後悔なら、飽きるほどしてきた。
 苦痛なら、耐えられないほど受けてきた。
 絶望なら、既にその中にいる。
(希望……俺がほしいものは、ただ一つ)
 それは、安らげる場所。












PLUS.78

最後の希望







Pandora's box






「ルナティックパンドラ……月の涙が、繰り返される」
 リノアが震える。月のモンスターの恐怖は、戦った自分たちだからこそよく分かる。
「うん。ルナティックパンドラは止められるものじゃないから。あれは世界の歪み。どんな世界にも歪みはあるけど、この世界の歪みは格別強力だね」
 平然と言ってのける少女に向かって、ついに彼は剣を抜いた。
「スコール!」
「黙ってろ」
 視線を逸らさず、少女を睨みつける。
「何者だ」
「レイラ」
「名前なんかどうでもいい。お前は敵か、味方か。俺に何をさせるつもりだ」
「世界を守ろうとすることがそんなにいけない? だって安らげる場所があったって、世界が滅んだらそんなものに価値ないのに」
「俺の自由だ!」
 スコールは剣を振り下ろした。少女は全く動かない。その首筋に刃先がぶつかる。
「……残念だよ、スコールお兄ちゃん」
 彼の手に痺れがはしっていた。
 少女の首はまるで鋼でもあるかのように堅く、びくともしなかった。
 いや、それどころか彼女はまるで剣を受けた衝撃すらなかったかのように、ぴくりとも動かなかった。
「馬鹿な」
「……このアタシと戦うなんて、本当に馬鹿」
 目に見えない衝撃派がスコールを襲った。体中に石つぶてをぶつけられたかのような痛みがはしる。
「でも、アタシは敵じゃないよ、お兄ちゃん。それに、リノアお姉ちゃん」
 レイラは少女の顔に悪鬼の笑みを浮かべてリノアに近づいた。
「な……」
「きちんと、スコールお兄ちゃんを導いてね」
 言うなり、レイラの姿が消えた。
 目の前にいたのに、ぱっ、とはじめから何もなかったかのように、忽然と消えたのだ。
「え、え……?」
 リノアは目を瞬かせる。何が起こったのか分からない。
「ほうけてる場合じゃない、リノア」
 スコールは立ち上がると、黒いモノリスに目を向ける。
「ティアーズポイントだ」
「スコール」
「何ができるのかは分からない。でも『あれ』だけは駄目だ。月の涙だけは防がなければならない」
「でも、いいの?」
 リノアはスコールの服の袖をつかんで尋ねた。
 スコールは、全ての戦いから逃げたかったはずだ。
 それなのに、ティアーズポイントに向かうということは、戦いを選ぶということ。
「急ぐぞ」
 が、スコールはそれには答えずに駆け出す。
 彼にも、自分が何をしたいのかなど分かっていなかった。
 ただ、目の前に危機が生じている。それは自分の大切なものを奪うかもしれない。
 それだけは避けたかった。
(……誰も、死なせたくない!)
 それは、彼のただ一つの純粋な思いであった。






 ルナティックパンドラはエスタ市を縦断してティアーズポイントを目指す。
 既にエスタ軍が黒きモノリスに攻撃を仕掛けていたが、全てが無駄に終わっていた。
「無駄無駄。あいつに攻撃は通じねえよ」
 サイファーはソファに背をあずけ、足を机の上に投げ出した体勢で、ルナティックパンドラに攻撃を命令したエスタの警備隊長にそう言い放った。
 エスタ軍の中に彼にかなう実力の者はいない。その力をかわれて、サイファーは隊長付きの傭兵として雇われていた。
「では、どうすればいい」
「決まってる。月のモンスターを迎え撃つのさ」
「馬鹿な! 現在でもエスタ市街に無数のモンスターがあふれているというのに、これ以上増えては」
「んなこと言われたって、どうしようもねえよ。ルナティックパンドラは止める手段がねえんだ。一度動いたら止められねえ。だとしたら、一番効果的なポイントで、月のモンスターをぶっ叩くしかねえだろ」
 く、とガーレスが言葉につまる。それを無視してサイファーは立ち上がった。
「じゃ、俺の部下を連れてくぜ」
「どうするつもりだ」
「決まってんだろ。やることが分かってんなら実行するだけだ」
「無茶だ! 月の涙でいったいどれだけのモンスターが降って来るか分かっているのか? 百や千の単位じゃないんだぞ!」
「俺たちはな、それを求めてんだよ。邪魔するな。これは俺の戦いだ」
 サイファーはガンブレードを振り回すと、隊長室の外で待っていた部下達を眺めた。
 いずれもゴロツキの類ではあるが、腕に覚えのある者たちであった。
「行くぜ」
 彼らはサイファーの信望者であった。この数日間でサイファーの強さと子供っぽさは、傭兵団の連中を懐かせることに成功していたのだ。






 そうして、ティアーズポイントに役者が揃ったのはそれから三十分後のことであった。
 スコールが先に到着しているのを見たサイファーはニヤリと笑い、ゆっくりとスコールへ近づいていく。
「やっぱり来やがったな」
「別に戦いたくて来たわけじゃない」
「けっ。たとえそうだとしても、お前は戦う運命にあるんだよ」
 この俺とな、と言外に付け加えているのをスコールは当然読み取る。
「あとどれくらいだ?」
「ざっと見て、あと十分ってとこだな」
 スコールとサイファーは無駄な話をほとんどしなかった。お互い何をすればいいのかは分かっている。
 ティアーズポイントめがけて月のモンスターが降りてくる。それを一体でも多く倒す。
 スコールもサイファーも、死ぬまで戦う覚悟が心の底にこめられている。
 戦うということ。
 それは大切なものを守るということであり、大切なものを奪われたことへの復讐という意味でもある。
 二人の魂は、やはりどこか似通っていた。
「……来るぜ」
「ああ」
 ルナティックパンドラが、ティアーズポイントに到着する。
 ティアーズポイントの至近は危険だ。月のモンスターが落ちてくる衝撃で戦うことができない。
 そのモンスターが移動を始めた場所、そこめがけて攻撃をしかける。
 一体でも多く倒す。
 倒れるまで戦う。
「……来たっ!」
 リノアが叫ぶ。同時にガーディアンフォースを発動させた。
「やろうども、手抜くんじゃねえぞ!」
「おぅ!」
 サイファーを中心とした傭兵団がモンスターの軍に挑みかかる。
 その中で、スコールだけは動かなかった。
 一つには、GFを発動させているリノアを守るという意味がある。
 そしてもう一つは。
(希望……ルナティックパンドラに残されているものとは、なんだ?)
 それが分からない。
 それを確かめるまでは、無駄に倒れるわけにはいかない。
 リノアの発動したGFパンデモニウムがモンスターの先陣を吹き飛ばしていく。
 怯んだモンスター軍にサイファーの傭兵団が突進する。
 次々に舞い飛ぶモンスターの体液。そして、人間の赤い血。
(サイファー。こんな戦いをすることが、仲間を失うことが、何の意味があるんだ?)
 リノアとスコールのもとにも、モンスターが襲いかかってくる。
(俺は……死なない! 誰も死なせない!)
 ガンブレードを抜く。そして、モンスターに斬りつける。
 一体、また一体と倒していく。
 だが、モンスターは後から後から、津波のように押し寄せてくる。
(──この戦い、いつまで続く?)
 希望など、どこにもない。
 ただ目の前には、絶望だけが広がっている。
『月が生み出した狂気の箱。嫉妬、恐怖、後悔、絶望、さまざまな負の感情と、それから、希望。大丈夫。パンドラの箱に最後に残っているのは希望だから』
 希望なんかない。
 自分の安らげる場所は、どこにあるというのか。
(俺は……戦うことしかできないのか?)
 モンスターの体液を浴びながら、スコールは肩で息をしていた。






 戦場は徐々に移ろいつつあった。
 ティアーズポイントからアバンダン平原を少しずつ南下していく。エスタ市街から別の方向へと誘導している、と言えば聞こえはいい。
 だが実際のところは、単にモンスターに押されているだけのことであった。
 多勢に無勢。万ものモンスターの軍に対し、サイファーの傭兵団はせいぜい五百といったところ。初めから勝てる見込みなどなかったのだ。
 少しでも時間を稼げればいい、などとは最初から考えているものは誰もいない。
 倒す。モンスターをただ倒すだけでいい。
 だが、それはもはや叶わぬ願いだ。
 既に半数以上の仲間が倒され、残った仲間も散り散りになってしまっている。
 ごく一部の集団だけがただ南下を続けていた。
 だが、そんな中でも戦乱の真っ只中に残っている者もいる。
 ティアーズポイントのすぐ傍で、今もまだモンスターの体液にまみれて剣を振りつづける男。
 スコール。そして、サイファーの二人であった。
「けっ、弾が切れやがったか」
 ガンブレードのスイッチを押しても、カチカチと音がなるだけでもう弾は発射されない。
 それはずいぶん前からスコールも同じだった。
「まだ動けるか、スコール」
「なんとかな。リノアは大丈夫か?」
「私は、平気」
 二人でリノアをかばうようにして戦っていたためか、リノアが一番力を温存している形となっている。
「じゃ、これもなんとか切り抜けられそうだな」
 リノアを中心に、サイファーとスコールがそれぞれ反対の方向に剣を構えている。
 その三人を、十重二十重にモンスターの群れが取り巻いていた。
 絶体絶命という言葉がまさに彼らを表していた。
「切り抜けてみせるさ」
「頼もしいじゃねえか」
「誰も殺させはしない。そう誓った」
「へっ、なら、行くぜ!」
 同時に動いた。こうなってしまっては、もはや一点突破しかない。
 逃げ切れるかどうかなど分からない。
 だが、やらなければならない。
 腕も足も鉛のように重い。モンスターの体液で服が濡れて体に張り付き、動きを鈍らせる。
 既に肩で息をしているが、そうなったのは何時間前のことだっただろうか。
(俺は、死なない……!)
 スコールの隣で、サイファーがモンスターの爪に切り裂かれる。
「サイ……」
 その瞬間、スコールの前にも巨大なムカデモンスターが立ちはだかる。
「くっ……」
 ……ここまでか?
 ……ここまでなのか?
「サンダガ!」
 リノアが魔法を放つ。モンスターが怯んだところへ、スコールは飛びかかった。
「ブラスティングゾーン!」
 天から剣に闘気をこめて振り下ろす。闘気の刃が、モンスターを両断した。
「サイファー!」
「けっ、油断しちまったぜ」
 血が流れている。だが足を止めるわけにはいかない。足を止めた時が死ぬ時だ。安全な場所にたどりつくまで、治療することはできない。
「もう少しで切り抜けられる。行くぞ」
「てめえに言われる筋合いはねえ!」
 新たに目の前を塞ぐモンスターを、二人のコンビ攻撃で月に還す。
「あうっ」
 そのとき、後ろで声がした。
 倒したと思っていた敵がまだ死んでおらず、リノアに攻撃を仕掛けていたのだ。
『リノア!』
 二人の声が重なり、そのモンスターを土に返す。
 が、そこで三人の足は完全に止まっていた。結局モンスターの環を抜けることはできなかった。
「ここが冥土か」
「俺は死なない。サイファーもリノアも死なせない」
「頼もしい限りだがな、俺はもう駄目だ」
 サイファーが弱音を吐く。胸からは相変わらず血が流れ出ている。
「しゃあねえから、俺が道を切り開いてやる。お前ら二人はなんとか逃げな」
「馬鹿を言うなよ。俺はあんたもリノアも死なせないと言った。そして俺も死なない。三人で助かるんだ」
「ったく。強情だぜ、お前はよ」
 サイファーは震える足でなんとか剣を構える。
「来るぜ」
「ああ」
 モンスターの輪が少しずつ狭まる。
(パンドラの箱に入っていたもの……嫉妬、後悔、苦痛、焦燥、憎悪、悲哀、そして、絶望)
 一斉に、モンスターが動き出した。
(パンドラの箱に残されていたもの)
 スコールは剣をしっかりと握って、襲い掛かるモンスターを睨みつけた。
(それは、希望)
 彼が剣を一振りしたとき。
 奇跡は起きた。






 月から一条の光。
 そして、その光の中に浮かびあがる、少女。
 モンスターたちもその光に目を奪われたのか、行動が止まる。
(あれ、は……)
 ゆっくりと降りてくる少女が、こちらを見た。
(安らげる場所……希望?)
 サイファーよりも、リノアよりも、モンスターたちよりも、誰よりもスコールが放心していた。
 その光の中にいる少女が、こちらを見て笑ったような気がした。

『月のモンスターは、月が流した涙の産物。それは決して忌むべきものではない』

 少女は朗々と詠った。
 そして、唱えた。
「いでよ、召喚獣アフラマズダ!」
 空に光の鳥が現れた。
 白い光がエスタの大平原に満ち溢れる。
 その光を浴びたモンスターたちが、次々と塵へと還っていく。
「……これは、奇跡か?」
「奇跡なんかじゃない」
 スコールは光の中の少女をただ見つめて言った。
「人は奇跡なんか起こせない」
 スコールの目から、涙が流れていた。
「彼女は、リディアだ」






79.大地の獣

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