気が晴れない。
全てを投げ出してみたものの、心が空虚になっただけで、充たされるものは何もない。
──なさりたいようにするのが、一番だと思います。
彼女はそんなことを言っていた。そして、
──いなくなるのは、少し寂しいです。
とも。
(俺は……何をしたいんだ?)
自分がもう、分からない。
PLUS.77
動き出す時
lunatic tears
倒壊したビルの群れ。ただ残骸だけが延々と続く道。
太陽の光は射しているはずなのに、どこか薄暗い気がする。
澱んだ風が肌をなめ、大地に落ちる。
ここは、完全に以前とは変わり果ててしまった。
(それは、俺も同じか)
スコールはエスタへ来ていた。
別段、何かをしようと思ったわけではない。どのみちF・Hから移動できる場所というのは、船を使わないかぎりはほとんど限られてしまっている。
ならば、行く先は彼の中では一つしかなかった。
エスタ。
リノアを背負って一人歩いた道を、今度はリノアと共に歩んだ。
だが彼の心の中は、決して晴れやかなものではなかった。
逃げ出したということに対する後悔と、そして逃げ出したからといって決して安らぎを得られるわけではないということに、遅まきながら気付いたのだ。
だが、今さら戻るつもりもない。
自分がほしいのは安らげる場所。その場所に行くことが自分の望み。
だから、後ろを振り返ることはしない。後ろには苦痛しかなかったのだから。
リノアは何も言わない。ただついてくる。もちろん話は今まで以上にしていたが、スコールがやろうとしていることに疑問を投げかけることはしない。全てを受け止め、そしてついてきてくれる。
だが、彼女から見て自分はどう映っているだろうか。
以前のように、どんなことがあっても自分のスタイルを崩さないままの方が彼女にとっては魅力的ではなかったのだろうか。
今の自分は全てを捨ててしまった人間だ。そんな人間にリノアがついてくる理由が分からない。
そういうわけで、スコールは自らリノアとの距離をおくようになっていた。
それはリノアの方でも察知しているようだった。特別何も言わない。ただ少し離れたところで優しくスコールに微笑みかけている。
(俺の安らげる場所はどこにあるんだ……)
スコールは考えながら街中を歩いていく。
リノアとは現在別行動をとっている。既に宿は決め、今はお互い自由行動だ。いくら好きだとはいっても、自分の時間が全くないのでは息がつまる。適度に一人になれる時間というものは必要なのだ。
エスタの町はずれにはほとんど人通りはなかった。太陽が血の色を大地に落とし、空は赤く染まっている。この辺りはいつもこのような色をしている。澄んだ青空を見ることは滅多にない。土地柄といってしまえばそれまでだが、いったいどういう作用が働いているものなのか。
とりとめもなくスコールが歩き続けていると、異変は起こった。
建物が倒壊する音。悲鳴と地鳴り。
なんだ、と後ろを確認する。
そこには一体の巨大なモンスターがいた。ベヒモスのような姿をしているが、さすがにそれよりは小柄で、非常に長い特徴的な角が一本生えていた。
月の涙が落ちてきて以来、エスタは凶暴なモンスターが徘徊する土地となった。無論都市の中まではモンスターはいないのだが、どうやらはぐれモンスターが都市に侵入してきたようだ。
「かかれっ!」
すぐにエスタ兵たちがそのモンスターに襲いかかっていく。エスタ兵たちの攻撃は効果を生むことがなく、まるでなすすべもないまま倒されていく。
「くっ、都市は……都市だけは守らねば!」
エスタ兵の一人がモンスターに立ち向かっていくが、あっさりと蹴散らされる。ちょっとした建物よりも大きいモンスターを倒す手段をエスタ兵はもっていなかった。
(何故戦う?)
スコールはその様子をぼんやりと見ていた。
戦い自体には何の意味もない。
何かを守りたいのなら、敵のいない場所まで逃げればいい。なにも、このエスタという場所にこだわる必要はないはずだ。
「そこのあんた! 危ない!」
エスタ兵の一人が叫ぶ。暴走したモンスターがこちらへ躍りかかってきたのだ。
(死は、安らぎか──?)
くだらないことを考える。巨大な前足が自分に振り下ろされるのが分かるが、彼は反応しようとしない。
『……二人とも、死体も残りませんでした……』
どくん。
体が脈打つ。
(いやだ……)
過去形で語られるのは、嫌だ。
過去形で語るのも、嫌だ。
死ぬのは、嫌だ。
(死にたくない……っ!)
前足をすれすれでしゃがんで回避すると、ガンブレードを抜く。そして飛び上がり、モンスターの顔面を切り裂き、そして発射した。
モンスターの顔が破裂する。
巨大な体躯が意思を失い、立ち上がったままぶるりと震え、そしてゆっくり前に倒れた。
「やった!」
周りから歓声が上がる。スコールは倒れて痙攣するモンスターを見つめ、また表情をなくした。
(……お前も、死にたくはなかったよな)
だが、生き残るためには戦わなければならない。
自分が生きるか、相手が生きるか。
その覚悟はとうにできている。
(死にたくない。そうだな。少なくとも死は安らぎではない。ただの終わりだ)
自分のいない世界に何の意味があるだろう。
後世に名前が残ることに、どれほどの意義があるだろう。
自分は、死ねば終わりなのだ。
だから絶対に死んではならない。
「ああ、ありがとう助けてくれて」
エスタ兵たちが近づいてくる。だがスコールは無視した。剣をおさめると踵を返してその場を立ち去ろうとする。
「あ、待ってくれ!」
エスタ兵たちが自分を取り囲むようにする。スコールはやむなく足を止めて睨みつける。
「……何の用だ」
つとめて不機嫌な声を上げる。別に意識したわけではない。本当に機嫌が悪かったのだ。
「すまない。私はエスタの警備隊長をしているガーレス。あなたに折り入って相談がある」
「断る。話は終わりだな」
スコールは再び歩き出そうとしたが、それをガーレスは手を広げて止める。
「まだ何も話していないだろう」
「軍に入れ。もしくは傭兵として雇いたい。そんなところだろう。お断りだ。俺の剣は戦うためのものじゃない」
「話が早くて助かる。今エスタは人手が足りない。あなたのような剣豪が協力してくれると助かるのだ」
「俺を苛々させるな」
スコールは睨みつけると強引に兵の間を割って通ろうとした。
そのとき、背後で聞きなれた声がした。
「なんだよ、もう終わってるじゃねえか……ま、そいつがいるんじゃ当然か」
この声は。
この声は。
スコールの足が止まる。
「なんだか腑抜けた雰囲気じゃねえか。だいたい、何でお前がこんなとこにいるんだ?」
ゆっくりと振り返り、声の主を確認する。
「せっかく雇われたばっかりで暴れる場所ができたと思ってたところなのによ。お前が邪魔しやがるとはな。ま、だから俺はお前を高く評価してるんだがな」
スコールの目が驚愕で見開かれた。
「久しぶりだな、スコール」
「なんであんたがいるんだ……サイファー」
サイファー、と呼ばれた男はにやりと笑った。
「それはこっちの台詞だな。前から神出鬼没な奴だとは思ってたが、ガーデンほっぽりだしてこんなとこで何やってやがる」
「あんたには関係ない。そういうあんたこそ、こんなとこで何やってるんだ」
「俺か?」
サイファーは見下すように笑った。
「暇つぶしでここまで来たが……へっ、どうやら、ちょうどいい暇つぶしの材料があったみてえだな」
言うなり、サイファーは腰のガンブレードを抜く。
「サイファーさん!?」
事態を見守っていたガーレスが驚いて声をかけるが、サイファーは聞く耳持たない。
「ちょうどいい、決着つけてやるぜ!」
そして、スコールに向かって剣を振り下ろした。それをバックステップで避ける。
「どういうつもりだ」
「決まってんだろ。俺とお前は戦う運命なんだよ。魔女の騎士は廃業しちまったがな。そんなことは関係ねえ。俺はお前と戦うのが好きなんだよ」
「巻き込まれる方の身にもなってくれ」
「お前だって同類だろうが!?」
同類?
それはどういう意味だ?
戦うことが好きだという意味か?
戦っていなければ自分の存在意義すら見つけられないということか?
戦うことしか自分にはできないということか?
違う。
自分は、戦いたいわけじゃない。
自分が求めているのは安らぎ。
戦いを好んでいるわけじゃない。
「俺は、あんたとは違う」
「なに?」
「俺は戦うことしかできないあんたとは違うんだ!」
サイファーの顔から笑みが消えた。
そして近づいてくるなり、スコールの胸倉を掴みあげる。
「お前がそうじゃないとでも言うつもりか、あ?」
「な、に……?」
「お前、ガーデンに引き取られてきてから戦う以外のことをしたことがあるのか?」
「なんだと……」
「お前だって戦う以外能なんかねえだろうが。戦うことしかできねえくせに、戦いが嫌だとでも言うつもりか? 甘ったれてんじゃねえ!」
そのままサイファーはスコールを投げ捨てた。
スコールはその場に倒れ、サイファーを睨み上げる。
「惨めだな、スコール。その姿がってわけじゃねえ。戦いが終わって腑抜けたようだな」
「戦いたくないことの、何が悪いんだ」
「ほざいてな。もうお前になんか用はねえ。死ぬまでそう言ってろ」
サイファーは興味をなくしたようにその場を立ち去ろうとする。
何故だか、胸の奥が熱かった。
馬鹿にされたのは分かる。そして、それに抗おうとする自分がいることも。
だが、なんと言い返せばいいのかが分からない。
(サイファーは戦いたいのか?)
だが、何のために。
戦うことに、いったい何の理由があるというのか。
(風神と雷神を失ったばかりだというのに……)
いや。
逆に、それが原因で戦っているのだとしたら。
「サイファー。あんたのはただの八つ当たりだ」
サイファーの動きが止まった。
「あんたは自分が戦いたいんじゃなくて、あの二人がいなくなった憤りをぶちまけているだけだ」
「死にてえようだな、スコール」
今度こそ、サイファーの瞳が怒りで充たされていた。
それは、サイファーにとっては禁句だ。あの二人のことでどれだけ傷ついているか、考えるまでもなく分かっていることだ。
「あんたが戦ったところで、風神も雷神も帰ってくるわけじゃない」
「その口を今すぐ黙らせてやる!」
サイファーが疾った。スコールは剣を抜いて応戦しようとする。だが、遅い。既に剣はスコールの首に向かって振り下ろされている。
「二人とも、やめてっ!」
声が聞こえた。
その声でかすかにスピードが鈍ったサイファーの剣を、紙一重でなんとか回避する。
「リノア」
声をかけたのはリノアだった。モンスターが出たということで見に来たのだろう。
「けっ。女房のお出ましか」
「サイファー……お願い、ここは」
「けっ」
サイファーは忌々しげに剣を収めた。
「命拾いしたな、スコール」
そうして、サイファーはその場を去っていった。
「大丈夫?」
リノアが駆け寄ってきて、スコールの傍に膝をつく。
「ああ」
スコールは頭を振って、今の二人のやり取りを見ていた警備隊長を見る。
「サイファーは雇われたと言っていた。あんたたちがあの男を雇ったのか?」
スコールはゆっくりと立ち上がった。ガーレスは頷いて答える。
「その通りだ。我々の中には彼ほどの剣士は存在しない」
(なるほど、魔女の騎士のことはエスタまでは伝わっていないのか)
サイファーの正体を知ってもなお彼らはサイファーを雇っていられるだろうか。それとも過去のことは全てなかったことにして、力のある剣士として雇いつづけるのか。
「スコールさん、でよろしいですね」
ガーレスの方が今度は尋ねてきた。
「サイファーさんとはどういうご関係でしょうか」
「あんたには関係ない」
「私はあなたの名前を聞いて、一つ思い出したことがあります」
ガーレスは睨みあげるように彼を見つめてきた。
「……宇宙を彷徨っていたラグナロクに乗って魔女リノアと共にこの地上に帰還。その魔女リノアを奪い、ラグナ大統領と共に未来の魔女アルティミシアと戦ったガーデンのリーダー」
「別人だ。同じ名前の男なら捜せば世界に千人はいるだろう」
「察するに、そちらの女性がリノアさん」
「答える必要はない」
「残念ですが、先ほどあなたが自分でお名前を呼んでいましたよ、スコールさん」
リノアはスコールの影に隠れるようにしてガーレスを睨む。
魔女としての力はほとんど持たないリノアであるし、もはや未来の魔女アルティミシアを気にやむ必要もない。エスタがリノアを怖れる理由はいまや一つもないと言っていい。
だが過去の記憶は忘れられるものではない。
警戒している二人に対し、ガーレスはにこりと笑った。
「そうだと分かれば、あなたたちを傭兵として雇うなどとは申しません。あなたたちは我らの客人です。どうぞ、大統領官邸へご案内します。ご存知でしょうが、ただ今大統領は不在ですが」
「断る」
その申し出にも、スコールは拒否を貫く。
「何故です?」
「理由などない。俺はエスタに庇護を求めているわけでも協力を仰ぎにきたわけでもない。個人的に訪れただけだ。頼むから俺のことは放っておいてくれ」
「そういうわけにもまいりません。あなたは我が国ではVIPに当たります。正式な来訪ではありませんが、ガーデンのリーダーをお迎えするというのであればそれなりの待遇を用意しなければ我が国の落ち度になってしまいます」
「だから、別人だと言っている。俺はガーデンのリーダーじゃない」
ガーレスは首をかしげた。
「俺はガーデンから足を洗った、ただの民間人だ。VIPなんかじゃない。だから放っておいてくれ。行くぞ、リノア」
「あ、うん」
「す、スコールさん!」
「話は終わりだ」
そうしてスコールはまだ引きとめようとするガーレスを無視して、エスタ市から外に出ていった。
「よかったの、あれで?」
リノアが尋ねてくる。スコールは興味なさげに「ああ」とだけ答えた。
エスタに来ること自体には、彼にとっては何の意味もない。彼はただ探しているだけだ。
安らげる場所。
自分が本来いるべき場所がどこなのか、それだけを探している。
だから、落ち着かない場所は避ける。
自分を閉じ込める場所には行かない。
自由で、平穏に満ちた場所。
(そんなもの)
そんな場所があるわけがない。理屈では分かる。
だが、自分にとっての安らぎは、必ず見つかるはずだ。
「これからどうするの?」
「さあ……」
スコールは問われたので答えた。声は左から聞こえてきた。
「ねえ、スコール」
が、リノアは自分の右側にいる。
「……?」
「どうしたの?」
「リノア、今、何か言ったか?」
「え? えと、特には、何も」
「リノアお姉ちゃんじゃないよ。こっちこっち」
声はやはり左側から聞こえてくる。
「下」
言われて視線をずらす。
自分のすぐ傍に、小さな女の子がいた。
「な」
飛びのいて、肩の剣に手をかける。
「何者だ」
スコールの突然の行動に、リノアは戸惑って二人を見比べる。
「アタシ?」
「他に誰がいる!」
少女の間抜けた質問に怒鳴り返す。
「ずっと一緒にいたよ? 何で急にそんなこと言うの?」
「名前は?」
ぶー、と頬を膨らませて少女は答えた。
「レイラ」
浅黒い肌にくりっとした目、一度見たら忘れられないくらいの美少女が不満そうにこちらを見つめている。
「何の用だ」
「んーとね、アドバイスしに」
「アドバイス?」
「うん。幸せがほしいんでしょ?」
剣を握る手に力が入った。
(何者だ)
見た目も雰囲気も、ごく普通の少女だ。だが感覚だけが何かが違うと言っている。
そして、この全てを知り尽くしているという目。
「幸せは、すぐにやってくるよ」
「すぐに?」
「そう。でもその前にやらなきゃいけないことがあるの。ほら」
レイラは空を指さした。青い空に、白い月がぽっかりと浮いている。
「月が来るよ。そして、パンドラの箱が来る」
二人の顔に衝撃が走った。
「月が生み出した狂気の箱。嫉妬、恐怖、後悔、絶望、さまざまな負の感情と、それから、希望。大丈夫。パンドラの箱に最後に残っているのは希望だから」
「待て、ルナティックパンドラが動いているというのか?」
レイラはこくりと頷いた。
「ほら、もう来てるよ」
「!」
レイラが次に山の方を示す。
そこには何もない。山があるだけだ。
だが。
ゆっくりと、その山間から黒いモノリスが出現してくる。
「……繰り返されるのか、あれが」
月の、涙が。
78.最後の希望
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