還ってきた。
 この地こそ、私が守る大地。
 そして、私が守るべき人がいる大地。
 私は、あなたを守る。
「ただいま……」
 もう、何も迷わない。
 この地で、私は戦うのだ。












PLUS.79

大地の獣







seventh






 リディアが彼らの前に舞い降りてくる間に、リノアがサイファーの怪我を治癒させていた。それくらいの余裕が彼らにはあった。
 そして、リディアが彼らの前に立ったとき、彼らは本当にひどい有様だった。
 モンスターの体液と、自分たちの血で汚れきっている。もはや原形すら分からないほどに。
「お久しぶりです、スコールさん」
 すぐ隣にリノアの姿を見て、軽く一礼する。
「リディア、どうして君がここに」
「私も、スコールさんと同じです」
 くすっ、と笑った。
「逃げ出したんです。力のない自分が嫌で」
「逃げた……ガーデンを」
「はい。幻獣界にいって自分を鍛えなおしてきました。もう、私は負けません」
 すがすがしい笑顔だった。ガーデンで会ったときの、どんな笑顔とも違う。
 完全に壁を乗り越えた者の、力ある笑みであった。
(……俺は、何をしているんだ)
 彼女は自分一人で壁を乗り越えた。
 それなのに、自分はずっと前から、壁の前で立ち止まったままだ。
(俺は、いったい)
 と、その時。
 リディアの目が見開いて、もう一人の男に釘付けになっていた。
「……代表者!」
 リディアの口から、その言葉が出たのはしばらくたってからのことだった。
「代表者!?」
 さすがにその言葉には、スコールもリノアも反応した。
 その視線が集まったのは、サイファー。
「……あ?」
 全く状況が把握できていない男が一人。
 ……どうやら、最初から説明しなければならないようだった。






 南のアバンダン平原に行ったモンスターはともかく、このエスタ大平原に巣食っていたモンスターたちはどうやら、ほとんどが一掃されたようだった。
 つまり、それだけの力をリディアは手にして帰ってきたということになる。
 リノアにしてみれば、それだけの力のある人物に成長しているということが驚異であった。その間、自分はまるで成長していない。
 スコールの傍にいることが、スコールのためになることだと思っていた。
 でも、目の前にいる少女は違う。
 自分を成長させ、成長した結果としてスコールや世界のためになろうとしている。
「……俺が、世界の代表ねえ」
 サイファーには今ひとつピンときていないようだった。
「で、あんたは俺に何をさせるつもりなんだ?」
「世界を守るために、一緒に戦ってほしいんです」
「へえ」
 サイファーは何故か楽しそうだった。
「俺が断る、とは思っていないのか?」
「思いません。承諾していただくまで何度でもお願いしますから」
 強い、とリノアは思う。
 これが力のある者が持つ強さだろうか。
「じゃあ、俺がその代償にお前をよこせって言ったらどうするんだ?」
「なっ」
 声をあげたのはリディアではない。スコールだった。
「サイファー、冗談にもほどがすぎるぞ!」
「突然口挟むんじゃねえよ、スコール。これは俺とその女の話だ」
「その通りです、スコールさん」
 にっこりと、リディアは笑った。
「かまいません。私をあなたに差し出しましょう」
「リディアッ!」
 サイファーは久々に悪人らしく、くっくっと笑った。
「そいつはいいや。それなら受けてやってもいいぜ」
「サイファーッ!」
「さっきからうるせえぜ、スコール。だいたい、今の話聞いてたら、お前はガーデンを抜けたそうじゃねえか。お前にはもう用はねえよ。さっさと女房と一緒にどっかいっちまいな」
「くっ……」
 スコールはかける言葉を失ってリディアを見つめる。
 だが、リディアはにこりと笑って「大丈夫です」と言った。
「この方は優しい方ですから」
 全員が耳を疑った。当のサイファーもだ。
(サイファーが、優しい?)
 あまりにも似つかわしくない形容詞だった。
「面白えこと言うじゃねえか」
「間違ってはいません。あなたは、女子供を手にかけることができない人です。少なくとも自分で傷つけるようなことはしない人です」
 サイファーの顔がひきつる。そんなことを言われるとは心底思っていなかったのだろう。
「それが防波堤になるとでも思ってんのか?」
「いいえ。事実を言っているだけです」
 強い、とリノアは感じた。
 完全にサイファーが言いくるめられている。それは彼女の言っていることが真実だからだ。
 自分もサイファーに傷つけられたことなど一度としてなかった。
 しかも、ティンバー独立運動の際には以前の付き合いというだけで単身ティンバーまで駆けつけてくれたような優しさを確かに持っている。
(……どうして、たった一目でわかるんだろう)
 それも彼女の新しい力なのだろうか。
 だが、それほど難しいことではない。サイファーの件についてはガーデンの会議でリディアも知っている。そして実際に言葉を交わして、そう確信したのだ。
「そして、ガーデンに行くことであなたも今の苦しみから解放されるでしょう」
 サイファーの顔が凍りつく。
「なに?」
「やることがあるというのは、一時でも苦しみを忘れることができます。それにユリアンさんも言っていました。襲撃のときに狙われていたのはサイファーさんだった、と」
 殺気が満ちる。
「俺の身代わりになった、と言いたいのか?」
「それが事実です。そして、ガーデンにいれば仇を討ちやすくなります」
 サイファーの目が光る。
『その件』について自分を侮辱するのならば、たとえ女子供といえども許さない意思がそこにはあった。
 手がガンブレードに伸びる。
 が、それより早くリディアの周りを緑色の炎がくるんだ。
「悪いけど、俺のリディアを傷つけさせやしねえぜ」
 その炎に人間の顔が浮かんだ。
「ディオ」
 リディアが顔をしかめる。
「勝手に……」
「いいじゃんかよ、あんたの力を使ったとしても、姿を見せないままこの世界にいつづけるのって大変なんだぜ。たまには遊ばせてくれたってよぉ」
 リディアの周りを炎はくるくると回った。リディアは、はあ、と面倒そうにため息をつく。
「リディア、これは」
「はい。彼はディオニュソス。幻獣です。私がこの世界に戻ってくるときに、無理矢理ついてきてしまって……」
「だからボディガードがいるって言ったろ? こんな危ねえヤツがいるんじゃ、いつ俺のリディアが襲われるか分かったもんじゃねえ」
 ディオニュソスは楽しそうに笑った。
「私はあなたのものじゃないわ、ディオ」
「あれれ? 今まで一回もそんなこと言わなかったのに、突然どうしたんだい?」
 ディオがからかうように言う。少しだけリディアは顔を赤らめたようだった。
「へーえ」
 ディオニュソスはそれを見届けると、リディアから離れてスコールの傍へとやってきた。
(なんだ?)
 人魂、という形容が恐らくは正しいだろう。緑色の人魂。その真ん中に顔だけが浮いている。
「なあるほどねえ」
 ディオニュソスはそう言って笑った。
「何がだ?」
「いや、感心感心。俺を見ても動揺してるところを見せないなんてな」
「動揺はしている。だが怖れる必要はないと思っている。あんたはリディアのボディガードだろう。なら俺があんたに襲われる理由はない」
「そうそう。理解が早いねえ」
 ディオニュソスは言って、リディアの下へ戻る。
「んじゃ、少し寝かせてもらうわ」
「ディオ」
 リディアが何かを言うより早く、ふぅっと緑色の炎は消えていく。
「もう、いつも勝手なんだから」
「ちっ、なるほどな。だから『安全』ってわけかよ」
 サイファーが面白くなさそうに言う。
「俺がお前を襲ってもそのボディガードが助けてくれるってわけか」
「そこまでは考えていませんでした。こんな形で彼が介入してくるなんて……」
 リディアも少しばつが悪そうに顔をしかめる。
「でも、嘘を言ったつもりはありません。望みとあれば、私をあなたに差し出します。世界を守るために」
「くだらねえ」
 サイファーは吐き捨てると、リディアを睨んだ。
「けっ、まあいい。とにかくお前は俺のものだ。俺に逆らうな。俺に意見をするな」
「分かりました。そのかわり、ガーデンへ行っていただけますね?」
「二言はねえ」
 サイファーは立ち上がると、首を鳴らした。
「お前はどうする?」
 そして、スコールに向かって尋ねてきた。
「どうする?」
「ガーデンに行くのか行かねえのかってことだ」
 ガーデンに戻る。
 全くそれは考えていなかった。逃げ続けるだけの自分、幸せになれる場所を捜している自分。
 ガーデンにそれがあるとは、とても考えられない。
「スコールさんは、来ません」
 リディアはサイファーに向かって言った。
「ガーデンは苦しいだけの場所ですから。スコールさんはそのような場所から遠ざかることで戦っているんです。あなたもそうでしょう?」
 何から何までお見通しらしい。
「ならいいさ。向こうにバイクを止めてある。決まったんならさっさと行くぜ」
「はい」
 リディアは素直に頷いた。そしてサイファーが歩き出す。
「リディア」
 スコールは金縛りから解けたかのようにリディアに声をかける。
 が、リディアはにっこりと笑ってスコールを制する。
「どうかお幸せに、スコールさん。私は、あなたがこの世界で生きていると思えるから、ずっと戦えます」
 まるで愛の告白のような台詞を言って、一度リノアにお辞儀をする。
 リノアは理由も分からずお辞儀をし返す。
 すると、リディアはするりとスコールの傍に近寄ると、その頬に口づけた。
「リ──」
「……どうか、お幸せに」
 にっこりと笑うと、リディアは離れた。
 そして、サイファーの後を駆け足で追いかけた。






「なに狐につままれたような顔してるの、スコール」
 気がつくと、隣でリノアが角をはやしていた。
「いや」
「もう……スコール、自分の恋人が誰だか分かってるの?」
 スコールは答えない。ただ呆然としている。
「スコール!」
 ゆっくりと、スコールは口を開いた。
「……希望だ」
「は?」
 リノアは聞き返す。
「希望だ。彼女が、俺の希望だったんだ……」
 だが、もう遅い。
 自分は逃げ出した人間だ。戦うことができなかった。
 形だけ戦っていても、心で戦うことができなかった。
 希望は空から降りてきた。
 だが、その希望にすがらず、逃げ出したのは自分だ。
 もう、自分が安らぎを得ることはない。
 もう、自分に希望はない。
「スコール……」
「行こう。もう、ここには用がない」
 どろどろになった自分の体を見て、スコールはため息をつく。
「どこか、体を洗えるところがいい」
「エスタ湖?」
「いや、近いところはモンスターが戻ってくる可能性があるからまずい。とにかくここから離れよう」
 そうスコールが言って、彼らもまた歩き始めた。
 そのときであった。
(……?)
 かすかに、地面が揺れたような気がした。
 周囲を見渡しても、何も変化はない。
「どうかした、スコール?」
「いや……」
 たしかに揺れた。いや、揺れている。
 リノアも気付いたようだ。辺りをきょろきょろと見回す。
「モンスターが戻ってきたの?」
 その可能性はある。だとすれば、急いで逃げなければ。
「土煙は見えないな……」
 それとも、まさか。
「サイファー!」
 リノアが叫んだ。たしかに、このアバンダン平原には自分たちしかいないわけではない。たった今サイファーたちがガーデンへ向けて移動したばかりだ。
 だとしたら、狙われているのは──
「いや、違うようだ」
 揺れが少しずつ大きくなる。
 その姿が、地平線に見えた。
「大きい」
 メタリックブルーに輝く巨体が土煙を上げてこちらに迫ってくる。
 それはモンスターの軍ではない。
 たった一体の『異形』であった。
「なに、あれ……」
「さあな」
 スコールは冷めた様子で言った。
「だが、俺たちを目指してきているのは間違いないようだ」
 その異形はまるで方向を変えず、まっすぐこちらへ向かってきている。
「逃げないと」
「無理だな。どうやら一戦交えないとならないらしい」
 スコールはガンブレードを抜いた。
「でも、もう……」
 戦えるだけの力が残ってはいない。確かにその通りだ。
 だがスコールは逃げられなかった。
「ああ。だが、もういい。どうせ逃げるところなんかないからな……」
 妙に悟った言い方だった。
「スコール」
「離れていろ、リノア」
 何か、惹かれる。
 あの異形は『自分』を目指してきている。
(何故……)
 だが、もういい。
 何があっても、あれを倒す。
(サイファーの言ったとおりだ)
 戦う以外の生き方を習わなかった。
 常に戦場にいることしか考えていなかった。
 それなのに、幸せがほしいなどと言っても手に入るはずがない。
 戦場のことしか知らないのだ。
 戦場にしか幸せを見つけられないのだ。
(戦っているときだけは、全てを忘れていられる)
 自分が自分でなくなる感じ。
 戦場の中に自分が溶け込む感じ。
 それは、世界との一体感。
「来る……」
 異形がどんどん近づいてくる。
 体中がメタリックの武器で武装されたかのような体、鋭いヒレが無数についている。いや、あれは鱗か。手や足のようなものはどこにも見当たらない。あの鱗の下についているのだろうか。ハリネズミに近い。無数のブレードを体に植え込んだ、二階建ての家ほどもある巨大なヤイバネズミとでも言おうか。
 目はどす黒くよどみ、口から黒い煙を吐き出している。まるでエネルギー効率の悪いガソリン車のようだ。
 疲労で体中が重かったが、それでも最後の力をふりしぼってスコールは剣を構える。
「行くぞっ!」
 スコールが大地をしっかりと踏みしめた、そのときである。
(待つのだ、戦士。我は戦うために来たのではない)
 異形は徐々に減速し、スコールの前で止まる。
(ようやく会えた、我が主)
 その声が異形から発せられているのだと、ようやくスコールは気付いた。
「主……?」
 スコールは剣を下げた。構えているのが辛かった。
「お前は何ものだ、異形?」
(我はウェポン。『変革者』に我が爪を与える者)
 異形はおごそかに名乗る。
(我が主よ、我が爪を受け取るか否か?)
「待て」
 スコールは頭を押さえた。
 突然のことに何がどうなっているのか分からない。
「いったい何の話なのか分からない。お前はいったい何者だ? 俺にいったいどうしろっていうんだ?」
(主)
 ウェポンは楽しそうに巨体を揺すらせた。
(己が運命を知らずか。面白い、実に面白い主に出会った)






80.叶わぬ願い

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