
 と、そのとき。
 カタリナが左手の地平線、いや、さらにそのずっと向こう。海のかなたに何か動く物体がある。
「あれは、なんだ?」
 暗くてよくは分からないが、確かに何かがそこにある。海の上を、ゆっくりと東へ向かって移動しているようだ。
「建物……のようにも見えるが、はっきりとしたことは分からないな」
 それが何かということは、後ろのジープに乗っていた三人には全く分からなかった。
 そしてそれが、この後世界を揺るがす大事件につながることも、当然推測することができなかったのだ。






 セルフィは、ひたすらバイクで東へと突き進んでいた。
 確かにゼルとブルーの口論は耳障りだった。だが、自分がこんな突飛な行動をとるのはそれが原因でないことは自分が一番よくわかっていた。
(ダメだ、あたし)
 飢えている。
 心が乾いている。
 ほしいものは分かっている。それはたった一つだけだ。最初に一目見たときから自分の中で渦巻き始めた感情。未知なるものへの好奇心と、勝手にわきあがる胸の高鳴り。
 セフィロス。
 その言葉が、精神に刻印づけられた。
 彼を欲してやまない。自分の傍にいると誓った青年。そして、自分を置いて去っていった青年。
 例え裏切られても、それでも自分は彼を欲してやまない。
(どこにいるの、セフィロス)
 こんな、無目的にバイクを走らせてもセフィロスに会えるはずもない。
 それが分かっているのに、セルフィはバイクを止めることができなかった。
 後ろには戻りたくない。前に、前にだけ進みたい。自分の進んできたところにはセフィロスはいない。少しでも可能性のある方向へ。
「セフィロース!」
 大声で張り叫ぶ。その声が彼に届くことはない。
 そう、彼には。
『なるほど。あなたは海騎士を求めているのですか、修正者よ』
 声は、直接頭の中に響いた。
 驚いて、一瞬体がこわばる。メーターを振り切って走っていたバイクはその一瞬の気の緩みだけで、簡単に宙を舞った。
「キャアアアアアアッ!」
 勢いよく地面に叩きつけられるが、そこはSeeD、受身を取って地面を転がり、なんとかダメージを最小限に抑える。
 とはいえ、あちこちに擦り傷切り傷ができてしまった。打撲、骨折も間違いなくあるだろう。全身から激痛が走った。
「……だれ」
 それでもセルフィは立ち上がる。そして、自分に声をかけた相手を探した。
『彼』は、すぐ傍にいた。
 自分の右斜め前、五メートルほどの位置。風景に溶け込んで、危うく見逃してしまいそうなほど存在が希薄だった。
「あなたたちが探しているのは私でしょう」
 ローブを風になびかせ、ポロン、と手の竪琴をかき鳴らした吟遊詩人。
「あなたが……」
「そう。私がハオラーンです」
 フードの中には、セフィロスと同じかそれ以上の美形が入っていた。まさに芸術といっていいだろう。少なくともそれは『人』の造ったものではない。美しさを極めた彫刻といっても何ら違和感はなかった。
 だが、その彫刻は目を開き、口を開くとセルフィに向かって言った。
「あなたはセフィロスに会うことはできません」
 思ってもみなかった言葉にセルフィの目が見開く。
「な、ん……」
「運命がそれを許しません。修正者。あなたはセフィロスの運命をゆがめてしまう可能性がある。それは認められる行為ではありません」
「セフィロスの居場所を知っているの」
 痛みを堪えながらセルフィは訊いた。
 ハオラーンは哀しそうな瞳をするだけで、問いには全く答えない。
「どうなの……答えてよ!」
 涙が出てきた。
 自分はどうしてこんなにも彼を求めるのか、不思議で、理解ができない。
 でも、それがセルフィの中では自然になっていた。セフィロスを求める自分。セフィロスに会いたいというこの気持ちは何の嘘偽りもない。真実の自分の気持ちだ。
 ハオラーンは、声に出さずに息をついた。
「知っています」
「本当!? どこ!?」
「二日後、海底神殿に現れます」
「どうやって行けばいいの?」
 ためらいはない。
 セフィロスに会うことだけを、ずっと考えてここまで来たのだから。
「例え行ったとしても、会うことはかないません」
「かまわない。行く方法があるのなら、教えて」
 例え会うことができないとしても、自分は立ち止まるわけにはいかない。
 会えないからといって諦めるくらいなら、最初から追いかけたりはしない。
 少しでも近づいて、いつか必ずセフィロスのもとにたどりつく。
「詩人よ歌え、物語の第三幕を」
 ポロン、と、ハオラーンは竪琴をかきならした。



 絶望と希望が合わさり、月の姫が大地に降つる
 武器は主を求め、海は自らの使命を果たす
 修正者は力及ばず、過ちの場が世界を覆う
 星は太陽を見ることかなわず流れ落ち、異界の姫は守られる
 許す者は眠りから覚め、空は一つ目の罪を許される
 邪と時が庭を取り替え、無が天へと導く
 そして代表者たちは、約束の場を目指す



 詩が終わると、セルフィはじっとハオラーンを見つめた。
 その端麗な顔の内側で、彼はいったい何を思っているのか。
 そして彼の目的はいったい何だというのか。
「いいでしょう。あなたを海底神殿へお連れします」
 セルフィの顔が見違えるように輝く。
「本当に!?」
「約束は守ります。ただしあなた一人で行かせることはできません。同行者を三名選び、二日後の早朝、ネクタル半島へおいでなさい。『絶望と希望が合わさったとき』に、あなたたちを海底神殿に送ってあげましょう」
 くるり、とハオラーンは振り返る。
「ちょっと待って!」
 声をかけて駆け寄るが、その手が触れるより早くハオラーンの姿は消えた。
「……」
 何が起こったのか、よく分からない。
 だが、自分たちが何をなすべきかということと、そして自分が目指す場所が見つかったということ。それは確かだ。
「セフィロス」
 二日後、ネクタル半島。
 そこから、海底神殿に行く。
(待っててね、セフィロス)
 必ず会う。会って、そして。
(……傍に、いて)
 そして車の排気音が近づいてきた。
「さて、どうやって説明しよう」
 セルフィは近づいてくるジープを見ながら、真剣に悩み始めた。






77.動き出す時

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